出発前日の昼時。城内の食堂は騎士や城勤の役員で溢れ、食欲を引き立つ芳ばしい香りと楽しげな会話で満ちる。
そんなエルリア城の食堂に足を運んだスヴェンとミアは食事を済ませ、
「そういや、ラオとレイは何の調査に向かったんだ?」
偶然相席した顔見知りの騎士に尋ねた。
すると騎士は困り顔を浮かべ、隣のミアが意外そうな表情で呟く。
「不在のラオさんを気にしてたんだね」
「副団長ってのは騎士団長の留守を預かる重要なスポットだろ? それが7日も不在となりゃなあ」
調査なんて副団長がやるべき仕事じゃない。それこそ部下を動かすものだ。
ラオが現場主義なら話は別だが、ラオが動かなければならない案件だったと推測も立つ。
「俺は明日の早朝に旅立つ身だ。旅路は極力安全で行きてぇ、情報一つ知ってるだけでも随分違うだろ?」
「確かにそうだけどなぁ」
彼は話していいのかっと迷う素振りを見せたがーー後々の影響を考慮したのか、耳を貸すように動作で訴えた。
二人は騎士に耳を傾け、彼の語り出した情報にスヴェンは眉を歪めーーミアは信じられないと喉元を震わせる。
騎士は耳元から顔を遠ざけ、わざとらしい笑みを浮かべた。
他言無用、この情報は口にしてはならない。
スヴェンは彼の笑みから意図を読み取り、
「へぇ、俺の杞憂だったわけか」
騎士に話しを合わせた。
隣のミアが漸く意図を察したのか笑みを浮かべる。
「スヴェンさんは顔に似合わず心配症だね」
「傭兵ってのは少々のことで警戒しちまう臆病者なんだよ」
「真正面からモンスターを討ち破る君が臆病者なら、大半が臆病者になるよ」
笑い声と共に立ち上がった騎士は、
「今回こそ成功するようにアトラス神に祈っておくよ」
「おう、アンタらとの訓練も楽しかった」
「帰って来たらまた参加してくれよな、団長も居ない状況じゃ刺激も少なくて仕方ないからよ」
そう言って騎士は立ち去りーー彼の背中を見送ったミアが意外そうな眼差しで尋ねた。
「いつの間に交流関係を広げたの?」
いつと聞かれれば答えは限られている。
「そりゃあ訓練の時だろ」
「それもそっか。でも本当に意外だなぁ」
妙に優しげな眼差しを向ける彼女にスヴェンは嫌そうに顔を歪めた。
「何がだよ、つうかなんだその眼差しは」
「母親が息子の巣立ちを見送る優しい眼差し? あっ! 冗談だから殴ろうとしないで!」
スヴェンは振り上げた拳を下げる。
「で? 何を意外に感じたんだ?」
「元の世界に帰りたいスヴェンさんが交流関係を広めた事にかな」
孤立してれば傭兵として情報を仕入れる時に足枷になる。
あくまで交流関係を広げたのは確実に依頼達成に繋げるために過ぎない。
その過程がどうあれ、スヴェンはこの世界で誰かと深く付き合うつもりは無かった。
「浅く広くが丁度良いんだよ」
「私に対しても?」
ミアの問いに簡素に頷く。
明日からミアを連れ、影の護衛としてアシュナが同行する。
女二人連れという居心地の悪い旅路になるが、スヴェンにとって二人は仕事上の付き合い程度だ。
それが最も適した距離感だろう。特に年相応かつ難しい年頃の少女が二人となればなおさら。
ウェイトレスが運ぶ料理を尻目に沈黙が流れる。
だが、沈黙はそう長くは続くことは無く、先に沈黙を破ったのはミアだった。
「そういえば昨日、リュウジさんに告白されたんだけど」
色恋の話しを持ち出されてもなぁーーそう思ったが、敵意を逸らすために誘導したのは他ならないスヴェンだ。
これも佐藤竜司を焚き付けた責任として、スヴェンは頬杖を付くミアに視線だけ向ける。
「おっ、それは聴いてくれるってことだね。いやぁ、私も驚いたよ?」
話が長くなると感じたスヴェンは結果だけを催促した。
「前置きはどうでもいい。そいつの想いを受け止めたのか?」
「断ったよ」
呆気なく答えるミアにスヴェンは一言だけ呟く。
「そうか」
「うん。リュウジさんが私の何処に惹かれたのか分かんないし、私もリュウジさんの魅力とか素敵な一面が見付けられないからね」
「それが断った理由か。そんなのは交際の中に理解するもんじゃねえのか?」
ミアはどうかなぁ? っと首を傾げる。
そして彼女ははっきりと告げた。
「多分身体目当てかな、私かわいいから!」
「へぇ〜」
気の抜けた返事にミアは面白くなさそうな眼差しを向け、
「なにさぁ〜、少しは真面目に聴いてよ」
右腕を指で突かれ、ミアのウザ絡みにスヴェンはため息を吐く。
本当に竜司はミアに対して幻想を抱き過ぎてるのでは無いか? そんな心配が頭に過ぎるがーースヴェンは一瞬で頭の外に追い出す。
こちらに実害が無ければ他人が誰に恋心を抱こうがどうでもいい。
「悪りぃな、他人の恋愛沙汰に真面目になれねえ性分でな」
「じゃあしょうがないか。あっ、私は物資の確認が有るからもう行くけど、スヴェンさんはどうするの?」
自己鍛錬と言語の学習でもっと考えたが、明日から慣れないハリラドンに乗って旅立つ。
魔王アルディアが治めるヴェルハイム魔聖国への進入経路も見直しておく必要が有るだろう。
騎士団との連携も考慮に入れた旅路にーーレーナに確認しておくことも有ったと顔を顰める。
「そうだな、姫さんと打ち合わせしておくか」
「旅の順路とか確かにそうかも。分かった、姫様には私から伝えおくからスヴェンさんは自室で待ってて」
言うが早いかミアはすぐさま行動に移し、スヴェンは呼ばれるまで自室で待機する事に。
▽ ▽ ▽
夕暮れに染まる空ーーミアに案内されたスヴェンは、室内でワイングラスを並べるレーナに驚きを隠せずにいた。
「私はこれで失礼させてもらいます……スヴェンさんは飲み過ぎないようにね」
ミアの気遣う言葉を他所に、スヴェンは困惑から立ち直れずにーー半ば現実逃避の如く室内を見渡す。
良く言えばば王族の一人娘らしい部屋、悪く言えば調度品や高級感溢れ居心地が悪い部屋。
スヴェンはそんな印象を包み隠さず黙りを決め込む。
目前で手を振るミアも気にならないほどスヴェンの思考は停止していた。
「お、おーい? ……固まってますよ」
「そうみたいね、スヴェンは先日のお茶会の時も居心地悪そうにしてたわ。もしかしてこういう場が嫌いなのかしら?」
申し訳ない事をした。そう言いたげなレーナの眼差しを受けたスヴェンは漸く口を開く。
「交渉時に色鮮やかな部屋に通されることも有ったが……王族、それも姫さんの部屋に通されるなんて誰が思うよ」
「王族の前に一人の小娘よ。それにたまには誰かとお酒を飲みたい時ぐらい有るわ」
現実に引き戻されたスヴェンは本来の用事を思い出す。
「いや、俺は旅路に付いて話しに来たんだよ」
本来の用事を済ませ早急に部屋から立ち去る。
スヴェンは用事を済ませるべく、口を開きかけたその時だ。
「一緒に飲んでくれないの?」
潤んだ瞳で弱々しい声で訴えられたのは。
そんな瞳をされ、先日酒に付き合う話しをした手前ーースヴェンが断る理由が何処にも無かった。
「アンタには負けたよ、明日に支障が出ねえ程度には付き合わせてもらう」
背負っていたガンバスターを壁に立て掛け、
「今度こそ私は戻るからね」
そう言ってため息混じりにミアが退出する。
スヴェンはレーナの向かいに座り、持ってきた地図を広げ本題を切り出した。
「俺達は魔王救出を目的に旅に出るが……」
スヴェンは地図のエルリア城から西へ指をなぞり北西からヴェルハイム魔聖国を回り込むように動かす。
ヴェルハイム魔聖国のフェルム山脈から南下し侵入を試みるルートを示した。
レーナはワイングラスに葡萄酒を注ぎながら、スヴェンの示したルートに興味深そうに目を細めた。
「如何して遠回りを思い付いたのかしら? それにフェルム山脈はかなり険しい山脈、そこに辿り着くにも此処から最低でも2ヶ月はかかるわ」
エルリア城から北の国境線を通れば、最短二週間でヴェルハイム魔聖国に到着が可能だ。
それは平常時に限った話しで、今は邪神教団によって魔王アルディアが抑えられ魔族が実質支配下に置かれている状況にある。
「此処から何百キロも離れた北の国境線じゃあ、騎士団長が邪神教団を牽制してるつう話しだろ? 救出すんのに馬鹿正直に真正面から攻め込む必要がねえんだよ」
今までの異界人は真正面から乗り込もうとしたが、国境線に辿り着く前に失敗した。
中には別ルートからの侵入を試みた者も居るがーーその殆どがエルリア魔法大国の国内で死亡しているか、心変わりしたのか途中で諦めている。
昼間に騎士から聞いた情報も合わせスヴェンはこのルートを選んだ。
「それにアンタはもう把握してんだろうが、ラオ達の調査対象つうのがメルリアで邪神教団の動きが有ったからなんだろ?」
それとは別に昼間の騎士は城内に内通者が居ると示唆した。
その情報は異界人の失敗率、技術研究部門の警戒姿勢から正しいのだろう。
出発時期やルートが敵に漏れている可能性が高い。
「えぇ、メルリアの地下遺跡に邪神教団が潜伏してることは城内に潜んでいた内通者を追跡させることで発覚したわ」
「そいつはそっちに任せていいのか? メルリアで始末してやってもいいが」
そう言ってスヴェンは葡萄酒をひと口飲み、その芳醇な旨味と酸味に舌鼓打つ。
デウス・ウェポンの飲酒は酒を真似た、アルコールをゲテモノに注いだだけの何かーースヴェンの中でデウス・ウェポンの飲食関係が軒並み最低評価に落ちた。
葡萄酒に感動しているとレーナははっきりとした強い眼差しを向ける。
「内通者の件は騎士団に任せて貴方には邪神教団の方を叩いて欲しいのよ」
当初は邪神教団と接触せず安全ルートで魔王救出を試みる。そう想定していたが、内通者の存在によってスヴェンの素性が既に敵に伝わっている前提で動く必要性が出た。
その件を踏まえフェイク情報の流出も視野に入れる。
出発直前に流す情報ーー普通なら遅いフェイクだと感づくが、傭兵という素性が情報に錯綜を齎す。
「そいつは構わねえが、俺の旅は表向きは異世界観光ってことにさせてもらうがいいな?」
スヴェンの提案にレーナは目を伏せ、
「なるほど、偽情報を流すことで貴方はあくまでも巻き込まれた風を装うということね。差し詰めミアは観光案内係と言ったところかしら」
納得した様子で葡萄酒に口付けた。
芳醇な味わいにレーナは『うん、美味しいわね』っと小さく呟く。
「おう、こういう時は傭兵って肩書きが便利なんだよ。金さえ払えばどんな仕事もやるからな」
「頼もしいわね。……でも決して油断してはいけないわ、邪神教団は禁術も平気で使って来るわよ」
「禁術……具体的にはどんなのが有る?」
「種類が多いけど、死の魔法や生命を冒涜するような魔法が主に禁術に指定されてるわ。あとは術者に破滅を齎す魔法、簡単に言えば魔力暴走を利用した自爆とかね」
死の魔法がどんな物かスヴェンには理解が及ばないが、その単語だけで警戒を一気に引き上げた。
「生命を冒涜ってのは死体を操るような魔法か?」
「えぇ、そう言った魔法も指定されてるわ」
外道に対して外道が相手するのが相応しい。
スヴェンはそんな考えを頭の中で浮かべ、重要なことを思い出す。
「そういや、救出は良いが凍結封印ってのはどうやって解除すりゃあいい? まさかそのまま運び出す訳にも行かねえだろ」
質問を受けたレーナはワイングラスを置き、地図に視線を落とすーーその表情は杞憂や不安に苛まれた様子だった。
「ヴェルハイムの西に位置する小国パルミド……エルリアからだと北西、フェルム山脈の麓に位置してるわ」
「そこまで長旅だけど、パルミドから更に北西の大海に浮かぶ孤島諸島にどんな氷を溶かすとも言われている伝説の炎が有るそうよ」
伝説と呼ばれるだけ有って確実に存在しているとも確証がない。だからレーナの内心は不安と杞憂に満ちているのだろう。
「伝説に頼らずとも解除する方法は他にねえのか?」
「凍結封印によって発生した氷はどんな解除魔法でも溶かせないのよ……解除できるのは術者と伝説の炎だけ」
「術者を脅す方が手っ取り早いが、そいつに自害されれば解除不可になる可能性も有るつうことか」
「えぇ、基本封印魔法や結界魔法は術者の死後にも効力を発揮し続ける魔法よ。だから解除される前に死なれるとアルディアを救い出すこともできなくなるわ」
術者があらゆる要因で死亡しないとも限らない。
だからこそレーナが伝説の炎に縋りたくなる理由も理解できた。
それに何処に存在するのかも、恐らくレーナは調べあげたのだろう。
「伝説の炎って奴に賭けるしかねえな。……いや、持ち運びできるもんなのか?」
「伝説の炎ーー瑠璃の浄炎を封じ込める魔道具を貴方に預けるわ。それで理論上は持ち出し可能な筈よ」
「そこまで用意してあんなら不安材料は一つだけだな。……ここで保険の一つでも掛けて置くか」
「保険? 私に可能な範囲ならいいわよ」
スヴェンはレーナの保険を伝えーー彼女は一瞬驚き、そして人を惹き付ける笑みを浮かべるのだった。