邪神教団の信徒達はエルロイ司祭が放った号令に対し、中層の北外周区へ駆け付けーーそこで地獄を目にした。
中層で戦闘に入った同胞が既に殺され、死体と血に埋もれる床。何らかの手段が行使されたのか、床にぶち撒けまられた肉片と風穴が空いた死体を眼にした複数の信徒が床に胃の中の物をぶち撒ける。
そんな光景を前に若い信徒ーーアウスは言葉を失いながらも奇妙な大剣、一人の少女を脇に抱えた男性が鋭い眼孔から殺気を放ちながら同胞を斬り裂く光景に戦慄した。
その男は悲鳴、懺悔、怒り、命乞いを発する信徒を容赦無く殺し、武器と魔法を放ち勇敢に立ち向かう信徒までも容易く殺し続けていた。
ーー人ってこんなに簡単に、死ぬんだ。
横に転がる同胞の生首、彼は本拠地で自分に良くしてくれた気の良い兄貴分だった信徒だ。
父が邪神様の為に身を捧げ、追跡者と呼ばれる異形の怪物に成り果てた後も寂しさで泣いていた自分を気にかけてくれた人が殺された。
信徒の死は邪神様の元へ逝く。それは信徒にとって何よりも栄誉なことで誉高いものだった。
邪神様に魂を捧げ力の糧になる。自身もそうなることを望み、解放作戦に志願したはず。
しかしアウスの心は、奈落の底を旅立つ時に抱いた使命感や全ては邪神様のために。そんな意志が砕けーー心の奥底からたった一人で信徒を殺す男性への恐怖心に染まる。
アウスは恐怖に染まった表情で周りを見渡し、逃げ出そうと足を動かすが床にがっちりと固定でもされたのか足が動かない。
ーーか、身体が、う、動かない。
恐怖で呼吸が乱れ、息を荒げるアウスの隣を信徒達が駆け抜ける。
「此処でアイツを殺せ!」
「つうか何で女を抱えっぱなしなんだよ!」
「ええい、構うな! 遠距離魔法部隊! アイツを狙え!」
信徒の指示に後方で上層に続く梯子を護る遠距離魔法部隊が詠唱を唱える。
「「「『我らが怨敵に復讐の炎よ』」」」
同胞の敵討ちと言わんばかりに増悪に染まった声が響き渡った。
アウスは震える瞳を動かし、魔法陣から赤黒い炎が放たれる瞬間を目にする。
対象への怒りと報復心を媒介に魔力を増大させ、赤黒い炎を放つ魔法が男性に飛来する。
それに対して男性は脇に抱えていた少女を空に放り投げ、少女の悲鳴が響き渡る中ーーその場から姿を消した。
ーーな、何かの魔法!?
対象を失った赤黒い炎が先程まで居た男性の床を破壊した。
爆発が連鎖的に起きるが、そこにはもう対象は居ない。
男性が魔法を避けた事実と、背後から聴こえる斬撃音と悲鳴にアウスの心音が高鳴る。
視線だけゆっくり向ければ遠距離魔法部隊の死体。さっきまで生きて男性に報復心を向けていた同胞も殺されてしまった。
そしてまた男性は忽然と姿を消しーーそういえば放り投げられた少女は?
少女に視線を向ければ、また彼女は男性の脇に抱えられていた。
何故一緒に戦わせない? 何故少女は男性に手を貸さない?
そんな疑問が浮かぶも、不意に男性の底抜けに冷たい瞳と目が合う。
感情の色が窺えない空虚に感じる冷めた眼、転がる死体に何ら感情も宿さず、立ち向かう同胞をただ無感情にその大剣で斬り裂く。
ーーあぁ、アレに躊躇や迷いなんて感情は無いんだ。
息を吸うのと当たり前に彼にとって殺しは普通なこと。
そう理解してしまったと同時になぜ同行している少女を戦わせないのか、そこに理解が及ぶ。
少女の瞳はまだ人を殺したことがない純粋な色をしているーー目の前で行われる殺戮に表情が曇ってるけど。
人を殺すのが男性の役目で、そこに居る有様は他者に決して心を開かない一匹狼のような印象さえ受ける。
ーー1人で挑む孤独な狼、孤狼?
アウスは男性に対する異名を浮かべては、安直過ぎる異名に内心で息を吐く。
彼の異名を考えたところで恐怖は消えないし、男性に向かう追跡者が父の成れの果てだと気付いた時には既に手遅れだった。
まだ同胞が沢山居る中、いずれ男性は力尽きる。追跡者にはどう足掻いても勝てない。
それでもアウスの恐怖心と不安が払拭されることが無い。
追跡者が向かう中、男性はようやく少女を脇から降ろし、
「離れてろ」
「分かったけど、私を抱える意味について」
「強行突破を計ったんだが敵が多過ぎた」
そんな会話が耳に届く。
ーーもしかして立ち向かうから? 敵対しなければ殺されない?
自然と助かる方法を模索してる自身に心底嫌気と嫌悪感が襲うが、だからといって男性に立ち向かう勇気はもう湧かない。
それほどまでにアウスの心と闘争心は折れていた。
そんな中、少女は軽やかで素早い身のこなしでその場から離れ、男性に追跡者が処刑剣を薙ぎ払う。
しかし男性は大剣に纏わせた魔力で処刑剣の刃を弾き、魔法陣を展開する信徒達に視線だけ向けた。
追跡者と戦闘しながら魔法を回避ないし防ぐのは難しい。
同時に父がああなってまで邪神様に捧げた信仰心が負ける訳がない。
相変わらず恐怖心と不安が晴れないがーーアウスは血飛沫と目の前の光景に眼を疑う。
「は? なんで……父さん?」
異形に成り果てた父の背中から男性の左腕が胸を貫き、漆黒と呪に染まった異形の心臓を握っていた。
男性はその場で心臓を握り潰し、腕を引き戻すと同時に追跡者の脊髄を掴み。あろうことか男性は魔法の集中砲火に対して追跡者を盾に防いだ。
追跡者は死ぬことは無い。おまけにその肉体は鋼のように頑丈だ。男性は既にそのことを理解していたのか、追跡者を遮蔽物代わりに利用して見せたのだ。
「と、止めろ! 魔法攻撃中止!」
「クソが! 人の心が無いのかっ!?」
異形とは言え追跡者は元人間だ。そんな彼の生前の姿をよく知ってる信徒達は魔法陣を解いてしまう。
それが運命の別れ目だったのか、脊髄を掴んだ男性が追跡者を信徒の集団に投げ飛ばしーーその際に追跡者の塞がりかけの胸に見た事もない、魔力を流し込まれた異物が埋め込まれる瞬間をアウスは目撃した。
何か拙い! 声を出そうとするも男性が放つ濃厚な殺気の前に声が出ずーー異物の内部に仕込まれていた何が赤く輝き、追跡者ごと爆発した。
追跡者とそれに巻き込まれた信徒の焦げた肉片が中層の外周区に降り注ぐ。
アウスはそんな地獄のような光景に腰を抜かし、歩き出す男性と少女に視線を向けることしかできず。
二人が通り抜け、中層を立ち去るまでアウスは立つ事ができなかった。
地獄のような光景から一時間が経過した頃。
アウスは漸く立ち上がり、復活した追跡者とこの場に散らばる肉片と死体に視線を向けては涙を流しながら声にならない慟哭を叫んだ。
生き延びた実感、恐怖に呑まれて何も出来なかった弱い自身に対する怒り。複雑な感情が涙と共に溢れ出す。
「あ……アウス……いき、ろ……きょう、だ、ん……は、なれ、て。自由に」
聴き取り難い追跡者の声にアウスは足を動かす。
生き延びた自身が何をすれば良いのか分からない。それでも父の言葉を胸に歩き出す。
しかし、アウスの視界の先に異教徒ーーアトラス教会の執行者の武装集団か居た。
アウスは今度こそ死を覚悟するが、異教徒の集団に父が我先に駆け出しーーアウスは父を置いてその場から逃げるように走り去った。