目覚めの魔王
魔王救出から三日後--七月二十七日の午後、夏の日差しが医務室の窓に差し込み、ベッドで眠るアルディアにレーナは息を吐く。
スヴェンとミアは解放直後にアルディアの譫言を聴いたと言っていたが、どんな内容だったのか問えば二人は顔を晒すばかりで答えてはくれなかった。
三年も凍結封印されていたアルディアの譫言が気にならない訳では無いが、友がこうして生きた状態で解放されたことを何よりも喜ぶべきだ。
それに巨城都市エルデオンに潜伏した邪神教団討伐の合間に魔族達が転移魔法で見舞いに来るほど彼女は、彼等に慕われている。
ただ、その中にアウリオンの姿は無かった。アルディアの想い人の彼は指揮官として離れる訳にもいかず、部下に伝言を託していた。
「みんな貴女の目覚めを待ってるわ。当然アウリオンもね」
彼の名を告げた瞬間、アルディアの眉が僅かに動く。
何度か呼びかけに反応することは有ったが、もしや彼の声か伝言を伝えたら目覚めるのでは?
いや、三年の凍結封印だ。そう単純ではないだろう。
それでもレーナは興味本位から試しにアウリオンの伝言をアルディアの耳元で囁いた。
「貴女のためにアウリオンから伝言を預かってるわよ。『魔王様、解放された貴女様をすぐに迎えに行けず申し訳ございません。ですが安全を確保した後、このアウリオン、必ず貴女様の下へ参ります』」
伝言を告げ終えるとアルディアの眉が動き、
「う、あ、アーくん……?」
彼の名を呼びながらアルディアの眼が開く。
アルディアの瞳と眼が合う。同時に彼女の最愛のアウリオンではないことに罪悪感を抱いたレーナは僅かに視線を逸らす。
「……あ、れ? レーちゃん? こ、こは?」
「おはようアルディア。ここはエルリア城の医務室よ」
アルディアは身体を起こし、ぼんやりとした表情で記憶を探るように呟く。
「確か、エルロイ司祭が現れて……過激派に封印の鍵の場所を知られる前に凍結封印されて。……何だか、長い夢を見ていた気分ね」
「そのやり取りに付いて詳しく聞きたいところだけど、先ず落ち着いて聴いて……貴女が凍結封印されてから3年が経過してるわ」
三年の時が流れたと聞かされたアルディアはこちらの身体を見詰めては、自身の身体に視線を落とす。
「……道理でレーちゃんが少し変わった様に見えるわけかぁ。それにレーちゃんの魔力が感じられないけど、無茶させちゃたんだね」
「無茶なんかしてないわ。それに魔力は一時的に失ってるけど、その代わり興味深い人と出会えたもの」
「興味深い人? 私にとってのアーくん?」
彼女にとってのアウリオンは好意を寄せる想い人だが、自身にとってのスヴェンは違う。
頼りになる大人。唯一弱味を見せて良いとさえ思える相手。だが、恋愛感情で語るなら判らないのだ。
スヴェンに対しては明確な興味が有る。彼の過去とデウス・ウェポンに付いて知りたいという思いも有るが、
「うーん、そうねぇ〜私にとってスヴェンは召喚した異界人の一人だけど、現状頼りになる大人って感じかしら?」
レーナははぐらかすように答えた。
1800年5月20日にスヴェンを元の還す。それを踏まえた上でスヴェンに好意が有るかと問われれば有ると言える。
だが、それは気心知れた相手に対する友愛に近い感情だ。しかし、アルディアを救出し帰還したスヴェンが英雄のように見え、胸が熱く鼓動したのも事実。
--多分、アルディア救出の感動も大きく作用されてるのよね。
スヴェンに付いて考え込むと、
「本当? そのスヴェンって人のことを考えてるレーちゃんが楽しそうで複雑そうに見えたけど」
如何やら思考が顔に出ていたのか、アルディアは今の自身が複雑な表情をしていると語った。
「そうなの? 顔って意外と出るものね」
「そうだよレーちゃん、乙女心は複雑で難解なんだから。ほら、かのラピス王も乙女心は紐解けなかったって言うでしょ?」
「え、えぇ。確かにそうだけど、人の感情を紐解ける魔法が開発されたら生き辛くなりそうね」
「それで……えっと、話を戻すけど。私を凍結封印から解放してくれた人って誰なの? というか如何して異界人を召喚することに??」
そうだった。異界人の召喚によって魔王救出を計画したのは彼女が凍結封印され、邪神教団の声明が有った直後のことだった。
だからアルディアが異界人に付いて知らないのも無理は無い。
「先ず邪神教団は貴女を人質に各国に封印の鍵を要求、同時に各国の戦力を差し向けないことを要求してきたわ。だから私はアトラス神のお告げもあって、異世界から異界人を召喚する方法を取ったの」
「そんなことが……じゃあ私を解放するために、そのスヴェンって人が筆頭に異界人の部隊を指揮したってこと?」
「違うわ。異界人は少し厄介な一面も有って、裏切りを働く者やこの世界で自由に生きることを望んだ者、元の世界に還ることを望んだ者も多数居たわ」
「それで……色々と有って3年が経った頃にスヴェンを召喚して、彼は同行者と特殊作戦部隊、3人で貴女を解放したのよ」
「3人で……これは魔王としてスヴェン達に改めて謝礼しないといけないね」
スヴェンが素直に魔王から謝礼を受け取るのか? レーナは自身の知るスヴェンなら依頼を請けた結果だと語り、謝礼を拒みそうだ。
なんとなくそんな想像からレーナは笑みを零し、不思議そうに小首を傾げるアルディアに、
「後で彼にそれとなく伝えておくけど、多分断ると思うのよね」
そう語ると彼女は意外そうに眼を細めた。
「王族を一人救ったのに欲が無いのかな」
「うーん、彼にとって魔王救出は仕事の範疇なのよ。そこに英雄的名誉や名声も要らない。ただ彼に必要なのは請負った依頼を果たしたこと、だから報酬以上のものは受け取らないのよ」
それがスヴェンの傭兵としての考えだ。彼が改めて自室を訪ねて来た際にもそれとなく訊ねてみたが、やはり返って来た返答が『報酬以上は不要だ』だった。
「偉く真面目なのね……じゃあ謝礼は諦めるけど、お礼だけは直接言わせて」
「えぇ、後で伝えておくわ。あっ、大事な話を忘れていたわね」
話題を切り替えるとアルディアは神妙な表情を浮かべた。
「大事な話? アーくんやリーちゃんが私の側に居ないことと関係が有るの?」
如何やらアルディアもそれとなく察しが付いてるようだ。それなら話は早いとレーナは巨城都市に起きていることを話した。
「……そう、邪神教団の過激派が下層を占拠して抵抗してるんだ」
「えぇ、フィルシス騎士団長率いるエルリア魔法騎士団も下層に到着したと報告を受けてるわ。だからそう長いこと時間は掛からないわ」
「……問題は邪神教団にヴェルハイム魔聖国を売った一部の執政官を捕縛することね」
それまでアルディアの護りは、アウリオンと執政官達の判断でエルリア魔法大国が受け持つこととなった。
だが、アルディアも民が大好きな王だ。そんな彼女が自分だけ安全な場所に居るなどきっと苦痛だろう。
「安全が確保されるまでの間はヴェルハイム魔聖国の公務もエルリア城でやって貰うことになるけど、早く自国に帰りたいわよね」
「……すぐに私の民に無事な顔を見せて安心させたいわ。でも、また何か有れば民を余計不安にさせる」
ヴェルハイム魔聖国ではアルディアが無事に救出され、エルリア魔法大国に居ることは公表されているが、それで国民が納得できるかと言えば難しい。
魔族も彼女の無事な姿を一刻も早く観たいはずだ。そこまで思考したレーナは先日、クルシュナが所長が残した設計図を元に開発した魔道具ならそれも可能かもしれない。
「声と姿だけなら空間投影具で届けることができるかもしれないわね」
「空間投影具……ルーピン所長は凄そうな発明ばかり思い付くね」
確かに彼が着想、構想した設計図と魔法理論を基に開発されているが、肝心の本人は今はこの時間軸に居ない。
時折り魔道具--繋がりの紙片で過去からメッセージを届けているが、未だ刻獄を解く方法は不明のまま。
レーナは現在不在のルーピン所長を思い浮かべながら話しを続ける。
「まあ、空間投影具で魔族に伝えるのも邪神教団の制圧後かしらね」
「そうだね。その頃になるとアーくんも守護兵長として側に居てくれるよね」
「えぇ、きっとそうよ」
ほんのりと顔を赤らめるアルディアの姿にレーナは本心から祝福の言葉を浮かべ、同時にシャルルとリーシャの件が頭の中に浮かぶ。
ミルディル森林国内の何処かに連れ攫われたリーシャは、エルリアの特殊作戦部隊とミルディル森林国のオーデン調査団が動く手筈になっている。
しかし、リーシャの救出には部隊編成やミルディル森林国の状況で一ヶ月も時間を要する。
そして邪神教団の注意を向ける必要が有り、その方法もなんとも頭の痛い方法だ。
「レーちゃん、今は私も側に居るから不安なことは何でも相談して」
友人の温かい言葉にレーナは、小さな笑みを浮かべ静かに彼女を抱き寄せた。
「ありがとう、その時は貴女にも相談させてもらうわ」
「えへへ、レーちゃんは温かいなぁ」
それからレーナはアルディアに三年間のことを詳しく話した。そして王族として共有するすべき各国の情勢や邪神教団の被害--封印の鍵を護るという使命の重要性に付いて改めて。
その話を終える頃には既に空が夕暮れに染り、
「封印の鍵、ね。初代魔王が託された封印の鍵はいま何処を移動してるのか判らないんだよね」
さらっととんでもない事を口した。
「それって封印の鍵を何処に封じたのか忘れてしまったとか?」
「ううん、元々巨城都市エルデオンは巨大な浮遊石が浮上した跡地に建造されたのよ。浮遊群は風に流れて一定周期で戻って来る……その性質に眼を付けた初代魔王がその浮遊群に封印の鍵を安置したの」
浮遊群が浮上した大地の上空にかならず一定周期で戻るとは言うが、世界は広大だ。
巨城都市エルデオンに浮遊群が通過する周期は、五、六年に一度だけ。
「……じゃあ貴女が凍結封印された意味は一体?」
「私の記憶の中には歴代魔王から受け継がれた記録も刻まれてるわ。その中には管理から外れた封印の鍵の所在もね」
「……そうだったわね。魔王は代々記憶に記録を脈々と受け継がせることで王位を継承していたわね」
「そっ、だから外部からあらゆる魔法干渉を防ぐ凍結封印が選ばれたんだと思う」
だからエルロイはアルディアを凍結封印することで動き出した邪神教団に封印の鍵を渡らせないために行動した。
結果的に見れば彼女から三年の時を奪うことで過激派の行動を妨害したが、それでもエルロイを信じるには情報が足りない。
それにアルセム商会の処遇に付いても議論する必要が有る。レーナは今月中に片付けるべき案件に息を吐き、
「長居したわね。そろそろ私も執務室に戻るから、必要な時は控えているメイドに伝えてちょうだい。あっと、今は異界人と接触を避けた方が良いわ」
伝えるべき事を伝えてからレーナは医務室を後にした。
そして目覚めたアルディアが宿泊する部屋の手配を使用人に命じ、執務室で早急に片付けるべき書類仕事を開始するのだった。
特に魔王救出を終えた今、異界人を一箇所に集めて生活して貰う必要が有る。既にその準備も整え、エルリア城下町の北区画に異界人専用の居住区を設けた。あとは国内に散らばる異界人を招集するばかりだ。
それでも自由に生活できるスヴェンに対して要らぬちょっかいを掛ける者も出て来るだろう。
それとは別にレーナには一つだけ波乱の予感が有った。フィルシス騎士団長の帰還が波乱を呼ぶと。