スヴェンが引越し手続きの為にレーナの執務室を訪れると並んだ執務机でレーナとアルディアが書類に羽ペンを走らせていた。
二人は何処か疲れた顔付きでこちらに視線を向け、
「いらっしゃいスヴェン、少し待っててね」
山積みの書類の上に一枚の書類を重ねる。
ヴェルハイム魔聖国は邪神教団が下層で粘り籠城戦を徹底し、亡者召喚によって下層は亡者に溢れていた。
アルディアとこうして会うのは初めてだが、彼女の書類は恐らく各国との交易再開を円滑に行うための必要書類か。
今日は引越しの件について話に来たが今は間が悪い。
「いや、忙しなら改める」
それだけ告げドアに振り返るとアルディアが、
「レーちゃん、少し休憩を挟みたいなぁ」
幼さを感じさせる声でそんな提案をレーナした。
「良い頃合いだし休憩にしましょうか」
王族、それも友人同士の休憩に水を刺すような真似はしたくない。
そう考えたスヴェンがドアに向けて一歩踏み出すとレーナに呼び止められる。
「待って、貴方にも付き合って貰うわよ」
「……了解した」
大人しく振り返れば、椅子に座っていた筈のアルディアが興味深そうに顔を見上げていた。
--いつの間に!? 動く気配も物音もしなかったが……。
いつの間にか背後を取られていたことに内心で冷や汗を流し、動揺を悟らせない為に平静を装う。
「あー、俺の顔に何か付いてるのか?」
じっと見詰めるアルディアは何か考え込む素振りを見せ、やがて笑みを浮かべる。
角と蝙蝠の羽、そして蝙蝠の尻尾が無ければ一見普通の少女だが、魔王として一国を治る君主だけ有って自身の冷たい眼に怯む様子も無い。
「貴方はスヴェンだからスーくんね!」
「は?」
いきなり決められた呼び方に、自身でも想像していなかった間抜けな声が出た。
「珍しい表情もするのね。それともアルディアの癖には流石の貴方も予測できなかったのかしら?」
ほぼ初対面で性格も思想も知らない相手から呼び名を付けられる。それも魔王が自ら決めるなど誰が予測できようか?
「無理だろ。俺の魔王のイメージってのは娯楽小説に出て来るような恐ろしい存在だ。それがいきなり……」
「スーくんはレーちゃんのお気に入りだし、それにお礼も言いたかったのよ」
尻尾を揺らしながら真っ直ぐとこちらを見詰めるアルディアにスヴェンは、まずそのスーくんを辞めるように進言するべきか。
「俺は姫さんから請けた依頼を果たしたに過ぎない。礼なら治療師のミアに言ってやってくれ……それとその呼び方は、辞めてくれ」
「ミーちゃんにはもうお礼を言ったよ。それと愛称は辞めないよ」
背も低ければ威厳に欠ける小柄な容姿をしているが、どうやら一度決めた事は頑固として譲らない意思の持ち主のようだ。
スヴェンは諦めたように肩を竦め、可笑しそうにくすくすと笑うレーナに視線を移す。
「……随分と楽しそうで」
「えぇ、楽しいわ。3年振りに友と語らう時間も得られたもの。それにこうして誰かと机を並べるのも憧れだったのよ」
レーナはオルゼア王が邪神教団に襲撃され、記憶を失い行方不明になった幼少期から王族として国政を担い国を守ってきた。
本来学院に通う筈だったレーナにとって友人と執務机を並べることも憧れの一つだったと言われれば納得と理解も及ぶ。
「……さながら此処は生徒会室で、俺はやらかした問題児ってところか」
「スヴェンくん? 此処に呼び出された理由をご存知かしら?」
意外とレーナも乗りやすい性格をしている。
そしていつの間にか自身の執務机に戻ったアルディアも楽し気にレーナに微笑んでいた。
「……そのまま続けるのか?」
「冗談よ……それでスヴェンはどんな用事で来たのかしら。私個人で依頼を出す案件はまだ無いわよ」
それは裏を返せばいずれ依頼することになるかもしれない。レーナの言葉から意図を読み取ったスヴェンは話を切り出した。
「いや、そうじゃない。不動産屋で良い物件を見付けてな」
「速いわね、もう少し掛かるかと思ってたわ」
「偶然だがな。あ、っと急になって悪いが明日には新居に引越しを始める」
「本当に急……いえ、なんとなく貴方はすぐに城を出て行くと理解してたから急でも無いわね。それじゃあ後で私の方から手続きをしておくわ」
「手間をかけさせるな」
「良いのよ……それで何処に引越しするのかしら? 遠い場所だと少し困るのだけど」
確かに自身はレーナに召喚されたとはいえ、異界人として見れば危険分子に成りかねない厄介な存在だ。
極力監視の眼が届き易い範囲に置いておきたいのも判る。
スヴェンは不安そうなレーナに静かに語りかけた。
「遠いと移動の手間やら宣伝に不憫そうだったからな、引越し場所はエルリア城下町職人通りの路地裏だ」
「近いわね!」
不安そうな表情は何処へやら、目前に居るレーナは眩しい笑みを浮かべている。
眩しいから笑みにスヴェンは彼女から眼を逸らした。
「……スーくんって如何してエルリア城で暮らさないの?」
アルディアの質問にスヴェンは自分なりの理由を話した。
「城暮らしに慣れねえってのも有るが、元の世界に帰るまでの間はどうであれ生活していく必要が有る。それに商売を始めるなら城下町辺りが都合か良い」
エルリア魔法大国の中心に位置する王都の城下町があらゆる意味で望ましいことも確かだったが、あの物件購入は実は運が良かったに過ぎない。
--なぜか運気を使い果たした気分だ。
「スーくんなりに色々と考えてるんだね」
「スヴェンは無表情なことが多いけど、色々な事を考えてるわよ。住民を巻き込まないように立ち回ったり、同行させたミアとアシュナの手を汚さないように色々とね」
「わざわざ綺麗な手を汚させる必要も無いだろ。……っと、少し長居したな」
スヴェンは魔法時計に視線を向け、約束の時間が迫っていることに気が付く。
物件の購入に関する話は前もって伝え、時間に置くれる可能性に付いても伝えてあるがミアが太鼓判を押すミートパイを食べ損なうことは避けたい。
「そろそろお昼ね。あっ、そういえばミアとアシュナもお昼は外出すると言ってたわね」
「レヴィを誘えるなら誘っておいてくれと言われたが、如何する?」
「前もってミアにも誘われていたけれど……ごめんなさい、今日中に片付けないといけない書類が有るのよ」
残念そうに書類に視線を向けるレーナにアルディアがこちらに視線を向け、
「よく分からないけど、お土産に期待しても良いのかな?」
レーナを気遣う彼女にスヴェンは静かに頷いた。
「あぁ、ミアが太鼓判を押すミートパイだ。期待して損はねえさ」
「ミートパイ……えぇ、それじゃあお土産に期待してるわ」
二人の視線を背後にスヴェンは執務室を後に、いつも通りの足取りでエルリア城から再び職人通りに足を運んだ。