新居に帰宅したスヴェンは自室で荷解きを済ませ、また外へ出る。
玄関のドアに小さく折り畳んだ紙を挟めてから鍵を掛け、職人通りから南の宿屋通りに足を運ぶ。
空を見上げれば既に昼時、宿屋通りに並ぶ宿泊施設とは別に酒場や食堂が建ち並び何処も稼ぎ時で食欲を唆る香りが湯気と共に漂う。
だが、漂う匂いにスヴェンは顔を顰めた。食欲を唆る匂いに混じった血の臭い。
せっかく食事気分に入った所で水を刺すような蛮行にスヴェンは血の臭いと人の気配がする路地裏に歩んだ。
--金にもならねえが、飯を食う時ぐらいは血とは無縁でいてぇ。
宿屋と酒場の路地裏に入ったスヴェンは、石畳みの地面にうつ伏せで男性とは別に屋根から気配を感じ取りながら近付く。
「う、うぅ……た、助けてくれ」
血に汚れた石畳みの地面と呻き声をと漏らす緑髪の男性。そして屋根で殺意を滲ませながら機会を窺う人物の気配。
倒れている男性は次の獲物を狩るための罠だ。ただ、疑問も有る。なぜ周囲には争った痕跡、魔法を放った跡も無ければ男性は助けを呼ぶ声を叫ばなかったのか。
スヴェンは警戒心から背中のガンバスターに手を伸ばす。すると屋根から黒フードを纏った人物が短剣の刃を突き立てながら、
「シャー! コイツで30人目の獲物だぁ!」
頭上に迫る。スヴェンは身体を逸らしながら位置を調整し--背中のガンバスターを少しだけ引き抜き、露出した刃で短剣の刃を防ぐ。
甲高い音と火花が散る中、スヴェンは着地した襲撃者の顎に拳を突き上げることで打ち上げた。
顎を砕かない程度に加減した拳だ、打ち上げれた襲撃者が背中から落下し、
「うっ、こ、この野郎」
すぐさま立ち上がって短剣を構えたのは仕方ない。
襲撃者の短剣は脅威にはならないが、路地裏で魔法など使われては周囲に被害が出る。
スヴェンは微かな呼吸と共に地面を蹴る。そして襲撃者の懐に入った瞬間、
「『氷よ穿て』」
襲撃者とは別の--先程まで地面に倒れていた男性の詠唱が響き、スヴェンは後方に飛び退くことで魔法陣から放たれた氷のつぶてを避けた。
血に汚れた衣服のまま男性は黒フードの隣に立ち、
「完全に不意を突いたと思ったんだけどなぁ」
頭を掻きながら避けられた魔法にため息を吐いた。
「詰めを任せてみればしくじりやがってよ……」
最初から二人はグルだった。しかし男性に付着した血の臭いは着色料特有の臭いでもなく、嗅ぎ慣れた臭いで間違いない。
何処からか新鮮な血を仕入れてまで二人組で誰かを襲う。その目的が何か、誰かと繋がりを持つゴロツキか。それとも何処かの組織に所属する末端か。
スヴェンは通り魔事件の件を念頭に、
「アンタらは最近噂の通り魔事件の犯人か?」
素直に答えるとも思わないが敢えて訊ねた。
「通り魔事件……? そんなのは知らないが、ヘッロー兄弟を知らないのかよ」
ヘッロー兄弟……聴いたこともない名にスヴェンはどうでも良さげに首を振った。
「兄貴、こいつ俺達のこと知らないらしい」
兄貴と呼ばれた黒フードは落胆気味に肩を下げ、短剣の刃を構える。
黒フードはヘッロー兄、男性はヘッロー弟と認識したスヴェンは密かに右拳に魔力を流し込む。
「弟よ、無知な罪人に兄弟の恐ろしさを味わせてやろうぜぇ!」
噂の通り魔とは違うが、三十人も襲っていることを踏まえれば後は騎士団に任せた方が早い。
そう判断したスヴェンはヘッロー兄が接近し、ヘッロー弟が魔法を唱えるのに対し--距離を詰めたヘッロー兄の腹部に魔力を流し込んだ右拳を叩き込む。
骨が軋む音を奏でながら、ヘッロー兄の腹部に右膝まで腕が食い込む。胃液を吐き出し、眼を見開く彼に対してスヴェンは右拳に流し込んだ魔力を解放することでヘッロー兄の身体を弾き飛ばす。
後方で詠唱していたヘッロー弟にヘッロー兄が勢いのままに衝突し、鈍い音が路地裏に響き渡った。
石畳みの地面に気絶する二人、このまま止めを刺したい所だが--邪神教団や野盗でもねえがまだ吐かせるべき情報が有りそうだ。
スヴェンは気絶したヘッロー兄弟を当初の予定通り魔法騎士団に通報するべく、近場の宿屋に立ち寄り後を店員に任せることに。その際ヘッロー兄弟の拘束の手柄を店員のものにして良いと伝えた上でスヴェンは静かに宿屋通りから離れた。
▽ ▽ ▽
宿屋通りから市場通りに向かったスヴェンは、露店に並ぶ食材の前に悩ましげに足を止める。
「……卵料理、肉料理、魚料理にするべきか。いや、慎重に初心者でも扱える食材にすべきか?」
「おやまぁ、怖い顔してるけど悩み事はかわいもんだねぇ」
隣で食材を吟味していた老婆に声を掛けられたスヴェンは、特に不快にも思わず物怖じしない老婆に訊ねる。
「今日から自炊を始めるつまりなんだが、作り易い料理ってのが思い付かなくてな」
「そうさねぇ〜熱したフライパンにバターを溶かし、ボールの中でかき混ぜた卵を流し込んで……こう、ぐちゃぐちゃにすると簡単なスクランブルエッグができるよぉ」
スヴェンは老婆が言った工程を瞬時に記憶に叩き込み、
「スクランブルエッグか。他に調味料は要らないのか?」
調味料に関して質問を重ねた。
「塩、胡椒、砂糖、トマトソース、お好みでいいんだよぉ。あぁ、自炊を続けるならさっき言った調味料が揃っていれば便利さねぇ」
旅の道中でミアが料理する光景を思い浮かべたスヴェンは納得した様子でぼやいた。
「なるほど……そういえばアイツも色々と混ぜていたな」
「料理は奥が深いさ、バランスを誤れば不味くもなる……そうさね、レシピ集を買うのが一番かもしれないねぇ」
老婆の助言にスヴェンは頷き、露店に常備されているカゴに必要な材料と調味料を詰め込んだ。
そして別の露店でパンとトマトを購入したスヴェンは早速自宅に戻り、試しにスクランブルエッグの調理を始めるのだが--魔力制御を誤った結果、焦げたスクランブルエッグが完全した。
最初の失敗を胸にスヴェンはパンにスライスしたトマトと焦げたスクランブルエッグを挟み、遅めの昼食を食べることに……その味は焦げた味とトマトの酸味でなんとも言えない、しかしレーションよりは遥かマシな味だ。