エルリア城の北西に位置する広い平原で悪魔の悲鳴がこだまする。
紅いフードを羽織った悪魔は大鎌を肩に平原を疾走しながら恐怖に身を震わせていた。
視線を僅かに背後に向ければ、一定の距離を保ちながら追い迫る銀髪の女騎士ーーフィルシスに恐怖心が浮かぶ。
本来悪魔は人を恐れることは少ない。少ないが、決して例外が無い訳でも無く、例えば背後で剣を片手に迫っているフィルシスだ。
出会い頭に一振りの斬撃から繰り出された三十八の斬撃と魔力の衝撃波に襲われ、それでも悪魔は生きていた。いや、生かされていた。
「「なんで悪魔を襲うんだよぉ〜!!」」
「悪魔と戦えるなんてまたとない機会なんだ、少しは反撃して欲しいかな!」
それはもう嬉しそうに、世の男性が見れば彼女の愛らしい微笑みにころっと心が傾くだろう。
片手に剣が握られず、こちらを追い掛けて来なければだが。
悪魔は本能で理解していた。彼女なら簡単に悪魔を葬り去れると。現に自身の軟らかく斬撃や物理的な衝撃を一切通さない身体は、彼女が放った剣技によって一度バラバラにされている。
悪魔だから簡単に死ぬことは無いが、それでも彼女の扱う剣技と時折り纏う魔力は非常に危険だ。
せっかくの自由を理不尽に奪われたくは無い。かと言って反撃に出たところで結果は目に見えている。
悪魔は足を止め、訝しむ彼女の前で大鎌を地面に落とした。
そして両手を挙げ、降参のポーズを取ればフィルシスは非常に残念そうに剣を鞘に納めた。
「あ〜あ、せっかく良い感じに身体も温まってきたのにぃ」
「「勘弁してくれよ」」
何が悲しくて人間に殺されかけなければならないのか。随分昔に比べて人間は勇ましく成長してるようにも思えるが、フィルシスのような人間は彼女だけにして欲しいっと悪魔全体を顧みても思わずにはいられない。
そもそも彼女は一体何が目的で攻撃してきたのか。
「「どうして襲ったのか理由を聞かせてくれよ、悪魔でも流石に傷付くんだよ??」」
「ごめんね、キミの身体から感じた血の臭いとエルリア城に運び込まれる怪我人が如何にも符号してるように思えてね。悪魔と戦える機会でも有ったから襲わせてもらった」
確かに死んだ憑代は力を求めて人々を大鎌で斬ってきた。人にとって深手を負った彼らは既に死んでいると思っていたが、フィルシスの口振りではどうにも違うらしい。
同時に憑代の非力さを思えば誰も殺さなかったことに妙に納得もできる。
「「死者は出てないみたいだけど、それでも逮捕するつもりかな」」
「死者は出てないし、優秀な治療師のおかげで傷跡も残らない。だけどキミを捕まえるには充分な理由だ、でも私としては交渉の余地も有ると思うんだ……」
「「交渉? 我々悪魔と契約ではなく交渉を?」」
「そっ、キミ達は自由を謳歌したい。でも自由に生きるなら人の世のルール。つまり社会に溶け込まないといけないよね?」
確かにフィルシスの言う通りだ。現世で自由を謳歌するには社会に適応し、そのルールの中で生きる必要が有る。
例え悪魔だからといって無秩序に振る舞えば、彼女のような存在にいずれ討伐されるだけ。
悪魔は自身が望む自由のために理解したと言わんばかりに頷いてみせる。
「うん、その為にはまずお金も必要になるよね? キミ達悪魔が求める対価がさ」
「「悪魔でも働ける環境が有る?」」
「今の所は無いけど……私の提案に乗ってみる気は無いかい」
「「提案……我々に何をして欲しいのかな」」
「キミには情報屋を営んでもらおうと思ってね。私達は欲しい情報をキミが提示する情報をお金で対価を払うというのは如何かな? もちろんその歪にへこんだ顔と側頭部の顔、後頭部の顔も隠して貰うけど」
悪魔にとってフィルシスの提案は面白いと思えた。こちらで使える情報収集能力を駆使して人間が欲する情報を硬貨で取引する。
これも停滞気味な悪魔に新しい風を吹かせるまたとない機会でもあれば、いざという時ーー邪神眷属を止められる悪魔を地上に呼んでおくことも可能になるかもしれない。
邪神は世界の破滅も人類の滅亡も望んではいない。ただ、邪神ゆえに暴走してしまった自身を永劫に封じ込める。それが邪神の願いだ。
「「良いね、その話乗ったよ!」」
「それじゃあ早速で悪いけど私と一緒に来て貰おうかな。情報屋として活動させるにもオルゼア王と姫様の承認が必要だからさ」
「「承知したよ。あっ、でも次からは出会い頭に斬らないでよ。我々は悪魔の中でも力は弱い方なんだから」」
「しょうがないなぁ〜。はぁ〜何処かに私を満たしてくれる人……ふふっ、そう言えば割と近くに居たじゃないか!」
思い出したように笑みを浮かべるフィルシスに、悪魔は彼女の思考を見透した。
彼女が思い浮かべる人物の姿ーー街道で交戦したスヴェンの姿に悪魔は心の底から彼に対して同情心を浮かべた。
しかし、彼女の提案は改めて考えれば渡りに船だ。悪魔とは言えども無計画には自由に暮らせないのだから。
幸い自身は双子の悪魔、双顔の悪魔とも呼ばれ、憑代さえあればいつでも別れることも可能だ。
悪魔は楽しそうに思考に耽るフィルシスに声をかける。
「「流石にこの姿で謁見は騒ぎになるだろうから、何か良い感じの器を用意してくれないかな」」
「器かい? 人形でも良いなら職人通りに腕利の人形技師が居たね」
「「人形でも良いよ、人の憑代ってお腹も空くからね。本来悪魔は食事が不要だけど人を憑代にすると肉体の活動に必要な栄養摂取も必要になるんだよねぇ」」
「人形だね、私の方で手配しておくけど……器は一つで良いのかい?」
「「いいや二つ、もうこの身体は死んでるからね」」
「憑代の人間が死んだら乗り換える。なんとも悪魔らしい考えだ」
無感情のままにそう告げるフィルシスに冷や汗が浮かぶ。
彼女は心の底から恐ろしいが、今はお互いに利用すれば利益が有る。
契約を結ばない関係というのも不思議な感覚だが、悪魔にとってはこれも人生の一つとして受け入れーー紅いフードを目深に被り直しては彼女と歩き出すのだった。