19-1.騒がしい朝
八月五日の騒がしい朝、寝坊したラウルの慌しい足取りがキッチンに響き渡る。
スヴェンの対面に座ったロイとエルナは優雅にブルベリージャムを塗ったパンと今回は成功したスクランブルエッグを口に頬張っていた。
「寝過ごした! まだ朝飯は残ってるか!?」
スヴェンはエルリア通信とコーヒーカップを片手にテーブルに駆け寄るラウルに視線を移す。
寝坊したから朝食抜きというのも、朝食は祝福であり一日の始まりだ。それを成長期の子供に与えないとなればボランティアとして使っている身としてはあまりにも不義理だ。
「朝から騒がしいガキだな……アンタの分はそこに置いてあんだろ」
「うおお! アニキ、頂きます!」
「朝からラウルは元気だね……私は全然眠いのに」
ラウルはパンにスクランブルエッグとカットトマトを挟み、豪快に齧り付きながら眠そうに欠伸をかくエルナに視線を移した。
咀嚼し、口の物を飲み込んだラウルは、
「そういえばエルナは朝とか、一時限目はいつも眠そうだよな」
普段の授業風景を思い出したように呟いた。三人の授業風景に興味は無いが、ラウル達がどんな魔法を学んでいるのかは自然と興味が惹かれる。
「エルナはいつも頭の中で魔法を繰り返し詠唱しているんだ。それに加えて造形魔法に関わる形のイメージトレーニングも欠かさずな」
頭の中で欠かさないイメージトレーニング。エルナの努力家な一面にスヴェンはコーヒーを口にした。
努力家は成長が速い者も居れば身を結ばない者も居る。かといって努力を怠れば成長することもない。
努力と一言で言うが、それがどれだけ難しいことか。
「ロイ、私は一応天才って通ってるんだからバラさないでよ」
「俺とお前のことをまだよく知らないスヴェンにも知ってもらう機会だと思ったんだけどな」
「頭の中でイメージトレーニング……だから朝眠いのか?」
「うーん、朝が弱いってこともあるけどね。イメージトレーニングを重ねると疲れて眠くなっちゃうんだよ」
「俺は魔法が使えねえが、頭の中で描いた魔法陣を消して描いての繰り返しだろ? ただでさえ情報量と複数の術式が詰まってるもんを繰り返せば脳が疲れるのは無理もねぇ」
「甘い物は元々好きだけどね、なんだか甘い物が欲しくなる原因もそれ?」
「イメージトレーニングを始めたのはいつ頃だ?」
「えっと、だいたいラピス魔法学院に編入した時からかな」
「なら脳が糖を求めてんだろ。だが、摂取のし過ぎは身体に良くねえらしい」
「なるほど。じゃあエルナ、イメージトレーニングは1日1、2時間にしてみたら如何だ?」
「そうしてみる……そう言えばお兄さんは朝早くから何処かに行ってたよね」
エルナに話題を振られたスヴェンは魔法時計に視線を向け、時刻が七時四十分を指していた。
「ガンバスターの素振りに少しな……で? 時間は良いのか?」
「あっ! もう出ないと遅刻だ」
「ロイ、ラウル、せっかくだから競争でもして行く? 先に教室に着いた人の勝利で勝者に甘味を贈るって言うのはどうかなぁ」
「へっ、エルナの足はそこまで速くないだろ。なんなら足の速さと体力はおれが一番だ」
俄然やる気のラウルとロイが鞄を片手に椅子から立ち上がると、勝負を提案したエルナはのんびりとした動作で立ち上がった。
エルナの口元が愉悦に歪み、既に下丹田の魔力操作が完了していることをスヴェンは見逃さずーー付き合いの長いロイは察している様子だが、ラウルはまだ純粋な勝負だと疑った様子が無いな。
ラウルに必要なのは考察と警戒だ。なぜエルナがわざわざ不利な勝負を仕掛けたのか。そこまで思考できればラウルも一皮剥けるだろう。
スヴェンはコーヒーカップを片手に事の成り行きを静観する。
「『銀の鎖よ、2人を絡み縛れ』」
ポケットに手を伸ばしていたエルナが瞬時に唱えた詠唱によって、魔法陣から現れた銀の鎖がラウルとロイに迫る。
ロイは予想していたと言わんばかりに、
「『闇の障壁よ、我が身を守れ』」
闇の壁で銀の鎖を防ごうと試みた。
「うおっ!? え、エルナ! 最初からまともに勝負する気なかっただろ!!」
床に転がされたラウルが叫び、エルナが笑う。
「か弱い女の子が同年代の男子に体力で敵うわけないじゃん。それとロイも甘々だねぇ」
エルナの勝利を確信した笑み、既に闇の壁に銀の鎖が弾かれた状況で向ける不可解な表情にロイは訝しげに眉を歪めた。
ロイは次の魔法が来るっと身構えると、彼の横をエルナが駆け抜ける。
そして彼女はそのまま玄関から外へ走り去って行った。
「しまった!」
出し抜かれたと気付いたロイもキッチンから廊下に駆け出し、慌しく階段を降りる音が響きなんとも騒がしい朝だとスヴェンが息を吐く。
自身が望んでいた生活は誰も居らず静かな暮らしだったのだが、なぜこうも予定から大幅に逸れてしまうのか。
スヴェンは食器を重ねると、未だ床に転がったままのラウルと目が合う。
「……関節を外せば簡単に抜け出せる」
そんなアドバイスを告げると、
「関節っ如何やって外すの!? というか解いてくれ!」
悲痛な表情で助けを求めれた。
しかし、ラウルに複雑に絡み付いた銀の鎖は簡単に外せないだろう。元々制圧を兼ねた捕縛用の魔法なのかっとスヴェンは関心を浮かべながらガンバスターを鞘から引き抜く。
「動くなよ?」
刃に魔力を纏わせ、ガンバスターを縦に構える。
「待って! それおれごとばっさり行くヤツだから!」
エルナのことだラウルの足の速さを考慮して銀の鎖の持続時間を調整しているのだろう。
スヴェンはガンバスターに纏わせた魔力を解放し、再び魔法時計に視線を移す。
時刻は七時四十五分。魔法の効力が切れる頃合いには充分だ。
スヴェンの予想通りにラウルを拘束していた銀の鎖が朽ち果てるように崩れ、残骸が粒子状に離散していく。
自由の身になったラウルは立ち上がり、エルナに怒声を叫びながらラピス魔法学院に駆け出した。
「……騒がしいガキ共だ」
「賑やかで良いじゃないか」
気配も音もなく背後から突如聴こえた凛としながら何処かあどけなさを感じる声にスヴェンはガンバスターを構えたまま、その場から飛び退くことで距離を取った。
そして背後に居た人物の姿に、深いため息が漏れる。
巨城都市エルデオンの下層から遠目で見た女性ーーアウリオンと剣戟を繰り広げたフィルシス騎士団長に棘を含んだ荒んだ口調を向けた。
「騎士団ってのは不法侵入が許されんのか。しかも2階のキッチンによ」
「そう硬いこと言わないで、仲良くしようよ」
フィルシスと仲良くなれそうに無いが、騎士団には色々と世話になっている身で騎士団長の彼女を無碍に扱う訳にもいかない。
差出された右手を無視したスヴェンは訊ねる。
「……何の要件かは知らねえが、コーヒーでも飲むか?」
「砂糖とミルク入りなら頂こうかな」
手早くテーブルの食器を片付け、食器洗いまで済ませたスヴェンは淹れたてのコーヒーに砂糖とミルクを加え、フィルシスに差し出すのだった。
何の目的でわざわざエルリア魔法騎士団長が訪れたのか、コーヒーにほんのりと笑みを浮かべる彼女から目的も読み取れず、スヴェンはただ困惑を浮かべるばかり。