砂糖とミルク入りのコーヒーを優雅に呑むフィルシスにスヴェンは無表情のまま彼女を観察していた。
毒物が入っていないとも限らない他人が淹れたコーヒーを何の疑いも無しに呑み始めたが、彼女に一切の隙が無い。
今ここでガンバスターに少しでも手を伸ばせば、おそらく彼女はこちらが刃を振り下ろすよりも先に腰の剣で喉元を掻っ切るだろう。
フィルシスはコーヒーの味に満足そうに頬を緩めているもののそれほどまでに隙がなかった。
彼女はこちらの観察に既に気付いていた様子で、コーヒーカップを一旦置き手を組みながら、
「そう警戒されるのは心外だな。私がここに来たのはキミを害するためじゃないよ」
警戒心を緩めるように優しく静かな口調で告げた。
長年の癖というのはそう簡単に抜けるものでも無い。スヴェンが対面した相手を警戒し観察するのは、早速傭兵としての職業病や習慣と言ってもいい。
「癖なんだよ」
「染み付いた癖なら仕方ない。ところでキミは幾つなのかな? 歳は私とそう変わらないと聴くけど」
「俺は24だな、年明けで25になるが……デウス・ウェポンはそろそろ冬か」
「歳は私とそう変わらないんだ。うん、良いね!」
笑みを浮かべて嬉しそうに語る彼女にスヴェンは何が良いのかさっぱり理解できず、小難しいそうに顔を歪めた。
「あぁ、私の周りって同い年や歳の近い子が少なくてね。少し下と歳上ぐらいで新鮮なんだ」
毎年魔法騎士団は入団者を募ってるがフィルシスに歳の近い同期が居ない。
考えられるとすれば単にその歳だけ入団者がフィルシスだけだった。同期は居たが何かしらの理由で退職、殉職したか。
スヴェンは自身の思考を口に出さず、彼女の目的に疑問を浮かべる。
そもそも騎士団長という要職が此処に一人で来ること事態がおかしい。
単なるプライベートな時間なら話は判るが、それでも何故ここに? という疑問が勝る。
「アンタの歳もなんとなく分かったが、此処に来た目的はなんだ? 騎士団長が来るような場所じゃないだろ」
「確かに私は立場も仕事も有るけど、此処に来たのはキミに会いに来たんだ。理由はそれだけ……うん、驚いてるね」
彼女の言う通り驚いてる。此処に訪れた理由、そして彼女の赤い瞳から覗き見える強者との戦闘を望む闘争心にも。
「姫さんかミア、ラオ副団長やレイ辺りから何か聴いたのかは知らねえが、俺はアンタの闘争心を満たすことはできねぇよ」
フィルシスの要望に応えられないと直球に告げれば、彼女は落胆した。
「はぁ〜昨日は悪魔と遭遇して、今日は早朝鍛錬で新米騎士に鍛錬を施したけど……どれも不完全燃焼なんだよ」
「……悪魔か、討伐したのか?」
「いいや、なかなか面白い存在だから取引を持ち掛けたのさ。悪魔特有の情報収集能力を活かした情報屋、キミも興味は有るでしょ」
人外が営む情報屋というの中々奇特な気もするが、それ以上に悪魔の情報収集能力に興味が向く。
「ああ、信頼度の高い情報は護衛の成功率にも繋がるからな……いや、それ以前によく姫さんとオルゼア王が承認したな。それに悪魔絡みとなればアトラス教会も煩いんじゃねぇのか?」
「あはは、悪魔を連れて行ってたら姫様も面食らってたよ。でもオルゼア王は予想の範疇だったみたいですぐに了承してくれたよ……まあ、アトラス教会は人に害を成し邪神復活を目的にしないなら基本悪魔にも寛容なんだ」
「宗教的に敵対すると思っちゃいたが、存外心が広いこって」
「悪魔が意見を変えて封印の鍵を本格的に探索し出したら面倒だからね」
悪魔の中には邪神解放を望む者も一定数居る。それが全悪魔ともなればーーただでさえ先日遭遇した悪魔は殺せず、そんな存在が全てとなれば封印の鍵を護るどころでは無くなる。
そして封印の鍵が奪われれば邪神教団の司祭を憑代に邪神眷属が復活し、邪神の封印が緩む。
厄介な悪魔に加えて未知数の邪神眷属が合わさればドミノ倒しの如く封印の鍵が次々に奪われる可能性の方が高い。
フィルシスは口では簡単に面倒と言うが、そんな状況になれば人類の敗北は必然的に訪れる。
そんな事態になればアトラス教会と天使も黙ってはいないだろうがーー国家同士の戦争は無いが宗教戦争は起こり得るか。
そうならない為にもアトラス教会は悪魔に寛容できる。
「気付いたみたいだね。だからアトラス教会は慎重に動くのさ……まぁ、彼らでも邪神教団は相変わらず異教徒として排除対象だけど」
「アンタにとっちぁどうなんだ? 連中は穏健派と過激派に別れているが……」
「私にとっての敵はエルリアの民と王族に害を成す全てだよ。特に司祭はね、姫様を一度傷付けた司祭は許せないかな」
「ん? 姫さんは過去に司祭に襲われていたのか」
「公的には記されていないけど、オルゼア王の行方不明直後にね」
「ってことは11年前か」
以前レーナから本人から聴いた話を口にすれば、フィルシスは興味深そうに眼を細めた。
「キミはよほど姫様に信頼されているんだね。……そんなキミにだからこそ私の杞憂を聴いてくれるかいる」
「11年前、14歳ぐらいのアンタが現在に至るまで抱える杞憂か。……姫様が死ぬと俺や異界人も消滅するからな、話を聞かせてくれ」
「当時の私はまだ学生だったけど、当時から度々エルリア魔法騎士団の訓練に参加していたんだ。私にとって師から指導を受ける楽しい日々だったけど……突然の悲報と襲撃の知らせ、駆け付ける騎士団の中で見たのが、呪いを纏った拳が姫様の腹部を貫く瞬間さ」
その話を聴いたスヴェンの眉が歪む。いくら治療魔法があれども五歳のレーナが腹部を貫かれた。
呪いを抜きにしても幼子にとっては致命傷だ。しかし、レーナは今も生きている。
「呪いと傷の影響は?」
「入念な調べで後遺症も呪いの影響も発見されず……」
「なるほど。フルネームを知らなければ呪いは半減するが、確実に防げるもんじゃあない。だからこそのアンタの杞憂か」
「そう、姫様の身体の中で潜伏している呪いが何かしらの影響を与えないかとね」
時限式の呪いか、それともたいした効力も発現せずそのまま消滅したのか。
これは確かに間近で目撃していたフィルシスが懸念するのも頷ける。
「仮に呪いが発現し、姫さんの命を奪うことになり得るとして解呪の可能性は?」
「呪いが発現しないことには何とも言えないよ。呪いの性質を理解しないと解呪はできないんだ。まぁ呪いを受けた事実そのものを無かったことにできれば問題は無いけどね」
「おいおい、人類に過去を改変するような魔法は扱えねえだろ」
「時間に干渉する方法は有るよ。例えば時の悪魔と契約とかね」
時間跳躍と過去改変となれば悪魔に支払う対価も大きい。尤も時の悪魔を召喚できなければ意味無ければ、そもそもこれはあくまで可能性の一つに過ぎない。
「一応頭の中に留めておこう」
「助かるよ、キミや異界人にしか過去には干渉できないからね……正確には干渉したい時間軸に存在していないことが前提条件だけど」
ミアとレイは時の悪魔に強い反応を示していた。つまり二人の故郷を刻獄で隔離したのは時の悪魔とその契約者だ。
ミアの個人的な依頼に繋がることにスヴェンは肩を竦めながら息を吐く。
想像以上に規模が大きい依頼だ。もしかすればそこが自身の死に場所なのかもしれない。
存在しない者がその時間軸に干渉となればどんな影響を及ぼすのかは誰にも予測が付かないだろう。
だからデウス・ウェポンですら過去干渉や時間跳躍に関する研究と実験を硬く禁じていた。
「……その時が来ないことを祈るしかねぇな」
「姫様の件はそうだけど……こうして会話して分かったよ、キミは義理堅い。ミアが依頼を出したらキミは請ける」
「あぁ、否定しねぇよ」
「死ぬかもしれないのに断る気も無いんだ」
「俺の行動動機は元の世界への帰還だが、それまでは生活しなきゃならねえからな。デカい山を見逃す手はねぇだろ」
あくまでもミアの依頼を請けるのは個人的な義理と報酬のためだ。それ以外に理由は要らない。
スヴェンが内心でそんなことを浮かべているとフィルシスは肩を震わせて笑っていた。
「気に入った。キミは一眼見た時から気になっていたけど……うん! 今から私と手合わせといかないかい!?」
「アンタとの手合わせになんのメリットがあんだよ」
「私が使える魔力を纏った剣技に関する技術と知恵の全て」
騎士団長自ら手合わせの申し出、そして彼女がアウリオンと打ち合った剣技は間違いなく研ぎ澄まされたものだった。
覇王並みかそれ以上のフィルシスの手合わせとなればタダでは済まないが、それ以上に得るものが大きい。
特に自身が関わることは少なそうだが、まだミルディル森林国や各国に潜伏している邪神教団。そしてミアの依頼を達成するには今以上に技術を磨く必要が有る。
特に戦闘時における魔力操作と練度は今後の戦闘でも重要だろう。
「アンタを満足させる自信はねぇが、今後の依頼に備えて鍛錬と行くか」
「成立だね! じゃあさっそく平原に行こうか!」
魔法時計が八時三十分を差す頃、スヴェンとフィルシスは平原に向かうのだった。