八月十九日の朝。スヴェン達は南の国境線に位置するジルヘル関所に到着したが、荷獣車の行列に足止めを喰らっていた。
関所の門に刻まれた開閉魔法陣に不備が有ったということも無く、単純にミルディル森林国への入国者が多いというだけ。
しかし、スヴェンは行列の中に居る幾人者が放つ血の臭いに自然と警戒と観察眼を向ける。
行商人か旅行者に扮した血生臭い連中が居るのは確実、それにエルグラム砦で聞いた野盗が召喚した悪魔や多数の勢力。
立ち寄った村や町ではミルディル森林国の表向きの様子が耳に入っても裏で起きてる事件等を知ることはできなかった。
手続き待ちの長蛇列にスヴェンは荷獣車に寄り掛かると、こちらに近付く気配が一つ。
「もし、スヴェンで間違いないか?」
黒いハリラドンの隣りで訊ねる少年に、スヴェンは眼を背後の荷獣車に向ける。
エルナ達は退屈のせいかうたた寝を始めていた。これなら下手に会話を聞かれることは無いだろう。
そう考えたスヴェンは少年に視線を移す。周囲の御者は愚かエルナとロイが彼に気付いている様子も無い。
他者に悟られず気配を消せる者と言えば、まず浮かぶのが特殊作戦部隊だ。それにエルリアでも自身の名を知っているのはそう多くはないーーむしろ少数と言えるだろう。
その事を踏まえ、彼が特殊作戦部隊の一員だと悟ったスヴェンは遅れながら頷いた。
「あぁ、俺がスヴェンだ。何か用か?」
「……ここ数日の間にアシュナと会わなかった?」
アシュナとはエリシェの自宅でミートパイを食べて以来だ。
ミルディル森林国で活動している特殊作戦部隊の一人としてアシュナが派遣されているのは明白。
明白だが、少年の質問はまるでアシュナが作戦行動中に消息を絶ったように感じられる。
気配を断つことに長け、仮に存在が露呈したとしても純粋な足の速さと風の魔法による速度上昇を可能にするアシュナがそう簡単に何者かに捕らえられるとも考え難い。
ーーいや、戦場に絶対はねぇ。となるとアシュナに何かが起こったのか。
「会ってねぇな、わざわざ俺にその質問をしに来るってことはアイツに何か遭ったな?」
「アシュナ、合流予定地点にも定時連絡時刻を過ぎても連絡が付かなくて……もしかしたら何か遭ってスヴェンと合流したんじゃないかと」
「連絡が来ない……アイツから連絡が途切れたのはいつからだ?」
「8月14日の14時から連絡が途絶えたまま」
五日も連絡が付かないならアシュナは敵に捕縛されたか殺害された可能性も高い。
仮に生存を信じるなら何処で潜伏し、傷を癒しているかだ。
だが後者は魔法で連絡手段が確立されている以上は限りなく可能性が低い。
ーー単に深手で昏睡状態か。
スヴェンは考えられる可能性を思案し、アシュナを心配する少年に質問を重ねる。
「アイツの行動範囲を捜索したか?」
「捜索はした、数有るユグドラ空洞の入口の一つに彼女のものと思われる夥しい血痕も見つかったけど……アシュナは見つからなかったよ」
夥しい血痕は発見されたが死体は発見されていない以上、死亡と判断するのは軽率だ。
此処は特殊作戦部隊が調べた範囲の情報を詳しく聞くべきだ。
「質問を変える。ユグドラ空洞って場所には別の痕跡は無かったか? 例えば死体、肉片や血痕……何か貫いた跡や斬撃痕だとか戦闘の痕跡はどうだ?」
そう訊ねれば少年は思い出したように眼を見開く。
「有った……アシュナが最後に連絡した場所から少し離れた位置に血で染まった通路と何かの肉片のような物も」
「それにもう一つ。合流予定地点に続く通路に何か貫いた跡と僅かな血痕も残されてた」
アシュナは何かを見たのだろう。通路が血で染まっているならそこで殺し合いが起こったとも推測できる。
そしてそんな事態を引き起こした人物を発見したが、勘付かれ逃走を選んだ。
アシュナが逃げの一手に出る人物がその場に居たと考えれば、それは相当の実力者か。それとも異常者のどちらか。
いずれにせよアシュナはその人物に追われ、途中で特殊作戦部隊と合流予定地点から出口に向かって進路を変えたと考えられる。
仮に敵が足の速いアシュナを必要以上に追い、なおかつ安堵した瞬間を狙う外道なら合流よりも撒く方を選んだ。
ユグドラ空洞の出入り口に辿り着いたアシュナはそこで敵の攻撃を受けてしまったのだろう。
スヴェンが推測を重ねていると少年が口を開く。
「あ、そう言えば出入り口が僅かに焦げ付いてたんだ」
「焦げ? アシュナは風を使う……敵の魔法なら血痕は付かず肉の焼けた臭いが漂うな」
アシュナでも敵でも無い第三者がその場に現れ、何らかの魔法を放ち負傷したアシュナを匿っている可能性も出て来る。
しかしそれは幾ら何でも都合の良い希望的観測に思えた。
味方でも無い第三者がわざわざ何者かに襲われている少女を助けるとはーーいや、此処はテルカ・アトラスだ、デウス・ウェポンの戦場とは違う。
それにシルフィード騎士団なら何らかの形で特殊作戦部隊に一報を入れるはずだ。
「コイツは限りなく低い可能性だが、いくら探しても見つからねえアシュナは誰かに匿われてんじゃねえか? 負傷してる彼女を匿えるなら医者か治療師か」
「そっちの線で捜索してみる。……だけど、優先事項はあの人だからーー」
「まあ、こっちも仕事がてら情報屋と会う約束だからな。確約はできねぇが一応捜してはやる」
レーナのことだ。アシュナの犠牲も良しとしはしないだろうし、万が一の場合は彼女が心を痛めてしまうだろう。
生きてる可能性は低いがアシュナとは魔王救出時に影の護衛として世話にもなっている。
その借りを返すと思えば、仕事の片手間で捜索しても罰は当たらないだろう。
スヴェンは頭の中に情報屋の合流に加えてアシュナの捜索を付け加えた。
ふと気が付けば、少年が既にジルヘル関所を誰にも気付かれることなく飛び越えている光景に肩を竦める。
思わぬ知らせを聴いたがおかげで長蛇列は進み、自分達の入国手続きまであとわずかだ。
「おらガキ共! もう少しで手続きだ!」
荒っぽい口調でエルナ達を起こし、やがてスヴェン達は手続きを終えーー大樹を中心に広大に広がるミルディル森林国に足を踏み込む。