九月一日、晴れ渡った青空の下に響く住人達の賑やかな声。レイ小隊長とミアを含めた五名の護衛を連れたレーナはミルディル森林国の市民の喜ばしい声に安堵していた。
荷獣車の窓から覗き見たミルディル森林国の光景とハーブを奏で歌う演歌家達の姿にレーナは笑みを零す。
話しは特殊作戦部隊の子供達から道中で報告を受けていたが、こればかりは実際に眼で見て耳で聴かなければ判らないことが多い。
「想定以上に事が上手く運んだのね」
「えぇ、スヴェンが居たおかげでしょうか」
確かにエルリア王家はスヴェンに依頼を出し、彼はそれを請けた。元邪神教団のエルナとロイ、そして元野盗のラウルの三人を連れて。
広大な土地にユグドラ空洞の複雑さ、邪神教団相手に奇襲を仕掛けるにも少々骨が折れる。
国境から最も近いエルソン村を拠点に周辺に潜む邪神教団、野盗を制圧したとしてもミルディル中心部に移動するにはそこそこの日数もかかる。
恐らく最短で事が片付いたのは、シャルル王子がシルフィード騎士団を指揮し事前に市民に協力を仰いだ結果なのだろう。
「違うわね、恐らくシャルル王子やカルトバス森王が動いた影響も有るわ」
「あれですか? ジルヘル関所で聞いた国境閉鎖の件ですかね」
「えぇ、私達の入国と同時に一時的な国境閉鎖。これで野盗は容易に入ることも出ることも出来なくなったわ」
野盗だけでなく邪神教団もだが、彼らの侵入は注意深く国境を警戒していてもいつの間にか侵入されている。
後者に関しては国内の拠点と転移魔法陣を潰さない限り抜け道として利用されるだろう。
むろん自身が気付いたことにシャルル王子が気付かない筈が無い。既にシャルル王子はシルフィード騎士団に命じて邪神教団掃討作戦に移ってる頃だ。
「逃げ場の無い包囲殲滅戦……」
何処か上の空で呟くミアにレーナは顔を向けた。
彼女が気掛かりなのは、やはり行方不明のアシュナのことだ。悲報とも言える報告に最初は間違いで有って欲しい。
そう願わずにはいられなかったが、報告は確実で間違いのない事実。だがレーナにはアシュナが生きてると予感に近い確信が有る。
だからと言って楽観も出来なければ、ミアが彼女を心配する気持ちも痛いほどに判る。
「ミア、今は捜索部隊とスヴェンに任せましょう」
今の自分にできることは特殊作戦部隊の人員を割き、スヴェンにもアシュナの捜索を頼むことぐらいだ。
「……そう、ですね」
元気が取り柄とも言えるミアがここ数日大人しめなのもきっとアシュナの件も有るが、
「ふむ、キミがここまで大人しいと明日は嵐かな」
ハリラドンに騎乗したレイの言葉にミアは素っ気ない態度で適当に『あ、そうですね』と返すばかり。
以前は少なくともレイに対する対応は、魔王救出の旅に出る以前は此処まで酷くなかった。
そんなミアの様子にレイは気に留めた様子も無く周囲に警戒を向けるばかりだ。
これは護衛される側としても、何よりも二人の故郷に対して解決の目処が立ってない王族としても居心地が悪い。
「ええっと、ミア? 最近妙に大人しいけれど具合でも悪いの?」
「え? 体調は万全ですよ。それに大人しくしてるのもレイに澄ました顔で突っ込まれるのが癪なだけですし」
「言われてますぜ小隊長殿」
「好きに言わせておけば良いさ」
若干の空気の重さは有るが、どうやら致命的に拗れてるわけでも無さそうだ。
二人の様子からそう判断したレーナは思案した。
ーーミアが打診した故郷を救う方法、確かにスヴェンなら時獄を突破することは可能ね。
あの結界を通れるのは結界展開時から過去に存在しない者のみ。
つまり三年前に展開された時獄を通れるのは0歳から3歳の幼子、それ以前の時間軸に存在していなかった異界人だけ。
だが人を単体で何の道導も無しに時獄内部に侵入させた前例が無い。前例が無い以上はスヴェンを突入させる判断に迷うが生じる。
彼に限らずレイの目論み、十数年後に育つ騎士の部隊導入。そちらも決して無視できないことや時獄に囚われた人々の生命保証、人命に犠牲が出ると想定すれば中々議会でも容認できない問題だ。
故郷の解放、二人の目的は同じなのだが過程の違いからミアとレイはすれ違ったままだ。
ーー責めて過去からメッセージが届けば良いのだけど。
レーナがそこまで思案すると、ハリラドンが牽引する荷獣車がゆっくり速度を緩めやがて静かに停まった。
「姫様、ミア。エルソン村に到着したぜ」
窓越しから告げるリジィにレーナとミアの二人は立ち上がり、荷獣車から降りる。
その際にレイの差し出した手を掴み地面に足を付けると、木々から漂う樹液と蜂蜜の匂いが漂う。
「3年振りのミルディルになるわね……ゆっくり観光でもしたいところだけれど」
まだ邪神教団の掃討が終わったという話しは聴いていない。それに偽りの見合いをする必要は無くなったが、こちらの入国は既に邪神教団に漏れてる。
追い詰められた彼らが狙いをこちらに定めるならそれはそれで構わない。
いや、既にエルソン村に侵入してる彼らの気配を感じーー邪神教団の気配を感じたが、それは一瞬のことで気配が消えた。
「……気配が消えた? シルフィード騎士団の動きが速いおかげかな」
「うーん、この村にはスヴェンさんが滞在してるんだよね?」
確かに彼ならこちらの動きに合わせて侵入した邪神教団を消すことも容易だ。
しかしそれは彼が村に居る場合に限る。
レーナが停泊場に視線を向ければ、スヴェンが飼っている黒いハリラドンの姿が見えない。
レーナ達が消えた邪神教団の気配に対して疑問を浮かべているとアトラス教会のシスター服を着こなした赤髪の女性が迷うことなく確かな足取りでこちらに向かって来るのが見えた。
レイ達はそんな彼女に腰の剣をいつでも抜けるように身構え、
「あー、待ちなさい。私はアトラス教会所属のシスター・リノン。今回の一件でスヴェン、シルフィード騎士団と協力した縁もあってレーナ姫のお迎えに参上したわ」
自身と似た口調でリノンと名乗った彼女にレーナは底知れない不安感を感じ取った。
この不安感は一体何処から来て、なぜ不安に感じるのかは判らないがーー分かってることは一つだけ。アトラス教会所属のリノンは無条件で信頼できるという点だ。
「そう、わざわざありがとう。……さっき邪神教団の気配を感じたのだけれど、そちらも貴女達が対処を?」
「えぇ、詳細に付いては然るべき場所で」
そう言ってリノンは着いて来いと言わんばかりに、シルフィード騎士団が滞在する仮設駐屯所に向かって歩き出す。
レーナは彼女に無言で歩き出すと、
「なあおい、リノンってシスター……中々良くないか?」
「おお、美人だしな。しかしまぁ、なんというか彼女には一途な印象を受けるんだよ」
リジィとずっと静かだったアラムがそんな事を話していた。
彼らも男性だ、美しい女性を見たらそう言った反応を見せるのも頷ける。
確かにリノンは同性の自分から見ても綺麗で、大人として頼れる一面を感じさせる。
特にスヴェンと似た空気を纏う彼女の背中を眼で追ってしまうのも、恐らくそのせいだろう。
「はぁ〜女性と見るや二人はすぐこれだ。少しは堅物のレイ小隊長を見習ったら」
「レイ小隊長を見習ったらろくに恋なんてできはしないさ。それはビビもよく理解してるだろ」
「……否定しないわ」
本人を目の前にしてよく言える。そんな感心と必死に笑いを堪えるミアにレーナはほっと胸を撫で下ろす。
どうやら調子が戻りつつ有るようだ。
「三人とも無駄話はそこまでだ。村の内部にも邪神教団の気配が有ったんだ、短い道中と言えども決して油断しないように」
レイが放った身を引き締まる言葉に、リジィ、アラム、ビビが自身とミアを中心に陣形を組み歩き出した。
そしてレーナ達はやや遅れてリノンの後を着いて行くのだった。