時の悪魔は簡単に分断が成功した事に満足気な笑みを浮かべた。
「まさか簡単に成功するなんてね……警戒心が強そうな印象だったけど、何も無さ過ぎて気が抜けたかな?」
人間は弱点が多い生き物だ。まず今回対峙する男の魔力は悪魔から見れば少ないが、人間の範疇で言えばそこそこの量を誇る。
それでもこの世界にとって未知の塊であるあの男に接近されるのは危険だ。
その為に万が一に備えた保険を用意している。
「油断は禁物かぁ、異界人はみんな彼みたいな奴ばかりなのかな」
時の悪魔は気配を殺しながら真っ直ぐ洞窟の入り口から歩む男に語りかける。
男は不機嫌そうな表情で変わった大剣を構えながら、
「さあ? アンタの眼で確かめてみりゃあいいだろ」
どうでも良さそうに答えた。
愛想が無い。今まで観てきた人間と違って目の前の男は幾つも欠落を抱えている。
生物として生まれ持った感情の一部ーー欲望、性的欲望と欲求、愛情、愛が欠けた空虚で獰猛な人間だ。
それこそ戦いに不要な感情や欲望を根こそぎ削ぎ落とした印象さえ受ける。
時の悪魔は目の前の男ーースヴェンに呆れるように肩を竦め、
「嫌だよ、ぼくはこうして平穏に穏やかに……絶望とは無縁に生きたいんだ」
絶望を知ってしまった時の悪魔が一瞬だけ顔を歪めれば、スヴェンが見透かしたように口角を吊り上げる。
「絶望……悪魔が絶望に怯えてんのか?」
それは悪魔として生まれた自身に向けた皮肉だった。
安っぽい挑発と理解しながら変えることもできない現実と未来に時の悪魔は空間から剣を取り出す。
それは時の概念を固めて生み出した特殊な魔剣ーー時の魔法を効率的に世界に影響を与えない範囲で行使するための枷でも有る愛剣を構えた。
「ふん、聴きたいこともあったけど……質問はお前の戦意を挫いた後にしてやるよ」
下丹田の魔力を増幅させた途端、スヴェンが目前から消える。
ーーは? 音を置き去りに? 人間の速度じゃっ!?
人間が生身で出して良い速度では無い。
内心で焦った時の悪魔は、
「『世界の時よ止まれ』」
詠唱を唱えることで時獄内部の時間ごと空間を停止させる。
灰色に染まった空間。此処から時の悪魔の領域、神以外は何人たりとも侵すことができない不可侵の領域だ。
時間停止と空間停止を合わせた魔法に時の悪魔は汗を拭う。
「ふぅ、危ないところだったよ。卑怯とは言わないよね?」
この魔法は必中かつ勝利を確実のものにさえする必殺の魔法だが、強力すぎる故に世界に与える影響も大きい。
だからこそ世界に与える影響を最小限に。十秒と持続時間が短く、連続して唱える事が不可能な魔法だ。
魔法が解ける前にスヴェンを探し出し、攻撃魔法を仕掛ける。
それで終わり。これは何万年も挑んできた相手を負かした必勝法だ、神以外は成す術なく重傷を負う。
早速時の悪魔は背後に振り返り、既に刃を振り抜き首を飛ばさんとするスヴェンにーー薄ら涙を浮かべた。
此処まで殺意しかない人間は非常に珍しければ、無表情で繰り出される必殺の一撃に躊躇など感じられない。
「この人間怖いよぉ!」
だが怯えてる暇など無い。
時の悪魔は魔法が切れる前に、スヴェンの周囲を念入りに満遍なく逃げる隙など与えないように魔法陣を展開した。
此処で魔法を放てれば終わるが、時間停止と空間停止を合わせた魔法には最大の弱点が有る。
魔法発動中は如何なる魔法も停止してしまうということ。
無理もない。停止した空間の余波で新しく展開した魔法も空間の影響を受けてしまうのだから。
時の悪魔はスヴェンから距離を取り、洞窟の宙に浮かぶ。
そして魔剣に魔力を流し込み万が一に備えーー空間が綻び解除間近になって漸く気が付く。
魔法陣に囲まれたスヴェンと別の位置に居る
だがもう時既に遅し。魔法が解除されてしまう。
展開された様々な魔法陣から放たれた無数の閃光がスヴェンの身体を穿つがーーそれは残像に過ぎず、本物は既に時の悪魔の目前に迫っていた。
縦に振り抜かれるガンバスターを時の悪魔は魔剣で受け止め、衝撃が洞窟に走る。
力強い一撃を受け止めた時の悪魔の表情が歪む。こんな事は今まで経験に無かったことだ。
ましてや魔法の発動よりも速く動く人間など居るはずがーーあぁ、そうか。人類はぼくに無い成長を遂げてるのか。
刃が拮抗し火花が散る中、
「異界人、それともお前が単に強過ぎるだけなのかな?」
興味本意でスヴェンに訊ねる。
きっと彼は強いのだろう。己の強さに自負と自信を持つ人間なのだろう。
そう考えていた時の悪魔にスヴェンは返す。決まっている答えを。
「あん? 俺なんざ臆病で弱い分類だ」
「弱い……弱いだって? 音速で動けて一手に備えた動きをする人間の何処が弱いって言うんだよ」
「知らねえのか? アンタに概念の護りなんざ無ければ
確かに自分自身は概念の護りで既存する魔法と武器から護られている。
だからテルカ・アトラスに生きる人類、悪魔、魔族、天使、邪神眷属は未知の魔法、技術を開発する他に傷一つ付けることさえ叶わない。
その意味でもスヴェンは自身に対する天敵。それが自ら弱いと語る意味が時の悪魔には到底理解が及ばない。
それでも臆病という点は共感が持てた。臆病だからこそ策を弄し、絶対に負けない安全圏から時獄と巻き戻りの魔法を維持していたのだ。
時の悪魔は魔剣で斬り返し、スヴェンをガンバスターごと押し返す。
地面に着地するスヴェンに魔剣を振り抜き、時を斬り裂く斬撃を飛ばした。
たが飛ばした斬撃は残像を残したスヴェンに呆気なく避けられ、跳躍したスヴェンがまた迫る。
斬られる! 目前に迫る刃の一閃が身体に走った。
洞窟に舞う鮮血、地面に落ちる身体。今まで一度足りたとも感じた事がない感覚。
激痛と血が肉体から抜け出る恐怖が時の悪魔を支配する。
「痛い、痛い痛いっ! 怖いっ!」
涙を流しながら叫ぶ時の悪魔にスヴェンは呆気に取られ、
「あ? 確かに斬られりゃあ泣くほど痛えが……ああ、はじめてなのか」
得心を得たようにすぐさま冷静な眼差しに戻る。
傷付いた身体を魔力で修復し、傷を癒した時の悪魔はよろよろっと涙を流しながら立ち上がった。
身体が痛い。怖い、もう戦いたくない。空間の中で閉じこもってのんびり過ごしたいっ。
原因は自分に有る。それは理解してるが、此処で時獄を解除する訳にはいかない。
だからこそ時の悪魔は魔剣を構え直す。
「……っ! 滅びる人類を存続させる為にぼくは負ける訳にはいかないんだ!」
時の悪魔は叫びながら無詠唱で攻撃魔法を乱射しながらスヴェンに迫る。
スヴェンが眼を見開きながら魔法を弾く中、時の悪魔は自身に流れる時間を操作し速度が増した身体で、スヴェンの背後から魔剣を袈裟斬りに振り抜く。
ーー取った! これでぼくのっ!
いくらスヴェンでも無尽蔵に不規則に乱射されるのは魔法を下手に避けれず、防御に徹したと考えた時の悪魔が勝利を確信した瞬間ーーガキィーン!! 人体から鳴ってはならない非常に鈍い音が響き渡る。
背中で受け止めれた魔剣に時の悪魔は呆気に取られた。普通なら魔剣の刃が当たった時点で対象の時間を停止するはず、しかしそれも起こらない。
本来齎す筈の結果が訪れないことに時の悪魔は叫ぶ。
「鉄でできて……っ!?」
同時に気付く。スヴェンの全身を包む練り込まれ非常に強固な鎧と化した魔力に。
「魔力で防いだっていうの!?」
騒ぐ時の悪魔を他所に、スヴェンは振り向き様に拳を振り抜く。
振り抜かれた裏拳が時の悪魔の頬に穿つ。
頬に伝わる衝撃と痛み。殴り飛ばされる身体に時の悪魔はまた涙を流し、壁に衝突した。
壁に衝突した痛みは無い。痛みは殴られた頬のみ。
流石に此処まで泣いてる相手に人間は攻め手を緩め、事情を訊ねるだろう。
それで理由を話してこちらに引き込む。そんな考えのもと時の悪魔はスヴェンを見上げーーガンバスターを構えるスヴェンに絶望した。
同情を誘ってこちら側に引き込もうなど甘い考えだった。
ーーなんなだよ、この人間! 泣いてる相手に容赦無しなの!?
刃の先端を構える。このままではきっとこの男は身体を貫くだろう。
それとも刃の先端に見える穴が何かを意味するのか。
一体どんな攻撃をされるのか、例え肉体的に滅びなくとも痛みを知った時の悪魔は、
「調子に乗るなよ人間!」
悪魔の意地を見せ付けるように魔剣に下丹田の魔力を流し込み、周囲に魔法陣を展開させる。
詠唱を唱えようと口を動かした瞬間ーー冷徹な傭兵の前に詠唱は、ましてやスヴェンは悪魔が死なない事を理解し厄介な魔法が使えるからこそ躊躇わない。
例え相手が戦意喪失してようが関係ない。
詠唱を声に出すよりも速くスヴェンは引き鉄を引く。
スヴェンは時の悪魔の頭部に躊躇なくガンバスターの銃口から最後の.600GWマグナム弾を放つ。
銃口から放たれ、高速で飛来する銃弾に時の悪魔は息を吐いた。
ーー人間って恐い。時間を巻き戻して何度も挑戦なんて無理だよ。
頭部が木っ端微塵に吹き飛ばされ肉体が死ぬ間際。時の悪魔はスヴェンに心の底から恐怖を刻み込まれ魂の状態になりながら弱った意識を手放した。