巨城都市の一件以来アウスは歯食いしばりながら逃げ続けた。
同胞達が隠れ潜む邪神教団の拠点に逃げ込み、そしてアトラス教会の執行者に襲撃を受けてまた逃げる。
数ヶ月間、それの繰り返しでアウスが気付いた時には逃げ場など何処にも無い。
振り返れば血塗れの同胞達の怨みがましい視線が訴えかけるのだ。
『お前が逃げて来たからだ』
『お前が来なければ!』
怨みの声がアウスの精神を蝕み、漸く気付く。
巨城都市エルデオンで逃げ仰たのは、単に泳がすためのだったのだと。
そうなった原因は名も正体も知らないが顔ははっきりと覚えているあの男だ。
アウスは胸に宿る復讐心を全てスヴェンに向けることで気力を振り絞る。
何処へ行けばあの男に出会えるのか、どうやれば同胞の仇を討てるのか。
「クソがっ! もはや邪神教団は壊滅寸前じゃねぇか!」
悪態吐く同胞の姿にアウスは虚な眼差しで近寄る。
同胞はそんなアウスに気付いた様子で柔かな笑みを浮かべた。
それは生き残った同胞に出会った安堵から来る感情か。
同胞に向ける温かい眼差しに対してアウスは暗い感情を宿しながら、
「巨城都市の作戦が失敗してから……」
静かに同胞に語りかける。
「あ、あぁ……詳細は知らないが同胞達は全滅したんだってな」
「見たんだ……同胞を殺す男を」
巨城都市エルデオンで遭遇した悪夢そのものにして、同胞達の仇の存在に同胞が興味を示しアウスは薄暗く嗤う。
▽ ▽ ▽
スヴェンがエンケリア村に出発した翌朝の教室。
ホームルームで配られた用紙にエルナ達は雁首揃えてため息を吐く。
社会見学参加用紙。これに参加希望者の名を記載しサインと旅費を用意するだけで白碧の町アルストの社会見学に参加できる。
だが保護者の一人であるスヴェンは今朝早くからミアの依頼で何処かに出発して不在、しかもいつ帰って来るのか判らない。
「お姉さんは騎士団を経由すれば連絡が付くけど、お兄さんのサインはどうしよっか?」
「あー、期限は10月11日までかぁ」
「それまでにスヴェンが戻れなかったら諦めるか?」
提出期限までにスヴェンが戻らなければ他にそれしか方法は無いが、他に生き方を模索するなら社会見学は必須だ。
「私はお兄さんが期限までに帰って来るに賭けるよ」
実際にスヴェンが何処へ行ったのかは判らない。彼はミアの依頼に関しては何も教えてくれなかったからだ。
それでもエルナはスヴェンが帰って来ることに期待して用紙の欄に自身の名を記載する。
「アニキなら心配ないよな。じゃあおれも参加っと」
「2人が行くなら行かない訳にも行かないよな」
二人の名が記載され、後はカノンとスヴェンのサインを貰って提出するのみ。
十日以上も先の予定になるが不思議と楽しみで思わず頬が緩んでしまう。
「エルナ、ラウル。今日も試験日だってこと忘れてないよな?」
ロイの一言に現実に戻され、絶望感に染るラウルに対してエルナは余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「私は大丈夫だよ!」
「そうかぁ? 昨日の実技試験みたいにラピス像を破壊しないといいけど」
それを言われてしまえば反論などできない。
スヴェンには大人を頼れとは言われているが、頼る側にも弁えは必要だ。
「分かってるよぉ、それに次の実技試験は結界魔法の応用実技だから安心だよ」
結界魔法に反射と追尾の術式を組み込まなければ。
気楽に語ったエルナにロイが疑うが、
「はぁ〜でも試験さえ乗り切ればあとは気楽かな。依頼も来て欲しいけどさ」
ラウルのため息混じりの声に思わず二人もため息吐く。
これまで依頼を熟した件数は五件だ。いずれもエルリア城下町内で済む簡単な警護依頼。
とは言えスヴェンが居ない状態で遠出の依頼を請けるつもりもないが、
「そもそも試験期間中は請けられないでしょ」
請ければギリギリのラウルが赤点を取りかねない。それではカノンとスヴェンになんて言われるか。
後者に至っては何も言わないかもしれないが、それでもなるべくスヴェンには気を遣わせたくない。
「だよなぁ、実技は問題ないんだけど筆記がなぁ〜」
ラウルの地頭は決して悪くはない。悪くはないが勉強ができる環境に何年も居なかった弊害が出ている。
その原因も明白だ。邪神教団の生贄確保のためにラウルも誘拐された子供の一人で、どうにか逃げて野盗に身を落とした過去が有る。
原因は古巣に有るーーふとエルナの思考に同年代の信徒達の顔が浮かぶ。
各国に潜伏していた邪神教団の過激派は既に全滅しているらしい。
危険分身として始末されてしまったのか、まだ後世の余地有りと身柄を確保されているのかは判らない。
判らないが少なくともカノンの口からはそう言った話題は出て来ない。
呆然と考え込むエルナにロイが静かに問う。
「どうかしたのか?」
「何でもないよ。ただ放課後に事務所に行っても良いかな?」
「外出許可が取れるなら良いんじゃないか……それにもうあの家は俺達の家だろ」
そうだった。もうあの家は四人が暮らす家だ。
家族--外の世界で得た大切な帰る場所。
「そうだったね。じゃあ放課後に行くから」
それだけ言ってエルナは黒板の上に飾られた魔法時計に視線を移す。
そろそろ一時限目のテストが始まる時間。
予鈴が鳴り響き、思い思いに過ごしていた生徒が席に着く。
▽ ▽ ▽
テストも終わり外出許可を得たエルナはロイと一緒に帰路に付いていた。
もはや馴れた道路を通り職人通りの顔馴染みの老婆に、
「あらおかえり、エルナちゃんとロイくん。今日はラウルくんは一緒じゃないのね」
声をかけられエルナは若干の気恥ずかしさを感じながら声を返す。
「ただいま、ラウルは寮に居るって」
「あぁ、そうかい。あの子にはこの間の礼もしたかったんだけどねぇ」
「お婆ちゃん、俺からラウルに伝えておくよ」
「それじゃあ今度うちに寄るに伝えておくれ。あぁ、スヴェンが帰って来たらよろしく伝えておくれよ」
エルナとラウルは頷くことで答え、老婆と別れ職人通りの裏路地に入る。
しばらく進み、人形屋を通り抜け目前に迫る我が家と自宅の前でうろうろする不信な人物ーー背丈はロイと同じくらい? けど何処かで見たような?
何処となく既視感を感じる背中にエルナとロイは警戒心を宿しながらゆっくりと不信人物に近付く。
「ここで間違いない筈なんだ」
聴き覚えの有る声にエルナとロイは思わず顔を見合わせ、更に強い警戒心が宿る。
今の声はアウスの声だ。邪神教団の過激派に所属していた同い年のアウスが此処に来ている。
信徒になる前はよく遊んだ仲の良かった幼馴染の一人だったが……。
まさか裏切り者の始末に駆り出されたのか? 今の生活を壊されたくない。
だからと言ってアウスを害す事に躊躇してしまう。
共に過ごした記憶が情として訴え、エルナとロイから非情な判断力を奪うには充分だった。
「如何するロイ?」
「如何するって……穏便に済ませられれば良いんだけどな」
やはり自分達にはスヴェンのように非情な判断は下せない。
アウスがこちらを排除するつもりだろうとも先ずは話をしなければ始まらないのだ。
「えっと、ボディガード・セキリュティにご用意ですか?」
営業向けの言葉使いでアウスに問いかけると、彼は驚いたように振り向きーーそしてこちらの顔を見るなり突如抱き付きてきたのだ。
「ち、ちょっと!?」
突然の事に芽生えた羞恥心に頬が赤く染まる。
「エルナとロイ……無事だったんだな」
涙声で安堵の声を洩らす彼にエルナはロイを見た。
如何やら彼は自分達が邪神教団を裏切り抜けたことを知らないようだ。
「……アウス、いつまで抱き付いてるつもりだ?」
指摘されたアウスは離れ、頬を掻きながら笑った。
だがその瞳は陰り、瞳の奥底に暗いものが確かに見えたのだ。
エルナは内心でアウスの変化に眉を歪める。
「えっと、それで如何してこんな所に居る?」
「……此処に捜してる男が居るかもしれないんだ。それで来てみればお前達と再会するなんて」
捜している男。アウスは過激派としてヴェルハイム魔聖国に配属されていた。
魔王救出は異界人の手によって成されたと聞いているが、巨城都市エルデオンの邪神教団は壊滅状態だったとカノン部隊長から聞いている。
たまにエルリア城の書庫で見かける異界人からは血の臭いは感じるが、邪神教団を壊滅させるほどの実力を有しているとは思えない。
考え込むエルナを他所にロイがアウスに訊ねる。
「捜してる男の特徴は?」
「短髪の金髪、鋭い三白眼に紅い瞳、見た事もない大剣を背負った長身痩躯の男」
淡々と感情を押し殺して答えるアウスにエルナとロイは思わず顔を見合わせてしまう。
その特徴から一致する異界人はスヴェンしか居ない。
いや、そもそも彼は旅行していて魔王救出に関与していないと答えていたがーーあー、お兄さんのことだから平気で嘘付くよね。
自身の功績を隠し注目を逸らすなどスヴェンなら平然と行うだろう。
「うーん、ちょっと判らないかなぁ。多分異界人だと思うんだけど」
「……異界居住区に行ってみたらそれらしい人物は居ないって言われたよ」
「じゃあもうこの国を離れてるか、元の世界に帰ったとか?」
「それがそうでもないらしい……訊ねて回ったらそれらしい人物が此処で商売をしてるって言うじゃないか」
「ここ、私達の家だけどその人は見たことないかなぁ」
欺くために嘘に嘘を並べるとアウスの表情が陰る。
「……そうか。なあ二人とも、俺と一緒に仇を取らないか?」
復讐を望むアウスから伸ばされた右手、それは酷く血に汚れてるように見えた。
スヴェンはエルナとロイにとって生き方の一つを提示し、雇ってくれた恩人だ。
仮に彼の居場所を教えた所でアウスが返り討ちに遭うのは明白。
それでも彼には義理も有れば大切な家族の一人だ。
尤もスヴェンはそう思われることを嫌がられるかもしれないが、エルナとロイの答えは既に決まっていた。
「悪いけど手は貸せない」
ロイの返答にアウスは差出た右手を引っ込め、
「……そっか。それは残念だよ」
残念そうに肩を竦めるが、彼の瞳には感情が宿っておらず不気味さが増す。
このまま彼を帰していいものか? エルナは思考する。
復讐心に囚われたアウスから復讐を忘れさせることは困難だ。それでも復讐を忘れるきっかけにさえなれば幼馴染の彼が死ぬことは無い。
まずは説得することから始める。そう決めたエルナは立ち去ろうとするアウスの手を握り、
「少しうちに寄って話して行かない? せっかく会えたんだからもったいないよ」
ミアから教わった可愛らしい仕草で誘う。
「わ、分かった」
アウスが頬を赤く染める様子にエルナは内心でガッツポーズを取る中、隣のロイがため息を吐く。
▽ ▽ ▽
エルナとロイはアウスを連れてスヴェンの部屋に案内した。
自身の部屋は下着や着替えが散乱している。流石に散らかった部屋に同年代の異性を入れるには恥ずかしい。
かと言ってロイとラウルの部屋にはミルディル森林国から贈られた勲章が飾られている。
だから何も無いスヴェンの部屋が話すには好ましいっと考え案内したのだが、
「この部屋、妙に殺風景だね。人が生活してるのか?」
スヴェンの部屋はあまりにも殺風景過ぎた。
ベッド、机、金庫、クローゼット、タンスが置かれている程度で何も飾られていない必要最低限の部屋にエルナは誤魔化すように答える。
「ここは来客用の部屋だからね」
本来なら事務室で話せば良いのだが、依頼人が訪れても都合が悪い。
「そうなのか……ところで2人は今まで何処で過ごしてたんだ? 如何してこんな立派な家を持ってるんだ?」
「オレとエルナはジルニアで諜報活動に出ていたんだが、エルロイ司祭からエルリア城下町に潜伏するように指示を受けてな」
「エルロイ司祭が? 異端者と呼ばれた2人にそんな重要な役目を?」
「そっ、異端者だからこそ邪神教団って悟られ辛いからね。その為の自宅とラピス魔法学院の入学手続きも済ませてくれたんだ」
それらしい事を伝えればアウスは納得した様子で息を吐く。
それでも彼の瞳は依然と暗い。
「エルロイ司祭と連絡は取れてるのか?」
「それがさぁ、魔王様が救出されて以来音沙汰無しなんだよね」
「……連絡無しか。まさかエルロイ司祭は穏健派じゃないよな?」
「さあ? それは判らないが、あの人を疑っているのか?」
ロイの問い掛けにアウスは強く頷く。
確かにエルロイは穏健派の司祭だ。その点ではアウスの疑いは正しい。
そろそろアウスも重ね続けた嘘を悟るかもしれない。
エルナは密かにロイに視線で合図を出す。
彼は恐らく今まで異端者狩りや襲撃に遭い居場所を悉く失った可能性が高い。
「なあアウス、復讐するにも時期早々じゃないか?」
「なんで?」
冷え切った声にエルナの肝が冷える。
感情を一切宿さない瞳、完全に復讐に囚われた眼差しが二人を睨む。
「確実に復讐を果たすなら実力が伴わないと駄目だろ?」
説得の言葉を告げるロイにアウスの瞳に怒りの感情が一瞬で宿った。
「ふざけた事を言うな! 俺が今までどんな気持ちで、どんな気持ちで異端狩りから逃れて来たと思ってるんだっ!!」
「アイツを殺すために! アイツを殺して悪夢から醒めるためなら俺はなんだってするっ!!」
感情の昂ぶりと共にアウスの下丹田の魔力が活性化する。
このまま活性化すれば魔力暴走を引き起こしかねない!
「ダメ! アウス、落ち着いてっ!」
「煩い! 裏切り者の癖にっ!」
叫ばれた非難の言葉にエルナの肩がびっくと跳ね上がる。
「う、裏切り者って何を言ってるの?」
「……最初から知っていたんだよ! お前達2人がスヴェンって男とラウルって子と暮らしてることをっ!」
「知ってたんだ」
知りながら家に招かれた。その理由はスヴェンと接触するためにか。
そこまで理解したエルナとロイは自分達が失敗した事を悟る。
「……ああ、そうだよ。裏切り者も始末しなきゃ、あの男から奪わなきゃっ」
活性化する魔力に二人は身構えると、アウスが掌に魔法陣を展開した。
「『炎よ爆ぜろ』」
魔法陣から放たれる火球にエルナは咄嗟に魔法を唱える。
「『盾よ我が危機を跳ね除けよ』」
エルナが目前に盾を創り出し、飛来する火球を跳ね返す。
跳ね返された火球がアウスに迫り、彼は咄嗟に横転することで避けーー対象を失った火球が窓に直撃した!
火球の衝突により内包された魔力が爆発を引き起こし、窓とベッドごと壁を吹き飛ばした。
室内が煙に包まれ、晴れる頃には生じた大穴と姿無きアウスにエルナの表情が陰る。
「……アウス、もう止められないの?」
「まだ止められるさ、追いかけるぞ」
手を引くロイにエルナは頷きながら大穴から飛び出す。
庭に着地した二人は急ぎアウスの魔力と気配を辿り、逃げた方向に駆け出した。
徐々に追い付く気配と魔力、しかし近付くに伴い気配と魔力が弱まる。
嫌な予感に二人は悲鳴を上げる足に耐え、速度を上げ曲がり角を曲がった。
「「えっ」」
舞い込んだ光景に二人は呆然と立ち止まり、膝から崩れ落ちるように地面に座り込む。
視線の先、鮮血に染まった路地の通用と壁際に力無く座り込むアウスの姿に涙が溢れる。
「あ、アウス……如何して」
幼馴染の一人が死んだ。
説得して復讐を諦めさせようとしたが、それでも力及ばずそれすら叶わず。
なら責めて自分達の手で彼を止めようとした矢先、彼は死んだ。
アウスの死体の先に見える二人の足をエルナはゆっくりと見上げる。
そこに居たのは血がこびり付いた騎士剣を振り払うカノン部隊長とクロスボウを降ろすリノンだった。
「お姉さん達が……」
震える唇にエルナは、
『如何して殺しちゃったの?』
出掛けた言葉を呑み込んだ。
なぜ? 判っていたことだ。アウスは邪神教団の過激派に所属する信徒で二人にとっての討伐対象だと。
エルリア城下町に現れた邪神教団が問答無用で討伐されても仕方ないことも。二人が職務を果たした事も。
だからこそ冷たいかもしれないが納得もできる。
アウスは遅かれ早かれこうなる可能性がずっと高かった。
彼が死んでしまったのは説得できなかったからだ。
「エルナ、ロイ……まさか、この子は2人の知り合い?」
落ち着いた声色で訊ねるカノン部隊長に二人は無言で頷くことで答える。
「そ、うだったのね」
苦悶の表情を浮かべるカノン部隊長にエルナは首を横に振った。
「お姉さんが責任を感じる必要は無いよ……アウスは復讐に囚われてたから」
「……この子は私の方で丁重に弔っておくわ」
そう言ってリノンはアウスの死体を魔法で綺麗にしてから布に包み込んだ。
「アウスのこと頼んだ……それと他に邪神教団が?」
「えぇ、男が1人居たけどそっちはもう始末したわ。まあ、彼がこの子の情報を洩らしたのだけど」
「そっか、アウスは居場所を得られなかったんだね」
自然と涙が溢れ、優しく抱き寄せるカノン部隊長の腕の中でエルナは泣き叫んだ。
声が枯れる程までひとしきり泣いたエルナはカノン部隊長の腕の中で、今日のことを胸に深く刻み込む。