30-1.3年目の春
スヴェンがテルカ・アトラスに召喚されてから三年目の春。
1800年.5月10日。レーナの魔力が回復するまで残り十日、スヴェンは別れの時が刻々と近付いてる事を肌で感じながら聖堂の長椅子に座る。
オルガンが奏でる音色がアトラス教会から響く。
スヴェンはただ祈りを捧げることも無く音色に耳を傾け、演奏が終わる頃には祈りを済ませた人々が立ち去る。
静けさが聖堂を包み、リノンが腰掛けるスヴェンの隣に座った。
「貴方が演奏を聴きに来るなんて珍しいね」
「依頼が無ければ鍛錬か物資を補充するぐらいで基本暇なんだよ」
「休業にしてるからでしょ? まあ10日でこの世界から居なくなる貴方が無責任に繋がることは避けるわよね」
三年の時が経ちラウル達も頼もしく成長しもう彼等に業務の全てを任せられるほどだ。
休業する必要は無かったのだが、ラウル達の提案で休業することになっただけのこと。
「いや、ラウル達の提案で休業したんだよ。もうアイツらは俺が居なくとも問題ねぇから休業なんざする必要も無かったんだがなぁ」
「それは少しでも貴方と一緒に居たいからよ。あの子達にとって貴方は家族の一人なのよ」
いつ頃だったろうか? ラウル達が自分達を家族と呼び始めたのは。
それはエンケリア村に向かう前日にロイから言われたことが始まりだった。
エルナとラウルからは三年前に時の悪魔の魔法で過去に時間跳躍した後ぐらいだったと思うが、三年経てども家族と称されるのは馴れない。
馴れないが以前の自分なら家族と称される事を心から嫌がったが、今は違う。
「家族ってのも悪くはねぇな」
普通の家族とは違う。
血の繋がらない家族、一つ屋根の下で温かな食事を共に摂る。
ありふれた当たり前の光景。
傭兵が得難い光景にむず痒さを覚えるが、やはりそう言った何気ない日常も良いものだ。
自身を育てたボスの家族とは得られなかった確かな繋がりは、スヴェンにとってこの世界で大切なものになった。
もう一つの結末を思案するほどに。
「それならやっぱり帰還をやめたら?」
いくらテルカ・アトラスで得た家族のためとは言え、自身が決めた事を今更曲げることは無い。
デウス・ウェポンの状況が如何なっているかは推測の段階でしか判らないが、一度覇王エルデと会う必要が有る。
自分なりのケジメとやり残しを片付けるために帰還は絶対だ。
あのイカれたクソ女ならいずれスヴェンの居場所を特定しかねない。
もう傭兵が必要とされないなら都合が良い。リサラを殺す絶好の機会を逃す手は無い。
最もリサラにとって自身に殺されることも思惑の一つなのだろうが、あの女はあらゆる勢力や組織と繋がりを持っている危険人物だ。
それこそ自身の欲望の為に秩序を平然と破壊してしまうほどに。
「俺にはやり残しがあんだよ。それにあの女の動向が気掛かりだ」
「リサラね……傭兵に依頼を斡旋しておきながら場を掻き乱すだけ掻き乱し、時にはウィルス兵器の開発支援なんかもしていたわね」
「相棒が死ぬ事になったあの依頼もあのクソ女が関与してんのは調べが付いてたんだがな」
リサラを殺した所でリノンは戻らない。
自身の空虚な心がリノン殺害を諦めさせ現在に至るが今は違う。
リサラは確実に殺さなければ何もかも無駄に終わる。覇王エルデが統一したであろう世界も再びリサラの気紛れ一つで崩壊してしまうのだ。
それだけリサラは自分勝手で影で他人を弄び、戦乱を呼び起こす。
それはかつてのスヴェンなら望んだ戦争の在る世界だが、誰しもが当たり前に生きていける平和な世界の方が価値が有る。
起床して家族と朝食を摂り、他愛のない会話。
それは普通に生きてる者なら当たり前の日常だが、その変わらない日常こそに価値が有る。
平和とは何かを自身なりの解を導き出したスヴェンは曇る表情を浮かべるリサラに視線を移した。
「なんであの女は貴方に狂愛を向けるのかしら?」
思えば傭兵派遣会社に登録してから目を付けられていたが、なぜ狂愛を向けるのかは今でも理解が及ばない。
「奴の趣味嗜好なんざ興味はねぇし、迷惑してたところだ」
スヴェンがため息混じりに答えるとリノンは思い出したように、
「そういえば話は変わるけど、私って貴方にフラれたじゃない」
唐突に一年目の冬に告白を断った時のことを口にした。
「なんだ突然? あの時と今も俺の気持ちも考えも変わってねぇぞ」
「あぁ、そこは大丈夫よ。私も未練はもう無いもの」
ならなぜ話題にしたのかますます判らない。
リノンにとって傷を開く事になりかねない話題だと思うが。
スヴェンは彼女の聴きたいが判らず眉を歪める。
「結局貴方は人の愛情に付いて理解できたのかしら?」
リノンの告白を断った際に自身は人の愛情を理解できずまた人を愛せないことを伝えた覚えが有る。
彼女が死者の記憶に引っ張られているというのも有る。
だがそれ以上にスヴェンはまだ深くまで愛情を理解していない。
それに人殺しで血に汚れた自身と欠落した感情を抱えたまま、異性と付き合おうとも思えないのだ。
「いや、まだよく判んねぇな」
「でも人から向けられる感情を察してる辺り、貴方は朴念仁や鈍感よりたちが悪いわね」
他者から向けられる感情は傭兵として敏感だが、恋愛感情に関しては未だなぜ向けれらるのか理解ができない。
だが決まって愛情を向けて来るレーナとミアは心から想っていることだけは理解ができた。
それは彼女達の想いを断ろうとも変わることが無いほどに。
「……そうかもな」
「姫様とミアも大変ねぇ」
自覚はしている。レーナは自身の召喚契約を結んだ相手でも有るが、それ以上に彼女は好意と愛情を向けて来るようになった。
異界人の自身よりも彼女を当然のように愛して幸せにできる者は多いというのに。
「断っても姫さんとミアの感情が変わらねえんだ」
「……貴方は濁したりしない辺りまだマシよね」
「いつまでもそのままってのは不義理だろ? 恋愛感情なんざ理解しなくともな」
「良いんじゃないかしら? 貴方に変わらない愛情を向ける人は貴重よ。それとももうこの世界には戻らないつもりなの?」
幾度も思考したが未だ結論には至らない。
デウス・ウェポンのやり残しを終えた後、戦争も無くなったあの世界からレーナの召喚物として生きる道も有る。
だがそれで良いのかさえ未だ結論が出せないのだ。
「……さあな、そん時に考えるわ」
以前の自分なら迷わずデウス・ウェポンで生活を続ける事を選択したが、三年の間で得た縁が考えを変えてしまったらしい。
その結果が迷いを生じる事になったが迷ってこそ人の人生だ。それも悪く無いっと思いつつスヴェンは長椅子から立ち上がり、リノンに別れを告げてアトラス教会を去った。