五月三十日、スヴェンとミアがメルリアを出発した頃。
エルリア城の謁見の間で玉座に座るレーナは、膝を突くラオに告げる。
「メルリアでの任務ご苦労様。報告は事前に受けているけれど、改めて貴方の口からあの地で何が有ったのか聴かせて貰えるかしら?」
「承知。姫様もご存知の通り、メルリアでは全子供達が誘拐される前代未聞の事件が発生。我々騎士団が事態に気付いたのは十日前のことでしたな」
事態に気付くのが遅れたのはメルリアの住人が邪神教団に脅され、魔法騎士団に通報しなかった影響も有る。
しかし通報を受け直ぐに動けたかと問われれば、邪神教団に人質に取られたアルディアの件もあり形だけの調査になっていた。
それ以前に城内部に入り込んだ内通者の調査と洗い出しに時間をかけ過ぎたのも事実。
「えぇ。丁度その頃だったわね、内通者の移動先と邪神教団の潜伏先を知ったのは」
いつも邪神教団が行動を起こした時に思うーー自分が王家の者でもなく国家に帰属しない単なる個人だったらと。
それはそれで自身の扱える召喚魔法の影響であらゆる国から監視と警戒されるだろうが、邪神教団に表立って行動を起こせない魔法騎士団の歯痒さを想えば自身の想いなど小さな問題に過ぎない。
「おかげで我々は、表向きは治安維持調査及びモンスターの討伐任務としてメルリアに入る事も出来ましたがね。しかし現場に向かい、出来たことと言えば任務を進め軽犯罪の摘発、アトラス教会が地下遺跡に侵入するルートを提示するだけでしたがな」
「貴方達が事を進めている最中に丁度スヴェンとミアが到着したけど……報告書には彼らとアトラス教会の間で協力関係は結ばなかったと有ったのだけど、原因はやっぱり?」
レーナはスヴェンの底抜けに冷たい眼差しを思い出しながら、苦笑を浮かべるとラオも同じ結論に至ったのか渋い顔で頷く。
「スヴェン殿の眼を見たノルエ司祭は、恐らく戦場の中でしか生を実感できない彼の本質を危惧したのでしょうな」
確かにレーナから見てもスヴェンはそんな眼をしていた。
少なくとも数回言葉を交わしただけだが、彼と会話してみれば眼から感じる印象など些細に思えた。
とは言えスヴェンの全てを理解し、知ってる訳では無い。彼に対して他者が抱く印象も決して否定できないのだ。
「ノルエ司祭にも困ったものね。なまじ観察眼がずば抜けてるから本質を見落としてしまう……けれど今回は別行動が功を成したとも言えるのかしら?」
ミアから速達で届いた報告書には、邪神教団の注意がアトラス教会に向いてる最中、スヴェンが地下遺跡に潜伏していた邪神教団の信徒を蹴散らし、異界人の鳴神タズナを捕縛したと記されていた。
その件を含め話題にするとラオも豪快な笑みを浮かべ、
「ええ! スヴェン殿は地下遺跡内部に潜伏していた邪神教団の信徒を叩き……異界人の捕縛は愚か洗脳された子供達を気絶させ無力化! 誠に天晴れな活躍振り!」
珍しく大手を広げて喜ぶラオにレーナは小さくくすりと笑う。
スヴェンを頼って正解だったと改めて思える程に。
しかし、レーナはラオの耳がぴくりと動いたのを見逃さなかった。
彼は何かを隠す時、無意識に耳が動く。幼い頃から付き従う副団長ラオの癖にレーナはじと眼を向ける。
このまま訊ねてもラオは決して話さないだろう。彼は秘密を話すほど軽い口をお持ち合わせてはいないからだ。
しかし、魔法大国エルリアではファミリーネームを隠す風習が有るーーファミリーネームを教えるのは忠誠を誓う相手か、信頼を寄せる人物に限られる。
フルネームを利用した呪いを避け、家族を危機から護る為の制約魔法の一つだがーーラオが隠し事を話すにはフルネームで『命令』すれば良い。しかし彼がいま話さないのは恐らく自身を気遣ってのことだろう。
「貴方が何を隠してるのか、今は聴かないでおくわ」
ラオの隠し事、そしてミアの直筆に滲み出た迷い。
それは恐らくスヴェンに関する事なのだろう。
告げるべきか告げないべきか。本音を言えば異界人をはじめスヴェンの状態は正確に告げて欲しいが。
「……出ていましたかな?」
何食わぬ顔で頬を掻く彼に、レーナは笑みを浮かべる。
「えぇ」
「癖とは中々抜けないものですな」
それ以前に根が正直なラオには隠し事は向かない。
レーナはそんな事を内心で思いつつも、ラオの報告に耳を傾ける。
「……事後処理に関してですが先に腰骨を粉砕骨折した鳴神タズナ及び捕縛された邪神教団の信徒を回収。事後をレイとノルエ司祭に託した」
報告書通りの内容にレーナは頷き、やがて以前から気になっていた人物に関する話題に移す。
「ところでメルリアに来ていたらしい、彼女とは会えたのかしら?」
話題の切り替えにラオは深妙な表情を浮かべ、次第に頭を掻きはじめ、
「そ、その……接触は出来たのですが、保護には失敗しまして」
言い辛そうに言葉を濁した。
元々素直に保護を受け容れるとは思ってもなかった。
彼女は封神戦争当時に邪神から呪いを受けた一族ーーそして生きた封印の鍵の一つでもあり、呪いに生かされ続ける身体を持つ女性だ。
「それで、彼女はどうしたの?」
「呪いがエルリア王家に災いを齎す事を避けるため、まだ旅を続けると」
ラオの言葉にレーナは眼を瞑った。
彼女の呪いは非常に厄介だと歴史書にも記されるほどだ。
一定期間その場に留まれば、破壊と腐敗の呪いが周辺一帯にばら撒かれ厄災を齎しーー腐敗した大地による自浄作用により強力なモンスターが発生する。
それでも歴代のエルリア王家は一度彼女に危機を救われたことが有る。だからいつか先祖が受けた恩義を返したいのだが、彼女が旅を続けるのなら意志を尊重する他にないのも事実。
「出来れば王家として邪神復活の懸念も有る彼女を保護したいのだけど……そもそも烏滸がましい提案だったわね」
「……あの人とは幼き頃から何度も会ったことが有りますが、自分の事は自分で解決しないと気が済まない頑固者でしたからな」
当時を懐かしむラオの様子に、レーナの頬が綻ぶ。
「そう、頑固者なら仕方ないわね。……ところで接触できたのなら、いま彼女が名乗ってる名は聞けたわよね?」
「えぇ、今は
ノーマッド。レーナは自身にその名を刻み込むように何度も反復した。
自分が生きてる限り先祖がノーマッドから受けた恩を忘れない為にも。
そしてレーナは次に訊ねるべき報告に頭を痛め、表情を歪ませた。
様子を見守っていたラオも心中を察したのか、
「ご心労痛みいりますな。しかし鳴神タズナに対する処遇は厳選な判断で決めなければなりませんぞ……殺されたフリオ達の為にも」
厳格な態度で告げた。
罪を犯した異界人に対して甘い処遇は決して赦されない。
召喚政策を始めた頃から覚悟していたことだ。
ーー召喚した私も罪の一旦を担ったとも言えるわ。
異界人を召喚しなければ国民が異界人に殺されることも、邪神教団に寝返ることも無かった。
これまでレーナは、依頼を途中で諦めた者や邪神教団に惑わされ罪を犯してしまった者に対し、この世界に関する記憶消去を施したうえで帰してきた。
しかし、今回のように旅に同行したフリオの殺害をはじめ……数々の罪を犯した異界人を赦せる筈もない。
ゆえにレーナは厳格な表情でラオに告げる。
「厳選に彼の犯した罪を執政官と審議したうえで決めるわ」
口ではそう語るがもはや形と形式ばかりの裁判だ。
「例の如く、再認、摩耗、消滅の三刑に処されるでしょうけど」
己の犯した罪を自身の第三者の視点として再認識させ、犯した罪の重さだけ魂を摩耗させ、肉体と魂を永久に消滅させる魔法を使用した処刑方法。
これは、エルリア国内で国民を六人も殺害した重罪者に適応される処刑方法だ。
やがてレーナは一息吐き、
「……スヴェンが次に向かう到着する場所は、農村ルーメンだったわね」
彼の次の行き先を呟く。
貿易都市フェルシオンに向かうには、ファザール運河を越える必要が有る。
その為にはルーメンを経由し、ファザール橋を越える方が速い。
同時にレーナは次に公務で訪れる場所を思い出す。
「……ラオ、次の公務地での護衛は私が用意するわ」
「ほう、もしやスヴェン殿ですかな?」
「えぇ。傭兵の彼に魔王救出とは別件にね」
今回の公務は素性を隠して内密に行わなければならない。
その点を考えればあらゆる面倒がスヴェンにも降り掛かるが、王家の者としてあの地に漂う暗雲を見逃す訳にもいかない。
レーナは波乱を予測しては現在進行形で進めている例の計画を急がせるべきだと判断し、
「報告は以上かしら?」
そう訊ねるが、ラオの報告はまだ終わる事は無かった。
街道整備、出現したタイラントが如何にして放たれたのか、またその実行犯に付いて報告をレーナは受けることに。