星灯りが灯す夜。様々な方向からモンスターの遠吠えが鳴り響く静寂と安心安全とは程遠い一夜。
ルーメンとメルリアの間に聳える森と川の近場でスヴェン達は焚火を囲んでいた。
焚火が揺らめく炎の脇で、ハリラドンが木製のバケツに山盛りに入った干草を食べる。
赤茶色の髪の赤子には何度も薄めたミルクを与え、腹が満たされたのか今ではミアの側で眠っていた。
そして自身の膝下に視線を向ければ、木製の皿に盛られた焦げた干し肉と色の悪いスープに息が漏れる。
「ご、ごめん。少し失敗しちゃった」
そう言って詫びれた様子で謝るミアを他所に、スヴェンは何も言わず焦げた干し肉を口に運ぶ。
どんな食事もデウス・ウェポンの食事擬きよりは遥かにマシに思えたからだ。
現に苦味は強いが、食えない訳でも腹を壊す心配もない程度だった。
「平気なの?」
アシュナの疑う眼差しにスヴェンは、咀嚼した干し肉を呑み込む。
焦げ味がするが肉の食感と肉汁に混ざる塩分に不味いとは思えない。
あの科学の叡智を結晶させて製造したと謳う食事擬きと天然自然の新鮮な食事を加工した食材では天地の差……いや、比較するのも烏滸がましい。
「クソ不味いデウス・ウェポンの食事擬きと比べればなぁ」
訳が分からないと言わんばかりに首を傾げるアシュナに、ミアは何とも言えない表情で自身の作った料理に視線を落とす。
「可笑しいなぁ。干し肉は火で炙るだけ、スープも用意されてた食材で作ったのに」
そんな彼女の疑問にスヴェンは考え込む。
ミアの調理工程に何か問題が有った。
しかしスヴェンは料理をしないから調理工程で何が正しく間違いなのかが分からない。
傭兵として必要最低限のサバイバル能力は備わっているが、そもそもレーションさえあれば料理をする必要が無かった。
食材に恵まれた豊かな世界に生きるミア達は、普段から料理など作るのか? そんな疑問がふとした瞬間に湧く。
「アシュナは料理できんのか?」
「やったことない」
料理を全くしないと自信満々に語るアシュナから視線を外し、次にミアに視線を移す。
するとミアは頬を掻きながら答えた。
「えっと、小さい頃は実家のお母さんが……ラピス魔法学院の初等部に入学してからは学食で、治療師として城勤めになってからは食堂で食べてたから」
ーー確かに城の飯もまた食いてえ程に美味かったな。
この面子は誰も料理ができない。そもそも料理を造る必要性が無い環境に居ればそれは必然とも思えた。
ただ、お互いにはじめて知った事実に焚火を挟んで赤子の寝息だけが響く。
▽ ▽ ▽
沈黙が続く食事を終え、アシュナが赤子を連れて荷獣車の天井裏に引っ込んだ頃だった。
何を思ったのか、ミアが隣に座り込んだのは。
「なんか用でもあんのか?」
そう訊ねれば静かに頷くばかりで、どうにもミアの表情が優れない。
「用があんならとっとと済ませて寝ろ。明日も速いだろ」
するとミアはこちらに顔を向け、しばしこちらの眼を見詰めてから漸く口を開く。
「上着脱いで」
突飛もない言葉に一瞬だけ彼女を睨むーーそういや、コイツは治療師だったな。
重傷を負ったスヴェンを治療したのは他ならないミアだ。なら彼女が突飛もなく上着を脱げと言った理由にも納得がいく。
スヴェンは無言のまま背中のガンバスターを鞘ごと地面に降ろし、防弾シャツを脱いだ。
「あ、相変わらず……す、すごい身体」
気恥ずかしさと羞恥心から頬を赤く染めたミアの様子にため息が漏れる。
単なる検査に過ぎないうえに、治療師ならこういった機会が増えるだろうに。
それはそうとじっと上半身を興味深そうに見詰めるミアにスヴェンの方から訊ねる。
「身体に違和感がねえが、何を調べるつもりだ?」
言われて漸く気が付いたのか、ミアは慌てて取り繕ったような笑みを浮かべた。
ミアも歳頃の少女だ。異性の身体に興味を示す頃合いのだろうーースヴェンは勝手に納得してミアから視線を晒す。
するとミアは上半身の至る所、特に深傷を負った箇所を重点的に触れはじめた。
「……さっき何処も違和感は無いって言ってたけど、痛みとか吐気は無い? 眩暈や視界の色素が抜けて見たりとか」
「いや、特にそんな症状もねえな。……強いて言うなら食い足りないってところか」
「それはスヴェンさんがまだ回復しきってない証拠だよ。あと単純にご飯が美味しくないから」
そう言ってミアは杖を構え、
「……この哀れな狼に癒しの水よ」
以前聴いた詠唱とはまた違った詠唱を唱えた。
そして杖の先端に構成される魔法陣が淡い水色の光りを放つ。
なんとも言えない心地良さと安らぎを感じさせる光りの温もりに息が漏れる。
同時に完治とまではいかないが、殆どの傷は癒えた状態だ。にも関わらず唱えられた魔法に疑問が湧く。
「今の治療魔法に何の意味があんだ?」
「今の魔法は念の為にだよ。戦闘中に塞いだ傷がまた開くのは嫌でしょ?」
「確かに戦場で何度か傷口が開くことは有ったな。……その度に生きた心地がしねえ」
出血に視界が霞み、頬を掠める銃弾や刃。戦場には常に万全の状態で臨みたいが、そうも言えない状況が時として起こる。
拠点に対する夜襲や襲撃、行き付けの病院で細胞治療中に施設ごと爆撃されることもデウス・ウェポンではよく有ることだ。
「それと……その、やっぱり私があの信徒を怒らせたからだよね?」
彼女は重傷を負った原因は自分に有る。そう語る罪悪感を宿した眼差しに、スヴェンは無言でミアの額にデコピンを放つ。
ゴチンっ! いい音が星明かりの下に響き渡る。
「いったぁぁ!? なにするの!?」
「重傷をテメェの責任だと勘違いしたバカにはコイツが充分だろ」
「か、勘違い?」
痛む額を摩りながら訊ねるミアにスヴェンは頷いた。
あの信徒の自爆はミアが怒りをぶつけなくとも、敵がこちらを巻き込む覚悟で放ったーー文字通り邪神に対する信仰心によって。
恐らくあの信徒はガンバスターを突き付けた時点で自爆を決意していた。
これは単なる推測と結果論に過ぎないが、そうでも考えなければあの状況下での魔力の巡りに説明が付かない。
「奴はあの時から既に俺達を道連れにする算段だった……ま、予想外なのは殺した筈が発動を止められねえことだがな」
「……禁術の中には自爆も有るって知識としては知ってたけど、具体的な方法とか詠唱も知らなかった。禁術にたいしてもう少し知識が在れば少なくともあの結果にはならなかったと思う」
ミアは自らの知識不足に眼を伏せた。彼女なりに至らない点を反省し、次に繋げようとしているの事が表情からも見て取れる。
確かに自身も禁術に対する知識が不足していた。だから手痛い反撃を受けたと。
ーーコイツはミアだけの問題じゃねえ、俺にも必要な知識だ。
「何処かで禁術を識る必要があんな。そん時はアンタが学院で学んだ知識を頼らせてもらうが、それで文句はねえな」
「私の知識……スヴェンさんは責めたりしないんだ」
「あん? 怪我は自爆に対する警戒を怠った俺の責任だ、だいたいデウス・ウェポンじゃあ即死だぞ……それとも次はデコピンよりもグーの方がいいか?」
拳を握って見せれば、ミアが顔を全力で横に振る。
そもそもミアは自爆に対して負い目に感じてるが、あの場所に彼女が居なければ死んでいたのはスヴェンだ。
だからミアを取り分け責める気もさらさら無ければ、元々気にもしてない。
それはそうと六月に入ったばかりとは言え、いつまでも上半身を晒すのは忍びない。
「もう診察は終わりか?」
「あっ、うん。もう着ていいよ」
スヴェンは手早く防弾シャツを着て、ガンバスターを鞘ごと背中に背負うーータイミングが良いのか悪いか、複数の唸り声と足音にスヴェンはため息混じりにガンバスターを引き抜く。
薄暗い地点から聴こえる足音、姿も見えないモンスターを相手にするのは自殺行為だ。
スヴェンは手早く焚火の火を足音がする方向に放り込む。
すると火の灯りがなんとも不思議なモンスターの群れを捉える。
頭部は三つに別れた狼だが胴体は獅子に近く、尾は生きた蛇といったチグハグに思えるようなモンスターだった。それが涎を滴らしながら六頭も居る。
おまけに唾液は強い酸性を含んでいるのか、滴れた草花が一瞬で溶け、異臭が鼻に付く。
少なくともスヴェンが識るモンスターとは到底かけ離れてる風貌だ。
「奴に対して知識は有るのか?」
「えっ? なにあのモンスター……あんなモンスター見た事も聴いたことも無いよ」
ミアでさえ知らない未知のモンスターにスヴェンの眉が歪む。
いずれにせよ視界の悪い夜間でモンスターと戦闘するのは自殺行為だ。
「ハリラドンは夜道も平気か?」
「うん、あの子達の視界は昼夜も関係ないよ」
そうと決まれば結論が出るのは直ぐだ。
「俺が時間を稼ぐ。その間にアンタはハリラドンを走らせろ」
「……分かった。でも気を付けてよ?」
スヴェンは頷き、ゆっくりと未知のモンスターーアンノウンに近付く。
六頭のアンノウンはスヴェンを取り囲むべく、周囲を緩やかな足取りで包囲するように動いた。
囲まれては厄介だ。そう判断したスヴェンは、囲まれないように距離を保ちつつガンバスターを構える。
中々距離が縮まらないことに痺れを切らしたのか、一頭のアンノウンが魔法陣を形成した。
それを合図に他のアンノウンも続く形で魔法陣を形成する。
今のスヴェンにはアンノウンの魔法を止める手段が無い。
加えて.600LR弾の残弾が四発、しかも今のスヴェンでは銃弾の魔法陣を発動させることもできず、モンスターの障壁を貫くことは叶わない。
ーーなら、魔法を誘発させ魔力を減らすか。
目的は単なる時間稼ぎだが、魔法騎士団に報告するだけの情報も欲しい。
スヴェンは膨張する魔法陣に身を屈めるーーやがて一つ一つの魔法陣から放たれる影に眼が行く。
その影はゆっくりと暗闇が広がる地面に落ちると、影が暗闇に溶け込む。
スヴェンは焚火の側まで飛び退くことで奇襲を警戒する。
案の定とも言うべきか。先程までスヴェンが立っていた位置に無数の影が剣山のように突き出るではないか。
ーーあのタイラントといい、地面に何か生やすのはモンスターの間で流行ってんのか?
いずれにせよ灯りから離れるのは得策では無い。
むしろ影の存在がスヴェンの行動範囲を狭めた。
先程のように焚火の火を放り投げれば、幾らか視界と移動範囲を確保できるがーースヴェンは密かに荷獣車の方に視線を向ける。
既に準備が整ったのか、ハリラドンがミアの手綱によって動き出す。
ーーもう少し情報が欲しいが、時間切れか。
スヴェンはこちらに向かう荷獣車の屋根に飛び移り、
「このまま逃げろ!」
闇に紛れ駆けるアンノウンに警戒を向ける。
しかしアンノウンの脚はそう速くは無いのか、ハリラドンが引く荷獣車はあっという間に距離を引き離して行く。
ーーあのガキの家族を襲ったモンスターは連中じゃねえな。
スヴェンは他にも厄介なモンスターの存在を認識しつつ、荷獣車の中に戻る。
すると眠そうなアシュナと今にも『抱っこしないと泣くぞ!』と言わんばかりに涙ぐむ赤子に息が漏れた。
仕方なく赤子を抱っこしてやり、目を擦るアシュナに視線を向ける。
「アンタは休んでおけ」
「モンスターに遭遇した後、まだ頑張る」
確かにアシュナが起きていればモンスターの相手が多少なりとも楽になるだろう。
「……またモンスターが来た時は頼らせて貰う」
アシュナは腰に挿した二振りの短剣に指を滑らせ頷く。
同時にスヴェンは手綱を引くミアに視線を向けると、
「私は大丈夫だよ。これでも三徹は余裕だからね!」
こちらの意図を察したのか、顔だけ振り向き平気だと言わんばかりに微笑んで見せた。
突然のモンスター襲撃にも動じない少女達にスヴェンは頼もしさを覚えながら腕の中で眠る赤子に視線を向け、
「コイツは将来大物になるな」
感心を宿したため息が暗闇の中に響き渡る。