アンノウンの追撃を振り切り、漸く休めたのは農村ルーメンの守護結界領域に到着した頃だった。
整備された街道の両脇に広大に広がる農地にスヴェンは首を傾げる。
アーカイブで閲覧した農地とは違い、白い灰を被った農地に疑問が湧く。
「一面真っ白だな、それに何も育ててねえのか?」
何も植えられていない寂しい畑にミアは深妙な顔付きで答えた。
「もう2年になるかな。ルーメンの農地が異界人の作った肥料で塩害になっちゃったのは」
大量の塩分によって起こる被害だとは知識では知っているが、肥料にどれだけの塩を混ぜれば広範囲で塩害を引き起こせるのか。
「肥料に大量の塩を? ってか、大事な農地を異界人に弄らせるわけもねえか」
「うん。元々エルリアの農地は畑の地中に分離と増殖の魔法で肥料を効率的に拡散させて何千年も成長させてきたんだ」
魔法と肥料を使った農地がたった一度の不純物が混入しただけで壊滅的な被害を受けた。
元々塩害の被害は海風や地中の塩分が溶け、地上に噴き出したことで起こる自然現象だが、なぜ異界人は海とは遠い内陸部のエルリアで塩を混ぜた肥料を使おうと考えたのか。
そもそも異界人にとっては単に少量程度の塩分だったが、分離と増殖の魔法が致命的に相性が最悪だったと推測もできる。
不幸な偶然とも考えられるが理由など判らない。ましてや異界人が善意にせよ、実害を出されたルーメンの農民が恨みを抱かない筈が無い。
「塩害は分離の魔法でどうにかな成らねえのか?」
「えっと、増殖の魔法陣を一度停止させて塩分を分解させてるらしいんだけど、それでも時間が掛かるんだって。それに別の土地から土を持って来ても土地の性質と相性で適した土を造るにも何年もかかるから難しいかな」
塩害で駄目になった畑の再生には時間を要する。
農地の生産性低下がどれだけエルリアに実害を齎すのかは判らないが。
「異界人を止める奴は誰も居なかったのか」
「当時同行していたラフェットさんが、異界人に魔法と土地の性質を説明して止めたらしいんだけど……何者かに唆されたって報告が有ったの」
異界人を唆した第三者の存在。そんな事をして得するのは普通なら敵対国だが、エルリアの周辺国は友好同盟を結んだ国家ばかり。
そもそも魔法技術を各国に提供するエルリアを敵に回す真似などしないだろう。
時期を考えれば必然的に第三者は邪神教団に限られる。
尤もスヴェンが把握している状況から推察した結果に過ぎない。
実際には他の農村による嫉妬や嫉みの可能性もある。
「第三者か。ルーメンの農民か邪神教団の工作か……何方にしろ農民にとっちゃあ迷惑な話しだな」
「そうだね。幸い畜産業も盛んだから収入と飢える心配も無いし、姫様から補填されてるから生活の心配も無いよ。だけど、やっぱり若者離れが深刻化しつつ有るみたい」
「……まぁ、どの道俺は荷獣車で寝泊まりが確定ってことだな」
そもそもこれだけの被害を被った状況で村に入れて貰えるのかさえ怪しい。
「治療師としてスヴェンさんにはベッドで眠って欲しい所だけど?」
「屋根さえありゃあ何処でも十分休める。少なくとも爆撃に怯えながら過ごすよりはマシだ」
「……一応私の方でも交渉とまではいかないけど、スヴェンさんが無害だってことは伝えておくよ。赤ちゃんのことだって有るし」
果たして塩害被害に遭ったルーメンで赤子の引き取り先か現れるのだろうか?
スヴェンは疑問を浮かべながら、ミアが手綱引く荷獣車の中で今後の事に付いてしばし思考に耽った。
▽ ▽ ▽
柵に囲まれた村の中から動物の鳴き声が響き渡り、荷獣車がルーメンの門に到着すると。
「お嬢ちゃん。ルーメンには通行、それとも旅行かい?」
「旅行ですよ。ルーメンには通行の為に1日、2日の滞在を予定してます」
「そうか、なら荷獣車の中身を見させてもいいかな?」
「ルーメンはいつから出入りが厳しくなったんですか」
「先日メルリアで子供達が誘拐されるなんて事件が起きたろ。それで村長も慎重になってさ」
「そうなんですか。でもメルリアの件はあまり知れ渡って無い印象でしたが……」
「あぁ、その事なら昨日の夕暮れ頃にアルセム商会の隊商が訪れてな。ほら、もう時期フェルシオンで闘技大会が行われるだろ?」
「そういえばもう6月ですもんね。うーん、順当に行けば闘技大会に間に合えば良いんですけど」
スヴェンはミアと門番の会話、特にアルセム商会と聴いた途端に背筋に悪寒を感じ取っては嫌そうに眉を歪める。
ーーアルセム商会……いや、まさかな。
出来れば会いたくも無い人物の顔を浮かべないように努め、荷獣車に近付く門番の足音に息を吐く。
果たして村に入れるのかどうか。問題はそこからだろう。
スヴェンは搬入口が開かれ、太陽の光に顔を顰めた。
「荷獣車の中に男と荷物……側の物騒な武器と風貌からして異界人か。悪いが村長命令により異界人を村に入れることはできない」
異界人に対する憎しみを宿した眼差しを向ける中年の門番に、スヴェンは背中にガンバスターを背負い大人しく荷獣車から降りる。
しっかりと赤子を抱きながら。
「……ちょっと待ちなさい」
「あん? 俺は大人しく従っただけだが?」
「いや、それについては問題は無いさ。だけど……なぜ赤子を連れている? まさかあちらのお嬢ちゃんとの子か」
勘繰る門番にスヴェンは嫌そうな眼差しを向けた。
「それこそまさかだろ……このガキはメルリアの守護結界領域の近場で拾ったんだよ」
モンスターの生息地域に位置する街道で赤子を拾った。
そう伝えるだけで門番は、赤子を襲った悲劇を容易に察したのか憐憫な眼差しを向ける。
「可哀想に。旅行者や行商人がモンスターに襲われることは常だけど、こんな赤子を残さなきゃならない親御さんも無念だったろうに」
門番は祈るように手を合わせた。
この世界なりの死者に対する祈りにスヴェンはミアの下に歩き出す。
「赤子の引き取り先はアンタに任せる」
抱いた赤子をミアに手渡すと、彼女は不満気な眼差しを門番に向けた。
「……村の事情は把握してるけど、スヴェンさんが泊まれそうな場所は無いの?」
訊ねられた門番は困り顔を浮かべ、明後日の方向に顔を背ける。
「村長命令は絶対だ。だけど、此処から少し歩いた場所に牧場跡地が在る」
意外と融通を利かせる門番にスヴェンは、彼が顔を向けている南西の方角に顔を向けた。
確かに村から多少歩いた距離に牧場らしき建物が見える。
比較的近い場所、村からも監視しやすい位置だ。
ーー性に合わねえが、勝手に動き回んのは得策じゃねえな。
勝手に動けば村に滞在するミアとアシュナに悪影響を及ぼす。単なる同行者の二人を異界人が直面する問題に巻き込むのも性に合わない。
スヴェンは改めて門番に向き直り、
「寝れる場所があんなら何処でもいいさ」
気楽に答えて見せた。
そんな様子に門番が意外半分と、何故こうなったのか訳を話す。
「……異界人の割に逞しいんだな。でも悪く思わなでくれ、俺も村人も姫様を尊敬してるし敬愛してもいる。ただ、それ以上に王家からこの土地を任された先祖が代々護ってきた土地を害された俺達の憤りを、理解しろとは言わないが……なんとなく判るだろ?」
何千年も護ってきた土地をこの世界の人間ですらない人物に害される。
確かにそれは護り通してきたルーメンの村人からしても憤り、異界人を恨んでも仕方ないと納得もすれば理解も及ぶ。
「……元凶の異界人はどうなった?」
誰かに利用された異界人に付いて訊ねると、門番は眉を歪た。
「奴の行動は農地を更に豊かにしようとした善意だった。むろん、彼に悪気が有った訳でも殺人を犯した訳でも無い。だから姫様は異界人を元の世界に返還したのさ」
彼が握った拳から滲み出る血が、異界人に対して恨みをぶつけたいと語っていた。
しかし、もう事件を起こした異界人はテルカ・アトラスには居ない。
門番もルーメンの村人も怒りを発散出来ず、忘れようとも農地に刻まれた塩害が忌々しい記憶として刻む。
異界人の起こす事件はスヴェンの想像以上に根が深い。
さっそくスヴェンが魔王救出を成功させたところで、異界人に対する評価は覆らないだろう。
そもそも赤の他人が引き起こした問題の為に行動する気にもなれない。
「そうかい……一つ警告しておくが、俺を害そうなんざ考えるなよ?」
スヴェンの警告に門番は顰め面で渋々といった様子で頷いた。
そんな彼を背中に牧場らしき建物を目指して一人歩き出す。