傭兵、異世界に召喚される   作:藤咲晃

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4-6.引取り先

 幸福に満ちた昼食も終えた頃、牧場跡地に白衣を羽織った村医者ライスが訪れた。

 ライスはスヴェンとミアに一礼すると、

 

「ルーメンで医者をしているライスという」

 

 丁寧な物腰と紳士的な笑みを浮かべるライスに、スヴェンは彼の青い瞳を見つめた。

 裏表も後ろ暗い気配もしない真っ当な人間。寧ろライスの視線は赤子に向けられ、同情と心配を宿した感情が強く伝わって来る。

 スヴェンはライスに優し気な真っ当な村医者という印象を受け警戒を解く。

 

「改めて私はミア、それでこっちの恐い目付きの人がスヴェンさん」

 

 ミアが簡潔的に紹介を終えると、ライスは握手の手を差し出した。

 なんとも汚れを知らない綺麗な手。人を生かすために使われてきた手だ。

 自身の汚れた手では彼の高潔な手とは釣り合わない。

 だからこそ彼の握手に応じる気になれなかった。

 

「悪いな、アンタと握手を交わす気はねえ」

 

 理由も告げずに断るとライスは残念そうに肩を竦め、代わりにミアが握手に応じる。

 ライスはスヴェンが抱く赤子に優し気な眼差しを向け、赤子も彼が心から優しいのだと察したのか。

 

「あーあ! ああぁ!!」

 

 笑い声を上げながらライスに両手を伸ばした。

 

「……抱っこしても?」

 

 何処か緊張した様子で訊ねる彼に、スヴェンは短く答える。

 

「あぁ」

 

 なんとなく彼に多くの言葉も話しも不要に思えたからだ。

 医者という立場の彼は出会って数分程度だが信頼できる。

 だからこそスヴェンはライスに赤子を手渡した。

 嬉しそうに喜ぶ赤子とライスの穏やかな笑みーー向けれた事もねえ笑みだな。

 自身が向けられた事も見た事も無い笑みを赤子に向けるライスに、スヴェンは一つだけ確認するように訊ねる。

 

「アンタの医者としての立場は信用してるが、金目的じゃねえよな?」

 

「……金よりもその子の生命と未来が大切だ。その子の親もそう思ったからこそ、宝箱一杯の金貨を遺したのだろう」

 

 確認の為に訊ねた質問だったが、改めてライスには無駄だと理解したスヴェンは頭を下げた。

 突然頭を下げたスヴェンにライスは愚かミアまでもが驚き、慌てふためく。

 

「アンタを試すような質問をしてすまなかった」   

 

 そんな不躾な謝罪の言葉に慌ていたライスは動きを止め、やがて冷静な眼差しをスヴェンに向ける。

 

「いや、良いんだ。スヴェンが試すのも理解できる……あの大量の金貨を見れば欲に眩むのもね」

 

 理解を示すライスにスヴェンは静かに頷く。

 

「えっと、それでライスさんはその子を引き取ってくれるんですか?」

 

「見た所、この子はスヴェンに非常に懐いている様子だ。この子を彼から引き離して良いものか」

 

 戦場を求め、金の為に殺しも厭わない傭兵と共に過ごすよりは、人を生かす為に奔走するライスの下で育った方が健全だ。

 そもそもスヴェンは子育てに興味無ければ、赤子の選択肢に外道の道を加えることも良しとはしない。

 

「俺は今はこの世界を旅行してるが、元の世界じゃあ傭兵だ」

 

 傭兵と告げるだけでライスは、スヴェンがどんな事をして来たのか漠然と想像したのか眉を顰める。

 ただ、ライスの見詰める眼差しは肯定はしないが否定もしない感情が宿っていた。

 

「なるほど、この子の未来を案じればこそか」

 

「そんな大層な理由じゃねえが、アンタなら間違えることも無さそうだ」

 

 ライスは意を決ししたのか、

 

「人は過ちを犯すものだ。しかし、この子が踏み外さないように丁重に見護る事を約束しよう」

 

 スヴェンとミアにそう宣言した。

 そしてライスは赤子に改めて視線を向け、

 

「今日から君の御両親に変わり、君を育てよう」

 

 改めて赤子に語り掛けた。赤子は言葉の意味も分からず無邪気にはしゃぐだ。

 するとライスはこちらに振り向き、そして口にした。

 

「スヴェン、君のことはこの子が物心付いた頃に話しても良いかね?」

 

「あん? 何をだ」

 

「君が命の恩人という事実を」

 

 元の世界に帰る。それは本来テルカ・アトラスに存在しないスヴェンが消える事を意味する。

 そんな居もしない幻想を赤子に遺すことにスヴェンは眉を歪める。

 

「3年もすれば元の世界に帰る人間を赤子に伝え聞かせる必要はねえよ」

 

 赤子にとって大切なのは、実の両親が身を挺して護ったこととライスに育てられた事実だけで充分だ。

 スヴェンはそう考え、言葉を続ける。  

 

「外道の俺なんざよりも、両親はモンスターから命懸けで護ったと伝えてやれ」

 

「……そうか。それもこの子の為か」

  

 ミアから疑念を宿した眼差しを向けられる中、スヴェンは村の方に視線を向ける。

 ライスが此処を訪ねてから既に一時間ほど経過している。そろそろ村の方でも彼を求める患者が訪ねて来るだろう。

 

「アンタはそろそろ行かなくて良いのか?」

 

「おっと、午後から健診の予約が入っているんだった。これで失礼させて……あー、大事な話しを忘れていた」

 

 大事な話し。一体どんな内容かと疑問を示せばライスは実に困った様子で語った。

 

「実は一昨日から不審な集団が村の近辺を彷徨いているっと話しが出ていてな……村に駐屯してる魔法騎士団は不審な集団の調査の為に不在なんだ」

 

 本来村を護る魔法騎士団が不在。加えて不審な集団が邪神教団なら魔法騎士団は手が出せなくなる。

 相手が邪神教団ともなればライスが不安を抱くのも頷けた。

 

「その不審な集団ってのは邪神教団か?」

 

「いや、遠目からになるが彼らが身に付けている白いフードは確認できなかったらしい」

 

 邪神教団とは関係ない不審な一団。もしや野盗の可能性が?

 スヴェンが見てきた範囲のエルリアは、夢物語りのような平和を誇っていた。

 邪神教団の問題が有るとはいえ、生活も満ち足りた平和な国に思える。

 そんな国で野盗なんて存在するのだろうか?

 

「……エルリアに野盗なんざ実在してんのか?」

 

 普通は居ても可笑しくはない野盗の存在を疑うと、

 

「エルリアじゃ珍しいけど、他国の野盗が流れ込むことは有るかな」

 

 ルーメン近辺に野盗が出没した可能性が浮上する。

 しかし、野盗の存在よりもスヴェンは昨夜遭遇した未知のモンスターが気掛かりだった。

 

「野盗なんざよりも、川付近で襲撃して来た未知のモンスターの方が気になるな」

 

「魔法騎士団に報告したいけど、不在だったんだよね。今にして思えば留守なのも肯けるけどさ」

 

 そもそもライスが何故スヴェンにこの話しを持ち込んだのかーー不在の魔法騎士団に代わって村の外だけでも見張って欲しいってわけか。

 ライスの目論みを察したスヴェンは、先程ブラックとクルシュナ宛に書いた手紙と荷電粒子モジュールをミアに手渡す。

 

「俺は単なる旅行者に過ぎねえが、それ以前に傭兵だ」

 

「金なら幾らでも払おう」

 

 今日からライスは赤子の親だ。子育てに必要な硬貨はミアが明け渡す予定だが、もしも彼が異界人を金で雇ったと村人に知れ渡ればどうなるかは予想が付かない。

 ライスな信頼度が高い点で言えば杞憂とも思えるが、それだけ異界人の評判も信頼も悪い。最悪ライスが村八分にされる可能性も有る。

 そうなってしまえば育ての親が見付かった赤子が不憫だ。

 

「さっき獣肉のチーズ乗せを喰ったんだが、アレがまた食いてえんだ……そいつに合う酒もありゃあ今回はそれで充分だ」

 

 だからこそスヴェンは金ではなく、物で対価を要求した。

 それに契約書を介さない口約束ならライスが疑われる可能性も低いだろう。

 

「……っ! 恩に着る!」

 

「その言葉はアンタの中に留めておけ……だいたい杞憂で終わる可能性の方が高えだろう」

 

 杞憂で終われば誰も心配などせずに済むが、メルリアで邪神教団が行動を起こしてまだ新しい。

 おまけに野盗と未知のモンスターの存在が、単なる不審な集団でさえ警戒対象に入る。

 スヴェンはそんな事を頭で考えては、

 

「もう用事も済んだろ」

 

 ライスの早めの帰宅を促した。

 言われたライスは赤子を愛おしそうに抱き抱えながら、ルーメンに歩いて行く。

 そんな彼の背中をスヴェンが見送る、その隣でミアが不満げな眼差しを向けていた。

 一体何が気に食わないと言うのか。スヴェンは考えても仕方ないと改めてミアに問う。

 

「何が不満なんだ?」

 

「……スヴェンさんは村に入れないのに、危険の前兆が有ると頼るんだなって」

 

 なにも彼女が不満に感じる必要性は無い筈だ。

 スヴェンは出掛けた言葉を呑み込み、ルーメンが被った被害を考えれば仕方ない処置だと思えた。

 

「魔法騎士団が不在なんだ、ライスだって頼りたくはねえだろうよ」

 

「それはそうかもだけど……いえ、私が不満を顕にしてもスヴェンさんは納得してるんだよね」

 

「ああ、納得もしてる。……いや、それよりも村に戻るんならアシュナに頼み事をしてくれねえか?」

 

「頼み事? アシュナに周辺の情報を探らせるとか?」

 

 小首を傾げながら正解を引くミアに、スヴェンは頷いた。

 

「……分かったよ、アシュナに頼んでおくね。それとさっき手渡された手紙と球体? どっちも速達で良いんだよね」

 

「ああ、球体と手紙はセットでクルシュナ宛にな」

 

 そう言ってスヴェンはミアに銅貨を手渡した。

 それから程なくしてミアがルーメンに戻ると、スヴェンは牧場跡地を静かに立ち去る。

 アシュナばかりに任せられない調査、それが単なる杞憂で終わればそれで良し。

 そうでなければ傭兵として動くまでだ。


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