貿易都市フェルシオンの中央区に到着したスヴェンとレヴィは、周囲を通行する人々の話し声に眉を歪めた。
『リリナお嬢様は無事なのか?』
『分からない。だけど、さっき港の用水路で全身の皮膚が剥ぎ取られた水死体が発見されたって』
『ぜ、全身の皮膚をだって!? なんでそんな猟奇殺人が……いや、被害者は誰なんだ?』
『……あまりにも惨過ぎて何処の誰かも分からないそうだ』
港の用水路で発見された全身の皮膚が剥ぎ取られた水死体。果たしてそれがリリナなのかは、生憎とスヴェンに確かめる方法は無い。
それとも全くの別人なのか。そんな考えを頭に、視界の先に映り込む巨大な塔に思わず足を止める。
スヴェンは隣りを歩くレヴィを他所に、町の中心に位置する時計塔を見上げた。
町を訪れた時は港の商船に眼を奪われたが、時計塔の高さは狙撃地点として有効な位置だ。
魔法の射程距離にもよるが、あの開放的な最上階は遠距離魔法に注意を向けるには十分だろう。
逆に開放的過ぎる最上階で狙撃に移ろうものなら、地上からはっきりと見える位置から多人数に目撃される。
それは狙撃地点としても落第点だ。従ってスヴェンは時計塔を警戒リストから除外した。
「時計塔が気になるのかしら?」
こちらの視線に気付いたレヴィの問い掛けにスヴェンは、彼女に視線を戻し歩き出す。
「いや、観光客らしく名所を見上げただけだ」
護衛対象のレーナーーレヴィには襲撃の脅威に曝されず、視察を無事に終えて欲しいものだ。
内心ではそう思う反面、傭兵としての経験と理性が望み通りにはならないと訴えかけてくる。
それも当然だと思えた。既にフェルシオンは何かしらの陰謀が渦巻いている状況だ。現に猟奇殺人が行われ、警戒を十分に引き上げる必要も有る。
スヴェンの内心とは裏腹に隣りを並走して歩くレヴィが、
「観光名所といえば、明日から闘技大会が開催されるわね。出場の受付は今日の夕方までだけど、貴方も出場してみる?」
事件の噂を敢えて話題に出さず、彼女の誘いにスヴェンは冗談はよしてくれと言いたげに肩を竦める。
「アンタの護衛が離れる訳にもいかねえだろ? 第一観戦する分にはいいが、見せもんになんのは願い下げだ」
そう告げるとレヴィは意外そうな表情で愛らしく小首を傾げる。
何の意図も無い天然で行われる仕草に、彼女の元々の美しさと愛らしさに魅了された通行人がレヴィに老若男女問わず一眼奪われていた。
ーーただの仕草でこうも注目を集めただと!?
スヴェンが内心で冷や汗を浮かべると訊ねられる。
「訓練はよく参加するのに?」
先程の返答に対する疑問。それとこれとは別だと話しを終わらせるのも簡単だが、訓練と大会における姿勢の違いもむろん有る。
「俺が訓練に参加すんのは生残る技術を磨くためだ。だが、大会は娯楽と腕試しだろ? 生憎と大会に参加してまで力を誇示してぇとも思えねえんだよ」
「なるほど……それじゃあ明日は一緒に観戦できるわね」
何処か嬉しそうなレヴィの笑みーーあぁ、自由に観戦もできねえのか。
彼女の立場では視察という名目が無ければ観戦も難しいのだろう。確かに王族の身に何か有れば大事では済まないのも事実だ。
そもそも以前、何かを理由にして護衛として連れ出すという提案をしたが、彼女の思惑は別に有るのだろう。
そう考えたスヴェンは、歩きながら今回の目的に付いて本題を切り出した。
「……あー、そろそろ今回の目的に付いて話しを聞いても良いか?」
「もちろんよ。目的は幾つか有るのだけど、その一つがフェルシオンで起きている事件の調査ね」
わざわざ王女の立場に有るレーナがやるべきことでは無い。
「……そいつは魔法騎士団に任せておけ」
低めの声で告げると、レヴィは静かに首を横に振る。
「まだ邪神教団が事件を起こしたとも限らないけれど……リリナが誘拐されたのは私の耳にも届いてるわ」
「あー、その話しなら専属の使用人に聴いたな」
「そうアラタから、なら話しが速いわね。リリナを誘拐した理由までは魔法騎士団も把握し切れていないけれど、最近この町では禁じられてる人身売買が行われてるそうなのよ」
「……ルーメンの南の森でゴスペルの構成員が惨殺されたらしいな」
恍けるように話すスヴェンに、レヴィはじと目を向けた。
それは『それやったの貴方よね?』っと確信を抱いた眼差しだった。
既にレヴィの耳にルーメンの件が耳に届いてるなら話も早い。
「それで? ルーメンの件とリリナ誘拐に繋がりはあんのか?」
「それを含めた調査よ。と言っても邪神教団が起こした事件なら魔法騎士団は介入できないわよね?」
「それでわざわざアンタが調査に乗り出したってか? あんま褒められた行動でもねえぞ」
「それは分かってるわ。だけど私はレヴィよ? 事件調査事務所を設立したっておかしな話しじゃないわ」
微笑みながら語られた単語にスヴェンは一瞬だけ思考が停止した。
エルリア魔法騎士団も各国の戦力と見做される組織は邪神教団に対して行動できない。だが、何処の国家にも属さないアトラス教会はその範疇には入らない。
では、合法的に邪神教団に対して介入するにはどうすればいいか。
それは誰かが事件の調査及び解決を目的にした個人営業所を開業してしまえばいい。
そこまで思考してレヴィが何をやろうとしてるのか理解したスヴェンはーーマジかよ。
ただ、微笑む彼女を前に呆然とすることしかできなかった。
「だからスヴェン。傭兵の貴方を護衛として個人的に雇ってるのよ」
レヴィのそんな言葉に漸く理性と理解が現実に追い付いたスヴェンは、
「許可は降りたのかよ」
一つ大事なことを訊ねる。
彼女はレヴィと名乗っているが、実際はエルリアのレーナ姫だ。そんな立場も有る彼女が動くにオルゼア王の認可が必要になるはずだ。
「先日漸く許可が降りたわよ。それに用意した書類も手続きも既に受理されてるわ」
邪神教団が必要以上に彼女を警戒する理由は、単なる召喚魔法に限らない。彼女のその裏を突くような行動力が脅威と見做されたのだろう。
そもそもそんな計画を立てていたなら、ますます異界人の必要性は皆無に等しいーー異界人が切り捨てられたと誤解を与えそうなものだが。
スヴェンは敢えてその話題を頭の片隅に追い遣り、
「そうかい。それで? 活動すんにもお偉いさんの許可は必要だろ」
「えぇ、だから今からユーリ様の屋敷に向かうわ」
「……っつうか、今のままじゃあ正体がバレんだろ」
「そうかしら? エリシェは誤魔化せたわ……ミアには遅れて気付かれちゃったけれど」
何処か悪戯を楽しむ様子で笑みを浮かべたレヴィに、スヴェンは肩を竦めた。
以前、彼女に『お転婆でもないだろうに』そう聴いたことも有ったがーー今のレヴィは年相応のお転婆娘だ。
それともレーナという立場は表面上で、レヴィという内面が彼女本来の性格なのだろうか?
どっちにしろレーナとレヴィでも雇主に変わりはない。そう結論付けたスヴェンは、サイドポーチから愛用のサングラスを取り出す。
サングラスをレヴィに手渡すときょとんっとサングラスを見詰めた。
レヴィは普通にしていても容姿から目立つ。特にレーナと共通点ーー本人だから共通点もないが、一先ず特徴の一つで有る瞳を隠せば正体が露呈し難いだろう。
「そいつならアンタの瞳も隠せる」
そう告げるとレヴィは自らサングラスを掛けーー物陰に潜むミアとアシュナの鋭い視線がスヴェンの背中に突き刺さる。
ちらりと視線を向ければ、物陰の壁に亀裂を入れるミアとアシュナ、そんな二人に苦笑を浮かべるエリシェにスヴェンはそっと視線を逸らす。
「ど、どうかしら? 変な所はない?」
「お〜、ばっちりだ。何処からどう見てもあや……レヴィにしか見えねえよ」
「いま怪しいって言いかけたかしら? でも良いわ、一度こういう変装をしてみたいと思っていたから」
「そいつは良かったよ。……んじゃあ、そろそろ行くか」
そんなありふれた提案をすると、レヴィは楽しそうに歩き出した。
そんな彼女の背中にスヴェンは、年相応の少女らしい一面を感じながら歩き出す。
背後から三人の視線を背中に感じながら。