スヴェンとアラタが南東の遺跡に乗り込んだ頃。
レヴィとミアが滞在する宿部屋にノック音が鳴り響く。
「リリナですわ! いまお時間よろしいでしょうか?」
リリナの声にレヴィはタオルを手に持ち、自然な足取りでドアを開け、
「雨の中わざわざ訊ねるなんて、よほど重要なのかしら?」
「善は急げと言いますわ!」
本来の目的がアシュナの告げた通りならさほど重要とは思えない。
加えてレヴィは微笑むリリナが一切濡れていない事を見逃さなかった。
この様子ならタオルは必要ない。
「タオルは要らなかったようね……話しがあるなら部屋へどうぞ」
彼女を宿部屋に招き入れる。
そしてリリナを椅子に招くと、彼女は警戒した素振りを見せず優雅な振る舞いで椅子に座った。
やはり貴族の教育が身に染みた仕草は変身程度で真似ることなどできない。
レヴィの中で疑念が再び消えかけ、改めてミアと共にリリナの正面に座る。
「お二人は以前からお知り合いでしたの?」
そんな質問にミアが微笑む。
「知り合ったのはこの町で出会ってからですね。それで話しをするうちに意気投合しちゃってルームシェアするほどにですね」
事実を知るレヴィからすれば、澱みなく嘘を並べられる彼女に思わず内心で感心が浮かぶ。
対するリリナは何かを確かめるようにミアの眼を真っ直ぐ見つめ、しかしミアは視線をわずかに逸らした。
彼女の眼に何か有るのか? そう思って直視しようとした瞬間に謎の悪寒が背筋を駆け巡る。
彼女の眼を直視してはならない。そんな直感が警鐘を鳴らす!
「あら、今回も眼を合わせてくれませんのね」
「貴族のお方と眼を合わせて話すことは、平民出身の私には難しいのです」
緊張していると苦笑を浮かべて見せるミアに、リリナは深く追求せず納得した様子を見せる。
「そうですのね……そういえばミアさんの故郷は何処ですの?」
リリナがミアの故郷を知らない?
それはあまりにも可笑しな話だ。彼女の故郷に起きた事件、そして村の外に残された二人の内の一人であるミアを貴族のリリナが知らない?
あの事件は王族をはじめ貴族の間で共有され、どう取り組み解決すべき事件か協議されている。
そしてリリナは間違いなくユーリと一緒にその協議会に出席していた。
レヴィが内心で疑念を浮かべる中、
「私の故郷ですか? 言われてすぐに出て来ないような小さな小さな田舎ですよ」
ミアは嘘でその場を切り抜けた。
「あら? そうですの、それなら聴いてもピンと来ないかもしれませんわね」
嘘を間に受けたのか、リリナは深く疑いもせず相変わらずミアを見つめている。
そして数回息を吐いたリリナがミアの小さな手を両手に取り、
「それはそうとやっぱり貴女はわたくしに仕えるべきですわ」
専属の治療師として雇われないか? そんな誘いをミアに問う。
しかしミアは迷うことなく彼女と眼を合わせずに、
「嬉しいお誘いですけど、以前も申した通り丁重にお断りさせて頂きます」
「お父様も賛同してくだってますのに、どうしてですの?」
「前にも言いましたが今の私はスヴェンさんの案内人だからです」
「それはレーナ姫の命令ですの? もし権力を盾に命じられているのならお父様を通してオルゼア王に掛け合ってもよろしくてよ」
気付かないとは此処まで恐ろしいのものだとは思わなかった。
現にリリナは本人を眼の前に意を唱えている。
しかしそこに不快感は無い。むしろ王族の権力で強制されていると影で思われても仕方ないのだ。
同時に一つ確信した事がある。以前婚礼の儀に付いて話に来たリリナとは違うのだと。
あの時の彼女は幸せに満ち溢れ、常にアラタを側に置いて居たーーその彼もなぜか今日は不在だ。
「いいえ、自ら志願したんですよ。次に召喚される異界人の同行者にと……まあ、彼は旅行を選びましたけどね」
「……どうやら意思は硬いようですわね。仮にですわよ? スヴェンが死亡した場合はどうするんですの?」
「彼を死なせませんよ。そのための私ですから」
「そう、ところで彼は今はどちらへ?」
ミアからスヴェンに話題が移った。
内心で事前に示し合わせて良かったと息が漏れ、
「昨日のコロシアム襲撃時にスヴェンは私を庇って負傷したわ。傷は完治してるけれど、大事をとって休養してるわ」
ミアに変わり雇主として質問に答えると、リリナはなるほどと頷き、
「昨日の襲撃でケガを……それは実力が足りなかったと判断するべきですわね」
彼女の中でスヴェンは取るに足らないと結論付けたのか、そんな言葉が放たれた。
実際には庇われて負傷した訳では無いが、他人にスヴェンをどうこう言われるのは面白くない。
「護衛としての勤めは立派に果たしたわよ。現に私はこうして無傷ですもの」
鋭い視線をリリナに向けると、彼女から冷や汗が滲み出る。
同時に隣に座るからミアから焦りの視線も向けられ、
「ごめんなさい。少しだけ取り乱したわ」
先に謝罪するとリリナも非を改めた態度を見せる。
「い、いえ……わたくしこそ無礼なことを」
彼女の態度と声、口調も仕草もまるで本物だ。
しかし疑念から確信に変わりつつあった疑惑は、よりいっそ確信を得た。
彼女は本物のリリナじゃない。紛れもない偽者だと。
それじゃあ本物はどうなったのか? それももう明白だ。
どんな魔法を使用したのかまでは判らないが、眼の前に居る人物は本物の姿を奪ったのだと。
記憶も奪われたと見るべきだが、先程の問答で記憶が奪われていないことは明らか。
同時にアラタやユーリ達の関係性は事前に調べることは可能だ。だからこそ眼の前の人物は人間関係を自然に振る舞える。
証拠は何も無いが、恐らく魔法解除を行えば正体が露呈するだろうーーだが彼女が動く前に此処で斬るべきか。
一瞬だけレヴィが迷うと廊下から騒ぎ声が響く、三人は何事かと互いに顔を見合わせーー廊下に顔を出した。
「おい! 南東の遺跡が消滅したってのは本当か!?」
「本当だ! 疑うなら南東の空を見ろ! あんな魔法を唱えられる奴はそんなに居ないはずだぞ!」
南東の遺跡が消滅? そんな単語にレヴィはスヴェンの背中を幻視しては、同時にミアと共に窓へ身を乗り出していた。
そして南東の方角の空を見上げれば、嵐は嘘のように晴れ……変わりに燃え盛るように空が紅蓮に染まっていた。
「……た、大変なことになりましたわね。わたくしはすぐにこの件をお父様に知らせて参りますわ!」
リリナが何かを告げてその場から居なくなったのも気にならず、レヴィはただ呆然と空を眺めることしかできず、
「……スヴェンさんは……えっ? 嘘だよね?」
ミアが床に崩れ落ちたのも、涙が頬を伝うことにも気が付かずーー気の動転からスヴェンの無事を祈ることしかできなかった。