六月九日。スヴェンはアシュナにレヴィの護衛を任せ、昼はミアと情報収集を兼ねて町の観光に出掛け、リリナを失った町の様子を遠巻きから眺めていた。
既にアトラス教会に葬儀の手配がされたのか、神父に運ばれる棺に涙を流す住民の長蛇の列。
そんな時だ、エルリア城から戻って来ていたアラタと遠巻きから眼が遭ったのは。
そして夜の現在ーー自室でガンバスターの整備中でもそれは思い起こされる。
大切なリリナを失い、ユーリの惨状に心を痛め、そして仇も同然のアイラ司祭の死に対するアラタの複雑な感情を宿した眼差しを。
スヴェンは手を動かしながら思考を切り替える。
「順路の変更を視野に入れるべきか……」
ミアと観光中に仕入れた情報の中には、次に向かう予定のラデシア村に続く街道に関する情報が含まれていた。
旅の行商人曰く、ラデシア村の守護結界領域に続く街道が守護結界外に生息するモンスターの群れによって閉鎖状態に有ると。
スヴェンは手早くガンバスターの整備を済ませ、机に地図を広げ思案する。
「陸路でパルミド小国に続くルートは三ヶ所か」
一つは西に真っ直ぐ進んだラデシア村からエルリアの西部に入り、北上しつつ北西部からパルミド小国に入国するルート。
二つはフェルシオンから北西に進み、モンスターの生息域を進みながらガルドラ峠を越え、峡谷の町ジルニア経由で北西部に向かう最短ルート。
そして三つ目は、フェルシオンの南西からエルリアの南西部を迂回したルートだ。
だが三つ目のルートは遠回りになるため、スヴェンは自然とそのルートを選択肢から排除する。
「最短ルートを経由すりゃあ、パルミド小国に到着すんのは七月の頭辺りか」
予定通りに進めばの話だが、どうにも行く先々の事件を考えれば恐らくどのルートを通っても予定通りには行かないだろう。
それなら想定外の出来事を想定して多少の危険は有るが、峡谷の町ジルニアを目指すべきだ。
しかしこのルートの変更も独断で決められない。だから明日辺りにミアとアシュナと話すべきだろう。
些か面倒に感じるが、独断による決定は同行人から反感を強く買う。それにハリラドンの手綱を握るのはミアだ。
スヴェンは明日話す内容を頭の中でまとめ、地図に変更予定のルートを書き足す。
そしてガンバスターを壁に立て掛けると、ドアから小刻みノック音と共に。
「スヴェン? いまいいかしら?」
レヴィの声にスヴェンはドアを開けーー何処か緊張した様子を浮かべる彼女に疑問を宿しながら、
「話しなら部屋の中でするか? それとも地下の酒場で飲むか?」
二択を告げればレヴィは頷きながら即答した。
「大切な話も有るから部屋の中が好ましいわね」
何か重要な問題に直面したのか。スヴェンは廊下や周囲に警戒を浮かべながら彼女を部屋の中に招き入れる。
そしてソファに向かい合う様に座り、
「で? 大切な話ってのは?」
単刀直入に本題を訊ねると、レヴィは少々困った様子で懐から金袋を取り出した。
「そう慌てないで……本題に入る前に貴方に払うべき報酬を渡しておくわ」
テーブルに置かれた金袋にスヴェンは目を向けず、レヴィの碧眼をじっと見詰める。
まだ護衛は継続状態に有ると思っていたが、調査の終了と共に契約が切れたのか。
「てっきり6月14日、アンタが帰るまで護衛は継続されると思っていたが?」
「それは引き続き頼むわよ。けれどフェルシオンから危険が遠ざかったわ、なら先に報酬を渡しても問題は無いでしょう」
確かにそれはそれで何も問題は無い。報酬を受け取ったうえでレヴィがエルリア城に帰還するまで護衛は継続されるからだ。
だがそれは良識とサービス精神が高い傭兵に限った話だ。中には報酬の受渡し完了後、そのまま次の依頼に向かう傭兵の方が多い。
「俺が報酬を受け取ってアンタの護衛を辞めるとは考えなかったのか?」
レヴィに警戒心を抱かせるために脅しを含め、威圧する様に声を鋭くさせて問うとーーレヴィが眩しい笑みを浮かべていた。
「それは私なりの貴方への信頼の証よ。そこで貴方が護衛を辞めても、それは私の甘さが招いた結果に他ならないわ」
彼女は傭兵でどうしようもない外道を信頼していると答え、あまつさえ眼を逸らしてしまう程の眩しい笑みを浮かべている。
レヴィから伝わる信頼は確かなものだ。そこで彼女の護衛を途中放棄しようものならそれこそ彼女を裏切る行為だ。
ーーやられたな。信頼を示されたからには俺も応えなきゃなんねぇ。
ある意味でお人好しのレヴィにスヴェンは負けを認めるように肩を竦め、
「多少の警戒を抱かせるために脅したが……アンタには敵わねえなぁ」
そんな事を告げてテーブルに置かれた金袋を手に取る。
ずっしりとした重みに中身を改め、提示された報酬金額の銅貨三百枚と銀貨八百枚よりも銅貨と銀貨が二百枚も多く入っていた。
レヴィが望む最良の結果を得られたとは言えない。だからこそスヴェンは増加された報酬に眉を歪める。
「随分と報酬が多いな」
「確かに事件の調査介入で未然に防ぐことは叶わなかったけれど、貴方は邪神教団のアイラ司祭を討伐したのよ?」
確かに護衛の最中に生じた戦闘でアイラ司祭を討伐したと考えれば、邪神教団の危険性を考慮した追加ボーナスなら妥当に思えた。
「邪神教団の全容は未だに把握しちゃあいねえが、多少は魔王救出の足掛かりになりゃあ儲けか」
「えぇ、今回は被害こそ大きいけれどその分敵の戦力を一つ削ったと考えれば儲けよ」
前向きに語るレヴィにスヴェンは増加分の報酬を受け取ることに付いて納得し、金袋を自身のサイドポーチに仕舞う。
「確かに報酬は受け取った……それで? アンタの大切な話ってのは?」
改めてレヴィの用件を訊ねると、彼女は他者から確実に見惚れるだろう笑顔を浮かべながているが、その眼は決して笑ってなどいなかった。
故にスヴェンが内心で焦りを浮かべーー何処で怒りを買った!?
彼女を怒らせる理由を必死に探るが、いくら記憶を探ろうともレヴィを怒らせる要因が思い当たらない。
「……俺はアンタを怒らせるような事をしちまったのか?」
平静を装いながら質問するとレヴィはじっと真っ直ぐ見つめては呆れた様子で深いため息を吐く。
訳が分からない。少女が怒りを抱くのには確かな理由が有る。例えばこちらに対する不満だ。
確かにスヴェンは出来た人間でも利口でもない。だからこそ知らずのうちに彼女の反感を買うってしまったのだろう。
それとも昨日竜王との接触がレヴィに伝わったのか。
悩むスヴェンにようやくレヴィが口を開き、
「思い返してみて……貴方は何度私の名前を呼んだのか」
そんな事を言われ瞬時に思い返す。自分は一度も彼女の名を呼んでない。
つまりレヴィは一度も名を呼ばなかったことに不満を感じたのか?
ようやく彼女の怒りの原因に辿り着いたスヴェンは深いため息を吐く。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって……私にとってはかなり重要なことなのよ? 責めて貴方にはレヴィとして、普通の少女として接して欲しいもの」
彼女の立場を考えればそれはかなり無理が有るが、レヴィという偽りの立場として今は接して欲しい。
レヴィの意図を察したスヴェンは仕方ないと肩を竦め、
「レヴィ、それだけでいいのか?」
特に彼女の名を呼ぶことに躊躇いもなく告げれば、満足気な笑みを浮かべていた。
例え偽名でもよほど名前を呼んで欲しかったのか。
ただ普通に名前を呼ぶだけで彼女が満足するなら安い。
ふと思う、まさか名前を呼んでもらうだけのためにわざわざ宿部屋を訊ねたのか。
嬉しそうに笑みを浮かべるレヴィに視線を向け、目的はなんにせよ彼女が満足ならそれで良いとさえ思えた。
スヴェンは内心で結論付け、改めてレヴィに視線を向けると、
「……ところで前に言った私がラピス魔法学院に入学していない話を覚えてるかしら?」
ユーリの屋敷で言っていたことを切り出した。
「あぁ、覚えている。その理由ってのは部外者の俺が聴いていいもんなのか?」
「貴方だからこそ話せるのよ」
エルリアの国民にとって周知の事実だが、改めて本人の口から語られる事実を彼女からの信頼の一つと捉えるべきか、スヴェンは迷いながら話を促す。
「……アンタがラピス魔法学院に入学しなかった理由ってのは?」
「もう11年前になるかしら? ラピス魔法学院の入学を控えた一月前に父であるオルゼア王が邪神教団の大規模な部隊に襲撃されて消息不明になったのは」
それは相当大きな事件だ。それこそ国家を揺るがしかねない大事件。
だがスヴェンは無事なオルゼア王と既に会っている。
だから彼が無事に生還したのだと理解もできるが、果たしてそれは本物なのかという疑念も同時に芽生えた。
「待て、オルゼア王は本物なのか」
「えぇ、あらゆる魔法解除でお父様が本物だという証拠は既に得ているわ。それに私とお父様しか知らないフルネームを口にしていたもの」
確かに家族しか知らないフルネームなら本人確認の一つとしても有効な手段だ。
「なるほど、それで行方不明になったオルゼア王に代わってアンタがエルリアを支えて来たのか」
「執政官や魔法騎士団団長……それにラオ達や周りの人々に助けられてどうにかね」
まだ五歳の少女が一国を支えたという事実はスヴェンにとってあまりにも重い事実だった。
まだ子供の肩に乗せられたエルリア国民の生活と国、それら全てを周りに助けられながら護り通したのだ。
だがそれは彼女にとってあまりにも重い重責だ。
そして彼女が王族である以上、その重責は何かしらの形で今も重くのしかかる。
例えば異界人の短絡的な行動によって引き起こされる事件だが、五歳の頃から積み重ねて来たレーナの信頼はそう簡単に揺らぐとも思えない。
同時にそれだけの積み重ねが有ったからこそ、レーナを従う者が数多く存在している。
「道理で一度もアンタに対して怒りをぶつかる住民が居ねえわけだ」
民からの信頼を口にするとレヴィは申し訳なさそうに顔を顰めた。
「みんなには我慢させてる状況で心苦しいのだけど」
異界人の行動により被害に遭う国民に対するレーナの優しさはあまりにも大きい。
スヴェンにとってなぜ他人に対してそこまで優しさを向けられるのか理解が出来ず、
「アンタが王族だから他人に優しくなれんのか?」
「王族以前に私の生活も民の税収で支えられているわ。だから民に対する愛情は私なりの感謝の現れなのよ」
スヴェンは一瞬彼女の言う愛情という言葉に何一つ理解が及ばず、眉を歪めるもすぐにいつも通りの表情に戻る。
「アンタが国民に対する想いってのはなんとなく判ったが、オルゼア王が戻って来たのは何年前になるんだ?」
「今から6年前の冬、12月24日になるわね」
「6年前か。そっからアンタらは国政を分担する形で国を支えて来たってことか」
「えぇ、でもあの時は驚いたわ。死んだと思われていたお父様がまさか自分も判らず世界を彷徨っていたなんてね」
確かに再会するまでオルゼア王が死亡していると考えられても可笑しくは無かった。
戦闘時に頭部に受けた傷、精神の負担による記憶喪失は時折り起こる症例だが、この世界には魔法が存在する。
スヴェンはオルゼア王の記憶喪失に魔法が関わっていると考え訊ねた。
「記憶喪失ってのは魔法による人為的なもんか?」
「お父様から聴いた話になるけれど、忘却の呪いで記憶を失ったそうよ……幸いファミリーネームが露見していなかったからそれだけで済んだのだけど」
「確か相手のフルネームが判らねえと呪いは半減するんだったな」
「そうよ、忘却の呪いは対象の存在も世界から忘れさせ、誰の記憶からも決してしまう恐ろしい呪いなの」
それは半減して記憶喪失程度に留まったのは不幸中の幸いに思えた。
誰にも忘れ去られ、個に関する記憶を失った者は存在証明ができず存在していないものと同義だからだ。
「世界の法則ってのは今ひとつ理解が及ばねえが、世界からの忘却はソイツが最初から存在してねえと証明させ、世界から消失させるってのは可能か?」
「えぇ、貴方の推測通りよ。忘却の呪いが齎す結果は世界からの消失。だからエルリアは建国当時からファミリーネームを隠す風習を取っているのよ」
「単なる魔法大国として呪い対策だと思ってたが、かなり重要な意味を持つな」
「えぇ、だから本当にファミリーネームを誰かに明かすのは忠誠か信頼の強い証になるわ」
前にミアから聴いていた知識と改めてレヴィから聴いた体験談で、スヴェンは改めてファミリーネームの重要性を理解した。
「しかしオルゼア王の復帰後は国が割れるだとか、そんな懸念は無かったのか? 大抵権力者が二人となれば争いも発生するもんなんだが」
そんなことを他愛もなく質問するとレヴィは困った様子で、
「私もお父様に任せて転入を考えたのだけど……その、みんなどうしてもお父様を支えて欲しいって聞かなくて。挙句お父様に泣き付かれたわ」
今でもその時の光景を思い出すのか、深い吐息が小さな口から漏れていた。
「アンタが入学しなかった……いや、出来なかった理由は判ったがアンタは自分のために生きてみてぇ。そんな欲が湧いたことはねえのか?」
「……異界人が事件を引き起こす度に、私の召喚政策は間違えていたと強く思うようになったわ。同時にそんな私が今も国政に関わって良いのかって」
五歳の頃から積み重ねた重責が些細なきっかけが原因で音を立て崩れる。
その衝撃は今まで小さな肩で支えていたレーナに強く襲う形で。
恐らくその時が訪れればあらゆる苦しみが彼女を襲う。
「アンタは姫って立場を捨てたいのか?」
「王族の立場を失った私はただのレヴィになれるのかしら?」
「アンタが積み上げた功績と実績が普通の暮らしを許さねえ。全てを忘れてねえんなら俗世から離れた辺境で誰とも関わらず暮らすことか」
口ではそう告げるが、レーナの性格では民を捨てレヴィとして生きることを良しとしないだろう。
「……無理ね。私がみんなを捨てられるわけが無いわ。でも王族としての責任が果たせないと判断された時にはその可能性も有り得るわ」
何処の国に幼少期から十一年も支えた王族を追放する選択などする者が居るのか。
そんなものは創作の中で行われる物語の導入部分の一つに過ぎない。
あまり現実的とはいえないと判断したスヴェンはわざとらしく肩を竦めた。
「だとすりゃあそう判断した連中は短絡的な無能だな」
するとレヴィは少しだけ胸のつっかえが取れたのか、安心したように小さな笑みを浮かべていた。
「やっぱり貴方に話してよかったと思うわ」
スヴェンにとって単なる会話に過ぎないが、レヴィの精神は多少なりとも癒やされたようだ。
同時に今度はスヴェンが浮かべた疑念を彼女に話して置くべきだ。
「そうかい。話についでに確認するが召喚の際に、召喚対象がその場に複数人居た場合はどうなんだ? 何を基準にして召喚魔法に選ばれる?」
「……そうね、異世界からの召喚だと第一に異世界に召喚されることを心から望んでいる人物が候補として選択されるわ」
「その場に複数人が居たならより強く異世界を渇望している人物が召喚されるわね」
それは今までの異世界から召喚された異界人に当て嵌まる召喚方法だ。
だがスヴェンが召喚された時は条件付きの召喚魔法になる。それに自分は異世界という存在を強く熱望した覚えは無い。
「前に言ったな。アンタに召喚されて依頼が果たせねえと」
「えぇ……だから私もこう推測したわ。貴方の標的がその場に居て、戦闘の最中に召喚魔法が発動したと」
「あぁ、その推測は正解だ。だが判らねえのは、あの場に居た覇王エルデは紛れもなく俺なんざよりも強え少女だった」
「それは精神面で? それとも戦闘能力として?」
「両方だ。アイツは世界を変えるために世界に喧嘩を売り、大抵の軍隊は返り討ちにしちまうような化け物だ」
「貴方が化け物と称するほどの少女……そんな彼女よりも貴方が召喚された」
「あ〜、俺はあの時の召喚は失敗したと考えている」
現に覇王エルデよりも単純に劣る自身が召喚されている。それこそレーナが支払った対価と釣り合わずに。
「そうかしら? 私は覇王エルデのことを知らないわ。それに私は貴方の召喚を失敗したとは思わない」
「何故だ? 状況とアンタの支払った対価に釣り合わねえだろ」
「それを判断するのは貴方じゃないわ召喚した私よ」
召喚された彼女に言われては黙るしかなかった。
そもそもこんな話をしたところで自身の疑念が解消されるだけで、彼女にとっては何も成らないというのに。
「でも話してくれて嬉しいわ」
「あん? 今の話はアンタに疑念を植えるような種だぞ?」
「貴方の胸の中に巣食う小さな疑念が邪神教団に漬け込まれないとも限らないもの」
「……まあ、確かにそんな事も有り得るか」
「そう。だから私も貴方には気兼ねなく相談するけど、スヴェンももっと私やミアを頼って良いのよ」
他人を頼ることは当たり前に出来て実際は難しいことだった。
特に戦場で育ち、数多の裏切りと不運を経験したスヴェンは簡単に他者を信用することはできない。
「善処はする」
「むぅ〜そこは信じるとか断言して欲しいものだけど」
珍しく子供のように頬を膨らませる意外な一面に、内心で驚きながらもスヴェンは語る。
「傭兵は他人を簡単には信じられねえんだよ」
「そう……いつか、テルカ・アトラスで貴方が信じて背中を預けられる相棒と巡り逢えると良いわね」
レーナの言葉にスヴェンは沈黙を貫くことで硬く口を閉ざした。
自身と対等な立場で相棒になった者はーー必ず死ぬ。
かつて笑みを浮かべながら『私は死なないわ』そう断言した相棒もスヴェンが自ら介錯する形で死んだ。
間違えてもテルカ・アトラスで相棒を得るわけにはいかない。
自身が背中を預けて信じられる相棒は武器のガンバスターだけだからだ。