ガルドラ峡谷の中間に位置し、崖と崖を繋ぐように建造された町ーージルニアは鉱山の産出地としても有名だがこの時期は町人にとって祭りだ。
崖と崖を繋ぐ巨大な橋を基盤に建造された白い石造りの町並みは祭り用に飾り付けられ、石材場や鉱山から採掘した素材を使った芸術的な彫刻の展示品が並ぶ。
これだけでも観光として訪れた意味が有るのだが……。
スヴェン達が峡谷の町ジルニアに到着すると楽しげな賑やかな声が町全体から響く。
『野郎どもぉぉぉ!! 網をかけろぇぇ!!!!』
先頭に立つ大柄の男による威勢のいい掛け声を合図に、町人が息を合わせ、崖の合間に網を一斉に貼った。
そんな様子を荷獣者から覗き込んでいたスヴェンが、一体何をしているのか疑問を浮かべていると、楽しげなミアが語り出す。
「前に浮遊魚の漁獲時期が近付いているって言ったことを憶えている?」
「もちろん憶えてるが、いま行われてんのが漁ってことか」
漁獲といえば海という常識、アーカイブによる知識が現在進行形で進んでる漁によって尽く否定されている。
それはなんとも表現し難い感覚が頭と感情を駆け巡っていた。
異界人にとって非常識だが、テルカ・アトラスにとっては常識。自身の常識との違いには慣れたつもりで居たが、まだまだ知らない経験の方が多い。
デウス・ウェポンの平均寿命は五百年だ。五百年の間でどれだけ元の世界の常識が非常識となるのか、スヴェンはそんな事を茫然と考えながらミアの声に耳を傾ける。
「そう、山間に暮らす人々にとって新鮮な魚は貴重な珍味だからね。だから町人総出でお祭り騒ぎなんだよ」
祭りと聴いてラウルがそわそわと身を捩らせた。
「祭りははじめてか?」
「うーん、うろ覚えだけど小さい頃に家族と行った事は有るかな」
「そうか、楽しかったか?」
そんな質問をするとラウルは家族を思ってか、何処か遠くを見つめていた。
彼の瞳は十歳の子供がするにはまだ速いように思えるが、ラウルにとってそれが辛い経験で野盗になる要因だったのかは判らない。
いずれにせよ彼とはこの町で別れる。野盗としての罪を清算するのも、この先の生き方を見つけるのもあとは彼次第だ。
これは命を奪わず選択肢を与えた大人としては無責任な行動でしかない。
だがスヴェンは失敗できない依頼とラウルの人生を天秤にかけるなら前者を確実に選ぶ。例えそれが無責任で非人道的とも言われようとも。
それに彼の人生はまだまだ長い。愛情も知らず戦場でしか己に価値を見出せず、戦場を自身の産まれた帰るべき場所と定めている外道よりはラウルは遥かにマシでまともだ。例えどんな過去を抱えようとも彼に選択の自由が残されている。
スヴェンがそんな事を思っていると町中から威勢のいい声、そしてミアとラウルの興奮した声が同時に耳に響く。
何事かと窓を覗き込めば、
「……いやいや」
魚の群れが空を飛び谷間を通過する。それは事前に話しに聴いて特異な生態系を誇ると認識していたが、実際に目にすると異常な光景だと判る。
一体何処の世界に鯨並みの巨大な魚が群れ単位で空を飛ぶと言うのか。
群れの先頭の浮遊魚が最初の網に掛かり、網を張っていた町人が引っ張られまいと踏ん張る。
そこに続々と続く浮遊魚の群れが巨大網を引っ張りだす。
アレが実はモンスターだと言われればまだ納得もできよう。だが悲しいことに守護結界領域を何事も無く通過できるのはモンスター以外の生物だ。
そもそも巨大魚に等しい群れが網一つで漁獲できる筈もなくーー最初の網は見事に突破され、第二第三と網を突破して行く浮遊魚。
そんな彼らの瞳は『どうした? 小さな生物共よ、そんなので我々を捕獲できるとでも?』とでも言いたげな挑発的な瞳をしていた。
それに負けじと町人は魔法による筋力強化を施し、次々と第四、第五の巨大網に魔法で電流を流し、浮遊魚の勢いを削ぎーーそして最後の第八の網で。
「いまだぁぁ!! 全員下丹田の魔力を捻り出してでも渾身の力を込めろォォ!!」
全員に指揮を飛ばしていた大柄の男による単純明快な指示に、町人全員が同時に魔力を解放する。
最後の網にかかった浮遊魚は蓄積された疲労により、網を突破できずーーむしろ巨体同士の衝突によって網が複雑に絡み合う。
身動きが取れなくなった浮遊魚は大柄の男の掛け声に合わせて崖上に引っ張られる。
そして諦めたのか浮遊魚は『見事なり、我々は喜んで貴公らの糧となろう』とでも言いたげな誇らしげな眼差しで人々を見つめていた。
漁獲できた浮遊魚は十頭。漁獲から逃れた浮遊魚の群れ空や谷間を飛行し、やがて彼方へ過ぎ去って行く。
「しゃあああ!! 海の幸に感謝して勝利の勝鬨を挙げよ!」
大柄の男の一斉に町人全員の大歓声がガルドラ峡谷全土に響き渡った。
漁獲の流れから最後まで静観していたスヴェンは深い息を吐く。
戦場以外で心を刺激され、戦意が高揚する日が来るとは想像もできなかった。
改めて自身の狭い世界と世の広さを実感させられた。
「祭りってのはこうも心が躍るのか」
「スヴェンさんが食事と戦闘以外で興味を示した……うん、活気と熱意があなたの心を動かしたのかな」
「んなわけ……いや、そうなんだろうなぁ」
ミアの言葉を否定せずに肯定すると、彼女は晴れやかに笑っていた。
世界の違いと文化。平和だからこそ楽しめる祭りによって自身の心は決して少なくない影響を受けた。その背景に血で血を洗う過酷な戦場から長い間離れていることも有る。
もちろんそれだけでは無い。恐らく心に変化を齎した大きな要因は美味い食事だ。食事が心に影響を与えるっとアーカイブに残されていた記録だから間違いないのだろう。
スヴェンは顔に出さずそんな結論を出すと、荷獣者がジルニの繋ぎ場に停まる。
「それじゃあ今日は宿を取って祭りを楽しもうよ」
ミアの提案にラウルは何処か遠慮気味にしていたが、空腹を訴える腹の虫に、
「野宿であんまりまともなご飯は食べられなかったし、育ち盛りが遠慮なんかしないの」
ミアの優しげな提案にラウルは次第に笑みを浮かべた。
「今日は美味い物を腹一杯食って……あ〜」
スヴェンは視線を町中に向け、そこで民家の物影に隠れる邪神教団の信徒の姿になんとも言えない表情を浮かべた。
それは彼らの姿を発見したミアも同じだったらしく、状況をいまひとつ飲み込まないラウルを置いて二人は同時に深いため息を吐いた。
ふと気付けば町に入り込んでいる邪神教団をどうするべきか、それは祭りを邪魔されたくなければ答えは決まっている。