青と真鍮色の世界。
スチーム・シティ・コンプレックス
村瀬倖次郎
ひび割れたパイプから水蒸気が吹き出していた。水滴がしたたって出来た水溜まりは灰じみて淀んでいる。
煙を固めたような色の建物が雑多と並ぶ住居区。干してある服だか雑巾だかわからないぼろきれが風にはためいている。その向こう、靄にくゆる城塞を少年は睨みつけた。
どの建物よりも高くそびえる城壁。煉瓦に混じって鉄が鈍く光る。煙突からは絶えずすすけた煙が吐き出されている。いびつな部品を寄せ集めて形を成している城は、巨大な怪物がうずくまっているように見える。少年はしばらくそれを睨んでいたが、踵を返して歩き出した。
街中に紙が貼り出されている。『オークション開催! 奇跡の美女、青婦人出品!』――騒がしいレタリングで文字が躍り、ドレス姿の美しい女性がモノクロで印刷されている。少年は貼り紙を悲しげに見つめる。足取りはゆっくりになり、ため息が漏れた。
◆
ぼくは息を切らせて必死に走っていた。ブリキの脚がいくつも生えたガラクタが、モーター音を響かせて追ってくる。保健所だ。
後ろでは一緒に逃げていた男の子が転んで捕まった。でも振り返っちゃいけない。そんなことをすればぼくも捕まってしまう。
狭い路地に逃げ込むと、保健所のガラクタの大きな図体はつっかえて動けなくなった。ざまあみろ。
ゴミバケツを蹴倒して路地を抜ける。開けた通りで荒い呼吸を整えていると、後ろ側で金属がきしむ音がした。振り向くこともできないまま、保健所のアームに体をわし掴みにされる。回路がむき出しの機体には意思なんて無くて、不気味でぼくは震えた。
やつらはこの街の支配者が造った機械で、親のいない子供や浮浪者が保健所に捕まると、死ぬまで奴隷として働かされたり実験台にされたりひどい目にあう。
恐怖がお腹の底からせり上がってきて、ぼくは泣き出した。
「離してあげなさい」
女の人のやわらかい声がして、保健所は動きを止めた。
声が聞こえた方に顔を向けると、とてもきれいな女の人が傘をさして立っていた。黒いレースで飾られた深い海の色のドレスを着ている。日傘も頭に差したバラも同じ青で、長い黒髪まで青みがかって見える。
女の人はぼくと目が合うと、ゆったりと微笑んだ。
アームの力がゆるんで、ぼくは地面に降ろされた。保健所はそのまま脚をがちゃがちゃ言わせてどこかに行ってしまった。
「あ、あの……」
――この人、『青婦人』?
青婦人は、街の真ん中にある城に『青ひげ』と一緒に住んでいるって言われている。青が好きで、いつも青い服を着ているらしい。本物を見るのは初めてだ。
青ひげは弱い人間を捕まえて拷問したり、高い税金をみんなから巻き上げては贅沢している嫌な奴だ。
そんな奴と暮らしている女の人だから、もっと怖くて意地悪な人かと思ったけど、なんだかそうでもないように見える。
お礼を言うべきか口ごもっていると、女の人は少しかがんでぼくの頭をなでた。バラの香りがふわりと広がる。
「怖かったでしょう、ごめんなさいね」
優しくなでられて、こわばっていた心がゆるんでいった。あたたかい手だった。
その手に引かれ、ぼくは料理屋に連れてってもらった。久しぶりのちゃんとしたご飯にがっつくぼくを見ながら、青婦人は目を細めて嬉しそうにしていた。
それからも、ぼくや身寄りのない子供たちに食べ物や服を持ってきてくれた。文字が読めない子供のために本を読んで聞かせてくれたりもした。
ぼくたちはお母さんみたいなその人が大好きになった。
なんで、なんでオークションなんかにかけられてるんだよ――。
◇
じっと考え込んでいた少年は、知らずのうちに隣の地区まで歩いてきてしまっていた。この区からは城の正面が見える。歯車の音が遠く響く。
「おや、見ない顔だね」
後ろから声がかかった。反射的に振り返ると、古びた木造の店の中で男が座っていた。
てんでバラバラに積まれた本の山。その中に、瓶に詰められた駄菓子や使い道のわからないがらくたがまぎれていて、何屋なのかはっきりしない。
男は丸眼鏡の向こうで人懐っこく微笑んでいる。若者のようで年寄りのようであり、つかみどころのない顔。橙や若草色など、色とりどりの髪の束が好き勝手にはねており、目の覚める紅で染めた着物を羽織っている。
膝にのせたまるいガラス鉢の中で、真っ赤な金魚がゆうゆうと一匹だけ泳いでいた。
「お菓子はどうかな? サービスするよ」
男が差し出した麩菓子を受け取る。かじると砂糖が口の中で甘くほどけた。
軒先に腰掛けた少年がさくさくと麩菓子を頬張るのを、男は楽しそうに眺めていた。
「――青婦人が、売られるねぇ」
不意に男が発した言葉に、少年はびくりと震える。男は水蒸気を吐く城を見やり、独り言のように言った。
「青ひげは何をしたいのだか……ひとの考えることはわからないよ」
それきり二人とも黙ってしまい、機械の稼働音だけがどこかに聞こえていた。
金魚がくるりくるり、三周半ほど鉢の中で回った頃、少年が口を開いた。
「助けたいんだ」
小さな声だったが、切迫した響きを含んでいた。うつむいた視線は、汚れたつま先の辺りをさまよっている。
「でも、どうしたらいいのか……」
消え入りそうな声が地面に落ちる。金魚が跳ねた。
「僕のご先祖様はね、ここで代々飴屋をやってきたんだよ。街の人の悩みを解決するかわり、店の飴を買ってもらうんだ」
突然男が語り始めた突拍子もない話に、少年は顔を上げた。
「僕はこの街とここに住む人たちが大好きだ。どんなに時代が移っていっても、それだけは変わらない。だから、青婦人を助けたい君のことを助けたい」
そこまで言うと、男は自分の髪と同じ、色とりどりの飴が詰まった瓶を差し出してにっこりと笑った。
「飴はどうかな? サービスするよ」
◆
しとしとと降る雨が私の体温を奪っていく。
何も着けていない身体にしずくが流れた。森は冷たく薫り、霧にけぶっている。足の裏は傷だらけで、伝った血が草に落ちた。
私は途方に暮れていた。もうどこへ行くこともままならない。帰る処もない。ただ呆然と地面にへたり込んでいた。
すると少し離れた木々の間に、枝を踏む音が聞こえた。
――おとこだ。
背の高い草をかき分けて出てきたのは、体格の良い男性だった。私は恐怖をおぼえた。怖い。こわい。
男は震えている私を見留めると、弓を持ったまま近付いてくる。
毛皮の上着が雨に濡れて重く光っている。男のあごは剃りたての青いひげで縁取られていた。無表情の瞳がぎょろりと動いて、怯える私を睨む。
死ぬのか、と低い声で尋ねられた。私は震えて答えられない。
死にたいのか、と男は訊いた。その問いにやっとのことで首を振ると、男は着ていたコートを私に向かって放った。毛皮の匂いと、少し甘い香りに包まれた。
男は青が好きなようだった。連れていかれた男の屋敷は深海のような青で調えられていた。召使いは腰の曲がった老人が一人だけで、コートを羽織って震えている私の世話をあれこれとしてくれた。その間男は一言も喋らず、ただ絹張りの椅子に深く腰掛けていた。
次の日には私の身体にぴったりと合う青いドレスが用意され、三人で静かな食事をすることになった。賑やかではなかったけれど、以前の私には考えられない、どこかの姫のような暮らしに胸の中が満ちていく心持ちがした。そして、この男に一生付き従おうと決めたのだった。
そう決めてからどれほど経ったのだろう。随分昔のことのようにも思えるし、昨日のことのようにも思える。
私は首に着けられた革の首輪に手をやった。
近いうちに、私は売られる。この首輪はそれを証明する鉄枷に代わるものなのだ。知らぬ間に頬を涙が伝った。
「でも、助けるってどうするの?」
少年は不安げに飴屋を見上げた。彼はまたレンズの奥でにっこり笑った。
「単純明快、会場に乗り込むのさ」
それを聞いた少年はますます表情を曇らせたが、飴屋は気にすることもなく店の奥へ引っ込んで何かをがちゃがちゃと漁り出した。
少年はため息を一つつくと、店先で足をぶらつかせて待っていたが、数人の大人が物々しい装備で横切っていくのを見て動きを止めた。大人たちはそれぞれ手に武器を持ち、険しい面持ちで何か話しこんでいる。
男たちが着けている腕章には見覚えがあったのだが、どこで見たのかは忘れてしまった。いつの間にか少年の隣に戻ってきていた飴屋が、武装した男たちを見る。
「どうやらあんまり時間はないみたいだね」
そう言って、置き時計の上に乗せてある古ぼけたラジオのつまみをひねった。元々は赤だったであろう、薄紅のラジオは雑音ばかり吐いていたが、飴屋が勢いよく本体を叩くとようやく聞き取れるようになった。
『速報です! 明後日開催される予定だった青婦人のオークションが、急遽本日の十六時から行われるとの情報が入ってまいりました! その他珍しい品物も多数出品される模様で――』
そこまで聞くと飴屋はラジオを切った。少年はうつむく。外を号外、号外と叫びながら男がビラを撒いている。おそらくラジオの内容と同じことが書かれているのだろう。
飴屋は子供が一人入りそうなトランクを持って立ち上がった。しかし思い出したように、金魚鉢を自分が座っていた座布団に据える。
「留守番は頼んだよ」
金魚は泳ぐだけで当然答えない。横でそれを見ていた少年は呆れたような表情を浮かべる。これでよし、と飴屋は再び鞄を持ち、少年を振り返る。
「さあ、青ひげの要塞へ向かおうじゃないか」
どこか楽しげな飴屋は、特に武器を身につけているようには見えない上、着流し姿のままだ。
こんな装備の付添い人で青ひげに敵うとは到底思えないが、それでもやるしかない。何もしないよりはずっとましだ。少年はそう自分に言い聞かせて、足を踏み出した。
「本当に良いのですか?」
しわがれた老人の声。会場の中でも一番高い場所にある展望席に老人と男は居た。
「構わん」
青いあごをした男はそれだけ言うと、人がひしめく会場をじっと眺めた。
城の前にあるオークション会場は闘技場を作り変えたもので、八つの柱には醜い悪魔の彫刻が施されている。円形のステージを囲む客席にはオークション開始を待つ、暇を持て余した金持ちと野次馬がびっしりと並んでいる。
男の返答に老人は深々と頭を垂れて退がった。騒がしいファンファーレが鳴り響いた。
会場に近付くほどざわめきは大きくなった。野次を飛ばす声や、買い値を告げるくぐもった声が聞こえる。
門の前は検閲が行われており、簡単には入れないようになっている。
「どうする?」
少年は飴屋に尋ねた。ふむ、と考えたあと、飴屋は着物のたもとから細い縄を取り出した。何をするのかと見ていると、少年の首に縄をくくりつけて、長く伸びた端を飴屋は握った。
「ちょ、ちょっとどういうつもり」
焦る少年に向かって自分の口元に人差し指を立て、ゆっくりと門へ向かう。途中で派手な飾りがついた帽子の婦人とぶつかった。
「おっとこれは失礼」
軽く会釈してまた歩き出す。少年も仕方なく黙ってついていく。とうとう門の前までやってくると、案の定門番に呼び止められた。
「貴様怪しいな。その子供はなんだ」
門番の問いに、飴屋は朗らかに答える。
「これは私の下僕ですよ。可愛いでしょう?」
そう言いながら懐から紹介状を出す。それを確認すると、門番は非礼を詫びて道を開けた。
すんなり通されたので少年はほっと胸を撫で下ろした。
通路を進みながら縄を外してもらい、少年は訊いた。
「あの紹介状、いつ手に入れたの?」
すると飴屋はあっさり答える。
「さっきのご婦人からスッたんだよ」
少年は言葉を失った。
しばらく通路を歩くと、目の前に会場が広がった。すっかり空気は熱気を帯び、奇妙な興奮をはらんで膨れている。たった今、円筒型の水槽に入った双頭の魚が落札されたところだった。
熱病に浮かされたような人々の顔を見て、少年は吐き気に襲われた。非日常が日常に食い込んでいく。異形の獣と人間、贅を尽くした宝飾品が同じところに並べられて叩き売られている様は悪夢だった。
「悪趣味だねぇ」
飴屋は少年を含めた会場の様子を見て目を細めた。
マイクを持った司会が大袈裟な仕草で中央に躍り出て声を張り上げる。
『さあ、皆様お待たせしました! 本日の目玉商品、青婦人をご紹介します!』
客席は大いに沸き、拍手があちこちから鳴り渡った。歓声の中を横切って、布を被せられた台車が舞台まで運ばれてくる。
少年は騒ぐ人々の中で必死に身を乗り出して舞台を見つめた。まばゆいほどのライトが当てられたステージの真ん中、人の形に盛り上がった布に幾多の視線が注がれている。ドラムロールが鳴り始め、やがてそれが止むと布がはらりと落ちた。
会場はしんと静まり返った。時が止まったかのように、全ての人間が息をのんだのである。
光に照らされたその女性は、微かな憂いを帯びた瞳をしてただそこに座っていた。照明を弾く黒髪、対照的な透けるほど白い肌。ラピスラズリ色のドレスに包まれた肢体はしなやかに伸びている。触れれば壊れてしまいそうな美しさは見るものを残らず魅了した。
「青婦人……」
飴屋の呟きに観客の一人が我に返り、どよめきは瞬く間に全体に広がった。割れんばかりの歓声が満ちる。一方で少年は戸惑っていた。自分たちに優しくしてくれた時の彼女とは別人のように思えたのだ。
もとより美しかったのは変わらないのだが、今の彼女には妖艶という言葉が相応しかった。何がそう感じさせるのかはわからなかったが、青い衣装を纏ってうつむいている彼女が少年には人魚に見えて仕方なかった。
海に帰れなくなった人魚は途方に暮れて座っていた。
『それではさっそく競りにかけましょう! 絶世の美女青婦人、三千万からスタートです!』
司会の言葉を合図にして、客席から続々と札が上がっていく。一分も経たないうちに値段は三倍近くに膨れ上がり、巨大なモニターに映し出された。
「わしは一億五千万出すぞぉ!」
でっぷりと太った男が宝石で飾り立てられた手で札を振りかざした。
おお、という感嘆にも落胆にも似たざわめきが起こった。それ以上の額を提示してくる者はいない。
『一億五千万の落札でよろしいでしょうかー?』
司会はもったいつけて会場をぐるりと見回す。太った男がいやらしい笑みを浮かべて手を揉んだ。
すると飴屋は近くにいた男の手から札を取って高く掲げた。
「二億出す」
会場は沸き立ち、太った男は歯ぎしりをして飴屋を睨んだ。しかし上乗せはできないらしく、そのまま落札された。
飴屋は屈んで少年に何事か耳打ちした。少年はうなずいて離れたところへ走っていった。
『青婦人を手に入れることができた幸運なあなた、ぜひ降りて商品をお受け取り下さい!』
飴屋は周りの人間の様々な感情が入り混じった視線を浴びながら、ステージへ繋がる階段を降りていった。
近くで見るとなお青婦人は奇麗だった。ゆるやかに弧を描いた睫毛を上げて青婦人は飴屋を見つめ返す。飴屋はそっと囁いた。
「大丈夫、自由にしてあげますよ」
黒服のオークション関係者がやってきて飴屋に話しかける。
「お支払いは小切手でも現金でも受け付けておりますが、いかがしましょう」
「ああ、それなんだけど――」
飴屋は着物のたもとから鉄製の小箱を取り出した。四隅をビスで留めてあるその箱を、彼は唇をゆるめて放った。
箱は地面に落ち、突如飴屋が投げた箱に観客の視線が集まった。それを見計らった少年が、
「爆弾だー!」
と声を上げ、人々が騒ぎだす。慌てて黒服が飴屋を捕えようとした瞬間、小箱が閃光とともに爆発した。会場は我先にと逃げ出す者でパニックになった。
もうもうと上がる煙の中で飴屋は青婦人の手をとって、階段から駆け降りてきた少年に託した。
「彼女を連れて会場の外に逃げるんだ。もうすぐここに反乱軍がやってくる」
それを聞いた青婦人のただでさえ白い顔から血の気が引いていった。少年は強くうなずいて、青婦人の手を引いて走り出す。煙の中に二人が消えるのを確認して、飴屋はトランクを置いた。
やがて煙は晴れていき、向かい合った反対側の通路からどやどやと青ひげの警備隊がやってきた。飴屋がトランクを蹴飛ばすと、真鍮製のパーツが入り組んだ、一抱えもある何かの機械が飛び出した。
金属の触れ合う音をさせながらそれを構える。警備隊が発砲しながら近付いてくる。かすめていく銃弾にも臆することなく、飴屋は思い切り機械のハンドルを引いた。
機械のエンジンが低くうなり、反動とともにゴム弾を射出する。こぶし大のゴム弾になぎ倒されて、警備隊はあっという間に沈黙した。全ての弾を吐き出したと同時に、機械はオーバーヒートして壊れた。
「うーん、まだ改良が必要みたいだな」
困った顔をして、使いものにならなくなった自作のガトリング砲を放り投げる。
すると、倒れている警備隊を踏み越えて男が現れた。がっしりとした身体を黒い毛皮に包んでいる。無造作に撫でつけられた髪に、無表情を縁取る青いひげ。
「随分と好きにやってくれたな」
『青ひげ』は静かに言った。感情は見受けられない。飴屋はそれに笑って応える。
◆
「どうしたの? 早く逃げないと……」
会場を出てから動こうとしない青婦人に、少年は困惑した表情で尋ねる。青婦人は蒼白な顔で黙っていたが、やがて少年の目を見た。
その瞳はこの世のものとは思えないほど、暗く美しかった。震える唇で少し微笑む。
会場からはまだ煙が漏れている。少年は首を振って青婦人の腕を掴んだ。
「なんであんなやつのところに居たいのさ! あいつは、青ひげは最低な人間なんだよ!」
今にも泣き出しそうな少年の悲痛な叫びに青婦人は、ごめんなさい、と微笑んだまま答えた。
「それでも、あの人を愛しているの」
ドレスの裾が翻り、青婦人は会場へ走り出した。飲み下せない感情を抱えて少年もあとを追う。
「レジスタンスが来ますよ」
飴屋が言う。青ひげは答えず、自然な動きで手を前に挙げた。次の瞬間飴屋の眼鏡が爆ぜる。鈍色の銃から細く硝煙がのぼっていた。
切れた頬から流れる血に飴屋は、冷静なんだか血の気が多いんだか、と苦笑する。
そこに、おのおの武装した市民が押し寄せてきた。反乱軍の印が刻まれた旗を掲げている。飴屋がそれに気を取られているうちに、青ひげは銃の照準を市民の一人に合わせた。
「やめなさい!」
気付いた飴屋が止めるのももう遅く、最前列にいた男が呻いて倒れる。
反乱軍の勢いはますます増し、その中の狩猟銃が銃声を上げる。
飛び退いた飴屋の向こうで青ひげの脚が抉られる。その時、青い人影が駆け寄ってきた。息を切らせた青婦人が青ひげに寄り添う。あとから呆然とした少年がふらふらとやってきた。
心ここにあらずな少年を引き留めて、飴屋はステージの中央から離れる。青ひげから垂れる血で紫になったドレスも気にせず、青婦人はぴったりと彼に寄り添っている。青ひげは何も言わなかったが、腕にしがみついている青婦人に目をやった。
乾いた音がして、青婦人の身体が傾いだ。少年が悲鳴をあげる。青ひげにもたれかかった彼女の背中からじわじわと染みが広がっていく。
立てなくなった青婦人と一緒に、青ひげも地面に座り込んだ。喚く少年と飴屋、目を覚ました警備隊は反乱軍に連れられて会場から外へ出された。
「どうして青婦人まで殺すんだよ! あの人は何もしてない!」
泣き叫ぶ少年は取り押さえられ、軍の数人が会場に爆弾を設置していった。少年の様子を見ながら、苦しそうに飴屋は呟いた。
「もう聞こえないよ……彼女はそれを望んでる」
次々と爆発が連鎖して、大理石の会場は地響きと共に崩れていく。
どうして、と叫び続ける少年の言葉も飲み込んで、あちこちから炎が上がった。
客席はすっかり火に呑まれ、見渡す限り紅蓮の海だった。お互いの血で濡れた二人は、その中心で微かに呼吸をしていた。
「なぜ戻ってきた」
青ひげが言った。青婦人は隣で浅い息をしている。
「俺はお前を売った。命令は聞けと言ったはずだ」
「これが初めてで最後の命令違反です……貴方に会った日から、一生貴方についていくと決めたから」
嬉しそうに青婦人は彼の胸に顔をうずめた。柱が目の前に倒れて粉々になる。身体をあぶる熱がすぐそこまで来ていた。
「たとえ貴方が嫌がっても、私も共に地獄の炎に灼かれましょう」
周りの熱とは裏腹に、青婦人の身体は冷えていく。彼女は小さく唄っている。
自分に体を預けている彼女の髪に、青ひげはそっと顔を寄せた。
――全てが炎に包まれた。
◇
次の日には城の前は焼け跡になっていた。
店先から、まだ残っている城を眺めながら少年は唄っていた。泣き腫らした目は赤かったが、もう喚き散らそうとはしなかった。飴屋も黙って隣に座り、金魚に餌をやっている。
「もう、本当はあの時わかってたんだ。青婦人の目を見た時に」
唄うのをやめて、少年はぽつりと言う。
「ああ、ぼくは青ひげに勝てないんだなあ、って」
炎の中から聴こえたような気がする唄を、少年は唄う。城は抜け殻になって、煙も吐かなくなった。うずくまった怪物は命を失くして沈黙している。
飴屋は少年に、飴の詰まった瓶を手渡した。手を入れて取り出した飴をくすんだ陽にかざすと、海のように深い深い青だった。
了