いきなりだが、今日はいい天気だ。
雲ひとつない青色で、ずっと遠くまで青空が広がっているものだから、どこか不自然に思えてくる。
ひゅぅと肌寒い風が吹いて私に厚着をさせようとしてくるが、その勢いで転がってくる落ち葉はなかった。
枯れ木がいくつもいくつもそこら中に伸びているのに、地面に落ち葉がひとつたりともない。それの異様さは、ここがよく掃除された道ではなくてどこともわからない秋の森の中だからこそ際立っていた。
ただでさえ緑がなくて寂しいというのに、落ち葉すらないと本当にただ寒くて乾燥した……他は何もない、それだけの場所だ。
快晴なだけあり、暖かい陽が枯れた枝の隙間を通って私に降り注いでくるのだが、冷えた空気が常に体の芯を冷やしていて嫌な対立を生んでいた。
ここまではこの森に来たのなら、私でなくても誰でも感じることだろうと思う。
しかし違う。私の場合はもうひとつ妙な環境設定が付きまとう。
人を環境と呼ぶのはおかしい気もするが、私の前を歩くお友達は何かそういうものだった。
そもそも私が、こんな時期に、こんな場所に、朝から徒歩で出歩いている理由はコイツだ。
早朝、日が昇る一時間くらい前のことだ。
ノンレム睡眠中だった私の枕元で、携帯電話が不協和音を奏で始めたのだ。
頭蓋に響いたそれを2回も聞き流した。
3回目に「木星」とかいう名前がついた曲が聞こえてきたところで、ブチギレて飛び起きた。
要件はただひとつ「今日は昼寝をしに行こう」とだけだ。それから二時間したら家のチャイムが連打されて、車で迎えに来たコイツが笑顔で待ち構えていた。
チビの癖してアクセルに足が届くのがどうにも憎たらしかった。
これからはあの着信音を聞く度にわけもなくムカつくことになる。そうすれば私はストレスで死んでしまう。間違いない。
だから何か別の良い着信音を探さなくてはならないのだ。
私は次にムカついてもいい音楽を思い出すのに必死だったから、体に衝突するまでお友達が止まってこちらを向いていたことに気が付かなかった。
「キミ、今日は珍しく話しかけても返してくれないね。悩み事かい?」
小柄な身長には似合わない偉そうな態度で、偉そうな表情をこちらに向けてきた。
私の悩みはこの偉そうな女が源泉なので、直接返却したところで何の利益も生まれやしない。
このお友達は、私にならどんな無茶な行いをしても許されると思っている節がある。
それはコイツの性格に最も上手く付き合えているのが私だからなのか、どうだか。
とにかくそういうワケだから、こうしてわけもわからないところに連れてこられるのは今日が初めてではなかった。
私が終日暇な日を小癪にも把握しているお友達は、度々こうして奇行に走るのだ。
「悩みだらけだよ。いつものことでしょ」
ジトと目を向けて咎めてみても、気づいているのかいないのか。
お友達の表情はまったく変わらなかった。
「それよりさ、今日はどうしてこんなところに連れてこられたのか。そろそろ教えてくれない?」
むしろこちらの質問に驚いたようすで、私の瞳をじっと見つめてきた。
「初めに言ったろう。ここには昼寝をしに来たんだ」
「寒くて風邪ひくよ」
私はわざとらしく震える真似をしたが、嘘だと見抜かれているようだ。証拠に、寒そうにした私の顔から興味をなくして視線を下ろした。
寒いのは事実だと、コイツも理解しているだろうに。
「寒いというのなら、そんなに肌を晒すものを履かなければいい。ジャージはいいぞ、今度貸してやろうか」
「いい、アンタのはちっこくて入らないからね」
それに、スカートを腰巻きの亜種としか認識していないコイツに、着飾るという概念を説明したところで利便性の話に繋げられるだけだろう。
また突然、何かを満足したのかコイツは前を向いてどこかに歩き始めてしまった。
この自由加減には、いい加減慣れてきたが初めは苦労したものだ。だが慣れと楽しみは別物だ。出来れば今日は家でゆっくりしていたかった。
「そういえば、ここはどこなの?」
どこともしれぬ森の深部に進むのはどうも気が引けた。
虫の音ひとつしない世界は、樹海より不気味だ。
「さあ」
「さあ……って、アンタもわからずこんなとこに来たの?」
「どうだか。キミの家から西に進んだのはわかっている」
心に沈殿した不信感が確かなものになってきた。
必要以上に怪しいものだらけに思えてきたのだ。
太いのか細いのかわからない枯れ木も、全く見覚えのないものに見えてきてしまう。
吸い込む風も、普段とは異質な匂いがした。
気味の悪いものを体内に取り込んだようで、途端に吐き出したくなった。
「いつになったら、目的の場所につくのよ」
目指して来た場所でないのなら、目的などないものだと思った。だが、聞かずにはいられない。
目的を見出さないと、私の不安がすぐにでも噛み付いてきそうだった。
「せっかくだ。あの木にでも聞いてみようじゃないか」
「……木?」
確かに、その枯れ木には点が3つ見えた。奇行が極まって、シミュラクラを擬人化か何かと勘違いしているのかもしれない。
口のように開いた木の
お友達が枯れ木に近寄ると、葉を落としきった枝がゆらゆらと揺れた。
風が吹いた気はしなかった。だから私には、樹木が不気味に感情表現しているように思えてならない。
「やあ。邪魔して悪いね。ここらで昼寝にいいスポットを知らないか」
お友達は枯れ木に話しかけた。
植物相手にもまったく変わらない奇行には、いっそ清々しく思える。
「ありがとう。行ってみるよ」
お友達が礼をすると、枯れ木も応えて揺れたように感じた。気のせいだと思う。
けど、何か気味が悪かった。
「あっちにあるらしい。彼が教えてくれた」
コイツはどこかに向けて指をさした。
あいにく方位磁石を持っていないので方角はわからない。指標となる物もない森の中だから、ただ指をさしたほうとしかわからなかった。
「その木が言ってたの?」
「そうさ。彼が親切でよかった」
決してコイツは、樹木が人に見える精神の病などを患っているわけではない。
恐ろしいことに、これはいつもの通りの奇行だった。
いつもの通りと言えども、到底理解の及ぶものではない。
長くいる私すらそうなのだから、ここにいたのが私ではなくても目を瞑ってため息をついただろう。
これがまだ、夢ならどれほどいいものか。
布団に潜った私は、早くから叩き起されることもなく静かに温まっているのだ。
強く吹いた風が、私の肌を痛めつけた。
どうしても夢にしたくないようだ。
枯れ木が示した方向は、心なしか歩きやすかった。
気のせいかもしれない。けど、どうしてか道のようなのだ。
木々の量が変わったわけでも、土壌の質が変わったわけでもなかった。
しかし、そうだ。
湿っぽくなった気もする。
冷えて湿った空気が、乾燥した肌を包み込んできた。
「ああ、止まりたまえよ」
わざわざその弱い力で、押して止められた。
なんの前触れもないものだから、訝しんで見てみる。
するとコイツは、躊躇うことなく座り込んだ。
土でジャージが汚れる。
「まさか疲れたの?」
「違う。ここらだろう……だが寝心地が悪いな」
不満げなようすで立ち上がった。
私にはなにをもって、ここが昼寝スポットと判断されたのかわからなかった。
「聞く方が早い。そういう顔をしているな」
「してないけど」
「今度はあの木に聞いてみよう」
そうしてコイツはまた、枯れ木に向かっていった。
あの木もその木もどの木も、私には違いがないように思えるが、コイツは何か選定基準を持っているのだろうか。
私には理解できないのだと、初めからわかりきっているから興味はないが。
「ああ、そうか。母か」
早速、虚しい問答が聞こえ始めた。
あんな一人芝居も、枯れ木が揺れる度に会話に見えてしまうのだから恐ろしい。
こういうときのコツは、深く考えないことだと思う。
けれど私には無理だ。
あのお友達との付き合い方を人に相談されることがある。そのときは、深く理解しようとしなければ平穏に過ごせると返しているのだが、私には難しかった。
興味がないフリをしても、それ以上にあの一挙手一投足が主張をしてくるのだ。
だからこうして空を仰いで、視界をリセットすることが必要だった。
青空は不気味だった。
あの先には宇宙があるくせに、あそこは青いのだ。
明確な距離感もなく、ただ果てしなく青いくせに、その先は闇が広がっているはずなのだ。
心が吸い込まれそうで、気持ちが悪い。
車で酔ったときみたいに、焦点が安定しなかった。
ようやく、ここはどこに目を向けても落ち着かない場所なのだと理解した。
「やっぱりここらしい。今にたどり着くそうだ」
不意にお友達の声がした。
話は終わったようだ。
「今にたどり着くって、私たちは今歩いてないでしょ」
私が困惑して首を傾げると、地面が沈んだ。
少し柔らかい土壌が、突然裂けた。
姿勢を崩して転ぶお友達を笑えない。何せ私はとうに落ちているのだから。
ふたり揃って、たった今生まれた穴に落下した。
驚いて声も出なかった。
「ほら、着いたろう」
落下はそう長いものではなく、一秒も経たずに柔らかい感覚が身を包んだ。
毛皮のようだが、少し硬かった。
「どういうことなの」
「そのままだよ。私は寝る……ほら見てみろ、お天道様も上に登りそうだ。冷たい風も吹いてこない。
いい天気だろ、だからキミを誘ったんだ」
倒れて横になったお友達は、静かに目を閉じた。
人ふたりが乗っても問題がなく、あと数十人は余分がある毛皮というものはわけがわからない。
見上げると、角のような柱が、周囲から何本も地上に伸びている。
巨大な生き物の頭上のようだった。
私も深く考えることなく寝転がる。
だいぶ疲れてしまった。
この生き物の全容など、知るのも恐ろしい。考えたくもない。辺りを見るのも億劫だ。
だから大人しく昼寝をすることにした。