俺の過ちというのは詰まるところ、暗殺者にしかなれなかったということだろう。
斎木の暗殺をこなした時、まだ餓鬼だった混血を見逃したのがそもそもの始まり、いや終わりだった。
殺すべきという直感を暗殺者としての規範が止め、その果てに因果は追いついた。
まぁ、俺は暗殺者としてしか生きてこなかったのだから、それ以外になれるはずもない。
そして、それさえ十全と全うできたかと言えばそうでもない。最後の最期にケチがつき、一族郎党、皆殺しの憂き目になってしまった。置いてきたあいつが生き残っているかはわからんが、俺の子だ。どうせまともな人生は送れまい。
なにせ、生きていれば七夜の生き残りだ。混血同士の殺し合いの駒か道具が行きつく先だ。まぁ、それでも生き残れているのなら、きっと其処には俺とは違う道があるはずだ。
それは、どんな道なのか。誰かを生かす道か、守るものか、いいや同じように殺す道に転がり落ちるかもしれない。それでも、七夜の森でただ時を過ごすだけの日々を望んだあいつは、きっと俺とは異なる道を歩むのだろう。
それを見られないということが俺の唯一の心残りなのだろうか。
きっと心残りなのだ。
さもなくば、こんな馬鹿げた奇跡が訪れるはずもない。
俺は日本の少し未来に、誂えたかのような同姓同名の親無き身の上で生まれた。いや、親もいたことにはいたのだが、あっけなく交通事故に巻き込まれて世を儚く去っていった。
閻魔は一体、何をしているのか。そりゃ、自分が地獄をひっくり返すような大物とは言うまいが裁きの一つはないと、因果応報はあの世さえ効きが悪いことになる。死後を堪能することなく、直ぐさま来世とは忙しない。
親が交通事故に遭い、一人残された俺には選択肢が与えられた。
『七夜黄理、君には国家を守るための訓練を受け、その身命を尽くす道。そして、何も知らずに生きていく道、二つの選択肢がある』
生まれ変わりを果たしても、俺の瞳は依然変わることなく機能していた。
浄眼、有り得ざるモノを見ることのできる使い道のあまりない眼は、相手が真摯に俺へ道を用意していることを教えていた。相手の感情の揺らめきは、常人のそれで混血や魔のそれではない。
ただ、真っ直ぐ俺に向けられた思念。
これは以前は与えられなかった選択肢だ。
選ぶ機会さえ得られなかった二者択一。
俺は悩み、結局手慣れた道を選ぶことにした。
護衛の仕事ならば、刀崎のところでの経験がそのまま使えるはずだし、何せ御国の紐付きだ。一族経営の暗殺者稼業より稼ぎもよかろう。
いや、本当は怖かったのかも知れない。
夜の世界から、急に右左も分からない“眩しい道”へ放り出されるのが。
前の生では子供までこさえたというのに、やはり中身は餓鬼のままかと呆れてしまう。
前者を選んだ俺は、俺と同じような身の上の子供が揃えられた教育施設に入ることとなった。
曰く名を“リリベル”。八咫烏という組織を前身とする独立治安維持組織『DirectAttack』──通称『DA』は、少年少女のエージェントを秘密裏に動かし、日本という国家全体を守るため活動しているらしい。お題目は綺麗でも、やはり殺しをするのかと業の深い話に俺はため息を吐くほか無い。
リリベルでは基本的な現代の一般知識、銃や武器、車両の運転技術、多言語の修学など多岐にわたって学ばされた。
やはり、日本限定で動いていた小規模な暗殺者一族と国家直轄の暗殺組織では勉学の質が違うと感心する。やったこともない勉学に追いつけるものかと不安になったが、魂は老いていても身体は伸び盛りの子供のそれだ。脳は知識を柔軟に吸収して、俺のような古い人間でもSNSとスマホの扱いを覚えられた。
まぁ、使う機会はそうそうないが。
今の世を学び、かつての生きていた時代よりも窮屈になっていたことに気づく。人々の営みを監視するカメラ、己の言葉が顔も知らぬ余人に知られる携帯端末など、俺の生きていた頃とは世界が大きく変わった。
それでも、変わらないのは俺のような殺しを生業とする者がいることくらいだ。
学び舎である程度の知識を叩き込まれた後、俺と同い年の少年たち数名は実戦に早くも放り込まれた。それは実行困難かつ生きては帰れぬ任務の類いだったらしい。曰く、人員を大勢失っても果たさなければならない一件で、経験の有無は関係なく雛でも容赦なく駆り出されるものとなった。
サードという前線で命を張る新米だった俺は初陣で、一人取り残されることになる。
緊急退避の命令が出て、隊長格のファーストを始め仲間が退避する中で俺は阿呆なことに立ち止まって月に魅入られていた。そういえば、餓鬼として生まれ変わりリリベルとして現代の一般常識や殺しを学び直しながら激動の日々を過ごすのは目まぐるしく、こうして落ち着いて月を見る暇さえなかった。
そうか、こんなにも月は綺麗に世界を照らすのだったか。
かつて、七夜の森で見た月夜の空が今見ている空と重なる。
月を見て、遠い過去へ思いを馳せている間に仲間たちはヘリで脱出を終えていた。
俺は二個小隊ほどの違法武装集団が駆け回る港に置いてけぼりということか。
なんと無様。
さて、どうしたものか。耳に取り付けられたインカムからは、冷然とした指揮官の訓辞はなく砂嵐のような断絶音しか聞こえず俺は完全に放棄されたようだ。まぁ、実戦の現場で退避命令を聞かずに月を眺めている間抜けにかける時間も人もないということか。
それでは仕方ない。
殺すとするか。
銃を使う気はない。装填の手間や弾数が限られる上に俺には向いていない。新品そのものの銃を鞄へ詰め、廃材置き場を物色する。こう手頃な
一分半の苦闘の成果は、二本の鉄パイプだけ。
使い慣れた獲物に比べ、耐久性や重量など不満は尽きないが無いよりマシだ。
相手はアサルトライフルなどの重火器で武装した二個小隊、80人から100人程度の無法者だ。まぁ、こつこつ手近なところから行こう。
この港が相手の本拠地だとしても、ある程度の条件を整えればこちらの動きやすい場所に変わる。数カ所に致死の即席罠を作った巣を張り、あとはひっそりと仕事を済ませるだけ。見つかった瞬間発砲され、この港にいる全ての敵にまだ獲物が残っていることが知らされる。
まぁ、問題ない。
混血や魔の相手に比べれば、普通の人間なぞ野山の兎と大差ない。
気取らせることなく、全員の始末がつくだろう。
まず銃を構えてやってきた十人を、背後より音無く急襲する。
まず、一人目最初が肝心だ。ここで違和感を与えては骸を曝すのは自分になる。
初手、後頭部より頭蓋を穿ち脳髄を撹拌する。最初の犠牲者は身じろぎ無く静かに膝をついて崩れ落ちそうになる。崩れそうになる人間の背中を掴みながら、空いている方の手で二人目の心臓部に突きを撃つ。下方から横隔膜ごと心臓を抉ったので呼吸も声もなく命を落とす。
二人を港のコンテナに立てかけ、三人目からは惰性でこなす。極限の低空動作で三人目、四人目は同時に仕事をこなす。顎下から鉄パイプで頭部を串刺して、手早く引き抜き未だ気づかない五人目の頸骨を打撃で破壊する。ようやく違和感に気づいた六人目だが、慌てず騒がず七、八人目と続けて頭蓋を蹴り砕く。
しまった、加減し損ねた。敵の頭蓋が思っていた以上に景気よく弾けた。柘榴のようだ、などと陳腐な表現だが、これは上手くない。混血を相手取っていた過去の勘が抜けきっていない。あるいは、子供の体だから無意識の力の調整に手違いがあったか。
まぁいい。次はもう少し上手くやろう。
そしてようやく、こちらの姿に気づいた九番目は唖然と口を開け呆然と立っている。
何がしたいのか、よく分からなかったがとにかく命はもらっておこう。
垂直な壁面を蹴り反転、相手の視界から離脱。頭上に位置取り、そのまま踵で顔の中心、人中を蹴り砕く。脳漿や頭蓋骨を撒けない、無駄なき殺傷。傍目からは死んでいるとさえ、気づかせない死に様。
よし、勘が戻った。
体が記憶している、これまでで上手くやれた動作の中から今の体で再現できる動作を無意識のままに行う。俺の親父が教えた七夜の技の基礎、六兎は今でも血肉として体に刻み込まれている。
懐かしむ気持ちを余所に、最後の一人だ。
こちらを脅威と認識し、声を出そうとしながら銃の安全装置を外そうと、いや流石に隙だらけだ。二兎追うものは一兎も得ずというもの。欲張らず遺言で仲間に危機でも知らせていれば良かったのだがそうはいかない。
二本の鉄パイプを使い、ひねりと
十人、ひとまずこれで減らした。
あとは繰り返すだけ。なんなら罠にかかって死ぬ者も現れるだろう。
こちらの優位な閉所に行ってしまった人間は、思いの外綺麗に解体することができた。
餓鬼の体になって多少は腕が落ちたことを懸念したが、人外が相手でないのなら、余裕をもってこなすことができる。
これと似たようなことを五、六回ほど終えたところで、ようやく相手は引いてくれた。
まぁ、こちらに気づかず仲間が続々と命を落としていくのだ。気味が悪くて及び腰になるのもやむを得ない。
脳漿、骨髄、血肉に人体を構成する液体やら固体がこびりついた鉄パイプを棄てる。どうせもう使わないのだから持っていても意味のないガラクタだ。
夜が明けてきたところで俺は鞄を背負い直して港を後にする。
相手も俺も、ここらが潮時だろう。
どう帰ろうかと悩んでいると、リリベルの支援ヘリが再び港に着陸する。
血のように赤い制服を纏ったファーストが指揮するセカンド、サードたちの襲撃で相手は見事に壊滅した。どうせこの事件も明日には全く異なるニュースとして報道されるのかと考えながら鞄をヘリの中に放り、何食わぬ顔でヘリに乗り込む。
ヘリの操縦者は、恐ろしいものを見るような顔で離陸する。
まだ作戦行動中の仲間がいるが、どうしたことか?
理由は分からんが、操縦者からは戸惑いと恐怖の感情が見られる。
暗殺者集団を乗せて移動する運転者が一兵卒に何を怯えているのか?
リリベルの修学施設の寮に到着すると、いきなり味方であろうサードやセカンドの身内から囲まれて小銃を構えられた。
半周状に隊列を組んだ連中の間を縫って、俺たちリリベルを指揮する男性とその秘書が顔を出した。
『来い、七夜』
その声に従い、俺は十数名の仲間と一緒に指揮官の事務室へ足を運んだ。
リリベルの総指揮を担う虎杖司令との会話の内容自体は大したことではない。俺の働きが突出していたことや使った技の出所、出自の再確認。最も出自は説明したところで信用などされまい。生まれる前に習ったなどという与太話なぞ信じてくれというのが無茶な話だ。
だが、しらばっくれる必要もない。俺は親父から教わったと簡潔に事情を説明する。
それを聞き、秘書や虎杖司令殿は机の上の書類をかき回す。やがて、諦めが付いたのか疲れたように俺に訓練場であるキルハウスへ向かうように指示をした。俺の価値を測るとのことだが、どうしたものか。
いや、悪目立ちした以上、変に疑念を抱かせるのはうまくない。
流石にこちらの精神年齢が見た目通りでないことは把握されたろう。
まぁ、見た目が餓鬼でもやはり人生経験というのは隠せないものか。
……面倒になって考えるのをやめた。
とにかく、疲れた。こちらは昨日の夜半から働きづめなのだ。だから、早く済ませてさっさと眠りたい。
とはいえ、これから始まるのは訓練だ。
いつもの癖で足癖や手癖を出すわけにはいかない。
手加減するために鞄から拳銃を抜く。
手足を使わず加減して戦うなら、これがいい。
訓練で後付けされた銃の扱い方はよどみなく実行される。
鞄は、背負っていても重荷になるだけだ。それならいっそ、ここに捨て置き、立ち向かってくる相手のそれを奪う方が手っ取り早い。
そう決めてかかり、訓練は始まる。変に開けた空間よりもこの程度の閉鎖空間なら動きやすい。場所により天井がないことが気にくわないにせよ、所詮は餓鬼の群れ。
相手として選出されたのはファーストばかりでセカンドやサードの連中が見学しているのが遠目で見えた。見物にされているようだが、どうせ誰が相手だろうとも変わりはない。俺は俺のできることを粛々と済ませるだけだ。
訓練開始のベルが鳴る。
開始と同時に開始地点の部屋の両側の扉からファーストたちが飛び込んでくる。
それを浄眼から“予見”していた俺は右側の相手の頭上を抜け、まず相手を撒く。
正面から真っ向切って戦闘など柄ではない。相手を撒いてからは、ようやく
キルハウス内の高低差と閉所を最大限に用いて、相手に迫り銃を撃つ。不意打ちも俺の目がある限り思念で先読みが可能。余裕をもって丁寧に一人一人を倒していく。気配の殺し方と探し方が雑な連中ゆえに姿を見せないまま全員をペイント弾まみれにできた。
手間取ったことといえば、とっさに蹴り技が出そうになる反射運動を抑えることだった。
こればかりは何度やっても慣れそうにない。
ただ何はともあれ、これでようやくベッドに向かえる。
明くる日、目覚めと同時に指揮官に呼び出され、俺は昨日振りに事務室へと足を運んだ。
下手をすれば、此処で俺は処分されるやも知れないと覚悟を決めて入室する。
しかし、予想を裏切って部屋に用意されていたのは、ファーストの階級を示す赤の制服と武装の要望書だった。
どの程度の重量、重心、素材がいいのか。
暫定的にだが、試作を創りそこから改良していくという話を聞かされ、俺は疑問に思った。あまりにも俺に都合が良すぎる話だ。命令違反の件はいつの間にか不問にしたというし、俺の手に合う武器を用意してくれるなどと。
「何故、此処まで俺に便宜を図るので?」
当然の俺の疑問に虎杖司令は、愉快そうに笑いながら簡潔に答えた。
『君がリリベルの史上最高傑作となるからだ』
虎杖司令が笑みを浮かべながら口にした言葉には、こちらへの強い関心と畏怖が見えていた。
今世も、因果な暗殺稼業に手を染めることがこれで完全に決まったようだ。元よりそれ以外を選ぶ気はあまりなかったが、どうしてか無性に七夜の森へ置いてきた子供の記憶が頭を過ぎった。
思い出は鮮明で懐かしくも遙か彼方、もはやあの暗き森には帰れないのだろう。
要望を二点ほど告げ司令と多少、事務的な話をしてから俺は部屋を後にする。
朝日が差し込む廊下で、俺は改めて日の光を前身に浴びる。暖かく、黄色のようで白い光。先日の月光も改めて見たとき感動を覚えたが、朝露を彩り木漏れ日を生む日光も、また美しいと認識を新たにする。
燦々と照らす日の光が眩しく目を細め、一日の始まりを実感した。だが、ここで見惚れて昨日のように呆けているわけにもいかない。
果たしてこれから、俺はかつてと異なる道を歩めるのか。
その答えはまだ出ない。ひとまず、今日を乗り切ることから始めよう。
先ほど渡された赤い制服を羽織り、俺はリリベルとして過ごしていくため座学が行われている講堂へと向かうのだった。
TOP SECRET
“サードリリベル、七夜黄理に関する活動調査報告”
Name
KIRI NANAYA
Affilited post
Covert Assault Force Training Course
Personal Code
LB2778
Total evalution in operational action
A-
七夜黄理、四歳時に両親を交通事故で失い、リリベルとして活動することを条件として生活の援助を開始。極めて一般的な家庭出身であり犯罪性や違法性を確認できず、調査完了となる。特記事項として、父親は古武術の師範を務めていたとの経歴があるものの父親が死去したことで詳細は不明。当事者である七夜黄理へ話を聞くが、当時五歳の彼からは仔細が分からず、再調査の必要性を認めないものとして調査を凍結する物とする。以後、再調査の申請をする場合はDAへ直接、申請を行うものとする。
七夜黄理の戦闘に関する報告
七夜黄理の座学評価は、A-。上位の十五番目までは入るが、ある程度優秀というだけで特筆すべき能力を見せなかった。格闘訓練では、瞬発力の面で類いまれな身体能力を見せるが持久力に難があることが教官より報告される。結果、最低限の実働はこなせると判断しサードリリベルに配属。
先日の密輸銃大量取引の事案で初の実戦投入。ファースト二名、セカンド一名、サード十一名が死亡し撤退命令が出るが、撤退行動に遅れが生じ孤立無援の状態で現場に取り残される。しかし、彼は現地で収奪した鉄パイプを使用し、武装集団を多数殺傷。後に正式な
彼は銃を扱わずに七十七名もの傭兵を、異常を察知させることなく殺し尽くした。
現場の監視カメラ、リリベル支援用ドローンなどから彼の戦闘の様子の一部始終を記録した映像を確認。実際の映像に関しては別媒体で参照。七夜黄理は鋭利さなどなく、現地で放棄されていた特別でも何でもない鉄パイプで成人男性七十七名を殺害。刺殺、あるいは撲殺、凄まじいものであれば単なる鉄の棒きれを使い三人の傭兵を五秒以下で、四等分に解体した。
あれこそ八咫烏が長らく積み上げてきた歴史上でも類を見ない卓越した究極の暗殺者であると強い確信を持って記録するものである。
七夜黄理の
本来であれば、目覚めることも発掘されることもなかった暗き才能。
日常生活や一般生活では日の目を見ることの無かった才覚。全くの偶発的なものであれ、彼は自身の才能が十全と活用される環境に辿り着いた。運命的な何かの介在を予感させる流れだが、七夜黄理の両親の死に事件性はなく、彼本人にも不自然な点は無し。
七夜黄理、彼こそ史上最強のリリベルであるという事実を以て、この調査報告を完了とする。
多くのリリベルの生死を長らく見つめ続けてきた虎杖は、眼下で訓練を行っているリリベルたちを睥睨して、そっと開かれていた調査報告書を机の上に置いた。眼に疲れでも感じたのか、目頭を揉んで肩を回す。
「まったく、とんでもない話があったものだ。まだ二桁の年齢にも届かぬ幼い子供が、暗殺の天才で初の実戦で驚異的な戦果を出すとは」
「しかし、事実です。七夜黄理は尋常ではない実力者であり、初陣で七十七人の武装した傭兵を殺した史上最強の暗殺者であります」
「……末恐ろしいな。しかしそれ以上に何故だろうか、どうにも愉快でたまらない」
彼は笑い声を押し殺しているが、それでも秘書が普段見ることのない感情を目に浮かべていた。冷然とした表情を崩さず合理性で動く仕事人という普段のイメージと、はっきりしたズレが生じている。
その理由は、西日の差す窓とは反対側の壁に鎮座していた。
国宝級の日本刀を飾り付けるような台座の上には、全体的に歪みやへこみのある血に塗れた二つの“鉄パイプ”が芸術品のごとく照明を浴びている。一見して普通のみすぼらしい廃材のようなそれは、七十七人もの人間の命を奪った恐るべき凶器である。
事情を知った人間からすれば、この鉄の棒きれは恐怖の対象になりえるものだ。
この単なる鉄パイプがどれだけ恐ろしい運用をされたのか、詳細を知るものは味方以外、全て三途の川の向こうを渡っている。
「このガラクタが、七十七人を殺した。そんな戯れ言を誰が信じるかね。実際にそれを知る身でも、どこか夢を見ているような気がする。しかし、まぎれもなく事実なのだ」
恍惚とした表情で、虎杖司令は鉄パイプを手の平でなぞる。
この金属の棒きれが為した凶事を、堪能するかのように。
「一人殺したなら殺人者。人類の半分で英雄になり、全てを屠ることで神になる。いやはや、昔の喜劇家も素晴らしき言葉を遺した。この言葉を若き頃に聞いて数が殺人の正当性を左右するのだと思っていたよ」
「いた、ということは今は違うお考えなのですか?虎杖司令」
「ああ、数の大小ではない。肝要なのは質と純度の問題だ。それに比すれば、数など実に下らん要素だ。……僅か、実行したのが六歳の子供であるということは確かに異常であろう。一桁の幼子がああも迅速に殺人を重ねる、異常なことだ。しかし、それ以上に異常なのは、あの殺人技巧だ!」
そう言い放つと、部屋の窓に遮光布がかかり、映写機が回る。
暗がりの部屋の壁に大きく映されたのは、次々と黒い影か画面外のナニカに殺されていく武装した男たちの姿。どれも瞬きの間の出来事。まるで、ちょうど寿命が途切れる瞬間を偶然カメラが捉えたと錯覚しかねない驚愕の映像。
「スローモーションにしてようやく、彼が敵を殺している場面を辛うじて確認することができる。ああ、はっきり見れば見るほど、凄まじいかな。いや素晴らしい。壁面を滑るように動き、隙をついて即座に時間をかけずに命を奪う。かくも殺人とは芸術的なものと成り果てるか!無駄や非効率を廃した人体の躍動、生命を奪う瞬間の鮮やかさ。──見事だ、本当に見事だ」
情熱的に感嘆の息をついた虎杖司令の呼吸が落ち着いたのを見て、秘書は彼の暴走を押しとどめる。
「DAのリリベルを指揮する立場の貴方がスナッフフィルムにご執心というのは、あまり良いお話ではございません。そのような醜聞を聞かれぬ為、御自重をお願いいたします。……しかし、七夜黄理にああまで便宜を図る必要があったのですか。彼の階級をファーストに昇格するというのは、優秀な人材に対する適切な評価として大義名分が立つので問題はないでしょう。ただ、武装を特注で用意するというのは、些か……入れ込みすぎでは?」
秘書の男性が僅かに言いよどんだのは、自らの越権行為への躊躇いと指揮官に対する疑念の面影でもあった。しかし、その一抹の疑念を笑い飛ばし、虎杖司令は椅子に重々しく腰掛ける。
「あれは史上最強のリリベルとなる。この程度の干渉など、これから彼が積み上げていく屍の山を思えば、誤差のようなものさ。だが、思っていたよりも要望が質素だったのは、こちらとしても予想外だった」
七夜黄理は、武装が頑丈で、自分の機動性を阻害しない限りは何でもいいと、特別な要望を上げてこなかった。それはそれで武器開発の人間を苦心したが、結果として活動を邪魔しないくらいの重量と高い強度を合わせ持つ黒の金属棍は七夜の元に届けられた。
無骨で尖った先端もなく、刃すら持ち合わせない。見たところ、いや殺人に使われない限り、本当に単なる頑丈な棒きれでしかない。夜闇に隠れるような黒のツヤ消しが行われてこそいるが、見た目は完全に太鼓のバチみたいな何かとしてしか認識されまい。
あれなら、仮に職務質問で巡回中の警官に止められても、殺人用の武器とさえ気づかれないはずだ。あのなんの変哲もない棒がどれほどの脅威なのか、それを味わう人間は、その使用法を認識する間もなく落命することだろう。
「いや、彼自身が望んだことだ。ならば、案外それこそが最善なのかもな。我々はそれを尊重しようではないか。……そういえば、リコリス側の楠木司令との連絡はどうだ、返答はあったのか?」
「はい、模擬戦の件の連絡は返ってきました。ただ、しばし待つ必要があるそうです」
「ふむ?」
「噂に名高い、史上最強のリコリス。まだ現場に顔を出していないにせよ、実戦経験豊富なファーストのリコリス数名を訓練で完封。まさに最強といっても過言ではありません。ただ、惜しむらくは心臓に持病を抱えていることです」
「そこまでは上層部にも通達が来ている。だからこそ、早い内に七夜と当てて彼の成長の糧としなくては……いや、まさか見つかったのか。心臓の代替が?」
「はい、詳しい話はこちらにまでは流れてきませんでしたが、今年に施術が行われ来年から実働に耐えられると、上層部への連絡があったそうです」
「急だな、一年足らずで万全な動きができると言うのか。剛毅なことだ」
「心臓のドナーに関する情報は徹底的に秘匿されています。如何しましょう、本格的な洗い出しを行いますか?」
秘書の鋭い眼差しを受け、リリベルの命を握る虎杖司令は鷹揚に手を振る。
「やめておこう、あちらを下手に刺激してもこちらに利益はない。今回は模擬戦を受諾してくれたことに感謝し、あちらの事情は踏み込まないでおこう。リリベルとリコリス、基本的に分かたれた指揮系統にいる我らがこうして道を交えるめでたい機会だ。変に水を差すのもよろしくないだろう」
「承知いたしました。そのように」
秘書の男は、それだけを告げ静かに一礼をしてから退室する。
感情を部下に見せないと自己を律していた気でいたが、今日だけでも多くの顔を部下に見せてしまった。反省を抱く反面、どうにも浮かれているのが抑えきれず、困ったように笑い上げた。
「同じ世代に現れた二人の史上最強か。運命的な縁を感じてしまうな。最も、場合によってはどちらかが花のように散るやもしれん。
虎杖司令は、背もたれに身を預け口角を上げる。
その笑みは多くの命を奪い、また死を命じた暗殺者の頭目に相応しい冷徹を秘めていた。