Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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Lycoris A moon eclipse【4】

 

 

 

 月と陽が隣り合う空、昼でも朝でもない。不完全な夜のただ中。

 

 月蝕の黄昏に踊る人影らの闘争は誰の目にも映ることはない。此処は、誰の手も、声も届かない塔の天辺。この瞬間、この刻において、この街で最も空に近い場所、“延空木”。

 

そこで両陣営は互いの求める最善の決着に目掛けてひた走り血を流す。延空木における勝敗の条件は両者ともに異なっていた。真島たちは千束らを完膚なきまでに倒すこと、千束たちは真島のスマホの奪取。タイマーの制限時間という点は真島に利する要素ではあるが、極論の話で言えば千束たちは戦闘なぞ無視してもいいのだ。

 

 スマホを奪い、タイマーを止めるだけで千束たちにとっては勝利となる。

 

 もっとも戦いに付き合おうとせずスマホを奪う狙いに絞れば、真島たちも制限時間まで粘る消極的な泥沼戦法に移行するのは必至。従って、千束たちは戦いの中で生み出した隙を突いて奪うことを余儀なくされた。

 

「あーもー、時計止めろ~」

 

「勝負に集中しろよ、リコリス!」

 

 

 真島の手には漆黒のリボルバーが握られ、千束の射撃に応じて身動きを封じるタイミングで射撃を行っている。背後の狙撃手、ティナのライフルの弾丸も厄介なことこの上ない。千束が滞空兵装、シェンフィールドを相手取り、黄理は真島と超接近戦で互いの命運を削り合う。

 

 黄理の射撃とナイフの斬り付け、それを真島は射撃の牽制で逸らしては躱す。やはり、予測精度がありえないほど高まっている。黄理は戦慄を隠せない。この男は、一体何手先までを読み切っていることか。

 

 

 黄理の戦慄を前に、真島は背筋に冷ややかな汗をかいていた。かつて、室戸菫の提唱した“二千分の一秒(ターミナルホライゾン)”、真島はこれまでの義眼の連続使用であり得ないほどの演算数値を叩きだしている。八百倍、千百倍と加速度的に演算子が廻り続ける。思考の加速によって、世界は広がり続け、あらゆる物体の運動量とその行き先が手に取るようにわかる。

 

 代償となるのは脳の負荷、今はなんとか上手く取り繕えているが演算がこれ以上加速すれば、義眼の思考加速は真島の手に負えなくなる。脳が溶けるか、肉体が限界を迎えるか。真島はリスクを知りながらも、知ったことかと踏ん切りをつけた。

 

 この刹那、この戦いにしか興味はない。終わった後なぞ思考から排除し真島はただ己の悦楽と歓喜のためだけに拳とリボルバーを握りしめた。

 

 

 

 

 迫る剛拳、正確無比の銃弾。それを思念の視覚化という理外の異能によって辛うじて回避する。しかし、回避の先の先を読まれ、傷は増える一方だ。どれほど眼をこらしても、勝機は欠片と見えないまま。

 

 

 俺は拳銃と仕込みナイフを交差した構えを取り、引き金を引いた。

 

 銃を撃った時の反動(リコイル)を初動の加速に転用。これまでの七夜の技巧に拳銃という要素を加え、黄理はこれまで以上に立体的かつ幻妙な加速、停止、緩慢な挙動で真島を苛烈に仕留めにかかる。

 

 超短期決戦、黄理は否応なくその選択に引きずり込まれた。

 

 このままだらだらと戦っても時間切れ以前に読み切られて敗北する。それを見越し、黄理は敢えて真島の懐へ突っ込んだ。そのまま胸倉をつかみ、そこを起点としてくるりと真島の懐のさらに奥へ潜り込んで発砲。

 

 実弾を当てる気はさらさらない。当てようとすれば、先読みの怪物たる真島はすぐ察知する。ゆえに狙うは敵の鋭すぎる聴覚。旧電波塔での真島の突破法、その再現である。

 

 

 真島も旧電波塔での手痛い敗北を記憶していたらしく、すぐさま回避行動を取ろうとするが黄理はその回避先で足を跳ね上げる。胸元の爆弾と連動していると思しきスマホが胸ポケットから飛んで展望デッキの下部へ転がっていく。

 

 

 此処が、この戦いの最大の分岐点。

 

 

 転がっていくスマホ、千束はそれを視界の端で捉えながらも僅かの躊躇いが起こる。

 

 

“スマホを奪うべきか”

 

 “今は戦いに集中するべきか”

 

 

 考え込んだ千束はそこで動き出すより先に手折られた華のように床へ崩れ落ちた。限界が来た、という分かり切った事実を抱えたうえで千束は銃のグリップを強く握りしめる。

 

「……ポンコツはいっこで十分、なんだよ」

 

 ポンコツ、などという形容は自身の心臓を指してか、それとも旧電波塔、ないし願われた使命を果たせなかった事に対する自虐か。

 

 

 

 床に這い蹲った千束の姿が黄理の目に止まる──。

 

 無くしたくない、錦木千束だけは失いたくない、そう心から思ったとき、俺は見ようとしてこなかったものを“視る”覚悟を決めた。

 

黄理の眼差しに昏い漆黒と透き通った蒼の燐光が灯る。漆黒の眼光に縁取(ふちど)って円環を為す蒼の輝き。それはまるで月と太陽の重なりから生じる皆既月蝕(エクリプス)を思わせて──。

 

 瞬間、黄理の瞳は此処ではない別の可能性(どこか)を目にしていた。

 

 

 “七歳の時点で千束を殺した己の姿”。

“十歳の夜、千束の命を奪う自分の俯いた顔”。

“旧電波塔で千束と心中じみた決着を迎える俺の亡骸”。

 

全てがこの瞬間においては等価であり、実現せずに消えた可能性の羅列だった。

 

 

 かつて起こるはずだった惨劇、記憶に焼き付いた悲劇、過去と未来、全ての可能性がフィルムとして網膜に投射されていく。それらを無視して、俺は今に焦点(ピント)を合わせた。そうしてやっと浮かんだ可能性(どこか)の映像、“スマホを奪おうとして、真島と墜ちていく千束の姿”。

 

 “月蝕の魔眼”が黒と蒼の輝きを放ち、今を見据える。

 

 

 縁起でもないことを言うからだと、黄理は悪態を内心に留めてスマホに向かって駆ける。真島、ティナへの対処を放棄して隙を晒すことを承知の上でスマホに向かって疾走。戦うことを捨てた黄理の後ろ姿に真島は鼻白(はなじろ)んだ。

 

「てめぇらには、がっかりだ」

 

 

 七夜黄理は此処にきて自分の生存を放棄した、真島たちへの対処を捨てスマホの奪取に全てを注ぐ。だから、彼にできたのは信じることだけ。

 

 千束が立ち上がること──。

 

 そして、たきなが間に合うこと──。

 

 

蒼の光環を伴った“月蝕の魔眼”は此処に可能性を収束させた。

 

 

 展望フロアの扉が叩きつけられた衝撃で開閉し、一人の少女が乱入する。

 

「──黄理くんっ!千束っ!!」

 

 絶対絶命、危機的な状況下で現れたリコリコのもう一人のリコリス、井ノ上たきな。普段から冷静な彼女の泣き出しそうな呼びかけ。俯いた千束の眼に灯る意思の焔。意思は血を伝い、身体の限界を超えて動かす力となる。

 

 

 “どくん”、と鳴らないはずの鼓動が身体を内側から叩いた気がした。あんまし時間は残されてない、延空木にも、自分にも。

 

 だから、走れ。後のことなんて考えずに今は動いて──。

 

 勝算は限りなく零に近い/けど諦めない。

勝っても自分に未来は残されていない/諦める理由には届かない。

みんなに置いてかれる/諦めたくない……。

 

 

 歯を食いしばって、千束は前へよろける姿勢で動き出す。立ちあがり、走る、という工程を踏んでの移動はもはやできない。ならば、と倒れ込む勢いのまま走り出すことを選んだ千束。

 

 全ての選択には代償が伴う。

 

 銃の引き金を引くことによって生じる反動(リコイル)のように──

 

 これを言ったのは橙子さんだったか、いや先生が言っていたような……。

 

 途切れかけた思考を振り払い、爛嵐と光る紅玉で千束は敵を見据えた。

 

これが最後の躍動になってもいい、そう覚悟を決めて彼岸花の少女はたった一歩を全力で踏み締める。

 

 

「これが──私の選んだ未来だ(リコリス・リコイル)

 

 

 立ち向かうは真島、ティナ・スプラウトの二人のテロリスト。どちらも一級の遣い手、殺人者。戦うという点では暗殺者である自分や黄理を優に上回る魔人。強敵であり、体調が万全でもまともに対抗出来たろうか。気配を隠し、動き回っている黄理に注意の大半を惹いてもらわなくては敵陣営の弾幕に圧殺されていたかもしれない。

 

 

 一瞬、刹那のうちに真島とティナを打ち倒さなくては黄理を救えないことを理解し、千束は自分が忌避し続けてきた才能と今この瞬間だけ真摯に向き合うことを選んだ。

 

 

 皮肉なことに吉松の見立てはほぼ正しかった。銃弾を避ける技巧なぞ、余技に過ぎない。敵の観察による次、さらに次の行動予測。そこから来る殺戮手順の構築こそ錦木千束の本質。殺し、殺される、死と隣り合わせの環境に千束の才能が目を覚ます。

 

 

 銃の照準を付けることは不要。既に肉体が銃の癖と弾丸の性質を記憶している。

 

半径4m圏内では千束は弾を外さない。一歩、飛び込むような疾走を踏み出し、千束は全弾を撃ち尽くす。周囲へ浮いた五基の兵装、シェンフィールドとティナの華奢な体のあばら、肩の二発。全弾を撃ち切った反動(リコイル)に負け、千束は仰向けに倒れていく。

 

 ティナはその矮躯に受けた非殺傷弾の衝撃に意識を途絶させた。

 

 たった一歩の反撃の直後、力なく転倒した千束に真島は舌打ちをして黄理の対処に動こうとする。真島の判断は正しい、錦木千束はもう一歩も動けず、戦力としてはまともに機能しないために。

 

しかし、その油断が勝負の決め手となる。

 

 顔を青くしたたきなが駆け寄ってくるのを横目に、千束は最後の力を振り絞って弾倉を再装填。真島の警戒が逸れたのは一瞬だけ。その一瞬に千束は攻め手をねじ込んだ。

 

 避けることも、身動きもできない状況。それでよかった。避ける気も、体力も残されておらず立ち上がれもしない。油断して当然、何もできないと判断されることは妥当。しかし、千束は倒れていく中で最後の余力だけは隠しおおせていた。

 

 そう、引き金(トリガー)を引く力だけは──。

 

 動く必要なんてもうない。ただ指先だけが動けば十分。

 

 仰向けの千束は無感情な紅眼で真島を撃ち続ける。非殺傷弾により真島の後頭部に舞い上がった赤の粉塵。たたらを踏んで真島が膝をつく。その膝にも非殺傷弾が撃ち込まれた。

 

 反動(リコイル)に逆らわず、腕が発砲のたびに跳ね上がった。真島の額に粉塵が上がり、真島は展望デッキの下部に落ちていく。落下していく中、真島が思い返したのは旧電波塔で刻みつけられた恐怖。

 

 埃と灰、硝煙の向こう側から覗く赤と蒼の眼光。

 

 あれこそ、オレが挑み勝利を欲した──。

 

 

 

 硝子張りの展望デッキに落ちていくスマホと一緒に墜ちていく真島。意識を失いかけた彼がスマホを追いかけてデッキ下部に飛び込んできた蒼の眼光を見た時、テロリストは最後の嫌がらせにと拳を握った。

 

 このまま何の変哲もない大団円/なんてつまらないオチは却下だ。

 

 真島は、義手の最後のカートリッジを点火させる。爆炎を受けて加速した黒の(かいな)は硬質なガラスを一撃で破砕し、スマホも、人も延空木の外へと放逐する。

 

 スマホのタイマーはもう十秒を切っている。奪取したとして、操作して解除しているような暇はもうない。

 

 “詰みか”、と腕を垂らし夜闇に放り出された黄理の耳に飛び込むのは吹きすさぶ強風と、同じく落ちている真っ最中の真島の嘲笑だった。

 

「クハハハハッ!!落ちろ!落ちろ!!墜ちろ!!!」

 

 近場に浮いてたスマホ、それと真島が直線状に結ばれた瞬間、黄理はスマホの解除とか延空木の爆破を無視して空中で軽やかな反転を見せる。どうせ制限時間はあと数秒、なら気前よく壊すのが最短だ。

 

 自棄っぽい思考のあと、黄理は頭上越しの(オーバーヘッド)蹴りを、スマホを間に挟み込む形で真島の額に叩きこんだ。

 

 

「うるせぇ、お前が落ちろ」

 

 黄理の脚は真島もろともにスマホを粉砕して蹴り抜かれた。

 

 スマホはタイマーが一秒の時点で砕け、真島も額を割られた状態で脱力する。自身の敗北を悟った真島は苦笑を溢し、重力に引かれて夜闇の中へと消えていった。

 

 だが真島だけでなく、黄理もまた虚空へと身を投げ出されている。彼もまた千束と同様に全てを出し尽くし、自分の終わりを受け入れたのだ。

 

 

 

 

 たきなは倒れ伏した千束と落ちていった黄理を見て、葛藤の末に黄理を救うために駆け出した。弱々しく伏した千束のことも心配ではあるが、落ちたばかりの黄理の方が緊急性が高いと判断。ワイヤーガンをリロードし、眼下の落ちゆく黄理を狙う。

 

“全ての選択には代償を伴う”。

 

 伽藍の堂で聞いたような、詩的で何処か曖昧な言葉が脳裏に浮かぶ。そう、選択した結果は銃の引き金を引くことによって生じる反動(リコイル)のように何らかの代償を生じさせる──。

 

だからこそ明日を、未来を選択する。ワイヤーガンの一発で黄理を、彼の未来を、千束と共に生きる未来を救うのだ。

 

 “この一発は────私が選ぶ未来の物語(リコイル・オブ・リコリス)”。

 

 

 空気を割く独特の発射音、射出されたワイヤーは黄理の痩せぎすな身体に絡まった。途端、ワイヤーにかかる七夜黄理の荷重。指でワイヤーを掴んでいれば、その鋭さで指が飛びかねない。たきなはワイヤーを背負うように保持して床を踏み締める。

 

 肩にかかった黄理の命の重み。肩を擦過して急激な摩擦熱を持つワイヤー。

 

「ぐ、う、うぁ、ぃ、あぁ──!!」

 

 

 防弾防刃の制服の上からとはいえ擦り切られる痛みと摩擦の熱がたきなの肩に重く食い込む。それでも黄理を助けるため、たきなは懸命にワイヤーにしがみつく。だが、たきながいくら踏ん張っても黄理との体重差から、徐々にガラスの割れた展望デッキへ引かれていく。

 

 このままでは一緒に落ちる、という予感がしたとき、たきなと共にワイヤーを背負う少女の姿が隣に立った。朦朧としながらも千束は立ち上がり、たきなと共に黄理へ繋がったワイヤーを肩にかけたのだ。

 

 ワイヤーが伸び切り、ひときわ強く張った後、黄理の墜落はどうにか千束とたきなの手によって阻止された。

 

 ワイヤーに絡め取られて逆さに吊られた黄理は落ちていった真島を視線で追い続け、疲労のあまりゆっくりと瞼を下ろし──。

 

 

 破裂音、続いて火花の散る音が周囲から聞こえた。覚悟していた衝撃や爆炎は皆無で、辺りには色とりどりの空に輝く花火の数々。

 

 延空木の周囲、天高く咲き乱れる華の色彩。

 

 黄理は吊られたまま、自分たちが必死に戦った成果を噛みしめる。

 

「……畜生、もっと強く蹴り飛ばしときゃ良かった」

 

 

 黄理をたきなと一緒に繋ぎ止めている千束は上がっている花火を見て、真島が舌を出して揶揄ってくる顔を想像しうんざりだと言わんばかりに悪態を吐いた。

 

「ふざけやがって──」

 

「……口、悪いですよ千束」

 

「ちょっち見逃してよ……いまスッゴイ疲れてるからさ……あぁ、でも」

 

 千束はゆるゆると膝をついて、真下にいる延空木から落ちかけた黄理の方へ意味深に微笑みかける。

 

「やっぱ、黄理はヒーローって柄じゃないよねぇ」

 

「千束もそういうタイプじゃないでしょう」

 

「え~、わたし落っこちなかったよぉ」

 

「……どういう判断基準ですか、そうじゃなくて──」

 

 

 

「千束はリコリコの看板娘でしょう──」

 

「えへへ、なーんか照れるなぁ……」

 

 

 結局、真島の見せたタイマーは千束たちを戦わせるための狂言だった。アラン機関の関与した千丁の銃の用意は別として、延空木への侵入と電波ジャックで真島の策謀に使えるリソースは払底していた。

 

 この期に及んで延空木を爆破倒壊させる余裕なぞあるわけがなく──

 

 色とりどりの花火を見て、多くの東京都民が喝采と諸手を上げて喜びの声を上げる。此処に至るまでの闘争と犠牲を知ることもなく。

 

 今はただ、絢爛な花火が咲いては散り、咲いては散りを繰り返す。

 

 リコリスたちの勝利、延空木の竣工、リコリコの面々の生還、全てを祝うかのように幾多の花火が東京の夜空を彩った。

 

 

 

 

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