Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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Lycoris A moon eclipse【5】

 

 

 

 

 ──ふと、目が覚めた。

 

 

 月は天高くあり、夜の帳は深く、浅く開いたカーテンの向こうの街並みは穏やかに眠っている。あれほどの奮闘を繰り広げた延空木も、旧電波塔も明かりは点いておらず真っ黒なシルエットだけを東京の夜景に溶け込ませていた。壊れていないという安心より先に訪れる不安。

 

 本当に自分は目が覚めているのか、と言い知れぬ不安がよぎる。

 

 不安を払拭したのは、“ずきり”と胸を突く痛み。

 

 

 じくじくと胸の谷間の中心へ居座った痛みは辛くはあるものの不本意なことに今、確かに私が生きている証として機能していた。他にも体のあちこちにガーゼが貼ってあったり、点滴が腕に刺さったりもしてる。けど、胸の痛みが他のどの痛みよりも鮮明で、相対的に他の痛みが薄れているようだった。

 

 痛みを無視するには目を閉じ、我慢して眠るのが一番のはず。

 

 もう一度、瞼を下ろそうと思ったけど、それを理性が拒絶した。

 

 人工心臓の手術を受けるまで、私はいつも眠ることが怖かった。

 

また朝を迎えられるかは決まっておらず、睡眠は命がけの綱渡りをしてる気分になる。起きることは生還であり、眠ることは死に向かうこと。だからこそだろうか、私にとって命がけのプレッシャーは他の人が感じるほど重くない。だって毎晩毎夜、私は死と隣り合わせに生きてきた。

 

 

 小さな頃から死は隣人であり、生きていることは不安定で──。

 

 

 子供のころ以来だいぶ長い間、感じていなかった眠ることへの恐怖。どうしてこんなことを、と考えていたら思い当たるアクシデントが直近であった。

 

「……心臓、壊れちゃったんだっけなぁ」

 

 胸の痛みは、つまりそういうことだろう。残された時間を延空木でかなり使ったみたい。ずきずきと胸の痛みは不安との相乗効果でひどくなった、気がした。目を覚ましてから胸の痛みはひどくなる一方で──。

 

 

 臥せたまま、千束は天井へ向かって手を伸ばす。

 

 

「だったら……行かなきゃかな」

 

 誰にも聞かせられない弱音は枕元から聞こえた予想外の声に問いただされた。

 

「どこへ──?」

 

「……わわっ!?黄理!? 」

 

「ようやく気付いた。……少しは寝ぼけ眼も晴れたらしいな。それで?行くって何処へ?」

 

「あ~、ちょっとお花摘みに」

 

「嘘だろ、分かるぞ」

 

「……あ~、バレちゃう?」

 

「下手なんだよ、お前」

 

「上手よりはマシ、と思っとこうかな」

 

組んだ足の上で頬杖をついた黄理は、ひどく面倒そうに千束を睨みつける。

 

 

「──何処に行くつもりだったんだ?」

 

「────みんなに見つからないとこ、わたしもう時間無いっぽいからさ」

 

「死に際を察していなくなる、か。お前、猫じゃないんだから」

 

「猫より可愛い?」

 

「……そうだな、可愛いところはある」

 

「うえっ!?」

 

「なんで自分から言っておいて赤くなるんだよ」

 

「……だって、黄理。そういうの言うタイプじゃ」

 

「確かに、ガラでもなく口が滑った」

 

 けらけら、と笑う黄理は、何処かこれまでに見たことがないほど気ままな気配を漂わせて千束の傍らに存在していた。しばらくの沈黙、何も語らない数秒が心地よくて、千束はうとうとしかけるが、赤い両瞳を大きく見開いて月光のごとき黄理の眼差しを追いかける。

 

 街が眠りについている中、少年少女は静かな夜更かしを謳歌している。音のない時間が止まった空間、何のやり取りもないのに不思議と居心地の悪さはなく、黄理と千束はベッドから並んで今宵の月を眺めている。

 

 しばし続いていた沈黙を破ったのは、少年の呼びかけ。

 

 

「千束──」

 

「なーに?」

 

「お前、死なないよ」

 

「……ふーん、どうして?」

 

「手術は成功した。新しい心臓が動いてくれてる」

 

 黄理の端折り過ぎた説明を聞き、千束はぱたんと起きていた体をベッドに横たえた。変な喪失感と奇妙な感慨が内心に両立する。新しい人工心臓の出どころ、千束は心当たりが不吉なところにしかなかった。

 

まっさきに思いついた心当たりは──。

 

「……そっか~。…………ヨシさん、もう居なくなっちゃったんだね」

 

 吉松のことに思いを馳せてセンチになった千束へ黄理はあっけらかんと事実を告げた。

 

「いや、吉松生きてるよ」

 

「……マジっ!?え、どんな魔法で!?」

 

「魔法もなにも。虎杖さんがアラン機関に繋がる情報源が欲しいってんで生かしたって聞いた。今はたぶんDAの拘置施設に放り込まれてる」

 

「じゃあ、手術した人工心臓は誰が……」

 

「俺の支援をするって来た爺さんがいたろ、アイツのさ」

 

 自分の命と引き換えにアタッシュケースを開錠すると告げた老爺。千束はさぁっと顔から血の気を引かせて首を振る。

 

「そんな……違う、そんなのダメ、それじゃ何の意味もっ」

 

「落ち着けよ、あの爺さんも生きてる」

 

「ふぇ?」

 

「橙子さんのペテンだ。病院に来たヤツのアタッシュケースは、持ち主のじいさんの心肺停止で開錠する仕掛けだったらしい。だから、わざと爺さんの心臓を止めて人工心肺で生かしてる間にアタッシュケースの中の人工心臓を回収したんだと」

 

 確かにあの老人の言ったことに嘘はなかった。“強制はしない”、つまり選択の余地があるということ。殺すことも、生かすこともできる中で七夜黄理が何を選び取るのかを、アラン機関の人間は見たかったのだろう。

 

 

「………………良かったよぉ~~~。あー、心臓に悪い説明の仕方しないでよね」

 

「なんだ、手術は成功してるだろ」

 

 不満げに頬を膨らませた黄理に千束は柳眉を斜めにして睨みつける。

 

「そーいうはなしじゃなくてさー」

 

 

 やれやれ、と千束はどんな説教をしてくれようと考えた時、不意になんだか色んなことがあったと面白くなって笑い出してしまう。楽しそうにくすくす笑う千束を、黄理は嬉しそうに眺めていた。

 

 笑い終えた千束は、ぐっと身体を反らし胸元が強調される形で伸びをする。

 

「まぁ、いっか。これで一件落着、みんなでリコリコに」

 

「いや、それはできない」

 

 首を横に振った黄理へ千束は愕然と目を瞬かせた。

 

「えっ」

 

「俺は此処には居られない。……だから、いなくなることにした」

 

「居られない?……なんで、どうして……?」

 

 

黄理の顔に深い影が差し込む。真っ暗な影の中、目元に光る蒼と黒の眼光は決意の固さを表していた。黄理は理解してもらえないと分かったうえで、訣別の理由を説明していく。

 

「──此処にいる俺は死人みたいなもんだ。いや、何なら死人の方がマシかもな。何せ、死人は動きも、飲み食いも、話しもしない」

 

「それは黄理が生きてるってことでしょ……!」

 

「違うんだ。俺は確かに死んでいて、なのに終わっていない。こうして今も死に損なっている」

 

「それって、延空木でリコリスたちを助けるためにリリベルに撤退命令を出したから?だから黄理は死んだ、ってことにされちゃったの?……だったら、リコリコ(ウチ)に来ればいい。そうすれば、ずっと一緒に──」

 

「できないんだ。死人(オレ)生者(オマエ)は一緒にいられない。だから行かなきゃな、どっか遠くに」

 

 影に隠されて表情の見えない黄理は不意に立ち上がる。思わず千束が手を伸ばし、黄理の腕を掴もうとしたとき白い刃の軌跡が病室に閃いた。黄理の持つ仕込みナイフが千束の検診衣の両袖を貫いて、彼女をベッドに(はりつけ)にしたのだ。

 

「──ふっつ~、いきなり刃物使う?」

 

「いきなり掴みかかるのはいいのかよ?」

 

「少なくとも私は刃物とか持ち出してないし~」

 

 仕込みナイフで袖を刺し留め、両腕を黄理が自らの手で拘束する。覆い被さるような体勢で身動きのできなくなった千束は悪戯っぽく笑って脅してみることに。

 

「これ、“襲われる~”とか言ったら、わたし百パー勝つよね」

 

「まぁ、この体勢から男が法的に勝つ未来はそう無いだろうな」

 

「やってもいい?」

 

「勘弁してくれ」

 

「どーしよっかなぁ。いつも、黄理はさぁ、ぁ────あれ?」

 

 ぐらり、と頭が重くて首が急に思いがけず傾いた。身体から力が抜け、瞼が重くなる。強烈に襲い掛かる眠気に千束が脱力したのを見て、黄理が拘束を解いた。黄理の視線の先には千束に繋がった点滴があり──

 

「ま、さか」

 

「ようやく効いたか、睡眠薬。さっきまで麻酔切れて寝苦しそうだったからな、これでちっとは楽になるだろ」

 

 呑気に話していたのは睡眠薬が効くまでの──。

 

「また、くす、りかよ……」

 

“姫蒲と同じ手口とは”、千束はそこまで考えてベッドに体重を預け始めた。

 

「これに懲りたら、病院で打たれるものには気を配るこった」

 

 眠りにつこうとする千束の伸ばした手に黄理はそっと手を添わせる。指と指が絡まり、結ばれた手から互いの体温が伝う。お互いの想いを手のひらから指先から感じ取り……。

 

「黄理……離さないって、やくそく」

 

「……一服盛ったりして悪かったな、でもこれで良かったんだ。きっと」

 

 千束が手を握るも、その力は徐々に弱くなり彼女が眠りに付こうとするのが手のひらから感触で伝わってきた。そして、睡魔との葛藤の末、手が離されたところで俺は部屋を出ようとする。

 

 ああ、ただ別れる前に──。

 

「……じゃあな、千束」

 

「ふっざ、けんな。忘れてなんか、やらないから。ぜったい、ぜったい──」

 

 閉じそうになる瞼をこらえ、千束は弱々しい声で黄理へと伝える。

 

「どこにいても、絶対に見つけるから……ぜったい黄理の手を、離さないから──」

 

 

千束の紅玉の瞳が閉じたのを確認し、乱れた毛布や布団を整え、俺はぽんぽんと布団の上から千束をあやすように手を置いた。すぅすぅと規則正しい寝息に俺は口元を綻ばせていて、この感情に名前をつけるとしたら。

 

 きっと、それはありきたりで。

 

 だからこそ尊いものなんだろう。

 

この気持ちを言葉にするなら。

 

 

「……好きだったのかもな、お前のことが」

 

 

 

 俺は病院を後にする。追いかける者はなく、残された使命はない。全てに清算が済み、やり残したことも終えてきた。いや、置いてきた物はあるが、もう俺には必要のないものだ。千束の病室、その枕元に置いてきた仕込みナイフ。

 

 俺の手元にあった所為で物騒なことに使ってばかりだったが、千束の手元にさえあれば少しはマシな使い方をされるだろう。延空木で双棍も無くし、今あるのは冷たい感触の拳銃だけ。すっかり身軽になった俺は東京の夜の街並みをうろついていく。

 

 

 神保町、馴染みのビルにあったはずの伽藍の堂の事務所は既に無く、去り際までさばさばとした橙子さんの生き方に俺は感心した。東京都庁、リリベルのアジトがある其処には慌ただしくリコリスたちが出入りして、何らかの後始末を行っていた。そして、錦糸町。アイツの宝物だった店は今も健在で、だから俺はなんの心残りもなく何処かに行ける。

 

 

 さぁ、何処を目指そうかと思ったとき、冷たい冬風が吹いて身体の芯から熱を奪う。少し前にたきなへ上着を渡し、手元にあるのは千束からもらったマフラーもどきだけ。

 

 持ち出した着替えの中を探るが防寒着の類いは運の悪いことに見当たらない。衣替えのタイミングを逃した所為だ。ならば、どうしようかと思考を巡らせ、俺は短絡的に今後の行き先を見据えた。

 

「──取り急ぎ、暖かいところ。南の方に足を伸ばすか」

 

 

 

 

 

 

 延空木の事件から早一週間が経過した。都内では延空木の事件はただの映画のパフォーマンスで決着し、今はそのパフォーマンスに都民の血税が使われていたのではという疑惑で持ち切りだ。論点はあの銃撃と流血が真実であったかを完全に乖離している。

 

 あの日、起こったことや真島が語ったことが“本物”だったかを真面目に考える人間はもう大分少なくなった。

 

 

 少し暖かくなり始めた陽気の中でフキは東京の街並みを俯瞰する。平和な日本の安全神話はまた水際で保たれている。けれど問題は山積みだ。現状だとばら撒かれた銃による事件はDAの想定を下回っているが今も水面下で動いていると思うと気分が重く、油断している暇もない。

 

 

 それにDAの方でも何か体制の変化が生じると噂されている。リコリス、リリベルの二大体制の失態を受け、かつて存在したとされる影武者部隊、花葵(ホリーホック)の再編成が検討されているとか……。

 

 

 買い物を任せたサクラが戻ってくるのにフキが気づく。

 

「せーんぱい!」

 

 投げられた缶を受け取り、フキは怪我の全快した相棒の様子を観察する。一応は問題なし、といったところ。浮かれたアホ面については、まぁ前からだ。

 

「ジュースの買い方わかんないって、いまどき恥ずかしいっスよ~」

 

「普通、リコリスは飲まねぇんだよ」

 

 プルタップを開けようとして、サクラがガードレールに寄りかかるやビルの壁面に飾られた映画の大型ポスターを見やる。

 

「あ~!あれっスよ、あれ。めっちゃあーしらに似てないっスか~?」

 

「……似てねぇよ」

 

「え~、制服も似てるし~、あれもラジアータのカバーなんすかねぇ」

 

「つまんねぇこと気にしてる暇あったら、さっさと行くぞ。もうじきシフトの時間だろうが……」

 

 サクラの手前、似てないと言ったがよく見ると自分やサクラの特徴に寄せているところは確かにある。ただ、素直に似てると認めるのをフキの感性がシャットアウトした。

 

 映画のポスター、拳銃を構えるサクラっぽい役者の横の自分に寄せた女優の持つ武器──。

 

 フキはぽつりと誰にも届かない程度の小声でぼやく。

 

「ったく、なんでバズーカなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 東京都庁の地下。リリベルたちの拠点である逆サ都庁では、楠木司令と虎杖司令が直接のやり取りを行い、今後の対応とDAにおける体制の変化について相談をしていた。

 

 街にばら撒かれた拳銃、その内実を把握している虎杖司令はリコリスたちの纏め役である楠木司令と情報の擦り合わせを行う。

 

「捕らえた吉松の証言では、取引した銃の総数は1500丁。確か、延空木でテロリスト共から回収したのは、二百かそこらだったか?」

 

「ええ、我々が回収したのは二百十一丁。銃の種類についてはアサルトライフルやショットガンといったものが中心になります」

 

 楠木司令が横に控えた秘書に詳細なデータの開示を促す。

 

「ダークウェブの販売業者に渡ったとされるモノが三百二十三です。こちらは」

 

「ああ、それはリリベルの方で処分したが、まだ半数もの銃が都内に眠っているということか」

 

 虎杖の独白に楠木司令の秘書が付け加える。

 

「加えてラジアータがリストアップした処分対象者、二百十三名。五番から百三十五番まではリコリス、以降はリリベルで処分が完了しました。ただ、主犯格と思われるメンバーの四人が行方を眩ませています」

 

「……真島か、やれやれ手間のかかる」

 

「真島もですが、やはり一番の最優先処分対象はラジアータへのハッキングを成功させ、ただの戦争屋でしかなかった真島をテロの成功者に仕立て上げた男、“ロボ太”でしょう」

 

 楠木がそう締めくくったところで、頃合いだろうと虎杖が上層部からの受けた通達を楠木達にも伝える。その内容が──。

 

「リコリスとリリベルの同時運用の継続、ですか?」

 

「ああ、上層部でもひと悶着はあったらしいが、現状の体制を続行することが正式に決定した」

 

 虎杖司令が近くにいた秘書へ一枚の指示書を手渡す。秘書からそれを預かった楠木は、そこに書いてある内容に目を見開いた。

 

「リコリスとリリベルの同時運用、そして……影武者部隊、花葵(ホリーホック)の再編成?」

 

「──今回の事件を受けて、DAも大きな改革を強いられたのだろう。彼岸花(リコリス)君影草(リリベル)の合一、更に花葵(ホリーホック)の復活とは上層部も思い切ったものだ」

 

 

 

 

 ラジアータ、日本の平和、治安を守るために駆動し続けるシステムが今日もまた平和を脅かす者を見つけ出し、その処分を決定する。

 

“銃の所持者を捕捉、桜木町三丁目。至急、彼岸花(リコリス)君影草(リリベル)の急行を”

 

“LB2871が現着、加えてLC2879、2881が向かいます”

 

 

 

 

 

 雑踏のなか、人の波に溺れて荒く、苦しそうに呼吸をする一人の男。その男が取りこぼした布、そこには黒の光沢を放つ拳銃が存在していた。

 

 ふらり、とすれ違った黒のロングコートの男は、落ちたそれを拾い、持ち主に握らせる。

 

「ほら、落としたぞ。慌てるこたねぇ──しっかりな」

 

 黒のロングコートを着た男、真島はそのまま歩き去り、拳銃を握らされた男が振り返った先にはもう姿を晦ましていた。

 

 

 包帯を顔中に巻き付けた真島は明らかな不審者の体裁をしていたが、人ごみの中にあっては違和感を誰も気にしない。好都合だと思いながらも真島は、この取り繕った平穏に不快感を抱く。

 

 だが、一度は負けた身だ。勝負の機会が巡ってくるまでは大人しく雲隠れでもしてるかと考えて、横に白衣を着た美女が並んでくる。

 

「まぁ、真島くん。怪我の調子は如何かな?」

 

「麻酔が切れた、クソいてぇ」

 

「我慢したまえ、麻酔が効きすぎると義手と義眼の神経接続に影響する。なんせ地上600オーバーからのフリーダイブだ。生きてるのなんて奇跡みたいなもので、ちょっとの痛みは必要経費というものさ」

 

「必要ってなんの?」

 

「生きてくことの」

 

「ハッ、クソッたれだな。だがまぁ、こうして生き残っちまったし、もうちょい生きてみるか」

 

「そうだね、死ぬときは是非とも一声かけてくれ。君みたいに面白い子をホルマリン漬けにするのを逃す手はない」

 

「わりぃな、先生。俺、死ぬときは爆死って今決めたわ」

 

 けらけらと笑っていると、黒塗りのワンボックスのドアが開き、中ではロボ太が身を縮こませて二人を手招きしている。真島はびくついているロボ太を小突いて、顔中に貼ってあった包帯をむしり取る。

 

 助手席にいたティナが呟いた。

 

「真島さん、次の標的は?」

 

 ティナの問いを聞いて真島の面相に力が入り、口角が牙を剥く獣じみて吊り上がった。笑っているのか、威嚇しているのか、いやきっと愉しんでいるのだ。生きることを、死ぬことを、その狭間を駆け抜けることを。

 

「さぁ、次はアラン機関だ──」

 

野に放たれた獣は次の獲物を爛々と燃える黒瞳で見定めた。

 

 

 

 

 

 リコリコについていたテレビが唐突に消される。先ほどまでのニュースは輝かしい快挙を成したアランチルドレンの誰がしかが結婚したというもので、消した犯人は緑の着物を着てふくれっ面をしたミズキだった。

 

 ニュースが華やかな新婚生活を祝福していたのに対し──

 

「どーせ、すぐ別れるわよー」

 

 

 ミズキのぼやきを聞いて、常連の一人がその妬みを穏やかに窘める。

 

「人を呪わば穴二つだよ、ミズキちゃん」

 

「うっせぇーわっ↑その穴埋める男を探しとんじゃ~!」

 

 

 ミズキの魂からの叫びを余所に、中二階にいたクルミが対面にいた長髪の男の注文を聞き喜ばしそうにミカへ声をかける。

 

「ミカ、友達がやっと喋ったぞ!あんみつセットB、ブレンドだ!」

 

「あぁ──ほら、ミズキ。いい加減しゃんとなさい」

 

「あぅ、あい──」

 

 

 クルミは対面にいるジンとだけ呼ばれる無口不愛想な男を相手にニヤニヤとしながら、距離を詰めていく。

 

「なぁ、その二つ名自分でつけたのかぁ?なぁなぁ、サイレントジィ~ン?」

 

 

 店の奥座敷の方から二人の和装をした少女らが現れる。最近、リコリコで働き始めたフキ、サクラのコンビ。彼女らはさっそく、レジや皿洗いを始めようとするがミカが手招きをしているのを目にして、彼の前の席に着く。

 

「快気祝いだ、なんでも好きなものを頼め」

 

「そんな、悪いですから……」

 

「えっ、マジっすか!?そんならスペシャルなやーつ!」

 

「……頭がいてぇ」

 

 

 ジンの相手が飽きたのか、降りてきたクルミは厨房に入ったミズキへオーダーを言伝る。

 

「おーい、千束スペシャルだぞー」

 

「受けんじゃねぇ!儲からないってたきなに怒られんだぞっ!」

 

「しょーがないだろ。みんな千束を(しの)んでのことだ」

 

「……生きてんだろーが、仕事を放り出して、な!」

 

 ミズキは近場にあった包丁を壁に貼られた“海辺でそっと佇む青年の写真”へとダーツさながらに投げ刺した。

 

「ぐぅう~~~~。あんのバカたれ!さっさと連れ戻してきなさいってのー!」

 

 

 厨房の怪鳥みたいな絶叫を無視して、サクラは出された特盛のパフェ、千束スペシャルを美味しそうに頬張った。

 

「くぅ~。病院食ばっかだったんで染みる~☆」

 

「ったく、今日だけだかんな」

 

「あざ~す!!」

 

「……先生、千束たちはそろそろ着く頃でしょうか?」

 

「あぁ、空港に着いたと連絡があった。心配ない、あのコンビなら“彼”を逃がすことはありえないだろう。相性的にも、心情的にも、な」

 

 

 

 

 

 

 流れに流れ、辿り着いた沖縄の地で俺は雨ざらしになっていた。財布は落とした、携帯は東京に置いてきた、身分の証明になりそうなものは何もなく俺は本当の根無し草。雨もしとしと、ではなくスコールの打ち付けるような雨粒が身体から熱を奪っていく。

 

 温暖な気候で火照った身体から熱が抜けるのは妙に気分が良くて、俺は篠突く雨のなかで傘もささずに立ち尽くす。

 

 

 ああ、そういえば千束も前に似たようなことになっていたと思い出し、思わず笑ってしまった。離れて、もう会わないと決めたはずなのに、思い出すのはいつもアイツの顔ばかりで……。

 

 

 不意に視界の端に映る不安、困惑、そして関心の思念の色をした波紋。思念が発せられた方を振り返り、俺は後ろからそっと傘を差そうとした健康的に日焼けした少女と目が合った。少女の年嵩はクルミと同年代、小学生くらいだろうか?

 

 でも、少女は急に振り返った俺を見て、ぱちくりと目を大きく開けて驚いていた。

 

「あれー?おにいさん、気づいてたん。勘がいいねぇ」

 

「あぁ、よく言われる……それで、その傘は一体?」

 

「ん?おにいさんにあげよー思ってねぇ。だって、こんな雨の強い日に傘ささんで突っ立って、でーじ濡れてるんだもん。心配になっちゃうさぁ」

 

「そうか……でも、いいよ」

 

「なんでぇ?」

 

「そういう気分なんだ──」

 

 それだけ言って俺はまた雨に打たれる。遠くに残したもの、遺してきたものに思いをはせて。一度、死んだ人間は甦ったとして、もう一度人として生きていけるのか。俺は俺に答えの出ない問いを投げ続ける。

 

きっと、こんな問いは死ぬまで答えが出ないと知っていながら、無意味な自問自答で己を苛んでいる。

 

 死んだはず、その記憶はある。七夜の森、赤い鬼神、紅赤朱、軋間のガキ、俺は死んだはずだ。長い間、漠然と悩み続けてきた懊悩は、延空木でようやく形となり、俺は今を懸命に生きようとする千束の前にいることができなくなった。

 

 だって、そうだろう。明日を生きれるかも分からぬ身で、けれど今を精一杯生きているアイツが眩しくて、輝いて見えて──。

 

 俺は自分の抱えていた影が大きくなるのに耐えられなかった。あぁ、一度死んだはずの人間が往生際も悪く、生きている振りをしている。

 

──なんて無様、滑稽な話だ。

 

 

 “転生”なんてのは物語だけのお話だ。本当にそんなことがあれば、正気ではいられない。一度死んだ、という事実はそんなに軽くないんだから。あぁ、死んだ者は生きている人とは生きていけない。

 

 死者は過去に置いていかれるもので、生者は未来を歩むべき人だから。

 

 思いにふけっていると、少女は脈絡もなく手を伸ばし、俺の腕を掴んできた。引き離すこともできた、けど体が冷えていた所為もあってか、とっさに避けることもできず、俺は少女に腕を掴まれて何処かへと引っ張られていく。

 

 腕を引っ張るといっても少女の非力な力では俺は動かしようもなく、少女に腕を引かれるのに合わせてこちらが足を動かしているわけだが。

 

「……なんで、俺みたいな怪しいヤツを相手にするんだ?」

 

「アタシ、捨てられた猫とか犬とか放っとけないんよ。それにね、今日はそーいう気分だっただけだからねー」

 

 俺がさっき言ったことを見事に言い返され、反論のしようがなくなった。困った顔で頭を掻いていると、少女は理由を更に付け加える。

 

「あと、おにいさん“ちむじゅらさん”っぽかったから~」

 

「……?ちゅむ、じら?……いや、俺は、七夜黄理って……人違い、かな?」

 

「あー、ごめんね~。これって、沖縄の方言で──」

 

 

 俺は宮古島で、何の因果か喫茶店の看板娘に拾われることになる。彼女と過ごす中で俺は大量の仕事による忙しさと親バカな店主の猛攻を凌ぐのに必死で悩む暇もなく沖縄での日々を過ごしていった。

 

 穏やかで、何も変わらない平凡な日々。

 

 そんな永久に続くかと思った南国での熱くて騒がしい日々は、思わぬ闖入者の飛び込みで崩れることになるのを俺はまだ知る由もない。

 

 

 

 

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