Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 それなるは極大の規格外にして不測の存在。

 死へ感応して乖離する偽装、否、偽証転生者。



Lycoris A moon eclipse【7】

 

 

 日本から約六千キロ弱。北緯19度から29度。

 

 これがハワイ諸島の大体の座標。喫茶リコリコの面々は日本を離れられない面子を除いて、大半が日本からハワイへと飛び出していた。

 

 本来であれば、DAのひも付き暗殺者であるリコリス、リリベルの三名は国外への移動が出来ないはずだったのだが、そこは天下のウォールナットの手腕が輝いた。電子的な工作により、千束、たきな、黄理の分のパスポートを偽造し、法的には色々とマズいが国外渡航を可能としてくれたわけだ。

 

 

 

 俺たちは新ホノルル国際空港で初めての海外の地を踏む。踏み締めた地は右も左も分からぬハワイ。どうにも馴染みのない空気に居心地の悪さを感じている俺と違い、眼を輝かせて辺りをうろつき回る千束。

 

 大人組、ミカさんとミズキはハワイの足になる車両を取りに行った。クルミもそれに同行しているため、千束の暴走は俺か、たきなで止める必要がある。

 

 浮かれすぎて悪目立ちしてたため、たきなが首根っこを掴んで戻ってくる。これには思わず呆れてしまい、チクチクと小言で千束のテンションを牽制する。

 

「──海外に浮かれすぎだろ」

 

「だって、浮かれてはしゃいじゃうでしょ!?はじめての海外、南の島、ハワイだよっ」

 

「沖縄も南の島でしたが?」

 

「そうだけどー!やっぱ、南の島っていえばハワイ、ハワイといえば~?」

 

 そういわれて、俺の中である菓子が浮かび上がる。

 

「マカダミアナッツチョコレート」

 

「はえーよ↑、なに初手からお土産に手を付けようとしてるのさ」

 

「いや、食べてみたくて」

 

「あれは帰ってからのんびり食べるのが良いんじゃない?それにお土産持ったままじゃ、フットワークが──」

 

 したり顔で海外旅行初心者が旅行について語りだす前に、俺はたきなの行った方向を指差す。

 

「でも、たきなは買いに行ったぞ?」

 

「ちょいちょいちょい!?たきなぁ、待ってそれ早いよー!あー、こうなったら此処でいざ実食だ!黄理も手伝ってよね~」

 

「はいはい、仰せのままに。お前と一緒なら何でも付き合うよ」

 

 はにかんだ千束に手を引かれ、ハワイを謳歌する旅路が始まった。

 

 

 

 

 

 ミカさんたちが乗ってきた車を見て、千束がわぁと圧倒されたように感動している。六人が乗っても大丈夫なくらいには大きい車両、おまけに車両には調理用の機材が詰め込まれていて──。

 

 コーヒーを提供できるキッチンカーがミカさんの選んだリコリコの面々がハワイを過ごすために最適な車両だった。

 

 なお、キッチンカーに付いた“LYCO RECO”の看板は店長の粋なはからいだろう。

 

「せっかくハワイにまで足を運んだんだ。ハワイでもリコリコのファンを増やしてみるのも良いかと思ってな」

 

「くぅ~、せんせ最高っ!いいね、これでハワイでもリコリコの知名度がウナギ登りだ」

 

「言っとくけど運転するのは私だけなんだからねー。この私がいることに最大限の感謝を~」

 

「ミズキの通訳してあげるからそれでトントンね」

 

「いい男捕まったら考えるわ」

 

 千束とミズキの頭の痛くなる会話の隣、暑かったのだろうか、たきなが首元をパタパタとさせて風を送っていた。ハワイの気候を考慮したうえで日本より来たというのだが、それでもまだ南国の気候に順応できていないらしい。

 

 そんなたきなの様子に千束がすぐ動いた。近場の服屋に入り、各々がハワイに適した服装に着替えていく。そして、俺もこの流れには逆らえない。まぁ、いつもの作務衣でいたら目立つから丁度いいと観念する。

 

 ミカさんたちは既に服を用意していたらしく、俺たち三人が服を見繕ってくることとなった。

 

 幸いにもとんとん拍子で俺たちの着替えが済んだ。たきなはゆったりとした青みがかったオーバーオール、俺は黒のサルエルパンツに淡い蒼のシャツ。千束も上に肩口の広がった淡い青のシャツと太ももまで大胆に出したホットパンツを合わせていた。

 

 

 

 着替えが済んだところで“お腹空いた”というクルミの発言に近場のダイナーというのか、喫茶店と食堂を混ぜた店舗に足を運ぶ。驚かされたのはアイスの種類、俺なんかが想像できる量を優に超えている。

 

 海の見えるテラス席に案内され、店員がオーダーを取りに来た。ぼんやりと、千束たちがよくわからないアイスのフレーバーを選ぶのを隣で眺める。そして、正面にいたクルミが何を頼もうかと悩んでいるのを見て、奇妙な既視感を覚えた。

 

 クルミが何を注文するのか──。

 

 俺はそれを以前、過去の時点で視たことがある。そして、沖縄で視た曖昧な未来予測が今という時間軸に再演された。

 

「──確か、クリームが山と乗ったパンケーキだったか」

 

「え、黄理もアイスにするんじゃないの?」

 

 俺の小さな呟きを聞き逃さなかった千束がはてと首を傾げた後、クルミが満面の笑みで大量のクリームが乗ったパンケーキを注文した。この予知めいた流れには、さしもの千束も驚いたようで、ずいと顔と顔が触れそうな距離まで近づけてくる。

 

「今、なんでクルミの注文が頼む前に分かったの?」

 

 

 それについてはむしろ此方が知りたいくらいだ。とはいっても、何も言わないわけにはいくまい。顔を近づけてくる千束を押しのけ、とりあえず適当な答えで俺は返答を濁した。

 

「エスパーだから……?」

 

「へぇ、それなら私のも当ててみてよ~」

 

「無茶言うな、お前の無軌道っぷりが簡単に読めてたまるか」

 

「なーんでクルミはよくてわたしはダメなのさー」

 

 俺に向けられた千束の間延びした声に対し、クルミが訝し気に目を細める。

 

「──?なんの話をしてるんだ?」

 

「おい、コラそこ。いちゃついてないでさっさと注文しろー」

 

「いちゃついてねーから。まったく、どこに目を付けてんの……じゃあ、わたしラズベリーブロッサムにしよーっと。トッピングはハニーローストピーナッツで。先生はなにがいい?」

 

「ふむ、キャラメルのフレーバーのものにしようかな」

 

「では……私はココナッツ&クッキーのものを。黄理くんはどうしますか?」

 

 沖縄で視た白昼夢と今が混線した驚きで思考が纏まらず、たきなの呼びかけに俺は無意識のなま返事をしてしまう。

 

「……嗚呼、みんなのと同じヤツを──」

 

「同じって、誰のものと合わせるんですか……まったく、なんでもいいとか、同じものとか、適当だとか、具体性のない要望というのは」

 

「たきなたきな、ちょいお耳を貸してみ」

 

 千束の声を潜めた悪だくみに耳を傾けてから、たきなは無言でサムズアップをして近くの店員へオーダーを行う。ある意味、これ以上ないほど黄理の要望通り、あるいは要望以上の注文を。

 

 

 しばらくして、真っ先に届いたのはクルミのパンケーキ。周囲を彩る様々なフルーツ、上にはでかでかとしたクリームが乗っていて、俺など見ているだけで胸やけしそうになる。翻って、クルミの方は戦意十分といった具合だ。

 

「ふっふっふ、これは食べ甲斐があるな」

 

「よーく食べるわね、アンタ……」

 

 “パシャリ”となる音。舌なめずりするクルミを撮影し、ミズキさんはそれをリコリコのSNSに投稿した。思えば春先の事件も、俺の見つかった際も、起点はSNSの写真からだ。

 

「いきなりSNSに挙げず、写真の内容を見てからにすべきじゃないか?」

 

「え~、言うてこんまいチビっ子がパンケーキぱくついてるだけよ?」

 

「いや、背景に通りすがりのテロリストとか、違法な取引が映ってないかってことで」

 

「……よぅし、リス以外映ってねぇ。……たかが写真撮るだけで、なんでこんな心臓に悪いのよ本当」

 

「近頃の巡り合わせが悪かったとしか」

 

 ミズキと雑談に花を咲かせているうちに、千束たちの注文したアイスが卓上にやってくる。千束たちの元に注文したアイスが置かれ、俺の正面にはラズベリーブロッサム、キャラメルとヨーグルト、ココナッツ&クッキーの積み上げられたアイスがデンと置かれた。大きい、高い、まるでアイスの塔であり、俺が顔面蒼白になるだけの威容があった。

 

「待った、こんなの俺、頼んだ覚えが……」

 

「え~言ったよぉ?“みんなと同じヤツ”って♪」

 

「ええ、確かに黄理くんはそう言いましたね」

 

「だからって全部ひとまとめにするヤツがあるかっ」

 

「自分で注文しなかったツケは高くついたね~」

 

「曖昧な注文に含まれるリスクがどれほどのものか、お分かりになったようですね」

 

「……やりやがった、この性悪リコリスコンビ」

 

「真っ先に思いついたのは千束なので、私は別にそこまでじゃないかと」

 

「え~、たきなもノリノリだったのにぃ」

 

 俺は慌てて、ミカさんの方を見るが彼は困った顔で肩を竦めるだけ。クルミもパンケーキに着手していて、ミズキさんはというと──。

 

「わたしパンケーキを分けてもらうから、アイスの手伝いはできないわよ」

 

 孤立無援の状況、そびえたつアイスを前にして、途方に暮れる俺を千束とたきなは横目で含み笑いしながら見つめてくる。気を取られ、油断した結果がこれだ。俺は諦めて、放り投げたくなる気持ちを抑え、山ほどのアイスに立ち向かうべく(さじ)を握った。

 

 

 

 青い空と白い雲、広がる海原に照り付ける太陽。潮騒を背にして、ビーチの近くに停車しているリコリコの看板を挙げたキッチンカー。コーヒー、団子、最中といった見慣れぬメニューに惹かれ、数人の地元民や観光客が注文をしている。

 

 たきなは厨房で淹れられたコーヒーを受け取ると、店先で待っていた客へ笑顔と共に手渡す。

 

「enjoy !」

 

 厨房ではミカの手伝いで黄理も仕込みを行っており、できたカフェオレをたきなにパスし、次の客を呼ぶ。店を訪れる客足はまばらだが、みんなが良い笑顔を浮かべては満足げに去っていくところから盛況と言える繫盛具合だった。

 

 

 一旦、客足が途切れ皆が一息を入れようとしたところ、備え付けの電話が鳴る。千束はその電話をやや浮かれた調子で取るや──。

 

 

「アーイ!!カフェリコリコ~!」

 

『楠木だ、まったく死に損なったにしては元気そうじゃないか』

 

「げっ、楠木さん……。その節はど~もぉ」

 

『仕事の話だ。ミカに代われ』

 

「んぁー、残念ながら仕事は受けられませーン!何故ならぁ~、今ハワイだからぁ~♪」

 

 

 千束の曝露を聞かされたことで、電話先の楠木さんの対応がややヒートアップしたらしい。黄理とたきなは顔を見合わせるが、やがて同時に笑ってハワイの地から、日本にいるリコリスたちへ思いを馳せた。

 

 

 

 

 錦糸町に店を構える和風の外観をした喫茶店“リコリコ”。先日、店をたたむという衝撃的なニュースはあったものの気が付けば閉店は取りやめとなり、今日も楽しく愉快な営業を続けている。

 

「──はい、ウノー!!」

 

「えー、サクラちゃんまたぁ!?」

 

「強いねぇ。見てよ、この手札の量……」

 

「阿部さん、引き運が今回は悪かったのかなぁ?」

 

 店の制服を着たサクラは、リコリコの常連たちとテーブルゲームに勤しんでいる。それをカウンター、いやミカの定位置といえる場所でフキが渋い顔で眺めている。

 

「アイツ、営業時間だってのに」

 

「まぁまぁ、どのみち病み上がりなんだし、いきなりフルで働いちゃったら、体調崩すかもしれないでしょ。だったら、常連の人たちを楽しませる方向で頑張ってもらおうじゃない」

 

「甘ぇんだよ、ヒバナは……」

 

「フキが厳しいから、つり合いは取れてるでしょ?」

 

 サクラ、フキと同じリコリコの制服を着ているヒバナは、余裕たっぷりにレジ締めを終えてカウンターでやたらと不機嫌なフキを宥めていた。気が緩みそうになるところで、厨房の奥から“とぐろを巻いたホットなチョコレートパフェ”を半泣きのエリカが持ってくる。

 

「フキぃ~、ホントにこんな形で作るのが正解なのぉ~?」

 

「それに関しちゃ疑いたくなるのも無理ねぇが、確かに合ってる……」

 

「うぅ、一体どこの誰が、こんなモラルに欠けたデザインを……」

 

「やっぱ、千束さんじゃない?教官たちは作らないだろーし、たきながこんなおふざけ許すとも思えないし。さっすが電波塔の英雄、天才ってセンスが独特なのねぇ」

 

 事情を知るフキは何も言わず、遠い眼で視線を南へと向ける。いきなり“国を飛び出すから店よろしく!!”とだけ言い残して、マジで南の島へ飛んでいきやがった連中のことを思い浮かべて──。

 

 本人も無自覚だったのだろう、呆れた風に、でも確かな優しさをにじませて笑ったフキは小さく海の向こうにいる千束へとぼやいた。

 

「普通、リコリスはハワイとか行かねーんだぞ。はっ、好き放題やりやがって」

 

 

 

 

 

 電話越しであるためか、千束は楠木司令とも余裕を感じさせる口調で応対しており、普段からあった棘や皮肉めいた生意気さは鳴りを潜めていた。

 

「パスポート?んな野暮なこと聞かないでくださいよー。あ、リリベルとかリコリスけしかけないでね~?」

 

 間延びした声で千束は楠木の電話を切り、にんまりと頬を緩める。千束の様子、あと会話を聞いていたため電話の相手がリコリスの司令であることは車内にいた誰もが容易く看破できた。店先のたきなが呆れた声で口を開く。

 

「楠木さんからですか?」

 

「ん~とね~、千束のファンから~!」

 

 いけしゃあしゃあと宣う千束の発言へ対し、たきなの目は訝しそうだ。

 

「なんだよぉ……」

 

「さぁ?そんなことよりてきぱき働いて、ハワイのファンを獲得してください」

 

「はーい、いっちょワールドワイドに行ってみよう!」

 

 

 

 

 

 コーヒーや和菓子を提供して、二~三時間ほどが経過した。持ち回りの休憩時間がやってくる。ミカさんに言われ、俺たち三人は周辺のビーチの散策に歩いて出ていた。途中、トライアスロンの人波に撒かれ、たきな、千束とはぐれた俺は人気(ひとけ)のないビーチの端でごろんと寝転んだ。

 

 カラッとしているとはいえ暑いことに変わりはない。

 

 暑気に酔ったのか、頭が妙に重い。日差しを手のひらで隠し、ビーチに横たわって時間を潰そう。どうせ、時間になればリコリコで合流できる。無理に探そうとする必要はなく、二人のいない時間は一種の息抜きみたいなものでもあった。

 

 

 はぁ、と我ながら辛気臭いと思ったがため息を零す。

 

 あらためて、俺の中の認識を現状と噛み合わせる。

 

 今は幸せで、楽しくて、未知に心躍り──。

 

 だからこそ、違和感がより強く増す。

 

 

 

 俺は生きていていいのか/在ってもいいのか。

 

 死んだ者が/亡霊がこんな陽のなかに居ていいのか。

 

 わからない/自問自答を続ける。

 

 俺は一度死んだはずだ。七夜の頭領であった“七夜黄理”として、軋間の紅赤朱に殺されたはずだ。なのに生まれ変わって、辿りついた現代の世。違和感はずっと身近にあった。流れていた時代の変遷、スマホ、価値観、なにより自分が生きていることに対して。

 

 

 死者は甦ってはいけない。死者は終わっていないといけない。死んだ後に動き出すのは残らず怪異か怪物だ。

 

 ……転生?物語ならまだしも実際にそんなことが起こってみろ、とても正気ではいられない。

 

 死んでいなくてはならない/生きていたい。

 

 誰のために/千束のために──。

 

 

 自分に問い続けても答えは出ない。当然だ、自分の中に応えがないのだから。

 

 袋小路となった迷いのなか、俺はまたため息を吐こうと──。

 

 

 

 瞬間、すこーん、と気の抜けるような衝撃。

 

 

 それと共に視界が大きくブレて、遅れて衝撃が頭に響く。俺はいま、誰かに頭を蹴っ飛ばされたらしいと間をあけて理解が追い付く。痛い、とは感じない。ただ、小突かれた衝撃が頭に残っている。

 

 目を白黒させた俺が尻もちをついた状態で、人の頭を蹴り飛ばした何某かを見上げる。

 

 ──そういえば、これも以前視た覚えが。

 

 

 

「君、そんなところで横になってると危ないわよ」

 

 耳朶を打つ、明朗とした強い意志に編まれた女の声。

 

「え────?」

 

「え、じゃないわよ。せっかく、仕事を終わらせた後のバカンスでハワイまで来てるってのに辛気臭く溜め息ばっかり吐いている姿を視界に入れないでよね。思わず蹴り飛ばしちゃったじゃない」

 

 赤い髪を纏めて結んだ女は不機嫌そうに俺を指差した。痛みが妙に薄いのが気になるが、俺は呆けた状態でなんとも間抜けな質問をしてしまった。

 

「けりとばされるって、誰に──?」

 

「やっば、強めに頭打ったかな……?まったく、此処にいるのは私と君だけなんだから、私以外に誰がいるっていうの?」

 

 水着姿の女は胸を強調するように腕を組んで、自信たっぷりに言い放った。そして、女は少し俺の顔を見て、不思議そうに首をかしげる。まるで、予想外な知り合いとばったり出くわしたような、まだ会うはずのない人間と遭遇したような、思いがけぬ再会に驚いたような表情を取る。

 

「あれ、君って……ん?でも眼鏡つけてないし……おっかしいなぁ、あの子と会うのはどっかの片田舎のはずだしなぁ~?」

 

 考え込んだ女は、肩を竦めて満面の笑みを浮かべた。

 

「まぁ、細かいことはいっか!辛気臭い顔をしていたとはいえ、いきなり不意打ち気味に蹴っ飛ばした負い目があるわけだし、悩みがあるなら相談に乗ってあげる。納得いく答えが出るかまでは面倒見れないけどね…………私は蒼崎青子っていうんだけど、君は──?」

 

 その苗字には聞き馴染みがあった。でもおかしい、だって“リコリスである橙子さんには肉親はいないはずだ”。なのに同じ蒼崎の性を持っている女性がいることは気になったが、それより先に俺はごく自然に“七夜黄理”と名を告げていた。

 

 互いに名乗り合ったわけだ、俺は彼女の名前を呼ぼうとして──。

 

「あ、でも私、自分の名前嫌いなの。だから、そうね。私のことは“先生”っていうように」

 

「……先生?」

 

 彼女の我が儘っぷりが、気ままで愛嬌ある無茶苦茶具合が、どうも身近にいる少女のことを思い出す。

 

 

 あとは成り行きに任せて会話がつらつらと流れていく。今まで誰にも明かしたことのない、俺の抱える最も根深い幻想にして、空想のこと。

 

 

 自分の抱える異常性と違和感について。

 

「──じゃあ、君は一度死んで生まれ変わった、ってわけ?」

 

「そう、なるのかな……。うん、だから今、俺は生きてること自体に違和感があって、楽しかったり、嬉しくなることがどうしようもなく恐ろしい。一度、死んだ者が生まれ変わってる事実が俺の中では悍ましいんだ」

 

 先生は少し顎に手を当てて考え込んでいる。

 

「俺はこんな不気味な過去を抱えたままで、人として過ごしていいのか。本当に生きていていいのか……」

 

 俺の弱気な独白を聞いて、すぐに先生は怒った目つきで俺を睨みつけた。

 

「それ、本気で言ってる?バカね、生きるのに罪の意識を覚えるなんて。肝心なのは貴方が生きていたいかどうかでしょ。そんなの私だって知らないわよ、だから──」

 

 それは、本当になんてことない一言で──。だからこそ胸の奥深くにまで突き刺さる言葉でもあった。

 

「貴方が決めなさい」

 

 そういって、先生はあっけらかんと俺の長年の悩みを笑い飛ばした。

 

 

 

 今まで不気味に思われるからと誰にも明かしたことはなかったが、改めて口に出すと少し気も楽になったところがある。言うなれば、ずっと背負っていた重い荷が肩を降りたような気分だろうか。

 

 ホッと安堵の息を付いたところで、先生が俺の前髪を上げて瞳の奥を覗き込んでくる。爛々と光る意思の燃える眼差しに覗き込まれ、俺の息が止まる。

 

「へぇ……なるほど。まさか、こんなのが天然モノであるなんて。姉貴が知ったら、なんて言うか」

 

「──あの一体、何を調べているんですか先生?」

 

「ああ、黄理が“生まれ変わった”って認識した理由について少し調べてみたの。なるほど、確かに、これは自分が“転生”したって誤認しても仕方ないのかもね」

 

「……誤認?」

 

「そう、誤認。君は本当の意味では一度も死んでない。けど、死を数えきれないほど観測している。自分が死者であると錯覚してしまうほどに。……黄理、貴方は“魔眼”というものを知ってる?」

 

「いえ、あいにくと聞き及んだことは……」

 

「なるほどね、じゃあ手っ取り早く簡単な説明をしましょう」

 

 先生はそう言ったかと思えば、自身の目を指差して説明を始める。

 

「人には、それぞれの世界の見え方がある。私から見たら良いモノも、貴方から見れば悪いモノに映るのかもしれない。誰かのいう赤色と、私の見ている赤色はひょっとすると違う色をしている可能性もある。世界の見え方というのは十人十色。だけどね、そのルールに縛られないものがある。魔眼というのは自分だけの世界に対する認識を、他者に、ひいては外の世界に強制させる眼のこと」

 

「強制させる“眼”?」

 

「そう、世界を静止画のように捉える人間なら、見た相手、モノをその場で停止させる。あるいは……命の終わりを認識する人が見れば、見ている物質の壊れやすい、いいえ死の奔る箇所を視覚情報として見通すでしょう」

 

「それは……」

 

 俺にとって、その形容は自分の疾患に当てはまることだった。命の限界、死を内包する部位を線や点で捉える俺にとって、そのたとえ話はこれ以上ない具体例だ。

 

 感心した目で頷いた俺を見て、先生もこちらの理解が追い付いたことを察したらしい。先生は一度、目をつぶってから、再び俺の瞳を覗き込む。

 

「ここまでの話で分かると思うけど、黄理の眼も魔眼の一種のようね。それも、普通のものとは少し違う」

 

「違うっていうのは良いこと……ではなさそうだ」

 

「どうかしら?今すぐ答えが出るようなものでもなさそうだけど。ああ、一つ聞かせて。黄理、貴方って子供の頃、死にかけたことってある?」

 

 きっぱりと告げられた死と関連する問いかけ。

 

 その質問をされて、俺の心臓が妙な拍動を打つ。ああ、その問いに俺は心当たりがあった。一度、俺が死にかけた、いいや一般人の俺が死に、リリベルの俺が生まれた時の話。

 

「ええ、子供の頃、両親と乗っていた車の事故で重傷を負ったことがあります。でも、そのときは回復が早く済んだので、死にかけたというほどでは」

 

「いえ、たぶんそれね。貴方、そのとき本当に死にかけたのよ」

 

 確信した口調で先生は俺が瀕死であったことを断言する。

 

 否、と言おうとするが先生の突き刺さる眼差しに圧倒され、大人しく話の続きを聞く姿勢を取る。

 

「黄理、貴方の眼は“魔眼”と呼ばれるもので間違いないわ。しかも、かなり高位のもの。ひょっとすると“虹”の位階に達するかもしれない。そうね、分類的には天眼、いえ確率視っていう方がしっくりくるか──」

 

「虹?点眼?……あの先生?」

 

「あっ、ごめんごめん。置いてけぼりにしちゃって。それでえっと、君の眼のことよね。これは私の推測だから間違っていたら言ってほしいんだけど、黄理って今までで自分が選ばなかった、ないし選べなかった選択の結果を見たことあるわよね」

 

 俺は驚きながらも、黙ってうなずいて肯定の意を示す。

 

 そうだ、俺には選ばなかったセカイが、あるいはこれから選ぶであろうセカイの断片が見えることがある。

 

 七歳の時点で爆死した俺の亡骸、千束を殺した光景。十歳の時、リコリコで暗殺を遂行した景色。もしくは千束を殺し、たきなと結ばれた世界の残影。直近ならば延空木の起こらなかった可能性。

 

 

 “千束の願いを振り払い、ただ一人で真島たちと戦う自分の姿”。

 

 “肩を並べる者も、背を守ってくれる者もない。誰の手も声も届かない高い塔の上。血と殺戮に塗れた地獄に於いて尚”。

 

 “彼女がこの地獄にいないという事実だけが嬉しい”。

 “それを幸せだと俺は思えた。ならもう、この幸せ以外は全て要らない”。

 

 

 俺にとって、起こり得なかった過去と未来は眼に映る虚像でしかなかった。また、いつもの白昼夢か何かだと思って特に意識もしなかったのだが、最近では妙にその頻度が上がっている。先生はそのことについて、何かを知っているのだろうか。

 

 蒼崎青子、先生と名乗った絶世の女傑はしなやかな姿勢で話を続ける。

 

「君の眼は自身を起点としたあらゆる確率と可能性を観測することのできる魔眼なの。いえ、昔なら明日の天気がおおよそ分かる程度のものだったかもしれないけど、子供の時の事故がきっかけで君の魔眼は大きく変質した」

 

「一体、どうしてですか?」

 

「──事故のとき君は瀕死の重傷を負った。その怪我を直そうと本能的に魔眼の限界制御(リミッター)を壊して、あらゆる確率の中から君の存在強度(カラダ)を補修する“可能性”を眼に焼き付けたんでしょう。それが、何処か別の場所で殺されたはずの“七夜黄理”という存在。君が、“前世”と思っていた貴方とよく似た別人の可能性」

 

 そこで先生は何か言いにくそうに、頭を掻いてから困った顔をする。

 

「それで終わってれば、話は簡単だったんだけど……。黄理が存在を補強するために認識した“別人の七夜黄理”も何らかの魔眼を持っていたんでしょうね。瀕死の重傷を治癒するために存在情報を重ねたとき、その魔眼の情報も取り込んでしまって……黄理、貴方の魔眼の中にもう一つの異なる魔眼ができてしまった」

 

 呆れた顔で先生は俺を見るが、俺としては何が何だか分からないのが本音である。

 

「魔眼による重瞳(ちょうどう)といったところね。まぁ、虹彩が並んでいるんじゃなくて完璧に重なり合ってるから皆既月食みたいなイメージかな。ほら、月と太陽が重なってる感じ。そんなこんなで重なった魔眼が相互に性能を増幅させ合って、本来なら在り得ないほどの能力値を叩き出してる。貴方のは言うなれば…………“月蝕の魔眼”かしら」

 

「月蝕の……魔眼」

 

 遠い過去を見やるようにして座り込んだ先生は遠い眼でハワイの空を仰ぐ。

 

「似たようなヤツなら姉貴のを見たことあるけど、まさか天然ものがあるなんてね」

 

「姉貴──?」

 

「ああいや、こっちの話。でも、君のその魔眼の状態だと起こり得なかった確率だけじゃない。ひょっとすると別の、見てはいけない、感じ取ってはいけないものまで認識しているのね」

 

 先生の言うものが、俺が普段捉えている“線”や“点”であることはすぐに理解できた。彼女はやや憮然と口を尖らせる。

 

「ごめんなさい。君の見えてないものについて、私には手の打ちようがない。せめて視覚的に認識していれば、なんとかなったかもしれないけど……見えていないのに、捉えることができるものは……どうにもならないわ」

 

「……いえ、此処までのお話で十分です。ああ、本当にこれ以上ないほどの話でした。俺は、此処に、今を生きている。それが分かったんだ。これ以上なんて欲張れない」

 

 俺は、長年感じてきた自分という存在の本質を知ることができた。ずっと、自分はとっくに死んでいるのではという漠然とした不安があって、それが覆されたのだ。まだ、疑う気持ちもあるが、それ以上に先生が言ってくれた言葉による安堵の方が勝る。

 

 だから、先生に送る言葉は決まっていた──。

 

「ありがとう、先生。今の話を俺にしてくれて」

 

 

 

 閑散としたビーチで俺は立ち上がり、先生の前に立つ。

 

「良かった。ずっと、自分が生きてるか死んでるか曖昧で、でもそんな俺が生まれた理由を求めて生きてきたけど……そんな理由なんて最初から必要じゃなく──」

 

 

 そこで先生は、なんてことないようにウィンクをしてみせて。

 

「生まれた理由?そんなの簡単よ。君はね、君が大事に思ってる“誰か”のために生まれてきたのよ」

 

 あっけに取られる。胸を打つ感動に言葉もない。

 

 衝撃的、とはこのことだろう。俺はこの言葉を忘れることがきっとできないと確信する。それほどに俺にとっては初めてとなる発言であり、自分の迷いや不安を断ち切る魔法のような言葉だったんだから。

 

「──そうだな、うん。その理由は凄い素敵だ」

 

 

 話は終わり、閑散としたビーチが静寂で凪いで、潮風が吹き流れた。日が傾き始めたところで先生も腰を上げる。これでお別れだ、と俺は無言のうちに納得をしてしまう。

 

 先生、蒼崎青子もそれは承知済みだったらしい。後腐れも、未練も、思い残しもなく彼女は軽く手を挙げて──。

 

 

「それじゃあ、バイ、黄理。縁が続いたら、またどこかで会いましょう」

 

 先生の別れの言葉にクスっと笑いがこみ上げる。

 

「ええ、また何処かで。しかし、その言い方は橙子さんそっくりだ」

 

 

 うっかり、口を滑らしたときだった。これまでの辛うじて友好的な視線が、急に吊り上がり殺意に匹敵する警戒心が俺に叩きつけられる。

 

 ──いや、やっぱり普通に殺意だ、これ。

 

「ちょっと待った。まさか黄理、アンタ姉貴の回し者じゃないでしょうね──」

 

「え、っと。伽藍の堂で働いていたくらいで、回し者ってわけじゃ」

 

「へぇ、たまたま姉貴の知り合いが私と遭遇したって話を信じろ、と?」

 

「なんというか……いや、ちょっと待った!橙子さんって孤児のはずだ。妹がいるなんて話は聞いたことがない……!」

 

「はぁ?いや、あのバカ姉貴のでたらめに…………いや、まさか。ん~~~??」

 

 先生は急に殺意を引っ込めて、周辺の状況と自身の常識や価値観を疑うような視線がハワイの街並みを睨みつける。周囲をきょろきょろと観察し終えてから額に手をあてがい、彼女は嘆息を零す。

 

「──やられた、ゼルレッチのじい様の仕業ね。どうりで、いくら市街地の中とはいえ魔術基盤の気配が薄いわけだ」

 

「──?」

 

「ああ、変に絡んじゃってごめんなさい。こっちの勘違いだったわ。でも、君はなんというか勘違いされるような話し方が──」

 

 

 先生の自分の間違いを誤魔化そうとするようなお説教が始まろうとしたとき、俺の後ろの方からやや不機嫌そうな、ぶっきらぼうな大声が届いた。

 

「ちょっと~!ナンパなんて良いご身分じゃない~!!」

 

 

 俺が“げっ、千束”とうめくより前に先生が慌てた様子で振り返る。

 

「えっ、クマ!?なんで、ハワイに!!?」

 

 振り返った先生の戸惑いに対し、目と目が合った千束は不思議そうに首を傾げている。

 

「へっ?あの、熊?…………わたし、錦木千束っていいますけど~、あなたは……?」

 

「クマじゃない……?ああ、いや、わたしは蒼崎、青子……って、そっか。貴方が黄理の大事な──」

 

 そこで、蒼崎青子はフッと笑って身体を翻す。

 

「他人の空似、いや声かしら。懐かしい声で気が抜けちゃった。せっかくのバカンスにきておいて腹を立てるのもなんだし。ここらで私は失礼するわ。じゃあね、黄理」

 

 そう言って青子は手を振り、“この世界のハワイ”から去っていった。置いてけぼりとなった千束と黄理の心の中での思いが奇しくも一致する、“まるで嵐のような女の人だった”と。

 

 

 

 蒼崎青子が何者かを知らない黄理は、呑気にまたどこかで会えるだろうかと考えながら、彼女の去った方に憧憬の眼差しを向けている。そこに、迷子の黄理を探しあてた千束が追い付いた。

 

「黄理、まさか本当にナンパしてたとかじゃないよね。マジだったら、きっついお仕置きが待ってるけど」

 

「違うよ……ナンパって、なんでお前がいてそんなことしなくちゃならないんだ」

 

「うっ、いや分かってるならさぁ、いいんだけどさぁ…………何の話してたの、なんか表情明るくなってるよ?」

 

「簡単に言や、俺が生きてくために必要な話を聞いたところ」

 

「え~、そんなこと言われると気になるなぁ?なになに、千束さんに言ってみなよー」

 

「ふむ、まぁ簡単に言うとだな──」

 

「ふんふん?」

 

「俺は……千束の幸福のために生まれてきたんだ」

 

 千束がにやけ顔のまま固まる。

 

 言い切って、我ながら気障なことをいったかと鼻の頭を掻いてみる。千束の反応がない、いきなりご機嫌取りみたいなこと言って怒らせたかと思い、千束の顔を見てみると。彼女の顔は赤の瞳と同じくらい赤面していて、熟れたリンゴさながらに顔が赤かった。

 

「──んな、な、なにカッコつけてるの!ほら、たきなも黄理のこと探してたんだから、さっさと帰るよ~!!」

 

 掴まれた手の温度は俺のものよりも熱く、それにつられて俺の顔も熱くなる。足早に手を引かれて、ハワイの海岸線を小走りに進む二人の男女の影。海から流れる軽やかな潮風が火照った体に心地よい。

 

 たった、と小さな歩幅に合わせ、俺も足取りを小刻みにしていく。

 

 リコリコが遠くに見え始めた時、ほんのわずかな悪戯心と愛おしさがこみ上げてきて俺は何も告げず唐突に立ち止まった。つられて手を握っていた千束もつんのめるように停止して、崩れた体制を庇うように抱き止め、不意打ち気味に唇と唇を重ね合わせる。

 

 

 幸福というものに形があるとしたら、今きっと俺の腕の中にあるものすべてがあてはまるだろう。幸福を腕のうちにかき抱いて、俺は死んでもいいくらいの幸福を覚え、そこで自分の考え違いに気づく。

 

 千束とずっと一緒に生きて、生きて──。

 

 

 “幸福でい続けよう”、と俺はハワイの地で愛おしさを胸に誓いを立てた。

 

 黄理自身は知る由もないが、この誓いの瞬間こそ月の世界における“七夜黄理”と華の世界における七夜黄理の真の訣別の時だったのである。

 

 

 

 それを遠くから見ていた大型二輪、ハーレーに乗った赤髪に眼鏡の女性。かけた眼鏡を外した彼女は小さな笑みをこぼすと七夜黄理と錦木千束のこれからの未来に祝福を呟いた。

 

「それじゃ、お幸せに。お二人さん」

 

 

 

 

 

 日が暮れ、とっぷりと夜の静けさが海岸線に広がっている。昼間は客足が伸びていたわけだが、夕暮れ時となると人気もまばらで中々、コーヒーを頼もうとする客に巡り合うことがない。

 

 暇を持て余し、車内に引っ込んでいたミズキは、とことこと無警戒に首からメニュー表をかけて出歩いているクルミに注意を促す。

 

「メニューが、うろちょろすんなよー」

 

「お前こそ出てきて接客くらいしたらどうだ?」

 

「あいどんとすぴーく、イングリッシュ☆」

 

「折角、ハワイに来たってのにそんなだから、出会いがないって愚痴をいう羽目になるんだ」

 

 クルミとミズキが軽妙な掛け合いをしているところ、何かのメモを片手に近づく一人の男性。ミズキが首を動かさず視線だけで確認する。その服装、年齢はリコリコに緊急の依頼をした相手のそれと合致する。

 

 クルミも同じ想定だったのだろう。緩んだ表情が引き締まり、鋭い眼差しでミズキへ確認を取る。

 

「……依頼者じゃないか?」

 

 

「ア、あな、アナタはチサトサンでスか?」

 

 男性から差し出されたメモを受け取り、ミズキは千束を呼び出す。

 

「ちさとー、凍えたペンギーン」

 

「おぉ~う、待ってました~!」

 

 やがて、ハワイ臨時出店、喫茶リコリコの営業時間の終わったころ。キッチンカーを締め、リコリコのメンバーたちは依頼人から詳しい話を聞こうとしていた。

 

 のだが、たきなは千束の衣装の変更と……何故か、黄理との距離感が近すぎることが気になったようで。

 

「あの、どうして着替えを?あと、なんだか近すぎません?」

 

「え~、そんなことないと思うけどな~。あと、これはワイハの迷彩服でしょー。たきなも着ろよぅ」

 

 肩や腹部を水着さながらに露出したドレス?髪には暖色系の色鮮やかな花で繋がれた花冠が飾られている。首元にも花であしらあわれた首飾り、ハワイ風ということなら真っ先に思い浮かぶフラガールの衣装に身を包んだ千束。

 

 おまけに花冠は黄理の頭の上にも乗っかっていて──。

 

 千束はご機嫌そうに満面の笑みを浮かべながら、黄理の腕を抱きしめて幸せそうな足取りをしている。腕を組んだ黄理もまんざらではないのか、無言ではあるものの表情はいつにないほど穏やかで優しそうだった。

 

「お待たせ~」

 

「すみません、千束の着替えが時間食って」

 

「え~、黄理もノリノリだったじゃ~ん」

 

「そこは否定できないが……」

 

 落ち込む依頼人をどうにか励まそうとするナショナルイングリッシュのミカと、なんちゃって英語風の日本語で元気づけるミズキが千束たちの方に振りかえる。

 

 集まった視線を受け、見せびらかすように千束は黄理と腕を組んだまま、空いた片手でスカートのすそを僅かに上げ、微笑みと共に告げる。

 

「ハァーイ、アーユーイッツトラブ~ル?」

 

 場の空気が凍り付いた。何せ、すごい深刻そうに項垂れた依頼人のところに救世主と持ち上げていた千束らが、腕を組み合ったバカップルそのものな格好で登場したのだから。

 

 凍り付いた状態で後ろにいたクルミが“アローハ”とか言ってるが空気はなんともいえない絶妙な緊張感を保ったまま固まっている。

 

 

 ややして、ようやくミズキの絞り出すような声で場は締められる。

 

「浮かれてんじゃねーゾ、テメェーら」

 

 そんな悪態が今日イチ英語っぽいイントネーションだったのは内緒ということで。

 

 

 

 千束と腕を組んだまま、俺はふと空を見上げる。頭を抱えたくなる問題は多々あれど目線の向こうに広がる星空は時間を忘れてしまうほど美しい。

 

 腕を引かれ、視線を向けた先には愛する人の笑顔があって──。

 

 その笑顔を見ていると、胸に灯る幸福感と共に無意識な微笑みを浮かべていた。

 

 潮の香りを含んだ一陣の夜風が吹く。

 

 手のひらに優しい感触を覚え、手を広げてみると手中には小さな花びらが乗っている。花びらが風で舞い上がり、花弁と共にハワイの風が吹き抜けていった。

 

 

 それを目で追いかけていたが、やがて見えなくなると目を閉じ、あらためて依頼人の話を聞きに行く。

 

 

 

 ハワイでも騒々しくて、少しばかり物騒な話が始まることを億劫に思いながら黄理は千束と繋いだ手の感触を確かめなおす。

 

「ハワイに来ても物騒な非日常が始まりそうだ」

 

「──それはどうかなぁ~?」

 

「……じゃあ、何が始まる?」

 

 

 千束の瞳のうちにある赤い光が、満天の星明かりを受けて一際強く輝いた。

 

「始まりじゃなくて日常の続きだよ、いつだって今はいつもの続きなんだからね」

 

 

 そういって、こちらの手を引く千束に続き、俺も駆け出す。待ち受ける事件や流れゆく日常は目まぐるしく、それでも不安以上の期待と好奇心があって──。

 

 

 

 こうして、俺たちの物語と夢は──。

 

 幸せな日々はどこまでも続いていく。

 

 

 

 






 あとがき


 これにて、ようやく物語は一区切り。リコリコ本編完結となります。
 此処まで本作にお付き合いいただき感謝にたえません。

 まだまだ、続編やリメイクの構想はありますが、ひとまずこれで完結。
 次回はようやくメルブラ編の導入回、タイトルは“七夜黄理のいない街”をお送りいたします。
 次の投稿がいつになるかはわかりませんが、必ずや投稿しますのでどうかご期待いただければ幸いです。


 ハーメルンでも数少ない完結小説になり、ホッと一息ついております。
 感想、常に楽しく読んでます。いつも本作を書く励みとなっており、皆様に大きく助けられてきました。
 この場をお借りして感謝の言葉を。本作を応援、ご愛読いただき、ありがとうございました!
 よろしければ皆様の、これまでの作品についてご感想などよろしくお願いします!
 
 

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