リコリコ編では直死も、異能も、現代ガンアクションと嚙み合わずオーバースペックでしたが、ようやく適正ともいえる吸血鬼、代行者、混血らが出現していきます。
まずは対吸血鬼、どうぞお楽しみください。
敵も味方も好き勝手に暴れ回れる小説にしていく予定。メルブラ編、導入。短くなるようにしていきますが、これより派手な現代異能伝奇の開幕でございます!
七夜黄理のいない街【1】
飛行機が滑走路から離陸し、重苦しい重力から一時逃れて空へと飛び立つ。
窓の向こう側はもう空港の景色ではなく、空と雲、青と白の二色しか存在しえない。
俺は内心、ホッと一息をついて帰りの航空便の席に着く。
思えば初の海外旅行、ハワイの旅路はトラブルが目白押しだった。
寝転んでいたら通りすがりの先生に蹴っ飛ばされるわ。リコリコを頼ってきた依頼人が実は国家間の最終戦争を目論むサイバーテロリストでCIAと小競り合いを起こすことになるわ。ミカさんのかつての戦友と遭遇して本気の戦闘になるわ、と。事態は目まぐるしく、海外旅行はしばらくいいやとなるほどのハチャメチャ具合だ。
観光としては全く文句のない旅程であったのだが、荒事、事件、不測の事態が続き、すっかり疲弊して俺たちはハワイから日本へと戻る便に搭乗した。
普段から騒々しい千束も飛行機のシートにもたれかかると、すぐさま熟睡。ミカさん、ミズキさん、クルミにたきなも同様。皆が眠ったところで、俺の意識も遠のいていく。
身体の五感は泡みたく溶け、霞となって霧散する。自分の肉体は此処ではない何処か、別の場所に消えて解ける感覚。此処ではない場所、自分の知らない世界、俺は気が付くといつの間にか眠りに付いていた。
眠りとは、落ちるものだ。
意識の無明に──
無我の奈落に──
夢幻の谷底に──
零と一の開闢に──
落ちて、意識は一時の断絶を味わう。
そのはずだ、少なくとも七夜黄理の感じ取る“眠り”という事象はそうであるはずだった。けれど、黄理は異様な浮遊感に苛まれる。
浮いている、意識だけが身体を置き去りにして浮かび上がる。
明晰夢という奴か、ひどく他人事なそれが自分の内面から生じたものであることに俺は僅かに遅れて気が付いた。
これが夢であるという確信を持ちながら、浮上する俺自身を客観視する。
浮いて、持ち上げられ、引きずり出される。
俺という可能性を、並行する数多の世界から選び出し、何者かが
そうして俺の意識は浮上する。飛行機の中ではない場所、一度も来た覚えがない部屋、満天の星々が弧円を描き、螺旋に廻り続ける星の座へ。
そこは一つの完成された世界。観測のために一部屋の大きさにまで纏められた宇宙の縮図。可能性と運命を観測する空間。部屋の中央には荘厳な木製の椅子が置かれ、その椅子を忘れてしまうほど存在としての強度を持つ男が腰掛けていた。
黒の外套は軍服めいた威風を纏っている。所々、散りばめられた宝石?らしきものは、まるで軍の大将や元帥が身につける勲章めいて光を発していた。
外見年齢は五十~六十代ほど。だがしかし、煌々と光る圧倒されるほどの熱量を秘めた眼差しが、男に若々しい印象をもたらしている。
だが、それ以上に俺は愕然とした。
こんな怪物は見たこともない……。混血、紅赤朱とも違う。あれらの人外に属するものを圧倒する怪異、怪物の類い。恐ろしい、心底そう思う。桁が違う、生き物としての、存在としての格があまりに隔絶していた。
腰を落とし、常日頃から持ち歩いている暗器、撥や仕込みナイフ、銃でも掴もうと手を動かす。しかし、手のひらに還ってくる感触は無い。
そうだ、武器は飛行機に搭乗する関係上、手放していたことを思い出した。
いいや、そもそも武器があってもどうにかできたろうか?
禍々しくも流動している線や点は感じ取れる。あることにはあるのだ。少なくとも、死にはする存在なのは把握した。けれど、どう仕留める。此処まで恐ろしい存在を、これほどに強靭なる個体を、殺すことのできない俺がどう仕留めるというのだ。
怯え、竦む。見たことのないほどの怪物を前に丸腰で身構え、果たして俺は生存の可能性を掴み取れるのか……。
そう、葛藤している俺を余所にこの部屋の主人らしき男がようやく口を開いた。
「来たか、こちらの急な呼び出しに対し、既に自己認識を取り戻しておるとは……なるほど、中々に面白い魔眼を有しているようだ」
「……貴方、先生の知り合いですか……?」
身構えたまま、いつでも動ける状態は維持しつつも俺は尋ねた。そう、“魔眼”という普通なら出てこない用語、それを使った人にハワイで出会っているからこその対話。いや、本能と直感は逃げろ、と警鐘を鳴らしているが、思考が対話を望んだ。
こちらの脅えながらの言葉に、男は重々しくも首肯する。
「嗚呼、彼女のことか。知っているとも。同僚というには互いに実状が乖離しているが、少なくとも同類であることには違いない」
「そうですか、それを聞いて一安心……できない。……何故かな」
「それは正しい判断だとも。少年」
鷹揚に口角を上げる姿だけを切り取れば、
「むぅ、此処まで警戒されるとは。想定はしていても話し合いに難があるな。何か質問があるならば応じよう。尋ねておきたいことはあるか?」
「──此処は、夢ですか、現実ですか」
「どちらでもない。此処はそういう空間だ」
「へぇ、またそれは妙なところに呼ばれたもんだ」
身構えながら飛び掛かる想定をして、自分が即死する未来を垣間見る。
怖い、恐ろしい、危険、逃げろ、情けないことに腰が引けている。
「貴方は人間、ではない。でも、ただの怪物にしちゃ人間味がありすぎる」
「その理解は正鵠を射ている。現状が人ならざるものであれ、元は人間だとも。もっとも、そう言い張るには月日が経ち過ぎているがね。こちらとて生まれながらの怪物だったわけではない」
「……生まれながらに怪物として扱われた先祖返りの混血を知っちゃいるが、それでもアンタには遠く及ばない」
正面からの非人間扱い、相手が憤ればいつ命を奪われてもおかしくないというのに、俺の口はどうしようもない減らず口を選択している。
死に瀕しての開き直りというのもあるが、相手の思惑というものを俺はなんとなく読み取っていたためだ。何かをさせたい、そのために呼びつけた、と思う。そうでなければ、こんな怪物を前に俺が生きていられるはずもない。
喉が干上がっている、ああ、無性に千束に会いたい。何故だろう、危機的状況だというのに、まったく呑気で、惚けた感情が浮かび上がった。
居竦む俺を滑稽か、不憫に思ったのだろう。男はゆったりと両手を組んで、敵意の皆無を表してみせた。
「名乗りが遅れてしまったか。────“キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ”だ。そうだな、君が先生という彼女と同じ、魔法使いでもある」
こちらが怯えているのを察してか、男は変哲もないありふれた会話から始めてくれた。いや、魔法使いってのは初耳なのだが。混乱する頭でも、名乗られたからには名乗り返さなければという思考は働いていた。
「七夜、黄理です。喫茶店のバイトと荒事専門の何でも屋を少々たしなんでいます」
「少々、とはまた随分な謙遜だ。国のお抱えとして、幾らか物騒なことをこなしているようだが?」
自分の素性を知られていることに特段驚きはなかった。そういうこともあるだろう、それくらいにしか思えない。
そして、俺の裏稼業の事を知っている時点で男が何を頼むのかも想像がつく。
「君に依頼がある。“サツジンキ”、いや今は違うのだったか。ふむ、“リリベル”である君への依頼だ」
「物騒な依頼なんでしょうね……」
諦念と共にぼやいた俺の想像は正しかったらしい。眼前のキシュアと名乗った男は、刺し殺しそうなほどの圧を秘めた眼差しだけで肯定してきた。
「ある怪物、いや
「……それはできない。俺にはもう、殺人は赦されていないんだ」
首を横に振る。自分を上回る怪物の意向を無下にするという危険を理解して尚、その言葉には頷けなかった。
俺には千束との誓いがある。命を奪わない、という誓いが。
それが破れぬ以上、如何に殺しの腕を期待されようと俺は使い物にならないことを意味する。だからこそ無意味であることを示すため、俺はすぐさま否定を告げた。
黄理の否定を聞きながらも、魔導元帥たるゼルレッチは動揺もなく話し続ける。
「相手は純粋な人外たる吸血鬼の残骸だ。死んでおり、生きていないにもかかわらず、それでも世界に残り続けている。生命を持たず人でもないもの。形を持ってしまった力場、物言わぬ影に過ぎん」
「だとしても……俺には」
強情な黄理の態度に、愉快そうに笑ったゼルレッチが頬杖をつく。
「
「──申し訳ないが俺は何気ない平凡な日々にだって手一杯なんだ。人類とか、世界とか、そんな大掛かりな枠組みには本気になれない」
「巡り巡って“錦木千束”、という少女が死ぬとしてもか?」
瞬間、カッと頭蓋めがけて血が逆流した。
ダメだ、だめだ、駄目だ。
それは、それだけは看過できなかった。
比喩抜きで血流が跳ね上がり、咄嗟に素手のまま男に飛び掛かろうとした。ダンっと、足を踏み込んで、歯を食いしばったまま肉体を急停止させる。寸でのところで止まれたのは、鉄面皮の男が本気でこちらを気遣っているのが分かってしまったからだ。
彼の瞳に映る感情、悪の所業に怒り、善の在り方へ笑う男の思念を認識してしまったがためだ。俺はどうにも気まずくなり、瞼を閉じて頭を下げる。
「すみません、話しを最後まで聞かずに衝動的に……」
「いや、切り出し方に問題があったとは自覚している。だが、お前の激情に踏み込まねばならぬほど、重大な危難が差し迫っていることを理解してもらう必要があったのだ」
言い分は分かった、それでも黄理の心情は上手く折り合いがつかない。せめてもの抵抗として、断る材料にでもなればとゼルレッチへ依頼の対価について尋ねてみる。
「依頼だって言うなら報酬はあるんでしょう?お代はいかほどで?」
「──そうさな、あのハワイでの出会いだけでは不足だったかな」
「…………先生と会わせてくれたのは、貴方のはからいでしたか」
「嗚呼、ミスブルーが偶然、ハワイにいてくれたおかげでもあるがね」
この瞬間、俺は既に報酬を先払いされており、依頼を断れぬ身であったと観念した。蒼崎青子、先生と名乗ったあの人との出会いは、俺の長年の苦悩を取っ払う兆しとなってくれた。あの出会いに第三者の思惑が絡んでいたことは不満だが、出会いを与えてくれた事実は感謝してしかるべきだ。
不足だなんて、口が裂けても言いだせない。
頭を掻いて、俺はため息をついて姿勢を正す。逃走や戦闘ではなく、話しを聞く姿勢に。こちらの聞き取りの体勢が取れたのを見たキシュアと名乗った怪物は改めて言葉を紡ぐ。
「血戒の残滓、ある吸血鬼の亡影が東京に現出する可能性を観測した。現出座標は東京、確か新宿駅だったか。現れた原理が世界に定着すれば、星の脆い礎は容易く瓦解する」
「難しい話はよく分かりませんが、要するに?」
「ならば、端的に言おうか。“吸血鬼の残滓の出現”で世界が滅ぶ」
「あぁ、すっごく分かりやすい。分かりたくないのに」
「そこで、君の万物を殺し尽くす異能が今回の件に最適であると結論付けた。もちろん、断ってもよいが」
「そうなると、千束がその吸血鬼に殺されるっていうことですね」
「ああ、そうなる前に君が出現した吸血鬼の影を仕留めるのだ。なに、人でないものの相手ならば手慣れたものだろう?」
「……そりゃ、前の“俺”の話ですよ。もう七夜の一族は滅んでるし、退魔家業とは縁を切った。とっくに足を洗った浅神はともかく、化け物退治なら両義か、巫浄の連中に投げたらどうです?」
「どの家も衰退して久しいうえに今回の一件には適さない。言ったはずだ、お前が最適である、と」
とんでもないことに巻き込まれようとしている。俺は今、きっとうんざりとした表情をしているだろう。
俺が適している?……冗談にしては出来が悪い。
「貴方自身が行けば良いのでは?どう見ても俺よりも強いし、貴方を越える怪物なら、俺がどう足掻こうと何も為せないのは分かり切ってる」
「──したいのは山々だが、そうもいかない。迂闊に手を出せば、“世界が確定してしまう”」
ゼルレッチの言葉の意味は分からない、意図は読めず、理解は遠く。
けれど、蒼の光環に囲われた漆黒の虹彩は、ゼルレッチという存在の干渉による世界の果てをまざまざと俺の視界に投影した。
──世界卵は未熟であり、未完でなければならない。
──完成を、確定を経た世界に先はなく、ただ切除されるだけ。
なるほど、ああ、これでは手が出せないはずだ。
「……どうして、そういう結果になるかは知らないが……とにかく分かりました。つまり貴方は動きようがないわけですね?」
いかめしい顔に皺を刻んだ男は、俺以上の怪物であるがゆえに舞台を眺めることしかできない。逆に俺程度の小物の方が、舞台上へ潜り込みやすいのだ。ゆえに最適、条件に適しているらしい。
では、今度は俺の条件に適しているかどうかだ。
「──獲物は人間じゃ、ないんですよね?」
「ああ、それどころか生きてもいない。ただの怪異だ」
その言葉を聞いても俺は素直に喜べなかったが……。
千束の命がかかっているとしたら……。
これがうたかたの夢だとしても──。
ああ、断ることはできない。
「依頼、引き受けます。それで、千束を救うことができるなら」
「あい分かった。……出発前に伝えておくことがある。これから向かう東京は、お前がいた世界線のモノではない。“七夜黄理の存在しない世界”の東京だ」
「俺の、いない世界?」
「ああ、君を知る者はなく、当然ながら錦木千束とも面識はない。何せ、存在していないのだから。君の知る錦木千束とはまた別人、在り得た可能性でしかない。それでも、君は行くのだな?」
「決めたことですから。それに……アイツと出会いなおせるってのは、すこし……心が躍る」
「ふっ、臆面もなく惚気おって──」
ゼルレッチ翁は懐から煌びやかな短剣、いや宝石で作られた剣を取り出す。あらゆる可能性を秘めた宝石剣は万華鏡のごとく、色とりどりの色彩に光ると、その光の中に数多の異なった世界の像が映っては消えていく。
俺がそれに目を奪われていると、依頼主からの
「いいか、吸血鬼の討滅を果たすため伝えられることは二つ。“目立つな”、お前は今から向かう世界に存在せぬ人間だ。関心を引くな、自身を隠せ。存在を気取られ、調べられれば深追いされる。何せ、存在せぬはずなのに存在している人間だ。関心や違和感を抱かれるのは必定。最悪、命を狙われかねん。DAと呼ばれる者らの執念はそちらの方がよく知っていよう」
「まぁ、確かに虎杖さんにしろ、楠木司令にしろ、見逃すなんてのは在り得ないでしょうね」
「“吸血鬼は陽が沈んだ後、新宿駅に出現する”。吸血鬼の影を殺せ、さもなくば東京は死者の蠢く死都に変わる。いいや、厄災は東京にとどまらず世界を侵す」
「承知しました。新宿駅に現れる相手の特徴は?」
「お主の眼であれば一目でわかろう。言葉は要らぬ。お前の瞳が、血が、標的たる“アッフェンバウムの原理”を正確に捕捉する。あの氷炎の騎士をお前が見過ごすはずも無し」
「随分な期待をされてしまった……アッフェンバウムの原理、ね」
「それに、相手は劣化した影とはいえ、“
つまり、爆弾持ったテロリストと同じものとでも考えればいいかと、俺は標的の詳しい事情を自分なりの解釈でかみ砕いた。
宝石剣の放つ光が最も強くなった時、ゼルレッチは光輝ごと剣を振り抜き並行する世界と世界の壁を切り拓く。発生した極彩色のオーロラは俺を飲み込み、此処ではない何処か別の世界へと飛ばしていった。
眩しさが収まってから、俺は強い光量で眩んだ視力が戻るのを待って周囲を見渡す。辺りは薄暗く、室外機や換気扇が音を立てて、此処が屋外だと報せてくれた。
服装を確認すると空港で着ていた服装から、普段のリリベルの制服に着替えさせられている。袖には使い慣れた撥、懐には仕込みナイフと拳銃が一丁。腰のベルトにはワイヤーを射出するボーラーラップが一つ。
伽藍の堂、リコリコでの任務や依頼をこなす際の装備をしている。それだけ分かれば現状把握はもう十分。動き出そうと明るい方に身体は向かっていた。
薄暗い路地裏、ポリバケツのごみ箱の前を通り過ぎ、何時から放置されているのか分からない錆び付いた自転車を避け、割れた窓ガラスの残骸を踏み鳴らして光の差す方へと足を動かす。
路地裏を出て、顔を上げる。
蜘蛛の巣めいた電線で囲われた空。高い高層建築が連なる街並み。見上げた先、そこには幾つもの鉄線で絡め取られた“旧電波塔”と先日にテロの現場となった“延空木”が聳え立つ。
見慣れた街並み、風景と見知っている雰囲気。
まったく、うんざりするほど記憶と鏡写しな景観に何故か胸が疼く。
でも、俺は知っている。此処は俺のいるべき世界ではない、と。
「此処が、“