Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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七夜黄理のいない街【2】

 

 

 暗がりの路地裏を出て、目も眩むほどの日差しの眩しさが真っ先に飛び込んでくる。

 

 七夜黄理(オレ)のいない東京、まったく異なる時間の流れた街。

 

 別世界の東京の景色は俺の知るものと何ら遜色なく、様々な人が雑踏の中を行き来している。

 

 慌ただしい中で整然とした流れ、人の命の流動。建造物は見上げるほどに巨大で、旧電波塔と延空木を遠目に眺めている人がちらほらといた。日は高く、正午は過ぎた頃合い。そうだ、この世界での時間は俺の世界のものと同一なのだろうか?

 

 不信感を抱かれない程度に周囲を探る。ビルに張られた商業広告、モニターなどの情報から察するに、今日の日付は俺たちの帰国予定日から一週間後。

 

 つまり、俺の世界とこの世界の時間は一週間ほどずれ込んでいるということか。

 

 

 まぁ、一週間の経過で何が変わるわけでもない。

 

 街の見掛けも、人の在り様も、混濁とした思念の濁流も──。

 

 そこで、俺は“ある気づき”の所為で息が詰まった。

 

 ひゅ、と絞め殺される人間が吐く断末摩に似た呼気。くらりと足から自分を支える力が抜けかけたので、己を叱咤して立ち戻る。

 

 ありえない、ありえないはずなのに感覚は依然として目の前の異常を克明に知覚する。自分の感覚も信用できなくなったので、片手で両目を覆った。

 

 意識と感覚は依然、変わらない(正気を保っている)。なのに、なんでこんなにも“違う”?

 

 

 “気づき”を得た俺の感覚には、眼前の東京の姿が先ほどとは全く異なって感じられた。異常だ、これはおかしい。

 

 

 あまりにも、線と点が多すぎる。感じ取れる全てのものに異常なほど、線と点が刻み込まれている。レンガ舗装の歩道、背の高い街灯、ビルの壁面、その全てに脈動するように蠢く赤の“線”と黒の“点”。

 

 線を特に感じやすい満月の晩でも、これほどの量の“線と点”を捉えられただろうか。

 

 びっしりとおびただしいほどに張り巡らされた死の境界線は、そのまま街の人々にまで絡みついている。

 

 普通では、ありえないほどに……。

 

 今、平気な顔で歩いている人たちは、本当に“生きている人”なんだろうか?吐き気を覚え、喉元までせり上がった胃液をどうにか堪える。

 

 さっきまでの俺は何と的外れで能天気なことを言っていたのだろう。

 

 俺の知る東京と何も変わらない?違う、違う。

 

 こんな景色は俺の知る東京の光景ではありえない。

 

 

 街には死が溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 目を抑えても感覚は周囲の線と点をはっきりと捉えている。ふらついた身体を引きずって、近場の廃ビルに侵入するため裏手へ向かう。人の眼を避ける位置に作られた裏口には硬質なチェーンと南京錠が掛けられて部外者の侵入を拒んでいる。

 

 頑丈そうな南京錠と鎖だが、俺にとっては何の障害にもならない。

 

 七夜の文字と鈴蘭の彫り込み(レリーフ)がされた仕込みナイフを取り出す。南京錠とチェーンの線を正確に感じ取るため意識を集中しようとして、それを中断する。おびただしいほどに線と点があちらこちらに広がっているのだ。意識を研ぎ澄まさずとも、適当にナイフを当てれば線に触れてしまうほどに。

 

 

 

 ナイフの切っ先が脈動する赤い線をするりとなぞった。

 

 カシャリ、と鉄くずの残骸となった南京錠とチェーンを跨いで、廃ビルの中に潜り込む。空いたテナントを通り過ぎ、屋上へと足を運んでいく。

 

 屋上は見晴らしがよく、遠くの区まで視線が届いた。

 

 空を見上げる。

 

 空は、普通ならばただ突き抜けるように青かったのだろう。でも、俺の感覚だけは違うものを脳裏に映していた。青くて、赤い。青い一枚紙に赤のクレヨンを乱雑に書き殴ったみたいだ。

 

 心が軋む、魂が疲弊する、感覚だけが鋭敏に嫌になるほど研ぎ澄まされる。

 

 青い空には悍ましいほどの赤い線が張り巡らされていて、ああ今にも空がひび割れて落ちてきそうだ。周囲を見渡し、特に線の密度が濃い場所を見つける。方角的にあそこは“新宿駅”だろう。

 

 新宿駅を中心として東京中に線と点が溢れ出るように広がっている。その有り様は、街そのものがひび割れているようだ。きっと、今この街は何もかもが壊れ易くなっていることだろう。

 

 どうやら、街の異変は新宿駅に現れる怪異の前触れであるらしい。

 

 街全体へ蠢く真っ赤なツギハギ線、ところどころ発生した黒い点は世界の綻びだろう。脆く、崩れてバラバラになりそうな景色を見ているだけで気が滅入る。

 

 

 頭の割れそうな頭痛をこらえ、俺は階段を下りて建物の外へ出た。

 

 世界そのものが不安定になっていた。

 異様なほど増えた線と点がそれを明確に物語る。

 

 

 街に広まった死の概念、不安定と化した人類史の基盤。

 

 蠢く線と点の濁流は人の世を呪う化け物の現れる前触れだ。

 

 遠目でも分かる、新宿駅を中心として街で脈動する線と点の数が余りに異常だった。

 

 

 

 

 重く息を吐いて、俺は頭痛を堪えるように片手で頭を抱えた。心身ともに状態は最悪だが、標的を補足すれば思考は嫌でも研ぎ澄まされる。だから、今考えるべきなのは、戦場となる新宿駅から人を離れさせる方法だ。DAの伝手があれば、ラジアータさえ使えれば、情報操作でなんとでもなるものを。

 

 自身の手元に無い手段を思考の枠から外す。

 

 俺が持ちうる選択の中で何が最善か?何になら手が届く?

 

 

 

 ──いざとなれば、DA経由で“駅構内に爆弾がある”とでも情報を流して、人除けをしてもらえばいいか。

 

 頭蓋で響く鈍痛に耐え、俺は自分の現状を再確認した。

 

 今の俺は孤立無援、援護してくれる同胞も、肩を並べられるリコリスたちもいない。所持武装は、赤い防弾制服に仕込んだ暗器である仕込みナイフと撥が一対。銃火器はベレッタが一丁、マガジンが二つ。

 

 

 これでどうしたものかと失笑して、ふらりと身体から力が抜ける。身体が倒れる前に膝をついて、どうにか転倒せずに済んだ。おそらく大量の線や点を感じ取って、自分でも思いがけぬほど精神が疲弊していたのかもしれない。

 

 だが問題はない、少し休めばまた動き出せる。

 

 膝をついている俺の横を何食わぬ顔をした通行人たちが通り過ぎていく。大丈夫そうかと顔を伺う者もいるが、大抵はそのまま足を進めていく。薄情とは思うまい、むしろ目立ってはいけないと言われた身からすれば、意識の外に置かれることは好都合。

 

 あと少ししたら、立ち上がって此処を離れるべきだ。そして、夜まで何処かで時間を潰して──。

 

 俯いた視界の中、警戒と心配の綯い交ぜになった思念が眼前に浮かぶ。

 

 

 

「あ~、きみ大丈夫かい?なんだか気分悪そうだけど?」

 

 俺はかけられた声の聞き覚えから、相手が誰であるかをすぐ察することができた。

 

 何処か気の抜けるような声、それでもこちらを真摯に案じているのが分かる態度。くたびれたスーツと人のよさそうな顔。喫茶リコリコでよく見る常連の一人、阿部刑事との遭遇である。

 

「いえ、少し……立ち眩みを。しばらく休めば、立ち上がれそうなので大丈夫です」

 

「そうかぁ……いや近頃はインフルとか風邪やらが流行ってるって言うし、家に戻ったら大丈夫と思っても一応は病院に行くようにね」

 

 彼は自分の知り合いである阿部刑事とは別人だ。顔が同じだけで、知人ではない。けれど、相変わらずのお人よし具合に口元が緩んでしまう。

 

 

「──いつものことなのでご心配なく、“阿部刑事”」

 

 

 “──まずい、しまった”。

 

 言い切ってから俺は迂闊にも失言を零したことを理解する。

 

「うん?君、なんで刑事って、というか、名前を……?」

 

 思わず口が滑った。精神的に結構キていたとか、知り合いの顔を見て気が緩んだとか、理由は様々だが、結局はただの油断に帰結する。疑念、戸惑いの思念の色が混ざり歪んで濃くなる。

 

慌てて、俺は話しを取り繕った。

 

「同じ学校の知り合いから、少し話を聞いたもので。確か、バイト先の常連だとか……」

 

「常連、ひょっとしてリコリコのことかな?」

 

 

「……ええ、錦糸町にある店って聞いてます」

 

「──えっ、きみって千束ちゃんの同級生!?はぁ~、世間は狭いねぇ、どうりでその赤い制服に見覚えがあったわけだ。ひょっとして、リコリコのSNSも見てくれてたりするのかな。ん?でも君の制服の校章、千束ちゃんたちのものとはなんか違うような?」

 

 刑事としての観察眼だろうか。阿部刑事は鈴蘭を模したリリベルの徽章と彼岸花を模したリコリスの徽章の違いに一目で気が付いた。矛盾がでないよう努めて冷静に会話を連ねる。

 

「……学科が違うので、その所為だと」

 

 会話の間に立ち上がる程度には回復した。ついていた膝を上げ、この場を後にしようとする。元の世界の知り合いではあるが、彼は俺の知る阿部刑事とは違うのだ。油断は禁物、長々と話をしていれば何処でボロが出るか知れたものではない。

 

 立ち上がり、軽く会釈してこの場を去ろうと(きびす)を返す。

 

「ご心配をおかけしました、それじゃあ、失礼します。リコリコの二人には……このことはご内密に」

 

「ははっ、そうだね。千束ちゃんたちには秘密にしておくよ。でも、本当に気分がすぐれないなら、無理はしないように……」

 

「えぇ、ご親切にどうも、刑事さん」

 

 別れは簡素に、二人は軽く声をかけあって背中合わせに別々の道を行く。これでいい、標的を仕留めるまでは目立ってはいけない。“目立つな”とは、あの魔法使いの爺さんが言っていた金言だ。

 

 誰の眼にも止まらず、いたということさえ認識を得ず、亡霊として悪霊を仕留めることに専心しろ。

 

 

 それ以外は無用、と心に決めようとしたとき、視界の端で赤い線が真っ赤な火花のようなモノを発して弾けるのを五感が拾う。

 

 ソレハ、阿部刑事の真横で発生していた。

 

 鉄骨や廃材を乗せた大型車両、都心では珍しくもないその一台はワイヤーで荷台の貨物を運搬している最中だった。普通なら起こらなかった事、この世界が不安定でなければ、発生しなかった事案。でも、今この街は全体的に不安定な状況にあって、あらゆるものが脆く壊れやすくなっている。

 

 

 だからだろう。

 

 錆が浮いて、ほつれかかったワイヤーの寿命が唐突に訪れたのは──。

 

 

 

 バツバツと散発的に鳴る断絶音、貨物の重量を支えていたワイヤーがほつれ裂けた瞬間。載せていた鉄骨、廃材が近くを歩いていた阿部刑事の頭上へ降り注ぐ。目立つことを厭うなら、関わるべきではない。

 

 あの阿部刑事は俺の知る彼ではなく別人なのだ。自分をどうにか納得させようとしたが気が付くと身体は動いてしまっていた。

 

 なんと無様/まぁ仕方ないか。

 

 

 距離にして、およそ四メートル。動き出しから一拍を要する間合い。その一拍で袖口から仕込みナイフを取り出し、パチリと白刃を突出させる。次いでの一拍で阿部刑事の背中を掴みこんだ。

 

 阿部刑事の背中を引いて互いの位置を入れ替える。荷台を飛び出し迫る鉄骨、普通ならば線をよく捉えるための集中を求められるが、この世界においては不要である。死を告げる赤の刻印はいたるところに遍在するゆえ。

 

 仕込みナイフが鉄骨めがけて白い残光を幾重に刻んだ。するりと気味の悪いほど鋭利な切り口を残して鉄骨が細切れになっていく。金属どころか、豆腐や腐った木材めいた脆弱さを思わせる解体っぷり。

 

 時間にして十数秒、体感では更に長い時の中。黄理は鋼鉄の波濤(はとう)を凌ぐために全神経をナイフの持ち手へ傾ける。蒼黒の眼光が冷徹な熱を帯びて、眼前に立ちはだかる鋼鉄の津波を静かに見据えた。

 

 ナイフが振るわれるたび、鋼鉄が切り刻まれて破片と化す。

 

 刻まれた鋼鉄の残骸がアスファルトに落下する際の重厚な轟音の連鎖。黄理の背後に庇われた阿部刑事、辺りに居合わせた通行人たちはゾっと恐怖による寒気を覚える。災害めいた貨物の落下ではなく、その貨物をちっぽけな刃物で切り裂いた青年の異常性に。

 

 

 だからだろう、理解できないものを自分たちの尺度に収めるため通行人らの取った、ないし撮った行動は全くの同一であった。

 

 

「君は一体……?」

 

 背後に庇った阿部刑事の戸惑いにどう返すべきかと黄理が応えあぐねていると、最後にひときわ巨大な鉄塊が傾き、ゴゴゴと不吉な音と共に降ってくる。しかし、黄理にとって、いくら硬かろうと巨大であろうとそれが単一の物体であるならば対処は容易である。持っていたナイフを逆手に持ち替え、神経を集中させる。

 

 そのまま蠢く赤い線に刃の切っ先を沿わせ、数えて七つ、刃を振るう。

 

 逆手に握られたナイフにより巨大な鉄塊が細切れに裁断されていく。

 

 

 

 時間にしてみれば、たった十数秒。それを凌ぎ終えたとき、俺は周辺に漂う好機と畏怖、関心と警戒の混濁とした思念の色彩を視た。嫌な予感がして振り返った先には大勢の人らが目線の高さまで上げたスマホが幾つも並んでいた。

 

 四方八方からこちらを覗き込む無機質なレンズ。それに映り込んだのが誰なのか、想像すらしたくない。

 

 ヒクっと口元が苦笑しようとして失敗したひきつった笑みを出す。

 

 ひょっとして、これは思いっきり目立ってしまったのでは?

 

 

 

 異なる世界線において時計塔のロードの一人は語った。

 

 “見ることは、人間の歴史で最初の魔術だ”と。

 

 

 

 その理屈で言えば、七夜黄理はこの瞬間、最も原初に創り出された魔術のうちに囚われたのかもしれない。ああ、分かり易さを優先して現代風な解釈で言うのであれば、七夜黄理はこの瞬間に“バズってしまった”のである。

 

 本人の望むと望まざるに関わらず。

 

 

 

 

 SNSに挙げられた数秒の映像、赤い制服の青年が降り注ぐ鉄塊などを切り刻むアクション映画さながらの一幕。DAの誇る情報操作システム、ラジアータはその青年を撮影した該当動画をあらゆる情報媒体から抹消した。

 

 しかし、ラジアータが対処するまでの数分間。ファーストリリベルと思しき青年が不特定多数、世間からの注目と関心を買ってしまった事実は消えない。

 

 

 これを受け、DAは虎杖司令に対し、この件に関与した青年について情報照会を指示。しかし、リリベルのデータベースに該当する人物は“存在しなかった”。上層部はリリベルが何らかの意図でDAの秘匿性を毀損したのではと疑いを掛けるが、虎杖司令はそれを否認。彼は上層部へファーストリリベルを装ったと思われる正体不明の青年の処理を上申。

 

 

 だが、上層部はリリベルの潔白と、この一件の真偽が判明するまでリリベルの作戦行動ならびラジアータの使用について、緊急凍結措置を通告した。

 

 

 ファーストリリベルと思しき謎の青年の処置について以後はリコリスへ一任される運びとなる。たった数分の情報の拡散、DAという秘匿組織の根幹を揺るがしかねない異常事態。数週間前の延空木におけるリコリスの存在の曝露に匹敵する一大事。

 

 事態を重く見た上層部は楠木司令に対象人物の早急な捕縛と殺処分を命じる。

 

 こうして秘密裏に、この国の治安を守るリコリスたちは“七夜黄理(正体不明)”の追跡を開始した。

 

 

 

 

 騒ぎとなった場から急ぎ離れ、俺は自分のやらかしたことに頭を抱える。目立ってはいけない、と言われていたのに情に流されて判断を誤った。でも、見捨てることができなかった。

 

 

 “きっと錦木千束(アイツ)なら、こうしただろう”。

 

 死の線と点で満ちた今にも破綻しそうな街で正気でいるために、その考えに縋りたかった。頭が痛い、思考を鈍らせて線と点を認識しないように努める。

 

 ぼうっとした状態で、ようやく俺の感覚から線と点が薄れていく。呆けた思考状態で今後のことを考える。普段なら、DAがなんらかの行動に出るとありきたりで、当然のことに考えが及んだろう。

 

 姿を晒した暗殺者(リリベル)をDAが放置するはずもない。延空木においては辛うじてカバーストーリーの流布が処分に先んじたことで看過されたが、今回の七夜黄理の行動にそういった慈悲は介在することはないだろう。

 

 必ずや厳正な処分が下される。分かり切ったことのはずだった。隠れ、DAの襲撃や包囲などから逃げることを優先すべきだ。それが真っ当な思考回路で発露される最善のはず。

 

 

 でも、線と点を認識しないように思考を鈍らせていた俺は、そんな当然のことに頭が回らず、なんとなくの感情が先行した。

 

 無性に千束に会いたい、たきなたちリコリコの皆に会いたくなった。

 

 焦点のブレた蒼黒の瞳に暖かな感情の光が灯る。

 

 

「会いに行こうかな、あの店(リコリコ)に──」

 

 

 

 

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