リコリス。
六歳、訓練過程を修了し候補生を卒業した私はサードリコリスの制服に袖を通した。これにより自分は本当の意味でDAのエージェントとなる。銃を収納してあるサッチェルバッグ風の戦術式鞄を背負う。鞄にはリコリスの名に合わせた彼岸花のエンブレムが刺繍されている。僅かな緊張と共に寮を出て、学生送迎用バスに偽装した強襲用装甲車へ乗り込む。
バスの中には、多くのサードリコリスとセカンドリコリスが座っている。リコリスの最高ランクに属するファーストは搭乗していなかった。無理もない、今から行うのは休日の学生を装って行われる、あるかどうか分からない爆弾の捜索だ。
こういった技能ではなく、単純な人手が必要とされる“作業”に優秀なファーストは投入できないのである。ただでさえリコリスの補充サイクルは非常に早い。先日までルームメイトだった者が任務中に命を落とすこともあれば、リコリスとしての勉学について行けずよく分からない何処かへ消えることもある。
私はそうはならない。必ず首都の治安維持活動を行う地方支部リコリスたちの羨望の場所、DA関東本部・東京支部への転属をしてみせる。誰に言うでもなく無言のままバスの後方席で拳を握り、自分自身を奮起させた。
「どうしたの、たきなちゃん?そんな顔をしかめちゃって?」
「いえ、問題ありません。少し本作戦に向けて気分が高揚していたようです。落ち着きました、これで任務に支障は及ぼしませんから」
「そう?ならいいんだけど」
隣には十一歳のサードリコリスが笑って、京都の町並みを見つめている。常に京都支部で銃撃戦時の撤退ルート、死体や押収した麻薬などの隠蔽場所であるロッカーなどと町並みについて詳細な画像、景色は知っているはずなのに、どうしてそんな新鮮な反応をしているのか。
不思議と首を傾げてしまう。
車内から見える街並みは夜が去って、朝焼けが人の営みを照らしていく。夜から朝に切り替わる時、すなわち学生が外にいても不審でない時間帯がやってくる。学生服で都会という戦場へ迷彩するリコリスにとって場所と時間帯は非常に重要なもの。TPOというものは、学生も大人も逆らえない現代の絶対法らしい。
これから各々が京都市街地に下ろされ、それぞれ最近起こっている爆弾騒ぎに対応する。
この連続爆弾事件で多くのリコリスたちが命を落とした。犯人にその報いを与え、任務を完了することができたならサードからセカンドへの昇格も夢ではない。ただし、そのためには任務遂行と生還が条件に入る。
ファーストリコリスさえ死亡した今回の事件。なんとしてでも無事に解決し何事もなかったかのように社会を回していく。
それこそ、リコリスの使命だと寮で学んだフレーズが脳裏で再生される。
やがて車がバス停付近に止まり、私を含めた数人が降車した。
京都駅、多くの人が賑わう施設で私たちは爆弾捜索を開始する。武装が収納された鞄を背負い直し、通勤や通学で混雑する人の波を越えて日常の裏側にある戦場へ赴くのだった。
LC3023、サードリコリスである少女、井上たきなは駅構内を不自然ではない程度に駆けていく。それははたから見れば友人と待ち合わせに遅れているか、電車に急ぎ乗ろうとしているように見えただろう。
実際は、爆弾の捜索であちこちを走り回っているという殺伐な理由で動いているわけだが。そんな彼女の横を通り過ぎる壮年のサラリーマンたちの会話は、彼女の探している代物にタイムリーな話だった。
「──どうでしたか、ジムのトライアルコースは?」
「勘弁してください。もう体は無茶が出来ないと実感しましたよ。まったく、休日に無理矢理肉体を痛めつけるモノだから、週初めから“爆弾”を背負ってしまった」
「ははっ、それは大変だ。私も、いつ“爆発”するか分かりませんな」
壮年の男たちの話が耳に入り、思考が冷えていく。
鞄の側面収納が開放され、誰の目にも止まらない位置でそっと銃のグリップを握る。爆弾、背負った、爆発、言葉があまりにも的確すぎる。消音器の取り付け、銃を構え、引き金を引くまで瞬く間に行い、近くにいるリコリスと連携を取り男たちの存在を無かったことにすることは容易だ。ただ、今の発言はグレーでしかなく黒と言い切れない。
そっと二人の男を尾行すると、一人が躓いて手提げ鞄の中身を全てぶちまけた。
鞄の中身は違法性に近しいものはなく、もう一人が慌てて鞄の中身を拾い集めている。
周囲の人間は迷惑そうに何事もなく、男たちの脇を通り過ぎていく。
警戒を解いて銃を鞄の中にしまう。ああも目立っている上に体の動きは明らかな素人。白で確定だ。まぎらわしいと不愉快そうに目を細め、たきなは駅のホームへ降りていった。構内に爆弾は発見できず、あとはホームだけを探し終えてしまえば捜索は終わりだ。
駅のホームの爆弾捜索は自販機やゴミ箱が鉄板だというが、椅子の下も要警戒しなくてはいけない。
ホームへ降りると、そこで電車がすみやかに通り過ぎていく。風を引き連れて、電車は止まることなく次の駅に向かう。通り過ぎていく電車を無意識のまま眺めていると、事態が急転する。
最後尾の車両が通り過ぎる、それを開幕の合図にして向かいのホームで爆発音が轟いた。
爆炎が駅を真っ赤にペイントする。炎の赤は刹那に引いて、次に黒煙と爆風が周囲に吹きすさぶ。人々の悲鳴が響き渡り、駅のアナウンスがすぐさま危険を知らせる放送を流す。こちらのホームは人がいないため騒ぎになっていないが、人のいる向かいのホームは大騒ぎで我先にと走り出している。
立ち止まっていた時間は二秒ほど、事態を把握し向こう側のホームに駆け出そうとした時、吹き飛ばされたガラス片や鉄くずに混じってもっと大きなものが飛んできた。
人間の体だ。
自分と同い年くらいの少年が飛んでくる。爆風を間近で受け、その衝撃でこちらまで吹き飛ばされてきたのだろう。こちらのホームに叩きつけられる、と最悪の事態を予期し、頭は救急セットを取り出し始める段取りを整え始めていた。
しかし、その段取りは必要無かった。こちら側の駅のホームまで飛んできた少年は空中でヒラリと猫科の動物のようにしなやかに前転し何事もなかったかのように私のいるホームへ着地する。着地した少年は赤い上着にふりかかったガラス片やほこりをはらい何事もなかったかのように駅構内に向かう階段を上がっていく。
異常だった。爆発を間近で受けて平然としていることも、その身に纏っていた気配も異常過ぎる。何より瞳に宿した蒼の眼光が異常だった。生きているはずなのに生命そのものを否定する氷のように透明な蒼。透き通った冷然たる気配が背筋を刺す。今まで訓練で味わったことのない感覚が身を苛む。
鼓動は熱く高鳴り、そのくせ肌は凍えるような寒さを訴えている。
遅れて呼吸を忘れていたことに気がつく。いや、呼吸ができない。
呼吸とは、どのように体を動かせば良かったのか思い出すのに手間取った。
少年が階段を登り切り、姿が見えなくなった途端に体は呼吸の仕方を思い出す。
もう一つ、思い出せることがあった。それは先ほどの少年の容姿だ。身長は120cm後半、黒のクセっ毛、瞳は蒼の混ざった黒系統の虹彩。ほんの一瞬、見えただけだが鮮明に記憶に焼き付いている。
靄がかっていた意識がはっきりとする。向かいのホームでは幾人かのリコリスたちが、現場で不審人物の確認やひっそりと避難誘導を行っている。本当なら、今すぐに彼女たちに合流すべきだ。耳元のインカムにも自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
『たきな、爆発現場から一般人を退避させてちょうだい。それから、警察が来る前に現場の状況をカメラに捉えて情報収集、警察が来るまで十分もないわ。ここからは早さがモノを言う仕事よ』
この声は聞き覚えがある、バスで横に座っていたサードリコリスの少女の声音だ。
普段なら、この声の言う通り、爆破現場に向かっていた。
でも、今日の私はどこかおかしくなっていた。
あの異常な少年を放置できない。事件から奇跡的に生還した一般人、そう言い切るにはあまりに普通の世界というものからかけ離れていた。普通というものからかけ離れた自分でも分かる異質な存在。
追いかけなくては。
「先ほどの爆発現場から離れていく不審な少年を発見しました。このままだと見失う恐れがあるかと。早急に追跡し彼が連続爆破事件に関連しているか確かめてきます」
『え、ちょっと待って、不審な少年?……少し待ってて、こっちから人を割いて尾行を複数名でしましょう。単独はまだあなたには──』
「間に合いません、追跡を開始します」
インカムの声がうるさい、ミュートにして意識を尾行に集中させる。
通信端末のGPSは起動しているからもし私が死んでも現場を押さえることはできる。
何の問題もない。こちらの都合を知らない少年は京都駅を出て、雑踏の中に紛れ込んだ。それでも、距離をとって尾行をすることができる。少年の存在感は希薄でありながら、どこか普通のそれとは浮いている。また、気配もそうだが、着ている衣服も尾行するにはちょうどいい目印だった。赤い学生服のような衣装、どこかファーストリコリスのそれに似通っているような気もする。だが今は彼が爆弾魔に関係しているかどうかが問題だ。
手には何も持っておらず携行している荷物は何もない。手ぶらの状態で彼は京都駅に来たらしい。
駅を出て、京都タワーを越え彼はしばらく歩いて行く。目的地が何処か不明なまま、ふらふらと幽霊のように街中、人の隙間をすり抜けていく。やがて、彼はビルとビルの間、路地裏へ吸い込まれるように入り込んでいった。都市の空白地帯、とうに日は昇っているのに未だ明けることのない夜の残り香がこの路地裏にはあった。
薄暗く狭い一本の細道。
悪人が悪事を企むにはうってつけの空間。
そこで彼は立ち止まった。
「出てきたらどうかな。ここまで来るってことは何かしら聞きたいことでもあるんだろ?」
尾行を読まれていた。どうすべきか、いや気づかれているなら、もう誤魔化す必要はない。路地裏に銃を構えた状態で入り、少年に銃口を向けた。セーフティは外され、弾薬は最大まで装填してあり、引き金に指がかけられ後はほんの僅かな力で銃弾は放たれる。
「抵抗は無意味です、これから携帯端末を扱ったり、不審な行為を行った場合、制圧射撃を行います。大人しく尋問に答えてください」
「へぇ、幼気な気配とは思っていたがまさか小さな女の子が…………何だと?」
振り返った少年は、冷たい雰囲気を解いて私を驚きに満ちた視線で見た。会うこともないはずの知り合いと遭遇したか、ありえざるものを見たかのような言葉の断絶。黒い瞳の中の蒼が燐光をちらつかせて薄れていく。その呆然とした動揺はリコリスの正体に対しての反応ではないと直感で感じた。
合理的な思考ではないが、それほどまでに彼の態度は分かりやすいものだった。
「ああ、そちらが尋問する前に聞いておきたいことが一つだけ……君は、俺が怖くはないのか?」
「何ですか、その意味のない質問……ハァ、銃を構えてもいない相手を怖がるほどに柔な相手だと見えたんですか?別に貴方のことなんて怖くもなんともありません」
不機嫌そうに声が尖ったものになる。自分が怖いか、などと私を軽く見たような口調に反発心が湧く。彼は私よりもずっと大人びているが見た目は同世代だ。子供扱いされるいわれも、年齢差もないはず。
態度や言葉の端々から君は子供だと言われているようで、なんとなしに不愉快だ。
「そうか……そう、だな。あぁ、つまらん質問をした忘れてくれ。お詫びに君の質問に応えよう、知りたいことがあればなんなりと」
「そうですか、ではあなたと先ほどの爆破事件はどういった──」
「ただし、銃は下げてくれ。こっちは君とやり合う意図はない。あの爆弾騒ぎに関しては俺は被害者の方だしな。そもそも教わらなかったのか。刃物にしろ、銃にしろ、危険物の先端は人様に向けちゃいけないってさ」
こちらが尋問をするより先に言葉を被せてくる。私が主導権を握ろうとすると彼はそれを遮ってくる。主導権は彼の方が掴んで、私は翻弄されていた。それが何より、子供のようだと自分で分かるだけに苛立ちは増すばかりだ。
それより被害者?
あれだけ余裕そうに爆破現場から離れ、意味ありげな態度を取っておいてよくそんなセリフが出てくるものである。
「向けて使うところまでを教わりましたので」
「良い教育を受けてきたようで何よりだ」
「皮肉ですか。撃ちますよ」
「冗談が通じないな。あぁ、話を遮って悪かったって、謝るよ。この通りだ」
この通りだと言っても、やっぱり肩を竦めるくらいで私に対し子供のように接してくる。
「子供扱いしないでください」
「それは無理な相談だ。だって君、まだまだ子供だろ?」
何度も言ったのにからかうような子供扱いを止めようとしない。不思議だ、司令官や年上のリコリスが子供として接するのは気分がささくれない。一般人が迷子かと聞いてきたときも腹は立たなかった。小学生くらいの子供に親しげに話かけられても何も感じなかった。
それなのに、この少年がしてくる子供扱いはどうも自分の中の怒りの琴線に触れて仕方ない。
いや、落ち着こう。冷静に会話のイニシアチブを奪い彼の尋問を行うべきだ。
だから、私は彼を──
“非協力的ゆえに射殺する”
“脅すため威嚇射撃する”