Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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七夜黄理のいない街【3】

 

 

 人口過密の街、東京においてたった一人の人間の痕跡を追跡(トラッキング)するのは相応の権限があれば容易である。街頭には監視カメラ、多数の人の眼、スマホ等のデバイスのレンズ、監視の手段には事欠かない。

 

 それが秘密治安維持組織、DAの専門的ノウハウによって為されれば、捕捉は迅速に完了する。

 

 リコリス本部のオペレーターがラジアータからの情報収集結果を纏め上げ、標的の所在を把握した。標的となったのは、クセッ毛をした赤い制服の青年、瞳は蒼みがかった黒眼。現状ではファーストのリリベルに扮している、と思しき謎の存在。

 

 数十分前に、往来で派手に目立つという暗殺者のタブーを侵した彼は、既にDAの監視下に置かれていた。

 

 青年はぼんやりと胡乱な目で街中を移動中。ぼぅっと隙と油断、無警戒を絵に描いた顔で何処かに向かっていた。いいや、青年の様子を見るに目的地があるのかさえ怪しいところである。

 

 そんな彼に対し、ひっそりと気取られないよう注意しながら取り囲むように包囲網を形成する少女たちの一団。

 

 ベージュの制服を纏うサードリコリスたちの一隊である。

 

 

 彼女たちは、ひっそりと声も発さず人々の注意を集めないことに細心の注意を払って、標的の青年との距離をじりじりと詰めていく。緩やかに音もなく、東京の影に潜む処刑人たちは執行の時機を図る。やがて、人波がまばらになったとき、二人の少女が前後からそっと青年に接敵する距離へ踏み込んだ。さりげなく、身体を遮蔽にして抜いた銃を隠しながら、銃口を標的に向ける。

 

 目論みとしては腹部へ一、二発ほど撃ち、相手が動けなくなったところで介抱するそぶりを見せながら身柄の回収(拉致)を行う。標的の捕獲が困難ならば、生死は問わないとの指示もある。

 

 サードのリコリスたちにとっては手慣れた作業の一環、のはずだった。

 

 

 だが、彼女たちは不幸にも知らなかった。標的とした男が暗殺者にとって最大の天敵であることを。

 

 

 

 七夜黄理は認識不能の死角からであれ、感情、思考を有する生命体の不意打ちを必ず察知する。その瞳に宿した異能、感情を認識する浄眼によって。

 

 サードリコリスたちの敵意と警戒心、その濁った茶緑の思念が赤黒い殺意の色彩に変色した。消音器によって限りなく静音された銃声を聞くより先に、身体を弾道から反らして“前方と後方の銃弾を避ける”。

 

 少女たちは驚きに目を見張った。だが、俺にとってはこんなのは眼に見えて対処できる些事に過ぎない。弾丸はあらぬ方に着弾、面倒になった俺は前へと踏み出して、正面のリコリスの腕を掴む。

 

 腕を掴まれたリコリスは、慌てて手首の捻りだけで銃口を俺の急所にあてがおうとするが、腕を取られている以上、銃は既に無いものと思うべきだったろう。

 

 掴んだ腕を横へ動かし、銃口を背後のリコリスの腕めがけて誘導する。

 

 その誘導のタイミングと銃の引き金を引く瞬間が運悪く重なった所為で、発砲された弾丸は背後のリコリスの銃を握っていた腕を撃ち抜いていた。滴る流血と歩道に落ちた一丁の拳銃。俺を“取り囲んでいるリコリスたち”の敵意と殺気がより鋭さを増す。

 

 そして、それは腕を掴んだままのリコリスも同じ。

 

 やれやれと首を振る、怪我をさせるのは億劫だと言うのに。

 

「もういいだろ、退いてくれないか?」

 

「──クッ」

 

 “これ以上、怪我をする必要は無いだろう”というこちらの意思表示。俺を睨みつけるサードの少女はありったけの敵意を込めて呟く。

 

「冗談じゃない」

 

「──嗚呼、面倒だ」

 

 穏便な俺の提案に対し、腕を掴まれたリコリスが取った行動は掴まれてないほうの腕で甲状軟骨、すなわち俺の喉仏を突く動きだった。銃を掴んだ腕を捻り上げ、突きの軌道を反らす。回避だけではない。捩じり上げられるのを避けようとして重心が下半身から上体に移ったのを察し、軽く足払いを掛ける。

 

 足が地面から離れる。

 

 体重を支える接地点が無くなった以上、後は言うまでもなく。

 

 大きな音を出して、少女が派手にアスファルトへと落下した。いや、はた目には彼女が転んだようにしか見えないだろう。周囲の視線が転んだ少女に殺到する。市民の善良さと治安の高さ。それを象徴するかのように地面に叩きつけられた少女の安否を気に掛けた余人が幾人とやってくる。

 

 その人ごみに合わせ、気づかれないよう気配を押し殺す。監視カメラは無理でも、周囲を取り囲んだリコリスの警戒網を搔い潜るのは容易い。

 

 俺の気配遮断は、埒外の認識力・観察力を持つ千束でも察知できないのだ。サードリコリスがいくら神経を張りつめ注視しても、感知及び認識は不可能。人々の認識をすり抜けた魔影は、監視カメラを避けるため路地裏を経由して錦糸町を目指す。

 

 

 やがて、どうしても監視カメラに身を晒すしかない道に出た時、目立つところにあった監視カメラへ目線を合わせ、カメラの向こう側にいるであろう何者かへと小さな声で警告する。

 

「──次はない」

 

 俺自身、殺しができないので脅しにもならないはったりでしかないのだが、せいぜい虎杖さんか、楠木さんが良いように深読み、もとい解釈してくれるだろうと鈍った頭は都合よく解釈してしまった。こんなあからさまな挑発の口ざまを。

 

 

 

 

 

 

『──次はない』

 

 それだけを言い切ると、青年は赤い制服の裾を翻して雑踏の中に埋没していく。後ろ姿はすぐさま小さくなり、人々のうちに紛れ込んでいった。もちろん、監視カメラでは追跡ができている。一度、青年を見失ったサードリコリスたちにも対象の現在位置を共有済み。

 

 追跡、捕捉は依然として継続中である。

 

 異常なことと言えば──。

 

「現地のリコリスたちからの報告です。“また”監視対象を見失った、と」

 

「……映像機器では捕捉できているのだろうな?」

 

「はい、ですが目視で標的を追いかけていると、見落としが頻発するようです」

 

「単なる見落としなどではないな、相手の隠密行動の練度が我々の想定を上回っているのは確かだ……現場のサードリコリスたちには監視のみを徹底させ、接敵は厳に禁じる。位置情報の共有を継続して標的を補足し続けるように」

 

 楠木の重々しい声音の指示に側近として控えていた女性が頷いた。監視カメラでの追跡はできているのだ、ところがリコリスたちの目視による探索をすると見落としが発生し出す。

 

 監視カメラで追えているのに、人の眼には止まりづらい。まるで姿の無い亡霊(ゴースト)を追いかけているようだ。楠木はモニターをにらみつけ、考え込むように目を細める。

 

「……ヤツは何者だ?いや、そもそも目的が見えん」

 

 ファーストリリベルの制服を着た青年、だというのにDAのデータベース上には存在しない。カメラには映るのに人間の眼を経由しただけで捕捉できなくなる異常性。そのクセ、あっさりとSNSに投稿されて、正体を露見するという不手際。あまりにもちぐはぐで目的や企みというものが不明瞭過ぎた。

 

 まるで、伝奇譚に出てくる正体不明の怪異、亡霊のごとく。楠木は脳裏で僅かに過ぎった妄想を即座に振り払う。今は、益体もない空想ではなく事実から次の動きを考えなければならない。

 

「先ほどの接敵時の映像を出せ」

 

 言われ、オペレーターはサードリコリスが前後から迫り銃を発砲した映像を再生した。視界である前方どころか、完全に死角であった後方の銃撃も回避してみせた青年の神業。映像が止まったところで近くにいた秘書が不安げな声を漏らす。

 

「司令、あの男の銃弾を避けた技術は……私の眼には“錦木千束”のものと酷似、いえ言葉を選ばないのでしたら更に恐ろしいモノのように見えてなりません」

 

「判断を急ぐな……もう一度、始めから再生を」

 

 映像が、また銃弾を発砲する直前まで戻る。そこで楠木司令はリリベルの銃弾を回避して見せた技術の正体に検討を付ける。

 

「あのリリベルの動き、視覚以外の方法で銃弾を避けているのか?」

 

「視覚以外の……でしょうか」

 

「ああ、このリリベルの目線を見ろ。真後ろの銃口は見えないから除外するとして、前方のリコリスを見てもいない」

 

「あっ!」

 

 言われて秘書の女性もその事実を認識する。映像のリリベルの青年は、胡乱な目で前方のリコリスを見てもいないようだった。そうなると、考えられるのは……。

 

「延空木での“真島”と同様に、聴覚が特別優れているということでしょうか」

 

「引き金を引く筋線維の音でも拾っているのか……。僅かな音をも拾い、聞き分ける特異性(ギフテッド)を有すると仮定して、コイツの知覚範囲は千束を優に凌ぐかもしれん。そして、延空木での真島も銃弾の回避を行ったという報告はない。少なくとも真島以上の聴覚の持ち主であるとも予想できる」

 

 

 視覚、嗅覚、触覚、味覚、このどれにも類さないものとして聴覚が現時点では銃弾を回避するのに最も可能性の高いものと推定。しかし、楠木の表情は鋭いままだった。鋭敏な聴覚、銃弾を避けるという神業に対して最も合理的な仮説ではあるが、憶測の上に推論を重ねすぎている。

 

 情報不足を鑑みても分析、というにはほど遠い想像の羅列。

 

 それが不愉快ではあるが、現状で手に入る情報からは此処までの想定が限界であると、楠木司令は思考を入れ替える。次は、SNSに挙げられてしまった動画の方だ。

 

 モニターに映させたのは、たった一本のナイフで大型車両から落下した鉄塊や廃材を両断、剪断していくリリベルの姿。千束の銃弾を回避する光景以上に馬鹿げた、非現実的な絵面を前に楠木が不愉快そうに顔に手を当てる。

 

「全く、訳が分からん……」

 

「……現場から回収した廃材や鉄塊などの切り口を化学分析に掛けたところ、切り口から異常は認められず、特別な付着物なども検出されなかったそうです。切断面は非常に鋭利に切り裂かれており、工業機械での切断と同等の切れ味だと結論付けられました」

 

 そこで秘書の女性は奥歯にものが挟まったような、きわめて言いにくそうに言葉を選んで説明を締めようとする。

 

「最終的に……このリリベルの持っているナイフに何かしら未知のテクノロジーがあるのでは、と研究解析班より報告が……」

 

「……フゥ。結局、このリリベルがどうやって巨大な鉄の塊を切断したかは不明のままか。研究解析班に不明瞭なまま、報告を挙げるなと釘を刺しておけ」

 

「承知しました……」

 

「敵の正体、行動、目的の何もかもが不明瞭な状態で、あれこれと憶測を立てても意味がないな。他にリリベルに扮して行動する者は都内に確認できたか?」

 

「いえ、リリベルが凍結命令を受けてより、都内で活動中のリリベルは一名たりとも存在していません。いるとすれば、それは──」

 

「凍結命令が解除されるまでの間、リリベルに扮した者の発見・捕捉をラジアータの優先タスクに回しておけ」

 

 この気味の悪い正体不明の存在との邂逅、暗躍の兆し。非常に不本意ながら楠木には覚えがあった。以前、錦木千束に接近しようとしたアラン機関。未だに謎に包まれた天賦の才を支援する組織。その暗躍の気配。先の延空木の件では、銃火器を大量にテロリストへ流して事件の発端を生み出した存在。

 

 可能性として──。

 

 このリリベルに扮した青年は、延空木における“吉松シンジ”の死亡に対して、アラン機関が寄越したDAに対する報復なのではないか?

 

 いいや、リリベル側が本当に無関係という保証もない。錦木千束に対抗するため育成された史上最強のリリベル、その成功例の脱走の可能性は?

 

 

 可能性、推測、憶測。想像と未知、不条理な不確定要素の数々。

 

 苛立たしそうに楠木は髪をかき上げて現時点の結論を出す。

 

「現状では、情報が不足しすぎているが相手の力量はファーストに匹敵する。……フキを呼べ、あのリリベルの強襲はチームアルファに一任する。捕獲、が困難であれば、殺傷も許可しよう。奴を確実に処理し背後関係を洗い出す」

 

 行動指針を明確化した楠木は、向き直ってオペレーターへ確認を取る。

 

「標的の現在地は?」

 

「はい。現在、標的の青年は……錦糸町方面に移動中、です」

 

「──なんだと?」

 

 

 

 

 

 監視のリコリスを幾度か撒いては、また張り付かれるを繰り返した後、俺はようやく錦糸町へと辿り着いた。妙なことに錦糸町に来てから、追跡者がいなくなったのを浄眼による思念視で確認。どうやら、サードリコリスは今のところ追いかけていないらしい。

 

 良かった。これ以上、無駄に怪我をさせたりせずに済む。

 

 とはいえ、油断できるはずもない。俺の眼は人の監視はどれほど離れていても察知できるが、監視カメラやドローンといった無機物は探知できない。執念深いDAのことだ。機械的な監視は続行中だと確信が持てる。

 

 

 まぁ、リコリコに行ける状況なら、何も問題はない。

 

 それ以外のことは頭から完全に抜け落ちている。頭が痛い、重い、視界が赤と黒に明滅し、かき混ぜられて混濁している。今だって、思考を鈍らせているはずなのに、認識の断片に線や点がちらほらと映っている始末。

 

 頭が、五感が、全てが命の限界線を俺に付きつけていた。

 

 家の塀、電柱、アスファルト、ガードレール、近くにいた歩行者、全てに禍々しいほど真っ赤な線が引かれている。おびただしいほどの線の密度、死が吹き荒れる嵐の中、俺は歩いている。錦糸町の歩き慣れた道順(ルート)。頭が働かない中で身体に染み込んでいた思い出だけを頼りにして、足を前に出し続ける。

 

 地面にある“点”を踏まないように、世界が割れて砕けないように慎重に、逸る足を抑えて“リコリコ”へと歩いていく。

 

 そして、ようやく目的地にたどり着いたとき、俺は不思議な安堵を感じた。俺の知るリコリコと何ら変わらない外観、胸を締め付けるほど、いつも通りのリコリコを見た途端、後先のことなんてもう思考の外。

 

 

 分かっている、この世界の千束やたきなは俺の知る彼女たちではない。

 

 分かっている。それでも別人であっても、彼女たちの面影を見ておきたかった。

 

 リコリコの扉を押し、ベルを鳴らして店内へと踏み込んで──。

 

 

 見慣れた、いつも通りの店内の光景と、見慣れないというかこれまでにないほど冷え切った歓迎の眼差し、凍えるほどの敵意の思念が俺に突き刺さる。

 

 

 

「──────いらっしゃいませ」

 

 店での制服である青い着物を着こなすたきなは、リコリスの制服だったら間違いなく拳銃を抜いていたと思うほど、鋭く睨みつける眼差しで俺を出迎えた。凄く警戒してるし、敵意を隠そうともしない。

 

 その横、今にも飛び掛かりかねなそうな意気込みのたきなを抑える立ち位置で、困った顔をしている赤い着物の少女、千束と視線が交差する。

 

 赤の瞳を見つめる蒼黒の燐光を放つ眼差し。千束の赤い瞳は、深海めいた底無しの色を持つ蒼黒の眼光に魅入られそうになる。ぼんやりと千束の瞳孔が揺らぎかけたところで、慌てて彼女は目線を切った。

 

 その不自然さを誤魔化そうと千束は首を傾げて声を掛けてくる。

 

「あはは、え~っと、はじめての人だよね。いらっしゃい?……そんでー、うーん。ご注文は?」

 

 赤い瞳はどこか気まずそうで、けど、どうにかこちらを歓迎しようとする意志が視えていた。

 

 そんな千束の声を聞き、ふと俺は自身が正気に戻っていたことに気づく。頭痛がない、線や点が遠く離れたようにも感じる。

 

 思考が軽くなり、つい気が抜けて俺は普段通りな注文をしていた。

 

「とりあえず、ブレンドのコーヒーを……」

 

 

 

「──へぇ、この店がコーヒーを提供するって、よく分かりましたね。この和装だと、普通ならメニューを見てからコーヒーがあると気づくのに──」

 

 あ、たきなの視線の温度がまた一段と下がった。ふむ、なにやら俺は注文を間違えたらしい。いや正解したのが不味かったようだ。

 

 答えに窮し、ただ曖昧に笑って見せる。

 

 結果は睨みつける目線の強さが増しただけだった。

 

「そちらの席でお待ちください。それと……くれぐれも、くれぐれ、も。店内では静かにしているように」

 

「…………分かった、大人しくしてる」

 

 たきなはミカさんにオーダーを告げるときも、こちらから目線を離そうとせず、物凄い警戒をしたまま俺を睨み続けていた。それどころか、ミカさん、クルミ、ミズキの警戒の思念も靄になって店の中に充満している。

 

 此処は、見かけは普段通りの居心地の良いリコリコの、はずだ。けれど、内情が視えてしまうと警戒と敵意、殺気が入り混じってどうにも座りが悪い。

 

 誘導されたカウンターも、他の客席から距離を離す位置である。うん、いざとなれば常連の眼に入らない位置が確保されているようだった。仕留める気満々の席について、コーヒーを待つ俺は、自分の置かれた現状の立場を少し鑑みてみる。

 

 これは……ひょっとしなくとも。

 

 此処にきて正気に戻った思考は“リコリコ、来てはいけなかったのでは?”と周回遅れな正論を提示していた。

 

 

 

 

 




 年内、最後の投稿となります。今年はようやく、本作を完結させることができました。以後、メルブラ編を書き進め、月姫とクロスさせられるよう鋭意、執筆していきますので、皆様、応援や感想などよろしくお願いします。

 それでは読者の方々、よいお年を。
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