Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 推奨BGM  月姫より“生命線”、“魔眼覚醒”、リコリス・リコイルより“ALIVE”



Reverse impulse 

 

 

 

 展望台まで駆け抜けてきた錦木千束と七夜黄理の二人は、扉を蹴破る勢いで開き室内へ突入する。相手はたった一人だけと聞いているが、監視カメラの死角に何人が隠れているか分からない。油断無く不殺の暗殺者たちは展望台へと乗り込んだ。

 

 ただ、七夜黄理は己の浄眼で展望台フロアに生きた思念は一つだけと突入前から見切っていた。千束に魔眼のことは伏せて状況を説明。相手はたった一人だけと伝え、武器を構えた状態で敵と相対する。

 

 

 

 

 東京を一望できる窓際には武器を構えもせずに眼下の街並みだけを黙って見ている男がいた。殺意が欠片も感じ取れない。それどころか、何もかも諦めて、どうでもいいとさえ認識している無気力さ。足下にはハートをひっくり返したような弾頭“フウセンカズラ”が粗雑に置かれていた。

 

 千束は首を傾げた。

 

 “えぇ、なんだろ。“フウセンカズラ”を使う気がないの?”

 

 “なら、どうして電波塔のジャックなんてしたんかなぁ”

 

 

 少しズレた思考を戻して眼前のテロリストの姿を見る。

 

 扉から大きな音を立てて、入ってきた私たちをテロリストの男性は三秒も遅れて認識した。隙だらけで銃を撃とうともしていない。だが、相手はテロリストだ。野放しにしてもいいことないし、さっさと気絶させるなりしてフウセンカズラを確保しちゃいましょー。

 

 

 黄理と私が同時に走る。黄理は鉄棍を逆手に構え、私は慣れた構えで銃を前に向けつつ距離を埋めていく。ミズキの台詞通りにこのまま何事もなく事件は解決か。そこまで思って私と黄理は相手が何かを握り込んでいることに気づいた。

 

 スイッチ?それも握り込んだ状態で?

 

 脳裏にデススイッチという単語が浮かび上がる。銃口を男から離した。

 

おそらく意識を失ってスイッチから指が離れたら、どこかに仕掛けられた爆弾か何かが作動する。“フウセンカズラ”の影に潜んだ二重の罠。

 

「黄理、スイッチを離させちゃダメだ!」

 

 相棒へ呼びかけ、相手を超至近距離で制圧するプランに変更。非殺傷弾の射程の更に奥へ入り込もうとして、私の意識がひやりと冷たい警報をかき鳴らす。それは黄理も感じ取ったのか、いいや黄理の方が致命的な位置にいたからこそ明敏に死の気配を嗅ぎ取った。

 

 

 浄眼という人の思念を手繰り、死の気配に鋭敏な感覚を持つ七夜黄理が遅れて危険を察知する。展望台、テロリストの男がいる場所と反対方向の大きな窓の傍にはセンサーで人間の位置を捉え、銃をばらまく自動銃座が置いてあった。

 

 

 以前、爆弾魔の時は相手が七夜黄理のことを強く認識していたゆえに、敵手の思念によって悪辣な罠も容易く突破することが出来た。しかし、これは違う。

 

 相手を倒せれば儲けものと雑に置かれていただけの代物。

 

 ゆえにそれはどのような罠よりも七夜黄理に深く刺さる。

 

 もはや後退も間に合わない。前方へ体幹を乗せきっているため後ろに下がろうとも、この段階では不可能だ。全力で前方へ脱出、いいや体力はここまでで相当に消耗した。なるほど、観光施設に大勢の人員を割いて、此処は手薄にしたのはそういうことか。

 

なんて無様、と黄理は自らの失策、いいや手遅れさを嘲笑した。

 

 自動銃座はこのまま黄理の肉体を蜂の巣にする。

 

 それは七夜黄理一人では絶対に避けられぬものだった。

 

 

 ただ、そこには黄理の相棒の姿があった。彼には見えない世界と、持ち得ない信念を抱いた少女がいた。

 

 そう、錦木千束の観察、洞察の目は七夜黄理のそれを圧倒的に凌駕する。

 

 

 

 彼女は黄理が致死領域(キルゾーン)に踏み込んだ位置より一歩手前で停止していた。自動銃座を見つけるのが黄理より早かったためだ。しかし、このままでは黄理が銃弾に斃れてしまう。相棒としてしたいことはたった一つだ。

 

 黄理の右手首を掴んで思い切り引っ張る。前方に体幹が傾いていた彼の姿勢が後ろへ倒れるようなものとなり危険地帯からの生還を果たす。だが、千束は黄理の手を引いたことで体の位置が銃口と重なってしまった。

 

“いちおう急所を外したけど、それでもきっと痛いよなぁ”。

 

 覚悟を固めるより先に自動銃座から銃弾が放たれて、弾丸は私の右肩を貫通した。骨に異常はないと思う、けれど腕が熱い。肉をえぐり取られたなこれ。連射し続ける自動銃座を非殺傷弾で破壊して、私は背中から倒れていく。

 

 一応、防弾加工されているリコリスの制服を貫通したところを見ると、高速徹甲弾(アーマーピアシング)が使われたみたいだ。痛みが熱としてしか認識できなくなって、床に背中が付く寸前で黄理が私を抱き留める。

 

 黄理は呆然とした顔で、私を見る。その姿は迷子になった子供のようで、ふいに抱き寄せたくなったが右肩やられて動かせないから腕の中でじっと黄理を見つめ返した。私は大丈夫と言おうとしたけど、それより先に黄理が私の名前を呼ぶ方が早かった。

 

 

「────ち、さと?」

 

「ギリ、ギリセーフだったね。黄理も……私も」

 

 

 そう言って笑いかけてから、私は右肩を中心に全身を苛んでいた熱が消え去ったことに気づいた。

 

 寒い、いやな冷気が全身を刺す。

 

 

 理由?……テロリストが私たちが倒れたところでフウセンカズラを発射しようとしているから?

 

 いいや、悪い事というものは連鎖する。フウセンカズラを握った男は手元のスイッチを見せびらかすように地面に放り投げた。同時に、足下から震動と轟音が鳴った。不吉ささえ滲ませながら金属の破砕音が足下から聞こえてくる。

 

 怨嗟の声をあげて炸裂と破壊の音は連続し電波塔に浸透する。

 

電波塔が破壊音と爆発の大音響を上げ、それはあっという間に展望台まで届いた。

 

『千束!七夜!聞こえるか、奴らは二重に備えていた、どちらかが失敗しようと結果として目的を達成するために!電波塔そのものに爆弾を仕掛け、フウセンカズラと合わせて使うことでヤツらはジジッジガガガジッッガ────』

 

 

 楠木さんの狼狽した声がノイズにまかれて途切れる。

 

電波塔が黒煙を上げて、刻一刻と壊れていくのを体感している。状況は時間経過と共に加速度的に悪くなる一方。眼前のテロリストが発射しようとしているフウセンカズラ、崩壊していく電波塔。でも、“そんなこと”よりも恐ろしいものがこの展望台には存在した。

 

 

私をいま抱きかかえている黄理の感情が顕わとなる。その感情を千束はよく知っていた。敵である相手が常に発してくる殺人の意思、明確に俗な分類をするなら殺気と呼ばれるもの。けれど、黄理の発するそれは今までに体感したこともないくらい冷たい。彼の発する殺意は重苦しく冷たく、絶対零度にまで凍結していた。

 

 私を抱きかかえていた黄理がそっと私から手を離した。

 

優しく壊れてしまわないように、でも私のことは一瞥もしないまま彼は私を置いて駆けていく。

 

 この時、私は何をしても黄理を留めるべきだったんだ。

 

例え、銃を撃ったとしても、思い切り殴りつけようとも、手段も過程も問わずに彼を止めなければいけなかった。

 

 相棒として、彼と約束をした者として、絶対に止めなくちゃいけなかったのに。

 

 私は黄理を止めることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思考が蒸発する。意識は燃え上がり灰すら残っていない。いま、七夜黄理の脳髄に残留しているのは、底なしに黒々と広がる闇だけだった。黄理は自分を庇って倒れた千束を抱えて、それから自分の意思が業火にくべられるのを自覚する。

 

 生きたまま、人間として生きていく上で必要不可欠である倫理観も、正義も、常識も、魂も焼き尽くす。

 

 七夜黄理という存在が生涯持ち得なかった感情を初めて獲得する。

 

 他者に対する極限の否定感情、その存在すら許せないと思うこれは、怒りというべきものだ。誰かを殺すとき、これほど激しく意識が熱を持ったことはない。これほどの感情を抱いて凶器を振るったことは覚えがない。頭蓋の中は熱く焦げ付いているのに、手先は凍り付いたかのように冷たく感じる。

 

 これなら、怒りのあまり手元が狂うなんて無様な真似はありえまい。

 

 

 “千束が何か言っている”……どうでもいい。

 

 七夜黄理が持ち得なかった“怒り”の感情……どうでもいい。

 

 そういえば、眼前の男は“京都で見たような”……どうでもいい。

 

 あの男が“発射しようとしている兵器”は一発で首都機能を壊すことが……どうでもいい。

 

 今は全てがどうでも良かった。

 

 意識が反転する。理性が“不殺の約束を守れ”と俺を留めようとするが、本能と感情がそれを噛み砕いて咀嚼する。今はこの怒りを眼前のあの男に叩きつけてやりたかった。感情が臨界点を越えて、黄理の魔眼はついに機能を狂わせる。

 

 

 世界に“死”が入り込む。展望台、いいや自分の感じている視界、その全てに線が刻みつけられる。線が重なり合った場所には、ブラックホールのような奈落の点が存在していた。自分と一緒に世界まで狂ってしまったのか、黄理はそこまで考えてから、どうでもいいと思考を廃棄する。

 

 墜ちた世界が粉々に砕けて、罅が入ったみたいだ。

 

不気味に鳴動するように感じ取れる罅、いいや線は世界の血管(欠陥)そのもの。真っ赤な線だらけの世界は、あまりにも不安定で今にも全てが崩れ落ちそうなくらい脆い。

 

 ……赤い?自分はどうしてそう思ったんだろう。

 

 そんな線は“何一つ”目には見えないはずなのに。

 

 見えないものを見ないまま、黄理はその存在を感じ取る。七夜黄理の魔眼は依然として浄眼のままだ。その機能・性能も変化する余地は存在しない。けれど、死の究極を目指した彼の生涯と、死を体験して再び子供としての自我を獲得したという異形の経験が、彼に見えないまま“死”という概念を知覚させる能力を発現させた。

 

 直死の魔眼とは似て非なる、いや明確に異なる能力。

 

 “境界を視る”のでなく、“境界を手繰る”異能。

 

 死の概念を感覚で把握し、見えなくともそこにあると認識する掟破りの異能。

 

 かつての自分が目指した死の極点を黄理はようやく手に入れた。

 

 

 けど、彼にとってはそんなことは本当にどうでも良かった。

 

 

 銃弾を喰らって倒れた“千束の安否”さえどうでも良くなってしまっていた。

 

 彼女が無事かどうかを確認するより先に、肉体は感情の命じるままに動いていた。

 

 

 身勝手で醜悪な感情が精神を支配する。利己的な感情を抱いて、黄理は刹那の間に隙だらけな格好でロケット砲を構えた男に接近していた。

 

 

 そう、この“誰の手も声も届きはしない塔の上”に来るまでの間、黄理は千束にある願いを抱いていた。

 

 ただ、笑って生きていて欲しい。

 

日常で何事もなかったように笑って平穏に生きているところを見たかった。

 

それだけが黄理の見ていた“夢”だった。

 

七夜の森に置いてきた志貴と同じように、殺人に長けていながらも自分と異なる道を選んだ千束を黄理は大切に見つめていた。見ているだけで良かったはずなのに。

 

 

気づけば君にもっと笑っていて欲しかった。普通に歩いていたり、座っている光景を見るだけで心が温かくなっていった。

 

 

 

千束には、平穏に生きてもらいたかったんだ。

 

 

 彼女との思い出が一瞬で頭の中に氾濫する。

 

僅かな思い出の中の錦木千束は、いつも笑っていた。

 

 

“約束してよ。私の相棒になるんだったら、人殺しはやっちゃダメ。”

“ねぇ、君、ここで何してるの?道に迷っちゃった?それともデートの待ち合わせとか?”

 

“生かそう、助けようよ。そっちの方がずっと格好良いし、何倍も素敵だ”

“今日のとこは黄理の負けだね、リベンジいつでも待ってるよ~!”

“気分がよくない……殺しは気分がよくないから、やらないの”、

 

 

“大丈夫、黄理は必ず今よりも素敵な答えが出せるようになる、絶対に!”

 

“どこかの救世主さんが私を助けてくれた。私にこれからも生きていける心臓をくれた。だから私は、生きてる限り誰か困っている人を助ける夢を、命を懸けてみてみたい!”

 

“魅せつけてあげる、私の全てを”

 

“私たちならなんだってできるさ!だって、私たちは“最強”なんだから!そうでしょ、相棒!”

 

 

 別に千束の命を脅かしたことを怒っているわけではない。ただ、彼女という存在は七夜黄理にとって夢そのものだった。自分が“夢にまで見た在り方”を踏みにじられたことが、この怒りと殺人衝動の起源である。

 

 

 殺人をこなしたことは多くあれど、殺人を望んだことはこれが初めてだ。

 

 

 初めての感情を胸に、今はやりたいことを最優先に始末する。

 

 今はただ、眼前にいる男を“コロシタイ”!

 

 

 

 

 パチン、ナイフの刃部が小気味よい音を鳴らして飛び出した。

 

 殺意が爆ぜる、これまで体の成熟度合いを見て意図的に使っていなかった全力をこの一瞬に駆動させた。全盛期、紅赤朱と殺し合いを演じた時と同等の高速挙動。今まで加減して振るっていた児戯とは比べものにならないほどの巧みな加速と隠行が行使された。

 

 思考は熱く燃えていたが、手先は冷たく殺意の命じるままに正確な技巧を出力する。

 

 15mほどの距離をコンマ数秒でゼロに変え、まず最初に相手がロケット砲を持っている腕の線にナイフを通す。肉と骨の感触は感じない、まるで豆腐に刃を通したようだ。滑らかな手応え、ロケット砲を持っていた腕が宙に舞う。

 

 どうでもいい、優先すべきは完膚無きまでの解体だ。宙を舞った腕が床に落下するより早く、黄理の初めての願いは完結していた。

 

 

 “実証、十七分割”。

 

 体を走る大小、十七個の線。刹那、(ことごと)くにナイフを走らせる。

 

頸部、後頭部から顎部、頭頂部より額、右目から口、右腕上腕、右手首、右腕肘部、左腕下部、肩口から腰椎、肩胛骨から右足踵、肋骨から心臓、胃部から腹部、背面頚椎から腎臓部、正面腹部から右、左の股関節まで二カ所、左足脛、左足膝、その全てをざっくざっくと手際よく、すれ違いざまに一秒とかけずに解体する。

 

達成感はなく、喜びなんて微塵もなかった。

事を終えると怒りだけが凪いでいた、先ほどまで本当に怒りを抱いていたのかも不確かで。

 

ふと振り返ると、そこには十七個の肉片が転がっていた。

 

 バラバラに散らばった肉片から、むせかえるほどの鉄錆の香りが立ち上る。展望台の床が爆発の影響で傾斜がついていたため、真っ赤な液体は川の流れみたいに数本の線を描いて黄理から離れていく。切断面はあまりにも綺麗で、積み木のように重ねればまた動き出すのではないかと余人に思わせるほどだ。

 

 ようやく実感が思考に追いついてくる。

 

“俺が殺した、俺が解体(バラ)したのか”

 

 

 バラバラの肉片の向こう側で、千束が呆然とこちらを見ている。ああ、彼女は生きている、肩から血を流してはいるけど他に目立った怪我はないらしい。今更過ぎる確認にようやく意識が回ってから、俺は取り返しのつかないことをしてしまったと気がついて……。

 

 

 

「ごめん。千束との約束、守れなかった……」

 

 

 

 口から零れたのは、なんとも情けない謝罪の言葉だけだった。

 

 

 

 

 

 

 これまでの動きを圧倒的に凌駕する挙動でナイフを振るう少年。

 

(ほど)けるように崩れ落ちる肉片。

 

 七夜黄理がもたらした終わりの瞬間は、今まで見てきた何よりも鮮烈で、美麗なものだった。

 

司令部にいた楠木、虎杖の両司令、その二人の秘書、戦術教官のミカ、千束担当オペレーターであるミズキ、他のオペレーターたちに、虎杖の護衛で来ていたリリベルたちも言葉を失う。

 

人体はあんな風に切り裂けないはずだ。

 

人間はあんな風に死ぬことはないはずだ。

 

あんな殺し方ができる人間なんていないはずだ。

 

 

 ドローンで送られてきた映像は、あまりにも信じがたくフウセンカズラという未曾有の災害をもたらす兵器の使用を阻止した事実さえ意識から抜け落ちるくらい激しい衝撃を受けていた。

 

 

 衝撃が薄れてきた楠木司令は、虎杖司令へ息も絶え絶えに疑問を投げる。

 

 

「……虎杖司令、あのナイフは、特別な素材か何かで出来ているのですか?」

 

 肯定してくれ、と請い願うような声。だが、虎杖司令は真実だけを簡潔に述べた。

 

「いいや、あれはただのナイフだ。特別なのは担い手だけだよ」

 

 驚愕を隠すことなく、いっそそれを楽しむような表情で画面を見つめる虎杖司令は、この瞬間に七夜黄理が完成したことを確信する。不殺という、リリベルの本懐から外れた行為を行って、それでも彼は“殺人”と“死”の究極を掴むに至った。

 

 これは運命と呼ぶに相応しい。

 

 両親の死によって、本来振るわれることのないはずの殺人の適正を存分に発揮する場所に辿りついた。そして、錦木千束との邂逅と京都の事件を経て、彼は此処に真の意味で史上最強の暗殺者と成った。

 

 

 誰もいなければ、高らかに笑い出したくなるほどの歓喜を虎杖司令は感じている。

 

 同時に不思議なもの悲しさをも感じてしまっていた。

 

 何故だろうか、いくら考えてもその理由が分からない。

 

 いや、考えても詮無いことだと思考を停止させる。七夜黄理は暗殺者の極点に至った。もはや、その在り方を変えることは誰にも不可能で、それを何故か悲しいと感じてしまう自我の存在に虎杖司令は戸惑いを覚える。

 

 

 もう、何をしても七夜は変わることはないのか。

 

 そういった諦念を抱きつつ、モニターを見ていると錦木千束が立ち上がり七夜黄理に銃を向けている場面が目に入る。

 

 

 

“そう来なくては”、心の内で猛々しく笑う己の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 錦木千束は肩の傷を無視して立ち上がった。

 

 肩の痛みは黄理の発した殺意によって名残もなく消え去っている。彼は一瞬でテロリストとの距離を埋め、西風が流れるよりも早く成人男性を細かな肉片に変えた。千束の常識や認識からあまりにも外れた光景。

 

 普通の女の子だったら悲鳴でもあげて卒倒するのかな、と他人事めいた思考が浮かんだ。

 

 

 だが、実際は悲鳴も、驚きの声も上がらない、上げられなかった。

 

先ほどの刹那の解体劇があまりにも卓越していたためか?

 

 

 違う、そんなことでは決してない。

 

 

 元々、リコリスもリリベルも暗殺者として育てられた人員。殺しが生業(なりわい)で、不殺を信条にしてる私が変なだけ。別に殺しをする人を絶対に許さないというわけではない。そうだったら、フキや楠木司令とする会話なんて拒んでいる。

 

 自分の手の届かないところの人の生き死にを考えるほど、私の人生の時間というのは有り余っていない。けど、今の私は黄理に激しく怒っていた。そうでなければ、瞳から流れる熱い雫の理由が付かない。涙が溢れてくる、涙で曇る視界の中でなおはっきりと映る黄理の姿を見て心に火が灯る。

 

 

“ごめん。千束との約束、守れなかった──”

 

 悲しそうに、苦しそうに、泣き出しそうな顔のくせに涙も見せないその姿を見据える。あんな辛そうに謝るくらいなら、なんで殺すなんてことを選んだのか。

 

 改めて、黄理の許せないところを頭の中で列挙する。

 

 命を粗末にしたこと、私を一瞥もしないまま敵に向かっていったこと、約束を破ったこと、そして、一番許せないのはたった一人で決断を下したことだ。

 

 

 黄理、私は君の相棒なんだよ。

 

 あの時、一瞬で良いから立ち止まって私と一緒に考えれば良かったんだ。私が怪我をして許せないと思ってくれたことは素直に嬉しい、だけど殺すのはダメだ。命を、他人の時間を奪ってしまう事はきっと許されない。

 

 許しては、いけないんだ。

 

 錦木千束は七夜黄理の犯した罪を踏みしめる。十七個の肉片と血だまりを踏みしめて、黄理の正面に立つ。彼はきっと人でなしだ、約束は交わした当日に破るし、言い回しは女たらしっぽい、ナイフ一本で人をバラバラにしちゃうし、命の価値を理解していない。

 

 

 ダメなところばかりあげてみる。だけど、やっぱり私の中にある黄理への思いは何一つ変わらない。変わって、くれないんだ。七夜黄理とは、まだ数えるほどしか出会ってない。彼のことはまだまだ知らないことだらけ、碌でなしということは嫌と言うほど理解していて、もっと世の中には良い人がいるのに。

 

 

 

 “わたし、黄理のことが好きなんだな”

 

 世界の何よりも明確な乙女の真実は、錦木千束にある決断をさせた。

 

 そっと千束は救世主が贈ってくれた銃を黄理の心臓の付近へ向けた。触れようと思えば触れられる距離、きっと彼なら避けられるはずだ。それでも、この一発だけは命中する。確信がある。此処で彼が裁かれなければ、彼の罪は誰にも裁かれなくなってしまう。裁かれて楽になるなんてことはない。罪は消えず残り続ける。

 

けれど、前には進める。

 

 そう、罪には罰を。罰には人を。

 

 罰を下す人は私が担う。だって、私は黄理の相棒なんだから。

 

 

 救世主に救われた命は、きっとこの時のためにあった。

 

 黄理を、私の初めての相棒を救う(裁く)ために。

 

──万感の想いを込め、千束は引き金を引いた。

 

 

 

 タンッ、着弾の音はあまりにも静かだった。

 

 

 黄理の胸元、リリベルの制服の上から赤い彼岸花が咲いた。胸を圧迫する一発の45口径非殺傷弾。肺の空気が全て吐き出される、その衝撃はあまりにも鈍く重い。千束の感情がそのまま叩きつけられたからだろう。黄理は体勢を崩して、床に腰を落として千束を見上げた。

 

 しりもちをついた黄理に千束が馬乗りになる。涙を流したまま千束は黄理の胸元、弾丸が命中した場所を幾度も力なく叩いた。

 

「うそつき」

 

「うん、約束したはずなのにな」

 

「うそつきうそつき、うそつき!嘘つき!」

 

 力がこもっていないまま、何度も何度も黄理の命の鼓動を感じ取るように胸元を叩く。

 

 

「命を粗末にする人は嫌いだ。でも……黄理を嫌いになりたくない。……なりたくないよぉ」

 

 涙ながらに黄理にすがりつく千束の姿を見て、彼の頭から血の気が抜ける。すると先ほどまで感じていたツギハギだらけの世界はあっという間に感じ取れなくなっていた。自分が認識している空間全てを覆い尽くす死の概念。さっきまで掴んでいた“死の究極”は手元からあっけなく溢れていく。いいや、これで良かったのかもしれない。

 

 

 でないと、目の前で泣いている千束に触れることさえ出来ないのだから。

 

 

 

「俺には君との約束を守れなかったけどさ。……ありがとう。千束に会えて、良かった」

 

 そう、まるで夢のような出会い。例え、もう会えなくてもきっと千束がいるというだけで俺は幸せなんだ。黄理は静かに千束を押し退けようとする。こんな殺人鬼に触れてはいけないと、引きはがすように優しく彼女の怪我をしてない方の肩を押す。

 

 

 それに対して千束は手元の銃を黄理の額に当てることで返事をしてきた。

 

「なに、お別れみたいなこと言ってるの?黄理、私言ったよね、次はないって。約束は絶対破っちゃいけないって念押しまでしたのに、当日に破ってるし。ほっんとにもう…………責任、取ってもらうからね!」

 

 涙をぬぐって、千束は黄理の瞳を真っ向から見つめる。そのあまりの真っ直ぐさに当てられたのか、黄理は観念するように腕を下げた。

 

「ズルいな……女の子にそんなこと言われたら、男なんて何も言えなくなるだろ?」

 

「ズルくありませーん、ズルいって言うなら約束破った黄理くんの方じゃないかな~」

 

「ああ分かった、もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

 

 

 黄理の冷たく輝いた蒼の眼光を見て、千束はより彼の選択を狭める言葉を選んだ。彼の人生は、きっと自分の生涯よりも長いはずで、私がいなくなったあとも彼の時間を奪ってしまう誓いは、自分の信条から外れている。でも、黄理の時間を奪うことになってしまっても、彼に誓ってもらわなくてはいけないことがある。

 

 

「──じゃあ、黄理。誓ってよ、もう人は殺さない。殺しちゃダメなんだから。……誰かを救う、助ける人になって」

 

 

 誓い、それは約束よりも重く、何より七夜黄理には縁遠いもののはずだ。けど、千束の笑顔を見ると不可能と分かっていても選びたいと黄理は思ってしまった。その時点で七夜の鬼神はとうに敗北していたのだ。

 

「俺は人を殺した。それでも、人を救えるのか……救って、いいのかな」

 

「黄理ならできるよ。だって、黄理は私の“相棒”じゃん!」

 

 千束の言葉は確たる証明の欠けた感情論でしかない。だが、千束の信頼はこの世に何よりも重く、黄理を繋ぎ止める楔となる。

 

「俺は、君の相棒でいていいのか?」

 

「黄理がいいんだよ」

 

 千束は黄理を抱きしめた。

 

自分の思いが彼に伝わるよう、強く、強く。

 

黄理の瞳に熱が点り、冷徹な蒼眼が感情を帯びた蒼黒に転じる。少し、ためらってからようやく観念したように黄理は千束を抱き寄せた。

 

 

「なら、君に誓う。もう俺は人を殺さない。誰かを助けるために生きるよ。この命は、君との誓いを果たすために使っていく」

 

「──いいね。じゃあ、今から黄理も“誰か”の救世主だ」

 

 

 互いの体温を感じ取って、二人は静かに微笑み合う。斯くして鬼神の罪には罰が、罰は人の手で為された。あとに残ったのは不殺の誓いと年相応に笑っている少年少女。きっと、この時間を七夜黄理は生涯忘れることはない。

 

 誓いは此処に刻まれた。

 

 最後に、約束を破った少年へのほんの僅かな恨み言を千束は彼を抱きしめつつ囁いた。

 

 

「もう、黄理を許さない(離さない)からね」

 

 

 

 

 足下から聞こえている爆発音に急かされ、二人は抱擁を解いた。千束が退いたことで、ようやく立ち上がれるようになった黄理は、ふと千束に質問してみる。

 

「千束、傷は大丈夫なのか。なんか、さっき胸元に近づいた時、心音がやたら弱かったというか、聞こえにくかったんだけど?」

 

 そう、先ほど抱きしめ合った時、千束の心音が皆無だったことに黄理は思い至った。肩の怪我のせいで脈拍が弱まっているのかと考えたが、それにしても無音というのは流石におかしい。

 

 千束は、黄理に対して心臓の件で一番大事な説明をしてなかったことを思い出す。彼女は胸元を人差し指で指し示してイタズラっぽく声を弾ませて事情を説明した。

 

「んっ?あ~、そっかそっか黄理には心臓のこと詳しく言ってなかったっけ。私の心臓って、人工心臓なんだよ。なんでも完全に拍動無しで動く充電式、鋼の心臓なのだ!」

 

 すごいだろ~、と胸を張る千束に対して黄理は無言だった。

 

 言葉にならない思いをどうにか整理している無言状態。

 

 黄理が以前の模擬戦で聞いていたのは、救世主から心臓もらったという部分だけ。これは勘違いしても不思議では無かろうと腕を組んで頷く千束の胸元を黄理が唐突に掴む。

 

「ほえっ?」

 

「待った、鋼?じゃあ機械で出来た心臓ってことか?」

 

「そ、そうだけど、どしたん黄理?なんかお顔が険しくなっちゃって……」

 

「テロリストは機械をダメにする兵器持ち出してるって話だったろ。それなのに、機械の心臓かかえた千束がのこのこ出てきてどうすんだよ!まったく、そう言うときはリコリスの寮でじっとしてろ!この・・・バカ女!!」

 

「ば、バァ!?バカ女ってなにさ!ちゃんとフウセンカズラの発射は阻止したもん!」

 

「ああ、俺がな!」

 

「私との約束破ってね!」

 

「グッ、さもないとあの弾が発射されちまってただろうが!」

 

「あ~、誤魔化した!だいたい、黄理は一人でなんとかできるなんて考えてるとこが多いの!もっと相棒を頼んなさい!」

 

「じゃあ、きちんと情報共有しとけ!特に心臓なんて、大事なとこの情報はな!」

 

 

 売り言葉に買い言葉。

 互いに相手の暴言に対して言い返す何処にでもあるような口喧嘩。

 

それでも、やんややんやと言い合いをする二人の表情は、裏の世界に生きる子供とは思えないほどに普通の少年少女のようだった。それこそ、長らく七夜黄理が望んでいた、手に届かないと嘆いていた普通の日常。

 

遙か彼方にあると思っていた夢のような時間は、気がつくと自分の手の中に納まっている。

 

それに気づいた黄理は、千束の顔を見て心からの笑顔を浮かべた。

 

 

 

 




山場は越えました。書きたかったこと全て書けた気がします。ただ、描写不足は否めない。完結したら、絶対にリメイクするので拙い描写については勘弁してください。
 そろそろ電波塔も締めに入りますか。

もうちょい、続きます。
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