Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 推奨BGM、月姫より“Believer”。リコリス・リコイルより“花の塔”。

電波塔事件これにておしまい。






Happy ever after

 

 

 七夜黄理と錦木千束は、無事に車で回収されてリコリス側の司令部へと帰投する。車の中で千束は壊れた電波塔をじっと見つめていた。黄理はナイフの刃部を出さぬまま、くるりと手元で玩んでいる。

 

 泥のような倦怠感に口も動かせない。

 けれど、事件を終えたばかりの昂揚感が目を醒まさせる。

 

 どちらも言葉はなく、何も語らないまま車に揺られて司令部へと向かう。

 

 

 東京を出て、山梨方面へと車は走る。車は人気のない場所へと行きつき、国有地の中に入っていった。リコリスの司令部へと辿り着いて、ようやく疲労が抜けたのか千束が口火を切る。

 

 

「……終わったね、黄理」

 

「大団円とは、いかなかったけどな」

 

 

 電波塔を占拠したテロリストたちの企みは一定の成果を上げた。車内のテレビでは、どの局も日本史上、最悪のテロ事件だと騒ぎ立てている。

 

ただ、事件の内容はテロリストたちが爆弾で自爆するというものに置き換えられ、フウセンカズラや展望台のバラバラ死体といった裏の話は一切、外部に漏れていなかった。

 

 

 少年と少女の二人は、ぼんやりと夢見心地のまま司令部へと歩いて行く。

 

「あ~、死ぬかと思った。特にテロリスト相手にした時じゃなくて最後の脱出の時が一番ひどかったね、ありゃ」

 

「悪かったよ、でも最終的には生き残っただろ?」

 

「肩に弾受けて、お(なか)にも弾喰らいましたけどねぇ」

 

「──肩はともかく、腹は非殺傷弾だよな」

 

「肩も痛いけど、先生の弾喰らったとこだって痛い!も、ほーんと死んだ方がマシってくらい!」

 

 

「奇遇だな、俺もその弾を喰らった覚えがあるよ」

 

「へぇ?……気分はどうだった?」

 

「死んだ方がマシってくらい胸が痛かった」

 

 

 それは胸元に着弾したことによる物理的な痛みか、それとも約束を破ったことによる精神的なものか。敢えて千束はそれを問いただしたりはしなかった。二人は司令部に辿り着き、扉が開かれる。

 

 

 部屋に入ると、中にいたオペレーターや両司令官は椅子から立ち上がって、二人の史上最強のエージェントへ敬意を表す。無言のまま示し合わせたように全員が同時に動いた。

 

「任務ご苦労…………二人ともあれほどの窮地の中、よく無事で戻った」

 

 

 楠木司令が真っ先にねぎらいの言葉を告げ、横にいた虎杖司令は僅かに微笑んで黄理の方へと歩いてくる。ミカ、ミズキも千束の方へ駆け寄る。そこで千束、黄理の張り詰められていた神経の糸が切れ、二人はお互いの顔を見つめ合った。

 

 

「やったね、黄理」

 

「綱渡りもいいとこだったけどな」

 

 

 拳を軽く突きだし、そっと互いの手に当てて静かに笑い合う。朗らかに花開くように笑う千束、夏に降る雪のように淡く微笑む黄理、二人は目の前の相棒の笑顔を見てから、ほとんど同時にかくんと、脱力。そのまま意識を失い倒れていった。

 

 

 倒れ込む千束と黄理を抱き留めるミカと虎杖司令。自分の腕の中で静かに眠っている子供たちを見て、彼らは優しそうに笑い合った。

 

「やれやれ、疲れて眠るような可愛げが七夜にもあるとはな」

 

「まだまだ、二人とも子供ということです。いや……だからこそ、大人である我々の想像を千束たちは軽々と飛び越えてくれる」

 

「そうだな。いや、不思議な気分だよ。子供の成長というやつは」

 

 

 ふと二人の保護者は、互いの奇妙な感情の揺れ動きに共感の色を示した。虎杖司令は七夜黄理を抱きかかえたまま、リコリスの司令部を秘書や数人のリリベルを引き連れて出て行く。千束を抱いたままミカは静々と頭を下げた。

 

 それを見た虎杖司令は、らしくない言葉を言い残し司令部を退室することにした。

 

 

「ミカ君。また、会おう。もっとも我々が合同で事件に当たるときというのは、大抵が酷い状況だろうがね」

 

「はい、またいずれ会いましょう。虎杖司令」

 

 

 虎杖司令は薄く笑みを作って、常の無表情を顔に張りリコリスの東京支部を去って行った。楠木司令は肩の荷が降りたと言わんばかりに、右肩をぐるりと回す。

 

 

一方のミズキは……。

 

「おい、事件の締めくくりをおっさんたちがやっちまったけど、これ需要あんの?」

 

「ミズキ、お前危うい言動は本気で控えろ。巡りが悪ければ、暗殺されていてもおかしくないぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界がぼやけている、全身の疲れは靄のようで体を起こし頭を振ることで、ようやく意識が覚醒する。枕元のデジタル時計は朝の八時を示していた。時刻は特に問題ない、でも日付だけがおかしい。いつの間にか、日をまたいで次の日になっている?

 

 千束は起き上がり、自分が医務室のベッドを占領していた事実にようやく気づいた。

 

ベッドの傍、サイドデスクには自分の制服が畳まれて置いてある。制服の上には書き置きがあり、“目が覚めたら司令室へ”とだけ書いてあった。

 

 

 千束は患者衣を脱いで制服に着替える。服を脱いだとき、肩の傷口は適切に処置され包帯が巻かれている。肩付近の感覚が鈍いことから麻酔が効いていることを確認した彼女は、制服を手早く纏って医務室を後にした。

 

 

 あの後、司令室で自分は気を失い、次の日まで眠っていたらしい。黄理ともっと話しとけば良かった、などと考えつつ千束は司令室へと進路を取る。

 

 

電波塔事件、地上300mからのダイブ、展望台のバラバラ殺人、七夜黄理という少年の在り方、目を醒ましても意識は昨日の事件に置いてけぼりになっている。その中でも一番、克明に記憶に残っているのは自分の初めての相棒、黄理についてだった。

 

 卓越した暗殺術の使い手、無表情で無愛想、でも笑うと子供っぽい少年。

 

 

 

 私が“初めての恋”をした人。

 

 

 恋心を自覚した時から、足取りは軽く宙を浮いているようなふわふわとした感覚に包まれている。こんな気持ちは、初めてだ。誰かを好きになるということを知った彼女は、何も怖くないという表情で司令室に満面の笑みで入室する。

 

 

「千束さん、呼ばれて飛び出てやぁってきました~!」

 

 司令室にはいつもの仏頂面をした楠木さんと先生、ミズキがお茶を飲んでいた。

 

 元気よく、勇ましい入室をかました私は三人の表情を見て、なんかしらの深刻な話をしていたことに気づく。そそくさと先生たちのいる方へ足を運ぶと、楠木さんが立ち上がって、私の前に立つ。

 

 

 

「千束、よく聞け……」

 

 深刻そうな顔つきと口調に身が縮こまる。そんな私を無視し楠木さんは重苦しい宣言を言い放った。

 

「貴様はリコリスをクビとなった。以後は外部の支部への異動となる」

 

 

 

 

 クビ?解雇、リストラ……。

 

 

「うえぇ!?なんでどーして、いきなりクビ宣言!?」

 

 電波塔の事件をどうにか犠牲者無しで片付けた人間に対する仕打ちとはとても思えず、千束は瞬時に楠木司令へ問いかける。

 

「今回の電波塔事件を踏まえ、上層部はお前のリコリスとしての適正上の問題から、処分を下したとのことだ」

 

「あ~、いやでも電波塔壊しちゃったとはいえ、事件はまるっと納まったわけでしょ。フウセンカズラとか、テロリストとか……」

 

「生憎とその辺りは情報封鎖された裏事情だ。任務の評価項目には入らんぞ。それに、展望台での共同作戦中のリリベルへの発砲。これが響いたな」

 

「っうぇ、いやでも、あれにはやむを得ない事情というやつがあったので~」

 

 そこで千束は自分の相棒についての情報が開示されていないことに改まって気がついた。

 

「楠木さん、黄理はどうしてる?!あの後、黄理は大丈夫だった?」

 

「リリベルの件について、リコリス側には一切の情報は届いていない。あの後で虎杖司令と共に帰っていったが、今回の上層部の処分で電波塔を解決した“両名”と明示されている。おそらくは七夜黄理もまたリリベルで何らかの処分を受けるのだろう……」

 

「黄理も……それってどうにかならないの、ほら私が悪いってことにすれば」

 

「上層部の判断は覆らん。お前の場合は暫定的な味方への発砲。……何より両者ともに、現場での過度な非殺傷主義は特に目に余ると通達があった」

 

 それを聞いて千束はぴたりと口を閉じる。そうか、やはり殺さずのリコリス、リリベルというものは現場では不要のようだ。いずれは告げられると感じ取っていた通達が今日、この時に送られてきただけ。

 

 千束は苦笑しながら瞳を閉じる。

 

 

「あるいは、今からでも──」

 

「やーめて楠木さん。私は誰も殺さない、知ってるでしょ?それを曲げたら、私はもう私じゃないの。・・・今の自分ってやつがけっこー気に入ってるし、それに相棒に格好付けて人殺しはやっちゃダメなんて誓っちゃってさ」

 

 不殺の誓いという黄理との繋がり、これを破れば自分たちは一生会えなくなるような予感がして、千束は楠木司令の言葉を遮った。

 

 

「もしも、自分の都合だけで人殺しやりまーすなんて手の平返したら、相棒にも、私を助けてくれた人にも顔向けできないわけですよ!」

 

「……ならば、此処にお前の居場所はない。外部の支部への異動処分を言い渡す」

 

「外部の支部ってぇ~?私ってば、リコリスでなくなるんじゃなかった?」

 

「お前への教育、訓練、治療、健康管理には多くの人員の献身と費用を要している。東京支部には置けないが東京で臨時の支部を作り、お前はそこでただ一人のリコリスとなる。上層部も、お前という戦力を破棄するのは惜しいと考えての特殊な処分だ」

 

 楠木司令の無表情にミズキがバカにしたような口調で食って掛かる。

 

「はっ、上層部もしみったれてるわよねぇ。恩着せがましく、払った費用分は働けとさ」

 

 

「そーだ、そういえばなんで先生とミズキが此処にいるの?」

 

「……新しく設立される支部に必要なのは実働を担うリコリスだけではない。それを監督する司令役と、オペレーターを一人ずつ派遣しなくてはならない。リコリス一名だけを動かして、我々の存在が露見しては困るからな」

 

「じゃあ、先生とミズキが来てくれるってこと!」

 

 

 千束のにこやかな目線を受け、杖を突いたミカと、肩を竦めたミズキがすっと立ち上がり千束の横に並んだ。

 

「事件の際、私は現場で懸命に戦う千束たちの力になれなかった。上層部の処分を受けるというなら、私も千束と共に行くのが筋というものだ。……それに千束の選択を見届けたくなってな」

 

「私は、こ~んな小さな孤児ども集めて人殺しを量産する組織に愛想つかしただけよ」

 

「おおう、ミズキってば、立派なツ・ン・デ」

 

「言わせねぇよ!」

 

 ミズキは笑いながら千束へとヘッドロックをかける。千束はそれに抵抗するが、二人とも笑いながらのドタバタゆえにじゃれついているようにしか見えない。楠木司令がごほんと咳払いをして、ようやく二人は楠木司令へと向き直った。

 

「支部についての詳しい情報はミカに預けている。説明は以上だ。……さっさと行け、此処はもうお前の居場所ではない」

 

 

 “そっか”と千束は少しだけ寂しそうに顔を陰らせる。そのまま千束たち三人は司令室を出て行くが、千束は退室する前に立ち止まって楠木司令へ目配せをする。

 

 

「そんじゃあ、またね、楠木さん。ちゃんと健康には気を付けるんだぞぅ」

 

 

 千束が扉を閉じ、自分だけとなった部屋で楠木は“やれやれ”というように天井へと顔を上げ、一人ごちる。

 

「またね、か。……まったく、最後まで生意気なクソガキだよ、あいつは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや、戻れないという感慨と共に廊下を歩いて行き、千束たち三人は噴水の縁に座っていた。ミカがそっと茶封筒を開いて、A4サイズの写真プリントを千束へ手渡す。

 

「おお~、これが噂の私たちが行くって支部?……支部ってか、喫茶店?それもすっごいオシャレ!」

 

「以前、麻薬の販売ルートを捜査するため用意された場所で、飲食店に偽装した場所だったらしい」

 

「また、随分と無粋な理由で用意された場所だこと。リコリス絡みの場所なんでしょ、人死にとか出てんじゃない?」

 

「そういった話は無いようだが、どうする別の場所を支部にするか?」

 

 ミカの頭の中には、他の拠点や支部になりそうな場所を幾つかピックアップし始めている。けれど、千束の反応を見る限り、その必要はなさげだった。

 

 キラリ、と赤の虹彩が綺麗な光を放ち、ミカの瞳を眩しいくらいに照らす。

 

 

「ううん、此処が良い。へぇ住所は錦糸町っと。店内も良い感じだね、調度品のセンスすげー良い感じ」

 

「どれどれ?ほう、ステンドグラスも……」

 

「若い男でも来れそうな雰囲気ね、いいじゃない!」

 

「その心は?」

 

「いい男ゲットのチャンスが──」

 

「ねーよ、開店前から不純な目的を持つんじゃありません」

 

「純粋な気持ちなのよ!純粋に、結婚をしたいの!」

 

「不純な純粋って、有り得るんだなぁ」

 

 千束はDA辞めても相変わらずなミズキの姿になんだか励まされたような気持ちになる。いいや、彼女なりの励ましか、はたまた本音か。そういう憎めないところがミズキにはあって、それが千束の大きな支えにもなっていた。

 

「ところで飲食店としての開業申請をするわけだが、店名はどうする?以前、使われていたものをそのまま使うか?」

 

 

「ハッ!そーだよ、お店の名前。お店の第一印象を決めて、客足を伸ばすためのファーストアプロォチ」

 

 妙に発音よく言ったが、そんなテンションの上がりきった千束に、ミカこと先生が軽くチョップを入れる。

 

「喫茶店が本業というわけではないぞ。あくまでDA東京支部に紐付けられた支部ということになっている。DAからの出動要請にいつでも対応できるよう緊張というものをだな」

 

「わかってるわかってる♪けどさ、表は喫茶店を営む店員さん、裏は困ってる人を助けるスペシャルエージェントってかっちょいいじゃあん!いいね、考え出したら、盛り上がってキタ!」

 

「まったく……」

 

ミカは楽しそうに店の展望を話し出す千束の顔を見て、やれやれと笑う。だが、そんな彼も千束の話す未来図を聞いて、同じように考えるだけで心が浮き立つような心地になっていた。

 

 心から笑っているミカを見て、千束も笑顔の華を咲かせる。

 

そうだ、先生は私に多くのモノを与えてくれた。だったら、私も先生にたくさんの“楽しいと思える事”をプレゼントしたい!

 

 この喫茶店での生活が先生とミズキにとって、楽しかったと思えるようなものにしようと、千束はこの時、誰に言うでもなく自分の中で決意を固めた。また、それはそれとして、店名のことは覚えていたようで質問を続ける。

 

「ところで前の店名はどんな感じ?」

 

「資料によると……喫茶リコリスとある」

「まんまだね」「まんまじゃねーか」

 

「そういうな、分かりやすくて良いじゃないか」

 

 

 女性陣二人には不評だったが、ミカは割りと良い名前だと感心している。千束はそのネーミングを聞き微妙な表情を浮かべていた。

 

あまりにもド直球過ぎる店名。

 

 店名を付けた人のネーミングセンスは壊滅的だと頬を膨らませる。

 

「もっとこうさ、あっと驚くような良いネーミングはなかったのかな」

 

「ふむ、なら千束が考えてみたらどうだ?」

 

 先生にそう言われ、私は噴水のとこから立ち上がって、周辺をうろうろとする。十秒ほどして、私は電波塔の任務から使い始めた非殺傷弾のことが脳内に(またた)いた。赤い彼岸花が一瞬、咲くように粉塵を散らす不殺の弾丸。

 

 そこに千束はインスピレーションの導きを感じ取る。

 

「……リコリコ、喫茶リコリコっていうのはどう?」

 

「リコリスの二重読みか?」

 

「ううん、ほら、その支部?店?に行く理由ってさ、(リコリス)黄理(リリベル)に非殺傷弾を撃ったことが理由の一つじゃん?あの一発の反動(リコイル)で行きついたお店なわけで。……だから、彼岸花(リコリス)反動(リコイル) Lyco(リコ) Reco(リコ)。どーよ、この店名!」

 

 

 ミズキとミカは見合って、互いに微笑を漏らす。千束が決めたことに意外と頑固なのは知っているし、ネーミングも可愛らしいものだ。否定する理由はない。

 

 

「そのまんまなのは変わってないけど。いいんじゃない?あんたのための支部みたいなもんだし。“リコリス”って店名よりはずっと良いわ」

 

「リコリコ、か。うん、良い名前じゃないか。その店名で飲食店の許可を申請しておこう」

 

 

 二人のGOサインも出たことで、千束は張り切って拳を高らかと天井へ掲げた。自分が“殺さずのリコリス”としてあり続ければ、また何処かで相棒、黄理に会える予感がした。輝かしい未来の到来を信じて、千束はリコリス寮から胸を張って立ち去る。

 

 先生とミズキの腕を掴んで、千束は外の世界へと踏み出した。

 

「それじゃあ行こう!喫茶リコリコ、此処に開店だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 リリベルの東京支部、その玄関前では赤い制服、ファーストの装束を纏った少年、七夜黄理と、リリベルの司令官、虎杖司令が向かい合っていた。虎杖の背後には多くのリリベルたちが固唾を呑んで二人の会話の結末を見届けようとしていた。

 

「七夜、上層部からの通達だ。不殺を掲げる者をリリベルとして置いておくことは出来ん。従って、お前はリリベルの総長職を解任、別の支部への異動となる」

 

「まぁ、そうなるか……」

 

「驚かないのだな」

 

 不機嫌そうに笑う虎杖司令は、何よりも上層部の通達に腹を立てていた。彼も上層部には顔が利くが、上層部の総意とあってはひっくりかえすだけの手段が存在しなかった。むざむざと七夜黄理を手放す事態など、虎杖司令にとっては何よりも不快なこと。

 

 ただ、異動という名の追放を受けた七夜の平常な姿を見て、ようやく虎杖司令の感情が常の冷静さを取り戻させる。

 

「殺せない暗殺者なんて、動かないストーブよりたちが悪いだろ?」

 

「また、妙な例えを持ち出すな。お前は」

 

 

 無表情ながら、どこかズれた思考の持ち主である七夜黄理は、虎杖司令にとって見ているだけで心を沸き立たせる存在だった。もはや、司令というポストにも興味はない、興味を持てるのは七夜黄理という存在がどのように変わっていくかだけで……。

 

 虎杖司令は自分が考えても、意味はないかと首を振る。自分では七夜黄理の在り方を変革することはできなかった。それが出来たのは、同じ最強を冠するリコリスの少女だけ。ならば、七夜もまた彼女と同じように野に下るが相応しい。

 

「受け取れ、お前がこれから向かう支部の情報がある。それと生きていくうえで最低限のものは用意しておいた」

 

 虎杖司令は、黄理へ肩掛け式のバッグを手渡す。リリベルの装備である戦術武装鞄と肩掛けのバッグを背負って黄理は虎杖司令の顔を真っ直ぐに見つめる。

 

 

 虎杖司令は、震えそうになる声をどうにか抑えつけた。

 

 そのまま自分らしくない言葉で彼を見送ろうと、少し前から考えていた台詞を言葉にする。

 

 

「ではな、“黄理”。また、会う日まで…さらばだ」

 

ほんの僅かな言葉、それを虎杖司令は溢れそうになる感情をこらえ、どうにか言い切る。虎杖司令がリリベル最強の暗殺者へ別れを告げると、背後にいたリリベルたち全員が同時に最敬礼を行った。

 

 

 最敬礼を受けた黄理は、刮目したあとリリベルの同胞へ向け軽く手を振った。

 

 頭を下げようかとも思ったが、せめて最後まで彼らの望む総長らしくあろうという思考が働いたためだ。その場にいた全員が見たこともないくらいの笑顔を浮かべた黄理は、虎杖司令に向き直って鞄を背負い直した。

 

 

「らしくないね、“虎杖さん”。……また何処かで会いましょう」

 

 

 そう言い残し、これまでリリベルの誰にも見せることのなかった笑顔を浮かべ、リリベル史上最強の凶手、七夜黄理はゆっくりとリリベルの寮を去るのだった。

 

 

 

 

 

 リリベルの施設を出て、東京に戻ってきた黄理は渡された書類に記載されている支部に向かっている。

 

虎杖司令の手渡した肩掛けのバッグ内には、黄理が異動となる支部について記載されている書類の他に虎杖司令が用意したものが幾つか入っていた。

 

まず、墨に浸したのかと思うような真っ黒なキャッシュカード、とんでもない額が入金されている通帳とカード、高層マンション三棟の権利書の他に、偽造したと思しきパスポートや戸籍が入っていた。黄理は眉をひそめて通帳と黒のカードを手にする。この通帳と黒いカード、考え無しで迂闊に使うと人間として何らかの不都合が生じる可能性が高い。

 

 

 そっと、リリベルの武装鞄の底にしまいこみ、目的地である支部に向かう。

 

 

 書籍と喫茶店の街、神保町(じんぼうちょう)。そこの“使われていないように見えるビル”が彼の目的地であるリリベルの支部だった。目的地のビルに辿り着き、階段を登って指定された階に到着する。

 

 そのフロアに部屋は一室しか作られていなかった。いいや、フロア全体を部屋として使っている雰囲気さえある。廊下には乱雑に打ち捨てられた人形があちこちに転がっており、煙草の香りまで立ちこめている。

 

 

 辺りを見回すと、目立つ位置に大きな看板が貼り付けられていた。

 

その看板に書かれていたのは……。

 

「“伽藍の堂”?」

 

 

 

 黄理がこの支部の名前を口にすると、背後で女性的な思念の動きを感知する。後ろを振り返るとそこにはくすんだ赤髪をポニーテールに纏めた美しい女性がいた。おおよそ、人体の構成としては珠玉と言える造形の持ち主。

 

 これまで人体を数多、解体した黄理をして唸らせる黄金比の肉体。

 

 そんな“美しい人の形”をした女性は眼鏡を役者じみた素振りで外し、黄理を見つめてきた。

 

「いらっしゃい、少年。虎杖さんから話は聞いてるよ。いわく、君を私の助手、あるいは手足として自由に扱ってもいいとね」

 

 その琥珀色の瞳を見た瞬間、カチリと脳内のスイッチを切り替える。

 

 浄眼の蒼が瞳を染め上げ、己の感覚が世界に偏在する“死”を認識する。圧倒的なまでの危機感に突き動かされ、黄理は瞬時に臨戦体勢に入った。そんな黄理の姿を見て、眼前の女はいきなり爆笑し出した。

 

「おいおい、いきなりそんな殺気を振りまくな。こっちはもう“荒事”は大してやっていないんだ。そういうのはこれから全部、君に任せることになる。七夜黄理くん、で良かったかな?」

 

 笑いながら、煙草をふかしている女性は腰に手を当て七夜黄理をじっと観察している。その姿からは既になんの脅威も感じない。それでも、邂逅の一瞬、確かに感じた鮮烈な恐怖はいったいなんだったのか。

 

 構えた鉄棍を瞬時に袖の中に収納すると、目の前の女は感心したように拍手をしてくる。

 

 それを黙殺して、黄理は警戒したまま女を視界に捉え続けた。

 

 

「……あんた、何者だ」

 

「何者、とは随分な言い様だ。虎杖さんめ、何も説明をしなかったな」

 

 煙草を灰皿にこすりつけて火を消すと、目の前の女は窓辺のデスクに腰掛ける。

 

「ちょっと前まで、“最強のリコリス”、“人形遣い”などと呼び称されていたが昔の話だ、忘れてくれ。今はDAの紐付きで趣味と実益をかねて神保町で働く、人形工房兼、興信所兼、建築デザイン事務所の所長、“蒼崎橙子”だ」

 

「……七夜黄理です、尋ねたいことがあるんですが?」

 

「なんだ、給料交渉以外なら、なんでも答えるぞ」

 

「じゃあお言葉に甘えて。……兼ね合いがちょっと多過ぎやしません?つまるところ、此処って何をするところなんですか?」

 

 

 そう問われた橙子は、髪をかき上げてわざとらしく笑顔を作る。

 

 

「此処はね、黄理くん。“困っている人を助ける”仕事をするところなんだ」

 

 

 “絶対に嘘だ”、そう思った黄理は喉元まで出かかった言葉を呑み込む。ああ、厄介な上司に出くわしたという確信と共に黄理は鞄を下ろして橙子のデスクへと近づく。そして、世の無情を嘆くように大きなため息をつき彼は“伽藍の堂”の職員に就職するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上すると男は死体袋の中で目を醒ました。どうして死体袋と断言できるのか、それは周囲の死の匂いや人間を解体するメスの切断音が聞こえたからだ。真島、そう呼ばれていた眼帯の男は、死体袋を内側から開けて外の世界に飛び出した。

 

 

鼻孔を突き抜ける線香とホルマリンの香気。

 

一瞬、“死体になったのか俺?”と正常バイアスが襲い来るが自己の心音が聞こえている以上、死んではいまい。

 

耳を澄ますと、少し離れた場所で自分以外の生きた人間の鼓動、足音を拾った。

 

「ハロゥ?お目覚めかな」

 

 

 何か、人間大の大きさのモノの後ろから女性の声が聞こえてくる。というか、人体そのもの、死体の影から女が話しかけてきたのを真島は理解する。

 

「なんだ、葬儀屋の霊安室か何かなのか?」

 

「おや、反応が悪いな。死体が急に喋ったとか反応を……そういえば君は目が見えなかったね。失敬、失敬。からかいに礼儀が足りなかった」

 

「生きてる人間を死体袋に寝かせとく失礼さよりマシだから気にすんな。それで、此処は何処だ」

 

 

 真島は、死体袋が置いてあった台から立ち上がって、女の方に体を起こす。それはいつでも飛びかかれるような体勢に移行。そのまま彼は警戒状態に入る。腹話術師のように死体の後ろから話しかける相手とまともなコミュニケーションが取れるとは期待しない。

 

 せめて、此処が何処か情報を奪い取らなくては。

 

 臨戦態勢を取る真島に女は冷静なまま、亡霊のごとき口調で話しかける。

 

 

「落ち着き給え。此処は私の診察室であり、実験室さ」

 

 首元からちゃりと、金属の音が聞こえる。それは、まるで服の内側からチャームを取り出したような……。

 

「てめぇもアラン・チルドレンかよ」

 

「そうだね、まぁ私のような天才からすれば、このチャームも数多あるトロフィーの一つに過ぎないがね」

 

 そういうと女はフクロウのチャームをぽいと、モノで溢れかえった机の上に放り捨てる。その捨て方からは本気でそのチャームを取るに足らないと認識していることが窺い知れた。真島は右手で近場のメスを握ろうとして、そこで気づいたことがある。

 

「──右腕が動かねぇ?」

 

 

 そこで、女は抱きかかえていた死体を床に打ち捨て、動かない真島の右腕を取ってダンサーのように彼の腰にも手を当てる。

 

「言い忘れていた、君の右腕はもう二度と動かないよ。肩にナイフをぶっ刺されたらしいが、刺さりどころが良かった、いいや悪かった。よりにもよって、右腕の可動に大いに関連した部位を一刺しで破壊されている。……君は杉田玄白に、解体新書片手に解体でもされかけたかね?」

 

 

 目の前の女の話を聞いて、自分が意識を失う直前まで電波塔にいたことを思い出す。赤い夕焼けのような眼光と、蒼ざめた月光のような眼光が自分に迫り……そこで意識が途絶えている。

 

 

見えないはずなのに感じた恐怖のせいで真島は感覚的に、敵対者の姿をはっきりと想像できた。

 

 冷や汗を流した真島は、そこで自分と踊るような体勢でいた女を押し倒して、首もとに左手を沿える。何か、不都合や気にくわないことがあれば、即座に細い首をへし折ろうという構え。

 

 

「それで、あんたは一体、俺に何のようだ。とうとう、アランが愛想つかして、俺を解体しろって言い出したか?」

 

「逆だ、これから君は私の施術を受けてもらう。言ったろう?此処は私の診察室だと。つまり君は患者だ。今から、その両目と右腕を完璧に改造(なお)してみせるとも。安心して私に身を預けると良い」

 

 なおす、の言葉のニュアンスに違和感があるが、それを差し引いて真島は女を眼帯ごしに睨む。

 

「これがアランの支援だってか?」

 

「同時に私への支援でもある。私が開発した義眼と義手は特殊なプロジェクトの産物で、被験者は限られる。君は運良く、その被験者として選ばれたのさ」

 

「不運だろ、間違いなく」

 

「だろうな、だが君は受けるべきだ。そうすれば、君は最強の個人となれる」

 

「胡散臭いキャッチコピーだな、死体置き場でなけりゃ笑い話になったんだが」

 

「そうだね、でも事実だ。私の施術を受けることで、君は銃弾の乱舞の中でも鼻歌交じりに散歩ができる超人になる」

 

 

 その言葉に猛烈な既視感が生じる。電波塔でアサルトライフルの銃弾の雨を平然と突破した二人の敵影。そうだ、今この女が語った幻想(ファンタジー)現実(リアル)に存在し得る事象である。それを体感し、実物に襲われた真島からすれば単なる与太話と、ただ笑うわけにはいかない。

 

真島は拘束を解き立ち上がって、死体袋の置いてある台に腰掛けた。

 

「いいぜ、あんたの思惑に乗ってやるよ。ただし俺が飽きたら、あんたを殺す」

 

「良い口説き文句だ、真島くん。思わず、ドキがムネムネしてきたぞ」

 

 

 女は立ち上がって、くっくっくと悪役そのものの笑いをしながら白衣を着込んだ。

 

 

「こっちの名前は知ってのか、じゃああんたはなんて名前なんだよ。医者だってんなら、それくらいの説明責任(アカウンタビリティ)は果たしやがれ」

 

 

「そうか、名乗りがまだだったな。それでは遅ればせながら、名乗るとしよう。私の名は“室戸菫(むろとすみれ)”。セクション二十二。元陸上自衛隊東部方面第七八七機械化特殊部隊“新人類創造計画”のプロジェクトリーダーを務めていた。君にとっては何が何やらだろうから、聞き流してもらって結構。それでは、君が死体になる時まで、よろしく頼むよ。真島くん?」

 

 

 

 




 千束は喫茶リコリコへ。黄理は伽藍の堂へ。真島は新人類創造計画へ。

 この中に仲間外れがいる!(迷推理)。

 千束と黄理は普通に医務室で目を覚まして、真島だけ死体袋の中で目を覚ますとか、どうしてこうなった?

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