四章はあと二話、三話ほどで纏めたいと思います。
なお、この小説に於いて14歳時点の井ノ上たきなのルームメイトは蛇ノ目エリカと設定します。フキとルームメイトになるのは16歳になってからということで。
“ファーストリコリスというのは、当たりくじのない抽選会の一等みたいなもんよ”。
サードリコリスになって最初に組んだ先輩は嘆くように、諦めるようにそんなことを言っていた。人によってはセカンドになる機会さえなく、サードのまま死んでしまうことが多い。セカンドリコリスへの昇格は、重大事件において特別な功労を認められ、DAへの貢献度の総合評価で決定される。
だが、ファーストに昇格するためには、圧倒的なまでの実力を持たなくてはならない。
だからこそ、リコリスの大半はセカンドで妥協する。向上心がある者はファーストを目指すけど、大抵はサードで生き残るのが精一杯なのが現実。ファーストと訓練をした者は、厳しく残酷で明白な現実の壁に衝突する。
すなわち、努力をしても届かない存在という事実。
何をどうしても、掴めない地平が確かにあるのだ。
かといって、セカンドリコリスでもピンからキリというのは存在している。たまたま、重大事件に関わっていて、実力的にはサードと同等な人間がセカンドに昇格する事例だってゼロではない。
私、蛇ノ目エリカは間違いなく下から数えた方が早い実力のセカンドリコリスだった。
自分で言うのもなんだけど私は弱く、セカンドリコリスという階級に見合ってない。
そんな事実を同室の濡れ羽色の長い髪をしたルームメイト、井ノ上たきなの姿を見て、むざむざと再確認する。たきなは自分のベッドの上で、“人体の急所図鑑”などと恐ろしい本を熱心に読みふけっていた。
同じ女性から見ても美しいツヤの黒髪、澄み切った菫色の瞳、あらゆることに動じないクールさと大人びた態度。まさしく理想的なリコリスとしての在り方は、思わず憧れを抱いてしまうほど。
そんなたきなだけど、今わたしは一身上の都合で顔を合わせられない状況にあった。
ベッドに座っているたきなの足首には痛々しく包帯が巻き付けられている。
先日の違法薬物の売人たちとの戦闘の際、私をかばってたきなが負った怪我だ。自分のミスでルームメイトを怪我させてしまうなんて、非常に居たたまれない失態だがたきなは“気にしなくて良い”という。
同じチームになることの多い親友のヒバナは、相手がそういうのだからお言葉に甘えればいいと言うが、ルームメイトを怪我させて平然としている度胸は私にない。
それに、たきなの発言の意図は“私の謝罪にも感謝にも意義を見出していないから”ではなかろうか。なんというかそういうのは嫌われるより、つらい。認識すらされないって、夏場の蚊以下の存在に成り下がったというのと同義だ。
どうにか、こうもっとたきなとの会話を増やしたい、もう少し関係を縮めたい。
でも……どうしよう。良いアイデアが何一つ浮かばない。
思い悩む蛇ノ目エリカを余所にたきなは時間になったと、怪我した足を引きずって動き出す。
「それでは、パトロールに行ってきます」
足を負傷しているたきなは、今日通達されていた任務を外されて急遽、街中のパトロールという雑事に回されることに。
セカンドリコリスがそんな雑用じみた役目に回されるということにエリカは罪悪感を抱く。
しかし、肝心のたきな自身はそれを嫌がってはいなかった。
なんなら、パトロール場所が神保町ということもあって最近、入手した連絡先を使いファーストリリベルの少年を呼び出せると少しワクワクさえしている。だが、それをルームメイトに気づかれないため、たきなはすました顔でパトロールに向かおうとする。
蛇ノ目エリカはためらいがちに、たきなの足を見て心配そうに背を丸める。
「ねぇたきな、その足で大丈夫?」
「問題在りません、それよりも蛇ノ目さんはいいんですか?確か、午後からフキさんの隊で新しい任務を受けると通達がありましたが……」
普段通り、怪我をしているというのが信じられないくらいの平坦な声音でたきなは部屋の時計の時刻を指し示す。今現在、通達にあった時刻の十分前。
エリカの顔から血の気が引く。今回の隊の指揮を執るファーストは、厳しいと有名なあの“春川フキ”だ。
おまけに作戦説明は司令がじきじきに行うという手はず。
遅刻なんてした暁には……。
「──そうだった!ごめんねたきな私行ってくる!えっと怪我ほんと気を付けてね!じゃあ、っあぅ!」
気の動転しているエリカは部屋を飛び出すと、扉を出たところで足をもつれさせ転びかけていた。体勢はどうにか整えたが、部屋を出た途端にあのザマでは色々と心配にもなるというもの。
たきなは形の良い眉をひそめ──
「……無事に帰ってこれるでしょうか」
エリカが聞いたら泣き出すくらいには酷な発言をして、パトロールに向かっていった。
任務概要を聞かされた蛇ノ目エリカは、今回の標的についての資料を確認する。
書類にはDAの正式な書面で対象の名前が記されていた。標的の名は“七夜黄理”、なんでもDAの男性暗殺者組織・リリベルの総長という司令に次ぐ職務に従事。
先だっての電波塔事件でも、最強のリコリスである錦木千束と共に事件解決に挑んだ最強のリリベルだという。
錦木千束と同様の不殺主義で任務をこなしているという情報に胸を撫で下ろす。
だけど相手がこちらを殺さないとしても相手を殺さないことにはこちらの任務を遂行できない。彼と私たちの実力差を覆して、どうにか“殺せないものか”。
特殊な案件ゆえ、開示されたリリベルについての情報。
どう考えてもセカンドが知っていていい情報な気はしないが、任務をする上で必要なことなら仕方がない。
最強のリコリスに比肩する最強の
どう考えても、私が勝てる相手な気がしない。それに人数だっておかしい。たった一人の暗殺ゆえに人数を割けないといっても、相手はあの“電波塔の英雄”と同格の男の子だ。僅か三人、スリーマンセルでどうこうできるような相手ではない。
それにスリーマンセルの編成はセカンドが二名の、ファースト一名。私、蛇ノ目エリカと篝ヒバナ、そして春川フキの三名。なんというか、史上最強のリリベルという相手の看板に比べれば、言いたくないけど戦力差が……。
それを誰より理解している隊長のフキは、凄まじい表情で車の外を睨んでいる。
「おい、エリカ──」
急な呼び声を聞いて、私は自分でもどうかというくらいに狼狽してから、どうにか返事を振り絞った。
「はっはい!?」
「同室のたきなはどうした?本来なら、この任務はフォーマンセルだったんだぞ。それをあいつが抜けたもんだから、急遽三人編成のまま実行する羽目に……ったく、なんであいつ参加してねぇんだ?」
冷や汗が止まらない。どうしよう、なんて言うべきか。正直に、前回の任務で私を庇って負傷しました?いや、そんなことを言えばどうなることか。でも、正直に言わないと、たきなの評判に泥を塗ることに……。
──どど、どうしよう。
「えっと、っそ、それは。前の……任務のとき、わた」
問われるまま、動転した状態であやふやな説明をしようとしていたところで、私の横に座っていたヒバナが私を押し退けて説明を引き継いだ。
「前回の任務で麻薬の売人との戦闘中に足に怪我したらしいですよ」
「ああ?あいつが。……ふん、たきなが手間取るってこたぁ、それなりの装備をしてやがったか。……はぁぁ、しかたねぇ。いねぇ戦力を愚痴っても無駄なだけだ。言っとくが、たきなみてぇなヘマをしねぇよう気を付けろよ。エリカ、ヒバナ」
ヒバナの説明は肝心なことが何も伝えられていない。たきなは何もミスをしておらず、私がそもそもの怪我の原因なのだ。それを、一切説明せずどうでも良さそうにしてるヒバナに小声で話しかける。
「ちょっとヒバナ、さっきのどういうこと。たきなはホントは私を庇って」
「ていっ」
「あいたっ」
ヒバナは、エリカの額に軽くチョップをいれた。エリカをこれ以上ヒートアップさせないため、落ち着かせる意図を持つ一撃。軽くとはいえ、想定外の一手を受けエリカは唖然としていた。
「……よく考えてもみなさい。あんたがバカ正直にそんなこと言えば、フキがあんたを詰めるのが目に見えてるの。そうなれば、あんた落ち込んでパフォーマンスを下げるでしょ。そんな状況で任務を遂行できるわけないじゃない」
「でも、代わりにたきなが……」
「あの娘は、普段からしっかりし過ぎているから、そんな説教を受けるまではいかないわよ。精々が珍しい、くらいで済むんじゃない?まっ、それでも気を揉むようなら、任務が終わった後、フキ相手に自分で訂正に行けば?」
ヒバナの言うことは泣きたくなるほど理にかなっていた。ホント、私の落ち込みやすい性格を理解しきったアクション。フキに叱られて、その状態で任務に集中できるかと問われれば、答えに窮するのは事実。
だから後で私の口から、たきなは何もミスなんてしていないんだと言えばいいんだ!
けど、フキに後で訂正をするのか……。
フキのリアクションを想像して覚悟が挫け、意思が少し鈍る。
「……その時、一緒についてきてくれる?」
「いや流石に一人で行きなさい」
ヒバナは半眼で少し涙目になったエリカにもう一撃をお見舞いした。
都内、某所。高層マンションのある一室の前にファーストリコリスのフキは立つ。司令より通達された情報には此処が標的・七夜黄理の住まいとある。実際に彼が部屋に入っていくところを目視で確認済み。
となると、あとは獲物を仕留めるために行動を起こすだけ。
計画はこうだ。二人のセカンドを屋上からロープで降下させ窓を破り突入、ファーストであるフキは玄関のインターフォンを押しターゲットを呼び出す。玄関で試みる不意打ちで七夜を仕留められれば良し、仕留められずとも背面から襲撃する二人のセカンドと私の挟み撃ちで確実に命を奪う。
フキは楠木司令より、こうも言われていた。
“七夜黄理の暗殺は非常に困難ゆえ、実行不可と分かれば早急に撤退せよ”。
“千束のヤツと同じ、殺しをしない腑抜けを相手に撤退することが必要なのですか”と、あの時の自分は聞き返したが楠木司令に出された追加のレポートを見て意図を理解する。
七夜黄理の不殺主義は錦木千束のそれと明確に異なる。
千束の不殺主義は、敵対した者にも元気に明日を過ごしてもらうなんて馬鹿げた理念の元にある。対して七夜黄理は、敵対者の明日にも未来にも関心がない。どうでもいいのだ。だから標的をDAにすぐ引き渡すし、手足を平然と欠損させる。
千束の主義も馬鹿げていると思うけど、あれは見ていて気持ちの良いバカだ。
対して、フキは七夜の不殺主義に嫌悪まで抱いていた。あんなの、千束の真似ですらない。千束はいつか訪れる命の限界を誰よりも知るからこそ、味方や敵だろうと命の在り方を尊重していた。けど、七夜は違う。
なんという中途半端な主義なんだと、マグマのような怒りさえ湧いてくる。生かそうと、殺そうと命をどうでもいいというのなら、七夜黄理なんて阿呆は私が始末する。
そんな殺意をこめ、フキはインターフォンを押す。同時に部屋の中から聞こえる標的の足音。インターフォンの鳴った時をめがけ、マンションの館内放送でエレベーターが故障したという欺瞞情報が大音量で流される。
これで突入時の窓が割れる音はカバーされた。だがエリカ、ヒバナとの連携を行う必要など無い。此処で私が七夜を殺せば任務は終わるのだから。
玄関が開かれる。滑らかに開閉時の音もなく開かれた扉の隙間、サイレンサー付きの銃口を自然と差し込む。引き金をひき、屋内の標的に静寂の弾丸が撃ち込まれた。フキは油断せず、扉を蹴り破って屋内にいる七夜に追撃を……。
銃を持つ手を掴まれ、そのまま薄暗い標的の部屋へ引きずり込まれる。
ぞっとする悪寒が全身を駆け抜けた。自分は今、とんでもない間違いを犯したのだという実感。そうだ、七夜黄理の得意とする環境は暗く、狭い障害物などがある閉鎖空間。隠密奇襲を得意とする相手の有利な戦場に招かれたという事実に恐れおののく。
もしや、自分は張り巡らされた蜘蛛の巣にかかったのでは──
引きずり込まれたフキは屋内の壁に衝突。
背中を強打するが継戦能力に支障はない。それよりも、セカンドの二人との位置関係の方が問題だ。私は屋内側に投げ飛ばされ、いま七夜は玄関の方にいる。こうなるとヤツは玄関から退避もできるし、挟み撃ちの形では無くなった。
まずい、こうなればエリカ・ヒバナと三人で連携をして七夜を仕留めようと、窓側の方を見る。朝方だというのに薄暗い室内、割れた窓側カーテンの隙間から光が差し込んでいる。二人はどこだ、と眼を凝らすと屋内で二人が足をぱたぱたと懸命に動かしていたのが瞳に飛び込んでくる。
二人は揃って、首元に手を当て必死の形相でバタ足をしていた。
床に接地せず、空中で。
幅広のワイヤー、それが絞首台の死刑囚よろしく二人の首にかかっている。エリカもヒバナも、懸命に外そうと首のワイヤーを掻き毟っているが外れる気配はない。
ワイヤートラップ、だと?
足下に張り巡らされた蜘蛛の巣を幻視する。
そうだ、私たちはとっくの昔に捕食者が陣取る罠の網に飛び込んでいたのだ。
「エリカ!ヒバナ!」
「他人の心配をしてる暇があるのか、忠告しとくと動かない方が身のためだぞ」
「て、めぇっ!」
七夜の他人事な台詞に視界が赤くなる。こんな状況で、何をふざけたことを。玄関側の七夜に正対し銃を構える。フキの対応を見て黄理は失望したように顔を陰らせた。引き金は即座に引かれるが衝動的な攻撃を、黄理が受けとめる義理もない。
玄関の靴箱を足場に反転、上下逆転して蜘蛛のごとく黄理が薄暗い室内で天井を疾駆する。フキは黄理の動きを見て一瞬だけ怒りを見失う。あまりにも異常な挙動、目立つはずの動作。
だというのに、敵の動きはあらゆる無駄の削がれた簡素で“目立たない”ものだった。奇妙な動きだというのに意識は“そんな風に動くのか”などと呑気な思考さえ浮かぶ。類似する動きをするものといえば影絵、いや蜘蛛だろうか。
いや、それどころじゃない!
相手は千束と対等に渡り合った怪物。そして、この動きはかつての模擬戦よりも遙かに洗練されている。薄暗い室内では視界に捉えきれない。
となると、“このまま単独で戦闘続行”、“エリカ、ヒバナ救助後に窓を開ける”。
フキは迷うことなく後者を選択した。
エリカ、ヒバナを救い数的有利の確保。そして、窓を開け部屋を少しでも明るくする。明るい視野を確保できれば、ヤツの奇怪な動きも単なる大道芸に堕ちる。あとは三人の一斉制射で最期だ。二人のセカンドを吊っているワイヤーを外すためフキは、リビング側に移動しようとして足を止めさせられた。
止めた、ではない。止めさせられた。
リビングに入った時、フキの足を禍々しい鋼鉄
少女の華奢な足に飾られた不格好な
硬質的な光を発し、鋭利でおぞましい形状をしたそれは、ベアトラップ。
簡潔にいうなら、足下で閉じているこれは虎ばさみという罠だ。それを認識し終えて、ようやくフキは足首にかかる金属の咬合の痛みに耐えかねて叫ぶ。足首の肉に食い込んだ金属の突起。次いで心身の奥深く直接的に襲い来る痛覚が反応した。
「あぁあだぁああ!!!」
イタイイタイイタイ痛いイタイイタイ痛いイタイイタイ!!!!!!
「寝てろ」
叫ぶフキの姿に対し黄理は何の感情の揺らぎもなかった。黄理は逆さまの状態で飛びかかりフキの顎に、下から“踵落とし”を喰らわせて意識を刈り取る。同様にリビングで吊られた二人もすっかり動かない状態に。
フキを気絶させた黄理は、フキに踵落としを入れた衝撃を用いて回転。
猫のようにひらりと、軽い身のこなしで着地する。
“頃合いか”。
あっちで吊している二人、この時間なら失神程度で済んでいるがこれ以上はマズい。黄理は手元のナイフを投げワイヤーを切断。吊られていた二人の少女が床に落ちたが、自発呼吸は最低限しているらしい。
窒息していた二人のセカンドにせよ、フキの足にせよ、放置しておくと体調が悪化する恐れがある。応急処置程度はしておこうと救急箱を手に取った。そして、手当を終えてから黄理は妙な点で感心する。
“自分の趣味で置いていた罠にこうも見事に嵌るとは”。
「三人そろって運が悪い。厄落としでもしてから来るんだったな」
そんな益体もない発言をして、黄理は床に伏した三人をDAに引き渡そうとスマホを取って……そこで着信が入ってきた。着信画面にはついこの間、番号を教えたばかりの少女の名前が。
珍しいこともあるな、と少し笑った黄理は慣れた手つきでスマホを操作し電話に出る。
「はい、もしもし。一体どうしたんだ、たきな?」
時間、それと場所が変わって、閉店間際の喫茶リコリコ。
日はすっかり暮れ、締め切りの恐怖に怯えていた常連の一人、作家の米岡が晴れ晴れとした顔で店を後にする。がらんとした店内。キーボードを決死の顔つきで叩いていた米岡が仕事を終えたことでようやくリコリコも店の明かりを落とせる。
疲れ切ったミズキは日本酒の瓶を出しはしたが結局、飲まぬまま冷蔵庫に戻していった。
「おっ?どったのミズキ。もう酔っぱらってもいい時間だよ」
「人を酔いつぶれるまで酒に溺れるダメ人間みたいに言うな。今日は米岡さんが締め切り間際だったから、気ぃつかって肩こったのよ。ダメだ、もう電池切れ。マジで倒れる五秒前。ぼちぼち帰るわ、おっさんに先に帰るって言っといて」
「あいあいっと。じゃあ、そろそろ片付けと明日の準備して私も帰ろっかなぁ。せんせー、ミズキあがるってさ~」
「わかった。それなら千束もあがりなさい。残っているのは明日の仕込みだけだ、私だけで事足りる」
店の奥から先生の声が聞こえてくる。少し口元に指を押しあて考えるが、せっかくだ。このまま先生のお手伝いでもしよう。千束は赤い給仕服の裾を払い先生のとこに向かおうとして、扉のベルが鳴るのを聴いた。
チリン、夜も遅く大半の店が暖簾や明かりを消す頃合いで珍しいお客だ。千束は奥の廊下からフロアへと向かう。もう既に閉店時間になってしまったが、せっかく来てくれた人のためコーヒーでも淹れようかと出向くと、扉のところいたのは険しい顔をした五人の男子高校生。
見慣れた赤の制服とベージュの制服を来た五人組が並んで店に入ってくる。
千束は彼らが何者かを知っていた。七夜黄理が所属していた男子系暗殺者組織、
彼らの纏っている気配も不穏だ。
背筋によぎる緊迫感、平穏なリコリコ店内で生じる冷たい空気。
「お~い、ミズキィ。ちょっと帰るの待った。ステーイ」
「はぁ?もう店仕舞いでしょ。こっから働かせるつもりなら労働基準監督署が黙ってねーぞ。私には帰る選択肢も与えないって?」
更衣室から冗談半分で気の抜けきったミズキの声がフロアに届く。まだ、眼前の男子たちは動こうとしないが、アサルトライフルを抱えた両手には僅かな緊張と力みが見えている。
何秒か経って、無言の状態に飽きた千束がゆる~く尋ねた。
「いらっしゃいませ~。それで……ご注文は?」
千束のふざけた調子の注文にファーストリリベルの少年、アキタカと呼ばれる彼は冷たい視線と共に要求を出した。
「──錦木千束、あなたのお命を」
「メニューにありまセーン☆」
「でしょうね、それゆえ……力尽くで貰い受けます」
アキタカが顎をしゃくると、それに応じて四人のベージュ服のリリベルが銃を構えた。千束は嫌そうに顔をしかめる。
“よりにもよって店内でアサルトライフル使うとか。作法がなっとらんよ作法が”。
店内に響く
店の壁が制射を受けボロボロなのに対し、無傷でそこに佇む赤い給仕服の女。
ベージュの四名はそのあまりにも非現実な光景に動揺を示すが、ファーストリリベルの彼は感情を揺らがせず懐から手榴弾を取り出し、遠慮なく放り込んできた。
「せんせっ!地下室!!」
「任せろっ!」
阿吽の呼吸、千束の発言の意図を瞬時に把握したミカは、すぐに地下室のドアを開けてそこから飛び退いた。投げつけられた手榴弾を千束は地下室めがけて蹴りつける。蹴られた手榴弾は、まっすぐ地下室に落ちていく。
足下からくもぐった爆発音。
だが、蹴りによって乱れた姿勢のところに五人のリリベルたちが一斉に発砲。常人からすれば、為す術のない窮地。しかして、その窮地に対するは史上最強と謳われる
彼女には銃弾の軌道を読みとる洞察、観察眼がある。未来視に等しい超人の業。服の上から筋肉の動作を予測し、次に相手の取る行動を先読みする限りなく異能に近しい技能。それに加え、電波塔で彼女はもう一つの武器を獲得していた。
「よい、しょっと!」
瞬時の跳躍、五人のリリベルたちは注視していたはずの錦木千束の姿を見失う。いいや、視線を振り切るほどの急加速で、視界の外に逃げられた。完全な静止状態からの人知を越えた全開挙動。そのまま壁面や天井を駆けての敵への惑乱。
愕然とする、この華麗にして異常な技巧を彼らはよく知っている。
激しい既視感が心身を蝕んだ。
そう、なぜならこの技術は。
「黄理さんの技を使うだと!?」
「べっつに驚くこっちゃないでしょ。電波塔降りるとき、あれだけ見たんだし。アレンジは入ってるけどそれなりに使いこなせるってね」
千束は名を知らないが、七夜の技において閃走・水月と呼ばれる技巧を彼女は独学で使いこなしている。混血という怪物を相手取るため、異能を持たぬ常人の暗殺者が編み上げた七夜の業。
その技術を彼女は観察だけで自分の血肉として練り上げたのだ。
なんという凄まじい天稟。想像を絶する卓抜した才気。
驚愕に震える五人が背後の千束へ反応したときには、既に手遅れだった。
神速を誇る閃走・水月、その加速に伴って生まれた全推進力を蹴撃に転換する。
踊るように回転しながら、立て続けの超高速の五連蹴り。
赤い給仕服が華麗に舞う。抱えていた銃に蹴りを受けたリリベルたちは、リコリコの窓を破って外の道にまで蹴り飛ばされた。びきり、不快な異音と共に体の芯から発生した鈍痛。如何に七夜黄理の技を使えるといっても、当然のことながら錦木千束は七夜の人間ではない。
七夜の業とは長きにわたる血統の継承によって作り出された肉体を前提とした技術体系。
鳥の骨と同じような軽く、しなやかな骨。異常な柔軟性と瞬発力に秀でた筋繊維。
僅か十秒を駆け抜けるために構築された肉体。
それらを持ち得ない千束は、七夜の技を使うとひどい筋肉痛と骨の軋みに晒されるわけだ。全身の痛みに顔をしかめ、千束はリコリコ店内の被害状況を確認する。
蹴りを受け、ひしゃげて粉々になった銃。アサルトライフルから溢れた空薬莢。雨あられと放たれ壁に痛々しく残る銃撃の跡。
“お店、明日までにどうにか直るかなぁ”。
などと襲撃を受けた事実を五秒後には、脳裏から追い出しカウンターで頬杖をついて千束は考え込む。はぁ、と気落ちした千束へ更衣室から不安そうなミズキの声が通る。
「ちさと~。おわった~?」
「ん?一段落はしたかな。まぁ、店の方が無事じゃないけど」
「襲撃者は……リリベル、だと?なぜだ、なぜ彼らがリコリコに──」
「なんかね、狙いは私だったっぽい」
驚愕した先生に対し、のんびりとした千束。先ほどまで大立ち回りを演じたとは思えないほどの脱力具合。襲撃の理由を推察しようとするミカに対して、明日のリコリコ開店時間を本気で思案する千束の姿が対称的過ぎた。
ミズキは普段着に着替えると、リリベルの襲撃にあった千束へ追求をしてみる。
「あんた、虎杖さん怒らせるようなことしたんじゃない?あのおっさん、沸点どこにあるか分かりにくいからなんで怒ったのか知らんけど」
「知らんのかい……でも、そんなことで虎杖さんがリリベルを寄越すかね?」
カラン、コロン。
「生憎とリリベルを私怨で動かすような真似は私に許可されていない。すまない、騒がせたかな?」
弾跡ひとつ無いリコリコの扉がベルを鳴らし開かれる。
そこに現れたるは、ご満悦に笑う虎杖司令その人。
悪びれもせずに平然と来店した虎杖に、千束とミズキは頬を引きつらせる。そして、千束は全身のだるさゆえ一言だけで抑えたが、ミズキはテンションがハイのまま虎杖に詰めかかる。
「えっと、うん大騒ぎだった」
「つーか、店の内装どうしてくれんの!これじゃあ、明日の開店ができないでしょーが!」
「ふむ、それは困ったな。此処のコーヒーが飲めなくなるのは非常に困る」
「店、襲撃しといて平然とお客として来店する気かよ。ツラの皮が厚いどころの騒ぎじゃないわね」
「ミズキ、そこまでだ。虎杖さん、なぜリコリコへ襲撃をかけたのですか。もしや、DAでなんらかの方針変更が──」
「上層部からの命令でね。不殺主義を掲げている千束くんに暗殺命令が下りてきた」
何気なく口にされた言葉にミカ、ミズキは言葉の無いままに血相を変える。もし、それが本当だとするなら、もう
「なに、そう警戒しないでくれ。ことは既に終わっている。こちら側の暗殺命令が下った際、楠木司令と独自にコンタクトを取ってね。互いにファースト率いる小隊を向かわせ、一度だけ暗殺を実行する算段を立てていたのだよ」
つまり狂言、上層部に対する虎杖、楠木たちが仕掛けた一世一代のトリック。暗殺に失敗したという事実を元に、コストや手間がかかりすぎる上に不可能だと両司令が揃って上層部へ上申することで暗殺を止めようという計画だったらしい。
ミカは深々と魂まで吐き出してしまいそうなため息をつき、ミズキはへなへなとカウンターに枝垂れかかる。イタズラっぽく微笑む虎杖司令の調子に合わせ、千束がニマニマとしながら勢いよく立ち上がった。
「はは~ん、さては八百長を仕掛けようって段取り?」
「正解だ。まぁ、黄理を慕う者が過剰な火力の武装でリコリコを襲撃したことは想定外だったが──」
黄理、と聞き慣れた名前が出たところで千束は、先ほど聞き流していた事実に気づいた。
「あれ待って、虎杖さん。さっきの話だけど。互いに、って言うことは暗殺命令って私だけじゃなくて黄理のとこにも行ってるの?」
「ああ、確か黄理の自宅で奇襲をするということらしいが、黄理なら無事に暗殺を退けられ……どうかしたかね、千束くん?」
今度は千束が血相を変え、更衣室の方に走りだした。
「マズいって!黄理の自宅はホンットまずい!あそこ、黄理が趣味でやたらめったらに罠とか仕掛けているから何も知らないまま飛び込んだら大怪我じゃ済まないって!」
千束の慌てようからして、ただ事ではないと理解したミズキは車のキーを用意して七夜黄理の自宅まで車を出す準備を始める。
「罠張るのが趣味?!なんで自宅にそんなことしてんのよ!」
「黄理に聞け黄理に!わたしゃ知らん!」
最速でリコリスの赤い制服に着替えた千束は、武装の収納されたサッチェルバッグを背負って、七夜黄理の住むマンションへ向かう。
一刻も早く、暗殺に向かったリコリスの救助に行くために。
慌ただしく扉から飛び出していった二人を見て、虎杖は愉快そうに微笑みながらクリーナーを呼びつける。
費用に糸目は付けないから、明日までに復旧するようにというセレブ発言。
どうやら、明日の開店までには直りそうだ。
直ればいいというものでもないが、子供のように無垢に笑う虎杖の顔を見ていると、ミカは追求しようとする気が失せていたのを自覚する。
カウンターに座ってクリーナーを待つ虎杖へ複雑そうに笑いかけながら、ミカはそっとコーヒーを淹れる。
積もる話もある。今夜は長くなりそうだと思いつつ虎杖用のカップに淹れ立てのコーヒーを
Tips
七夜黄理の浄眼は、長きにわたる血統の改良と機能の淘汰によって戦闘に適したものとなっている。それゆえ、敵の悪意や害意を鋭敏に察知するが他人の感情についての理解、共感能力は人並み以下に落ち込んでいる。
すなわち、七夜黄理は筋金入りの朴念仁である。