Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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次で四章を終わらせる予定。年度内を目標にしてますが、まぁたぶん無理かと。

ダイジェスト版たきなとの日常回、リメイクするなら描写をもっと細かくします。
なお黄理視点の裏側では自室に女の子三人ほど転がした状態であるものとする。



Hidden in plain sight

 

 神保町駅付近、早朝のオフィスビルの雑踏の中で濡れ羽色の髪をした少女は静かに佇んでいた。

 

 目的を持つ人の群れは雑踏をただただ通り過ぎ、ひっそりと佇む少女を置き去りに平和を謳歌する。

 

 セカンドリコリスのたきなは神保町のパトロールのために、数少ない知り合いである七夜黄理を呼び出していた。黄理の方が神保町の詳細な地理を知っているため、パトロールの効率化になる。そう自分を納得させながらも、たきなはどこかソワソワした面持ちで黄理との待ち合わせをしている。

 

 単に会いたかったというシンプルな思考に行きつかない辺り、たきなも相当の朴念仁だ。

 

 

 十五分ほどして、たきなは道路を挟んで向かい側の歩道に目立つ赤色の制服の少年を見つける。

 

横断歩道に駆け出そうとする子供っぽい自分をどうにか抑え、彼女は何食わぬ顔でその場に待ち続けた。たきなの元にようやく到着した彼は、弛緩しきったいつもの態度でたきなに声をかけてくる。

 

「お待たせ。それでお偉いセカンドリコリス様が丸一日パトロールとは随分と豪勢な人材運用じゃないか」

 

「──ファーストの黄理くんが言っても皮肉にしかなりませんね。それに今の私では戦力にならないため適切な配置かと」

 

 そういって、たきなは軽く足をあげ、足首に巻かれた包帯を黄理に見せた。

 

「怪我したのか……へぇ、たきなが怪我するって、どんな修羅場だったんだ」

 

「別に敵が強かったという話ではありません。同室のリコリスが現場で危ない目にあっていたので、やむを得ず助けてこういうことに……」

 

「──優しいな、たきなは」

 

 彼の声が弾んだものに変わる。どうして私の怪我を見たというのに、そんな嬉しそうな声を出せるのか。文句の一つでも言おうとして、声が出なくなる。

 

あんまりにも嬉しそうに笑う呑気な彼の顔にほだされ、文句を言う気が失せた。

 

「でも、そんな怪我してるのにパトロールをして大丈夫なのか?」

 

「幸い、激しい運動をしなければ大事ないと医師からはお墨付きを頂いています。ただのパトロールくらいで大袈裟ですよ、黄理くん」

 

「そうかい、それならいいんだけど……無理せず安静にしといた方が……なんでもありません」

 

 突き刺さるようなたきなの視線を受け、黄理はすごすごとたしなめる意思を放棄する。こうなったら自分が側にいればいいかと気を取り直し、黄理はたきなへ今日の要望を聞いてみた。

 

「人気のなく怪しいところ、また逆に人が多く集まる密集地をお願いします」

 

 なんという模範的なリコリスの発言だろうか。

 

 いや、別にそれ以外の想定をしていなかったから、ある意味で予想通りの解答。

 

「今日呼び出されて正解だったかもな。ちょうど、たきなの要望と俺の用があるところが被ってるわけだし」

 

「黄理くんの用、ですか?もしや、銃の密売シンジケートとか、謎の人身売買組織とかが集まるような場所にでも行くんですか!」

 

 

「たきなの中で俺がどんな扱いなのか気になるけど、違うから。そこまで大ハードな日常、俺は送ってないぞ。そんなにいつも綱渡りな生き方してるように見えるのか……今日の用ってのは伽藍の堂の依頼。ほら、これ」

 

 彼が差し出してきた封筒、なんと言っても黄理くんが所属する支部の依頼書だ。

 

 果たして、どのようなトラブルが舞い込んでいることか……。

 

 意を決し、開けた封筒には二つのA4プリントの依頼書があった。

 

一枚目、カラーで印刷された“この子を見かけたらご一報ください”とある黒ネコの捜索願。それと“抱きしめ合った二人のカップルの写真”が貼り付けられた一枚の紙。それだけなら良かったのだが、男性の顔の部分へ太めのマジックで書かれた二重丸が依頼者の怒りの程を暗示している。

 

「猫探し……と、えっと……素行調査?」

 

「まぁ、素行って言うか犬も食わない余所様の恋路の調査かな。今日はこの二つの依頼をこなすわけだけど、どうする?たきなが良ければ付き合ってくれないか。報酬、とまではいかないけど、欲しいモノがあればなんでも見繕うよ」

 

「……なんでも、ですか」

 

「此処で念押ししとくが、あんまり高価なものは無理だからな。伽藍の堂は恐ろしいほど薄給なんだ」

 

 顔をしかめ、真面目な表情で自分の金銭事情をさらりと吐露する黄理くんが、あんまりにも格好悪くて思わず笑ってしまう。こんな彼の姿を見ることになるなんて、京都では思いもしなかった。

 

不思議と、それがどうにも微笑ましくてたまらない。

 

「分かりました、黄理くんの所用に付き合います。パトロールも神保町を歩き回れれば、どういったルートでも構いませんし。あぁ、特に欲しいものなんてありませんからご心配なく。さて、と。まずはどちらから片付けるんです?」

 

 

 

 

 

 黄理に連れられ、やってきた場所はビル街の狭間、都市の間隙にある路地裏だった。

 

 たきなは周辺を確認して黄理の意図を読む。少なくとも、こんな陰鬱で殺風景なところで浮気調査の目標が来るはずもないし、そうなると必然答えは猫探しの方になる。けれど、こんな生命の痕跡もなにもない空間に猫が訪れるものなのか。

 

 おもむろに黄理くんは、鞄の中からあるものを取り出す。

 

取り出されたものは、お徳用にぼし詰め合わせセット。

 

「黄理くん、標的がいないのにそれをおびき出す道具を用意しても意味ないんじゃ」

 

「標的とか言うな。たきな、今回の仕事は猫探しであって退治じゃないからな」

 

「むっ、そんなこと言われずとも分かっています。でも、黄理くんが猫のいなさそうなところで、そんなものを出すから」

 

 実は事前に情報提供があり、この辺で捜索願の出されている黒ネコを見つけたという話を元に此処へ立ち寄っている。呼び出す算段は既に在るわけだが、あえて釈然としてない顔のたきなには知らせず黄理は彼女に悪戯を仕掛けることにした。

 

「たきな、君を呼んだのは他でもない。実はやってもらいたいことがある。……此処で猫を呼んで欲しいんだ」

 

「黄理くん、知ってますか。猫と人間では会話はできないんですよ?それともリリベルをクビになって長いあまり、そんなことも分からないくらい思考能力が低下したんですか?」

 

 冷たい視線、冷淡な言葉遣い。それにもめげずに黄理はたきなの説得にかかる。

 

「野生ならそうなるけど、相手は飼い猫だ。人間との最低限の意思疎通はできるはず。それにこの黒ネコは雌だろ。それなら男の俺が呼ぶより、たきなの方が警戒心を和らげることができるって」

 

「なる……ほど?」

 

 無事、説得に成功。

 

なんというか、丸め込みやすいなと考えながら黄理はにぼし片手にたきなに期待を込めた目線を送る。

 

「でも黄理くん、どう猫を呼ぶんですか?名前で呼びかけたり……」

 

「いや、それはマズい。見ず知らずの知らない相手から自分の名前を呼ばれるって冷静に考えたら怖いだろ。だから、此処は猫になりきった声真似で呼び出してみてくれ」

 

「冷静に考えると、猫を呼び出せる気がしてこないわけですが…………笑わないでくださいよ」

 

 口を塞いで黄理は頷き、たきなの動向を見守る。

 

 

 たきなは黄理の言う妄言を半信半疑とはいえ、健気(けなげ)にも信じていた。顔は、もう自身でも分かるくらい赤くなっており、火が出そうなくらい熱を持っている。

 

 

 ややあってから──

 

「に、……にゃーん。…………ニャーン」

 

 最初は恐ろしく平坦な声真似。

二度目で修正をして本物に寄せてきたわけだが、羞恥心の影響か恐ろしくクオリティが低い。

 

黄理は静かに空を見上げ、こみあげた笑いごと腹部を握りつぶす。

 

 無表情をどうにか崩さずにいられたが、たきなの目線が痛い。たきなも黄理が無表情ながら面白がっていることは即座に見破っていた。にぼし片手に腹部を捻るように掴む彼へ冷たい視線を当て頬を膨らませる。

 

「来るわけないじゃないですか、こんなことで……それでとても優秀なファーストリリベルさまは、この状況をどうにかする方法があるんでしょうか、あるんでしょうね。なかったら怒りますから。……ねぇ、黄理くん?」

 

「えーと、ハイ。からかってごめんなさい」

 

 黄理は、たきなの優しそうなのに迂闊な応対をすれば殺しに来るほどの殺意の込められた呼びかけに、なるべく彼女を刺激しないよう頷いて頭を下げた。たきなの菫色の虹彩が、光を無くし、見る者を立ちすくませる威圧感を放つ。

 

 並みのチンピラなら、心臓発作を起こしかねない。

 

 黄理はようやく平静を取り戻し、たきなへにぼしの入った袋を預けた。そのまま彼は袖から小さなスプレーを出し、路地裏に軽く一撒き。これぞ蒼崎橙子謹製の特殊配合またたびスプレー。

 

 

 

猫の本能を刺激する香りに呼び寄せられ──

 

 路地裏の地面を瞬く間に十数匹ほどの猫が埋め尽くす。白に黒、茶色にシマ、ブチ、トラ、それ以外にも多くの野良猫たちが、集合命令をかけられたリコリスのように大挙して押し寄せる。あっという間に足下には猫がたくさん集まって、此処だけ猫の国にでもなったかのようだ。

 

 というか……

 

「黄理くん、自前で猫を呼び寄せる手段があったのに、なんで私にあんな真似をさせたんですか」

 

「いや、やってくれるかな~、と思ってつい」

 

「つい、じゃありません。もう次は……わぁ」

 

 自分の足に甘えてくる猫により、たきなは黄理への叱責を阻止されてしまう。

 

東京支部という閉鎖環境で生活してきた彼女(リコリス)にとって、こんなにも多くの猫とのふれあいはまったくの未経験。たきなはあわあわとしながら、足下の猫たちを撫でてみる。それから黄理が手元のにぼしを指し示したので、にぼしの袋を開けて中身をさっと打ち水のようにばらまいた。

 

猫たちは喜びの鳴き声をあげ、我先にと撒かれたにぼしへ食いついている。

 

 そのあまりの猫たちの喜びように、たきなは知らず知らずのうち笑みを浮かべていた。

 

 

 

 たきなが猫を愛でるのに夢中になっている間に、黄理は探していた黒猫をひょいと捕獲する。いつの間にか目的の黒猫を抱きかかえた黄理は、たきなの気が済むのを待ち路地裏での午前を過ごしていった。

 

 

 

 

 

 

 たきなが猫の魔力から抜け出すのに午前中を丸ごと使ったのは予想外といえば予想外。

 

 午後になって捜索していた黒猫を飼い主の元へと送り届けて、黄理はたきなと共に植物園へと向かっていた。植物園のドーム内は11月とは思えないほど温かい気温。外気が遮断されている上に植物のために完璧な空調管理をされている。

 

黄理、たきなは書類にあった調査対象の男性を巨大なサボテンの裏から確認する。

 

男性が写真に写っていた恋人とは異なる女性と待ち合わせ、そのまま植物園に入っていくのを二人は確認した。後はあの男性と浮気相手と思われる相手が何をしているのかを追跡し、詳細を依頼主に報告するだけ……なのだが。

 

横のたきなの目線が凍えるほどの冷気を帯びている。隣にいるだけだというのに、黄理は寒さを感じていた。おかしい、暖かな植物園の中だというのに外の気温と体感気温が変わらない。

 

「なるほど浮気ですか、大したものですね恋人がいるというのに別の女性に手を出すなんて。黄理くん、どう思いますか恋人以外の女性とああして外出するというのは……」

 

「うん……まぁ良くないことじゃないかと」

 

「なら、どうして男性は浮気をするのでしょう」

 

「……全員が全員してるわけじゃないと、思うヨ」

 

 恐ろしく不機嫌そうに目の前の素行調査対象と突如現れた女性を観察するたきな。下手に失言をすれば、その勢いでBADENDに転げ落ちそうだ。イヤな予感を感じ取った黄理は口をつぐんで、ひっそりと追跡に集中する。

 

 というか集中せざるを得ない。

 

 それぐらい、たきなは不機嫌そうにあの調査対象の二人組を睨んでいた。

 

 

 

 男性たちがバラのコーナーに行くのを追い掛け、たきなたちは時間をずらしてバラのエリアに踏み込んだ。そこは多数の色鮮やかなバラが咲き誇る別世界。たきなはバラという花を知っていても、それがこんなにも美しい景色を創り出すなんて実際に知らなかった。

 

見渡す限り一面にバラが咲き乱れる光景に思考が圧倒される。

 

 全身に駆け抜けるこの激烈な思いを、人は感動と呼ぶのだろう。

 

 あまりのカルチャーショックにたきなも不快な感情が吹き飛ばされ──

 

「──すごく、綺麗です」

 

 たきなはそう言ってから、もう少しこの場に適した語彙がなかったかと項垂れる。誰しも自分の感性が乏しいという事実には耐えきれないものだ。

 

 落ち込んでいるたきなの横で黄理は、尾行対象の様子を見ながら赤いバラのコーナーに向かう。赤のバラはどれも季節外れでありながら、この瞬間に生を謳歌している。

 

黄理は隣のたきなと周辺のバラの二つに視線を行き来させてから、思ったことを無意識に口に出していた。

 

「たきなだって負けず劣らずだと思うけど」

 

 黄理の素っ気なくも親愛のこもった言葉。

 

たきなはそれを聞き、体の中を言い様のない熱が巡っていくを感じた。

 

「……人と花では種別が違うんだから比較にならないですよ」

 

「そういうもんかね。俺としちゃ、たきなも同じくらい綺麗だと思うよ」

 

 きれい、綺麗。黄理くんの何の飾り気もない一言が耳をくすぐる。ほんの一瞬だけ呼吸が止まり、顔が赤らんでいく。それを阻止しようと私はぱたぱたと首を振って、急いで尾行対象の動向を探りに駆け足で離脱する。

 

 努力の甲斐もあって黄理の前でどうにか、はにかみながら緩んだ頬を隠すたきな。

 

 

 

  “たきな、機嫌よくなったか?”

たきなに置いてかれた黄理がそんなことを考えていると、通り過ぎかけていた場所に咲く淡い色彩の赤いバラが目に止まった。

 

 

 そのバラの品種名は“アンネのバラ”。近くに置いてある看板には、このバラの詳細について注釈がされていた。第二次大戦の最中、“アンネの日記”を書き記した少女、アンネ・フランクに感銘を受けたベルギーのバラ育種家デル・フォルグ氏によって生まれた品種。

 

 開花後に黄金色、サーモンピンク、そして“赤”へと変色を遂げる、多くの可能性を秘めていたであろう“少女の生涯”を表現したバラ。

 

 

 そのバラはとても美しく黄理の目には何故か儚く見えた。

 

 平和を望んだ少女への手向けの花。

 

そんなバラの色が彼岸花(リコリス)と同じ淡い赤色というのに不思議な縁を感じたが、黄理はそのバラをもう一度だけ見てから、先に行ってしまった少女の後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 調査対象の男性たちが植物園を出るのを追い、たきなたちはそこそこ大きめの雑貨屋に来ていた。植物園のバラコーナーでは良かった機嫌も、調査対象の男が連れ添っている女性と話している場面を観察していたら速攻で不機嫌に逆戻り。

 

 

 たきなは目の前の男性が、自分の恋人以外の女性と話している場面を見るだけで妙に腹の底からムカムカとする心境にあった。

 

“もう、これ浮気(クロ)ですよね”。

 

 そう確信さえ抱きながら、たきなは視線を横の黄理に流す。

 

“もしも、黄理くんがこんなことをしていたら、どうしてくれよう……”。

 

 たきながそんなことを考えている時に黄理は首を傾げていた。先ほどから読唇で会話を読み聞いていたのだが、どうも不自然だ。調査対象たちの会話が“恋人の会話”とは思えない。たきなと違い、微妙に違和感を感じていた黄理は静かに追跡を続ける。

 

 雑貨屋というのは、本当に様々なものが置いてある。今どき、どこにも置いていないようなタヌキの置物に、金属製のやたら大きなクマの銅像。売り物として置いてはあるが、買い手が現れず店のヌシとして、ずっしりと佇んできた貫禄を醸し出している。

 

 尾行対象がリアル過ぎるカエルのぬいぐるみを見ているところで、たきなが棚に置いてある蛇のストラップを物憂げに見ていた。

 

「なんだ、それ欲しいのか?今日の報酬ってことで一つ、二つなら何か買っていくけど」

 

「違います。……いえ、その任務中に個人的な事情を話すのはどうかと思うのですが」

 

「任務っていうほど堅い仕事じゃないから別に大丈夫だよ。どれだけ力になれるか、分からないけど話すだけなら“ただ”だ。気楽に話してくれ」

 

「“ただ”より高いものはないと言いますが」

 

「じゃあ安くしとくよ。まぁ、たきなが思い悩むことで俺が力になれるかは疑問が残るけど」

 

 少し唇を尖らせ、たきなは黄理の反応を見てから口を開く。

 

「その、私のルームメイトのことなんです。なんというか、セカンドにしては微妙に動きが鈍いと言いますか、周辺の警戒に疎い子でして。私の抜けてしまった今日の任務の正否が大丈夫なのか、ふと気になって──」

 

「ふむふむ。でも確か、たきなはその子を庇ったんだよな」

 

 黄理は、たきなが朝に言っていたことを思い出す。いわく、たきなが同室の子を庇ったという内容。

 

それを踏まえると庇われた少女はたきなと違い怪我をしてないから、別に任務をこなすのに支障はないと思うのだが……

 

「だから心配なんです」

 

 

「セカンドに昇格したのだから、実力はあるんですけど……あの子が無事、任務を遂行できるかが心配で」

 

「たきな、もしかして君が心配してるのって…………」

 

 そんな思わせぶりな発言を途中で止め、黄理はたきなへ微笑んだ。

 

 黄理は自分が他人の心情に鈍感なところを自覚している。けど、そんな鈍感な黄理でも分かるくらい、たきなの考えていることは明白だった。そう、彼女が本当に心配しているのは、任務の遂行いかんではなくルームメイトの──。

 

 いや、答えから教えてしまうのは無粋というものか。

 

「ホント、たきなは優しいよ」

 

「なんですか、やぶからぼうに。もう、それで黄理くんはこの悩みに対して、意見はないんですか?」

 

「そういえばそういう話だったか。ところでその子が向かった任務ってどんな内容だったんだ?」

 

「それが、詳しいことは任務に参加する者にしか開示されないということで、怪我で参加できなかった私は聞いていないんです」

 

「……此処まで少ない情報から適切なアドバイスをしろって、まぁまぁの無理難題だよな」

 

 すまし顔のたきなは少し挑戦的な笑みを浮かべて、黄理の困った様子を楽しそうに観賞している。

 

「泣き言言わない。ファーストの看板が泣きますよ?」

 

「好きに泣かせておけばいいんだ。そんなもの。……まぁ、こと此処に至っては、一般論しか言えないけどさ。たきなはそのルームメイトの子を信じてあげればいいんじゃないか」

 

「それができないから、心配事になって──」

 

「かもな。でもそのルームメイトの子の実力は信頼できなくてもさ。同じセカンドリコリスって肩書きは信用はできるだろ。DAの階級制度は多少の運の良い悪いで左右されるほど軽くない。だったらルームメイトの子にも、たきなと同じセカンドに相応しい“もの”があるはずだ」

 

 そう黄理に言われて、ようやくたきなの胸のうちに堆積していた迷いが薄れていく。

 

 

 

 七夜黄理は、もう初めて会った頃の彼とは違い、少年というよりも青年というべき姿に成長しつつある。昔、会ったときから感じていた年齢に不相応な落ち着きと大人っぽさ。たきなは静然と笑う黄理の立ち姿にしばし見惚れて、呆然と立ち尽くした。

 

 それをまだ心配をしているのかと思い違いをした黄理は、たきなを安心させるために言葉を紡ぐ。

 

「きっと大丈夫だよ」

 

 

 黄理くんはズルい、そんな曖昧な言葉を信じちゃいけないのに彼が言ってしまうだけで私はその言葉を信じてしまう……

 

 初めて出会った路地裏の時も……

 

あの立体駐車場の時も……

 

東京で再会した雪の夜の時も……

 

 

 何も信じられる根拠がないはずのに、井ノ上たきなは七夜黄理を信じてしまう。

 

確信のない曖昧な言葉を信じてしまった時点で、たきなの心の奥底には七夜黄理という存在が深く刻み込まれていた。それを理解した少女は少し不愉快そうに、けど不思議と楽しそうに目を瞑って、黄理の任務の手伝いに意識を戻すのだった。

 

 

 

 

 たきなが改めて意識を集中させたところで、不意に尾行対象の女性の大声が聞こえてくる。

 

『ちょっと兄さん!いい加減、さっさと決めてくれないかしら!恋人にあげるプレゼントを他の女性に選ばせるなんて、不作法にもほどがあるわよ!それと、もう勘当も解かれてるんだし、さっさと実家に呼んで早いとこお母さんお父さんに紹介してよ!でないと、こっちが結婚をせっつかれるんだから!』

 

 

 そこそこ大きな声が店内に響く。尾行対象の男性は、顔を真っ赤にして女性、いや妹を掴んで店を出て行ってしまった。どうやら、さっきの話を聞く限り、あの二人って浮気とかそんなものではなく、普通に家族だったようだ。

 

 黄理は精神的な疲れと共に納得する。

 

 

道理で会話の内容から恋愛関係の話を聞かなかったわけだ。妹、血縁関係にあるというなら、なるほど説明はつく。……のだが、まるまる一日の調査をして結果がこれというのは、なんというか無駄骨を折った気がしてならない。

 

 

「こんなオチ有りか」

 

「ご兄妹だったんですね……あの二人」

 

 

 

 

 憮然とした調子で蒼崎橙子へ素行調査の結果を連絡した黄理が、待たせていたたきなのところに戻ると彼女は小さな黒いマグカップを持っていた。カップは黒猫をモチーフに作られており、持ち手の上のところに猫耳がついている。

 

 デザインされている黒猫の大きな瞳は晴れやかな青色をしていて、黒が主色のマグカップなのに暗い印象はなく、愛らしさを全面に押し出している商品だった。

 

 

 黄理はマグカップを持つたきなへ近づく。

 

「それ、欲しいのか?」

 

「あっ……その、違います。」

 

「違うって、もう持っているわけだし気にしなくていいんだけどなぁ」

 

「……だって……」

 

「だって?」

 

「朝に私、“特に欲しいものなんてありません”って言っているから……」

 

 たきなの顔は一目で分かるほどに赤く頬を染めている。

 

「そういうことは言いっこ無しで。労働には適切な対価がないといけないからね。……まぁ、伽藍の堂は頻繁にそれが行方不明になるけど」

 

 

 遠い目をした黄理はたきなの持っていたマグカップを預かり、レジにまで持っていく。しかし、なぜたきなはこれを欲しがったのか、七夜黄理はそれを疑問に思いながらも買ってきたカップをたきなへ手渡す。

 

 たきなは受け取ったカップをしみじみと眺めると、青い瞳をした黒猫のカップを背負っていたサッチェルバッグに丁寧に収納した。

 

「あっ、もうこんな時間……」

 

「パトロールもお終いか。長々と付き合わせて悪かったね。それじゃあ、たきな怪我してるんだから安静にしとけよ。そういう傷ってのは、身構えてない時に限って痛むものだからな」

 

「心配されずとも自己管理は万全を心がけます。それじゃあ、黄理くん。……また」

 

 “会いましょう”と言うのが、どうしてか気恥ずかしくてたきなはそっぽを向いて駆け出す。背中を向けていたため黄理からは見えなかったが、体の火照りを冷ますように走るたきなの顔は疼くような足の痛みも忘れ満足そうに微笑んでいた。

 

 

黄理はそんな楽しそうな足取りのたきなを見送り、東京の夜空に浮かぶ月を見上げて己の寝床へと帰路を辿るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 七夜黄理は、現時点で寝床としているマンションの一室がある階に帰ってきていた。

 

部屋に戻ろうとする直前、室内に寝かしていた三人のリコリスのことを思い出す。一応、書き置きで大人しくしといてくれと伝えておいたが、果たして聞き分けよくしているだろうか。

 

 まぁ、寝室に入らなければ、即死することもあるまい。

 

 

 そんな物騒な思考をしていると、階段の方から慌ただしく駆けてくる足音を二つ察知する。

 

 腰に隠していた仕込みナイフの柄を静かに握る。ナイフの柄に刻まれた鈴蘭と七夜の文字を手の平が感じ取り、神経が冷たく研ぎ澄まされていく。刃は出さないまま柄だけを握っていると、階段から現れたのは見慣れた錦木千束と中原ミズキの二人。

 

「どうしたんだ。二人とも。そんなに目の色変えて」

 

「呑気なこと言っとる場合か!黄理、リコリスに黄理の暗殺命令が出てるって虎杖さんから話聞いたんだけど、何か知ってる!?」

 

「それか、確か橙子さんも同じようなこと言ってたな。俺の暗殺指令が出てるから気を付けるようにって……」

 

「それ今日の朝、店を出るとき言ってたヤツだよね。良かった、それなら黄理の暗殺ってまだ実行に移されて……」

 

「あれから一度部屋に戻ったら、三人組のリコリスたちがやってきたからホント驚いたよ」

 

 

 黄理がにこやかに暗殺されかけていたことを告げると、千束とミズキが厳めしい顔つきになる。黄理の心配をする必要がないのは千束もミズキも心得たもの。だけど、ミズキは黄理がナイフの柄を掴んでいるのを見て訝しげな眼差しを向ける。

 

「ちゃんと五体満足で生きてんでしょうね、そのリコリスたち?」

 

「たぶん。書き置きに動き回らないでくださいって書いておいたし、寝室に入らなければ、即死するようなことはないよ」

 

「やべぇ千束。これ安心できる材料がねぇんだけど」

 

「ん~奇遇だね。私もそう思い始めてきたところ。……とりあえず黄理は自宅にトラップしかける趣味は今後は止めること。今度、抜き打ちでお部屋チェックに行くから。その時にもトラップ見つけたら、ちょ~長めの説教するかんね」

 

「それはイヤだな」

 

「んな、呑気な話をしてる場合じゃねぇダロ!おら、とっととそのリコリスたちが無事か、確認すっぞ!」

 

「まぁ、此処で話しているから、特に問題はないって分かるんだろうけどさ。暗殺されかけた当人の俺を心配しないのは人としてどうかと思う」

 

「暗殺されかけたなら、それっぽい動揺を見せい。あと危険な罠だらけの密室に女子を放置した冷血漢には適切な対応よ」

 

 ミズキの台詞に“違いない”と頷いて、駆けていく二人の後を黄理も追う。ようやく、黄理の部屋のところまで来ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 

 ミズキはその光景を目の当たりにして、やっとの思いで言葉を絞り出す。

 

「なん……だと?」

 

 

 

 千束たちの見たものは、千束の顔見知りでもあるファーストリコリスのフキが二名のセカンドリコリスたちと揃って、楠木司令に馬乗りになって彼女を捕獲している場面だった。セカンドリコリスの二人は楠木司令を羽交い締めにしているが、フキに至っては顔から血の気を引かせて楠木司令の額に銃口を当てている。

 

 まるで“やっちまった……”とでも言いたそうな悪い顔色。

 

 よく見ても、これがどういう状況なのかがさっぱり分からない。

 

「なんだ、元気そうで良かった」

 

「いやいや良くない良くない。黄理、これどういう状況なわけ?」

 

「下克上ってやつじゃないか?」

 

「──えっと、どっちを助けた方がいいカンジ?」

 

「どっちもだろ」

 

 

 

 

 




Tips

 七夜黄理が、からかう対象はたきな限定。それ以外には八方美人で当たり障りのない対応を取っている。なお、錦木千束に関してだが電波塔の事件で言われた言葉に影響を受けてか、千束のいるリコリコや彼女のセーフハウスに頻繁に出入りをしている。

 どちらに対しても黄理は無意識にそういった行動を取っており、彼女たちを特別に意識してはいないのが現状。
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