年末の都合によりカットされた四章の幾つかの場面。
横の部屋にフキたち三人娘が気を失っている状況で行われる黄理とたきなのコーヒーブレイク。リコリコ店内にてお客さんがいる中で、バレないようリリベルたちと戦う千束。ファーストリリベルの少年アキタカと黄理の会話シーン。虎杖司令と楠木司令が協力して上層部へ暗殺命令中止を説得するシーン。
推奨BGM、リコリス・リコイルより“花の塔”。よふかしのうたより“堕天”。
かつてのリコリスの寮での生活が脳内で煌びやかに再演される。
同室の騒がしくて体の弱かった相方と、憧れ尊敬さえしていた先生たちとの懐かしくも輝いていた頃の夢。
先生から学んだ内容は爆発物処理とか銃の取り扱い、格闘術なんて平穏とはほど遠いものだったけど、あの頃が私にとって何にも変えられない平穏な一時だったのだ。
けど、今のリコリスの寮に二人はいない。
うるさくてほっとけない相方は私の部屋にもういない。
尊敬していた先生はもう私の居る場所にはいない。
ひとりぼっちになった私は薄暗い空間の中、必死で二人の影を探す。
ゴウ、ゴウと吹きすさぶ寒々しい暴風の中、ようやく見つけた人影。
それに向かって私は走っていく。
置いて行かれないように。
追いつくために。
いつか追い越すために。
気がつくと身を切るような冷たい風は止んでいた。
風の途絶え凪いだ空間でようやく見つけた人影にあと少しというところまで迫る。人影は近づいてきた私に気づいて、ふわりと不確かな挙動で手元から鈍く光る何かを取り出した。
あらゆる汚れを祓うかのような純白の光を放つのは、鈴蘭の彫り込みがされた一本のナイフ。
凶器というよりかは祭器のように荘厳な輝きを発するナイフを見て、私はその人影が自分が探していた二人のものではないということに遅まきながら気がついた。
呑み込まれそうなほどに暗い色彩の黒髪、こちらを見つめる生命の熱を感じない蒼い眼光。その双眸を夜空に浮かぶ月か何かと錯覚する。昔、夜空に浮かんだ月をなんでか分からんが異常に怖がって、幼い私はぼんやりとした月光から隠れるように布団を被っていたっけ。
あれは、それと同じかそれ以上に“魔的”だ。
あの眼光のヌシが誰なのかを私は知っている。たった一度だけ、かつてのルームメイトの模擬戦の際に出くわしたリリベルの少年。冷たく研ぎ澄まされ、色濃い死の気配を纏った彼のことを春川フキは即座に想起した。
史上最強と号されるに相応しい実力を持つ
あらゆる物質の脆性部を一瞬で見抜き解体する殺人術の天才。暗殺者として究極の域にまで練り上げられた技巧の使い手。
そう、私はヤツの名前を知っている。
知っているはずなのに。
夢の中で恐怖と共に吐き出されたのは私の意図とは異なった呼び名だった。
「──“サツジンキ”──」
ズキン。
足首をぐるりと締め付けるような痛みと寒さが、眠りの沈痛にたゆたっていたフキの意識を目覚めさせた。カーテン越しに見える東京の風景は、すっかり日が暮れて夜になりかけている。相変わらず室内は薄暗いが、どうにか見える辺りの場所で二人のセカンドたちが横たわっているのを発見した。
規則正しい呼吸音が聞こえることから、命に別状はないらしい。
ほっと安堵の息を吐くと、フキは二人を起こそうとしてたたらを踏む。
足首には丁寧に包帯が巻かれてこそいるが、その下には深々と裂傷が刻まれている。怪我した足を引きずるフキは気絶しているであろうセカンドの側に向かいながら、これからどうするべきかを冷静に考え出す。
気がつくと夢に出てきた蒼眼のサツジンキの残像は、波のように押し寄せる現在についての思考に浚われ泡沫のごとく消えていた。
「起きろ、目ェ覚ませエリカ、ヒバナ!──おい!」
フキの呼びかけに二人の少女がハッと意識を揺り起こされる。蛇ノ目エリカは目を覚ますと虚ろな瞳で痛々しい痣の残った首元に触れる。ヒバナも目を覚ましているが、どこか陶然として視線はゆらゆらと定まらない。
無理もない。気絶の寸前、絶息による酸素不足で脳機能を強制的に落とされているのだ。
すぐさま平時の思考能力を取り戻せるとはフキも考えてはいない。だが、事は一刻を争う。このマンションの一室には七夜黄理の姿や気配は見受けられず逃げ出す好機。ヤツが帰ってくる前に迅速な行動を起こさなくてはならない。
現状、通信機器が見当たらず外部への交信は不可。となると自力で部屋を出て、撤退をしなくてはいけないのだろうが、それには大きな障害がある。
「……あれ、フキ?私たち、確かベランダから打ち合わせ通り侵入して……それで……」
「……思い出してきた。あぁ、私たち暗殺対象の罠にまんまとかかったってわけね」
「ッチ、そうだよ。この部屋に入った時点で既に相手の術中だったってことだ。ったく、おかげで私もこのザマだ」
「あら、たきなとお揃いね?」
「わわっ、ヒバナ~」
「クソっ、反論できねぇな。むざむざと、してやられたんだ。この借りは倍以上で返してやる」
足首の血が滲んだ包帯を見せたフキは、鋭く尖った目つきのまま髪をかき上げる。ヒバナは
三人は立ち上がって、ターゲットが住んでいるという部屋の中を確認する。
七夜黄理の部屋は恐ろしく殺風景で差し色どころか、色彩が皆無の空間だ。
無機質で特徴も何もない空間。だというのに部屋に転がる品々が、例外的にこの部屋の主の個性を物語る。
棚には赤いカップの隣に剥き出しのまま置かれた数本のナイフがインテリアの様に配置されていた。窓から差し込む月光を薄く反射する手入れされた刃の切っ先。使われた形跡のない台所を遠くから見ると、そこには調理器具の代わりに幾つもの罠が陳列されている。
バネ式の杭を跳ね上げさせるもの、フキには馴染み深くなってしまったトラばさみ。何故か釣り針が大量にストックされ、他にもパッと見では用途の分かりそうにない複雑なトラップ類がごろごろと。
「あれって私たちが暗殺に来る情報が漏れていたとかで用意してたのかな?それとも……趣味?」
「……んなこと知るか。とりあえず今は脱出を優先する。さっさと此処から離脱して司令部に次の指示を」
「待った。フキ、テーブルの上にこんなのがあったんだけど」
ヒバナは自分たちが眠らされていた近くのテーブルの上に置いてあったメモをフキに見せる。
メモにはこのように書き置きがされていた。
“しばらくしたら帰りますので、なるべく動かないでください。冷蔵庫の中身はご自由に。テーブルの上のDVDは退屈しのぎに。なお寝室は危ないので近づかぬこと”
フキと彼女の斜め後ろからメモを見たエリカはテーブルの上のDVDのタイトルを見てみた。
“キューブ”、“SAW”、“スピード”、“ゲヘナ”、“オールユーニードイズキル”。
何とも言えない顔をしたフキはそっとDVDの上にメモを置き直した。
「まぁ、状況に合っているっちゃ合ってるわ」
「逆になんか恣意的なもんを感じるんだけどな」
「これ……逃げようとしたら、こんなことになるよって意味のメッセージじゃないよね?」
「さぁな。もしそうだとしても私たちは此処から脱出しないことにはどうにもならない。司令部と作戦の練り直しをして、体勢を立て直す」
フキの言葉にエリカは青い顔で目を潤ませる。それはこの状況を打破できたとしても、あの死の気配を漂わせた男性ともう一度対峙しなくてはいけないことによるものだった。
「うぅぅ。じゃあ、早く此処を出ようよ。確か作戦前に確認した間取りだと、こっちの扉を開けて」
「バっ、油断するなエリカ──」
無造作に扉を開けたエリカの首根っこをすんでの所でフキが引きずり戻す。
またしても首、呼吸器系に負担のかかったエリカは咳き込んだ後、不服そうに指揮官殿を見ている。
そんなエリカに目もくれず、フキはリビングにあった椅子を扉の向こうに投げた。放り投げられた椅子は一条の白い閃光が走ったかと思うと、一瞬で剪断されて真ん中から綺麗な二等分に。
座るという用途を失った二等分の椅子が、フキたちがいるリビングへと転がり返ってくる。両断された椅子の断面は、見事な美しい切り口を保っている。切断された跡には、不出来なバリや切り残しもない。
「エリカ、命拾いしたね。あのまま行ってたら、あんた綺麗に半分こよ?」
「えっ?えっ?なに、なんで?別れた……違うなんで切れた、の?」
「……ワイヤーだな。はっきりたぁしねぇが、扉を開けると張り詰めていたワイヤーが飛んできて、中に入ったヤツを切断する
フキは背中に流れる冷ややかな恐怖を呑み、開けられた部屋に対し観察を行う。
ワイヤートラップの仕掛けられた部屋は、リビングより殺風景でワイヤーの跳ねる仕掛け以外は部屋の端にある机の上の救急箱くらいしか見当たらない。
少し薄暗いので明かりを付けようとも考えたが、こんなトラップまみれの場所でスイッチ関係をいじるのは危険と判断。
薄暗い部屋を確認した結果、この部屋には他に罠らしいものは見当たらないことを確認。フキはサッチェルバッグを盾のように構えながら、部屋の
「クリア、けど二人とも油断すんなよ。どんな罠が仕掛けているか、まだ未知数なんだ」
「う、うん。そうだね、扉の向こうに行くときは、ちゃんと部屋の様子を見てからにしないと」
エリカが意気揚々とドアノブを握ろうとして、その手をヒバナが掴む。
「ちょっと……何か妙な臭いがしない?」
「──えっうそ昨日、ちゃんとお風呂入ったんだけど」
「違う、あんたじゃない。ドアノブの周辺から微かに妙な臭気がする」
フキが素早く口を手で覆うとエリカもそれにならって口を塞ぐ。
「毒ガスか」
「いえ、ちょっと待ってて」
そういうとヒバナはリビングから一本のナイフを持ってきて、ドアノブに軽く接触させた。パチッ、部屋を僅かに照らすようにドアノブから火花が散る。ドアノブに仕掛けられた
ヒバナが気になっていた臭いの正体とは放電による電気分解によって、空気中に発生したオゾンのものであり、ほんの僅かな違和感がドアノブに触れようとしていた少女の命運を分けていた。エリカはすんでのところで命を拾ったことを此処に来て理解する。
呼吸が知らず知らずのうちに荒く、喉がカラカラに干上がっていく。
此処は部屋というよりも、外敵を抹殺するための箱の中なのだ。
立ち入った者を拒絶する外界と自我を明確に別つ
恐怖という見えない糸に絡め取られたエリカは自分の膝が震え出していることに気づいてもいない。また、落ち着いて見えるフキとヒバナも内心では相当に追い詰められていた。大した広さではないマンションの一部屋がちょっとした迷宮に変容を遂げる。
電気の流れている扉をどうにかこじ開け、三人はようやく出口である玄関が見える廊下についた。やった内容は、リビングから一部屋を通過して廊下に出ただけなのに、死の危険が伴っていることもあって心身の衰弱は、三人の判断力を錆びのように蝕んでいた。
フキは廊下に幾つか置いてあるトラばさみを見て頬をひくつかせる。
罠にかかった瞬間の痛みが包帯の下からじくじくと痛み出す。
慎重に足下を見ながら玄関へと向かう途中でフキは、扉の開け放たれたベッドのある部屋に視線を吸い寄せられた。
メモにあった“寝室に近づかないように”という文言が此処に来て頭の中にちらつく。
敢えてメモに残したということは寝室には、ヤツにとって何か不都合なものがある証拠なのでは。フキの疲弊しきった思考は、
天秤にかけるのは任務遂行のための“寝室への侵入”、はたまた司令部との合流を優先する“この場からの離脱”。
僅かな光が差し込む薄暗い程度の廊下と違い寝室は完全な闇の中。廊下からはベッドの影が辛うじて視認できる程度。フキは寝室の中を確認したい衝動に駆られた。ゆっくりと寝室に手を伸ばす、嫌な予感が腹の底から湧いてくる。気味の悪い不快感とそれでもなお衝動として体を突き動かす好奇心。
破滅の前触れが意識を混濁させる。
生と死の境界線で感じ取る死の予兆。
ファーストリコリスとして数々の死地をくぐってきて、なお感じたことのない極限状況で魂を自滅に
それらに惑わされる形でフキが寝室へと踏み出そうとしたとき、彼女の腕を抱え込むようにエリカが掴んできた。腕に伝わる異常なまでの激しい動悸。
パニック寸前のエリカが鳴らす鼓動を感じ取り、フキはようやく正気を取り戻す。
「……助かった、礼を言う」
「ふぇ?──なに、どうかしたフキ?」
パニックに陥りかけているエリカは、自分がフキの腕を抱えていることにようやく気づいてフキの腕から飛び退いた。その挙動がどうも間の抜けたものだけあって、フキは頭を抱えつつも前に向き直って玄関へと足取りを進める。
「……玄関、此処を出れば、もう外なんだよね?」
「ああ、流石に出入りの激しい玄関には罠は無いみたいだ」
「……そういえば」
最後尾を歩いていたヒバナが前を歩いていた二人に雰囲気を和ませようと笑いかける。
「なんかホラー映画だとさ、こういう脱出寸前になると戻ってきた悪役と鉢合わせしたりとかが定番よね……ごめん、やっぱ今のナシ」
「ヒバナ、よりにもよってこのタイミングでそれ言うか?」
「あっわわわっわわわわ」
「ごめんって!ああ、エリカが壊れたドローンみたいに!?」
慌ててエリカをフォローしようとするヒバナの声が廊下に響いた時。
……ガチャリ、と玄関の扉からドアの開く音が……。
フキたちは極限まで追い詰められたことをトリガーに意識と行動が完全に乖離する。
すなわち、深層心理にまで叩き込まれた
死を前提とした献身による拘束。それをフキは冷徹に見据え、捉えられた対象の上に馬乗りとなり銃のセーフティーを解除。馬乗りになった相手の“赤髪”に銃口を押し当てて……。
赤い髪?
おかしい、状況が状況で咄嗟に動いてしまったが、なんかこの赤い髪、というか髪型にひどく見覚えがある。朝、任務のミーティング前になんか見た気が……。いや、そもそも私たちが馬乗りになっている相手は見知った顔だった。
「良い連携だ。対象が私でなければ手放しに賞賛できたのだが──」
「「「っ~、楠木司令!?」」」
リコリスが三人がかりで楠木司令を拘束し、こめかみに銃口を押しつけている光景。
そんな信じられない状況を見た
「なん……だと?」
フキが青ざめた表情を上げると、そこにはかつてのルームメイトの千束、その専属のオペレーターのミズキ、そして今回の任務の標的、七夜黄理が唖然とした表情でこちらを見ていた。
「なんだ、元気そうで良かった」
「いやいや良くない良くない。黄理、これどういう状況なわけ?」
「下克上ってやつじゃないか?」
「──えっと、どっちを助けた方がいいカンジ?」
「どっちもだろ」
驚きながらも呑気な会話を繰り広げている千束と黄理。
それを見たフキの機嫌は最短最速で
「るっせー!!助けとかいいから、あっち行ってろバカ!」
銃を納めた怒髪天のフキに対して拘束されている楠木司令は、平静を保ったまま彼女たちに次の指示を下す。
「──なんでもいいが、私の上から退くように」
楠木司令の鶴の一声で三人のリコリスたちは瞬時に飛び退き、その場に整列する。日常化された反復と訓練の成果は、精神が極限の混乱に浸食されていても思考を優越して実行に移される。
拘束を解かれた楠木司令は、背中についた埃や砂を払って身だしなみを整えてから千束たちに相対した。
「その調子ならリリベルの襲撃は迎撃したようだな、千束」
「その口ぶりだと、楠木さん知ってたなぁ~私が暗殺されるっていう話」
千束が暗殺されるというくだりでフキの表情から一瞬だけ焦燥が垣間見える。千束の隣にいた黄理も小声で“聞いてないぞ、その話”と文句を付けるが、“そりゃお互いさま”という千束の反論に即座に言い負かされていた。
「見事だ、七夜黄理。まさかファースト、セカンドのスリーマンセルを歯牙にもかけないとは、腕はまったく落ちていないとみえる」
「いや、今回は三人中二人が玄関から来なかったのが大きい気がしますけど……まぁ、今度は玄関から来るようにしてください」
七夜黄理を自宅で襲うというのなら、来客用に罠が施されていない玄関から正面突破を試みるべきだったのだ。もっとも、黄理の部屋が罠だらけだと知らない楠木は、それを暗殺しにくるなら真っ向から来いというニュアンスだと解釈する。
楠木はフキたちに撤退を告げて、この場を引き上げようとする。
だが、フキたちの前を歩いていた楠木は突如として立ち止まり、背中を向けたまま黄理へ冷たく詰問を投げかけた。
「……此処からは私の個人的な用件だ。……別段、大した内容ではない。七夜黄理、貴様に聞いておくべき事がある」
不要なもの、無駄を嫌う効率と合理の鉄の女が、どうでもよさげに語る問いかけ。そのあまりにも厳粛で無機質な声は、その言葉を投げられた黄理以外の女性たちの口をつぐませる。
そして、その勢いのまま行われる楠木の問いは黄理の心のうちに存在する葛藤を的確に引きずり出した。
「貴様はなぜ人を殺さない。己の能力をただ無心に振るっているだけであれば、きっと貴様に迷いなど無かっただろうに」
七夜黄理は人を殺さない。史上最強のリコリス、錦木千束と“結果”だけ見れば、同一にして類似の所行。しかし、同時に彼は生命の価値に対して無関心すぎる。
彼の担当した現場では、四肢を欠損した犯罪者が幾人もいる。しかし、その横にただ気絶させられただけの者もいたのである。それは単なる気まぐれ、運の悪い良いという下らないモノのもたらした結果に過ぎない。
同時に、その偏重はほんの僅かな黄理の迷いの証明でもあった。
七夜黄理は、千束とは別種の超人だ。物質の脆弱部を瞬時に把握、または分子結合部のほつれを即座に見切るのか、DA上層部をして定義することができないとされた特異技能の持ち主。巨大な建築資材や生身の人間をナイフ一本でバラバラに解体できる殺人と破壊の天才。
そんな彼がなぜ、己の本性を封じてまで不殺を貫くのか。
楠木は少し振り返って文句を言いそうな千束を視線のみで牽制する。
「お前はDAの歴史でも指折りの殺人術の使い手、千束以上に人殺しに特化した才気の持ち主だろう。そんなお前が千束との誓いで殺人を自ら禁じている。それ自体が非常に惜しいが、それでもお前自身の選択なら容認もしよう。……だが、お前の行動は千束の真似事にすぎん。実際、死んでいようと生きていようとお前には変わらんのだろう?そんな半端な信念では何も為せまい。いいや最悪、貴様の行いが瑕疵となりDAを破綻させる一因となる恐れすら有り得る」
楠木の告げる言葉は七夜黄理の解体とは別種の解体だ。
肉体ではなく精神を、魂を無慈悲に細切れにする解剖に等しい。
「答えろ、七夜黄理。なぜお前は殺しをしない。いっそ単なる殺人者であれば、お前に迷いはなかったろうに」
繰り返しとなる楠木の言葉に千束が鋭く睨みをきかせる。
文句を言おうと荒々しく動こうとした彼女の前へ庇うように七夜黄理が出る。
「誓いを守るためっていうのはもちろんだけど、一番の理由は答えを出すためだ。楠木さんは迷いが不要だと思っているらしいけど、俺はそうはいかない。……だって、迷いを捨てることは答えを出すのを諦めることになる。……それだけはできないよ。俺を信じてくれたヤツに恥をかかせるわけにはいかないからな」
命の価値、生命に対する関わり方。それら総てをどうでもいいとしか思えない自分に、“いつか素敵な答えが出せる”と無責任にも無邪気な信頼をした少女がいた。それだけは絶対に裏切ることができない。迷いも葛藤も、煩わしいものでしかない。答えが出るなんて確証はなく、本当に七夜黄理は辿り着けるのかと諦念に膝を折りそうになる。
けど、かつて噴水の前で笑っていた千束の輝くような微笑みが、今も鮮明に記憶の中にある。あの笑顔は、いつまでも黄理の出すであろう答えを遙か彼方で待っていてくれている。
七夜黄理は、あの笑顔を裏切ることができない。
「──そうか、なら精々、迷いながら走り続けるがいい。その方がお前たちにはお似合いだ」
それだけを言い残し、楠木司令はリコリスたちと共に去っていった。
状況が飲み込めないまま、ミズキはコトが無事に終わったことだけを理解する。そう、実際の所、千束の暗殺にせよ黄理の暗殺にせよ、事態は本人たちですら知らない場所で進行し、結果として全体図が何も分からないまま全ては終わっていた。
二人の暗殺者が過ごす平穏は、その裏側を余人に見せることなく続いていく。
大山鳴動して何も動かないまま天幕は降りた。とんだ無駄骨を折ったわけだが、結果として死人が無いなら文句はあるけど口に出さない。
ミズキが千束を連れ、帰ろうとすると真っ赤な顔でにやけていた彼女の姿がそこにあった。
ラブコメの気配を察知したミズキは呆れた表情で一人、階段へと向かっていく。
「はぁ、バッカらし。わたし先に帰るかんな!あんたらもほどほどにしとけよ!!」
ミズキの言葉で千束はミズキの発言の意図が分からず黄理は首を傾げた。
「ほどほど、って何がなんだ?」
「──あぅ、うぅ知るかっ!黄理、今すぐお部屋チェックするからね!何か変なもんあったら、有無言わせず没収しまーす!今日の私はメチャ辛口だから、手加減とかないから覚悟すること!」
「今度って話じゃなかったか?こっちも準備が必要なんだぞ」
「準備って、心の?」
「いや、証拠隠滅の」
「それ防止するために世には抜き打ちチェックというものがあるのだよ、黄理く~ん。ほら、ちゃっちゃと部屋の中の危ないモノ全部見せるー。また妙なトラップとかあったら、問答無用で捨てちゃうからね」
そう言って黄理の腕を組んで千束は部屋に入ろうとする。どうやら、緊急監査は免れることができないらしいと黄理は肩を落として観念した。
今晩はきっと騒がしい夜になる、そんな分かりきった未来を歓迎するように黄理は玄関の扉を静かに開き、千束をどうやって誤魔化そうかと考え始めるのだった。
蛇足的な後日談として、リコリス東京支部での幕間。
リコリスとは治安維持組織DAの使い捨てを前提とした女性エージェントであり、その自由な活動は厳しく制限されている。しかし、活動制限に比して持ち物については意外と融通が利く。
それは彼女たちの出自が孤児であることが大きく影響している。親類縁者のないリコリスたちの持ち物というと、大抵が親の残した唯一の物品や、孤児院などでの思い出の品。または数少ない精神安定の手段などと、冷酷な大人でも所持禁止を告げるのに覚悟がいるものばかりとなる。
そういった無くすと精神面で問題をきたす物について考慮し、武器や毒物以外ならリコリスの所有物についてとやかく言われることはない。東京支部に居るたきなは、黒猫のマグカップにコーヒーを淹れ自室で本を読みふけっている。
包帯が解けて、ようやく普段通りの動きができるようになった彼女は、次の任務までの自由時間で英気を養っている。
無表情なのは変わらずだが、かりんとうを口にしているたきなの雰囲気は日頃のものより柔らかい。柔らかな雰囲気の彼女は静謐とした穏やかさを見せており、パッと見では取っつきやすそうな女の子をしている。
ただし、読んでいる本の題名が“必ず仕留められる罠大全”などというおっかないものでなければ。
ルームメイトのエリカが何とも言えない顔で本の話題をふってきていたが、たきなとしては実用性もあるし黄理の勧めてきたものだけあって大変、参考になると熱心に読みふけっていた。
集中し過ぎていたのか、たきなはカップのコーヒーが冷めていることに間を置いて気づく。残ったそれを作業的に喉へ流し込み、たきなは食堂のコーヒーサーバーにおかわりを注ぎに向かう。
食堂に向かう途中、前までの自分と同じように足に包帯を巻き、おぼつかない歩き方をしたファーストのリコリスと鉢合わせた。
「う゛、たきな、か」
「?……フキさん、どうかしたんですか。その足?」
顔をあさっての方向に向け、フキはたきなの問いに対して“聞くな”という素振りを取る。
それを見て、たきなはようやく黄理が自分の強がりを見て笑っていたことに共感を覚えた。
「ああ、なるほど」
勝手に何か納得したようなたきなの顔を見て、フキは表情を強張らせる。ファーストリコリスとして積み重ねた直感ではなく、フキの個人的な過去の相似する事例から察知した予感。
具体的には、誕生日に千束が不意打ちで先生を連れてきたような、何かむず痒く歯軋りしたくなるような悪寒を感じ取った。
警戒する小柄なフキに対して、たきなはルームメイトですら滅多に見たことのない慈愛に満ちた微笑みを浮かべフキを賞賛する。すれ違いというか、ただの勘違いから発せられる無邪気な感想は、たきなは知るよしもないが失態と羞恥に震えていたフキに痛烈に刺さる
「フキさん、実は照れ屋なんですね?」
「・・・ちっげぇぇよ!!」
Tips
黄理の部屋からの脱出は勇敢さを持つフキ、臆病さを持つエリカ、冷静さを持つヒバナ、誰か一人でも欠けていたら死亡者が出ていた模様。黄理の部屋のトラップ群は彼の刃物収集に次ぐ趣味であり、特に寝床近くの罠は手が凝っている。そのため寝室へ向かっていたら問答無用でバッドエンドコーナー行き。
Tips
七夜黄理の好きな映画。
パラドクス、ゲヘナ、オールユーニードイズキル、テネット、キューブ、SAW。
アクションは自力でそれ以上のことができるため千束よりテンション低めに観賞している。ホラーは橙子の勧めで見ているので、別に黄理の趣味というわけではない。刃物と罠が出る映画、あと特定ジャンルの映画に妙な執着がある。
──
第一章から四章まで、本編前の長く稚拙な前日譚にお付き合い頂き、誠にありがとうございます。つきましては次回からいよいよ本編の開始となります。その記念として此処までお付き合い頂けた皆様の感想などお手数ではありますが頂ければ幸いです。
次回は、少し時間を頂きますが早急に投稿しますので、皆様よいお年を。
──