Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 推奨BGM 

 JUJUの楽曲より“STAYIN’ALIVE”


 急げや急げ、いや回れ。
 足取りは軽やかに、後悔へ追いつかれないうちに。




More haste, less speed【1】

 

 あの銃取引の現場でPKMを手に取ったとき、私の中に迷いはなかった。

 

 合理的な解決法だった。あの選択に間違いはないと信じている。けど、もしも間違いなのだとしたら、それは私の積み重ねた生き方が間違っていたことになるのだろうか。

 

 同胞であるリコリスを助けるためには、あれが最適解だった。

 任務の可否を決める上では、わたしの選択は失策だった。

 

 非合理性を告げる自我は正しかった(誤りだった)と思考し、合理を告げる自我は誤りだった(正しかった)と思い描く。

 

 

 京都のリコリスとして教育を受け、国家を守り治安を維持することの崇高さを学んだ。そのために自分にできることは否定だけだった。マーダーライセンス、この国で生きる悪党の存在と生命活動を否定することが許可された存在が私たち“リコリス”である。

 

犯罪者や秩序に対して危険性を持つ者、裏で悪党を相手に金を稼ぐ協力者。そういった者たちの生命を否定することが私たちに与えられた至上命題。

 

そこに疑問を挟む余地はなく、ゆえに迷いも葛藤も幼き日の私には存在しない。

 

けれど、ある事件で出会った少年との邂逅が私を狂わせた。

 

 

 京都駅で爆風に曝され、それでも平然と私がいた隣のホームへ着地をした彼。異様なほど大人びていて、冷たく研ぎ澄まされた夜の刃みたいな気配を纏う君影草(リリベル)の暗殺者。

 

 七夜黄理という存在は、それまでの六年ほどの私の生き方には存在しない人だった。あれほど卓越した暗殺技巧を私は知らない。未熟な私の心をあんなにも揺さぶった人なんて彼しかいなかった。共に生と死が入り交じる極限状況を走り抜けた相手は彼が初めてで。

 

 

同年代の少年と初めての過ごした波瀾万丈な一日。

 

 残されたものは赤い上着だけ。

 

それを寄る辺に、私は日々を精一杯に駆け抜けた。

 

 時は流れ、東京支部に居を移す。そこにはリコリスとしての喜びはなく、ただ待ち焦がれていた再会にのみ思いを馳せていた。

 

 

東京に着いて、初めての雪降る夜。

 

雪夜に佇んでいた黄理くんと出会った私という“リコリス”は決定的に何かが狂っていたのかもしれない。

 

 

 

 “井ノ上たきな(わたし)”の千切れていく音が聞こえた。

 

 びりびりと聞くも無惨に引き裂かれていく。

 

 リコリスとしての自分と、それ以外の何か、よく分からない───(出会い)で構築された自分が無惨な残響を鳴らし千切れていく。

 

 

 熱く“助けたい”と吠える声が心の奥底から聞こえた。

 それに“意味なんてない”と断じる声は、冷淡で酷薄としていた。

 

 どちらの声も正反対の熱量と答えのくせに、異様な聞き覚えがあった。

 

 ああ、そうだ。

 聞き覚えがあるのも当然のこと。

 なぜなら、この両方の声は────

 

 どちらも“自分自身の声”なんだから。

 

 

 

『エリカを殺す気か──』

 

 あの日、あの場所で怒りに燃えていた瞳のファーストリコリスの声が再声される。

 

 あのとき、わたしはなんといったのか……。

 どうしても、思い出せない。

 

 なんてひどい出来映えの夢だろう。

せめて夢なら、それらしい明るく楽しげなものを思い浮かべればいいものを。

 

 

 怒りを顕わとするフキさんの姿がモノクロに変わり、一切の動きが停止した。テレビの一時停止で固まったかのようなフキさんの隣には七歳くらいの小さな黒髪の少女(井ノ上たきな)がぽつんと立っている。

 

 幼げな少女は失望と呆れを色濃く映した瞳をしている。

 

 

『つまるところ、あなた(わたし)の選択はあっていたのですか?まちがっていたのですか?』

 

 

 その声に返答をする暇はなく悪夢は泡のごとく弾けて消えていった。

 

 

 枕元に置いていたスマホは、音無く震えて朝の目覚めを報せてくる。悪夢から強制的に目覚めさせられたことで、私は陰鬱な心持ちでベッドから身を起こす。

 

「ひどい夢……」

 

 

 

 

 夢の内容をうっすらと覚えていた私は、過去の決断の決め手となった少年の言葉を自分の声に替えて今一度、かつての選択の理由を思い返す。

 

「“やりたいことをやってみればいい”、ですか……」

 

 

 “それが出来れば、苦労しない”と胸中の靄を払うように私は伸びをして、キッチンへと向かう。

 

冷蔵庫には朝の摂取カロリーの早見表が貼られており、必要な分のブロック状携帯食を取り出し急須にお湯を淹れる。温かな湯気を上げている緑茶を湯飲みに入れ、長方形のブロックと共に手早く口に放り込む。

 

緑茶の温かく芳醇な香りを味わいながら、五つの栄養素で構成されたブロック状の塊を口にする。

 

 無味乾燥とした味わい。辛うじて蜂蜜の風味だけは感じるが、味がこうも薄いとかえって余分だと思ってしまう。朝食を片付け、机に置いている手鏡を使って身だしなみの確認。

 

 以前、クルミの護衛の後、千束さんに押しつけられるように渡された手鏡。

持ち手があるのは便利だが、鏡の縁や裏側に名前もわからない華の意匠をあしらう意味があるのか首を傾げるところではある。

 

 まぁ、在って困るものでもなし。たきなは鏡の中の自分の頬を見つめる。

 

 

 以前は痛々しく青アザをつけていた部分は、とっくに完治してそこには傷が在ったことさえ分からなくなっている。それだけを確認し、彼女はサッチェルバックを背負って、リコリコへ向かおうとする。

 

 

 玄関付近においてあるハンガーラックには、季節外れの黄色いマフラーが掛けられている。それを見て、たきなは無言のまま頷くとローファーを履き今日のシフト予定を頭の中で整理した。

 

 

 部屋の扉を開け、朝日の眩しさを少女は全身で感じ取る。すると、そこで朝の夢の断片が思考によぎって、ふと益体もないことを考えてしまう。

 

 

 あのとき、最善と思ったことは間違いだったのではないか?

 見捨てる選択が正解で、助けることこそ間違いだったのかもしれない。

 

 それを否定するのは、醜い自己弁護なのでは?

 いや、あるいは黄理と出会ったことで変わった自分を否定するのが怖くて──

 

 思考をそこで閉ざす。答えは出ない、思考を止めて今は日々の喧噪と日常の定型(ルーチン)を粛々とこなすだけ。たきなは颯爽と胸を張り、今日もリコリコでの勤労に勤しむべく歩き始めた。

 

 

 あの日の決断が過ちだったのか、正しかったのか。

 

 それを結論づける友という存在は、まだたきなの傍らにいない。

 

 

 

 

 

 

 たきなもリコリコで働き始めて、それなりの月日を過ごしてきた。裏の仕事もそこそこに、表の喫茶店での活動もそつなくこなしている。常にぼんやりと集中力と覇気に欠けた黄理よりも従業員の“適正有り”とは、ミズキの評だ。

 

 

生真面目な性質の彼女が常連の顔ぶれを暗記するのもごく自然な話。

 

建築デザイナーに漫画家や雑誌ライター、作家、警察官など多くの常連の座る位置、頼むメニュー、店内の滞在時間など、たきなは多くの事を記憶している。

 

リコリコで働き慣れてきたという自負を持つたきなは、顔を知ってはいるが初めて応対するお客様に出くわしていた。

 

 

日が落ち、夕暮れを過ぎて夜中という時間帯。店には常連しか残っていない時間に扉が開かれ、新たな客人がリコリコに訪れる。

 

「いらっしゃいませ──」

 

 声をかけた初めて出会う男性の顔にたきなは見覚えがあった。

 

その見覚えの理由である写真へたきなは視線を向ける。店内に飾られた写真の中に写っている人物の一人。幼い頃の黄理くんや千束さん、店長に加えて四人目の人物。

 

七歳の頃の黄理が珍しいあまり、頻繁に写真を見ていたからこそ瞬時に思考と対応に紐付けができたのだが、顔は知っていてもこの髭を蓄えた人物が何者なのかを、わたしは知るよしもない。

 

高価かつ肌触りの良い生地で仕立てられたであろうスーツの男性は空いているカウンターに座って、ほんの僅かにネクタイを緩めた。

 

「こちらメニューになります」

 

「おや……丁寧にすまない。見たところ、キミが(くだん)の新しい店員さんということかな?」

 

「はい、少し前からリコリコでお世話になっています、えっと…」

 

 そこで普段から毅然としているたきなの声が途切れる。この相手が果たしてどんな人なのか、千束さんや店長、黄理くんと関わっている以上は一般人ではないと思うのだが、どのような人物なのか、判断が付かない。

 

 そこで当惑するたきなに、店長であるミカが助け船を寄越した。

 

「たきな、こちらは虎杖さん。開店当時からウチを贔屓にしてくれている常連さんだ。それと、同じく常連の黄理の親戚でもある」

 

「黄理くんの?」

 

「ああ、以前から黄理にリコリコの従業員が増えたと聞き、折を見て顔を出そうとしていたのだが…。仕事が忙しく店に中々来れなくてね。リコリコのSNSを見て、キミのことは一方的だが面識がある。……今後ともよろしく」

 

「よろしくお願いします。……虎杖さん」

 

 私が会釈すると虎杖氏はコーヒーを注文して店長と何やら親しげに会話を始めている。他の常連さんも虎杖氏へ親しげに絡んでいる様子を見るに、常連というのは本当のことらしい。

 

 しかし黄理くんの親戚?

 

私たちリコリスやリリベルにそのような存在がいるはずもない。

 となると、あの人は……

 

「何か、関係があるのでしょうか。リリベ──」

「たっきなっ~!一緒に休憩しよー!」

 

 危うく彼岸花(リコリス)と対になる秘密組織の名前を呟きかけた同僚を速やかに捕獲、千束さんは奥の座敷へとわたしを引き連れていく。

 

 

 

奥の座敷に来ると千束さんはクルミがいるふすまにノックをして、解析中のハッカーを呼びつける。

 

 

「なんだ、閉店の時間には早いだろ~」

 

 そう言いつつもボードゲームを脇に抱えるクルミの姿に、順応が早すぎやしないかと私は暗殺されかかった金髪の少女を呆然と眺める。千束さんがクルミにも座るように言いつけ、私の隣に座り込んだ。

 

畳へと座った私たちを満足げに眺めた千束さんは着物の袖から出した伊達眼鏡を掛け小型のホワイトボートをちゃぶ台の上に乗せた。

 

 ごほん、と咳払いの真似をする千束さんを見て、私は“フロアはミズキさんだけで回るのだろうか”というリコリスらしからぬ思案に暮れるのだった。

 

 

 

 

 

 

「はい、ちゅーもーくっ」

 

「してますよ」「してるぞ」

 

 伊達眼鏡をした千束は嬉しそうにホワイトボートに手を乗せ、二人の聞き手に向かって胸を張る。着物ゆえに目立たないが、その持つ者特有の素振りを見てたきなとクルミはほんの僅か、思考に憂いを滲ませる。

 

「それで、いったいどうしたと言うんです。まだ休憩時間まで時間はありますよ?」

 

「そーだ、それに閉店時間だって、まだ先じゃないか。それならボクは解析を進めたいんだが」

 

「はいはい、ひとまず千束さんのありがたーいお話を聞きんしゃい。割りと大事な話だから、マジで」

 

「それなら、もっと粛然とした態度を取ってください。……大事な話というのは先ほどの虎杖さんの話ですか?」

 

「そうそう、さっきはたきながリリベルのことをうっかり話しかけたもんで驚いたよ」

 

「んぅ、リリベル?……確か、男系暗殺者組織と聞いているが。此処はリコリスの支部だろう?なにか、関わりがあるのかい?」

 

 そこでたきなはクルミを見てから、私の方をじっと見る。“聞かせていい話なのか?”という冷たく尖った視線。たきなの鋭い目線に真っ直ぐ目を合わせ、わたしは黙って頷いた。元々、リコリコで生活するなら関わらざるを得ない話だし、知りたがりのクルミなら知らせないと自分で情報を集めようとするだろう。

 

 人に拡散したり、気づかれるようなヘマをしない子だと知っているゆえに、たきなと一緒に虎杖さんについてのことを話しておこう。

 

「二人とも、リリベルが私たちリコリスの男の子版秘密組織ってことは知ってるよね?」

 

「まぁな、リコリスについて調べる際に付属的に出てきた情報だ」

 

「私も黄理くんからその存在は聞いています」

 

「む~、説明の甲斐がな~い」

 

「手間が無くなったと喜んでください」

 

 たきなの呆れた顔に対して口を尖らせる。

 

まぁ、実際に手間は減ったのだからいいけど。伊達眼鏡を外し、使う予定だったホワイトボードをちゃぶ台裏へ収納。

 

気を取り直し私は指を軽くスナップさせて、たきなを指さす。

 

「それじゃあ、たきなに質問です。ババンッ!虎杖さんはリリベルのどういう人でしょう!」

 

「あのなぁ、千束。それを今からボクたちへご高説するんじゃないのか?」

 

 もっともな意見だけど、それだと“面白くない”。ここはたきなが真面目に考え込む姿を堪能しなくては!

 

 うきうきとしている私を見てから、たきなはすっと立ち上がった。

 

「千束さんが答えてくれないのなら、直接ご本人に聞いてきます」

「ちょぁっ!?早まるなぁい!!わかった答えるよぅ、もー」

 

「なにが、もーですか。最初から素直に教えてください」

 

 素直に座った姿を見るに、たきなめ、ほんとは聞きに行く気なかったなっ。

 

ううむ、上手く担がれた気がしないでもないが仕方ない。

 

本題を味気なく言うとしよう。

 

「虎杖さんは、リコリコの開店当時からの常連さん。そんでもって、リリベルのお偉いさんなのでーす」

 

 やる気が欠片もなくなった声で口にする衝撃というほどでもない真相。たきなは形の良い眉をひそめ、彼女なりの結論を出す。

 

「偉い人?つまり店長のような、教官職の方だと言うことですか?」

 

「惜しい、そこから一歩進んだとこだよ」

 

「一歩って、それ以上の上って言えば…………まさか」

 

 答えを導き出したたきなは驚いた顔でフロアの方に振り向いた。そう、戦技教官という職以上に上の役職。たきなは頭の中でリコリコへの転属を言い渡した赤髪の女性司令の姿を連想する。

 

「リリベルの司令ということですか?」

 

「イグザクトリィ~☆リコリコ常連のおじさんとは世を忍ぶ表の顔。なんと驚くことに虎杖さんはリリベル東京支部を指揮する司令官なのですっ。まぁ、店にいるうちは気の良いおじさんって認識で大丈夫。でも、現場だと血も涙も、情けも纏めてどっかに置いてきたマシーンみたいな指揮するんだよなぁ……」

 

 

 クルミは虎杖という男性が要注意の危険人物であることへ頷いて理解を示し、そのまま写真解析のためにふすまの中へと戻っていく。一方、自分たちの司令である楠木と同格であると言われたことに動揺しているたきなは、裏手の座敷からそっと虎杖さんを観察していた。

 

「つまり、楠木司令と同じ司令職。でも、なんでそんな人と千束さん、いえ店長にしろ、黄理くんにせよ、どういう経緯で四人の写真を撮ることになったのですか?」

 

「えへへ、リコリコを開店して記念すべき最初のお客さんが虎杖さんだったんだぁ。お店に置いてある写真はそのときの記念写真。あ、最初が虎杖さんで、次の二番目が黄理ね」

 

「いや、あの。どうしてリリベルの司令がリコリスの支部に来たんですか。それに黄理くんとの関係も話してませんよね?」

 

「あ、たきなの気になったのはそこか。って言っても特別な秘密はないよ。電波塔事件のとき楠木さんと一緒に虎杖さんが司令部にいたりとか、黄理に目をかけていて、その相棒だった私にも目をかけてくれたりとか、大体はそんな感じ」

 

「十分すぎるほど、特別じゃないですか──」

 

 ちょっと軽く消化しきれない情報を与えられ、たきなは強めに目頭を揉んだ。あの七夜黄理に目をかけていたリリベルの司令で、他に電波塔事件では楠木司令と共に司令部にいた?

 

 最強と謳われるリコリスとリリベルの協力があった以上、司令官クラスの協力も当然と思うべきなのだろうが、たきなは改めて目の前にいるファーストのリコリスが電波塔事件で活躍をした最強のリコリスなのだと実感を強く持つ。

 

「リリベルの司令と個人的な伝手を持っている最強のリコリス……字面だけ聞くと恐ろしい人ですね」

 

「それ、大体は黄理も当てはまるかんね。まぁ黄理は楠木さんとは個人的な繋がりはないけど」

 

 

 たきなの驚愕に打ち震える顔を見て、過剰な評価に背中がむず痒くなる。別にわたしは特別、偉いってわけじゃなし、ただ強めの一般ファーストリコリスなんだけど。まぁ、無垢な尊敬の眼差しは受けて、気持ちいいので細かな訂正はしない千束さんなのであった。

 

 

 雰囲気だけでも偉そうにしようと腕を組んだ千束を見て、ハッとたきなが何かを思いつく。

 

「もしや、ミズキさんもDA上層部直継の娘とか」

 

「わたしにそんな特殊な裏事情はねぇっての」

 

 真面目そのものの顔でたきなが零した言葉に、座敷へやってきたミズキが速攻で否定を突きつける。

 

「いつまで、休憩をむさぼっていますかね、この不良娘どもは?」

 

「はっは~ん?いいのかなぁ、命の恩人のわたしにそんなこと言ってぇ?前にミズキが轢いた黄理を説得したのは誰だったかなぁ~?」

 

「ぐっ、あんた、まだそのネタを引っ張る気かっ。もういい加減賞味期限切れじゃい!」

 

「車で轢いたという件を指すなら、賞味期限という表現より時効というのでは?まぁ、交通事故における時効の消失期限は五年ですが……」

 

 たきなが五年と言ったところでミズキの顔色がひどく悪いものになる。でも、さすがに一人でフロアを任せっきりにしたことを悪いと思ったのか、たきなは立ち上がってフロアへと戻っていく。仕方ない、フロアにいるのがふてくされたミズキだけじゃリコリコの評判に関わる。

 

 十分すぎるほど休んだし、労働に勤しみますかっ!

 

 千束は改めて赤のリボンを結び直し、フロアの方へ揚々と戻っていった。

 

 

 

 

 それから閉店の時間になって、店内のお客はほとんどが店に入り浸っている常連と虎杖さんだけとなった。私が表の表札を“準備中”にひっくり返してくる。明かりはまだ点いているが、ひとまずはこれで閉店。

 

 つまり、ここからは従業員もお客も関係無し。無礼講のフリータイム!!

 

「っというわけで!閉店ボドゲ会スタ~トォ!」

 

閉店したあとのリコリコ店内を使って行われる“閉店ボドゲ会”。特に開催日などを正確に決めているわけではなく、やりたいという人が都合の付く人を集めたり、わたしの気分で突発的に開催したりと適当、いや自由の下にボドゲ会は開かれるのだ!

 

わたしの弾んだ開幕の声に、歓声をあげるノリの良い常連客たち。

 

その中に、声は出していないが握った両拳を高々と掲げて浮かれている虎杖さんの姿もあった。

 

 たきなはそれを絶句しながら、すごい表情で見つめている。DA司令職の人に抱いていた幻想が派手に壊れてしまったようだ。まぁしかたない。ウチの虎杖さんはこういう感じなのだとご理解してもらいたい。

 

 

 

「締め切り、明日までって言ってましたよねぇ」

 

 ボドゲ前の心理戦か、作家の米岡さんが漫画家の伊藤さんへ鋭い現実(締め切り)を突きつける。だが、彼女はそれを華麗に回避(現実逃避)。むしろ、余裕たっぷりに米岡へ笑いかけた。

 

「今日のわたしには関係ないしぃ。明日のわたしがなんとかしてくれるわ」

 

 二人の熾烈な心理戦へ、落ち着いた大人代表の後藤さんが静かに割り込みを入れる。

 

「よしましょう,仕事の話は」

 

「実は自分も勤務中で」

「刑事さん、ワルだねぇ」

 

 後藤さんの諫めに便乗して、刑事の阿部さんがサラッと流せないレベルの不祥事を語るが、同じく常連である山寺さんがそれを笑いへ持っていく。それからボブカットにそばかすの北村さんが参加者を再び見渡す。

 

「あれっ?黄理くんと橙子さんはいないの?虎杖さん、なんか聞いてます?」

 

「ああ、橙子は急に仕事が入ったとかで今回は諦めるそうだ。黄理もそれの巻き添えらしい」

 

 黄理の保護者というのが認知されている虎杖さんは質問に応えつつスーツ姿で、ボドゲ会に違和感なく混ざっている。虎杖さんの発言を聞いた米岡さんは渋い顔で合掌し二人に黙祷。

 

「うっわ、ご愁傷様。じゃあ我々は勤労に苦しむ二人に変わって存分に楽しむとしましょう!」

 

「うっし、順番決めるぞ~」

 

 米岡さんの音頭を聞いて、クルミがゲームを始めようとしている。虎杖さんの真横に座っているのが最初は不安そうだったが、どうやらボドゲで距離感が──良い意味で──壊れたようだ。

 

 あとはカウンターで食器を片付けているたきなも混ざれば完璧なんだけど……

 

「ね~え、たきなも一緒にやろうよぉ。レジ締めなら私も手伝うから~」

 

「もう終わっています、レジ誤差ゼロ。ズレ無しです」

 

「はっや、もう終わったの?」

 

「出来る女の完成系みたいね、たきなちゃん。そういえばミズキさんは?」

 

「なんかボクのところに来たかと思ったら、泣きながらどっか行ったぞ?」

 

 

 う~んツレない。たきなの対応が冷たいどころではなく、ツンドラ対応だ。

常連のみんながそれぞれたきなを呼ぶが。

 

「いえ結構です」

 

 つれなくたきなはばっさりと断りを入れた。

 

 

 たきなは無言で帰り支度をすべく更衣室へと向かう。ただ、更衣室に向かう途中で、店長であるミカが優しい顔つきでたきなを説得しようと声を掛けた。

 

「混ざってきたらどうだ?」

 

「──そうすることの必要性を見つけられません」

 

 だが、今のたきなに寄り添おうとする声が届くことはない。氷の合理性に罅はなく、その在り方は冷たく閉ざされたままだ。唯一、それをこじ開けられる少年が不在の今では、たきなのまともな反応さえ期待薄である。

 

「ねぇ~たきなぁ。一緒にゲームやろう~。ねっ」

 

「もう帰るのでご遠慮します」

 

 たきなを呼びに来た千束は、どうにか彼女の心変わりを期待するが暖簾に腕押し、糠に釘。合理性に凍り付いた鉄壁の意思に千束の呼びかけも為す術無く跳ね返される。

 

「それじゃあ、明日は~?」

 

「明日は定休日ですよ。…着替えるので」

 

 今の千束とたきなの精神面での距離を表すように更衣室の扉は閉じられた。閉めきられた戸の前で、千束はどうにかこうにかたきなの興味を惹こうと、もう少しだけゲーム大会についての話をしてみる。

 

「そ~、だから明日も集まってゲーム大会するんだけど──」

 

「“千束”」

 

 無理強いはよくないぞ、というように先生の声が私の悪あがきに分類される勧誘に歯止めを掛ける。ただ、先生の呼びかけには別の意図もあったようで。

 

 

「健康診断と体力測定は済ませているんだろうな?」

 

 ギクリ、目に見えて狼狽えている私を見て、先生は私が健康診断with体力測定に行ってないことを確信する。ここで下手な抗弁しても意味ないかぁ。

 

「あ。いや、まだ~。……あんな山奥くんだりに健康診断だけで行くのダルいしぃ」

 

「明日が最終日だぞ。ライセンスの更新に必要になるんだ。仕事を続けたいなら行ってこい。山岸先生からも催促の電話が来ている。いい加減、年貢の納め時というヤツだ」

 

「うぇ~~。そこは先生、上手く言っといてよぉ。先生の頼みなら聞いてくれるでしょ~山岸先生も、楠木さんもぉ」

 

 セカンドの制服に身を包んだたきなが更衣室のドアを勢いよく開く。

 

「楠木司令と会うんですか」

「うぉったぁ!?あ、もう着替えたの、はっやいなぁ……楠木さん?会えるかもだけど、たきなもなんか用事?」

 

「私も連れて行ってください。お願いします」

 

真摯に深々と下げられるたきなの頭を見て、私は困惑を隠しきれない。リコリスの本部へ戻ろうという意思を表面上は見せていなかったのだが、実は帰りたがっていたのだろうか?

 

「本部に戻りたいの?」

 

「いえ別に」

「いいんだ!?」「いいのかっ!?」

 

「──はい、私はただ…楠木司令に私の選択は間違いではなかったと訂正して頂きたいんです」

 

 熱く燃ゆる意思の点った菫色の瞳。冷たい態度と全く異なる温度の視線に貫かれて、千束はたきなの言葉に頷く他ないことを瞬時に理解した。

 

「あったまガッチガチの楠木さんが前言撤回するとか想像もつかない。はっきり言って、難しいと思うけど…それでも行きたい?」

 

「お願いします──」

 

 そのひたむきさに根負けし千束は、頭を下げっぱなしのたきなの肩へ手を置いた。

 

「…………わかったよ、たきな。一緒に行こう」

 

 

 

 

 

────

 

 

 クルミという少女は黄理、千束、たきなたちが求めていた答えを開示する際、“下らない話だぞ?”とある種の潔い前置きと共に、壮大な計画について内容を説明した。

 

滑稽な近代情報戦(ファニーシギント)という言葉を知っているか?現代諜報戦において、重要な役割を持ち、ボクたちハッカーの領分である電子諜報活動(シギント)。その中には敢えて敵や第三者に間違った情報を伝えることで攪乱、あるいは誘導を試みるという手法がある』

 

 たきなと千束はその言葉に対して直近での身に覚えがあった。

 

『例えば、銃取引を実施する時刻を本来より三時間ほど遅らせて、相手に伝えさせるとかですね?』

 

『うわっちゃぁ。聞き覚えがあるどころじゃないよ』

 

『それで俺はビルから落っこちるわ、千束のスクーターを壊す羽目になるわで酷い目にあったんだ。何が不幸の切欠になるか分かったもんじゃないな』

 

『お~い話を続けるぞ~』

 

 クルミは一斉に遠い目をした三人の視線を集め、本題へと移る。

 

『日本だって、そういった虚偽情報を伝えることで他国に牽制ないし混乱をさせる情報を幾つか所有している。その中の一つが“新人類創造計画”。データを閲覧したが、新人類創造計画は1989年、アメリカで行われた特殊機械化小隊(マシンナーズプラトゥーン)プロジェクトに端を発するものだという』

 

 クルミはちゃぶ台の上の団子を口にする。

 

『日本政府はアメリカの情報を元に自国でも、超人といわざるを得ない規格外の人間兵器の開発に取り組む事にした。コンセプトは次世代技術と人体の完全な融合。この計画は単純に強力な新兵器の開発だけでなく、まったく新しいレアメタルの創造。既存の技術体系から逸脱した人工臓器。様々な分野での技術発展が見込める、とされた計画だ』

 

『過去形なの?』

 

『そう上手く事は運ばなかったということだ。計画は“何故か”頓挫し、そこで生み出された技術はほとんどが破棄された……ことになっている』

 

 コーヒーで一息と口直しをしたクルミは皮肉そうな笑みを浮かべて三人の聴衆に胸を張る。

 

『破棄された痕跡はネット上になかった。ダークウェブにも痕跡無し。つまり、“新人類創造計画”は最初から最後までが嘘っぱちだったということさ。おおかた破棄されたというより最初から新しい技術情報なんて存在しなかったんだろ。自衛隊上層部が巨大なプロジェクトの費用を臨時ボーナスにでも変えたか。他国を騙すための欺瞞情報だったか。ボクとしてはどっちだろうと、どうでもいいことだがね』

 

『しかし、私たちは以前、“新人類創造計画”を所属と名乗る仮面の男と遭遇しています。その男は、確か斥力フィールドなんて空想科学じみた武装で我々を翻弄し、逃げおおせた。そのことを踏まえても、ただのデマとは思えません』

 

『おいおい、敵の言うことを真に受けるのか?大体、その仮面をつけたコスプレ男だって、何かしらトリックでも使ったんだろ。斥力フィールドとかいうSFめいた技術が日本の首都で振るわれているとしたら、ボクたちハッカーは今日から廃業だ』

 

『コスプレうんぬんが言えた義理じゃないでしょ、クルミは』

 

 団子を頬張っていたクルミは頬杖をついた千束の言葉を聞いて、なるほどと手を打った。

 

『美味いな』

 

『褒めてどうする』

 

『いや団子の方だ』

『団子かい』

 

 千束とクルミは互いを見たかと思うと同時に噴き出した。たきなはまだどうやら、クルミの説明に納得がいってないらしく、目を閉じ腕を組んで考え事に没頭している。最後に黄理は、先ほどのクルミの説明にあった些細な違和感について尋ねてみた。

 

『なぁ、クルミ。さっき新人類創造計画は、“何故か頓挫した”って言ってたよな。その“何故か”の部分ってなんだったんだ?』

 

『んぅ?いや、言葉通りだ。頓挫した具体的な理由については何の情報も出なかった。唐突に計画は中止命令が下されて、“ハイおしまい”だ。……費用をネコババしていた幹部たちの横領がバレたんじゃないか?良ければ関係者を一度、調べてみるが』

 

『……頼めるか』

 

『わかった、やっておこう。もっとも無駄骨になる気はするがね』

 

 

────

 

 

 

 伽藍の堂で黄理は以前、クルミたちと交わした会話を雇い主である橙子へ伝える。あまり、事態を好転させるような会話ではなかったが、手に入れた情報は共有せねばと橙子に報告を行う。

 

 しかし、新しい情報を聞いた橙子の琥珀色の眼差しは厳しいものだった。

 

「つまり有力な手がかりは依然、掴めないままか」

 

「そういうことになるんですかね?」

 

 DAから受けた連続圧死事件の犯人捕獲。その依頼自体はまだ生きている。黄理と橙子は他の仕事の合間を縫っては連続圧死魔の情報を捜索していたのだが、結果は芳しくない。

 

 新たに得られた情報を聞いて橙子はため息をこぼした。

 

 万年、金欠を地でいく伽藍の堂にとっては莫大な成功報酬のかけられた事件を逃す手はない。そんなわけで前から事件を細々と捜査しているのだが……。

 

 

「お前が犯人と遭遇してから圧死事件はぱたりと消えて音沙汰無し。手がかりとして残されているのは、“新人類創造計画”なんて与太話だけか。その仮面野郎が改心してくれたというなら、気が楽なんだがな」

 

「ありえないですね」

 

「ほう、その根拠は?」

 

 煙草に火を付けた橙子は、試すように黄理へと獰猛に笑いかける。

 

「あれは、人を殺すために組み上げられた人間だ。殺人を(つかさど)る機能が壊れでもしない限り、ヤツは殺しを止めない」

 

「知ったように言うものだ。同族嫌悪というヤツか。フフッ、お前のような(たぐ)いの連中は本当に馴れ合わないな」

 

 親しみと嫌味の込められた台詞に、黄理がしかめっ面をしていると橙子は急に外出の準備を始める。その琥珀色に揺れる瞳は煩わしいと言いたげに細められ、橙子は面倒そうな所作で髪をかき上げた。

 

「橙子さん?」

 

「──そのクルミって子だが、もっとディティールに凝るよう伝えておけ。せっかく死んだというのに日本語に訳しただけの名前と、死亡情報の同時期に現れた存在なんて疑ってくれと言っているようなものじゃないか」

 

 敢えてウォールナットについての詳細は口にしなかったというのに橙子は、黄理の話からクルミの正体を正確に読み解いたらしい。紫煙を纏った橙子は火の点いた煙草を乱雑に灰皿へ押しつける。

 

「やれやれ、行くしかないか」

 

「行くってどちらへ?」

 

 

 普段より重そうな足取りと億劫そうな表情で橙子は、黄理に散らかったオフィスの清掃を言いつけてから何処に行くかを憂鬱げに唱えた。

 

「古巣だよ、かつてのな」

 

 




TIPS

 今作のたきなに本部への帰属意識は薄く、七夜黄理の存在を無意識に自分の居場所と認識している節がある。ただ、少しずつ錦木千束という存在も、たきなの中で大きくなっており、そのことは意識できているらしい。

 落ち込んでいるのも本部から転属したことが原因ではなく、黄理と出会い変わった自分の選択を味方、上司に否定され続けたことで、自分の生き方までも否定された気になったことが大きな要因。
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