Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 次回も大分、遅れそうです。


More haste, less speed【2】

 

 

 日本に於いて首都圏とは“首都圏整備法”に制定された一都七県のことを指す。言わずもがな首都である東京都、そして茨城県、埼玉県、千葉県、群馬県、栃木県、神奈川県、そして最後に山梨県。

 

 

 DAの女系暗殺者組織、リコリスの東京支部は山梨県にその所在を置いている。

 

正確な位置は様々な機密と情報封鎖の元に明らかとなっていないが、富士山麓(ふじさんろく)の国有地として整備された一角に秘匿された施設。そこが東京の治安を影から守る学生服を着た暗殺者たちの住居なのだ。

 

 

 電車でリコリス東京本部へ向かっている千束は、あいにくの雨模様となった電車の外を眺めている。ただでさえ、東京支部へ行くのが陰鬱だというのに、そこに雨まで重なっては滅入ってしまうというもの。

 

 

 対面の席に座るたきなは難しい顔で何かをメモ帳に書き起こしている。

 

 私はそのメモの内容になんとなく見当を付け、たきなに聞いてみた。

 

「楠木さん対策?」

 

「はい、銃取引に際して私の判断の合理的根拠と正当性を書き上げています」

 

 たきなは一生懸命にメモを書き上げているが、あの鋼鉄の女司令がちょっとやそっとの正論、根拠で意見を曲げるとは考えにくい。けんもほろろに追い返されるのが、予見できた私は制服のポケットから飴を取り出す。

 

「飴ちゃん舐める?」

 

「いえ、昼食分のカロリーは摂取済みですので」

 

 一般的な女性が言えば、ダイエット中なのかと思うような言葉だが、たきなの場合はマジで必要分は摂ったから不要、なんて考え方なんだろう。

 

 でも、それはとっても味気ない。

 

「いやいや、たきな。甘味はね、カロリー摂るためだけのものじゃないの。他にも色々と心を癒してくれる役割があってさぁ~」

 

 包み紙を剥がし飴を舐めようとして、たきなの棘ある言葉が飛んでくる。

 

「そうですね、役割というわけではありませんが糖分の摂取を行えば、血糖値、中性脂肪、肝機能などの数値に影響を及ぼします。健康診断前は控えるべきです」

 

 包み紙を剥がそうとした指が、飴に対してのマイナス情報を突きつけられ動きを止める。

 

たきなを元気づけるため用意したのだが、こうも絶好調な口ぶりならかえって心配なんて必要ないんじゃないか?泣く泣く飴をしまって、あらためて目的地へ向け線路を走る電車の外を見た。

 

今日は朝から雨が降り通している。

 

うんざりするような雨雲の下、雲の晴れ間はまだ見えない。

 

 

 

 

 

 リコリスの東京支部に最寄り、というほどでもない距離の駅に着くと、無人駅に等しい駅のロータリーには黒のバンが停まっている。影のように暗い色合いの車の側には、目元を隠すようにして傘を差すDAの送迎役の女性が立っていた。

 

「お待ちしておりました。錦木様、井ノ上様」

 

 送迎役の女性は傘で顔を隠したまま車のドアを恭しく開けて乗車を促す。さっさと入ろうとして、今乗り込もうとしている車のすぐ後ろにもう一台の黒いバンが控えているのが目に入った。

 

「あれ?私たち以外にもリコリス寮に行く子がいるんですか?」

 

「……私はお二人の送迎を言いつかっております。ですが、それ以外の事柄に関しましては分かりかねます」

 

「さいですか──」

 

 慇懃な口ぶりではあるが、言外に答える気がないという態度で送迎役の女性は運転席へと乗り込んだ。車は外界から切り離された山間部へと進んでいき、やがて国有地としてフェンスで隔離された敷地へと到着する。

 

 

 フェンスで中と外を明確に区切っているだけではなく、周囲にはカメラや赤外線。他にも多くのセキュリティが張り巡らされている。敷地に入り込んだ瞬間に感じる冷え切った空気の重圧。

 

息苦しいのは雨の湿っぽさだけではなく、この空間そのものの所為だろう。

 

 此処はあらゆる外敵を拒絶する領域でありながら、同時に中に住まう人間を外へ出すまいとする檻でもある。外も中も、全てを信じようとしない空間は、リコリコの暖かさに慣れている私には酷く嫌な気分にさせられた。

 

「べ~、だ」

 

 千束は“また”配置を変えられていた監視カメラに向かって舌を出す。

 

たきなはそれを見て、“よほど健康診断がいやなのか”と先輩リコリスへの評価をまた一段落としてメモ帳をサッチェルバックへと仕舞い込んだ。

 

 

 

 

 持ち物の金属探知、虹彩や顔認証などの各種検査をパスして、私とたきなは受付まで進んでいく。かつて、住んでいたところだというのに、なんの感慨も浮かばないことで少し可笑しい気分にさせられる。

 

 

 小さい頃に、此処で私は黄理と出会ったんだ。

 

 それだけが今の私にとっての此処に残った唯一の感傷なのだろう。

 

 

 

 

 寄り道をしたくなる誘惑を抑えて受付まで向かい、常駐している対応スタッフの女性へ今日来た目的を伝える。

 

「錦木さんは体力測定ですので隣の医療棟へ。…井ノ上さんは?」

 

「楠木司令にお会いしたいのですが」

 

「司令は現在、会議中です。お戻りになるのは二時間後となります」

 

「では、二時間後にお願いします」

 

 たきなが受付の人と話をしていると、後ろを通り過ぎていくセカンドやサードのリコリスたちの心ない声が聞こえてくる。

 

「ねぇあの子って味方殺しの?」

「DAから追い出されたんでしょ」

「組んだ子みんな病院送りにするんだって、おっそろしぃ」

「命令無視して、任務を滅茶苦茶にして、なんで来たのかな?」

 

 

 微妙に内容が面白可笑しく変えられ、くだらない噂を真に受けた彼女たちは笑いながら過ぎ去っていった。わざとらしい囁き声、面と向かって言う気概のない連中に重たくなっていた気分が更に下がる。

 

「なんだぁ、あいつら……」

 

「任務の失敗は事実、ですから。命令無視も事実に即してはいます」

 

「味方殺しってのが違うっ。たきなは助けようとしたんでしょ。それじゃあ、あいつらの言ってる事はまるっきり見当違いだってば」

 

 たきなは何も感じてないような無表情を保とうとするが、痛みを耐えるみたいに唇を噛んで顔を伏せている。その気丈に心の痛みを堪えようとする姿は、見ているだけでもの悲しくなり胸を締め付けた。

 

 

 私もたきなもあまりの気まずさに二の句が継げなくなっていると、館内の入り口の方向からけたたましい非常ベルの音が響く。

 

 ジリリリリリっ!!

 

 

 通常では使われることのない警報音に私とたきなは瞬時に意識を切り替えて、ベルの鳴っている入り口の方へと駆けだした。他のリコリスを差し置き、入り口に最初に到着した私たちの目に入ってきたのは、リコリコでもよく見る美女の立ち姿。

 

 

 警報を鳴らした犯人は蒼崎橙子その人だった。

 

 ブラウン色の革製コートに、黄理が自分の給料よりも高いと嘆いていた純白のシャツ。すらりと腰から美しいシルエットを描く黒色のレディースパンツ。眼鏡をかけているためか、今の橙子さんは普段通りの優しそうな眼差しをしていた。

 

 

 橙子さんの口元には今も火の点いた煙草が咥えられている。

 

煙草から上がる白い煙は天井の警報装置辺りを撫でつけていた。

 

 

「あっ、千束ちゃん、たきなちゃん。こんなところで奇遇ね」

 

 堂々と煙草を吸っている姿を見て、こちらがむしろおかしな事を言うことになるのかもという気にもなるが、ひとまず正論を言わないことには始まらない。

 

「えっと橙子さん?此処、というか東京支部って全館禁煙で~す」

 

「あぁ大丈夫、そこらへんはちゃんと分かってるって」

 

「その、橙子さん。ご存じなら火を消した方がいいのでは?」

 

「というか、なんで橙子さんが東京支部に?」

 

「ちょっと調べ物があってね、久しぶりに顔を出したのよ」

 

 そう、私の弱々しいツッコミも、たきなの穏当な提案にも意を介さず、ぷかぷかと呑気に煙草は今も煙を上げていた。ぞろぞろと周囲に何事かと身構えたリコリスたちが集まってくる。それぞれが銃こそ持ってないにしろ、銃を収納したサッチェルバックを背負っている所を見るに準警戒態勢。

 

 

 これは“まずい”。本当にまずい。そう、以前に黄理から聞かされたことを思い出す。対人殺傷という点で蒼崎橙子という存在は、あの七夜黄理を優に凌駕しているという事実。

 

 

最強のリコリス、その称号は何も私だけのものではない。

 

“蒼崎橙子”こそ、“錦木千束”が最強を冠する以前に最強と謳われた彼岸花(リコリス)なのだ。

 

「ほーんと、喫煙者には肩身の狭い時代だこと」

 

 橙子さんはつまらなそうに胸元から携帯灰皿を取り出し煙草をもみ消す。そのまま橙子さんは、ばさりとわざとらしくコートを(ひるがえ)すと、足早に受付の方へ歩いて行った。

 

「じゃあ、また後で会えたら会いましょう二人とも~」

 

 ひらひらと手を振って離れていく橙子さんの背中。

 

 野次馬のように半円状に橙子さんを囲っているリコリスの人混み。あまりにも堂々たる歩き様に、誰ともしれずリコリスたちは無意識の戦慄と共に蒼崎橙子へ道を開けた。さながら、出エジプト記に書かれたモーセの“葦の海”を連想させる光景。

 

 そう、暗殺者として教育を受けたからこそ、無意識下の本能が理解したのだ。あの女性は自分たちに測れるような領域には存在しない。怪物と呼ぶに相応しい存在であると。

 

「────相変わらずセンスも面白みもない場所ね。此処」

 

 

 かつかつと、支配者然とした足取りで進んでいた橙子が突如として立ち止まる。

 

眼鏡ごしにつまらない場所だと不愉快そうに視線を尖らせた橙子に対し、周囲のリコリスたちは同時に顔を伏せて沈黙に耐えた。ほんの僅かに橙子の表情と態度に表れた険しい感情に少女たちが沸き立つような危険を嗅ぎ取る。

 

周辺から音が限りなく薄れ、吐息さえ聞こえぬ静寂が落ちた。

 

 

 千束は傍らのたきなが、周囲のリコリスと同様に橙子の心理誘導に呑まれたことに数秒遅れて気がつく。この場にいた誰よりも我に返るのが早かった千束は、そっとたきなの頬に手を当てる。

 

「っあ、ち、さとさん?……」

 

「うん、たきな大丈夫?」

 

「……はい、でも先ほどのは一体?」

 

「さぁてねぇ。聞いてみても、いっつもトリックだとかメンタリズムとかはぐらかされるんだ。まぁ、黄理の上司っていうのも納得の曲者だよ。橙子さん、私より前に最強のリコリスって呼ばれてたくらいだし」

 

「……それ、初耳なんですが?」

 

「まぁ、リコリコじゃ使い道のない情報だったしぃ」

 

 千束の含み笑いを見て、半眼のたきなは千束を以下のように評する。

 

「貴女も十分に曲者ですよ……周りの人たちは?」

 

「橙子さんに脅かされたんで意識がボンヤリしてるんでしょ。此処で我に返られても、面倒なことになりそうだし、ほっといていいんじゃない?」

 

 たきなは千束の言葉を聞き、目をぱちくりと大きく見開いた。

 

「まさか千束さんがそんなことを言うなんて思いもしませんでした」

 

「なになに、たきなってば千束さんが聖人のように清らかな博愛主義者だって思ってたの~?」

 

「聖人とも、清らかとも言っていませんが……意外と感じたのは事実です」

 

「そりゃ買いかぶりだって。あっでも、たきなのことは愛してるぜぇ?」

 

 バキューンと指でスナップを鳴らし、たきなにウィンクをしてみる。返ってきたのは、何処か不機嫌そうな目つきのしかめっ面だけ。う~む残念。

 

「……よく分からない人ですね。楠木司令との面会まで訓練場に行ってます」

 

「は~い。こっちも健康診断とか面倒なの終わったら合流するからっ」

 

 

 迷いない足取りで歩いて行くたきなを見送って、私も面倒な体力測定、難敵である健康診断(注射)を片付けようと隣の医療棟へ出発しようとして立ち止まった。

 

 

 訓練場へと向かうたきなの後ろ姿を切なそうに、名残惜しそうに見て胸をかき抱いているセカンドのリコリスの存在に気づいた。それは置いてかれた幼子みたいな悲しそうな表情で、お節介と分かっていても放っておけなかった。

 

「ねぇ、キミはたきなの友達?」

 

「っえ!?……いえ、いいえ。きっと、わたしにそう名乗る資格なんて……ないんです」

 

 それだけ言うとそばかすの少女は逃げ出すように駆けだしていってしまった。

 

「……友達になるのに資格がどうのって考えすぎだと思うんだけどなぁ」

 

 

 往々にして、友達というのは気づいたときに既に結ばれた縁の事なのだ。たきなも大概、真面目が極まってるけど、あの子も相当の真面目っぷり。千束は逃げ出した子とたきなの縁が再び、重なることを心中で祈ってから医療棟へと歩みを進めていった。

 

 

 

 

 

 健康診断で一番の強敵である採血(注射)を越え、千束は健康診断を無事に済ませる。それから体力測定のため運動用ユニフォームに着替えようと、更衣室に入るとそこには意外な先客がいた。

 

「あれ?めずらしい顔みーっけ」

 

「千束か……ったくだから、こんなギリギリになって体力測定するのは嫌だったんだ」

 

 髪を短く、肩口よりも更に短く切りそろえた髪型。鋭くも勇ましいと形容できる三白眼。ファーストの赤い制服を着ていなくとも、かつて同室で暮らしていた相手を忘れるなんて有り得ない。

 

 

 千束は子供の頃のルームメイトである少女、春川フキと偶然の遭遇を果たす。

 

いや、偶然というよりも奇遇と言う方が適当なのか。何故なら、リコリコに転属となった井ノ上たきなのルームメイトだった相手もまた、眼前でメンチ切っている春川フキが該当するのだから。

 

「しっかり者のフキさんがライセンス更新を最終日までサボるとか、どしたの?反抗期?」

 

「そりゃ、テメェのことだろ。この万年反抗期が……忙しかったんだよ、そっちのズボラと一緒にすんな。ったく、なんだってこうお前とかち合うかね」

 

 頭を振って、うんざりとした表情を取るフキ。千束は微笑みながら、てきぱきとユニフォームへ着替えていく。先ほどまでの陰鬱な様子は今の千束からは見受けられない。それはフキの竹を割ったような解りのいい性格に対する無意識の信頼によるものだった。

 

 

「フ~キ~、世の中には類は友を呼ぶという言葉があってだね?」

 

「あいにく、アタシとお前に類似するものはねぇ」

 

「なら、何が呼び合ったと思うのさ?」

 

「腐れ縁だろうよ」

 

「可愛くない言いぐさだなぁ、せんせが聞いたら泣いちゃうぞ~」

 

 私が先生の話をすると、さっきまで冷静さを装っていたフキが眼に見える形で動揺する。

 

「ブフッ!?なんだって、そこで先生を例に挙げるンだ!」

 

「あ、声裏返った。フキさんったら純情なんだからぁ~」

 

「うるっせぇ!……先生はお元気か?」

 

「元気だよ~。たまには遊びにおいでって。いつでも歓迎するからさ」

 

 フキが店に来られることを前提にした千束の脳天気な声にフキは苛立った声をあげそうになる。

 

「だからっ」

 

「はいはい、任務外の勝手な外出はできない、ってんでしょ?」

 

 フキは何処か、柔らかい千束の声にあった同情の色から眼を背ける。

 

「不満はねぇよ」

 

「会いたい人に会えないのに~?」

 

「だぁ~、うっせぇっ。この話は終わりだ!」

 

 フキは乱暴にロッカーを閉めると体力測定に行く前に立ち止まった。

 

「……たきなとは上手くやれてんのかよ?」

 

 そう、井ノ上たきなという存在は果たしてリコリコで上手くやれているのか。その一点が無性に気になっていたフキは、どうでもよさそうな態度をしつつ千束に声をかけた。

 

「もちろん、わたしは殴ったりしませんからねぇ~」

 

「私が聞きたいのはそこじゃ、もういい……」

 

 

 それはフキがルームメイトとして感じていた僅かな違和感。

 

誰よりもリコリスとしての責務を遵守していたはずの井ノ上たきなの命令無視。これにもっとも驚いていたのは誰であろうフキ本人であった。

 

 あそこで命令無視をするとしたら、エリカと親交厚いヒバナの方が想像し易い。冷静沈着であり指揮や命令に忠実である井ノ上たきなが、なぜあの場面では命令を無視してまで仲間の救助するなんて“意味のない”ことをしたのか。

 

 フキはその点だけが分からないまま、たきなと別れていたのである。

 

 

 

 隣り合ったランニングマシンで千束たちは余裕そうに走りながら、規定走行時間まで時間つぶしの会話に勤しむ。

 

「なんだって連れてきた?あいつ、戻る気はねぇんだろ?」

 

 フキは千束に適当に思いついた疑問を問いかけた。

 

「あ~、なんか任務の時の判断で楠木さんに言いたいことがあったっぽい」

 

 千束の言葉にフキはしかめっ面をより深めた表情になる。あの鋼鉄の女司令に意見の撤回を求めるなど愚の骨頂。誰よりも楠木司令の指揮の的確さと、その意思の強固さを知っているフキは、たきなが無謀なことをしようとしているのを理解する。

 

「なんというか、お前もたきなもどっかズレてんだよ。特にたきなだ。普通、移転組にとって本店は特別なはずだ。それなのに、あいつは最初から東京支部への執着がなかった。誰よりもリコリスとしての責務をひたむきに(まっと)うしていたのにな」

 

「おっ意外な高評価?」

 

「別に事実は事実だ。そこを変にこね回そうとはしねぇよ。……私たち孤児はDAに救われて育てられた。親に対しての感謝はねぇのか?」

 

 不機嫌な態度をして走るフキへ、千束はなるべく刺激しないよう一般論を持ち出す。

 

「いやぁちゃんとありますよぅ。でも、親離れ、みたいな?」

 

「先生を連れていって、親離れもねぇわ」

 

 役に立たない一般論はフキの正論の前にあっけなく打ち砕かれてしまった。そして、そこでランニングマシンの規定走行時間が終了。二人は次の試験項目を実施するため別室へと移動する。

 

 

次の反射神経テストは千束にとって独壇場とも言える試験内容。そこで張り合うのは馬鹿らしいと思いながらもフキは常の冷静さをかなぐり捨てて、全力で反射神経を研ぎ澄ませる。

 

結果は去年のスコアを一回りほど更新した結果を出した。そして、次の千束の番に移る。発光する赤のランプ、同色の瞳を輝かせた千束は次々と光ったランプに間髪入れず対応。凄まじい速度で反射神経テストのスコアを加算していく。

 

常人では真似さえ不可能な絶技を駆使しながらも千束は会話する余裕さえ見せていた。

 

 

「ねぇねぇフキも協力してよ。楠木さんの説得」

 

「いや無理だろ。それにたきなの処遇は上層部の決めることだ」

 

「そんなこと言わないでさぁ~」

 

 最後のランプの発光を見るや千束はつまらなそうに背を向けた。

 

身体を反転させるついででランプに触れ、千束の反射神経テストが終了。

 

 叩き出されたスコアは優秀なリコリスが揃った東京支部でも誰も手が届かないほどの高い数値を出し、千束はテストを何の感慨もなく終わらせた。

 

 

 各種検査終了が終了、疲労困憊したフキとその横で平静に疲れ切ったフキの体調を気遣っている千束では、どちらが良い結果を出したかが一目瞭然となっている。息も絶え絶えなフキは、隣で普段通りに呑気な千束に向かって毒づいた。

 

「あいっかわらず、タフだな」

 

「そりゃ、どうも」

 

「…さっき、入り口の方でなんかアラートが鳴ってたが、もしかしてあれはお前の仕業か?」

 

「悪いことしたら全部、私が何かしたって考えは改めなさい。入り口のは橙子さんが煙草吸ってたからだよ。それが警報装置に引っかかったの」

 

「…トーコ、橙子?ああ、七夜の預かりしてる元リコリスだっけか」

 

 フキは此処数年で、何度か暗殺しに行っている七夜黄理に連想して蒼崎橙子という名前を思い出した。

 

「橙子って人、元は東京支部のリコリスだろ?なんで禁煙のこと知らねぇんだ」

 

「いや知ってたみたい。ありゃ確信犯だよ」

 

 呆れたフキに同調して、千束も乾いた笑い声しか出せなくなっている。

 

 

二人が並んで、休憩しているところ弛緩した空気を一瞬で張り詰めさせる佇まいの女性が秘書を連れて現れた。

 

「久しぶりだな、千束」

 

 歓迎とも再会を言祝(ことほ)いでいるとも取れる内容のセリフは、その口調の冷たさで全て台無しになってしまっていた。凪いだ湖面のように靜かな目線は、その気があってもなくても千束とフキの両者を推し量っているように見えてしまう。

 

その視線に心身ともに緊張したフキはたまらず起立し直立不動の姿勢を取る。隣にいた千束は敢えて緩い態度で座ったまま楠木司令に対峙した。

 

「どうもー」

 

「リコリスとしての義務は果たさないくせにライセンスの特権は欲しいんだな?」

 

 二言目で早くも嫌味が飛び出てきて、千束は嫌そうな顔をする。文句、いや理性的な言葉を使って反論とするが千束も楠木司令に向かって軽口を叩く。

 

「DAの仕事だって偶にはやってるじゃないですか~」

 

 座ったままの千束へフキが我慢できず、二人の会話に割って入った。

 

「千束、司令の前だぞっ」

 

 

 慌てたフキに視線さえ向けず、千束は熱くなりそうな語気を抑え楠木へ問いかけた。

 

「────たきな、なんで追い出したんですか?」

 

「命令違反だ、配属当初に連絡は行っていたと思うが?」

 

「たきなは仲間を救った!」

 

「その結果、千丁もの銃の行方は不明のままだ。商人どもは殺してはいけなかった」

 

 楠木司令の言葉に皮肉な矛盾を感じた千束は失笑をしてから立ち上がる。

 

 

 私には“殺し”を望むくせに、あの時点でのたきなには非殺傷を求めた。ケースバイケースというのは知っているし、状況に応じて殺すか、捕獲するかは任務ごとに違うものだ。でも、その大人の理屈が今の私にはどうしても呑み込みきれなかった。

 

「私とは正反対なこと、たきなたちには求めるんですね」

 

「お前の事例とたきなの失態に関連性はない。時と場合というものだ」

 

「わ~便利な言いぐさ」

 

 千束はスマホを取り出し、リコリコの任務で手に入れることのできた取引の写真を楠木司令に突きつける。

 

「取引時間を間違えてた司令部の所為ですぅ~。楠木さんだって責任あるんじゃないですかねぇ?」

 

「おい千束……」

 

 挑みかかるような鮮やかな赤い眼差し。楠木はその眼力を真っ向から見つめ返した上で煽るような口ぶりを取った。

 

「他人の処遇を気にする前に、もっと働いて欲しいもんだがな。遊びでお前にライセンスを出しているわけじゃないんだぞ」

 

「あ~誤魔化したぁ!」「おい、やめろっ」

 

 楠木司令を指さす腕を下ろさせようとフキが手を伸ばす。そんなフキの手を振り払った千束は、フキにも咎めるような赤光の眼を向けた。清廉とした真っ直ぐすぎる赤い眼光。それに後ろめたい点のあるフキは反論や嫌味を言いよどんでしまった。

 

「大体、フキが現場リーダーなのに、どうして対応しなかった!フキなら人質がいる状況でもやりようがあったでしょ!」

 

 千束は項垂れたフキにも追及の声を向ける。そう、フキとてリコリスで最高位のファーストリコリス。人質を取られた状況でも早期に動くことが出来ていたのなら、現場判断で事態の収拾はついていたはずなのだ。

 

 たきなが異動となった理由は待機の命令無視が原因である。それは本人も認めていたし、機銃掃射も彼女の独断ではある。

 

だが、あの状況での“待機命令”という事実に千束は不信感を抱いていた。

 

“春川フキ”は、味方を人質にされた状況に対応できないほど弱いのか?

 

 絶対に違う。

 

 楠木司令にしたって、あの状況で黙って手をこまねいているだけの無能か?

 

 断じて違う。

 

 

 千束はフキと楠木両名の実力、能力を知り尽くしている。その信用から来る感情が二人を容赦なく責め立てる言葉になってしまった。現場の状況を知らない人間にこうも好き放題言われては、フキも黙っていられない。

 

「っ、仕方ないだろっ。通信障害で司令部と連絡が──」

 

「“フキ”」

 

 千束の信用と怒りの感情に当てられ、フキは不要な失言を零してしまった。その口をすぐさま閉ざした楠木の冷血な一声と視線。

 

「通信障害ぃ~?ラジアータでモニターされてる作戦中に通信障害なんて普通じゃないでしょ!」

 

「ただの技術的トラブルだ」

 

 

 ラジアータ。日本全ての電子通信、インフラに対して最優先権を持ち、情報収集と情報の隠蔽を行う人工知能。DAにおいてリコリスたちの作戦をサポートするAIが一時的とはいえ、その機能を損なう異常事態。

 

 背中に嫌な汗を感じた千束は、楠木司令に食ってかかる。

 

「いやいや、ちょっと楠木さんっ。ラジアータをクラックされるなんてやばすぎでしょ」

 

「あいにくと私は忙しい。面倒な来客が来ているものでな──」

 

 話は終わったとばかりに立ち去る楠木。そんな彼女を千束は追い掛けようとするが。

 

「止めろ、千束っ。命令も聞かず独断専行するリコリスなんて使い物にならねぇ。それだけの話だ」

 

 

 薄情なフキの言い方に千束は振り向いて、そこで言葉を呑み込む。目の前には悔しそうに歯を食いしばっている元相棒(フキ)の姿があった。千束は自分の鋭敏な観察眼を恨んだ。そう、誰よりも悔しいのはあの場の指揮を執っていた春川フキなのだ。

 

 あの状況で行動を許可されていたら、無事に任務を遂行出来ていたはず。フキはそんな“IF”(もしも)の想像に胸を焼かれている。ここで千束はようやく気づいた。銃取引の現場において、たきなの判断は確かに正しかった。けれど、フキも楠木さんだって“正しい判断”を選んでいた。

 

 

 責めるべき人はいなかった。

 

相対的な判断の上で辛うじて失態と呼べるものは、たきなの決断しかなかった。

 

 行き場のない怒りが内臓を焦がす。

 

フキへの言葉を飲み下した後に出た声は誰に対するものでも、意味のあるものでもない。ただ、やり場のない怒りだけがこめられていた。

 

「っ~~~クッソ!!」

 

 

 天井に向かって吠え立てる千束に背を向け、フキはやりきれないと表情を曇らせる。

 

「もう後任が来てる。今更何を言っても決まったことは覆えらねぇんだよ」

 

 





TIPS

 リコリス・リコイルOrdinary daysで、たきなは“ファーストリコリスの戦闘力は総じて化け物”と口にしていた。実際、春川フキの実力についての記述で“超低姿勢での尋常ならざる高速移動”を得意とし、セカンドを訓練とはいえ複数名まとめて撃退している。

 以上のことから、一話での銃取引の場面でGOサインさえ出ていれば、フキ単独あるいは増援で来ていた千束と一緒に人質救助と敵の捕縛は十分に可能だったと思われる。
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