Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 推奨導入歌。
 バディダディズ、Ayaseの楽曲より”Shock!”。
 yama の楽曲より“麻痺”。

 今回の妄想アイキャッチ、パンダのぬいぐるみを抱いた黄色パーカーのクルミと、リスのぬいぐるみを掴んでいる黒いパーカーの黄理。



More haste, less speed【3】

 

 たきなは楠木司令との面会までの時間を訓練所で潰していた。その時間は自己を鍛錬するというよりは無為に浪費される時間に少しでも意味を持たせようとする彼女の合理性も影響していたのかもしれない。

 

 

 黒髪の少女は扱い慣れているS&W、M&P9にマガジンを挿し込む。照準を合わせ、安全装置を落とす。引き金を引き、銃は担い手の意思のまま弾丸を放った。回転しながら排出される真鍮色の空薬莢。

 

 撃って、撃って、撃って、撃ち続ける。

 

 機械的に、事務的に、無機質に、無感動に、空っぽに。

 

 鬱屈とした気分を晴らそうと引き金を無心に引き続ける。

 

 酷く澄んだ心境で放たれた弾丸は連続してダミーターゲットの頭部を正確に射貫いた。執拗に、ただそれ以外の部位を見ないままに頭部だけを狙い撃つ。やがて、マガジン内の弾丸を撃ち尽くしたことでスライドが開ききる。予備弾倉のマガジンを装填しようとして、背後から嘲るような、見下すようなニュアンスの言葉が耳に入った。

 

 

「へぇ?ヤバいっすねー」

 

 振り向くと、そこには茶髪をツーブロックの刈り上げ風にした見慣れないリコリスの姿があった。紺色の制服を着ていることから、相手が自分と同じセカンドのリコリスというのが分かる。そして、彼女の薄っぺらい賞賛の裏には粘つくような侮辱の意図がはっきりと貼り付いていた。

 

「ども~ッス──乙女サクラっす」

 

 乙女サクラと名乗ったリコリスが手を差し出してくる。握手でも求めているのか?あっけに取られ差し出してきた手をジッと見ていると、早く握り返すようにという素振りを取ってくる。出された手を軽く握ると、不必要なほどの握力で握り返された。

 

相手の握る力が強く、眼を僅かにしかめてしまう。なんのつもりかと視線を真っ直ぐに相手の眼に合わせると、乙女サクラと名乗ったリコリスは嗜虐心に類似するような意気込みで井ノ上たきなの“過ち(瑕疵)”について批難するように誹りの言葉を投げかけた。

 

「命令無視した挙げ句、仲間に銃ぶっ放したってほんとーッスか?」

 

 頭に熱が入り込み握られた手を無理矢理に振りほどくと、サクラというセカンドリコリスは、わざとらしく頷いて私を馬鹿にしたように嗤った。

 

「うっわマジなんすね~」

 

「訂正してください。わたしはっ」

 

「やっぱ、敵より味方を撃つ方が燃える~、みたいな?ハハッ、すっげー。マジでブッ飛んでますねっ。敵だけじゃ満足できなかったんスか?」

 

「やめてください、不愉快です」

 

「おっとぉ、おっかなーい。撃たないでくださいよ~」

 

 彼女の軽薄な笑顔は見ただけで、腹の底から掻き毟りたくなるような感覚が這い上がってくる。両手をあげ、降参の姿勢を取るがむしろ相手はまだまだこちらとやり合う気なのは明白だった。

 

「あっ殺しの時しか笑わないんだって?」

 

「…誰がそんなでたら──」

 

「いやぁあーしは好きッスよ?安っぽい脚本の映画に出てくるありきたりな殺人鬼みたいでカッコいいッス!ハハッッハハハハ」

 

 終始、煽るような悪意に濡れた会話の後、乙女サクラはたきなの返答を聞く素振りも見せないまま髪をかきあげ腹を抱えて笑い出した。さも、たきなが滑稽だと、愚かしいと彼女の選択を否定するような態度。

 

「まぁ安心してくださいよ──センパイの抜けた穴は後任の“私”がしっかり埋めますから」

 

 後任?あぁ一人減ったのだから、一人また補充されるのも道理だ。つまり、彼女は他の支部からの補充要員となるらしい。しかし、それだと不思議だ。東京支部に来たばかりでフキさん、エリカさんとも親交がないはずなのに、どうして私にこのような敵対的な発言を繰り返すのだろう?

 

 いや相手の都合など考えても仕方ない。それよりも今すべきなのは、これまでの重ねられた侮辱を纏めて否定することだ。

 

「これからはあたしがフキせん──」

 

「そんなこと“どうでもいいです”──それより先ほどまでの言葉、訂正しなさい」

 

 強く鋭い感情がたきなの眼に灯る。別に自分の後任がどうとか、フキさんが誰と組もうと“どうでもいい”。それよりも、この乙女サクラというリコリスの発言が気にくわない。睨み付ける視線はもはや殺気にも似た色合いに染まり、サクラへ発言の撤回を強制する。

 

「あぁ?どうでもいい──だぁ?」

 

 しかし、同時にたきなの眼前にいたサクラの眼にも色濃い殺意が(にじ)み出た。まるで、自分の存在価値、あるいは大事にしていた拠り所を踏みにじられたような怒りに満ちた対応。

 

 乙女サクラは意識的に、たきなは無意識に、お互いの胸の裡において最も大切にする不可侵の領域を踏みにじった。

 

「ふざけろよ、なんスかそれっ。もしかして、自分がいつでも此処に戻ってこられるなんて夢でも──」

 

「?いえ別に戻るつもりは最初からありませんが?」

 

「………………ハぁ?」

 

「わたし、いつ戻りたいなんて言いましたか?勝手な思い込みは結構ですが、人に迷惑のかからない範囲にしてください」

 

「……んだよ、ソレ」

 

「貴方が何に頓着しているかなんて、どうでもいいことですが先ほどの発言、訂正しなさい!」

 

 突き刺さるようなたきなの喝破。それを聞いたサクラの顔が憤怒に歪む。鋭利な刃のごとき怒りの視線と、煮えたぎった溶岩のごとき憤怒の眼差しが交錯する。先んだって、怒りを抑えきれなかったのはこの会話をふっかけてきたサクラの方だった。

 

 拳を軋ませるように強く握り、石のように固まった拳をたきなへ叩き込もうと振りかぶる。そこにサクラの拳を捻るようにして止めようとする手が背後より乱入。振りかぶった手を捻られたことでサクラは痛みに呻き背後を見る。

 

 視線の先には……。

 

 黄色がかった白髪のボブカット、片側だけに結ばれた赤のリボン、爛々と輝く赤い眼光。そして、リコリスの中でも特に秀でた実力の証明でもある赤い制服。サクラの振り返った先には彼女がまだ東京支部で見たことのないファーストリコリスの姿があった。

 

 

「ちょいちょい、人んちの相棒に何やらかそうとしてんの?」

 

「あぁ!?離せよっ、あんた誰ッスか!」

 

 噛みつくように吠えるサクラの視界にまた新たな闖入者が現れる。

 

「──そいつが千束だ。というか、なに熱くなってんだ、サクラ」

 

「フキ、せんぱい。それに司令まで……ッチ」

 

 サクラは現場の上官であるフキと絶対的な上位者である楠木司令の登場に昇っていた血の巡りが引いていく。千束の掴んだ手を振りほどいてサクラは、たきなたちに向き直る。落ち着きはしたが自分に向かって敵愾心をたぎらせるサクラに、苛立ちつつもたきなが疑問を提示した。

 

「なんで怒ったんでしょう?此処で怒るのは私の方だと思うんですけど」

 

「あ~ストップたきな、また止めなきゃあかんくなる」

 

 此処までの会話の全貌は明らかではない。だが、たきなが自分から喧嘩をふっかけるほどアクティブな人物ではないのは千束やフキ、楠木司令の三者が知るところではある。従って、この場合はサクラが喧嘩を売って、それにたきなが天然発言で引火している油を注いだのだろう。

 

 びきびきと額に青筋を立て拳を握っているサクラを千束は少し気の毒そうに見つめた。そして、同時にたきなにも呆れたような目つきを向ける。天然すぎるというのも考え物だと千束は内心で頭を抱えた。この毒になり得る天然具合は、どうも黄理に影響されている様な気がしてならない。

 

 たきなの横に立つ千束を見て、不機嫌そうではあるが感心したようにサクラが呟いた。

 

「へぇ、これが電波塔の?」

 

「“こぉれぇ”って言うな」

 

「いや見たまんまのアホだ」

 

 千束は自分をアホ扱いしてきたフキを睨むが、フキは素知らぬ様子で腰に手を当てている。そんな中、たきなは千束やサクラ、かつての相棒であるフキにも目をくれずに楠木の元へ歩いていき直談判を試みた。

 

「司令っ。先日の銃取引について私は尋問対象の捕獲には失敗しましたが、新たな情報となる写真を入手し提出しました。三時間前に取引が終了していた以上、私のあの時の判断は誤りではなかったはずです!」

 

「……なにか、勘違いしているようだが、お前の最大の誤りは尋問対象の殺害などではない」

 

 意気込んで口火を切ったたきなに対して終始、楠木司令の面持ちは平静のままだった。

 

「えっ」

 

「リコリスはあくまで戦術単位で稼働する組織だ。その中で命令、指揮系統から外れ独自に判断を下す者など在ってはならない。それが如何に優れた判断であろうともだ。階級による差異こそあれ、全てのリコリスは同質。たきな、お前の過ちはそこから逸脱したということのみに尽きる」

 

 突き放すような言葉にたきなは黙して項垂れた。

 

「…………」

 

「そもそもだ、お前は此処に何を求めて来た?自分の待遇に関する言及か、自己の判断の正当性の証明か、それともただ文句を言いに来ただけか?なんでも構わんが、自己の求めるモノが何かくらいは明確にしろ。それすら出来ていないお前の判断と言葉にはなんの価値もない」

 

 断罪を下すように告げられた言葉にたきなは顔色を蒼白にしてよろめいた。たまりかねて、千束が楠木に詰め寄ろうとする。

 

「楠木さんっ!」

 

「諦めろって言われてんの、まだ分からないッスか?」

 

「オイッ!」

 

「おーコッワ。さすが電波塔のヒーローさまっ。噂通り迫力ありますねー」

 

「はぁサクラ。訓練の時間だ、行くぞ」

 

「ざーんねーん。もっと話したかったのに~」

 

そのまま此処を立ち去ろうとするフキに縋るようにたきなはフキの袖を掴んだ。迷い、途方に暮れている様子も、たきなを敵視していたフキにとっては邪魔の一言で言い切られてしまうモノだった。

 

「んっだよっ」

 

「…すみま、せん」

 

「あの時ぶん殴られたので理解してなかったのか?だったら、よく聞け」

 

 そう言い切って、フキはたきなを蔑む顔で決定的な一言を宣告する。

 

「おまえはもう、DAには必要ねぇンだよ」

 

「やめろっフキ!!」

 

 胸ぐらを掴みかかる千束。だが、無言のまま唇を噛んだたきなを追い詰めるようにフキの悪態はより鋭さを増して重ねられる。

 

「まだ理解できてねぇのか、つくづくおめでてぇな。それなら、これから模擬戦でぶちのめして分からせてやるよ」

 

「お~いいじゃん。たきな~やろう!やろうっ!」

 

「つーか、離せやっ」

 

「あーごめんごめん」

 

 フキに言われて、ようやく千束は掴んでいた襟を離すが、その離し方はどこかつっけどんとした雑なもので押し退けるようにフキを開放する。一方で、たきなは俯いたままで返事は返ってこない。それどころか、普段の確かな意思に色づいた菫色の瞳が不安定に揺れていた。

 

「あれ~びびってるんすか?」

 

 

 その言葉を聞いて、とうとうたきなはこの場にいることに耐えかねて訓練場から駆けだしていった。千束はそれを揶揄しようとするサクラを睨もうとして目を見開いた。そして、それは楠木司令にも伝播する。日頃から、何事にも揺らがぬ鋼鉄とまで形容される楠木司令は、その人影を見て顔に緊張の強張りを作る。

 

 突如として現れた女性はその場にいた全ての人間の意識と認識を無理矢理に剥離させる暴力的なまでの存在感を放っていた。

 

「なんだ?随分と愉しそうじゃないか、よほど良いことでもあったと見える」

 

 そこには、何てことないように戯れ言を弄する美しい女がいた。絶世、玲瓏ともいうべき容姿の美女。その見かけだけに着目すれば虫さえ殺せないような女性だというのに、立ち居振る舞いや攻撃的に尖った目つきの悪い眼差しからは、むしろ男性的な雰囲気を感じさせる。

 

 千束は見慣れているはずのくすんだ赤髪と琥珀色の瞳を見て、竦みかけた足を叱咤する。同時に蒼崎橙子を確認した楠木司令は、ポケットから手を出しほんの僅かに身構える。

 

「蒼崎、橙子か」

 

「そりゃ見れば分かるだろう?久方ぶりだな、楠木さん。元気そうで何より……いや、しかし先日の銃取引の詳細を聞いて思ったんだが、遣り口がぬるくなったんじゃないか?その手の余分はこの業界じゃ致命的な(きず)を呼び込むぞ?」

 

「何の用だ?貴様もたきなの処遇で──」

 

「そこまで面倒見の良い人間だと思ってくれたのは光栄だが、見込み違いだ。千束たちの件は私には無関係な事柄。此処で私が干渉するものでもないだろ?」

 

 あくまで自分は無関係の第三者だと橙子は冷たく言い捨てる。ただ、一瞬だけ千束へ、たきなを追うようにと視線で促す。それを速やかにくみ取った千束は、楠木やフキたちの横をすり抜け、ついでとばかりに舌を出してこの場を去って行った。

 

 

 その幼稚な意趣返しに橙子は心底愉快そうに、くぐもった笑い声を漏らした。

 

「随分とあどけない意趣返しだ。まったく、うちの坊やにもそれくらいに可愛げがあれば良かったんだが……」

 

「変わったな、橙子。甘くなったとまでは言えんが、言葉にするなら堕落したという表現が当てはまる。何にせよ、お前は変わったよ」

 

 帰って来ない過去を懐かしむ、あるいは惜しむような表情をした楠木は、緊張状態を解かないまま橙子と対峙する。いま、この瞬間において橙子と楠木以外の存在は言葉も上げられなかった。同じ場所、同じ時間を生きているのに彼女たち二人の価値観、信念、生き様は推し量るのも不可能なほどに断絶されている。

 

 楠木の側にいる秘書も、フキ、サクラも、自分たちには関われないということのみを自覚する。この二人は、あまりに遠い。

 

その精神性も、培ってきた在り方も。

 

 三人はただ一つの許された行為である沈黙を守り、近いはずなのに遙か彼方に立つ女傑たちの会話を静かに傾聴している。

 

“堕落した”、そんな侮辱とも哀れみとも取れる言葉に橙子は苦笑し肩を落とす。

 

「堕落、ね。嫌に的確な言葉だ。余分が付け足されたのは私も同じか……まったく、なんて堕落、ヒドい劣化。私は段々と弱くなっていく。それを好ましく思うこと自体が、その最たるものだというのに」

 

「後悔は?」

 

「ない。そういうのを潰していくのが、“生きる”ってことだろう?」

 

「……そこはせめて晴らすという表現で抑えておけ」

 

 琥珀色の瞳に極細の人間味を灯して橙子は歩き出す。ちょうど、楠木司令と背中合わせになったとき、振り向かぬまま橙子は本題というべき疑問を紡いだ。

 

「楠木さん、“新人類創造計画”について知っていることはあるか?」

 

「……新人類創造計画?ほぅ、あんなくだらん欺瞞情報にお前ほどの者が嵌るとはな」

 

「欺瞞情報、ねぇ?まぁ、虎杖さんにも確認を取ったが、どうやらDAがそういう認識であることは確かのようだ。クソッ、分からないことが最大の収穫なんてヒドいオチになるとはな」

 

 

 外連味たっぷりに琥珀色の目を閉じ、橙子は独白する。その後、橙子は首だけを楠木たち、いやサクラというリコリスのみに向け助言とも導きとも取れる呪いを残した。

 

「君が自分の居場所を守るというのならば、他者を貶めるのではなく自己を高めることに専念しろ。自分のいるべき場所を守るため、他者の在り方にまで注意を払うのは馬鹿らしいぞ」

 

「……ちょっとそれってどういう意味ッスか?」

 

「別に、単なる一般論だよ。ああ、こういうのは迂闊に口にするもんじゃないな、妙な寒気がする」

 

「──オイ、待てよっ。なにを知った口で」

 

 未だ怒りが残留していたサクラは、離れていく橙子に掴みかかろうとして楠木司令に止められる。肩に手を乗せられ、熱を持った激情をその場で冷まされてしまった。

 

「やめておけ、サクラ。そいつは“我々”の手には負えん類いの化け物だ」

 

「──その陳腐な例えよう、相変わらずで安心したよ。楠木さん」

 

 そういうとやることは済ませたとばかりに、潔く蒼崎橙子は姿を消していた。

 

 敵対からでも友好からでもなく、そうあることが自然という理由で蒼崎橙子と楠木司令は互いの喉元にナイフを突きつけ合う関係にある。どちらも互いの信条を理解しようともしないのに、否定もしない。両者は必要なときに相手を利用するが、隙さえあれば問答無用で首を落としにかかるだろう。

 

 楠木は内心で慨嘆した。生意気なクソガキに、厄介な曲者、優秀な人材というヤツは、どこかしらで人格的な欠点や奇怪な精神構造を宿しているものなのか。目を閉じた楠木の姿を見て、フキは抑え込んでいた疑問に我慢が利かなくなった。

 

「あの女、いったい何者なんですか。楠木司令?」

 

「……そうか、お前たちの代では知る者はいなかったな。……よく覚えておけ、あれは千束が最強と呼ばれる以前に史上最強の称号を冠したリコリス。名を“蒼崎橙子”という」

 

 

 畏れからくる戦慄ともに楠木は去って行った橙子の影を睨むように瞳を鋭く光らせた。決して惑わず、変わらない、そう思わせる冷徹と合理を纏った楠木司令の揺らぎを見てフキはやりにくそうに背筋を伸ばす。

 

 僅かな沈黙と停滞をやり過ごし、フキは楠木へ一礼して訓練施設の方に向かう。

 

相棒であるフキが立ち去ろうとする様子で、我に返ったサクラも楠木へ礼をした後に先輩リコリスの背に着いていく。今はただ、自分の中にある言語化できない不定形の感情から目を反らすため、サクラは模擬戦の行われるキルハウスへと意気込んで歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 外は雨で曇天に陰っているというのに、この空間だけは異様なほど明るかった。

 

眩しいとまではいかず、柔らかで思わず目を細めてしまうくらいの明度。そんなあやふやな光を浴びて、私は噴水の縁に腰掛けていた。

 

 曖昧な光へ水のヴェールが三稜鏡(プリズム)の役割を果たし、光輝を七色にほどいて空間を煌びやかに演出する。綺麗だとは思う、でも多くのリコリスが憧憬する景色を見ても、私の心にはナニも響くモノがなかった。

 

 私の心を強く響かせたのは、東京支部に来る転機となったあの時の立体駐車場からの眺望。いつぞやの色とりどりの花が咲き乱れる植物園や、無愛想な彼が不格好に笑う喫茶店の何でもない時間。そういった此処ではない所が私にとっての居場所だった。

 

 それは誰とも共有することのできない大切なモノ。それゆえに常に感じ取ってしまう疎外感。他のリコリスにとって大事なモノ(幻想)を共有できないことが、いつだって心苦しかった。同胞の大事にするモノを尊重できないことが悲しかった。だから、せめて大事なモノを感じ取るための命だけは、守ろうと思ったのだ。

 

別に東京支部が嫌いというわけではない。でも、特別に好む理由がないのだ。

 

 

 

「ああ、なるほど……自分が好いてもいない場所で暮らす人に好かれるなんて、最初から無理と決まっていますね」

 

 京都支部から来たときも、東京支部で暮らしていたときも、追い出されたときでさえ、この噴水には関心がなかった。今、此処にいるのは闇雲に走ったら、偶々この場に着いてしまっただけだ。

 

 食堂、医療棟、訓練場、座学の実習室、図書館。東京支部には不要なものなどないほどに徹底的な効率化と合理の下に建築がされている。だというのに、それらに向かうための連絡通路を通過する上で、この噴水は必ず目に着く交差点上に存在していた。何処に向かうにしろ、必ず噴水のあるエントランスを経由しないとそこには辿り着かない。

 

 どうして、こんな建築になったんだろう。そう考え初めたところで、見慣れてしまった、今は見たくなかった人の顔が視界の一角を占領した。

 

 

「やっ…此処に来てたんだ?うん、やっぱりリコリスはみんな好きだもんねぇ、ここ」

 

「──別に好きというわけではありません。この場所に特別な思い入れはないんですから。がむしゃらに走って、気づいたら此処に来ていたんです。特に理由なんて……」

 

「無意識に此処を選んだんでしょ?だったら、言葉には出来なくても、きっとたきなだって此処を(きら)ってなかったんじゃないかなぁ。そんでもって、嫌いじゃないってことは幾らでも好きになれるかもしれない。橙子さん流に言うとさ、何もないってことは幾らでも大切なモノ、大切にすることの出来るモノを詰め込めるんだって。それ以上の未来なんてどこ探したって見つかんないよ」

 

 何が楽しいのか分からないが、千束さんはにこりともしない私と反対に口角を上げている。その脳天気な在りように毒気が抜かれ、以前から私の心に刺さっていた小さな棘について懺悔にも似た独白を口にしてしまった。

 

「私、他のリコリスとは異なっているようです。“この寮で暮らすことはDAに拾われた私たち皆の憧れ”。誰かがそんなことを言っていた気がします。でも、私は此処に何も感じなかった。此処に来て初めて感慨にふけったのは、もっと別の理由でした。会いたい人に会うために、そんな利己的なことしか私の頭にはなかった。他のみんなが大事にする理由が分からなかった。私は誰よりもリコリスに相応しくないのかもしれません」

 

 恥じ入りながら悔やむ様子には、見る者の心を苦しめる痛々しさがあった。あれほど鋭く透き通った強靭な立ち姿が、今では見る影もないほど脆く弱々しい。

 

苦しむたきなの言葉を聞いて、それでもなお千束は曇らぬ笑顔で言葉を交わす。

 

「じゃあ制服に初めて袖を通したときはどうだった?」

 

「せい、ふく?あの今は東京支部についての……」

 

 問いかけは穏やかに、急かすことはなくゆっくりとたきなの答えを待ち望んでいた。葛藤、逡巡を過ぎて、たきなは子供の頃に最初に抱いた喜びを思い出す。

 

「嬉しかった。これで私も正式なリコリスになれた、と」

 

「嬉しかったよねぇ」

 

その言葉はあまりにも想定外で、私はその感情を押し隠すことができなかった。リコリコで暮らす彼女は、きっと此処にも、リコリスとしての在り方にも興味がないモノだと思っていたのだが。そんな想定はあっけなく覆される。

 

「そんな意外だった?私だって、そこまで薄情じゃないよ」

 

「……むしろ、情が過多なんです。千束さんは。そうでもないと、敵まで助けようなんてことにはならないでしょう」

 

「そーかなー。別に博愛主義で命を大事にしてるわけじゃないよ。たきなも言ってた利己的な理由が私にもあるってだけ。誰かを助けることで自分が気持ちよく生きる。そういう利己的な思いはきっと良いものに繋がっていく──」

 

 私の瞳に千束さんの赤い眼差しが差し込む。それは朝日の輝きにも似て、私の内側に淀んでいた言葉に出来ない感情に決着をつける光でもあった。

 

「……たきなは他のリコリスと違うのが嫌かもしれない。でも、それって人としては普通なことなんだよ。誰だって自分だけの大切なモノがある。リコリスやってると、全体の基準から外れるのがダメなんて言われちゃうけどさ、私たちはみんな違う人間だもん。何が好きで、何が嫌いかなんて違ってくるのが当然。……だからね、利己的な思いを持つのも他の人と大事なモノが違うのも、ぜったい悪いことじゃないんだ」

 

 

利己的な自分の決断も、他のリコリスと異なる部分も、全てをひっくるめて千束さんは受けとめ肯定してくれた。胸が熱く、不思議と痛い。とめどなく溢れそうになる涙、私はそれを手で抑えこんで落ち着こうとする。

 

「たきなを必要としている人が街にはたっくさんいるよ。他の普通のリコリスじゃなくて、“井ノ上たきな”じゃないと助けられない人がいるんだっ。そう思うと、なんだかワクワクしてこない?」

 

「私じゃないと、助けられないひと……」

 

 そんなことは考えたこともなかった。リコリスとして秩序を守る、そのためには我など無用、いっそ害になるとまで思い込んでいたのに。

 

 リコリスとして(いびつ)な私でないと救えない“誰か”がいる。そんな今はまだ仮定に過ぎない言葉に私の心が静かに奮い立つのを感じた。

 

「あの時、たきなは仲間を救いたかった。それは命令じゃない。自分で決めたことでしょ?それが一番大事。あと、たきなの処遇は、正しいとか間違ってたとかで決まったわけじゃないの」

 

「でも私が商人たちを捕らえることができなかったから……」

 

「たきな。あの日、通信障害あったってホント?」

 

 千束さんに問われ、私は当時の状況を思い返す。確かにフキさんが応答のない司令部と連絡を取ろうとしていたのを思い出した。でも、それがどう関連しているというのだろうか。

 

「?ええ、数分足らずのことでしたが。……確か、技術的なトラブルだと」

 

「ハッキングだよ」

 

 あっさりと告げられる真相、それを理解することを僅かに脳が拒んだ。

 

「ラジアータが?まさか、有り得ませんっ」

 

「それね。──DAの機密性を担ってる最強AIが、だよ。全てのインフラの優先権を持ってるのに通信障害なんてありえない。けど、あのときはその有り得ない異常事態が起こっていた。“ラジアータのシステムダウン”」

 

 千束さんの話を信じ切れずにいるが、それなら辻褄が合ってしまう。

 

取引時刻を誤ったこと、司令部との通信障害による連携不可。合理的に考えて真っ先に有り得ないと思考が排除した可能性が正鵠を射ているなんて……。

 

「ハッキング……それで取引時間が」

 

「でもぉそんなことはお偉いさんたちに報告できないから、その場にいたリコリスの暴走ってことで、たきなを……って、どこ行くのぉ!?」

 

 

 頭に血が巡るのを感じる。胸には言いしれぬ不快感が焼き付き、腹部が熱い。端的に言って、苛立ちを禁じ得ない。此処で泣き寝入りなんてしてなるものかと、私の思いがひどく熱を持つ。

 

「理不尽です。司令に話し、私の判断に対する評価を撤回して──」

 

「ちょーちょいちょいちょい!!シラ切られるだけだってば」

 

「なら、どうすればっ」

 

不意に、千束はたきなを抱きしめた。その歩みを止めさせるという意図もあったが、クールなように見えて熱しやすい彼女の心中を一度、落ち着かせるために千束はたきなを抱き寄せる。

 

「──たきな、今は次に進むとき。失うことで得られるものもあるって」

 

 落ち着いていくたきなの情動を感じ取り、千束はそっと身を離す。

 

「たきながあの時、ああしなかったら私たちは出会えなかったよ。先生、ミズキ、お店に来てくれるお客さんのみんな。それに黄理にも?」

 

「……?いえ、黄理くんとは東京に来た初日に会っていますし、それからパトロールの任務中、合流したりしてたびたび会っていますが?……でも、そうですね。リコリコに行ったからこそ会えた人たちも……どうしたんですか?頬を膨らませて?」

 

「べっつにぃ~」

 

 座ったままのたきなは、何故か唐突に頬を膨らませた千束の様子を訝しむ。二人の会話が少し止まると、少し離れた場所から外野の声が聞こえてくる。

 

“え~なにアレ?”

“抱き合ってたよねっ”。“青春?”

“ハハハッウケるんだけど──”

 

 

 遠巻きに笑うだけしか出来ない者には目をくれず、気を取り直した千束はよっと気軽な調子でたきなを膝から抱え上げた。

 

「わわっ」

 

「私はキミと会えて嬉しいっ」

 

「──ちょっと」

 

 困惑、疑問、不明、でも、その喜びに満ちた笑みに私の心が鳴動する。視界の端で世界がくるりくるりと回転し続ける。そんな回りゆく世界の中心には見惚れるほどに綺麗な、幸せそうな笑顔が太陽のごとく輝いていた。

 

「うれしいうれしいっ」

 

 緩やかな速度で描いた弧が四、五周もしたところで、たきなは床に下ろされた。それから千束は改まって、たきなと視線を交わす。

 

「自分の正しさは自分で決めなきゃ。誰かに間違ってるなんて言われても、自分だけは自分のことを信じてあげて」

 

 千束の真摯な声を聞いて、たきなはようやく気づいた。楠木司令に評価の撤回を求めることが自分の目的だったのではない。ただ、自分の歩んできた生き方を否定されたくなかった。そのくせ自分でも自分の選択を信じ切れない愚かさが残留しており、誰かに言って欲しかった。

 

“間違っているかなんて貴女が選べばいい”、それだけの言葉で良かったんだ。

 

「ねぇ、たきな。お店のみんなとの時間を試してみない?正しいとか、間違ってるとかじゃなくて、楽しいことをいっぱいしよっ。そうすれば、たきなにも見つかるはずだよ。自分のしたいことが。正しさ、なんてのはその後についてくるもんだって!」

 

私のしたいこと。それは今の私には存在しない事柄、ああそれでももし許されるなら、私も千束さんのように、自分のしたいと思ったことを選び取りたいっ!

 

 千束さんの物言いから光に照らされた噴水とは真逆の雪降る夜、黄理くんが言っていたことを思い出す。

 

『さしあたっては困っている人の味方。善悪なんて小難しいことは考えても答えなんか出やしない。なら、やりたいことをやってみればいいんじゃないか』

 

 我ながら進歩がないと呆れてしまう。迷いを晴らす答えは、私が歩んできた旅路の中に燦然と存在していたのだ。千束さんは、図らずも黄理くんと同じ言葉をかけてくれた。

 

“事の是非よりも、己の望むことを”……

 

ああ、そんな夢みたいに素敵な話を私は聞いたことがある。

 

「私はいつだってやりたいこと、最・優・せ~ん!えへへ、まぁそれで失敗も多いんだけど……それはご愛敬ってことでっ!」

 

胸を張り、にやりと茶目っ気に笑顔を咲かせた千束は背を向けた。突き放すのではない、それは前に立ち背中を見せることで先導するかのように。

 

「いまはっ。たきなにひどいこと言ったアイツらをブチのめしたいので~。ちょっと行ってきますよう」

 

 千束は此処でたきなを急かしはしなかった。今は少しだけ整理する時間が必要になるかもしれない。だったら、それまでの時間は“私が稼ごう”。そう意気込んで、千束は模擬戦の行われるキルハウスへ歩みを重ねる。

 

“ヒトヨンマルマルより状況演習を開始。リコリス各員は当該時間までにキルハウスへ集合してください。繰り返します──”

 

 フキたちとの模擬戦は館内放送で大々的に(しら)されている。味方殺し、そんな不名誉で、味方からのヘイトを買いそうなレッテルがあっては、たきなと私は倒されることを望まれる悪役(ヒール)。さしずめフキたちはベビーフェイスか?

 

 ……おしゃぶりを咥えたフキ、あっダメだ笑っちゃう。

 

 にしても、リコリスにとっての居場所がアウェーになるとは……。

 

 居心地は悪いし、声援も、味方も望めない。

 

 慣れた私と違って、たきなには厳しい状況だろう。

 

 けど来なかったら、なんてことは考えなかった。必ず来る、そんな論理的確証はない。しかしリコリコで過ごすたきなの姿を見続けた千束には身勝手で利己的な確信があったのだ。

 

 

“たきなは絶対に立ち上がる”。

 

 

 そう──思っていたんだけど。

 

 くすくすと笑い声が抑えきれなかった。可笑しさではなく、嬉しいという感情はどうやったってとめどなく溢れてしまうものだから。

 

「立ち直るの、早すぎない?」

 

「二対二の模擬戦で、パートナーを置いて先攻しようとするせっかちな人に早いだの、遅いだのは言われたくありません。それに早かったわけではありませんよ。ひどく回り道をした末の選択ですから」

 

 かつて東京に来た最初の日。既に答えは黄理くんの口から示されていたのだ。ただ、彼と出会って何度も会える環境にいた所為か、それを心身で理解するのに十歳の頃から都合、六年ほど要しただけのこと。

 

 ある種、吹っ切れた良い表情をしたたきなは、千束へ笑いかける。

 

「──プランは?」

 

「模擬戦の?そうだな~、ヨシッ此処は真っ正面から行ってブチ抜こう!」

 

「つまりノープランということですか。はぁ~あ、これは早まりましたかね」

 

「そんなことないって、たきなと千束さんのコンビなら楽勝っ!」

 

「どこから来るんです。その自信……」

 

 あまりにも合理的な理由付けのない勝利への確信にたきなは呆れから笑みを零す。その呆れは確かに千束の無計画っぷりも対象だが、同時にそんな千束に感化された自分自身も含まれていた。ちょっと前なら、こんな非合理に身を委ねようとはしなかった。でも今は違う。その事実が無性に微笑ましくて、たきなは心の底からの笑い声をあげて千束の横に並んだ。

 

「でも、そうですね。不思議と、負ける気がしません」

 

 たきなの“らしくない言葉”を聞き、千束も腹の底から弾けたような笑い声を高らかと上げた。隣り合ったファーストリコリス(錦木千束)セカンドリコリス(井ノ上たきな)は互いの拳に自分の拳を軽く当て合った。並んでキルハウスへと歩き出す二人の表情に陰りと呼べるモノはなく、とっくの昔に迷いの霧は晴れ渡っていた。

 

 

 

迷いを払った者。迷いの只中にいる者。

そしてセカンドの後輩たちを導こうとする二名のファースト。

 

四名のリコリスたちの思いが交差する中、定められた刻限に(のっと)って模擬戦の開始時間はやってくる。

 

 




実はたきな、無意識のうちにサクラを散々に煽り散らしているという残酷な事実。ようやく、憧れの東京支部来たのにその事実に何の価値も見出していない態度は少しばかりむごいような気がする。

まぁ、サクラも相手への暴言を口にしてるので、トントンということで。

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