Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 大変、長らくお待たせしました。エイプリルフールも終わり、はや五月。リコリコの連載に本腰をいれていきますので、どうか今年いっぱいお付き合いしていってください。


Ask for the moon【5】

 

 

 

 後日談、というか今回のオチ。

 

 

『本日未明。東京湾アクアラインの海上パーキングエリア“海ほたる”にある巨大モニュメント、カッターフェイスが倒壊しているとの通報がありました』

 

 

 時刻は朝の早い時間帯、テレビの画面では壊れてしまったカッターフェイスの映像を赤いテロップと共に電波へ流している。半分の大きさになってしまったモニュメントの付近には粉々に割れたと思われる、“不自然なほど”綺麗な断面をした倒壊物も映し出されていた。

 

『現地で通報を受けた警察官らが確認をしたところ、カッターフェイスは上部の半ばから倒壊しており破損した物は八つにも砕けていたとのことです』

 

 リコリコに置いてあるテレビの早朝のニュースでは、観光名所のモニュメントが壊れたことを悲壮感たっぷりに報じている。

 

『専門家によりますと、カッターフェイスに目には見えないミクロのひび割れ。潜在破断層が存在し、長年の潮風による経年劣化によりクラックが生じ、今回の倒壊に至ったのではないかとの意見が出されています。幸いにもカッターフェイス倒壊の時間帯、“付近に人はいなかった”ため怪我人は出ておらず、観光協会は残った下部のカッターフェイスにも潜在破断層が無いかを至急、調査するとの意向を──』

 

 重篤な首都圏内の観光名所崩壊の光景を見た中原ミズキは半眼で振りかえった。

 

「で、こんなんやらかした犯人はどこのどいつよ?」

 

 無言のまま麗しき少女たちの赤と菫色の双眸がリコリコのカウンターで突っ伏しているクセッ毛の青年を突き刺す。

 

「はい、心当たりある人、速やかに挙手せ~い」

 

「今なら、私が弁護に当たりますが?」

 

「もう俺が犯人扱いなのは確定してるわけ?」

 

 不本意な千束とたきなの言葉を聞き捨てならぬと黄理が困ったような、不服そうな、何とも言い難い表情を浮かべて抵抗を試みた。ただ、黄理の悪あがきに対する千束とたきな、あとミズキの対応は非常に簡潔。

 

 テレビに映し出されている悲惨な有り様のカッターフェイスの映像を彼女らは意味ありげに見つめる。孤立無援、分が悪いと判断した黄理はそっと湯飲みの中の緑茶で喉を湿らせた。ふて腐れた態度を取った黄理に、笑いながら千束は口を開く。

 

「いやだって、あんな思い切りよくバッサバッサやったん、黄理じゃんか~」

 

「俺は倒れてくる鉄塊を刻んだだけでぶっ倒したのは別人だろ。真犯人は別にいる、俺は冤罪だって」

 

「でも、八個に切り刻む必要はありませんでしたよね?」

 

「……咄嗟に手癖でやるんじゃなかった」

 

 お調子者な千束の容赦がないのは知っていたが、天然気味のたきなの追撃も中々に無慈悲な口撃を加えてきた。打ちのめされた黄理は脱力しきってニュースを見る。

 

 海ほたるの巨大モニュメント、“カッターフェイス倒壊”!

 

 幾つか、チャンネルを変えてみるが判を押したように同じ話題一色。

 

 どこの局も、ある程度の刺激があって犠牲者が“奇跡的”にいないという好都合なトピックを夢中で放送している。平和過ぎな話題もいいが、それでも適度に派手で刺激があり、怪我人や死傷者が出ていない幸運な話題(ニュース)

 

 なんと都合のいいことだろうか──

 

 

 欺瞞に満ちたニュースを見ながらたきなはつまらなそうにテレビの電源を切る。

 

 ミズキさんと千束が、まだ見ているとぶーぶー言ってくるが、どう見ても黄理くんをからかう目的が強い。先ほどは私もつい乗っかってしまったが助け船を出しておこう。

 

「裏の事情を知っているのですから見る必要はないでしょう?」

 

「そりゃそうなんだけどさ、私は現場にいなかったのよ?なら、せめてどういう隠蔽されたのかって気になるのが人情でしょー」

 

「人情あるなら、もう少し気遣いに割り振ってくれ」

 

 ミズキさんの浮かれた態度にうんざり気味な黄理くんは敬語を取っ払った粗雑な言い振りで返す。黄理くんをからかうのに退き際を見たミズキさんは、今度は矛先を私や千束の方へ向けてきた。顔つきはまだまだ千束たちをいじり倒そうとするあくどい笑顔──

 

 正直、年頃の女性がこんな笑顔を浮かべていたら、百年の恋だって秒速で醒めそうな、みなまで言わないでおきましょう。

 

「てかあんたら大分、派手な一夜を過ごしたわね?」

 

 にやりと笑うミズキさんに、さしもの私も反論をしたくなるが、黄理くんと同様昨晩の疲れが抜けきっていない。そのため、この場では品のない発言に対する釘を刺すだけに留まってしまう。

 

「またそんないかがわしい言い方を」

 

「セクハラで訴えちゃろっかなぁ」

 

「同性でも通るのか、セクハラ?」

 

「ふふん♪今はジェンダーフリーの時代だから!」

 

 私と黄理くんは示し合わせたみたいに首を傾げる。元より職場、というか生活環境に異性が滅多にいないリコリスとリリベル、セクハラとかジェンダーとか深く考えたこともなかったが、そういうものなのだろうか?

 

「千束が言うことだと信憑性に不安が残りますね」

 

「コラコラ、正直者で通っている千束さんになんてこと言うかね、この子は」

 

「ちなみにさっきのは真実、何パーセントなんだ?」

 

 黄理くんの質問に千束は胸を張って華麗に言い切った。

 

「120パー」

 

「じゃあ超過分の20パーセントは嘘だろ」 

 

 黄理くんと私の白けた視線に照れ笑いをして彼女は舌を出す。

 

「バレた?」  

「千束がバラしたんですよ」 

 

 軽く頭頂部にチョップを入れて、はしゃぐ千束の手綱をたきなが握る。また、黄理の持つ湯飲みが空になったのを見て、手慣れたように急須からお代わりを注ぎ足す。黄理と千束の扱いや対応が堂のいったものになっているのにぽつりとミズキが感想を漏らす。

 

「ホント、仲良くなったわよね。アンタら?というか、たきなは保護者か」

 

「そう、ですね。まったく手のかかる二人です」

 

「ちょいちょい、たきなはシスター枠だろ~。千束おねえちゃんをもっと敬え~♪」

 

「さすがにそこの楽天家と同等扱いなのは困るな。大体、たきなって俺たちより年下だろ?」

 

 むっ、とたきながそこでようやく言いよどむ。流石に年齢のことは事実だから、反論はしにくい。となると、こちらの切れるカードは感情論だけだ。

 

 すました顔でたきなは黄理に対して特大の理不尽を突きつけてきた。

 

「黄理くん、セクハラです」

 

「セクシャル要素どこだ!?」

 

「あ~、セクハラはダメだよ黄理~」

 

 すまし顔でとりつく島もないたきなとニマニマと明らかに面白がっている千束。黄理はあまりの不名誉な冤罪にらしくもなく声を荒げた。そんな三人のやり取りを堪能しきったミズキは、ポンと柏手を打って話を昨晩の内容へと引き戻す。

 

「ともかく、襲撃してきた連中はどうなったわけ?」

 

「橙子さんに連絡してから、クリーナーに引き渡しましたけど?」

 

「クリーナー使ったの?……あんた、大丈夫なわけ?確か、今月も伽藍の堂から給料がでるかどうか怪しい、なんて言ってた覚えがするんだけど?」

 

 ハッ、黄理がぼんやりとした表情を引き締めて立ち上がった。そして、彼は何処か血の気の引いた顔で財布を掴む。財布は恐ろしいほど軽く、小銭さえ満足にないのが分かってしまう。七夜黄理の落とした肩へ錦木千束が手を置く。

 

「貸そっか?お金」

 

「リコリコの給金があるので、私も幾らか融通できますが?」

 

「勘弁してくれ。身内にまで無心するようになったら碌な事にならなそうだ」

 

 黄理は財布の中から黒いカードを取り出し、最後の手段を使うべきか本気で検討し出す。

 

 黄理が金銭面で思い悩んでいると、開店前のリコリコの扉が開いて見慣れた赤い髪の美女が乱入してくる。

 

「ほう?お揃いとはな。昨日も夜遅かったというのに健康的で何よりだ」

 

 ミズキと似たような品性を疑われても仕方ない発言をしながら、眼鏡を外した橙子さんが黄理の横のカウンター席へと座る。たきなは彼女にコーヒーを出し、それから不思議そうに目を回した。

 

「もう昨晩の事件の収拾が付いたのですか?」

 

「あらかたは。さすがにああも完膚無きまでに壊された大型モニュメントの復旧はできなかったので情報改竄に絞ったから話が早く済んだ。その分、出費は大きかったがね」

 

「橙子さんが愚痴るほどの出費か~」

 

「他人事みたいに言うなっての。あんたの弾代に、クリーナーを呼ぶのだって結構な金額を叩き出してるのよっ!」

 

 ミズキの声高な文句を無視してわたしは橙子さんの様子を観察した。

 

 金銭関係で頓着はしないが、それでも頻繁に金欠になっている橙子さんが何故か上機嫌でコーヒーに舌鼓を打っている。

 

 ふむ、妙だな?

 

 

 

 千束と同じく不審に思ったミズキは橙子に向かってそれとなく鎌かけを行った。

 

「なんでか知らないけど、またえらく上機嫌じゃない。なんか悪巧みが上手くいったの?」

 

「人聞きの悪いことを言うもんじゃない。昨晩の思わぬ拾い物に高値がついてね。今は懐が温かいのさ」

 

「昨日の、ってことは千束たちを襲った連中の武器?」

 

 千束たちから話を聞いていたミズキは、数々のSFチックな武装に懐疑的な面持ちで腕を組む。

 

 光学迷彩に巨大な車輪型ドローン、あげくは鋼鉄を易々と裁断するナイフ。

 

 どれも眉唾物だ。千束がそれを口にしていなかったら、ミズキとてSF小説の読み過ぎだ、などと茶化すだけで終わっていたことだろう。

 

「一応、伽藍の堂はリリベルの支部ということになっているが、こんな重大な情報を持つテクノロジーをリリベルだけに渡すのはDAのエージェントとして問題だろう?だから、きちんとリコリスの側にも情報を売ったら、いい感じに纏まった金額となったわけさ」

 

 えっとそれ、俗にいう──

 

「報酬の二重取りじゃないですか」

 

「だから人聞きが悪い。これはビジネスだよ」

 

 あこぎな金策を行った橙子へ、たきなが咎めるような視線を送る。“面の皮の厚いことで”、とミズキは特に自分の懐が痛んでいないので特にその辺りの事情は気にしていなかった。

 

 白い目で見られていることを気にも留めず、橙子は愉快そうに髪をかき上げる。

 

「だが、これではっきりした。黄理たちが以前、関わった新人類創造計画とやらは間違いなく実在している。そうでなければ、あんなわけのわからんテクノロジーに説明が付かん。姿を消す光学迷彩、それに車輪型ドローンの操作方法が一体なんだったのか分かるか?」

 

 橙子は芝居がかった身ぶりでこめかみを指さす。

 

「脳内に特殊なチップが埋め込まれていて、あれらは思考しただけで幾つかの機械を自由に動かす事が出来たらしい。DAの技術班も解析に手間取っていたよ。そして、敵の首魁、彼の両目は特殊な義眼で高性能かつ超小型のスーパーコンピューターを内蔵していた」

 

 “なんでも、演算による弾丸の軌道を計算することで予測値を──”

 

 そのあまりにも現実離れした内容に理解が置いてけぼりにされる。橙子さんは楽しそうに銃弾回避の理屈を話しているが、千束とたきなは内容に集中しきれなかった。二人が話に集中しきれてないのを見た橙子は肩を竦めて、カウンターに一本の黒い刃を持つナイフを放り出した。

 

 何の変哲もないナイフにミズキは首を捻るが私とたきな、あと黄理にはひどく見覚えがあった。

 

 昨晩、カッターフェイスを莫大な火花と共に真ん中から両断した黒刃。

 

「橙子さん?確か、昨日の連中の武装って、全部DAに提出したんじゃあ……」

 

「そう慌てるな、黄理。私は全て売り払ったとは一言も言ってないぞ。全て売って、向こうから情報が降りてくるなんて有り得ないだろう。なら、せめて一つくらいはこちらでも調べるために保管しておかねば、割に合わんよ」

 

 そう、言い切った橙子さんに私たちは抜け目ないなぁ、としか思えない。

 

 いや、ホントに昨日の電話のときに怒ってたの、もしかして演技だったのかもなんて思って。

 

 いや、やっぱりあれは本気で怒ってたよね?

 

 橙子さんに呆れて視線を向けていると、たきなの視線が黄理に向けられる。

 

「そのナイフにも特殊な機能や技術が織り込まれているんですね。……そういえば、特に気にしていませんでしたが、黄理くんのナイフなどもやっぱりリリベルの技術班が開発した特殊なナイフなんですか?」

 

 たきなの当然といえば当然の疑問にわたしや橙子さん、黄理は言葉に詰まった。やがて、痺れを切らしたたきなの疑問の声より先に橙子さんは端的に解答を口にした。

 

「いいや違う」

 

「へっ?」

 

「これまでDAでも黄理が硬度を無視して物体を斬り裂くことに対する実証実験は行われたのだが、結果は見事に不明のままだ。何がどうしてそうなるのか、仕組みはさっぱりだよ。念押しになるが黄理のナイフに特殊な技術や素材は絡んでいない。鋼鉄製の普通のナイフだ」

 

 そういうと、たきなは何と言っていいのか例えようもない渋面で黄理を見てから、頬を膨らませてそっぽを向いた。

 

「あ~、なんかごめん。……でも、分からないのは俺だって同じなんだぞ。モノがなんでも斬れるのは“線”があるから、それをなぞっているだけで」

 

「毎度のことだけど千束の銃弾避けるのより意味不明な説明が来たわね。これだからへんてこな天才ってのは」

 

「いや、黄理のと違ってわたしはへんてこじゃないし~」

 

「いや、千束の銃弾を避けるなんて変態じみたのに比べれば、モノを斬るだけの俺なんて」

 

「変態言うな~!大体、黄理の方が変だって。線があるとかないとか、不思議キャラに宗旨替えか!」

 

「銃弾避けるなんて銀幕顔負けの異常なことを平然とするヤツにだけは言われたくない。というか、誰が不思議キャラだ」

 

 私たちがあーだこーだ言っているのを見て、たきなは疲れた口ぶりで的確な言葉を選ぶ。

 

「私からしたら、どちらも似たり寄ったりですよ」

 

 

 

 

「なんだ~?まだ開店前だろ~、朝早くから元気がいいなぁ」

 

 奥の座敷、従業員用のスペースの方から目を擦り、半分焦点の合ってない瞳を開けたり閉じたりして居候であるクルミがのこのこと現れる。

 

「いや、開店時間から動き出すんじゃなくて、普通は開店前に諸々の仕込みをしとくもんなのよ。居候ならしゃんとせい。しゃんと」

 

 めずらしいミズキの正論をクルミは“ハッ”と鼻で笑う。ミズキは素早くクルミの背後に回り込み彼女の両頬を左右からぺちゃんこに挟み込んでじゃれ始めた。ふざけるのが済んだところで、橙子はあらたまってクルミに声をかけた。

 

「仕事を頼みたい、“ウォールナット”」

 

 橙子の微笑を受けて、クルミは少し黙ってとぼける素振りで口を開く。

 

 

「……さて、なんのことか。と、言うのは無駄なだけだな。ボクのことを知っていて、命を狙う素振りを見せてこないなら、依頼を受けるのもやぶさかじゃない。それで?ボクに何させたい?」

 

 話が早くて助かると、橙子はカウンターの上に置いた黒い刀身を持つナイフを指さして本題から話を始める。

 

「このナイフに使われている素材や機能について自分の情報網で調べてみたが、どうも芳しくない。ここはより広範で深いところにツテや情報源のあるハッカーに任せようと思う。このナイフの素材や製造元、とにかく、一つでもいい。何かを探り当てて欲しい」

 

「曖昧な依頼だが、いい暇つぶしになりそうだ。ダークウェブの方面から調べておこう。そうだ、黄理と橙子はリコリコのメンバーではないから、依頼料はサービスしないぞ?」

 

「ツケで頼むよ」

 

「待て待て。いやそこのリス、別に暇じゃねーから。ちゃんとリコリコのスタッフとして働かす予定ってもんが」

 

「おっとこれはマジで忙しくなりそうだ!前の銃取引の写真もあるし、急いで調べないとな!」

 

「待てコラそんなんで誤魔化されるか!逃げんなー!」

 

 ドタバタと奥の座敷へと逃げ出すクルミを追い掛け、ミズキもバックヤードへと追跡を始めてしまう。それに開店準備を真面目にしているたきなは目を細めて、黙々と作業に専念する。さすがに見かねて千束も開店準備を手伝い始めて、黄理がふと思い出したことがあった。

 

「そういえば千束とたきなが言ってた都市伝説、俺は無関係ってことが証明されたんじゃないか?」

 

 おどけた格好で無表情に黄理は、身に覚えのない嫌疑をかけてきた二人の少女の良心に訴えかけようとしてくる。しかし、少女たちにはその僅かばかりの反抗も意味をなさなかった。

 

「確かに昨晩の刺客がバラバラ死体を自慢げに見せてきましたが、噂されていた殺人鬼が彼かどうかは定かじゃありませんよ」

 

「ん~、状況証拠があるけど、まだまだ黄理が被疑者から外れたとは決まってないかな~」

 

「……まぁ、これくらいで二人が殊勝にするような可愛げがあるとは俺も思ってなかったさ。そもそも、都市伝説なんて(はな)から信用ならないんだ。実際の出来事じゃなくて、怖いから、不気味だから、面白いから、そんな理由で人の口に上がってる可能性だってあるわけだし」

 

 “学生服の殺人鬼”。

 

はたしてこのようなオカルトな存在が真実、存在するのかなんて誰にも実証は出来ないだろう。いいや、噂なんて流行り、廃れが(いちじる)しいものだ。案外、そのうちあっさりと影も形も無くなっている、なんてことも──

 

 元より実像無き街談巷説、道聴塗説。

 

 すっぱりと誰の目にも明らかな形で円満に解決、実証されるなんてことを望む方が無理なのかもしれない。

 

 まぁ、そこまで気落ちすることもあるまい。

 

 橙子さんがご機嫌でいる以上、今月の給金未払いという最悪のシナリオは回避された。

 

「じゃあ、橙子さん。DAからの臨時収入があるってことは、今月の給料は期待してもいいんですよね?」

 

「………………」

 

 そら恐ろしいほど、橙子さんからの返答がない。どことなく嫌な予感、不吉なオチが感じられたのは黄理だけでなく、千束やたきなも同様のことだった。

 

「マジか~」

 

「まさか、昨日の今日で……」

 

「いやいや、橙子さんだってそこまで金銭感覚がとっちらかってるわけ…」

 

 三人の驚愕した眼差しを受け、橙子は照れたみたいに笑み溢した。

 

「すまん、もうリリベルとリコリスからもらった報酬。ないんだ」

 

「……無いって、それはあれですよね。まだもらってないとか、そういう」

 

 無表情の崩れた黄理は、一縷の希望を込め橙子に問うが──

 

「皆無だ、無くなってしまった」

 

 千束とたきなは“あちゃ~”と言いたげに額に手を当て首を振っている。それでも黄理だけは絶望的な未来をどうにかしようと橙子さんへ疑問を叩きつける。

 

「無くなったって、相当もらったんでしょう!?何がどうして、全部使い込むなんてことに」

 

 頭を痛める黄理へ、何ら気にしていないような橙子はとびきりの笑顔で向かい合う。

 

「いや、宵越しの銭は持たない信条でね」

 

「……今日の宵くらいは越してほしかったですよ」

 

 七夜黄理は財布の中の宵闇のごとき黒いカードを見て、深々と疲労の色が濃いため息をつく。自分の稼いだものではない資金という使い勝手の悪いものに頼らざるを得ないことを不本意に思いつつ、黄理はカウンターに突っ伏した。

 

 

 

 

 カラン、リコリコの扉についたベルの音色は店主の帰還を軽やかに告げる。

 

「あっせんせ、おかえり~」

「お疲れ様です、店長」

 

 ミカは奥の座敷でドタバタ騒いでいるミズキとクルミを見て、やれやれと(かぶり)を振ってから千束、たきな、黄理へ声をかける。

 

「ただいま。それで、どうしたんだ?何か楽しそうに話し込んでいたが」

 

 落ち込みから復帰した黄理は肩を竦めて、なんとも情けない伽藍の堂店主の金銭トラブルに触れないように会話を繋ぐ。

 

「いや取り留めもない話を少し。ミカさんは何処に行っていたんですか?」

 

「私か?いやなに、回覧板を次に回していてね。裏の仕事や喫茶店だけじゃなく、こういう地元の繋がりというヤツも疎かにはできないからな」

 

 

 そう言うとミカは杖をカウンターに立てかけ、壁に背を預ける。回覧板という極めて平和で安穏な情報伝達手段。そういうものがあったな、などと考えてから三人は息を合わせたかのように快活に笑い出した。

 

「回覧板も噂話っちゃあ噂話だよね~」

 

「そうですね、こういう牧歌的なのばかりならいいんですが」

 

「違いない」

 

 ミカは千束たちの言っていることが分からず、きょとんと困ったように首を傾げる。どういうことなのかな、と彼は橙子に視線を投げかけるが相変わらずと言うべきか何時も通りに意味ありげな微笑みを深くするだけだった。

 

 

 

 

 

 

 そこは何処かの建物内の広大な会議室。あまりにも広々とした会議室はたった二人の人間のためだけに借りられていた。どう考えても、ここまで大袈裟な会議室に集まる必要性は感じられない。だが、二人はそんなことはどうでもいいと傲岸に幅広のテーブル越しに相手を強く見据えている。

 

 互いに敵意さえ滲ませた視線が絡みつく。

 

 かたや、壮年の明るい栗色の髪を撫でつけた男性。反対に座すのは老境の穏やかとも底知れぬとも言える雰囲気を醸す男性。どちらも糊の利いたスーツを着こなし、胸元には“金色のフクロウのバッジ”が輝いている。

 

 どちらも才能の支援と世への進出を至上命題とするアラン機関のメンバーの証。

 

 老境の男の反対にいた栗色の髪の男、吉松シンジは普段の物腰柔らかな様子と打って変わって刺々しく、眼前の老人へ荒い語気で強く言い迫る。

 

「私の支援対象に横やりを入れるのは金輪際、止めて頂きたい。ご老公」

 

「はて、吉松君。君は儂がそのような無粋を働いたと?」

 

 鋭い視線は言うまでも無いと、これ以上の戯れ言を許さない真剣味を帯びている。事実、老人の方は先日、解体された計画の特殊な試験施術を受けた者たちを招集して、ある少年へとぶつける裏工作を働いていたのだ。

 

 企んでいないと言うのは嘘になる。

 

 だが、それはあくまで“七夜黄理”という個人を狙ったもので、それ以外には特段、興味関心が無かった。けれど吉松シンジの“現在の支援対象”を思えば、彼の反応がどういう意図で行われたのかが推察できる。

 

 ただし、それを踏まえても、とご老公と呼ばれたアラン機関の重鎮には共感ができずにいた。

 

「そこまで神経質になることかね?」

 

 三人の狂気すら宿した危険な者たちをアランチルドレンへと差し向ける。一歩間違えば、支援対象の命も危うい綱渡りにご老公と呼ばれた男性はおどけるように笑い声をあげた。

 

 アラン機関に所属する者らは、一般的な倫理や常識など無頓着な事が多い。

 

 才能という不条理と奇跡に目を焼かれた金色のフクロウたちにとっては、生も死も善も悪もことごとくが無価値。

 

 そして、無価値というのはチルドレンの命さえ例外ではない。結局、徹頭徹尾、アランの機関員たちは才能にのみ着目している。ならば、チルドレンが才能を開花させるのなら、それが死を意味することになろうと一切、止めもせずむしろ全力で推し進める始末だ。

 

 だというのに、吉松シンジは奇妙なことに上役である老人へ直訴を行ったというのだから、愉快であると同時に驚きだ。

 

「これまで行ったアラン機関の支援が無駄になってしまうのですよっ!」

 

「……君は大きな勘違いをしている。無駄も何も、我々の支援は何らかの利益や見返りを欲してのことではないのだよ」

 

 吉松シンジは老人の小さな声にグッと息を呑む。それは長らく世界という広大な舞台の裏で善悪問わず多様な才能を目覚めさせ、世に解き放ってきた老兵の言葉。

 

いまだ壮年に達した程度の若造では、安易な反論さえ許さない威圧が老いた男の総身から放たれている。その威圧に屈することなく吉松は、才能の守護を題目として老人へ反論を切り出す。

 

「世に出ずるべき才能が潰えてしまうことを看過するというなら、貴方はアラン機関に背信を働いている」

 

 吉松の必死の反論も対面の老人には痛打を与えるに届かず、むしろその言葉を聞いて老人は一層、楽しげに笑い出す。

 

「それは諧謔かね?アランへの背信というなら、今の君こそアラン機関のルールを裏切っているだろうて」

 

 老人の小手調べとも言える戯れ言に思う所がある吉松は感情的な反論を堪える。老人の言葉の通り、吉松シンジはアラン機関の人間として二つのタブーを犯している。

 

 まず、支援対象との直接的な接触。

 

 そして、過去に支援したものへの二度目の支援。

 

 これらの掟は支援者を過度に支援して才能を曇らせないための処置と、支援者の才能の使い途をアラン機関の人間に指定、誘導させないためにこそある。

 

 だが、吉松はこの二つの大原則を破り、錦木千束と接触している。それがアラン機関への背信でなくて何だというのかと老人は冷たく、は虫類じみた無感情な瞳で吉松を見る。

 

「我々は一般社会の法律を遵守しない。それは才能の支援に比べれば、儂らにとっては取るに足らん事柄ゆえに。……だからこそ、儂たちは己へ課したルールこそ絶対に遵守しなくてはならない。そうしなければ、我々のような外れた者たちは何者でもなくなってしまう」

 

 老人はアラン機関の大原則を語り終えると吉松シンジから視線を外す。窓の向こう、星屑を散らしたような東京の夜景を眺める老人の後ろ姿を侮蔑混じりに見てから、足早に部屋を後にしようとする。

 

「今後、一切の手出しはご無用に願います……ご老公」

 

「好きにしたまえ。君が錦木千束の支援を行うように、私も己の支援対象にしばらく支援を行う。掟破りというなら、お互い様だからね」

 

 老人が行った刺客を派遣するという支援、それを聞き吉松は老人に背を向けたまま問いを投げた。

 

「七夜黄理、でしたか?」

 

 愉快そうに七夜黄理への支援を企む老人へ、敵意と挑発を込めた目で振り返り吉松シンジは微笑みかける。

 

「誰が相手であろうと千束は負けませんよ。あの子はこれまで私が支援した中で最も並外れた才能だ。如何にあの少年の才能が優れていようとも、彼女の才能は必ず勝利する」

 

 

 錦木千束の“才能”の勝利を確信した言葉を残して吉松シンジは会議室を出て行く。支援対象の勝ち負けなど、アラン機関の人間にとっては考慮するに能わないというのに。老人は吉松の錦木千束への執着に呆れ、瞳を閉じる。

 

 錦木千束が勝とうとも、七夜黄理が勝とうとも──

 

 どちらかが死に、どちらかが生き残ろうとも──

 

 あるいは両者が死に絶える結末でも──

 

 アラン機関は才能の輝きを祝福するのみ。その才能が誰を救い、誰を害すかなど思索の外。肝心なのは才能が刹那でも光り輝き最大の本領を発揮することだけ。結論から言えば、アラン機関にとって才能の持ち主でさえ、“どうでもいい”のだ。

 

 

 老人は深い宵闇に染まった会議室で笑みながら、己の支援対象である七夜黄理への次なる支援について思考を巡らせる。

 

「やれやれ、入れ込み過ぎておるな。いや、それは儂とて同じか。ふむ、さて事態はどう転ぶのか?楽しみでならんよ、まったく──」

 

 




 タイトルの“Ask for the moon”の意味は無い物ねだり。そして、無い物ねだりがこのオリジナル回のメインテーマでもあります。

 もし感想もらえれば、作者のモチベが上がっていきますので気が向いたら是非とも感想をよろしくお願いします。
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