Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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So far, so good【2】

 

 

 

 DAの手配によって15分間だけ人払いをされた墨田区、高層マンション屋上。

 

 

 穏やかな風が吹く見晴らしの良い開けた空間。そこで七夜黄理は担いでいたボストンバッグを慎重に下ろし、中から分解された狙撃銃のパーツを取り出す。彼は面倒くさそうにため息を吐いたのち、数点のパーツを手慣れた様子で組み立て始めた。

 

 

 準備を終え、前部銃床の先端に取り付けた二脚銃架(バイポッド)を開く。

 

 黄理はそのまま腹ばいとなり両足をやや開くことで伏射(プローン)の姿勢を取った。

 

 横たわると同時、身体が凍り付いたように静止して生き物としての気配さえ消した最強のリリベル。その手には狙撃銃(スナイパーライフル)、Mk13が握られている。

 

 口径は七.六二ミリメートル。使用する弾薬は300ウィンチェスターマグナム弾。弾倉には既に七発が装填済み。可変倍率(バリアブル)スコープの倍率を一番低い三倍へ調整。今回は超長距離を狙う一射ではない、無理に倍率をあげても視野が狭まるだけだ。

 

 動く標的の狙撃ということもあり、視野を広く持つことに重きを置く。

 

 

 無人操作のヘリがもうすぐ、隅田川上空に差し掛かると通信が入った。

 

 それだけ分かれば十分だ。

 

 より集中するために耳元のインカムを外し、聴覚を意識から切り離す。照準眼鏡(ライフルスコープ)を覗き込んだ。丸く区切られた視野の中央に位置する十字線(レティクル)。黄理の意識がスコープの中へと吸い込まれ、認識が狭い円状体の内部へ入り込む。

 

 

 円環に閉じた世界は、空間に刻まれた罅のような赤黒い線とブラックホールにも似た大小さまざまな点が極彩色にひしめいていた。吐き気を催す死が詰め込まれた丸い世界の中、標的のヘリが入り込んでくる。目標を500m先で補足。風は10時方向から風速5m。標的に辿り着くまでに弾丸が落ちるのは(ドロップ)10cm程度。隅田川の上空に着くころには、より距離が縮まるだろう。

 

 そうすれば、風や弾道の変化は無視できる程度に収まると判断。

 

 ヘリを撃ち落とした際、残存する慣性で隅田川を越えてしまうのでは、という提言もあったが問題ない。ヘリはもとより、積載された爆薬、ヘリにかかっている慣性も“殺し切れば”、狙撃された標的は垂直墜落する。

 

 余人に説明しても上手く通じる感覚ではないため、説明を省いてしまったが後で虎杖さんに根掘り葉掘り聞かれそうだ。

 

 

 隅田川を利用する水上バスの運航時間は昨日の一夜漬けで記憶済み。確か、この時間帯の水上バスを使うといっていたから、此処で狙撃を済ませれば早いうちにリコリコの依頼の方へ合流できそうだ。

 

 嗚呼、噂をすれば影というヤツで、隅田川をゆうゆうと運航する水上バスが視界の端を()ぎる。同様に、ヘリも隅田川の上空付近へ出現。

 

 水上バスが通過し、際どい位置だがヘリも隅田川直上に差し掛かった。

 

 いま落としたら、まずいか?

 

 少し頭をひねって考えるが、まぁ、千束とたきなならなんとかなるだろう。

 

 

 そう結論付け、ゆっくりと息を吐き切る。

 

 残る最大にして最後の問題は弾丸を命中させること。

 

 (から)になった肺へ、時間をかけて深く酸素を送り込む。

 

 依然、問題はない。無人のヘリを照準したのち、視覚から感覚へと意識を切り替えた。感じ取り、手繰り寄せる虚無()の境界。境界の重なり合う所に存在する漆黒の点。見ているだけで正気と神経が磨り減るほどの狂気と死が充満した光景。

 

 嗚呼、とびきりの悪夢でも見ているようだ。

 

 調子は今日も今日とて絶不調。だが、任務をこなすのに支障は無し。まず、最初にスコープ本体の線や点を認識から拒絶。スコープ内に映り込む空や川、建物に刻まれた線・点も同様に認識から弾き出す。

 

 残されたのは、遠方で飛行するヘリの表面で不気味に蠢き、脈動するように拡大や縮小を不規則にする赤黒い線と点の数々。

 

その中で一際大きな()に照準を合わせ、息を吐き切って呼吸を止める。

 

 十字線(レティクル)が止まった。次いで照準した標的が認識の内で凍り付く。

 

 不意に、血の循環に伴う脈動()の音をはっきりと感じた。

 

 

 人差し指が引き金(トリガー)を絞る。

 

 

 撃針がリリースされ、300ウィンチェスターマグナム弾の雷管を貫く。Mk13が吠え、発砲によって生じた反動(リコイル)を肩の骨で受け止めた。弾丸は刹那の燃焼による推進力で飛翔する。少し遅れて、一発の弾丸がヘリに命中。

 

 的確に、精密に、弾丸は極点()を穿つ。

 

 すると、ヘリの表層を薄っすらと覆っていた線と点が、急激かつ爆発的に増殖?侵食?膨張?一瞬でヘリが赤黒い線と点に覆いつくされた、と感じたとき。

 

 黄理の感覚は標的の最期を正確に捉えた。

 

 ヘリは飛行するための揚力を失い、一瞬だけその場でピタリと静止。そのまま、死に絶えた鉄の塊は、垂直に隅田川へと落ちていった。水上バスの通り過ぎた少し後ろへ、ヘリが着水し、乗客たちが何事かと集まりだしている。

 

「……当たるもんだな、意外と」

 

 此処で外れたら、次の狙撃ポイントに行く羽目になっていたが、無事に当たって良かった。虎杖さんへ任務完了の報告を入れ、アキタカへ銃を返しておく。

 

任務も終わったことだし、これでリコリコの依頼の方へ合流できそうだ。

 

 着信履歴から千束の番号を選択、お小言を受けるのを覚悟し携帯を耳へ当てる。

 

「もしもし、こっちの仕事が終わったから、そっちに行けそうだ。何処で合流する?」

 

 

 

 

 

 

 リコリコを飛び出し、いざ東京観光と私たちが真っ先に目指したのは隅田川方面。ゆっくりと渋滞を気にせず、東京の街並みを遊覧できる絶好の移動手段。移動と東京の景観を楽しむことのできる一石二鳥で選んだ隅田川の水上バス。

 

 これはいわば、東京観光の最初の掴み。

 

まずはゆったりと松下さんに景色を楽しんでもらおう!

 

『これは、予想外でしたねぇ…』

 

「隅田川周辺って何本も川に囲まれていて。都心を水上バスでいろんなとこに渋滞を気にせず移動できるんです♪それに加えて、この眺め!」

 

 バッと片手を東京の街並みの方に広げて、隅田川から見た街の風景を指し示す。“おぉ”と松下さんが良いリアクションしてくれるものだから、街のどこら辺に何があるのとか、観光ガイドにも力が入る。

 

 いやぁ千束さんってば、ガイドの天才かもしれないなっ。

 

 

 

 そんな観光案内に夢中な千束の押す車椅子のあとを、周辺警戒をしながらたきなが追いかける。観光ガイドも依頼の中にあるが、暗殺を未然に防ぐことも依頼に存在する。むしろ、死んでしまえば観光を楽しんでもらうどころではない。

 

 辺りを警戒していると、岸の方でちらほらと黄理くんの制服とよく似たベージュの服をした男子を幾人か見かける。“リリベル”が何故?

 

 引っ掛かるところだが、ここで水上バスは旧電波塔が見えるところにまで来たらしい。記念写真や遊覧のため船速が落ち、目の前には平和の象徴として街並みの中で咲く旧電波塔の姿があった。

 

『あぁ、やっぱり折れてしまっていますねぇ』

 

 残念そうな彼の独白、松下さんを元気づけるよう千束が元気に声をかけた。

 

「折れてないの、見たことがあるんですか?」

 

『いえ、東京に来るのは初めてなもので…』

 

 松下さんの表情は変わらなくても、声に籠った寂寞の念が伝わってくる。彼はいま、過去の思い出と今の風景を重ねてみているのだろう。

 

 千束は優しい表情で松下さんの話に耳を傾ける。

 

『娘と約束してたんです。一緒に見上げよう。首が痛くなるまで、って』

 

 わたしは、なにも言葉にできない。彼の喪失に寄り添おうにも、命が失われる事に慣れ過ぎている自分では、彼の心に沈殿する悲哀に共感を示せないのだ。何も言えず、そっと顔を背けて私は旧電波塔に視線を向ける。

 

 

『ありがとう、あの世で良い土産話ができる』

 

「まぁだまだ~、始まったばっかりですよ~!!」

 

 千束は松下さんの言葉を聞いても、すぐに彼の今日という日をより良いものにしようと明るい声でおどけて、両手を満開の華のように広げた。

 

 

 塞ぎこんでもいいことはない。せめて今日という日を松下さんが何事もなく楽しめるように護衛を全うしなくては、と思いも新たに──。

 

 違和感、上の方から何か、異様な音が聞こえる。

 

 何か大きなモノが空気を押しのけ風を生む音。

 

 たきなが水上バスの手すりから身を乗り出すと、ちょうど水上バスが通り過ぎたところにヘリが墜落、隅田川へと着水するのを目撃した。

 

 

 ヘリという大重量の鉄塊が落ちたことで、ひときわ高い水柱が上がる。

 

 自爆攻撃?水上バスを狙ったもの?松下さんを狙った?

 

 様々な考えが錯綜するも、たきなは辺りを見回しながらサッチェルバッグの隠し収納へ、そっと手を沿わせる。千束も松下さんの車椅子を川側から水上バスの内側へ何げない動作で移動させた。

 

 襲撃犯が松下さんを狙ってのものなら、水上バスから急ぎ離れることも覚悟する。千束は脱出経路の確保のためミズキたちのいるリコリコに電話をかけようとして、違う番号から電話が入ってきた。

 

 電話してきたのは、朝いきなり来れないと連絡だけしてきた薄情者から。

 

 この唐突な状況と、タイミングばっちりに連絡をしてきた黄理の電話に千束は嫌な符号を感じ取る。千束のひどく形容しがたい表情と黄理からの着信でたきなも同じ考えに至ったのだろう。二人は渋面で顔を見合わせてから、覚悟を決めて電話に出る。

 

 

『もしもし、こっちの仕事が終わったから、そっちに行けそうだ。何処で合流する?』

 

「……その前に。さっき、隅田川にヘリが落っこちてきたんだけど、あれ黄理の仕業?」

 

『他に隅田川にヘリが落ちたって話がなければ俺の仕事だね……一応、船に落ちないよう落としたんだけど、なんかまずかった?』

 

 “まずいどころじゃな~い!”、と声を張りたかったが、依頼者の手前、わたしは大声を飲み込んで松下さんへぎこちなくはあるが笑顔でそっと手を振った。たきなはしかめっ面で頭を押さえて、口をへの字に渋く歪めている。

 

「隅田川に落とすの自体がまずかったって結論にどーしてならんかね?」

「黄理くん……いつも危なっかしいことばかりして…」

 

 わたしとたきなの苦々しい言葉に電話向こうの黄理は、言い訳にしてはスケールのでかい反論をしてきた。

 

『いやだって、そうしないと国会議事堂が……まぁ、細かい話はいいか』

 

 いや、ぜんぜん細かくないて、国会議事堂って。

 

 黄理の平常のトーンで呟かれた内容からは、雑に大事件を予感させる単語が飛び出してくる。リリベルでどんなスケールの依頼をこなしてきたんだろうって、気にならなくもないが、まぁ。

 

「浅草寺、雷門のとこで合流ね」

 

『うっ、よりにもよって一番、混み合ってるところ…』

 

「へ~ん~じ~は?」

 

『……ハイ、ヨロコンデ』

 

 電話が切れた、でも勝った。

 

 澄ました顔のまま、たきなにピースサイン。事情を理解したのか、たきなも無表情のままでサムズアップを返す。松下さんが“どうかしたのですか”と車椅子を操作して、こっちにやってくる。

 

 明らかに不自然な状況だが、ヘリが川に落ちたことだけは隠さず説明。そのまま隅田川から見られる観光スポットの案内を矢継ぎ早に説明し、事態を有耶無耶にすることで難を逃れられた。

 

 まったく、結婚式のときのことといい、今回の観光ガイドの邪魔までするなんて。もう、てって~的に埋め合わせしてもらわないと。

 

 

 水上バスを降りて向かったのは浅草、雷門通り。休日と七夕祭りのダブルパンチで、混み合う人たちで進むのにも苦労する状態だ。まっ、そんな中でも、きちっと観光名所の由来を説明してこそ錦糸町の名ガイドの腕の見せ所なわけですよ☆

 

 前方に見える“雷”の文字が掛かれた巨大な赤い提灯、金網の向こうに立つ一対の仏像を視界に捉えた千束はご機嫌で、あれらが何に由来するのかの説明を始める。

 

「正式名称は風雷神門。創建年数は西暦942年、正式名称の通り左に雷神、右には風神。浅草寺を災害や争いから守ってくれる神さま、ガードマンですねっ!」

 

 そこで千束は松下氏の正面に回って、微笑んだまま身をくるりと翻す。

 

「わたしとたきなとおんなじ~。でも、わたしたちは松下さん専属~♪」

 

『かわいい神さまですねぇ』

 

「えへへ~」

 

「さすがにあそこまで筋骨隆々とはいきませんが……」

 

 たきな、そこは深く考えず“かわいい”ってお褒めの言葉だけ受け取ればいいの。   

 

 マジで風神、雷神と並べられちゃったら、パワー的なとこで勝ち目ないよ。

 

 でも、松下さんの楽しそうな声が聞けて、わたしも嬉しくなって照れてしまう。手を頭へ当て、にまにましているとなんとなく、本当になんとなくだが“存在しない気配”の残滓にも似た何かを感じ取った。

 

 それは、人混みということもあって辺りを特に警戒しているたきなの五感すら欺く絶対の隠形。周囲に紛れ大気のごとく一体化した気配を千束は真っ先に半信半疑ではあれ、察知する。

 

 

「……黄理?」

 

「──呼んだ?」

 

 ひょこっと、背後から急に現れた赤い制服の青年。

 

 七夜黄理は人ごみに酔ったのか、何処となく調子の悪そうな様子で登場してくる。

 

「どどっ、どわぁぁ!?」

 

 自分で呼んだにも関わらず、まったく気配を感じさせないまま現れた黄理に、千束は跳ね上がる勢いで驚き、たきなに至っては千束の仰天の声と黄理の急な出現の両方に驚かされることとなった。

 

 一方で、千束とたきなを驚かせた黄理は、車椅子に座る松下さんを見て、訝しそうに目を細める。ゴーグル、酸素チューブなどの機械を付けた様子に面食らったのか?数秒ほど、黄理の珍しく“焦点”のあった瞳は松下さんを冷静に観察していた。

 

「眠ってる?」

 

『いえいえ、起きてますよ?あなたが噂の三人目のガイドさんでしょうか?』

 

「っと、喋った?」

 

 驚き、というか僅かに引いてる様子の黄理。ちょいと失礼なんで、たきなと合わせて黄理のつま先に踏圧を掛ける。

 

 踏まれた痛みで我に返った黄理は、失礼だったと静かに頭を下げる。

 

『やはり、はじめて見る方からすれば肝をつぶすでしょう。此処まで機械に繋げられていては』

 

「や、やや。機械くらいでびっくりするほど、この子は柔じゃないからだいじょーぶですっ!そうだよね、黄理?」

 

「子って、お前ね。同い年でなにを……まぁいいや。別に機械がどうこうじゃなくて、俺としては眠っていても…………いや兎に角、都会はすごいなぁ」

 

「どういう経緯と思考で、そういう結論になったんですか?」

 

「っていうか、松下さんはゴーグルで目元見えないだけでちゃんと起きてるから!」

 

 またもや、失礼をやらかしかけている黄理をわたしたちは慌てて窘める。そのまま黄理が自己紹介と挨拶と済ませたことで、ようやく観光再開だ。仲見世通りも半分を越えたところ、周囲には縁日の屋台や大道芸をやってる人たちが目まぐるしく今日というハレの日を満喫できるよう腕を振るっている。

 

 紆余曲折はあったが予定通り、ガイドが三人揃った。

 

 さぁて、松下さんにもっといっぱい東京観光を楽しんでもらおう!!

 

 

 車椅子を押し、人だかりのできている方へ千束は向かって行ってしまう。たきなはというと、先ほど黄理に気づけなかったことを内心悔しがっているのか、より一層周囲を警戒しながら千束たちへ続く。

 

 人混みに酔った黄理も荷物持ちと観光ガイドを務めるため依頼人と二人のリコリスの後を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 先日の脱線事故の傷痕が深く残る北押上駅の地下鉄構内。

 

 そこに立ち入った阿部刑事と後輩にあたる三谷刑事の二人は地下の事故現場を改めて捜査し直していた。上司に許可申請も、報告もしていない、いわば職務と無関係となじられてもおかしくない独自行動。

 

 三谷は先輩刑事に付き添って事故が起きたとされる現場に来たのだが、事故が起きたとされる現場は奇妙な違和感が漂っている。

 

 電車と電車の衝突で起きたにしては、不自然な被害の跡。コンクリートが円形にえぐられ、場所によっては丸く虫食いのように破壊の痕跡が刻まれていた。

 

 漠然とした違和感。巧妙な欺瞞のヴェールの気配。

 

 三谷刑事が言い知れぬ不安によって、辺りをなんとなく見回していると。

 

「おっ、よ~しよし。三谷、あったぞ」

 

 阿部刑事がこぶし大の瓦礫を放り投げてきた。投げられたそれを三谷が受け取り、瓦礫を裏返すと、そこには小さな金属の粒がめり込んでいる。めり込んだ部分から円状にくぼみができており、瓦礫にめり込んだ衝撃の大きさを物語る。

 

 三谷は刑事としての知識で、この小さな金属が何かを知ってはいた。

 

「銃弾……?」

 

「ご名答」

 

 ぞくり、と背筋に悪寒が奔る。今まで漠然と事故ということで何も考えずに処理していた違和感が全てひっくり返された。三谷はそこでようやく、この北押上駅の惨状に関する異常さを正確に認識した。

 

 おかしい。

 

 そうだ、おかしいのだ。

 

 電車同士の事故であんな円形の破壊痕が残るわけがない。虫食い状にえぐり取られた痕跡のどこを見て、自分はなんで電車の事故による被害と思ったのか?

 

 いいや、そもそもだ。

 

 なぜ、ニュースなどの報道は電車の事故ということで決着している?

 

「──阿部さん?」

 

「案外、落ち着いてるな。俺が気づいたときは結構、取り乱しちまったんだけど」

 

 阿部さんが懐からタバコを取り出し、火をつける。

 

 薄暗い地下に紫煙が揺蕩う。

 

「お前は勘が良い方だ。だからこそ自分で気づく前に一度は見せておこうと思ってな」

 

 阿部刑事のつぶやきを聞いているのか、いないのか、三谷刑事は目を見開いて周囲をもう一度、疑いを込めた瞳で観察する。

 

「これが、全部?」

 

「他の弾丸はとっくの昔に回収されてるだろうよ」

 

「これ……こんなの、もうテロじゃないですか!事故じゃない、今すぐ鑑識を呼び直して、いや署長に──」

 

「無駄さ、これは既に事故ということで処理されている」

 

 そこで、三谷は息を呑む。先輩刑事の信じられないくらいの冷静さ、落ち着き払った彼の言動。まさか、阿部さんは?

 

「…………阿部さん、まさか」

 

 ごくり、と固唾をのんで三谷刑事は僅かに身構えた。

 

「…………貴方が、この惨状を引き起こした犯人?」

 

「バカたれ、刑事ドラマの見過ぎだ」

 

 後輩の見当はずれな迷推理に阿部刑事は呆れ顔で返事をする。

 

「俺だって事件が隠されていることくらいしか気づけてないんだ。昔っから、きな臭い現場や事件には出くわしてきたが、旧電波塔事件のあと目に見えて増えてきている。こんな風に“事件”が “事故”にすり替わるようなヤマがさ」

 

「……署長が隠蔽を?」

 

「少なくとも署長はシロだよ。命令でもされてるのか。気づいているけど、気づいてないフリをしてるんだろう。それにコトは、うちの署だけで収まる話じゃない。もっと上が絡んでる」

 

「……」

 

 三谷刑事の顔から血の気が引き、表情が固まった。一介の刑事では明らかに荷の重すぎる内容。三谷はこの個人で背負うには重大過ぎる真相を消化しきれず、かといって警察としての職務を裏切れなかった結果、軽率な考えに逃げてしまう。

 

「これ、黙ってていいんですかね……。ほら、テレビとか?それでなくても、信頼できる記者とか探して──」

 

「三谷!!」

 

 あまりに危険な発言を阿部刑事の大音声が抑え込む。ハッと三谷刑事も自分が何を言っているのかを理解し、恥じ入ったように身を縮めた。今の大声で誰かに気づかれたかもしれないと、阿部刑事はその場から離れていく。

 

 三谷刑事もそれを追いかけると入れ違いで、何者かの“誰かいるのか!”という声を背に、二人の刑事は現場を後にする。地上への登り階段を上がる途中、阿部刑事は後輩を慮っての助言とお小言を贈る。

 

「三谷ぁ、相手はこんだけの事件をまるごと無かったことにする大物だ。あんまり無茶をするもんじゃねぇ。テメェの分ってのを知れ、自分の手が届く範囲を弁えるこった」

 

 薄暗い地下を出て、阿部刑事たちは停めていた車の方へ戻る。三谷刑事は頭を抱えて考え込んでいるが車に到着したことで思考に区切りをつけたのだろう。

 

 良い傾向だ、と阿部刑事は薄く笑みを浮かべ街の雑踏に視線を向ける。

 

 そうしていると、不意に雑踏の中から聞きなれた声が阿部刑事の名を呼んだ。

 

 

「あら、こんなところで奇遇ですね。阿部刑事?」

 

「──橙子さんか、どうもこんにちは。リコリコの外で会うってのも、確かに珍しいですね」

 

「まぁ、錦糸町の喫煙スペースでばったり会うときもありましたけど」

 

「あったあった。橙子さんがタバコ吸うなんて、外で出くわしたときにはじめて知りましたよ」

 

「リコリコ、全面禁煙ですから」

 

「喫煙者は煙たがられる時代ってことか、世知辛いなぁ」

 

 阿部刑事が凄まじい美人と仲良さげに話をしている光景を見て、三谷の思考が仰天のあまり硬直する。

 

 橙色の眼鏡をかけ、琥珀色の瞳を輝かせる赤毛の美女。これまで三谷が出会ってきた女性の中でも、間違いなく絶世とか、傾国なんて枕詞が付きそうな美貌の持ち主。三谷が目を見開いているのを見て、阿部刑事は橙子に目配せを送る。

 

 橙子が頷きを返してから、阿部刑事は簡単に橙子の紹介を行った。

 

「三谷、こちらは蒼崎橙子さん。俺の行きつけの喫茶店の常連仲間、あと神保町で人形アトリエと興信所をやってる人だ」

 

「初めまして、蒼崎橙子です」

 

「…あっ、初めまして!阿部さんの後輩の三谷です!よろしくお願いします!」

 

 勢いよく橙子に自己紹介をした三谷の慌てっぷりを阿部刑事と橙子が楽しんでいると、道路向こうの歩道から聞きなれた声を耳にした。

 

「──あれ?おーい、阿部さーん、それに橙子さんも~!」

 

 

「やぁ!!千束ちゃんか!」

 

 喫茶リコリコで見慣れた白の色合いが強い金髪。どこにいても一目でわかる赤い制服を着た顔なじみ、錦木千束がこちらに向けて手を振っている。こちらが気づいたのを見るや、振っていた手を額のところへ挙げ、茶目っ気たっぷりな敬礼を披露してくれた。

 

 阿部刑事もそれに合わせ、敬礼を返す。ご機嫌に笑っている千束の近くには、車椅子を押してるたきな、ぼんやりと周囲を眺めている黄理の姿があり、橙子も軽く手を挙げて挨拶をしておく。たきなは素直に小さく手を振り返し、黄理もぞんざいに手を振る。

 

 

「もう、あの子ったら。観光案内のバイト中でしょうに。もう少し愛想よくできないのかしら」

 

「…観光案内?あぁ、リコリコの仕事か。──千束ちゃ~ん、観光ガイド、頑張ってねー!」

 

「ありがと~!阿部さんたちもお仕事、頑張ってくださ~い!!」

 

 

 手を振って千束たちは祭りの喧騒の中に埋没していく。去った三人組と車椅子の老人を見送って、阿部刑事は三谷刑事へ涼やかに笑い掛けた。

 

「良い子たちだろ?ああいう子が笑って過ごせるならだれが何を隠してようと、なんだっていいって思えないか?」

 

「…警察官の職務を考えれば、不誠実って言われても反論できませんよ?」

 

「“市民の平和な生活を守る”のが立派な警察官だ」

 

 阿部刑事と三谷刑事が顔を突き合わせ、にやりと笑い合う。ただ、その様子を見て、蒼崎橙子は困ったように微笑む。

 

「……えぇと?なんのお話でしたっけ?」

 

 橙子の問いかけに阿部刑事は少し思案して、曖昧な表情で論点をはぐらかした。

 

「警察官の職務に関する話……ですかね?」

 

 

 

 

 

 二人の刑事が覆面パトカーで走り去ると、橙子は眼鏡を外して携帯を取り出した。

 

 数回のコール後、電話に出た相手へ橙子はつまらなそうな声音で報告を上げる。

 

「もしもし、北押上駅に侵入した二人組の件だが問題はない。虎杖さんにもそう伝えておいてくれ。ああ、それと黄理、私の臨時任務の報酬はいつもの口座に……はいよ、わかってるさ」

 

 橙子はうんざりした表情で髪をかきあげ、一方的に通話を切断してしまう。

 

 リコリコの依頼に合わせたように起こった無人ヘリの事件。何かしらの符号と予感を感じ取った橙子は、不機嫌そうに眉をひそめ懐から“煙龍”という銘柄のたばこを取り出す。ライターを取り出しかけたところ、此処が喫煙スペースでないことに気づいて舌打ち。

 

 

“……厄介だな”。

 

 それが指し示すのは喫煙のことか、黄理のことか。

 

 思考を明確に区切らないまま、艶やかな赤髪を靡かせて橙子はタバコ片手に、喫煙スペースを探すために歩き出した。

 

 




 今回、冒頭は黄理視点からの導入。黄理視点はもっと配分多めの方が良いか、これまで通り千束たち視点多めで進めるか、悩みどころ。後半は、ほんのり空の境界風になるよう描写を努力しました。みなさまの感想、ここ好き、絶賛募集中です。
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