Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 今回の妄想アイキャッチは、ファーストリリベルの上着を腰に巻いている千束、ファーストリリベルの上着を羽織っているたきな。
 


So far, so good【3】

 

 

 昼下がり、かき入れ時だというのに喫茶リコリコは臨時休業中。

 

閉め切られた店の奥、バックヤードである奥座敷では現場組のサポートのため、ミカとクルミが非常時に備えて詰めている。現場のモニタリングのため、黄色いドローンが千束たちの足取りを追いかけ、周囲警戒をかねて飛行しており、その映像がクルミのパソコンに送られていた。

 

 クルミの眺めるモニター上では、依頼人である松下氏の横ではしゃいでいる千束や、それを横で見ていたり、時として一緒に笑うたきなの姿があった。少し遅れて、大量の荷物を持った黄理がてくてくと呑気な歩幅で千束たちを追いかけている。

 

 

 観光案内中の千束は飛んだり跳ねたりして、好奇心旺盛な子犬みたいに忙しなく駆け回っているのがモニターできた。

 

 後方支援と緊急時の指揮をするため、僅かに緊張の漂うリコリコ店内。ミズキもバックアップで出ているため、ミカと二人だけの状況にあるクルミはあらまって任務開始前の話の続きを切り出した。

 

「あれだけの運動をして問題のない人工心臓とはね……しかも日常生活はもちろん、裏稼業のドタバタができるほどの耐久性だろ?DAの技術開発部のサーバーを覗いてみたいなぁ」

 

「覗いても無駄骨を折るだけだよ。あれはDAの技術ではない」

 

 言われてみて、クルミは確かにと内心で頷いた。DAは治安維持のための暗殺や制圧、捕縛を基本任務とする秘密組織。そんな組織が現代医療を遥かに優越する医療技術など持っているのは考えにくい。

 

「となると、これかぁ?」

 

 クルミはドローンに搭載されたレンズの倍率を操作。

 

 ズームされた映像にあったのは、千束の胸元にかけられた鈍く金色に光るフクロウのチャーム。同様のチャームを横の黄理も付けており、時々思い出したかのごとく不満げにチャームに触れている。随分と邪魔そうに扱うものだな、とクルミは皮肉気に口角を上げた。

 

「まさか黄理もアランチルドレンだったとは……ボクは一言も聞いてないぞ」

 

「それについては私もこの前、初めて知ったことだ」

 

「意外だな。黄理とは千束と同じくらいの付き合いなんだろ?」

 

「そういっても厳密には彼は伽藍の堂、リリベルの所属でリコリスとは指揮系統が異なる。まぁ、リコリコもリコリスの指揮系統の範疇にあるかと問われれば微妙なところではあるが……」

 

「ふ~ん、そんなものか……そうだ、前から聞きたかったことなんだが」

 

「というと?」

 

 クルミは好奇心を瞳に宿して、ミカの目を正面から捉える。

 

「千束と黄理、どっちの方が強いんだ?」

 

「…………二人の実力の比較に興味があるのかい?」

 

「まぁ、無知が嫌いなもので。それに素人の私から見てなんだが、黄理は本当に千束と同じくらい強いのか疑わしかったのさ」

 

 そう言われ、ミカはクルミが黄理の戦闘を目の当たりにしていないという事実を此処で認識した。

 

「言われてみれば、クルミは黄理くんの戦闘を見たことがなかったのか…」

 

「ああ、以前の海ほたるでのいざこざではドローンが用意できなかった。それに、裏の仕事をしている黄理をボクは見たことがないんでね。黄理の実力を推察するには判断材料が少なすぎる。それに……」

 

 パソコンに映し出されたのは、掃射される弾丸の中を真っすぐに歩いていく千束の姿。銃弾を一発も受けず、平然と敵との距離を詰めていく彼女の映像。こんな常識外れの存在と対等な存在が実在するのか、クルミの目には薄っすらと疑いの念が入り込んでいる。

 

「銃弾を避ける千束と並び立つ存在がいるというのは個人的には信じにくい。黄理が巨大なモニュメントを裁断した話は聞いたが、それが対人でどれほど役に立つ?」

 

「まったく役に立たないな」

 

 此処に来てのちゃぶ台返しはさしものクルミも予想外だったらしい。顔をあげ、瞳を零れんばかりに見開き、幼気な碧眼がミカを見つめる。

 

「……どんなものでも壊し、裁断する黄理くんの才は暗殺者としては大げさすぎるんだ。おまけに彼は千束との約束で殺人を自身に禁じている。対人で考えるなら無用の長物だろう」

 

「……では、千束の方が強いということかい?」

 

「そうとも言い切れん。黄理くんには卓越した暗殺者としての適性があるからな」

 

「殺しはしないんじゃなかったっけ」

 

「だから“殺人の適性”ではなく“暗殺者としての適性”と表現したろう?千束は確かに弾道を予測、回避し強襲制圧する技能に長けている。対して黄理くんは、気配を殺し、知覚されることなく敵を無力化する隠密奇襲に優れている。互いに実力は伯仲しているが、長じている分野が違い過ぎるため、単純に比較できんのさ」

 

 

 しかし、それは七夜黄理が“不殺”であることを前提とする。もしも彼の全能力が殺人のために運用されたならば、史上最強を冠するリコリスとの戦力比はどれほどか。そこまで考えて、ミカは自分がありえない想像をしたことに気づくと静かに笑った。

 

「ふ~む、分かりやすく言うなら千束は正面突破に長け、黄理は絡め手に長ける、と。なるほど、比較しようにも長じている分野が違い過ぎて比べようがないな」

 

「そういうことだ。長らく二人を見てきた私から言うとすれば、明るく開けた空間での強襲戦なら千束に分が、暗い閉所で遭遇戦ということなら黄理くんの有利に働く。千束の観察眼とて並大抵のものではないが、“自身の有利に働く空間”を作ることで黄理くんの右に出るものはいない」

 

 ミカの発言の意味が分からずクルミの眦が下がる。いくら詳しく説明されても、戦闘は門外漢である以上、正確な把握は困難を極めた。千束と黄理の実力が同等であることだけを理解して、天才ハッカーはオペレーションの方に集中する。

 

 明らかに興味を失ったクルミの正直さに、困った笑みのミカが総括に入る。

 

「とどのつまり、千束も黄理くんもアラン機関の支援を受けるほどの天賦を持ち合わせているということだ」

 

 アラン機関、その単語と存在に因縁を持つクルミは難しい表情でパソコンに映し出されたフクロウのチャームを睨みつける。

 

「アラン機関の支援ねぇ、目的も知らせず、何がしたいんだか?」

 

「君に秘密、というのは逆効果みたいだな…」

 

 わかってるじゃないか、とばかりにクルミは鼻を鳴らして頬杖を突く。

 

「千束についてはこういうことだろう?命と引き換えに、世界への使命を与えられた、と」

 

 黄理の方は未知数だが、分かる方から解き明かしていこう。

 

 弾道を予測し、弾丸を避ける規格外の才を持つ少女。

 

 彼女に課され、託されたのは“祝福”、あるいは“呪い”なのか──。

 

 

「千束の使命はなんだい?」

 

「……それを決めるのは千束だよ。あの子が何を選び取るかだ」

 

「全ては千束任せか、信頼というには少し無責任じゃないか?」

 

 敢えての挑発めいたクルミの語り口に、ミカは冷静かつ即座に反論を繰り出す。その反論を出す早さが意味するのは、彼がその問題にどれほどの時間、頭を悩ませてきたかを象徴していた。

 

「大人なら、より良い選択ができるという考え方は傲慢だよ」

 

「……無責任と傲慢。はたして、どっちがマシな大人かな?」

 

 

 

 

 

 再び、水上バスに乗り込んだ千束たち四名は、東京の景観に現れた大樹を思わせる超高層建築を水上から観覧していた。天を衝く巨塔は、完成を待たずして周囲の建築物からひときわ抜きんでた高さを誇っている。

 

『あれが延空木ですか』

 

 建築途上でありながら、旧電波塔を越える巨大さと威容。

 

 新しい東京のランドマークにして平和の象徴、“延空木”。

 

「十一月には完成らしいです。完成したらリコリコで竣工記念的なノリの延空木パフェとかやってみよっかな~」

 

「ミーハーですね…」

 

「軽薄、というか現金なだけだろ」

 

 遊び心を解さない二人へウィンクをして千束は訂正を求める。

 

「商売上手と言ってもらいましょ~か♪」

 

「平和の象徴をダシに商売ってありなんですか?」

 

 たきなのジト目の視線を千束は顔を反らし、延空木を眺めていた。

 

 今はまだ、東京の景観に馴染んでいない延空木。完成したら東京の街並みはどんな風に変わっていくだろう。あやふやな未来の景色を思い浮かべる、それはなんだかとっても夢のある贅沢(ぜいたく)だ。

 

『実は設計に知り合いが関わっているんですよ』

 

「わ~、すごいっ!」

 

『ほんとうに……彼は未来に凄いものを残している』

 

「じゃあ、完成したら見に来てくださいね。また、ご案内しますよ」

 

 “また”、そう今日で終わりじゃないのだということを言葉にする。たとえ今日が終わっても、明日は続いていく。そして、そんな明日が繋がり続けて未来になる。これで、今日が最後なんてことは考えない。終わりの時なんて終わるときまで考える必要なんてないもの。

 

 延空木が完成したら、その時は、また今日のメンバーで観光案内をしよう!

 

「延空木か……また折れないといいけど」

 

その、“また”はマジでいいから!!

 

 松下さんは黄理の話を冗談と見てくれたっぽいけど、わりと綱渡りな発言だったのは明らかだ。ていうか、綱を一歩目で踏み外してる感が否めないけど……。

 

ともかく松下さんは、未来を見据えた話に返事をくれた。

 

『えぇ、またお願いします。君たちは素晴らしいガイドだからね』

 

 

 松下さんが熱さによる疲労から、船内の方で休憩をするといって離れていく。付き添いをしようかと手を挙げるが松下さんに遠慮されてしまった。護衛付きとはいえ、暗殺の恐れがある中での東京観光。思考の片隅には、死の恐怖と心労が常に付きまとっていただろう。

 

 一人でゆっくりと気の休まる時間も必要と察して、私たち三人は周辺警戒にリソースを回す。さて、と。松下さんがいる手前聞けなかったから、我慢していたけどもういいよね?

 

 たきなとわたしは延空木をポケーと眺めてる黄理を挟み撃ちにした。両隣を固められ、逃げ場がなくなってから、黄理が渋い顔で松下さんが行ってしまった船内の方を伺う。でも、松下さんがこちらを呼ぶ気配は依然なく、二人のリコリスによる取り調べが始まった。

 

「もうヘリ、落ちてきませんよね?」

「というか、今日のリリベルの任務って何してたの?」

 

「長い話になるから、仕事が終わった後にでも──」

 

 輝かしいまでの満面の笑みを向けられた黄理は観念して天を仰いだ。

 

「却下でーす」「ダメです」

 

「……分かったよ、降参だ。黙ることもできそうにないし潔くするさ。でも、その前に何か飲ませてくれ。ここまで歩きどおしで喉が渇いた」

 

 

 近場にあった自販機で飲み物を購入し、たきなが戻ってくる。

 

「どうぞ」

 

「ありがとぉ~」

 

たきなは千束に炭酸飲料を手渡し、彼女の隣に座る。

 

「黄理くんも」

 

「っと、どーも」

 

 立っている黄理に缶コーヒーを、ふわりと投げて寄越すたきな。突然のパスをなんなく受け取り、黄理はコーヒーに口を付ける。すると千束のどこか咎めるような、羨ましそうな目線にたきなと黄理が同時に気づいた。

 

「どうしたんですか、千束?」

 

「どうかしてるのか、千束?」

 

「ど~もしてないやい!」

 

 立っている黄理を睨みつけ、千束は頬を膨らませる。そんな千束を訝しそうに見る二人の目線に耐えかね、開けてない缶を手元でいじりながら千束は本心を吐露した。

 

「……さっきの黄理とたきなの、なんかズルい」

 

 “さっき”、と言われて黄理は不可解そうに考え込むが、たきなは呆れつつも千束が何を羨ましがってるかを理解する。

 

「いえ、千束のは炭酸ですよね?投げたら大変なことになるのが分かり切ってるじゃないですか」

 

「それでも~、二人はやってるのに私だけやってないのってなんかヤダー!」

 

「子供かよ」

 

「…仕方ありません」

 

 たきなは千束の手の中にあった炭酸を預かり、立ち上がった。少し距離を離し、缶を持ち直し片足を上げると──。

 

「ちょぉ!?投球のフォームはさすがに!」

 

「銃弾よりは簡単でしょう、ほらいきますよ」

 

「えぇ~、もっと何気ない感じでっ、もぉぉぉ~!」

 

「容赦ないなぁ」

 

 流石に缶は加減して投げられ、千束は慌てふためきながらもしっかりと捕球を成功させるのであった。ちなみに千束が慌てたのは、缶の球速ではなく、たきなのスカートがめくれる恐れだったのだが、たきなはこれに気づいていなかったようだ。

 

 

 

 喉を潤しながら、黄理は朴訥に今日の朝、文字通り飛び込んできたリリベルの任務について説明を連ねていく。最強のリリベルが請け負った任務は、まさしく壮大で眩暈がするほど面倒そうな案件だった。

 

 しかし、もっとも驚くべきなのは──。

 

「つまり、黄理くんは爆弾を積んだ無人のヘリを午前中の短時間で片付けたんですか?」

 

「短時間って言われてもなぁ。結局リコリコの依頼に遅れてるから、意味ないだろ」

 

 謙遜や不遜さもなく、ただただ平常に語られた内容にたきなは言葉を失う。東京上空で爆発物が乗ったヘリを起爆させることなく墜落事故として収拾させる、そんな無理難題をこなしておいて意味がないと軽んじる。

 

 

 私は目を瞑り、頭痛を堪える素振りで息をつく。千束も黄理の無茶には慣れっことはいえ、さすがに言いたいことがあったようで。

 

「落とそうと思えば別のところにも落とせたでしょ、なんで寄りにもよって隅田川?」

 

「あー、リコリコの依頼に間に合わせようとしたら、隅田川しかなくてさ。ほら、遅れるなって千束も言ってたろ?」

 

「ちょっと、千束……」

 

「いやこれ、わたしのせーじゃないよね!?こらぁ、人を言い訳に使うんじゃなーい!!」

 

 はいはい、と千束を適当にあしらって、黄理くんはしおりを取り出す。

 

「観光案内、上手くいってるみたいだな」

 

「そーですよ~だ。どっかの誰かさんが落としたヘリが無ければ、も~っと、上手く行ってたんだし」

 

「喜んでもらえているみたいですよ?」

 

 千束はもう少し拗ねた態度を取ろうとしたが、私と黄理くんに今回の観光案内が成功してることの太鼓判を押され、すぐに上機嫌になって楽しそうに笑い出した。

 

「わたし、良いガイドだって☆まいったなー、そっち方面の才能もあるのかなぁ☆」

 

「観光案内も結構ですが、依頼者の警護を優先してください」

 

「…そうだね、そうだった~」

 

 脱力した千束を見て、私は今朝の一幕を思い出し千束の胸元に視線を向ける。ほんとうに、千束の心臓は──。

 

「なになに?どーしたの?」

 

「今朝の話って、本当なんですか?」

 

「…今朝?」

 

 黄理くんが不可解そうにしていると、千束は困った顔で胸の中心を人差し指で指し示す。どういう意味かを理解した黄理くんは、“なるほど”と呟いた。

 

「人工心臓の事……たきなに言ってなかったのか」

 

「知ってたんですか、千束の心臓のこと?」

 

「昔、電波塔事件の時に流れでな。こいつ、言うのが遅いというか、言っても今更って思うときになってから、ようやく口を開いたんだ」

 

千束は二人のしかめっ面に苦笑しながら、手のひらの中で先ほどキャッチした炭酸の缶を転がしている。

 

「人聞き悪いなぁ、自分の心臓の事なんて日常生活じゃ話題になりにくいでしょ~。たまたま言い忘れてただけだって……鼓動無くてびっくりしたけど、すごいのよ~これ♪」

 

 千束の胸にあるという人工心臓。日常生活やリコリスの任務を私以上に遂行している点からして、健康面での心配は不要だというのが分かるが、やはり理屈だけでは納得できない。

 

 思わず、好奇心と無意識が混在し千束の胸に手が伸びて──。

 

「ちょ、ちょいちょいちょい!」

 

 千束の交差させた手が邪魔に入った。

 

「確かめようと思って……」

 

「だからって、公衆の面前で乳を触るな!」

 

 ……確かに。

 

 言われてみれば、今回は千束の方が正論ではある。結局、千束の心臓が鼓動を鳴らしてないのか確認できなかった手は行き場を失い、どうしようかな、と考え続けていると、ふと気づいてしまうことがあった。

 

 

 黄理くんはどうして千束の人工心臓のことを知っていたのか?

 

 いや、知った時期は電波塔事件のときと聞いているけど、どういう経緯と状況で、黄理くんは千束の胸の鼓動がない、つまり人工心臓ということを知ったんだろう?

 

 思考と想像を膨らませ、ようやく結論が出た気がする。

 

 ある結論を朧げに出した私は、勢いよく立ち上がると千束の肩を掴んで目線を真正面から補足する。決して逃げられないように、逃がさないために。

 

「千束、一つ教えてください」

 

「えっ、あっ、はい。なんでしょう?」

 

 思わず敬語になった千束の反応を気にすることなく、たきなは間を置かず質疑応答にかかった。

 

「千束は黄理くんに胸を触られたんですか?」

 

 たきなの問いを聞いた千束は缶を取りこぼし、座っていた場所から転び倒れた。一方、黄理はたきなの思考の推移を、なんとなく予想して面白そうに笑っている。

 

「なるほど、そう来たか~」

 

「ちょぉぉ!!感心してる場合か!?違うって、黄理が人工心臓のこと知ってるのは私が教えたからでぇ~!!」

 

「やはり胸、いえ千束が言うには乳を……」

 

「触らせてませんっ!!」

 

「アハッハハハ!!もうダメだ、反則だろこんなんっ!」

 

「笑ってる場合じゃなーい!!黄理も違うって言うの!」

 

 ドタバタと慌ただしく騒いでいた千束たちは、気が付くと三人とも可笑しさのあまり笑い合っていた。何が面白かったか、何で騒いでいたかなど気が付くと忘れており、この三人でいられる時間が、ただただ楽しくて仕方なかった。

 

 

 しばし、三人が揃って笑い合っていると、ふとした拍子に黄理が鋭い視線を川岸の方に向ける。彼が笑うのを止め、瞬時に纏うのは警戒と敵意からなる冷たい毛皮。あまりにも凄まじい黄理の変化にたきなは、少し怯えかけたが普段の間の抜けた彼を知っているために立ち直りは早く済む。毛並みを逆立てるかのごとく絶対零度の気配を発する黄理の背中を、ぽんと叩いた千束は愛し気に目を細めつつ困った表情でリコリコに連絡を入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 千束の連絡を受けて、クルミは指定された方角にいるバイクに乗った男の素性を調べ上げた。また、調べている最中(さいちゅう)、クルミは七夜黄理の野生の獣じみた察知能力に舌を巻く。確かに言われてみれば、一般人らしからぬ立ち居振る舞いをしているのは分かるだろう。だが、水上バスから川岸の道路まで距離の離れた状況で敵意、あるいは視線を察知できるものなのか?

 

 

 “とんでもないな”、という感想を胸に留めて現時点でわかった敵のパーソナルデータを千束たちと共有する。

 

「明らかにそっちを追いかけてるな、松下の命を狙ってる暗殺者と見て間違いないだろ。男の名前はジン、フリーの暗殺者。その静かな仕事ぶりから、サイレント・ジンとも呼ばれる。ベテランの殺し屋だとさ?」

 

「サイレント?」

 

 クルミの何処か面白がっている声と正反対に、ミカの口調に緊張が入り込んだ。ただ事ではないと気を引き締めてクルミが尋ねる。

 

「知り合いか?」

 

「ジンとは十五年前まで警備会社で共に裏の仕事を担当していた。私がリコリスの訓練教官にスカウトされる前の話だ」

 

「どんなヤツなんだい?」

 

「本物だ。サイレント……仕事を失敗したという話も、ヤツの声も聞いたことがない」

 

 いやサイレントって、口数が少ないからって理由じゃないよな、と呆れながらも、ジンと呼ばれる男をドローンで追跡。といっても、ドローンも電池や通信範囲の制限でいつまでも追いかけられるわけじゃない。

 

『ターゲットを確認。わたしはまだ顔バレしてないし発信機つけてくる』

 

『オッケー、こっちも任務をぞっこーすんね。……ハイ、松下さ~ん!それじゃあお次は美術館の観覧にいっきましょ~☆』

 

『なぁ、この菊最中(モナカ)って経費で落ちる?』

 

『ダメですよ、黄理くん。自分用のお土産は自費負担です』

 

『自分用じゃなくて橙子さんに持っていくんだけど』

 

『むっ、それなら……』

 

『コ~ラ、黄理を甘やかさない。はやく美術館に行くよ~、あとそのモナカ私の分もよろしく』

 

 

『アアァァァ!?呑気に観光してるヤツらと、ヒットマンに発信機付けに行く私で、おんなじ仕事してるとか、マジで言ってんの!?』

 

「がんばれ~」

 

 本部からのぞんざいな声援にミズキが文句を付ける。

 

『現場の人間をもっと労わんなさいよっ』

 

『労わるに相応しい働きをしてからな~』

 

『クッソ~、仕事が終わったらフロアでこき使ってやる!』

 

 そうこう雑談をしている間に、滞空しているドローンからは視認できない高架下へジンが潜り込んでしまった。

 

「上からは確認できない、ミズキの方はどうだ?」

 

『……今、柱の陰のとこでバイクを止めた』

 

 こちらに気づいていない絶好のチャンス、と喜んだのもつかの間。

 

 ジンはサイレントの異名どおり音なくスマートに振り返るや否や、手に持った銃の一発でドローンを撃ち落とした。

 

 なるほど、ミカの見立てどおり、こいつは“本物”だ。

 

 しかし、ドローンがバレていたということは──。

 

「おい、ミズキ?」

 

『クソッ、バレてる!』

 

 こちらが忠告するまでもなかったらしい。

 

 敵に気づかれた以上、追跡続行の危険は冒せないとミズキはジンから距離を離す。ジンの意識からミズキが抜けるまでは、予備のドローンでも展開してもらおう。

 

 現場に干渉するためのドローンが無い現状、ハッカーとしてできることが大きく制限される。こうなっては次の目的地である美術館の見取り図を確認するくらいしかやることがない。どうにか、ジンが依頼人である松下を襲撃する前に間に合うといいが……

 

「ジンはまずいな」

 

 ミカの言う通りだ。経験に裏打ちされ、任務を忠実に遂行する暗殺者。後手に回り続けるのは分が悪い。

 

「予定変更。依頼人を避難させつつ、こちらから一人打って出るべきだ。予備のドローンとミズキが付ける発信機でジンを補足次第、攻撃に出る。行けるな、黄理?」

 

『行けるけど此処で一枚、駒を使うのか?護衛やってる身としては頷きにくいな』

 

 確かに当初の予定にないことをする以上、何処かに穴は生じる。だが、ジンを牽制せずフリーにさせ続けるのもリスクが高い。黄理に何か考えがあるのか?

 

「じゃあ、代案は」

 

『追われる側の利点を使う。待ち伏せで向こうを仕留めるさ』

 

 それって、つまり依頼人を囮にするってことでは?流石にまずいだろ、とミカの反応を伺う。しかし、予想外なことに躊躇いがちではあったが、ミカはおもむろに首肯した。囮とかを嫌いそうな千束からの文句もない。

 

「…逃げよりの攻めということか、悪くない」

 

『逃げても、攻めても良いけど、わたしはドローンを起動させたら美術館に車回す。道草しないでよ』

 

「ミズキ、ドローンまだか~」

 

『アンタも現場に来て、ちったぁ手伝えっての!』

 

「ボクが行っても、やることなくてリコリコにUターンするのがオチだぞ」

 

『やることがっ、やることが多い!!──って、え?』

 

 インカム越しの鈍い、打撃の音。ということは……。

 

『ジンだっ!!こっんの!?誰か~!変質者が、ングッ……ム~!!』

 

 

 まずい、ミズキが返り討ちにあった。ジンが標的以外の無駄な殺人はしないと信じたいが、こうなるとミズキはいないものとして考える他ない。現場でドローンが展開できないため、リコリコの窓より予備のドローンを送り出す。

 

 ドローンが現場に行くまでの時間、周辺のモニタリングができない。サイレント・ジンにしてやられた、変えようのない事実を口惜しさと共に反芻する。クルミは碧眼に負けん気を宿し勢いよく座布団に座り直すと、周辺の地形情報、監視カメラの管理権限を片っ端から取得、精査し始めた。

 

 

 

 

 

 千束たちが美術館に着き、展示コーナーへ入ろうとしたところでクルミから通信が入る。

 

『ミズキと連絡が途絶えた、ジンが仕掛けてくるぞ』

 

 松下氏と話をしている千束、辺りを見回すたきなの顔が僅かに曇る。同じく通信を聞いた黄理は酷く冷めた視線を伏せて、密やかに動き出す。

 

「了解、適当に当たってきます」

 

 それだけを言い残し、黄理は入り口の列を離れてジンの迎撃に向かった。

 

 

 

 向かうといっても目星はついている。七夜黄理は暗殺者としての体験と、護衛としての経験から、暗殺者が標的を狙う際に何処に位置取るかを感覚的に把握していた。ただし、あくまでそれは勘に過ぎず、確証は存在しない。保険としてクルミに協力を要請しておく。

 

 美術館の出口側に陣取った黄理は使い慣れた棍とベレッタを抜き、バネとなる足を緩く折り曲げた。腰のホルスターにあるワイヤーガンは、まだ抜かずにとっておく。

 

『美術館内の監視カメラの映像を顔認証にかける。野外は予備のドローンを向かわせたから、十分後に解析が始められそうだ』

 

「ミズキさんはどう?」

 

『連絡は途絶えたままだ。この調子だとジンもそこまで来てるかもな…美術館の入り口側は館内カメラで見張っておく。出口の方は目視で警戒しておいてくれ』

 

 監視カメラか、本当に便利なものだ。こうも容易く、離れた場所の状況を把握されては、暗殺者も仕事がしにくくて仕方ない時代が来るだろう。

 

 物思いにふけっていたとき、耳元のインカムから良い報告が飛び込んだ。耳元で騒がしくされるのと、耳に物をつけるのがひたすら億劫だったので、本気で外そうか考えたが、仕事中だ。好き嫌いをいってる場合でもないか。

 

『ちょっと待て!ミズキがジンに発信機を付けてた。死んでもこっちに情報を残した!』

 

「冥途の土産なら、差し違えるくらいしてほしいもんだけど」

 

『二人とも、死んだと決めつけるのはよくないと思うぞ』

 

 それはそうだが、こっちには少し昔の遺恨があるわけで──。

 

「前にミズキさんに轢かれてるんですから、これくらいは許してくれますよ」

 

『話はここまでだ、もう美術館に来てる…』

 

 緊張感を漂わせたクルミの声と同時、俺の視界に見たことのある思念の色彩が入ってきた。船で一度見た覚えがある。護衛対象を付け狙う男の感情の色合い。命を奪い、奪われる事を知る冷たい殺人者の彩。もっとも今日、千束が護衛している松下とかいう依頼人に比べたら、“真っ当な生者”の色合いだ。驚くほどではない。

 

 確か……(さい)の目のジンだっけ?

 

 名前なんてどうでもいいか。後方から迫る暗殺者を補足。ああそうだ、リコリコの任務だし、後で追及されるのも面倒だ。報告はきちんとしておくとしよう。

 

「いたぞ」

 

『後ろだっ!…はぇ?』

 

 ジンの思念の色から飛び出すタイミングを読み、廊下の角から出たところに銃を構え射線を置いておく。勢いよく敵が飛び出した。出てきた長髪の男がこちらを照準するより先に銃撃。牽制目的のため、二、三発は外れたが腕、腹部に何発か命中した。だが、サイレント・ジンに負傷はなく依然として健在のままだ。

 

 しかし、敵の暗殺者はありえないモノでも見たように瞳を見開いて、表情を引きつらせている。いや、こっちはそれよりも文句を言いたい。

 

「なんか、コートが防弾っぽいんだけど…」

 

 面倒だという態度を隠さない愚痴がこぼれてしまう。ジンと接敵した俺に、クルミから無難な指示が寄越された。

 

『そのまま千束たちから引き離せ。というか黄理、お前さっきなんでボクよりも先に気づくことが──』

 

 背中を預けている壁の端が敵の銃弾によってえぐり取られた。こちらも撃ち返してみるが、相手の方が射撃の精度は上だ。

 

「目が無駄にいいもんで……こっちは適当にやっとくから、クルミはミズキさん探しといてくれ。こっちを迎えに来る人がいないのは流石に不便だ」

 

『……ああ』

 

 悠長に話し込んでいる時間がないのを理解してか、クルミは強すぎる好奇心を抑え込んで自分の仕事に戻った。いや最後の返事からして、後でとやかく聞かれそうな気がする。

 

 それよりも──。

 

 

 こちらへ撃ち返してきたジンだが、すぐに下がってしまう。魂胆は見えた、護衛役を一枚剝がす釣りを狙っているらしい。現に敵の思念の色合いが急速に離れていくのが見えた。既に館内から離脱したと思うが、発信機はどうだろう?

 

「クルミ、発信機の反応ってまだ博物館の中か?」

 

『ちょっと待て…あぁ、まだ博物館の中に(とど)まっている』

 

 発信機に気づいて、こちらをおびき寄せておく餌にしたか。面倒と考えながら窓の外を見ると、博物館を静かに離れていく長髪の男の背中を見てしまった。クルミも発信機が作動したことで油断し、監視カメラへの注意が逸れたか。それとも、ヤキが回ったか。

 

「いま、外に出ていくジンを見かけたけど?」

 

『なに?……あっ、ジンのヤツ屋上から雨どいを伝って、入り口側の監視カメラをすり抜けた!もう、博物館を離脱してる!千束たちの方に行ったぞ!』

 

 インカムの通信先を千束たちへ変更する。

 

「こちら博物館側、ジンがそっちに行ったって。俺も今から東京駅の方に向かう」

 

『うん、こっちは東京駅にあと少しで到着する。黄理もはやく来てね』

 

『──駅に着き次第、私もジンの迎撃に当たります』

 

 沈んだり、気負ったりと、ミズキさんのことで二人も余裕がないのが通信越しでも分かってしまう。高性能だか知らないが、インカムの拾う音質がもっと悪ければ、気づかなくて済んだというに……。

 

 まったく便利過ぎるというのも、本当に考えものだ。

 

 




Tips

 幼少期の七夜黄理は、粗野粗暴を地でいく話し方だった。リリベルでの教育や訓練などで、一般的な口調になったように見えるが、寝起き時や、やる気が無い場合、機嫌が悪いときにはかつての口の悪さが垣間見える。
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