Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 推奨BGM、ベン・トーより”LIVE for LIFE 狼たちの夜”。

 注意:当小説はリコリス・リコイルの二次創作、のはずです。




LIVE for LIFE 史上最強の味わい!豚バラ蓮根の西京焼き弁当280円【1】

 

 

 

 需要と供給、これら二つはあらゆる経済活動における絶対の要素である。これら二つの要素が寄り添い、交差する流通バランスのクロスポイント。

 

 その前後に必ず発生する微かなズレ。その僅かな領域に生きる者たちがいる。己の資金、生活、そして誇りを懸けてカオスとなる極狭(ごっきょう)領域を狩場とする者たち。

 

────人は彼らを、“狼”と呼んだ。

 

 

 

 

 錦糸町の夕刻、仕事帰りの会社員や主婦、部活で遅くなった学生などが日々の糧、生活必需品などを買っていくとあるスーパーマーケット、“五輪ピック”。

 

 今時珍しいチェーン店ではなく、個人店主が地域密着店舗として経営し、巧みな経営戦略と商売によって繁盛している錦糸町のスーパー。

 

 仕入れ先と直接交渉をすることにより新鮮な野菜から、肉や魚などの生鮮食品を格安で取り扱うこのスーパーは評判がよく、錦糸町外から来店する者が絶えない。そんな五輪ピックの総菜売り場を越えた先、軽快な店内BGMが流れる弁当売り場。夕暮れ時、買い物客が減り三割引きでも弁当が未だ売り場に陳列されている。

 

 周囲のお菓子の陳列棚や冷凍食品のコーナー、缶酎ハイが積まれた棚の陰から、弁当売り場に存在する弁当を観察する十を超える人影。彼らは張り詰めていた緊張感をより研ぎ澄まし、来たる運命の刻。

 

 

 半値印証時刻(ハーフプライスラベリングタイム)を待つ。

 

 

 弁当売り場を密やかに観察する彼ら、彼女らこそ、誇りと信念、生活を賭して礼儀と共に闘う者たち、スーパーを駆ける狼の群れ。

 

 弁当売り場付近から完全に人気(ひとけ)が消え、場は完全な凪に入る。弁当売り場を取り囲んで放たれる殺気にも似た狼たちのプレッシャー。あちこちにいる狼たちの無言の牽制により、場の空気が窒息寸前まで張り詰める頃合い。

 

 それを見計らって、スタッフ専用の扉が重々しく開かれた。

 

 

 三角巾にエプロンをしたどう贔屓目に見てもカタギには見えない鋭い眼光の青年、スーパー五輪ピックの若き店長である宮本伊織、狼たちからは“マスター宮本”と呼ばれる半額神が降臨する。スタッフルームから出てきた半額神は総菜コーナーを通りすぎ、弁当コーナーの前に立つ。

 

 恐ろしいことに半額神が通り過ぎた総菜コーナーの総菜には、気づかぬうちに全て半額シールが刻印されていた。神経を限界まで研ぎ澄ませた狼でさえ認識できぬ早業。多くの狼たちが半額神、マスター宮本の腕前に舌を巻く。

 

 

 弁当コーナーに残っている弁当は六個、半額神は静かに半額シールを両手に持つと一瞬で全ての弁当に半額シールを貼り終えていた。

 

 催眠術とか、超スピードなどというチャチなもんじゃあない。

 

 多重次元屈折現象的な恐ろしいものの片鱗を味わった狼たちが戦慄する。

 

 

 そんな狼らの感情なぞ気にすることなく、為すべきを為した若き半額神はスタッフルームへの扉に向かう。彼が扉の前に立つと、店舗側を振り返り深々と一礼。

 

 半額神がスタッフルームへ去ると同時、狼たちの夜が幕を開けた。

 

 

 瞬きの内に乱戦が形成される。激しい攻防、老若男女、社会人も、学生も一切平等に怒涛のごとき肉弾戦を繰り広げる。狼たちは一心不乱に弁当を狩るために拳を振るい、蹴りを放つ。あらゆるものを薙ぎ払う暴風圏の真っただ中を思わせる弁当コーナー正面。

 

 飢えた餓狼たちの壮絶な戦い。欲するが故に力を、欲するが故に技を、欲するが故に誇りを以て牙をむく狼たち。戦場は混沌に陥りながらも、ボルテージを上げ始め、狼たちの力の源たる“腹の虫の加護”が相互に強まっていく。

 

 ギアを最大限まで上げた狼たちは、スーパーを揺るがすほどの踏み込みで弁当コーナーへ飛び込もうと──。

 

 

 そこで狼たちは、より上位の捕食者の気配に足を止めてしまった。

 

 “否、止めざるを得なかったのだ”。

 

 

 狼たちの脳裏に轟く敗北の予感。

 

 歴戦の狼たちの足を留めるほどの重圧がスーパーを支配する。鮮魚コーナーを越えたところ、足音を立てぬまま一頭の赤い毛並みの狼が現れた。

 

 炎のごとき臙脂色をした学生服。特徴的であるが不思議と何処の学校のものかは分からずじまいの制服を纏い、クセッ毛の青年が戦いの野に降り立つ。青年の体型は不健康とまではいかないが、絞られたというには貧弱すぎるほどに線が細かった。だが、狼たちは知っている、この貧弱な身体の青年が二つ名を冠するクラスの狼だということを。

 

 

 青年の不吉な鬼火を思わせる蒼黒の瞳が開かれた瞬間、その場にいた全ての狼たちの認識と視覚から蒼炎の狼が姿を晦ました。

 

 赤の残像と蒼黒の眼光は壁、天井、床と複雑怪奇な軌跡だけを残して、死角より狼たちを丁寧に狩っていった。たまらず、未だに脅威が残っている状況で弁当に手を出した未熟な狼は天井から飛来した強烈な蹴りを食らい、精肉コーナーを越え野菜コーナーまで吹き飛ばされる。

 

「バカな!?まだ月初めだというのに、ヤツがもう狩りに現れるというのか!?」

 

 狼たちの畏怖も戦慄も無視し、蒼く燃ゆる叢原火(そうげんび)がスーパーを席巻した。真正面から挑む者、相打ちを覚悟で掴みかかる者、逃げの一手で弁当に手を伸ばす者、一切の区別なく蹴り伏せられる。

 

 縦横無尽に出現と消失を繰り返した末、夜に君臨する若き狼は目当ての弁当を奪取し、悠々と戦場を無造作に立ち去っていった。蹴散らされ、倒れ伏した数多の狼たちへ目もくれず。

 

 

 スーパーを出た赤い学生服の青年は夜空を見上げ、蒼黒の瞳に今宵の朱い月を映し込んで切実な祈りを捧げた。

 

「今月末は、どうか給料が出ますように……」

 

 

 

 彼の名は“七夜黄理”。

 

 錦糸町と神保町のスーパーに出現する謎多き学生であり、卓越した蹴りと徒手空拳で神出鬼没に戦場を気配無く駆ける若き狼。青みがかった黒瞳と燃えるように赤い学生服から、死沼へ誘う葬送の鬼火の名を冠する青年。

 

 人は“彼”を“ウィル・オー・ウィスプ”と呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 今日もリコリコのフロアでちゃきちゃきと働く千束さんの耳に、“キュルル~”と弱った犬の鳴き声のような空腹を告げる音が聞こえてくる。お客さん同士の会話や雑多な音の中でなお目立つその音を聞きつけ、音の発生源である黄理に近づいた。

 

「どしたの、黄理?ま~た、セルフ断食修行?」

 

「うるさい、セルフじゃなくて、やむにやまれず絶食になってるんだよ」

 

「何か違いが?」

 

 たきなの鋭い真実を突いた指摘に、黄理が不服そうに口を尖らせる。

 

「というか、この平和な日本で修行だなんて、そんな時代錯誤な」

 

「…………修行、う~ん、使い古されたネタだけど修行パートで二話分、なんとかなるか?クッ、ネタが新鮮なネタがっ!」

 

 修行というフレーズにツボって、にやにやしている米岡さんと違い、耳に入る全てをネタにできるかどうかで判断してる伊藤さんは、わりとヤバい感じがする。うん、締め切り五日前くらいと見た。目の下のクマから徹夜もしてるっぽいし。

 

 今は何を言っても逆効果だろう。

 

 締め切りが過ぎた後、デザートでもご馳走しよっかな、と考えながら、ちゃぶ台に突っ伏している黄理の背中にもたれかかる。反応がない。お腹ペコペコすぎて、それどころじゃないのは察したけど、相手されないのはつまらない。

 

 店の床を踏みしめて、黄理の背中を私の背中で押してみる。

 

「おい、千束。重いんだけど」

 

「ちがいまーす、重くないデース。体重じゃなくて踏み込みで圧をかけて、黄理の身体を押してるんだよ。わっかんないかな~、この違いが」

 

「俺が重い目にあってるのは間違いないだろ」

 

「体重をかけるのと、荷重をかけることの違いですね」

 

 たきなが四角四面なセリフで同意してくれた。顔を上げた黄理へ、渾身のドヤ顔で笑い掛ける。いや~。たきなが違いの分かる子に成長してくれてお姉さんは嬉しいよ。

 

 黄理は“裏切られた”と言いたそうな目でたきなを見てから、再びちゃぶ台へ突っ伏した。弱った状態が珍しいのか、たきなが黄理の頭をそっと撫でつける。反応する元気もないようで為されるがまま黄理はお座敷で省エネモードに移行した。

 

「またまた給料未払いですかー、橙子さんも月末に散財するクセを直せばいいのに。この調子だと伽藍の堂で買いだめたインスタントコーヒーで飢えを凌いでおるな、黄理とトーコさん」

 

「コーヒーばかりでは胃によろしくないですね。今日のまかないでも持ってきましょうか、今日は私が当番だったんですよ」

 

「おっ、それは助かる。ありがとな、たきな」

 

 ちゃぶ台でふて寝してた黄理が、うきうきと顔を上げる。でも、いやぁ……。今日のまかないの内情を知ってる私とか先生はひどく寂しそうな目で明後日の方を見た。

 

 しおれていた黄理が、しゃっきりになって起き上がり、厨房に行ってるたきなを待つ。わたしは黄理へ励ましを込めて優しく肩を叩いた。いつもの勘と察しが良い黄理なら、もっと早い段階で分かったはずだ。

 

 だが、今の黄理は空腹により思考能力が溶けてる状態。

 

 オチに気づけないのも無理はなく、たきなが持ってきたまかないを前にして表情と感情が家出したみたいな顔で天を仰いだ。

 

「どうぞ、まかないです」

 

「あの~、たきな?これって、ほんとにまかない?」

 

「はい、今日のまかないのプロテイン(チョコレート味)です」

 

 シェイカーを手渡され、黄理はちゃぷちゃぷとそれを振ってみる。振ってみる、何度振ってみても、やっぱり音は変わらない。どう頑張っても液体が固体に変わるはずもなし。あと、まかないがプロテインという驚愕の品目に周囲の常連一同も驚いているようだ。

 

「固形物は?」

 

「いやならいいですよ、いやなら」

 

 此処で嫌と言えるほど、黄理のカロリー事情に余裕があるはずもなく切ない顔つきのまま彼はシェイカーを受け取った。

 

「……わーい、うれしいな」

 

「棒読みだなぁ」「棒読みですね」

 

 取り上げられまいと大事にシェイカーを抱えている黄理が、なんとも格好悪くて、それでいて可笑しくて、わたしとたきなは顔を突き合わせて悪いとは思ったけど軽やかに笑い合ってしまった。

 

 

 一応、プロテインにありつくことはできたものの、未だに空きっ腹の黄理はお座敷席で腹を抱えて顔をしかめている。なんというか、思ってたのと違ったんだろう。まかないと聞いて、まさか液体が主役面してくるとか夢にも出ないでしょ。

 

 いや、夢じゃなく現実で出たわけだけど。

 

 

 

「そんなに空腹なら、気を紛らわせるためにこっちに来ないか?いま、漫画のネタになりそうな不思議で面白系の話を募集中らしいぞ。ボクは滅多に店の外に出ないから、持ちネタがリコリコ関連に偏るんだよ」

 

 伊藤さんと駄弁ってたクルミが緩慢な動きで黄理を招き寄せる。黄理もやることや、手持ちもないため、のっそりと力のない動きでクルミたちの雑談に参加した。

 

「それじゃあ、此処は一つ、なんか最近あったとびっきり面白い話を頼む」

 

「良いネタになりそうなヤツをお願いね!」

 

 参加して早々、とんでもなく高いハードルを出された黄理は、何とも言えない顔で思案したのちにポツリとある月夜の体験談を語りだす。

 

 

 

 

 バイト先である伽藍の堂の給料日、雇い主である橙子さんから“今月の給料ないからお金貸して”という雇用側が口走ったらまずいことを平然と口に出したある日の晩。

 

 夜の暗闇は今日も深く、街から音を途絶えさせている。

 

 月明りを背負って、今日の晩ご飯を手にするため商品が半額になりそうな最寄りのスーパーへと散歩がてら、繰り出していった。

 

 

 スーパーで節約を念頭に入れた買い物を終え、錦糸町の夜の街をふらついていると暗くなった公園の方が妙に騒がしいことに気が付いた。夜の公園で一体、誰が何をしているのだろうかとレジ袋片手に公園へ入っていく。

 

 踏み込んだ公園は街灯の明かりに照らされ、昼間とは全く異なった印象を感じさせた。夜闇の中で煌々と輝く街灯らしき光。ピンク、緑、それと紫の光が散っては消え、弾けて天に昇っているのが遠くから見える。

 

 

────いや、明らかにおかしい。

 

 あんなカラフルでサイケデリックな発光をする街灯があってたまるか。見てるだけで目がチカチカする様な光に誘われ、公園の奥へと進んでいく。

 

 こんな夜中にはしゃいでいる連中がいるのだとしたら、文句のひとつでもいってやると意気込んで──。

 

 へんてこな気配に足が止まる。

 

 それはひどくバカバカしいようでいて、奇妙なまでに薄弱とし、悍ましいというか滑稽さを極めた気配だった。例えるなら、以前ミズキさんが酔った勢いの合コンで、相手方の男衆たち目掛けて嘔吐してしまった思い出を高笑いをしながら説明してきたときに似ている。

 

 つまり、関わってもバカを見るだけという予感がした以上、此処から先に進もうとする気がすごい勢いで萎えていった。

 

 

 帰って家で弁当を食べようと、(きびす)を返す。

 

 だが、その瞬間、壮絶でひどく不気味な気配が背中を叩いた。

 

「は?」

 

 

 気味の悪い悪寒、それと同時に近づいてくる人の気配を察知し、振り返るとそこには学生服にお守りや見たこともないお札を縫い付けた珍妙な者たちが現れたではないか。

 

「クッ、なぜこの場に一般人が!?結界は一体どうした!!」

 

「もはや、それどころではありませんよ!私たちが一丸となって張った五層の結界も既に大半が破られました!!迷い込んできた一般人にまで手は回りません!!」

 

「情けない弱音を吐くな!我々が戦い、盾とならずして、無辜の人々の平和を誰が守るという!?」

 

 絶句してるこちらを置きざりに、緊迫した不審者の方々はアクション映画のクライマックス顔負けのテンションでわいわいやっている。状況は上手く呑み込めないが、どうやら俺はいま守られているらしい。

 

 “いや何から守っているんだよ”、と白けた気分で呆れていると、やかましい奇声と共に衝撃が突き抜け、公園がとんでもない震度で揺れたのだ。

 

『ロオォォォォオオオリィィィイイイイィイイイイィ!!』

 

 

 

「──はぁ?」

 

 本気で理解が追いつかない、というか現状を理解したくない。

 

 

「なんと……全五層からなる結界を破るとは。霧島のロリへの衝動がこれほどのモノに成り果てるなど誰が想像できた……?」

 

「もう、ダメだ。全国の幼女は霧島の欲望のままランドセルとスモッグを合わせたコーディネートにされてしまうっ!!」

 

「まだだっ!まだ終わっちゃぁいない。全てを諦めるのは、全てを出し切ってからだ」

 

「「「「部長!!!」」」」

 

「さぁ、行こう。明けない夜はないってこと、永遠にロリの児童はいないってこと、あのバケモノに思い知らせてやろうぜ!」

 

 

 熱い展開、状況なのだろうが、経緯やコトの深刻さを知らぬ身ではどうでもいいという感想しか湧いてこない。好奇心というより怖いもの見たさが勝って、学生服の集団が取り囲んでいる何者かを観察する。全身からサイケデリックな光を放射し、気味の悪い動きをしながら空中を浮遊して、いやマジでなんだあれ。

 

「──すみません、ちょっと」

 

「ムッ、まだ逃げていなかったのか!一般人は早く立ち去れ!!」

 

「いや、そうじゃなくて。あれって、なんですか?」

 

「……フッ、安心しろ、此処は俺たちがなんとかする。君は何も恥じることはない。だが、此処で逃げることを心苦しく思うのなら」

 

「思いません」

 

「そうか、なら大丈夫だ」

 

 

 

 何も大丈夫ではないのだが?

 

 これほど話が通じないとなると、腹立たしさよりも怖さというものが先に来る。ひょっとして自分は今、日本語が喋れていないのでは?そんな恐怖が脳裏にちらついた。

 

 だが、不幸なことにどう解釈しても日本語は日本語だし、この状況は相も変わらず意味不明だ。よし、もう何も見なかったことにして帰ろうかと決断を下す。と、そこに一際、めんどくさそうな絶叫が公園に響き渡った。

 

『ペドォオオオォオォオォォ!!』

 

「……霧島君が目覚めた、暴走が始まる。もう時間は残されていないようだ。……今こそ、君がもっとも聞きたがっていたことに答えるとしよう。我々は烏田高校心霊現象調査研究部。人知れず、この日本の健全な学生たちの安らげる日々を守る者だ」

 

「聞いてないです」

 

 正直、知りたかったのは今、妙な雄叫(おたけ)びを挙げて発光してる不審物についてなのだが、もう聞き返す気力もない。半額弁当が入ったレジ袋を片手に、その場から背を向ける。

 

 

「そうだ、君は平和な日常で生き延びろ……幸せに、なるんだぜ」

 

 そう言い残し、心霊ナンタラ部の面々は白い光を放つ怪物へと飛び込んでいってしまった。なんだろう、時間を無駄にするという行為だけで、人ってこんなにも不幸感を味わえるものなのか。知りたくなかった。

 

 

 

 その後、俺は家に帰りスーパーで買った弁当を食べてから眠りについた。

 

 あの夜の不思議な体験を今こうして思い返すと、腹が空いていてどうでもよかったことだけは覚えている。というか、どうでもいいことしか覚えてない気がする。

 

 以上。

 

 

 

 

 空腹を紛らわせるための与太話を終え、黄理は聴衆らの反応を見る。

 

 黄理が体験した不可思議な出来事の話を聞いた千束や常連の人たちは、難しい顔をして考え込んだり、目を閉じたりしている。

 

 レジ締め中のたきなへ黄理は率直に尋ねた。

 

「今の話なんだが、どう思う?」

 

「……どうって、黄理くん本当に冗談のセンスが無いんですね」

 

「う~ん、黄理くんには悪いけど、話が突飛過ぎる感じかな~。もうちょっとリアルに寄っていればギャグになったんだけどね。というか、“日本が平和な限り”そんな冗談みたいな状況が来るわけないって~~」

 

 伊藤さんはこう言うが、その論法で行くとわりかし有り得る話になってしまいそうだと千束、たきな、クルミの三名は頭を抱えた。

 

 

「……洒落を介さないボクでも、もう少しマシな冗談を言えるぞ」

 

「冗談じゃなくて、本当にあった事なんだけどなぁ」

 

「というか、今の話って夜にあったことだよねぇ。ちょいちょい、黄理?夜に町中を出歩くの、やめるようにって前に言った気がするんだけど~」

 

 千束のにらみを利かせた真紅の眼光に刺され、気まずそうに黄理は目を反らす。常連の伊藤たちからすれば見慣れた痴話喧嘩。しかし見慣れた日常風景の中、これまで深く気にしていなかった“色彩”がふと目に留まった。

 

 

 

「──おーい、千束ちゃーん、黄理くーん」

 

 “オイデオイデ”と伊藤さんが手招きをする。何事だろうと、千束と黄理が並んで伊藤さんの方に近づいた。二人が間近になったところで彼女は千束と黄理の瞳を覗きこむ。

 

 以前から千束の瞳の色が鮮やかな赤色ということは伊藤も知っていた。気になったのは、もう一人の方。敢えて千束の赤瞳を並べ、黄理の瞳をじっくりと奥まで覗き込むように観察する。

 

 それは夜空のように深く濃い黒の中に、薄っすらと蒼い色彩が混ざっていた。単なる黒一色というよりも、蒼みがかった夜天の色合い。ぞくりと、背筋に恐怖が駆ける。比類ないほど美しく、それでいてこんなにも恐ろしい暗色があろうものか?

 

 怖い、恐ろしい、けれど目を離すことを許さぬ魔性の色彩。

 

 伊藤が冷や汗を流したところで、千束が彼女の頬を触る。

 

「お~い、伊藤さん?どったの~」

 

「へっ……あっと、ごめんごめん!ちょっと考え事しちゃってた。ありがとう、気になったとこはもう分かったから大丈夫!!」

 

 そういうと彼女はいそいそとパソコンの画面を立ち上げ、創作活動に入ってしまう。何か、インスピレーションが降ってきたのかマウス操作やキーボードをいじる手の動きは止めどなく流れ続ける。

 

 こうなるとしばらくは反応がなさそうだと、クルミは中二階へ登って行ってしまった。

 

 どうにか、場の空気を日常のままに保った千束は、黄理をジトリと見つめてから彼の肩へ寄りかかる。

 

 

「黄理、これ貸しだからね。今度、何か奢ってよ~?」

 

「貸しって、何ももらってないんだけど……あと、今月の懐事情が厳しい俺にそんな剛毅な真似を期待するな、悪しからず」

 

「えぇぇ~~、黄理の甲斐性無しぃ~」

 

「知ってるよ、だから言わんでいい」

 

「──黄理くん、甲斐性ないんですか?」

 

「千束から言われるより、たきなに言われる方が心にクるな……」

 

「なんか、その比べ方にはムカッと来るところがあるけど、まぁいいや。たきな~、もっと言ったれぇいっ」

 

「なぜ江戸っ子風?」

 

 千束の発言を聞き、黄理はふとたきなの元々いた土地のことを思い出した。

 

「どちらかと言えば、たきなは京風じゃなかったっけ?」

 

「お出汁みたいに言わないでください」

 

 たきなは黄理の頭をメニュー表で軽く叩き、厳重注意とする。千束は黄理の表現がツボったらしく、お腹を抱えてお座敷をゴロゴロと無言で笑い転げていた。

 

 

「今月の給料も当てにならないし、当座はスーパーの半額弁当でも“獲って”生活していくしかないな。まったく、面倒くさい」

 

 千束は、黄理の言う“とる”という言葉のニュアンスがおかしかったと感じるが、彼の発言が妙なのはいつものだと割り切ることにした。

 

 一方、黄理の話に出た内容に引っ掛かりを覚えたたきなは、黄理と千束へ疑問に思ったことを問いかけてみる。

 

「半額?スーパーもコンビニみたいに陳列されている商品が定価より安くなることがあるんですか?」

 

「おぉ、凄まじい箱入り発言……いやいや、たきなもスーパーとか使ってるでしょ?普通にお弁当とか、総菜が安くなる時とか普通に見たことない?」

 

「いえ、スーパーにはソイジョイとカロリーメイトくらいしか買いに行かないので」

 

「それだけならスーパーじゃなくても、コンビニで事足りるだろ……」

 

「黄理くん、スーパーの方がコンビニよりも安いんですよ。まぁ、最大の理由は今住んでいる拠点からスーパーが近いというのがありますが」

 

 以前、まかないで煮物を作っていたことがあるため、たきなも全く料理ができないというわけではない。ただ、一人暮らしの弊害というもので、自分だけしか食べないのであれば人というのは哀しきかな、食事のグレードをガンガン下げていくものだ。

 

「む~、それじゃあなんかつまんなーい!食事はいつだって、どこだって、楽しんでするもんだよ。よ~し,今晩の予定が決まりました!たきなの野外学習兼夜更かしってことで、夜のスーパーがどんなもんか、実地研修DA☆」

 

「お~い、千束。夜中の予定もいいが、ちゃんと今の仕事にも熱をいれてくれ」

 

 はしゃいでいる千束に釘を刺し、ミカは米岡さんへそっとコーヒーを出す。真面目に仕事をしている店長を見て、たきなもフロアの方へ気を配り始める。

 

「ごめんなさ~い、っとそれじゃあ今日のシフトが終わったら、みんなでスーパーに行ってみよっか。き~り~、忘れちゃダメだぞ~!」

 

「はいはい、わかったよ」

 

 ぞんざいに受け流す黄理の返事を聞き届け、千束はフロアで常連さんとの会話に行ってしまった。残された黄理へ、たきなは今晩のことを尋ねる。

 

「なにか、スーパーに行くにあたり必要なものはありますか?」

 

「いや普通に財布があれば……たきな?」

 

「なんですか?」

 

「護身術とか、徒手の格闘戦とかの経験ある?」

 

「………………まぁ、一応は」

 

「そっか、じゃあ良かった。俺は一度、伽藍の堂に戻ってから千束たちと合流するよ。それじゃ、また夜中に──」

 

 黄理くんはそれだけ言うと一杯のコーヒー代を手渡して、伽藍の堂へ行ってしまった。取り残され、私は黄理くんが言っていたことの意味を考える。“じゃあ良かった”と彼は言うが何も良くない。夜中のスーパーに必要なものが、財布と徒手空拳?財布は分かる、買い物に絶対に必要なもので欠けてはならないものだから。だけど素手の格闘技能が必要になるとは、どういうことなのだろう?

 

 まさか買い物に暴力が必要になるなんてこともないだろうし、果たして黄理くんが言うスーパーでの買い物とはどんな修羅場なのか?

 

 

 

 ひどく愉快で、とてつもなく強烈な、想像を絶する夜が来る──。

 

 夜のスーパーというものを知らない私は、そんな予感を感じた。

 

 

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