Lycoris A moon eclipse   作:悪事

70 / 110
 結果としてベン・トーのSSみたいになってしまった。

 今回の妄想アイキャッチ。
 弁当を背景にピースサインをする制服姿の錦木千束、井ノ上たきな。



LIVE for LIFE 史上最強の味わい!豚バラ蓮根の西京焼き弁当280円【3】

 

 興信所兼人形工房、“伽藍の堂”。

 

 そこは控えめに言って、打ち捨てられた廃墟さながらのテナントだった。表の朽ちたビルの外壁、加えて寂れた内装もその印象に一役を買ってしまっている。

 

 

 蒼崎橙子の住処であり、七夜黄理が七歳の頃から所属するリリベルの関連施設。という体をしたリコリコと同じ特殊な経緯で成立している外部支部。大抵は蒼崎橙子への直接依頼、リリベルの任務にリコリコからの派遣要請などを受けて日々を暮らしている。

 

 

 いや、黄理くんの生活水準からして、最低限の健康で文化的な日々を暮らせているのかという点は、微妙なラインと思わなくもない。

 

 一歩、階段を踏みしめるたびに積もった埃が薄く舞い上がる。三階のアトリエで橙子さんをちらりと見かけたが、なにやら真剣な表情で作業中だった。邪魔をするのも悪い、と私たちは四階のオフィスへ。

 

 

 慎重に扉を開けると、オフィスに備え付きのソファーで転がっている彼を見つけた。上着をソファーの背もたれにかけ、黄理くんはすやすやと微睡んでいる。寝息一つ立てず、無音のまま寝入っている姿は死んでいるのではないか、と思わせるほど静かすぎて…。

 

 

「──黄理」

 

 ぽいっと、千束は背負っていたサッチェルバッグを放り投げる。

 

 投げた先は当然、黄理くんが寝ているソファー。弧を描いて宙を飛ぶ千束のバッグ。投げたそれが黄理くんの頭部に命中しようというとき、彼の左手がバッグを叩き落とすのを見た。左手だけが別個の生き物みたいに動き、意識がない就寝中でも反射で対応できる勘の鋭さ。

 

「……雑な起こし方だな」

 

「起こしてあげるだけマシって思わない?」

 

 暗に昨晩、黄理くんが私たちをスーパーに置いて行ったことに対する言外の圧力。いくら、黄理くんが鈍いとはいえ、流石に責められていることに気づいたらしく。

 

「悪かったよ、でも俺の細腕で気絶してる人間二人を運べって?」

 

 黄理くんが袖をまくる。見せられた腕は、折れてしまいそうなくらい貧弱という文字の似合う細腕。これは、確かに黄理くんの言う通りだろう……珍しいことに。

 

 私は、これでは千束と私の二人を同時に運ぶのは無理だと納得できた。まぁ、私が簡単に引き下がろうと、千束がそうやすやすと聞き分けるとも思えない。床に落ちたバッグを拾って、千束は黄理くんの目の前で腕組みをして不機嫌な顔をしている。

 

 千束が溜飲を下げるのは、黄理くんが十回以上謝ってからのことだ。

 

 

 千束からのお叱りをいつも通りに受けた黄理くんは口を尖らせて、抗議の視線を私に向けてくる。

 

「そりゃ、俺も悪かったとこはあると思うけど、助け船くらい出してもいいんじゃないか?」

 

「私だって、千束ほどではありませんが不満はあったんですよ、黄理くん?」

 

 

 あと正直な話、千束との口げんかで勝てるイメージが浮かばない。だって、千束はロジックではなくフィーリングで会話する。理詰めで渡り合うには相性が悪い。ようは、助け船は最初から沈んでいたというだけの事だった。

 

「ちょーい、お客さんにお茶の一杯も出ないですかね?」

 

「仮にも客を名乗るなら、なんか買い物なり依頼なりして金を落としていけ。……コーヒーならあるぞ」

 

「コーヒーしかないんでしょ?」

 

 千束が笑いながら、黄理くんの背中にのしかかった。それを五月蠅げに払い、黄理くんはコーヒーを人数分煎れてくれた。もちろん、インスタント。リコリコで飲めるものとは比べるべくもないやっつけ仕事。

 

 まぁ、黄理くんがせっかく煎れてくれたものだし、味は大目に見るとしよう。

 

 

「そういえば。橙子さんが下の階で作業をしていましたね」

 

「へぇ、たきなたちが見たってことは朝からずっとアトリエで作業してるのか」

 

「朝から?え~、ちゃんと朝ご飯とか食べたの。橙子さん、食生活とかズボラじゃ~ん。ほっといたら何にも食べないまま、ずっと作業続けてるよ?」

 

「ウチにまともな備蓄があるように見える?」

 

 黄理くんのしょぼんとした顔でおおまかな予想はついた。まぁ、コーヒー一杯だけで茶菓子も、お茶請けもない時点で予想は事実だったわけだが。

 

 

「橙子さんは大丈夫だろ、死んでも死なないような人だ。それに、空腹で追い詰められていると創作意欲に火がつくらしい」

 

「火がついているのはお尻じゃなくて?」

 

「まぁそれもあるけど、追い詰められないと創作家ってのはやる気出さないんだろ」

 

「なるほど、米岡さんや伊藤さんのようなものですか」

 

 我ながらキツイ評価だと気づいたのは、千束と黄理くんが呆れた目でこちらを見てからだ。でも概ね事実に即しているし、大体はそのような感じだと思うのですが……。

 

「最近、リリベルの仕事も入ってこないし、伽藍の堂への依頼もなし。貯蓄でもしておけば、少しは違ったんだろうけど、橙子さんにそういうのは期待できないからな」

 

「ふ~む、いわゆるあれだね……塞翁が馬、みたいな?」

 

「…ちゃんと意味をわかって使ってますか?」

 

「もちもち!え~っと、う~んと」

 

「こりゃ、期待薄だな」「ですよね」

 

「待~て待て待て待て、分かってるよ?ちょっと、一瞬出てこなかっただけだってば。ちゃんと分かるよ~、えっとね~むかしむかし塞翁さんって人がいて、なんやかんやがあって…………馬になったんだっけ?」

 

 ド忘れにしてもひどい解釈の仕方だ。きっと、塞翁が草葉の陰で泣いているだろう。

 

「千束、それじゃあ山月記ですよ」

 

「まぁ、馬よりは虎の方が橙子さんに似合っちゃいるけど──」

 

 確かに、とわたしは思わず頷いてしまった。二人して笑いながら頷いていると、黄理くんがソファーに寝転んだ。力ない素振りでお腹を押さえている辺り、空腹で脱力してしまったといったところか。

 

「黄理はさ~、もっと普段から食べた方がいいと思うんだよな~。今の身体付きは、瘦せてるっていうより虚弱、ううん貧弱?」

 

「同じ意味なら言い直さなくてもいいだろ……体つきが貧相なのは重々承知だ、というか俺、体質的に太れないんだよ。贅肉にしろ、筋肉にしろ、身体に肉が付きにくいし」

 

「なにそれ、全女子の敵かな?」

 

 何故、太ってないとなると女性が敵対するのか?というか、それだと千束やわたしも女性の敵に回ると思うのだが……。まぁ、千束の不規則言動は今に始まったことではない。

 

 脱線が過ぎてしまったが、本題に入るとしよう。

 

 昨晩の半額弁当争奪戦について。幾つか尋ねたいことが私たちにはあった。

 

 

「黄理くんは、以前からスーパーで……“狼”と呼ばれる人たちと半額弁当を取り合ってきたんですね」

 

「──まぁ、そうだけど、毎晩毎晩ってわけじゃないぞ。伽藍の堂で給料が出なかったり、財布の中身がえらく簡素になった時とかに行って、夕飯時を凌いでたんだ。しょっちゅう、あんな鉄火場に潜り込むなんて御免だよ」

 

 まさか、黄理くんでも(いと)うほど半額弁当の争奪戦が過酷だというのか。わたしも千束も、踏み入れただけで一蹴されたこともあって、あの戦場の危険度を正確に理解しきれていない。あと、たかがスーパーだという意識がどうにも抜けないのだ。

 

「ふ~ん、その割には二つ名とかノリノリっぽいけど~」

 

「……二つ名?」

 

 黄理くんが不思議そうな目をしている。もしや、黄理くんは自分がスーパーでなんて呼ばれているのかを自分でも知らないのでは?

 

「黄理くん、スーパーで狼の人たちからウィル・オー・ウィスプと呼ばれているらしいのですけど、知りませんか?」

 

「初耳だよ、二つ名。えぇ、俺知らないとこでそんな風に呼ばれてんの?」

 

「自分のことなのに、なんで本人が知らないのさ~」

 

「知らんよ、そもそも冷静に考えてみろ。お前、知り合いが自分はウィル、なんだっけ、まぁ、二つ名ありますとか唐突に言われたら困るだろ」

 

「何かお(つら)いことでもあったんですか、となりますね」

 

「まぁ、相談に乗っちゃうよね」

 

「理解が早くて助かるよ」

 

 黄理くんはソファーにかけていた上着を手に取り袖を通した。白のワイシャツだけの彼から、見慣れた赤い制服の姿になる。黄理くんは淹れたコーヒーを一思いに流し込み、眠たげな眼差しを少しだけマシなものにした。

 

 ほんとうに少しだけだが。

 

「どうして……半額弁当を争ってまでどうして求めるのでしょうか」

 

「金がないから」

 

「いや、黄理の場合はそうだけど、あそこのみんなが揃って半額弁当取りにいくのって、その理由だけじゃなくない?なんか、それ以外のモチベーションがないとあれだけのことできないっていうか。というか、お弁当が取れなかったら、カップ麺買ってる人もいたわけだし。特別な理由がないなら、最初からカップ麺を買いに行くでしょ?」

 

 千束の言う通りではある。お金がないなら、ソイジョイやカロリーメイトで我慢するのも一つの手だ。それをせず、狼と呼ばれる人たちは“たかが”半額弁当のためにあそこまでのことをして──。

 

 たかが、たった三文字を実際に口にしようとして言葉が出なくなった。馬鹿げている、効率的ではないし、そこまでをするほどかとも思う。けれど、あれほどに頑張っている人たちの行いを、何も知らぬ第三者が評すべきではないとそう思わされた時点でわたしは何も言うことができなかったのだ。

 

 黄理くんは肩をすくめて、口元を緩めながら話を続けた。

 

「単純な懐事情もあるだろうな。けど、あんなことをするのはやっぱり、弁当が美味いからだろ。そうでもなきゃ、あんなバカ騒ぎをやってない」

 

 くだらない、と笑いながら説明する彼の口ぶりは、呆れながらも確かな誇りと共にあった。そして、黄理くんが言う弁当の美味しさ。果たして、どれくらい美味しいんだろうと気になって。

 

 いきなり、黄理くんが似合わない気難しげな表情を取る。

 

「昨日の晩であそこの過酷さが分かったか。あれに懲りたら、弁当は大人しく半額になる前に買うんだな。というか、二人は自炊できるんだからスーパーで総菜関係を買うこともないだろ。普段から危ない目に遭ってるんだ。スーパーでくらいなら、逃げてもバチは」

 

「ヤだ」「いやです」

 

「……えっと?」

 

「ここまで来て、引き下がるなんて冗談でしょ?」

 

「前回は油断しましたが、ああいう場なのだと知った以上、問題ありません」

 

「なんで二人ともやる気になってるんだ?」

 

 黄理くんが本気で分からないとハテナマークを出している。けど、これは単純なことだ。私も千束も、負けっぱなしは性に合わない。それだけのこと。

 

「それじゃあねぇ~、今晩も昨日のスーパーに集合ってことで!時間は昨日と同じくらい、それぞれ準備万端で集まるように!!」

 

「了解です。黄理くん、遅れないように来るんですよ?」

 

 千束と私の二人がかりで黄理くんにプレッシャーをかけておく。座ってる彼の前に立って、なじみ深くなった蒼黒い瞳を覗き込んだ。底知れぬ暗色の蒼い瞳、それをじっと睨みつけて念押しをした。

 

 どこまで効果があるかは、不明だけど──。

 

 

「……別にいいけど、二人とも意外なくらいノリノリだな」

 

 一番、切れのある動きで弁当コーナーに飛び込んでいった人には言われたくない。

 

 

 

 

 

 

 夕日もとうに落ち、夜となった錦糸町の街並みを進んでいく。セカンドリコリス、井ノ上たきなは、静かに集中しながら昨日訪れたスーパー、五輪ピックへと向かって行く。自分の拠点であるマンションの一室を出て、十五分といったところか。目的地である五輪ピックは思っていたよりも近く、スーパーの入り口である自動ドアの傍で待ち合わせをしていた二人の姿を見つけた。

 

 

 赤い制服を纏った二人組の男女、七夜黄理と錦木千束。向かってくるわたしに気づいた千束が朗らかに手を振っている。黄理くんもそれに気づくと軽く手を挙げた。

 

「やぁ、お疲れさん──」

 

「……お待たせしました」

 

「おけぃ、たきなも準備万端そうだね。じゃあ、行こっか。スーパーへ」

 

 自動ドアを潜り抜けると、平和な空気と店内の気の抜けるBGMがまず私たちを歓迎した。だが、それは昨日も同じ。この空気のまま弁当コーナーに行ったら、痛い目に遭ったのだ。同じ轍は踏まない。弁当コーナー付近の調味料コーナーで、お弁当が半額になる時をひっそりと息を殺して待つ。

 

 冷静に周囲を見渡すと、鮮魚コーナーで鯛とにらめっこをしている不審な男性や、お菓子コーナーでマシュマロを真剣なまなざしで観察している女性などを見かける。

 

「黄理くん、あの人たちも狼ですか」

 

「まっ、そうだろうな。弁当コーナーに近すぎず遠すぎず、ある程度の間合いを保っている連中は大体、そうだと思った方が良い。あと、やたら俺を見てくる奴らも……」

 

 スーパーに入ってから、確かに黄理くんへの注目がすごい。警戒と畏れ、敵愾心と競争心、様々な視線が黄理くんと側にいる私たちにビリビリと来る。

 

「へっへん~、今日の私は昨日と一味違うよ。やっつけ調理のまかないじゃなくて、力が出るようなお昼ご飯をばっちり食べてきたんだし。でも、たきな、今日のお昼あんまし食べてなかったけど、だいじょぶ~?」

 

 黄理くんがこちらを見て説明を求めている、気がする。

 

「脇腹に一撃受けたのが少し……いえ(あざ)にはなっていないので大丈夫でしたが。あまり、お腹に食べ物を入れるのが怖くて、昼食を抜いてきてしまったんですよね」

 

「なるほど…………もしかしたら、災難転じて福になるかもな」

 

「なにが福に?」

 

「いやいや、こっちの話。っと来たぞ」

 

 弁当コーナー横の扉が重々しく開かれる。そこから現れた青年は、先日バックヤードでお世話になったこの店の店長さんだった。彼が半額シールを持っているということから、戦端の開始はもう迫っている。

 

 ごくり、と喉を鳴らす。

 

「今ある弁当は四つか、二人はどの弁当を狙う?一応、俺は“柚子の風味香る、爽やか親子丼弁当”を獲ろうかと思うけど」

 

「じゃあ、私は揚げもの系を攻めてみよっかな。えーっとなになに?“飛び上がるほど旨い魚介盛りだくさんフライ弁当”?……あれがいい!」

 

 商品名が長すぎやしないだろうか。あと、ネーミングセンスが一番ぶっ飛んでる。飛ぶとフライ、飛ぶと跳ぶ、などを掛けたのだろうけど、名前だけでお腹いっぱいになりそうなインパクトだ。

 

「では、私はあの“月見豚丼弁当”を」

 

 入った瞬間、ふと目を惹かれた弁当。豚丼に半熟卵を乗っけただけというシンプルでありながら、美味しそうな見た目。強く惹き付けられた衝動があの弁当に向けられる。周囲の空気も緊張感を増し、一層、感覚が研ぎ澄まされていく。

 

 こちらの緊迫を眼中に入れず、店長さんは次々と総菜に半額シールを貼っていた。

 

 そして、いよいよ弁当コーナーへ。

 

 

 

 売り場に存在する四つの弁当、流れるような動作で半額シールを貼りバーコードのスキャンを終えた半額神、マスター宮本は売り場側へ綺麗な姿勢で一礼をする。辺りに充満する殺気、空気が闘争の色に染まり、この場に揃った者たちの眼光に獣の意思が宿る。

 

 ゆっくりと開かれ、閉ざされていく職員用扉。バタンと音が鳴り、半額神が去ったのを皮切りに、狩猟の刻が始まった。

 

 

 

 私たち三人は同時に一歩目を踏み、そこから一瞬で分散することになる。初速で最高加速に到達した黄理くんが真っ先に遠のいていった。押し寄せる人の壁、冷凍食品コーナーから飛び出した男性たちの急襲。黄理くんは床に張り付く影のように姿勢を低くして、飛び掛かった男らの足元をするりと抜けていく。

 

 こうなると黄理くんに向かってきた男性たちが、ほぼ全員わたしたちの目の前で怒涛の如く立ちふさがった。わたしは、方向転換せず速度を維持してタックルしてきた一人の肩を足場に天井へと跳び上がることで回避。足場として踏みつけた男は床に叩きつけられる。結構、良い手ごたえだが、既に動き出そうともがいているのが天井から見えた。

 

 なぜだろう、不思議なくらい体が軽い。風みたいに身体から重さを感じない。それなのに力だけがどこからともなく湧いてくる。自覚できるほどの空腹状態でなぜ、力が出るのかが不明。しかし、それは今、問題ではない。

 

 豚の甘く優しい脂と、半熟卵のまろやかな味わいのイメージ。

 

 食べたい、その思いが手足の先から身体の隅々にまで駆け巡る。

 

 

 

 たきなが力強く天井を蹴り、周囲を観察する。黄理くんは弁当コーナー前で数人と交戦中。千束は、まだ戦闘域の外周にいる?近くにいた女性の攻撃をさばいているようだが、動きが悪い。

 

 あっ、顎にイイ一撃を受けて膝を付いた。助けに行かなければとも思ったが、此処で引き返しても他の狼たちの乱撃を受けてしまう。そうなると二次被害だ。

 

 弁当を取れば、周囲の狼たちは攻撃してこないのだったか。

 

 優先順位を選択、戻るよりも今は前へ。弁当の奪取を優先する!

 

 振り返りたくなる衝動を抑え、弁当コーナーへと向き直る。スライディングして足を刈り取ろうとする敵の襲来、避けてバランスを崩すのは非効率。右足で力強く滑り込んできた相手を踏み止め、そのまま左足で迎撃。

 

 蹴っ飛ばした狼は総菜コーナーから、お菓子売り場へと十メートル以上は離せた。

 

 自分の今までにない異常なほど高い身体能力の発露に動揺しかけるが、それを思考から弾いて弁当コーナーへと駆け出す。新たな弁当コーナー前の乱入者へ、狼たちは息を揃えたように拳や蹴り、果ては頭突きまでやってきた。互いを敵と認識しているのに、結果として群狼めいた抜群のコンビネーションを見せる狼たち。四、五発は被撃を覚悟しなくては、と覚悟して前進の一歩を踏み出し──。

 

 

 前方から揺らめく赤い炎が飛んで、違う。狼たちと交戦していた黄理くんは放たれた両足蹴り、ドロップキックを敢えて喰らってこちらへとやってきた。私へ向けて拳を振ってきた男性の後頭部を着地点とし、意識を奪い床に沈めた。聳える壁の一角が崩れ、穴の開いた箇所に体を捻じ込む。

 

 弁当コーナーの目の前。この戦闘域の最前線にして、もっとも過酷な戦場に到達する。臆する間もなく駆け続ける。途中で黄理くんとすれ違う時、目と目が一瞬合う。意思疎通は十分だった。私は狼の群れへと真っすぐ突っ込んでいく。減速、方向変更も無し。

 

 速度を一切緩めることなく、ひたすら加速、加速。

 

 空気を裂いて飛ぶ矢のように直線に前だけみてひた走る。狼たちは僅かに私を見て、それから天井へと跳び上がった黄理くんの方に意識を割り振った。たぶん、黄理くんが六、私が四くらいだ。

 

 脅威予測は悔しいことに正しい、が。

 

 天井を経由して降り立つ黄理くんよりも直線で駆ける私の方が早い!

 

 加速し続けた私のトップスピードは、狼の予想を上回ったようだ。天井の黄理くんに意識を取られていた狼の無防備な腹部を持ち上げるように、いいや天井めがけて叩きつける思いで拳を撃ち上げる。がっしりとした男性は羽毛みたいに宙へと飛んで、空中から来た黄理くんの回し蹴りを受けて、乱戦の範囲外へと飛ばされてしまった。

 

 狼を殴り飛ばし、わたしはそこそこ減速した。でも、予想外なことが起きた。フルスピードで男性を殴り飛ばしたのに、速度が思ったより落ちていない!

 

 加速し過ぎたまま多数の狼たちへ迫る。このままいけば砲弾か。ボーリングのピンみたいに狼たちを纏めて弾き飛ばせるはずだ。しかし、それでも減速しきれず弁当コーナーに頭から突っ込んでしまう未来が見えた。

 

 でも、此処で下手にブレーキをかけて狼たちの攻撃をノーガードで受ければ、外周部まで逆戻り。もう一度最前線まで上がる手間がかかる。八方ふさがりか、と思っていると黄理くんは私の眼前に着地した。

 

 狼たちに隙だらけな背中を晒し、私の方を向いて拳を握ったまま左腕を広げる。直感的に彼の考えそうなことを把握。わたしは走る速度を落とさずラリアットのように右腕を横へと広げた。

 

 

 最高速度に達した私の右腕と静止したままの黄理くんの左腕が接触。

 

 互いに腕を曲げ、堅く剛く腕を交える。立ち止まった黄理くんを軸として、加速しきった私が弁当コーナー前で極小の台風となった。たった数度の回転で弁当コーナー前から、ほとんどの狼が蹴散らされる。強烈な遠心力に振り回されたせいでよろめいたが、どうにか脚に力を入れる。だが、軸となった黄理くんに体幹の混乱はなかったようで、スムーズに親子丼弁当を取っていつの間にか戦場を離脱していた。

 

 狼たちも弁当を持った黄理くんはいないものと素通りしていく。なるほど、弁当を取った者を攻撃してはならないという掟は事実のようだ。

 

 いや──。

 

 考えている暇はない、弁当コーナー前から人が激減したといっても、次から次へと狼たちが瞳を血走らせて駆け寄ってくる。ふらつく体に活を入れ、必死に手を伸ばす。狙うは月見豚丼弁当、私の今晩の(かて)

 

 私が弁当に手を伸ばすのを阻止しようと、女性の狼が先の黄理くんとの合わせ技で叩きのめされた狼たちを飛び越えて殴り掛かってくる。攻撃が早い!?でも、あとは弁当を取るだけ、防御を思考から切り捨てて弁当容器に触れる。

 

 滑らかなプラ容器の感触。横からは顔面めがけて飛ぶ拳。

 

 迫る恐怖を無視して私は月見豚丼弁当を持ち上げる!

 

 獲った!

 

 

 顔と髪を撫でる凄まじい衝撃波。接触ギリギリの寸止め、一ミリほどの間隔で拳は停止し敵意は完全に消えていた。取った弁当を抱えて安堵に浸りたいところだが、弁当コーナー前でへたりこんでいては普通に邪魔だ。私は奪取できた半額弁当を片手にどうにか立ち上がる。

 

 

 一度、戦場を離れ、再び振り返ると──。

 

 残った弁当の数は二つ、千束が狙うと告げていた海鮮フライのお弁当。あとは、チンジャオロース弁当が一つ。あっ、さっき私に攻撃を仕掛けた女性がチンジャオロース弁当を取っていった。残る弁当はたった一つ、焦燥に駆られた狼たちが発する殺気がより刺々しく鋭利なものとして発せられる。

 

 飢えた獣たちの眼光がより恐ろしい色合いとなり、戦場の空気が敵意と戦意で沸騰した。今宵、最後の恵みたる半額弁当を求める狼たち。千束は、攻撃を受けるのに手いっぱいで外周部から先へ進めていない。

 

 千束の援護に行かねばと思ったが、弁当の複数奪取は掟破り。

 

 私も黄理くんも弁当を一つ手にした時点でもう戦場には干渉できない。私は歯がゆい気持ちを抑え、レジへと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 最後の半額弁当を狙い戦況が激化する中、千束は外周部近辺で焦っていた。初手で黄理を狙って、狼たちが大群で攻撃してきた時、たきなほどの思い切りのよい最適解を取れず、その場で攻撃の回避と受け流しに専念したことが仇となった。

 

 

 回避と防御に思考の比重が傾いたことで、狼たちの攻撃を後手で受け続けている。千束の観察眼や洞察など、目の良さが返って動きを鈍くする形となってしまった。結果、千束は外周部で弾き出された狼たちの牽制や攻撃をいなすので精一杯に。

 

 

 マズった!内心で舌打ちしながら、狼たちのとんでもない速度の打撃をかわし、カウンターを入れる。当たってはいる、けど効いている感じがしない。尋常じゃないほどのタフネスにげんなりしながら、最前線へ飛び込むタイミングを狙うが後手に回りっぱなしの状況。

 

 私はまだ外周部から先に進めていなかった。黄理やたきなは、もうとっくに弁当を取ってレジの方に行ってしまっている。これ以上、時間をかけ消耗しては勝ち目が薄い。

 

 イチかバチか。

 

 弁当コーナー前を半月状にした戦域の外縁。そこで、わたしは足へ力を入れ、全力の瞬発加速を試みた。黄理の零から百へとギアを飛ばす特殊走法、それの再現によって弁当コーナーの手前まで迫り──。

 

 狼たちの攻撃に減速を余儀なくされた。

 

 おっかしい!こっちが確実に避けられると思ったタイミングから狼の攻撃は、二~三段くらいの振り幅で攻撃の切れ、速度が急上昇するんだけど!?

 

 弁当コーナー前、全力疾走で切らした息を整えようとする間際、ボディを狙った打拳。風を斬って迫る拳を避け、攻撃してきた狼の足元に潜り込む。そのまま立ち上がる勢いを利用したアッパーを撃ち込もうとしたが、隣からカッ飛んできた他の狼の飛び蹴りを受けて、眼前の狼が瞬間移動さながらに視界から消えた。

 

 続けざま、背中にチリチリと刺さる殺気により接近する狼に気づく。片手に買い物カゴを持った狼、いやあれはショッピングバック?正式名称なんていうんだろう?っていやいや、今それどころじゃない。相手は既に攻撃態勢、買い物カゴを持っていない方の手が拳を握っている。

 

 あれ、急に生じた違和感──。

 

 他の狼と違い、今立ちふさがった狼は何故か買い物カゴを持っていることで片腕を使えないようだ。なんで、この乱闘の中で片腕を使えなくするような“余計なもの”を持っているのか、分からない。

 

 分からないけど、今はただ前に進む。正確無比の拳を前進しながら避け、買い物カゴを持つガラ空きの方に思いっきり力を込めた蹴りを入れる!

 

 決まった、相手を昏倒させたという確信。

 

 

 

 ──ほんとうに?

 

 違和感が心から離れない。どうして相手の狼は戦場に買い物カゴを持ってきたのか。たくさんお弁当を買うため?いいや、黄理が言うに弁当は一人、一つまで。それ以上を手に入れようとすれば豚のそしりを受ける羽目になる。

 

 片手を塞いでまで買い物カゴを握る理由とは?

 

 絶対の自信によって放った蹴撃の手ごたえが消失。手に伝わるのは、プラスチックの柔軟な弾力。もしかして。買い物カゴの防御の所為で全力を込めた上段蹴りの衝撃が吸収された?スーパーは戦場、狼たちの狩猟場。その形容に対する理解度の甘さに今頃気づく。スーパーが戦いの舞台であるというなら、この場におけるものの全てが武器であってもおかしくないのに。

 

 なんの変哲もないプラスチック製の買い物かご。

 

 それに攻撃を阻まれ、カゴの弾力によって私は弾き返されてしまう。蹴りを跳ね返され、不安定な体勢になった瞬間、狼の持つ買い物かごが牙を剥いた。

 

 振り下ろされる買い物カゴは獣の上(あご)、スーパーの床は下(あご)となる。戦場そのものを利用した巨大な獣の咀嚼。不安定な体勢をどうにか捻って直撃を回避しようとしたが、服の裾がカゴに引っ掛かり私は床に派手な着弾音を立てて叩きつけられた。

 

 ダンプの衝突を思わせる甚大なダメージをモロに受ける。

 

 かすれる視界、遠くなっていく思考、ヤバ……い意識、が。

 

 私が最後に見たのは、悠々と最後に残った海鮮フライ弁当を取っていく買い物カゴを持った狼の後ろ姿だった。

 

 

 

 

 

 レジ袋を提げて、私たちはリコリコへと戻ってきた。私、たきながクタクタでズタボロだったこと、それと一番近くて馴染み深い場所であることから、リコリコでいいんじゃないかという話になり、閉店時間ではあるがお店へと帰り着いたわけである。

 

 正直、スーパーにお買い物してきた、というよりは壮絶な戦場から、命からがら帰還した気分だ。まぁ、一人だけ、平然と“お腹空いたな~”という顔してる呑気なのがいるけど、あれは別枠にしておこう。

 

 黄理は傷どころか、埃ひとつ付いている様子がなく、マイペースにお店のレンジでお弁当を温めていた。チン、という軽快な音が鳴る。

 

「きーり~、みんな揃ってから、いただきますだからね~」

 

「仕方ないか……お~い、たきな。レンジ空いたぞ」

 

「これ何分くらい温めれば──?」

 

 レンジ前でたきながお弁当とにらめっこしてるのを余所に、私は袋からスーパーで買ったどん兵衛を取り出し、ポットのお湯を入れてお座敷席へ倒れ込んだ。全身に広がる痛みと疲労が重なって、体調は逆ピーク状態。

 

 これ以上はないってくらいの絶不調。だからこそ、お湯を入れるだけのどん兵衛のうどんの調理、というか準備のしやすさのありがたみが身に染みた。どん兵衛は蕎麦もうどんも、どっちも美味しい。だが、作ろうというとき、どん兵衛のそばはかき揚げが別梱包になっているため、適当にお湯を入れるということが出来ないのだ。まぁ、別梱包のおかげでサクサクとしんなりを自由に選べるという利点があるため、便利ってだけではどん兵衛を語れないかな。

 

 

 たかがかき揚げを出すだけと普段なら思うだろうけど、今はマジで体が限界を訴えていた。味、コスト、手間の面から、今晩はどん兵衛のうどんに天秤が傾いた。栄養バランスを考えると毎日というわけにはいかないけど、どん兵衛は即席(インスタント)とは思えないレベルのクオリティを誇っている。

 

 そんなこんなで、どん兵衛はさいきょーなのだ。

 

 

 

「千束、もう二人とも温め終わりましたよ。ほら、起きてください」

 

「ほえ?」

 

「というか、五分くらいたったろうし、どん兵衛も良い頃合いだろ。さっさと夕餉(ゆうげ)にしようぜ」

 

 え、まだ体感だと一分もたった気がしないんだけど、時計を見たら五分弱が一瞬で溶けていることが事実だと分かる。じっ、時間が消し飛ばされた!?過程がブッ飛んで、結果だけが叩きつけられた感覚に愕然とする。

 

 わなわなとあまりにも奇妙な状況に震えていたけど、黄理とたきなが変なものを見る目をしてくるので気を取り直し、あと誤魔化すために勢い任せに起き上がって、パンッと手を合わせる。

 

 色々とあったけど、滅多にない三人揃っての晩ご飯だ☆

 

「いただきます!」

 

「「いただきます」」

 

 どん兵衛の蓋をぺり、とめくる。

 

 広がったのは芳醇(ほうじゅん)な昆布、(かつお)出汁の香り。じゅるり、と舌なめずりしてしまった。お昼をしっかり食べたはずなのに、夜食で食べるどん兵衛はどうしてこうも美味しそうなのだろう。

 

 うきうきとお揚げから食べようとして、両隣から旨味を凝縮したような香りが漂ってきたことで箸の動きを停止させる。黄理の方からすっきりとした柚子と鶏肉の香りが広がり、たきなの方では甘みを帯びた豚肉、そして半熟卵が湯気と共に濃厚な匂いを溢れ出していた。ごくり、と気づかないうちに喉を鳴らす。

 

 

 黄理が鶏肉をぱくりと一口、あれ?あんなはっきりと柚子の香りがしたのに、お弁当には柚子の黄色が全く見えない。皮をすごい細かく刻んだ?それとも隠し味程度にしか入ってない?いや、あんなしっかりと柚子の香りがしたのだ。ごく少量のはずがない。柚子は何処に入っているというのだろう?

 

 首を傾げていると、たきながお弁当を口に運び、驚きで目を見開いた。

 

「────ふわぁ~」

 

 なんとっ、たきながとろけている!?たきなはふにゃふにゃなまま、お弁当を見てもう一口、さらに一口と食べ進めていく。あれ、気のせいだろうか、たきなの月見豚丼のご飯が黄金色をしていたような……。

 

 いったい、あの二つの弁当にはどんな工夫が……?

 

「……千束、ひょっとしてどん兵衛だけじゃ足りないのか?」

 

 ギクギクッ!お揚げを箸で持ったまま、私は黄理の指摘に図星を突かれた。

 

「確かリコリコでけっこうしっかり目のお昼ご飯を食べていましたよね?」

 

 それを言われると、よわいんだけど~~~~。

 

「ぐぅぅ~、だって仕方ないじゃん!ご飯ものの気分でいたら、どん兵衛になっちゃったんだもん!うどんもうどんで美味しいけど、お米とはやっぱり別枠なの!!」

 

 自分で言っといてだけど、すがすがしいくらい駄々をこねている。うっ、両サイドからの呆れが入った視線を感じる。

 

 

 二人の視線に気づかないふりをして、お揚げを頬張る。うん、美味しい。じんわりと昆布、鰹出汁を含んだお揚げの旨味を堪能する。専門でやってる豆腐屋もかくやという出来のお揚げとどん兵衛の出汁の組み合わせは鉄板と言ってもいい。最高のベストパートナー、完璧なコンビネーション──。

 

 

「味見程度でいいなら少し食べるか?まだそんな箸もつけてないし」

 

「食べる」

 

「……即答ですね、でしたら私の方もどうぞ。黄理くんも特別にいいですよ、その代わり」

 

「フェアなトレードといこうか……そうなると、どん兵衛のポジションが微妙だけど」

 

 

 黄理がなんか言ってる気もするけど、深く考えないでまずは親子丼弁当をレッツ試食!お米と鶏肉、卵と玉ねぎを箸で一掬いしてパクリと食べてみる。

 

 

 ブワッと口の中で美味しさが爆発した。よく下処理された鶏の柔らかさも、卵と玉ねぎの甘みの調和も、それらを密接に繋ぐ柚子の風味が味をより引き立たせている。

 

「美味しい──」

 

 鼻を抜ける爽快な柚子の香りと一緒に感じる正体不明のスパイシーさ?

 

 この謎のスパイシーさはなんだろう、三つ葉?いいや、なんか違うな。もう一口。うん、やっぱり美味しい。っと、頭に閃きが灯る。そうか、この親子丼の柚子の風味の正体は“柚子胡椒”だ!

 

 柚子、と聞いて細かく刻んだ皮やエキスが入っているものと思ったけど、柚子胡椒を入れることで懐の深い親子丼を爽やかな後味に仕上げているのだ。もう一口、うん、柚子と卵の絡んだ鶏肉がめっちゃいい味してる。

 

「千束、私も少しもらっていいですか?」

 

「ほい、どーぞ。あっ、たきなのも味見させてぇ~」

 

「味見ですからね、一応言っておきますが」

 

「それで言ったら俺の親子丼弁当、既に味見じゃ済まないくらいに食べられているんだけど……どん兵衛美味いな」

 

 よし、黄理がどん兵衛の奥深い味に夢中になっている間に、たきなへ親子丼弁当をパス。代わりに月見豚丼をゲット!さてさて、このお弁当の味は──。

 

 黄身とご飯、豚肉が一緒になっているところを取って口へと運ぶ。

 

 

 

 身体から疲労、緊張、力が抜ける。味わった豚の柔らかさと甘さ、卵のクリーミィな味わいに脱力してしまう。

 

「ほわわぁぁ~」

 

 ご飯が黄金色の理由は、米にコーティングされた卵。お米を卵と炒め、パラパラのチャーハンにしたのか。鶏ガラや醤油などの調味料を使わず、卵だけで米をコーティングすることにより、優しくありながら滑らかな舌触りを実現させている。これ単品では味気ないのだろうけど、甘く煮られた豚肉と半熟卵が噛みあうことによって、とろけてしまうほど美味しい弁当に仕上がっているのだ。

 

 卵の絡んだお米と半熟卵の黄身、甘く煮た柔らかい豚肉。

 

 考える限り、最高の組み合わせである。

 

「このお弁当も美味しい……柚子胡椒が鶏肉をさっぱりさせてて、ちゃんと満足感があるのにすごく軽い」

 

「月見豚丼も卵と豚肉を一緒に食べると、卵と豚肉の甘みがとろけ合って食べてるこっちがとけちゃいそうだよ~♪」

 

「お揚げ美味い」

 

 

 黄理が複雑そうな顔でどん兵衛のお揚げをはむはむやってるのを見て、味見という(てい)であることを思い出した。いや、ちゃんと覚えていたとも。まぁ、お弁当が美味しいもんで、ちょこっとだけ頭から抜け落ちたかもしれないけど。

 

 一巡したお弁当、どん兵衛が本来の位置へと戻ってくる。

 

 黄理が残ったお弁当を取られまいと早めに頬張るのをたきなと一緒に笑いながら見たり、どん兵衛のスープが如何によくできているのかを私が二人に懇切丁寧に説明したり、と。楽しい夕餉の時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

 夕餉をきれいに食べ終え、ごちそうさまっと両手を合わせる。食後の心地よい満腹感で眠たくなってるのに、身体に残る鈍痛で眠れない……。

 

 ぼーっとしてるのも飽きてきたなぁ、って私以上に黄理がぬぼーっとだらけている。この微妙にかっちょ悪い姿に、漠然としたハテナが浮かんだ。

 

「おっかしいなぁ?あんだけ準備万端で行ったんに私だけおベントー取れなかった~」

 

「運が悪かっただけではないですか?防御できる余裕があったために、あの人の濁流を正面から受け止めてしまった。もっというと、黄理くん狙いの人たちを受け流すことに舵を切っていれば、千束はもっと早くお弁当コーナー前に行けていたはずです」

 

「そうかな~、う~ん?」

 

 いま思い返しても、あの人が津波のように押し寄せてくる状況を切り抜けられる想像がつかなかった。スーパーで争奪戦をした狼たちの拳や蹴り、それに買い物カゴを巧みに使う戦い方は普通ではありえないほどレベルが高い。

 

 あれ、とスーパーにいた時のたきなの動きが連鎖的に思い出された。

 

「たきな、なんかすっごい動きしてなかった?」

 

「……そう、ですね。言われてみれば、すごい調子が良かった気がします。おかしい、確かお腹がすごく空いていたはずなのに」

 

「お昼、抜いたんだっけ?私はばっちし食べて、力いっぱいだったはずなんだけど」

 

 

 

 二人して首を傾げていると、緑茶を呑んでいた黄理がある指摘をする。

 

「空腹のおかげじゃないか?」

 

「え~、逆でしょ。お腹、空いたら力が出ないってー」

 

「──でも黄理くんの言う通り、あの場での私と千束の違いなんて、空腹かどうかくらいしか差異がありませんよね」

 

 たきなの半信半疑気味な同意に頷き、黄理が説明を繋げた。

 

「スーパーの狼連中からたまたま聞いた話だけど、半額弁当を食べたいって意思と本当に空腹状態の時、火事場の馬鹿力が出るとかなんとか」

 

「すげー眉唾もんだね」

 

「ばかげてます、そんな話」

 

 たきなの呆れ声の正論に納得しながらも、黄理は面白そうに笑った。

 

「スーパーで半額弁当を買うために乱闘する話と、どっちがありえそう?」

 

 

 そういわれると確かに有り得ないと思っていた話にほんの僅かな信憑性が出てきてしまう。ほんとうに僅かなものだけど。

 

「言われてみれば」

 

「どちらも真っ当な人が聞いたら、正気を疑いそうですが」

 

「実証ってわけじゃないけど……昔、あんまり腹が減ってないとき、半額弁当を買い置きするためにスーパーにいったことがあってさ」

 

「どーなったん?」

 

「ぼろ負け、笑っちまうくらいコテンパンにされた」

 

「黄理くんが?相手は一般人ですよね?」

 

「そーだな、まぁ別におかしなことでもないだろ。なんたって、ファーストとセカンドのリコリスがやっつけられた修羅場だぞ。ファーストのリリベルが倒されていてもおかしくないさ」

 

 そういえば、と黄理が前置きをしてから──。

 

「狼の言ってた与太話だけど、割りと当たってる部分があると思う。腹が減ってないときは、どれだけ強くても弁当が手に入らないし、嫌いなおかずとか大して興味が出ない弁当しか残ってないときは勝ちきれない。小難しいのを取っ払うと、ようは気持ちの問題な」

 

「え~、根性論~?」

 

「疑わしいことこの上ないです」

 

 たきなの言う“疑わしい”とは、本当か嘘かで天秤が揺れているために出てきた言葉だった。嘘と言い切るにはあまりにスーパーで味わった辛酸と衝撃が強すぎる。黄理は私たち二人分の視線を受け、肩をすくめる。

 

「まぁ、あくまで俺の体感と経験則だしな。信じられないってのも仕方ない。でも、スーパーで戦うとしたら、あそこの流儀に合わせる必要はある。合わせられなきゃ、まぁ良い結果は待ってないはずだ」

 

 黄理が珍しく目元に力を入れ、視線を鋭くした。気の抜けてない真面目な表情。これで話す内容が、スーパーの半額弁当じゃなければ完璧だったんだけど。

 

 

「一応、答えは分かり切ってるが聞いておく。まだ、スーパーに行く気はあるか?」

 

 私の目に黄理の蒼黒の瞳が映り込んだ。正面切っての問いかけ、この質問にわたしは格好つけて、少しだけ見栄を張る。というか、黄理も意地が悪い。長い付き合いだ、とっくにわたしの答えを予想しているのに、わざわざ聞くとか。

 

 

「とーぜん行く!やられっぱなしで降参できますかっての」

 

 私は自分の意気込みを力強く宣言をする。たきなもきっと同じ気持ちだよね、という期待で目を合わせて頷くと──。

 

「まぁ、私は今回、半額弁当を取っているのでやられたのは千束だけですが」

 

「あ~ん、たきながいじめる~~!」

 

 つめた~いたきなの呟きを聞いて、黄理をがくがくと揺さぶった。

 

 歓談もほどほどにお弁当の容器やどん兵衛の容器を片付け、リコリコの戸締りをして外に出る。夜風と共に空では白に輝くまんまるのお月さま。

 

 

 不思議な気分だった、派手に負けているというのに胸にあるのは、純粋なワクワクするという感情。日常的でありふれたスーパーで起きる、とてつもなく馬鹿げていて信じられないくらい誇りに満ちた愉快な非日常。

 

 好奇心という自分でも抑えられない衝動を自覚しながらも、狼が牙を剥くように笑みを浮かべる。今度こそ勝つという決意と願いを込め、私は握った拳を月へと(かか)げた。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。