ぼちぼち原作乖離が起こりそうな予感。あくまで予感ですが。
くるくると歯車は回る。
役割に殉じるように一定の間隔、時間で廻る鋼鉄機工。
未来永劫、寸分の誤差なく狂ったように歯車は回り続けるはずだった。
それが狂ったのは、いつのことか。
男は自分を歯車と定義していた。喜びも、哀しみも、我欲も、誇りも、忠誠も、全て己とは縁遠いものと認識していた。DAの男子系暗殺者組織、
業の深い繰り返し、何の意味も見出せない無価値の積み重ね。
彼の生き方は退屈で完結していた。国家の安寧、犯罪者の抹消、全ては自分の役割に当たることだからと虎杖と呼ばれる男は何食わぬ顔で、二十にも満たない少年たちを死地へと送る。その成果に興味はなかった、失敗したなら必要な分の増援を出して対処を行う。成功したなら戦功や働きに応じて評価、運用を行うだけ。
そんな歯車はある日、突然、狂ってしまった。
七夜黄理、リリベル最強の暗殺者。極まった殺人技巧の使い手。彼の初仕事を知り、虎杖の中に
黄理がどのように生きていくか。不殺を貫き通せるか、あるいは本能に呑まれてしまうのか。
今はただそれだけが、虎杖の唯一の関心である。
リリベルの司令、虎杖は卓上の書類に目を通し、必要ならば関係各所へ連絡を。あるいは書類に判を押し、作戦申請に許可を与える。普段通りの手慣れた職務をこなしていると、近くに控えさせていた補佐役の男がDAからの通達事項を書面も併せて報告した。
「リコリスが襲われただと?」
「はい、被害は四人に上るとのことで、被害場所は立川やお台場などの──」
「どこで襲われたか、という点は現段階では無視していい。重要なのはリコリスが襲われたという事実だ。敵はリコリスを特定している。考えられるのはリコリスの強襲から生き延びた敵対組織の何某か、それともDAの情報を掠め取った何者か……」
この条件がどちらも当てはまる者が身近にいるのだが虎杖は、それを第二候補くらいに位置付けた。他にも先に挙げた条件と当てはまる者がいるか、思考を続けながら虎杖はDAからの通達の意図を把握する。
「こちらも気を付けろ、ということか」
「加えて、リコリスの実態が
「無いだろうさ。リコリスの統括をする楠木は老獪とまではいかぬが、あれで堅実に動く。己の命を賭してリコリスという組織を存続させる、あるいは率いた者らを生かしたまま事を収めるくらいはやってのける」
それは虎杖にはできない芸当だ。仮にリリベルが衆目の元に晒され、リコリスたちの処分を受ける際、虎杖は甘んじて死を受け入れるだろう。七夜黄理という例外が絡まぬ限りは。
「虎杖司令、我々も動くべきでしょうか?」
「傍観に徹しろ。此処で我々も動いてリリベルという組織まで露見させる危険を冒す必要はない」
「そのように」
虎杖は、リコリスの被害状況が記載された書類から違和感を嗅ぎ取った。
「死亡者二名、軽傷が二名?」
虎杖はリコリスの被害の内訳を訝しむ。敵となる相手はリコリスを特定し、先手をとって襲撃を実行している。襲撃を受けたはずのリコリスで生存者がいるという情報が拭いきれない違和感となって尾を引いた。
なぜ、わざと生かすような真似を。
襲撃を受けたリコリスの実力?それとも単なる幸運か?
単なる余裕、遊びの一環、より大勢のリコリスをおびき出す策の可能性。
それとも別の狙いが──?
「ふむ、楠木は堅実ではあるが甘いところがまだ残っている。この件でそれが凶と出なければいいが──」
愛用する煙草に火をつけ、蒼崎橙子は天井へと立ち上った煙に意識を寄せる。
揺蕩う紫煙をひとしきり眺め、彼女はその不味さを堪能しようとして。
その時だった。前触れもなく卓上にある黒電話がけたたましい自己主張を繰り返す。手持ちのスマホの方なら着信なぞ無視して煙草の方に専念していたが、こちらだとそうはいかない。
煙草を咥え、私は“裏稼業用”の黒電話を取った。
「はい、こちら伽藍の堂」
口調に棘が出るくらいは仕方ないだろう。何せ、喫煙者にとって至福といえる時間を妨げられているのだから。だが、私の不機嫌さは電話してきた相手の意外性によって緩和された。
「……ほう、一応こちらの電話番号を教えてはおいたが、まさか本当に電話をしてくる日が来ようとはね。それでなんだい、要件は」
理路整然と彼女は己の要件とそれを知った経緯を詳細に説明する。
その要件というのは、リコリスが襲撃されたという既知の情報に関連したものだった。黒電話向こうの年若い少女は伽藍の堂に、ある仕事と人員の派遣を依頼する。
「また随分な人選だな。できないわけではないが、まず間違いなく向いていないぞ。──それでもいい?さいで。もの好きな依頼主がいたもんだ。ああ、分かった。うちのぼーやは好きに連れてけ。あと、報酬は伽藍の堂の口座に送金するように」
派遣される彼に渡さないのか、と問いかけられ、私は愉快な心地で破顔する。
「私はあいつの雇用主だぞ?」
“なるほど”。疑問形に近似した呟きが耳を撫でる。
あまりに威風堂々と宣言したことでこちらの暴論に納得の余地が生まれた。生真面目な少女を即興の舌先三寸でやり込めた私は不味い煙草を気分よく吹かし──
「納得してもらえたようで何よりだよ」
したり顔で受話器へ囁いた。
一日の始まりを告げる朝日ではなくスマホの着信に叩き起こされ、パジャマ姿の錦木千束は寝ぼけ気味なまま、たきなからの情報を知らされた。
「リコリスが~?」
『はい、四人のリコリスが単独任務中に襲われたと連絡がありました。二名死亡。二名が軽傷で逃げ延びることが出来たと』
生真面目で実直なたきなの声を聞いて意識がようやく覚醒する。
「ただの女子高生を狙った通り魔とかじゃないんだよね?」
『死亡者が出ているうえに四人続けて襲撃されているんです。その可能性は低いでしょう』
「な~んで特定されてんだ~?」
相手はまず間違いなくリコリスという存在を知ったうえで、襲撃を実行に移している。だが、相手はどうやってリコリスの情報を得たというのか。ラジアータがある以上、そうやすやすと情報を手に入れることはできるはずがないし──。
「あっ、もしかして、前にあった銃の違法取引の時の…」
『ラジアータのハッキングと関連しているのかも。もっとも、私たちでは確証を得られませんので、ひとまずは放置しても問題ないと思います。あぁ、それと山岸先生から言伝を預かりました』
おや、山岸先生が心配でもしてくれたのかな?
『“しばらく単独行動を控える事”、あと“今月の検診、昨日よ”と』
「あっちゃ~、そういやそうだった、かも?」
「かもじゃなくて断定していたうえにお冠でした。行かなかったんですね?」
たきなの呆れた声を聞き、わたしはテレビ前のテーブルを見た。床にまで散乱したお気に入り映画のブルーレイディスク、映画のお供であるお菓子の空箱。昨日の検診に行けなった理由がそこにあった。でも、言ったら叱られる気がするので黙秘しとく。
『単独行動の危険性を考慮し、早速、今日から複数人での行動をしようと思います』
「今日から?そもそも複数人ってお店で大抵、みんな一緒に──」
部屋のインターフォンが鳴った。上階部、ダミーの方からだ。ぱたぱたと上の階へ上がり、“足元に散らばった罠”を避けながら、扉を開く。開いた扉の先には、スマホを耳にあて、黄理の手を掴んでいるたきなの姿があった。なんか、黄理が朝からすげーぐったりしてるんだけど?
「伽藍の堂に護衛の依頼をして黄理くんを付けてもらえました。夜は黄理くんが護衛をしてくれます。安全が確保されるまで警戒態勢を維持、相互に襲撃へ対応するため24時間一緒にいましょう」
「ああ、そういう話だったのか……」
黄理が疲れた顔でぽつりと愚痴る。たきな、此処まで黄理を引っ張っておきながら、依頼内容を説明しなかったとは。なんと末おそろしい子。
と、いうか。
「ウチに泊まんのぉ♪」
三人でお泊りという初めてのイベント。千束は“絶対に面白くなる”という確信を抱き、唐突に現れた二人を満面の笑みで歓迎した。
通された部屋は殺風景を通り越して、人の存在を感じさせない空室のようだった。家具と呼べるものはなく、生活の痕跡は何一つ見受けられない。快活で、遊興に並々ならぬ執心を持つ錦木千束にしては部屋から感じ取れる印象が違い過ぎた。
たきなは予想外の景色に圧倒され、思わず感想を吐露する。
「プロの部屋だ」
「あ~、たきな。足元注意だからね」
呆然と何もない方の部屋を見ているたきなを止め、私は足元をちょいちょいと指差した。視線が下に向いて、たきなは足元に何があるのかを目撃する。鈍色に光る鋼鉄細工、刺々しい金属の顎を開いたそれは、トラばさみと呼ばれる仕掛け罠だった。
「プ、プロフェッショナル…」
「ちゃうて。それ、黄理から没収したやーつ」
「あ、言われてみれば、俺のだ」
そこで黄理は床に置いてあるトラばさみを見て、懐かしそうに目を細める。なんなら手に取ってスプリングの調子を見たり、尖った先端部を楽しい顔をして触れていた。普段から、ボーっとしたり、ねむそうにしている黄理が童心に還ったような表情で罠の点検をしている。
「そういえば黄理くんは罠の収集が趣味と昔、言っていたような」
「でも、ほっとくと部屋を即死級のトラップハウスにしちゃうもんで、私が定期的に黄理の部屋の罠を片付けてあげてるわけさ」
「言っておくが、部屋に置いてあるのは適当に散らしたわけじゃなくて、ちゃんと意図して設置してあるんだからな。あれはあれで、ちゃんと俺には分かりやすいところに置いてあって実用性を考えてのことだ。別に片付けてないわけじゃ」
「片付けられない人はみんな、そう言うんだよ。あ、わたしはちゃんと自分が使いやすいところに置いてあるからね」
「語るに落ちたぞ、今」
たきなが不思議そうに首を捻っている。あっ、もしやこの部屋が私の生活スペースと勘違いしたかな?
「ほら、たきな。こっちこっちぃ~」
「えっ──」
隅の壁が回転し、階下に繋がる空間が現れる。慣れた調子で千束や黄理はさっと降り、たきなも二人の後を追って梯子を下りていく。降りた先には、なんとも千束らしいと思わせる生活空間が広がっていた。
机の上に散らばった映画のディスク、お菓子の空箱、それとリビングの椅子の背もたれには黄理くんのものらしきリリベルの赤い上着。壁に飾られた写真には子供時代の千束と黄理くんのものが散見していた。ちらほら千束の生活空間に幼少期の黄理との痕跡が感じ取れる。
「その辺に座ってて~。アイスコーヒーでいいでしょ~?」
「はい、まぁ……」
「じゃあ俺は緑茶を頼む」
「自分で淹れなっさーい」
「たきなには淹れてやるくせに」
勝手知ったるというのか、平然と台所に入って目当ての急須や茶葉をごく当然に引っ張り出す黄理。そこにもたきなは言及しておきたかったが、今一番の関心はそこではない。
上と下で違い過ぎる内装の部屋。
どういう経緯でこんな面妖なことになっているというのか。
「なんなんですか、これって?」
「長く仕事をしてるとね、色々あるんだよ。ここはセーフハウス一号、あと他に三つあるんだ♪」
「管理が面倒なんで俺は二部屋だな。ほら、たきながいつも茶を飲みに来るあの部屋」
「黄理くん、あそこ以外にも持ち部屋があったんですか……ん?」
「ちょっと待った。黄理の部屋ってあの罠だらけの部屋以外にもあるの?」
「いや、セーフハウス兼たきなとの茶飲み部屋ってことでもう一部屋借りてるぞ。お前がいつも泊りに来たり、抜き打ちで来る方とはまた別だよ」
自分で淹れたお茶の味に満足しているのか、ホッと一息を突く黄理を二人の少女の氷の眼差しが捉えた。
「──黄理」
「──黄理くん」
「「その話詳しく」」
黄理の家事情、普段から住んでいる二部屋の住所や、虎杖さんから預かっているマンションの情報など根掘り葉掘り問い詰めてから、たきなはこの共同生活における決めておかなくてはならない大事な話に取り掛かった。
壁に張られた月曜から日曜までの家事分担表。料理、洗濯、掃除の三項目。これがこの共同生活のルールだというように、絶対の自信でたきなは表を指さした。
「共同生活を送るうえで公平な家事分担です」
「いや、あの俺の仕事は夜中の護衛だけじゃ」
「黄理くんの諸生活費は護衛任務中、依頼主の私が持つこととなっています。そのため、黄理くんが家事手伝いをするのは真っ当なことです、と橙子さんが」
「橙子さん、絶対に笑いながら言ってたろ」
雇い主が自分の苦労も知らず微笑みながら身柄を売り飛ばした事実に黄理は頭を抱えた。ホントに伽藍の堂からリコリコへ鞍替えした方がいいのではないかと考えながら。
「なんか、つまんない」
「……つ、つまらない?」
面白みがないというか刺激が無い。たきなの考えも分かるんだけど、せっかくの共同生活の家事分担。せめて、もっとこう面白愉快な方法で決めたいよね。
「では、じゃんけんとかがいいのですか?」
黄理が嫌そうな目をしているが、千束はそれに反して楽しそうに目を輝かせた。
「……たきな、千束相手にそれは」
「いいね、それいいね!!じゃんけん!」
何か言おうとした黄理を押しのけ、私は今後の共同生活の運命を決めるじゃんけんを開始する。もちろん、じゃんけんの出だしは定番の“アレ”。私と黄理のじゃんけんの勝ちが決まった瞬間だった。
「「「さーいしょはグー!」」」
月曜から土曜まで、ほとんど全ての日程。料理、洗濯、掃除の担当はたきなに決まってしまった。なお、仏心を出したのか、たきなを怒らせるのはリスクがあると判断したのか、日曜の担当は七夜黄理が受け持つことと
開店前のリコリコで、ミズキが一本の包丁だけで大量のスイカを相手にしている。よりにもよって仕込みの一番面倒そうな食材が仕入れられたときに限って、下準備を担当することになろうとは。一応、聡明かつ詰めの甘いミズキは、この仕入れミスともいえる量のスイカを前に思わず声を張り上げる。
「──いくら安かったからって仕入れ過ぎでしょ!」
「なぁに、使い道はいくらでもある。そうだな、まずはジュースにでもしてみよう。そういうのが流行っていると聞いた覚えがある」
「うろ覚えで流行りに乗っかろうとすんな!」
千里とそっくりの能天気さでスイカを使った新メニューを提案するミカ。あまりの考えなしにミズキが頭を痛めていると、せっかく切り分けたスイカが一つ減る瞬間を目撃する。スイカをこっそりと手にしたリスへミズキが釘を差しにかかる。
「おいこら何してる。さっさと働け」
具体的にはスイカの調理とかで。
だが、この場合は相手の怠惰っぷりが一枚上手だった。
「ボクは電脳戦専門だからな、せっかくのスイカをボクの調理で無駄にするのは忍びない。厨房は任せたぞ、ミズキ」
「な~に、もっともらしいこと言ってんの!ゲームして遊んでるだけの居候がいっちょ前に言うことか!スイカ返せ!」
二人のがやがやじゃれ合っていると、ミカがちょうど用事もあったことで仲裁に乗り出した。いや、仲裁というよりは注文だろう。
「クルミ、少し手伝ってほしいことがある」
「いや、だからボクは」
「もちろん、電脳戦に関することだよ」
やれやれ、とクルミは面倒ごとの予感を感じ取る。だが、今の自分の拠り所であるリコリコのため軽くひと働きでもするか、とスイカにかぶりついた。
「ちょっと、じゃあこの大量のスイカの下ごしらえは、おい待ておっさん。どこ行くクルミ?どっちでもいいから手伝いを、こらっ逃げるな~~!!」
残されたミズキを取り囲む大量のスイカ。
その下準備をミズキは開店時間前にどうにか単独で成し遂げたのだった。ちなみにこの日のまかないはスイカのシャーベットであったらしい。
「おっはよー!労働者諸君!」
「おはようございます」
「どうも」
二人の勤労少女と目をしょぼしょぼさせた少年の三名がリコリコの表口の戸をくぐる。千束、たきな、黄理の三人が揃って現れたところで、ミズキは僅かに疲労した様子で声をかけてきた。
「聞いたわよ~、なんか大変なことになってるじゃない。って、あれ、黄理どしたのよ?そんな疲れた顔で」
「ちょっと厄介な護衛を任せられた所為でね」
欠伸混じりの物言いに、護衛というのが千束とたきなのことだとミズキは勘を働かせる。普段なら、“同棲か!”と吠えようものだが、事はリコリスの死亡者まで出ている惨事。軽く注意して流すだけに留めよう。
「変な気、起こすなよ?」
「当然、虎の尾と分かって踏むほど考えなしじゃない」
サラっと虎扱いされたことは不満だったが、昨晩から寝ずの番をしてくれている功績に免じ、千束とたきなは敢えて黄理の愚痴を見逃した。
「まぁ私らDAじゃないから大丈夫だよ」
「アンタねぇ、そりゃ配属上はそうだけどさぁ」
「言ってもDAの紐付きだぞ、俺たち」
伽藍の堂はリリベルの支部扱いだし、リコリコはリコリスの支部。
まったくの無関係とまでいかない微妙な立場。
「確かに襲撃の可能性もゼロではありません」
そうこう話をしていると。
「次の被害を防ぐためにも必要なことだと……しかしな……あぁ、分かった」
奥の方で真剣な顔をしたミカが電話中だった。千束、たきなは思わず聞き耳を立て、黄理は興味もないのか、お座敷の方で寝転んでいる。電話の内容からして、リコリスの襲撃についてなのは間違いない。
「もしかして楠木さん?」
「司令は情報をくれ……なさそうですね」
たきなは慣れたもので楠木の対応を即座に言い当てる。事実、たきなの予測はなんとも皮肉なことに見事、的中してしまっていた。
「極秘だとさ……内情を易々と明かせないのは理解できるが、この場合は悪手だな」
「DAさまは秘密の多いこって」
「勝手に覗いちゃうから、いいよー」
千束のぼやきに返事する奥座敷にてゴロゴロ中のクルミを見て、千束たちはなんか不安になってきた。あと、同じく座敷席のとこで横になっている黄理を見て、二人はやっぱりダメかもと考え始めるのだった。
そこは少年から見れば、明らかに正気を逸した空間だった。地下区画の遺体安置所。普通なら近寄りもしないところだが、ロボ太と名乗る彼は恐怖を抱きながらも、この場所を訪れていた。
僅かなホルマリンの臭気、それに混ざる線香とコーヒーの匂い。嗅覚から感じ取る陰鬱で凶兆を想起させる場の雰囲気。嗅ぎなれた者ならば、その不吉な匂いを死臭とでもいうのだろう。荒事や血の匂いを知らぬロボ太はそれを気取らぬままに
「時は明治政府樹立より前の話だ。国家安寧のために組織された暗殺部隊、“彼岸花”!その学名にちなんで現在では“リコリス”なんて呼ばれている」
声を大仰に張り、自信たっぷりな調子でロボ太はパソコンの画面を見せた。
「コイツが次のターゲットだ」
画面に映された、金髪よりの白髪に赤いリボンを付ける少女。少女の服装は赤い制服と彼岸花を模したであろう徽章が刻印されており、ロボ太はそこから話を更に続けようとした。
「基本、リコリスは都市迷彩服としての制服を──」
「もういい……というか違うよな?」
いい気分で話そうとしていたロボ太のセリフを途中で遮り、真島は剣呑な視線をブリキ人形の被り物へ向けた。疑問形を装った脅迫。答えを誤ろうものなら、次の瞬間には、と思わせる迫力が真島の問いには込められている。
「いや待て、落ち着いて聞け!?コイツは普通のリコリスとは違うんだ!リコリスの中でもトップクラスの──!」
「いくらでも湧いてくる捨て駒に興味はねぇ」
真島は手元にあったピザを一口かじる。
「俺の目的、お前がきちんと理解してんのか確認してもいいか?」
ゾッとするほど温度を感じさせない瞳に晒され、ロボ太は身を縮こめて真島の目的について擦り合わせを行った。
「に、日本に入国した雇われテロリストたち全員が忽然と姿を消す、その理由の究明と解決……」
「分かってるようで何より。手始めにリコリスどもを使ってるDAとやらをぶっ潰す」
手にしていたピザが机に叩きつけられ、卓上にある四つのスマホを汚した。
「なぁ?お前がガキどものスマホを持ってくればDAの本拠地が分かるっていうから、せこせこ夜なべして集めてきたんだ」
「──マフラー編むステレオタイプのお母さんかよ」
真島の不機嫌そうな言葉を混ぜっ返す響きの言葉がぶつけられる。そんな命知らずな真似をした相手を周囲の大柄な強面たちやロボ太はおそるおそる伺った。
声は真島のすぐ後ろから。遺体安置用の寝台に置かれたツギハギだらけの男性死体。その上で寝転がっている目の下にひどい隈をした絶世の美女、室戸菫が静かに嗤う。ロボ太も彼女のことはざっくりとしか知らない。いわく変わり者の闇医者、学会を追放された大天才。でも、それがどうしてテロリストと一緒にいるというのか?
真島は舌打ちをして胸元からリボルバーを取り出した。
「せんせいはだぁってろ、今大事な話の真っ最中だ。それ以上、余計な口を突っ込むなら、コイツの命はねぇ」
「えっ僕ッ!?なんで!?なんでこの話の流れで僕の命が!?」
真島の持つリボルバーがロボ太の頭を気軽に小突く。そんな真島の脅しにひるむことなく、室戸菫は口を開く。
「そんなちゃちな脅迫に私が屈するとでも思ったかね?やれるものなら、やってみるがいい」
「屈して!お願いだからそこは屈して!」
ロボ太は必死に声を上げて、白衣の美女へ手を合わせた。というか、自分の命がかかっているのに、その決断までの経緯が何故、人の言動に左右されなくてはならないのか。なんて世の不条理にロボ太が嘆いていると、リボルバーが下ろされる。
ひどく冷めきった目の真島が首をしゃくる。“説明しろ”ということだろう。たぶん、その後には“でなきゃ命はねぇ”と続くだろう。
「……そのスマホからIPアドレスを探したけど民間アドレスと違って、どうしても時間がかかるんだ。もう少し時間をかけるか、他のリコリスのスマホが要る」
「はぁ、試しに一カ月はテメェの考えに乗ってみたが、ぼちぼち潮時だな。今はまだ仲間内で死傷者は出てねぇが、そろそろ相手も対策を打ってくるはずだ」
「待ってくれ!まだ被害はゼロで抑えられてるんだし、この手が最速なんだ!あと、こっちのリコリスだって面白いはずで──」
ダァン、とリボルバーが硝焔と銃声を上げた。ロボ太は余りにも脈絡のない凶行に座ってた椅子から転げ落ちる。
「ダメだ、こっちはテメェの指示通りに動いた。それで何の成果もなしってのはバランスが悪いよなぁ?」
ロボ太は助けを求めるように周囲を見渡す。今、この
助けてもらえそうな感じではない。というか、死体の上で寝転んでいる室戸菫はギリギリ、いやとっくにアウトとして、仮面の男はもう一目見ただけで場外だ。つまり、助けは期待できなかった。
「三日以内にあいつらの本拠地を見つけろ。出来なかったら、そうだな。こっちの仕事を手伝ってもらう」
「て、手伝う?それって、どんな……」
真島は楽しそうに口角を歪めて笑う。真島の笑みが何よりも不吉なものに見えて、ロボ太は思わず内容を聞き出そうとする。だが、質問の前に両脇を屈強な男たちに掴まれ、ロボ太はテロリストどもの住処である
ロボ太が叩き出されたあと、菫医師は真島の肩に寄りかかってにやにやとチェシャ猫のように絡みにいった。
「まったく、君は意地が悪いね」
「良いと自己申告した覚えは一度もねぇよ、先生」
「確かに。それで首尾は?」
「細工は流々あとは仕上げを御覧じろ、ってな」
どうしてリコリスたちをわざと生かして逃がす真似をしたのか。四人とも殺すこともできた。というより、殺す一択であれば、真島の配下たちも余計な負傷や被害を出すことはなかった。真島という狡猾なテロリストは必要だからこそ、リコリスを何人か殺し、何人かわざと“生かした”のだ。単なる気まぐれということはありえまい。
真島たちは静かに悪事の成就を確信しながら凄惨に笑う。
彼らが悪党らしさを発揮していると奥の遺体を火葬する区画から、この陰鬱な場に似合わないチーズの焼ける香ばしい匂いが充満してくる。
周囲の強面の男たち、あと真島と菫医師がげんなりとした表情になった。仮面で表情が分からないが蛭子影胤も同様の態度なのは間違いない。
奥の部屋から現れたブロンドの少女、傭兵として雇われた
「はい、お待ちどうさまです。マルゲリータピザをどうぞ、あと少しすればアンチョビピザができますよ──」
でん、と出された
誰か適当にメシを作れ、と言ったがピザばかり十数枚も出されるとは夢にも思わなかったためだ。いくら大量に人手がいてもピザだけ大量に食えるほど、彼らはジャンキーな食生活を送っていない。
とうとう、背後の真島の配下のうちの一人が口元を抑えて何処かに駆け出した。おそらく、ピザが腹から出たがったのだろう。
「おい、どいつでもいいがまともに料理できる奴はいねぇのか…」
「わたしの作った創作料理が冷蔵庫にあるよ?」
菫が意気揚々と提案するが真島はそれを無視した。彼女が先日、死体の胃袋を解剖した時の内容物を煮込み、その創作物を冷蔵庫に突っ込んでいるのを見て、彼女が料理と謳うモノだけは口にすまいと決め込んでいたためだ。
そうなると、あとは配下たちだが、彼らの料理の腕は真島と似たり寄ったりなもの。つまり、期待薄ということになる。嫌そうな目で真島は燕尾服を着た仮面の男を見る。真島の視線に影胤は黙って肩をすくめた。
つまり、そういうことだろう。
真島が心の底から、がっかりした吐息を漏らすと外から悲壮感に満ちた大声が響いてくる。
『僕は頑張ってるよぉぉぉ!!』
聞こえてきたロボ太の声に菫は面白がって真島に笑いかけた。
「だってさ?」
「報われるかは別の話だろうが」