Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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Opposites Attract【2】

 

 畳の上で七夜黄理は欠伸を噛み殺して目を覚ます。体が重く、手先や足など末端の動きがどうにも鈍い。思考が霞む中で疲れている、と自覚しながら、あとどの程度自分が保つのかを冷ややかに計算し始める。

 

 リコリコの護衛の仕事を引き受けてから、夜の周囲警戒をし続けているのがどうやら堪えてきたらしい。これが単なる寝不足なら、どれほど良かったことか。

 

 

 別に夜中寝ないのには慣れていた。元より夜討ち奇襲こそ暗殺者の本懐。

 

 だが、問題はそこではなく、護衛のために夜中だけとはいえ長時間集中し神経を張っていることだった。

 

 “普段から意識を研ぎ澄まさないことに神経をすり減らしているのに”護衛のため此処しばらく警戒状態を維持している状況。

 

 そのためだろう。

 

 疲労と共に破綻と狂気がにじり寄ってくるのは──。

 

 

 

 連日連夜の来るかもしれない外敵への警戒は、七夜黄理の正気と認識をゆっくりと、だが着実に削りつつあった。感覚で捉えている全ての物質にこびり付く“死”が、自身の精神を追い詰めていく。

 

 おそらく、人間として真っ当な価値観や機能を有したまま活動できるのはあと一週間弱だろう。それ以上は考えるのをやめた。そこから先が無い以上、考えるなんて無駄は必要ない。

 

 

 テレビのニュースは今日もどうしようもなく安穏な事件の解決を流している。

 

 時間つぶしでそれを眺めていると。

 

「お~い、暇してるなら、こっちのボドゲに混ざらないか~」

 

 能天気なリスがこっちへ手を振ってくる。確かに、ごちゃごちゃ考えるより今は頭を空にした方がまだマシだ。

 

「──あいよ、今行く」

 

 

 向かった奥座敷では千束がクルミと見慣れないボードゲームをしていた。

 

 たきなは店側で真面目に働いているというのに、こっちは随分と(おもむき)が違っている。

 

「おっ、新しいチャレンジャーが来たな~。このゲームクイーンに挑戦しようなど、十年早いってことを教えて進ぜよう」

 

「なんて言ってるそばから、これもーらい」

 

「あ~ん、そこのヤツ取ってくなよ~」

 

「口ほどにもなくないか、千束?」

 

「ビッグマウスも大概にしろよ~」

 

 うぐぐ、と千束は口さがない黄理、クルミに追い詰められる。次の手番で状況をひっくり返そうと意気込んでいるようだがクルミの有利は変わらなそうだ。卓上のボードゲームの趨勢を後ろから見ていると、更に俺の後ろから不景気そうな調子のミズキさんが顔を出す。

 

「ってこら、調査はどーした。調査は?」

 

「外に出て、あっちこっちをうろちょろしてるだけが調査とでも?動かず慌てず、必要なことをしておく。そうすれば情報なんて自然と揃えられるもんだ。それに今は情報のダウンロード中でやることがない、あとでゆっくり調べるよ」

 

 なるほど、一応はやれることをやってからの遊興ということか。それならまぁいいかと俺は納得したが、ミズキさんはそうはいかなかったようで。

 

「あんた、DAをハッキングしようと、ってもうしてんのかよっ!?」

 

「既に終わったあとか~。さすがはクルミさん、ヤバイね」

 

「フン、ちょろいね」

 

 とクルミがパフェだか、あんみつだか分からないデザートを勢いよく頬張っていく。ホントのリスみたいに頬がよく膨らむものだな、と観察していると、クルミの碧眼と目が合った。慌ただしかったスプーンが止まり、クルミの挙動もぴたりと停止。何も考えず、クルミの碧眼の奥をそのまま覗いていると急にクルミが咳き込んだ。

 

 “ゴッホッ!ゴホゴホッ!”、喉を抑えてなんか悶えている。

 

 もしや、白玉かなんかが喉に詰まったのか?自分用に淹れておいたお茶をクルミに差し出すと、クルミはすぐさま喉に流し込んだ。

 

「プハッ、た、助かった」

 

「これが天にも昇る味ということか」

 

「──ボクからしたら、それ洒落にならんからな」

 

 一方、クルミが白玉で命を落としかけているシーンにミズキさんは爆笑し、千束も腹を抱えて俯きながら震えていた。

 

「アハハ!!大きな口を叩くから、そーなんのよ」

 

「白玉に負けるとか、ちょろくないクルミさん?」

 

 流石のウォールナットも、このしくじりに対する揶揄は黙して受け止める他なく悔しそうに口を尖らせるだけだった。なお、このあと俺とクルミのボードゲームの一戦は、クルミの完勝となり、憂さ晴らしは完遂されたのである。

 

 

 

 

 たきなのシフトが終わってから、千束たちは晩御飯の買い出しを終えセーフハウスに戻ってきた。今日の夕飯はたきなが当番である。たきなシェフの辣腕に期待しながら、私は居間の方でお笑い番組を楽しんでいた。

 

「……じゃんけんの勝率なんて統計的に、どの手も三割なのに」

 

 たきなの不満げな呟きを耳にし、黄理はなんとも気まずそうな顔でお茶を淹れる。

 

「確率とか、統計なんてのは千束相手だと当てにならないぞ」

 

「……それはつまり、千束が“考えなしだから”的な意味ですか?」

 

「おっと、なんか私を小バカにしてる気配がしたゾ?」

 

 普段通りのゆるーい会話の途中、ふと黄理が天井を見上げた。

 

「来たな、お客さんだ」

 

「……えっ?」

 

「ま~た、チンピラさんか~」

 

 たきなは何ごとかと目を白黒させるが、少ない黄理の言葉から私は襲撃者が来たのだと意図を把握する。そして、それが事実だと知らせるように、スマホに紐づけていた扉の防犯センサーがアラートを鳴らした。

 

 上の階に侵入者が来たようだ。

 

「何人くらいだと思う?」

 

「二人だな、夕飯前に片付けよう」

 

「オッケー。あっ、ほどほどで良いかんね。あんまりケガさせちゃかわいそうだから」

 

「気が向いたら、やっとくよ」

 

「向かんでもやれ~い」

 

 私と黄理は速攻で上の階に上がる。扉が開くと同時、一人の男が銃を携えて敷居を踏み越えた。

 

 黄理は銃のスライドを掴み取って、一人目の男に足払いをかける。私は顔から床に叩きつけられた男の人の後頭部に非殺傷弾をご馳走した。後頭部の衝撃で襲撃者の顔がもう一度、床にバウンド。おおう、めっちゃいったそ~。

 

 さて、二人目の人は──。

 

 グシャリ、と扉の外で何かが砕ける鈍い音が聞こえた。

 

 

 

 一人目の男を転ばせた黄理は何気ない動きで扉の外に出る。これから外出に出向くような普通の動きに唖然としていた扉の外の男が慌てて銃を構えようとする。

 

 だが、男の反応より早く黄理は襲撃者の顎を蹴り抜いた。

 

 肉の下の顎骨が砕ける音と男の人が壁に叩きつけられる音が残響。壁に叩きつけられた時か、顎を蹴り砕かれた時か、どちらにせよ脳震盪を起こしたらしく、襲撃犯の男はぴくりともしない。

 

 

 ホント、事前にやりすぎないように言っといて正解だった。まぁ、黄理が蹴っ飛ばした人は暫く流動食のお世話になりそうだが、もう一人はただ気絶しただけ。割合で考えれば、五割が軽傷ということ。やっ、ムリあるかぁ、この計算?

 

 黄理が外の男の人を引きずって部屋に戻ってくる。ぱっと見、めちゃ猟奇的なせいで黄理の方が悪役っぽいのはもう仕様と諦めるしかなかった。

 

「窓、開けてくれ」

 

「……投げるときはそ~っとね。そ~っと」

 

「どう慎重に投げても、落ちた時の衝撃は変わらないんじゃないか。あと銃持ってきた奴らを気遣う必要もあるか微妙だけど、とにかく了解」

 

 黄理が引きずってきた人、あと気絶した人を下のゴミ捨て場へと放り投げた。たまったゴミ袋がクッションとなり命に別状はないのは分かる。けど、二人とも微動だにしないので、上から見てるとなんか不安。

 

「一応、クリーナーに回収してもらうか~?」

 

「起きれば勝手に帰るさ」

 

 襲撃者を片付けると銃とおたまを持ったまま、たきなが下から出てきた。

 

「……なるほど、こういった襲撃を想定してのセーフハウスということですか」

 

「ま~ねぇ、あんなチンピラならどうってことないんだけど、昔はリリベルとかも来てたから」

 

「黄理くんが?」

 

「ちゃうちゃう。黄理以外のリリベルね」

 

 たきなは千束の説明を聞いて、なお不思議そうな表情をしていた。なぜ、DAのリリベルが同じDAに属するリコリスを襲撃するのだろうかと言いたそうに。

 

「そういえば俺もリコリスに襲撃されてたっけ」

 

「な~んでか、平和主義者はえらい人たちに疎まれるんだ~。DAはもっと寛容でおおらかになるべきだと思いマース」

 

 私の言い分を聞いて、たきなは呆れた顔で頷いた。確かにDAの人間が不殺を主義信条にするのは、処分を言い渡されてもおかしくはないだろう。あまりにも物騒過ぎる理由にたきなもドン引きしてるっぽい。

 

「まったく、温厚で無害な私を襲うなんて失礼しちゃうっての。あっ、たきな~、銃貸して~」

 

「?はい、どうぞ」

 

 たきなから銃を借りた私は、“マンションの上空を飛んでいたドローン”へ発砲。さっすが実弾。サプレッサー付いてても弾道がよれないし、標的(ターゲット)によく当たる☆

 

 銃弾が喰い込んだドローンは煙を吹きながら、襲撃者が打ち捨てられたゴミ捨て場へと墜落した。どこの誰か知らないけど、勝手に撮影するのはNGでーす。

 

「温厚、無害、平和主義者……と言い張るには無理があるような」

 

「や~、リリベルの方がおっかないよ。リコリスが一般人にバレないことに半分くらいキャパ回してるとしたら、リリベルは火力に全振りだから」

 

 たきなは千束の発言を聞いて、この場で最もリリベルに詳しい人間へ尋ねた。

 

「リリベルって普段は何をやっているんですか?」

 

「リコリスと似た物騒なことをやってるよ」

 

 黄理はたきなの質問に大雑把な答えを返した。たきなは黄理にはぐらかされたような気になったのか、不満そうに口を一文字に結ぶ。

 

「おっ、なになに、たきなってば男の子に興味あんの~?」

「そういうのじゃないです」

 

 意固地なたきなはきっぱりと私の揶揄いを切って捨てた。そのあと、黄理は私の発言に合わせて、たきなに問いかける。

 

「興味ないんだ?」

「そうは言ってないです」

 

 …………。

 

 私と黄理はたきなのふてくされた顔を見て、悪いとは思いつつも揃って笑い出してしまうのだった。

 

 

 

 

 

 ロボットの被り物をした少年は、椅子から転げ落ちて呆然とする。

 

 DAのトップクラスにあたるリコリスだとは聞いていた。だが、二人の襲撃者を簡単にやっつけて、遠く離れたドローンまであっさり撃ち落とすなんて……。

 

「なんだよ、コイツ……」

 

 よろよろと立ち上がったロボ太は録画された映像をもう一度、再生する。

 

 殺風景な部屋の扉が開いたと思えば、部屋にいた青年が襲撃者を一人、屋内に引っ張り込む。赤のリコリスは引きずり込まれた男に冷静に一発撃ち込んで戦闘不能にしてしまった。もう一人いたようだが、そっちはドローンからは見えないとこで意識を失っており、二人のチンピラはベランダからゴミ捨て場へと投げ捨てられる。

 

 そして、ベランダで談笑していたリコリスは別の銃を手にすると、こちらのドローンに一目で照準を合わせ、撃ち抜いてみせた。この録画の最後の一秒は弾丸によって付けられた蜘蛛の巣状に広がる罅で締めくくられることとなる。

 

 唐突な射撃とドローンの撃墜にロボ太は驚いて椅子から転げ落ちたわけだが、痛みよりも今は一縷の希望が彼の中にあった。

 

 真島からの“三日以内にリコリスの拠点を見つけ出せ”というオーダー、方々手を尽くしてもDAの極秘情報にはかすりもしない。このままだと確実にろくでもない結果だけが待っているはず。だが、別口の“真島と赤のリコリスをぶつけろ”という依頼は、この映像を見せれば上手くいくのではないか?

 

 そのうえで真島の興味がこっち(リコリス)にいけば、僕への関心が薄れてリコリスの拠点の話もうやむやに……。そこまで上手くいくことはまぁないだろうが、ひとまず殺されずに済むくらいには時間を稼げるかも。

 

 

 さしあたり録画を真島に送って反応を伺おう、としたのも束の間。

 

 

 僕の部屋の扉を蹴破って、真島と屈強な二人の男が現れた。

 

「どわぁぁぁあぁ!?」

 

 蹴破られたドアはいとあわれな状態へ。鍵は当然の事、留め金具が壊れてるし、なんなら中央から真っ二つに分かれている。少なくとも防犯やプライバシー保護の機能はもう期待できそうにない。

 

 えっ、でもなんで真島が、わざわざ──。

 

 そこで僕の頭脳は驚異的な回転をすると共に、つい先日の真島との取り決めの記憶を反芻した。“三日以内にあいつらの本拠地を見つけろ”。“三日以内にあいつらの──”。

 

 “三日以内に──”、僕はカレンダーを見て、“あっ”と間の抜けた声を漏らす。

 

 今日がその“締め切り(三日目)”だっけ、と気づいたときにはもう遅かった。

 

 真島は退屈そうな顔つきでドアを踏みつけ、部屋の中へ。

 

「もう、三日たったぞ~。せめて、なんか役に立つ情報の一つや二つ、仕入れたんだろうな?」

 

「えっ!?あ、その、情報は……っていうか、どうしてここが!?」

 

 ロボ太の発言を聞いた真島は首を傾げて空虚な目で問い詰める。

 

「──そんで?」

 

 此処で真島が望む回答をできなければ、僕はどうなることか。想像力を働かせるよりも、思考回路はなんとかこの状況を丸く収めることができる奇跡のような回答を模索し始める。が、そう都合よく奇跡は起こりそうにない。

 

 ロボ太は真島の前で狼狽え、蛇へ睨まれた蛙よろしく硬直した。

 

「そんで?」

 

「えぇ、いや?あの、ちょっ、待って、あだっ。そうだ、リコリスが!」

 

「リコリスが、じゃねぇよ」

 

 真島は片手でロボ太を軽々と持ち上げ、強制的に目線を合わせた。胸元を掴み上げられたロボ太は、どうにかリコリスに興味を持ってもらおうとパソコンを懸命に指差す。

 

「待て、ホント待って!すっごい映像がだなぁ!」

 

「……そんじゃ約束通りこっちの手伝いに来てもらうぜ」

 

 真島はパソコンに見向きもせずロボ太を攫おうとしていく。ロボ太は被り物の下で、顔色を蒼白にして必死の取引を行う。このまま連れていかれれば、どんな汚れ仕事をさせられるだろう、いいや額面通りに仕事やなんらかの手伝いをさせられるならまだマシだ。下手すると、さっくり消されてしまう未来さえ可能性に入ってくる。

 

 だからこそ、生き残るため、なんとしてもリコリスに興味を持ってもらわなくては。ロボ太はパソコンに手を伸ばし、どうにか操作しようとする。だが、真島に持ち上げられているために、届くことなく伸ばした手は空を切るだけだった。

 

「映像!!まずは録画したのを観て、すごい映像がっ!」

 

「──おら、行くぞ」

 

 真島は面倒になったのか、ロボ太を担ぎ上げて部屋を出ていこうとする。二人の屈強な男たちも真島の後に追随しようとしたところで複数のモニターが一斉にある映像を流し始めた。

 

 暗闇に揺れる赤眼と蒼の瞳。瞬く間に襲撃者を片付け、部屋から投げ捨てる二人の男女。そこらの傭兵などとは隔絶した身のこなし、纏う絶対の自信と自負、明らかな非凡性。真島は思考の端で、何かが引っかかるような感覚に囚われながら、映像を凝視する。

 

 真島に担がれていたロボ太が床に落とされる。

 

 今が最後のチャンスと理解したロボ太は、ここぞとばかりにまくしたてる。

 

「こいつだ!こいつがトップのリコリスだ!DAの襲撃前にコイツを始末しておかないと、お前らは全滅させられ──」

 

「少し黙れ」

 

 ロボ太が慌ただしい剣幕で言い募ろうとしたのを、ただ一言で中断させた。首に手を当て、真島は無言のままリボルバーを手中でくるくると回転させる。リボルバーを使った手慰みのガンアクションを終えた真島はリボルバーをホルスターに納め、獰猛な表情を浮かべて凶笑する。

 

「明日、コイツを倒しに行く」

 

 ロボ太は真島という規格外の猛獣の興味が赤いリコリスに移ったのを確信した。

 

 無言のまま、真島の視界の外でこそこそと小さくガッツポーズをロボ太は取る。安堵した彼が立ち上がろうとすると、二人の屈強な男たちがハッカーの痩せぎすな体躯を持ち上げた。

 

「えっ?」

 

「扉がこのざまじゃ不用心(ぶようじん)だ。壊した詫びと言っちゃぁなんだが、俺たちのアジトに連れてってやるよ」

 

「それ結局なにも変わってないような……あ、アッー!!」

 

 ロボ太と呼ばれるハッカーは両脇を掴まれ、持ち上げられたまま真島たちに連れられて、東京の闇の奥深くへと連れ去られていく。家主のいなくなった部屋で延々と再生されていた“リコリス”の映像は真島たちがいなくなるや、ブツリと画面を暗転させた。

 

 

 

 

 

 昨日、武装したチンピラに襲撃されたというのに、千束もたきなも平然とリコリコへ働きに出てしまった。リコリスが襲撃された一件はまだ解決していないというのに豪胆というか。

 

 勤勉だな、と七夜黄理が感心していると早くも千束だけが奥座敷へ休憩に来た。

 

 せっかく、感心したというのにいきなりこれだ。

 

「休みに来るのが早すぎやしないか?」

 

「店に来たのに売り上げにも貢献せず裏でお茶をしばいてる黄理が言う~?ふっふ~ん、悔しかったら、今来てるトーコさんを見習って先生のお団子でも注文してくるといいよ。えいえい」

 

 千束が手にしていたお盆で頭を押してくる。うっとおしいのでお盆を手で払いのけ、押し入れを指さした。

 

「俺は夜間の護衛だから昼間は別に休んでてもいいだろ。大体、それを言ったらクルミなんてどうなるんだ?」

 

 クルミを引き合いに出し、自分への訴追から逃れようと口を回す。こちらの言い分には千束も一考の余地があったか、黙って首を傾げる。すると、こちらの会話を聞いていたらしく、押し入れのふすまが開いて口を尖らせたクルミが顔を出す。

 

「まったく恩知らずな疑いをかけてくれるな。ボクはボクなりにリコリスが襲撃されてる件を調べていたんだぞ」

 

「……やり玉に挙げて悪かったよ。で、クルミの見解はどうなんだ?」

 

 俺と千束はクルミの調査と見解を聞くため、押し入れの中を覗き込む。クルミが操作しているモニターには以前の地下鉄の資料と数えきれないほど羅列された銃の製造番号が所狭しと映し出されていた。

 

「地下鉄襲撃犯とリコリス襲撃犯は例の銃を使ってるみたいだなー」

 

「例の~?」

 

 千束の鈍い反応を見て、クルミは画面に一枚の写真を表示する。以前、たきなと護衛を行った沙織さんとその伴侶の写真。この写真と関係している千丁もの銃取引が為された未解決の事件。たきながリコリコに来る切っ掛けとなった春先の一件。

 

 あのときの事件で消えた千丁が、まさか地下鉄とリコリスの襲撃で日の目を浴びるとは。願わくば、ずっと日陰で眠っていてほしかったというのは俺も千束も同じ考えだろう。

 

 そして、そう都合よくいかなかったからこそのリコリスの被害なのだが……。

 

 思わぬ因果関係が表面化したことに俺たちは揃って顔をしかめる。

 

「ん~、じゃああんとき(銃取引)のDAをハッキングしたのも、こいつらか~。荒事の実働部隊だけじゃなくて、DAをクラックできるくらいの(うで)した情報戦のプロもいるとか、どんな規模の組織だ~」

 

「そ、それは、どーかなー?案外、まぐれとか、たまたまで上手くいってるだけの連中かもしれないぞ~」

 

 押し入れの中で体を小さくし、クルミは泳いだ視線を端に反らす。

 

「んぅ~?」

 

 煮え切らない反応に怪訝な顔をしている千束。クルミの発する思念の色合いからおおよそのことを察し、短く息をつく。

 

「それで?」

 

「あー、その~、なんだ。まだ決定的な情報が掴めないからな。……ボクの方で、もうちょっと調べてみる」

 

「さんきゅ~。にしても、どうやってリコリスを識別してるのかなぁ?」

 

「さぁな。まだ、詳しいことは分からんけど、その制服がバレてるんじゃないのか?」

 

 クルミの指摘に俺たちは笑って納得する。

 

 確かにこんな赤い制服、目立って仕方がないだろう。いや、サードのリコリスの制服は地味なベージュだったような。京都であったときのたきなの服装が思い浮かぶ。いや、あのベージュの制服にも、千束のヤツにも、彼岸花を模した徽章が縫い付けてある。なるほど、気づかれてしまえば、制服は都市迷彩どころかリコリスを判別するための手掛かりとなるようだ。

 

「おっ、なるほど~!」

 

 ポンと、千束は納得して手を叩く。そのまま彼女は奥座敷から更衣室の方に駆け出していく。あっという間にいなくなってしまったが、この状況は都合がいい。目を反らしたまま、ふすまを閉めようとするクルミの手をおさえた。

 

 閉めようとする手を止められ、クルミは取り繕った表情をこちらに向ける。

 

「な、なんだ、まだ聞きたいことでもあったのか?」

 

「いや、別に…………ただ、本当のことは早めに打ち明けておいた方がいいんじゃないかと思っただけだ」

 

 押し入れの中で小さくなっていたクルミが怯えた表情をした。この浄眼()はクルミの恐怖の表情だけではなく、視るに堪えないほど濁った思念の色彩までも見つめてしまっていた。まったく、こんなもの()がある所為で余計な気を回す羽目に。

 

 常々思っていたが日常生活を過ごすのなら、この目は本当に役に立たないな。

 

「……本当のことって、なんの話だ?」

 

「さてね。心あたりでもあるのかい?なんにせよ、言いたくないなら墓場まで持ってく覚悟をするんだな。誰が死のうと、どんなことが起ころうと口を噤んでおく。それはそれで賢い生き方だ」

 

 もっとも俺はそんな生き方、御免被るが。

 

 

 両の手から血の気が引き、白くなるほど力を込めてクルミは己の耳を強く塞いだ。もはや、押し入れにいるクルミからはハッカーとしての底知れぬ雰囲気や凄みが全て剥がれ落ちていた。今ここにいるのは自分の行いを後悔し、償えない過去の所業に押しつぶされそうになっている幼なげな少女だけ。

 

 震えているクルミがいる押し入れのふすまをゆっくりと閉める。外と内側を分かつように一人の少女を狭く暗い押し入れの内にしまい込む。ぱたん、と閉め終えてから俺はこの押し入れが、まるで朽ちた亡骸(なきがら)を納めておく(ひつぎ)のようだと感じた。

 

 

 

 

 

 リコリコの座敷席で先ほどから微動だにしないたきなが座り込み、うんうんと考え込んでいた。いくら、閉店直前の時間で客が一人しかいない状況とはいえ、これでは店の雰囲気的によろしくない。

 

 やれやれ、とミズキは眼鏡の奥で目を細める。

 

「そーんな難しい顔して、どったの?」

 

 

 ミズキの軽いノリに絆されたのか、たきなはあっさりと悩みを打ち明けた。

 

「──勝てないんですよ、家事の当番をじゃんけんで決めているのですが、一回も千束に勝てないんです。じゃんけんの勝率なんて三割のはずなのに。でも黄理くんになら、たまに勝てるのですが……どうもわざとらしくて、もしや勝たされているのではないかと疑っているところです」

 

 たきなの些細な悩みを聞き、カウンターでコーヒーを楽しんでいた蒼崎橙子は怪しげな笑みを浮かべ、かけていた眼鏡を取った。

 

「たきなの予想した通りだな。その家事の当番を決めるじゃんけんでは、黄理のヤツがわざと負けているんだろうし、千束は勝つべくして、たきなは負けるべくして負けている」

 

「……私はわざと負けたりしてませんよ」

 

 たきなの純朴な発言を聞いて、橙子は面白そうに含み笑いを始める。一方でたきなを不憫に思ってかミズキはミカと顔を見合わせ、たきなに“じゃんけんの時の初動”について分かり切った確認を取った。

 

「たきなさー、二人とやるとき“さいしょはグー”でやってんでしょ?」

 

「それだと、千束と黄理くんには勝てないぞ」

 

「……えっ?」

 

 たきなの半信半疑な様子を見て、橙子は愉快そうに髪をかき上げた。

 

「まぁ、分からなくても無理はない。あの二人のやってることはペテンというには力業過ぎるし、正々堂々というには人並外れているからな」

 

 橙子の発言に頷いてミカは拭いていたカップを置き、たきなと目線を合わせた。

 

「千束が相手の服や筋肉の動きで次の行動を予測しているのは知っているだろう?この技能をじゃんけんなどに応用できるとしたら、どうなると思う?」

 

「あっ……」

 

 呆然と目を見開くたきなへミズキが手品の種を明かした。

 

「グーから始めちゃうと次の手を変えるかどうかが読まれちゃう。変えずにグーならパーを出されるし、変えるとわかったら当然チョキを出してくる。相手の手がパーでもチョキでも、絶対に負けはないからね。出し得ってもんよ」

 

 つまり、千束とのじゃんけんにおいて勝ち負けの確率は意味をなさないことになる。あるのは勝つまでが既定路線の結果が見えた勝負。そんな勝負に当番の決定権を委ねていたなんて、とたきなは戦慄(わなな)いた。

 

「つ~まり、千束があいこにできる(チョキを出す)確率は三割もあんの」

 

「対して、千束に勝つ確率はゼロだ」

 

「あんたが千束にじゃんけんで勝ちたいなら“さいしょはグー”をやめて最初の勝負で勝つしかない。あいこになったらもう勝てないし、あいこから始めるんだったら一生勝てないでしょうね~」

 

 ミズキの揶揄い混じりの注釈に加え、橙子は七夜黄理の勝ち方についても詳細を語り始めた。

 

「黄理が持つ人に対しての勘の鋭さは千束以上だ。あの人間嘘発見器、対人センサー持ちの坊やと賭け事をするなら、運任せのものにでもしないと勝ち目がないぞ。まぁ、あっちが負けようとするなら話は別だが」

 

 不服そうなたきなを見て、橙子は頬杖をついて微笑する。譲られた勝利なんて冗談ではないという青い憤り。あとで七夜黄理が被る災難のことを考えて、伽藍の堂の女主人は快活な笑顔で二杯目のコーヒーを注文した。

 

 

「“千束たちの目”のことを知ってて、じゃんけんで当番決めようとか、ちょっと迂闊過ぎない?」

「…………」

 

 ミズキの言うことは一理どころ百理あるため、たきなが黙って悔しがることしかできない。ミズキがミカに止められない程度にたきなを揶揄おうとしていると、橙子はミズキの発言に口を挟んだ。

 

「“千束たち”ね。……これは私見だが、千束と黄理の銃弾を避ける技能は結果こそ同じだが、過程が大きく異なっている」

 

 一斉に集まった三人の視線に反応することなく橙子は口を開いた。

 

「黄理が銃弾を避けるときは相手の位置と銃口からおおよその弾着点を予想、壁や天井などへ飛んだり跳ねたりして無理やり回避している。対して千束は相手の筋肉や服の動きで発砲のタイミングと弾着点を正確に読み切り、僅かな動きで回避を成功させている。やっていることの常識外れ具合を見るなら、千束の方が二枚は上手(うわて)だ」

 

「……黄理くんより千束の方が目が良いという認識で合っていますか」

 

「いや、おそらくだが二人の動体視力は大差ないだろう。肝心の差異は対処の過程にある。黄理が身体能力と直感でどうにか銃弾を回避するのに対し、千束は高い観察力と共感性で銃弾を危なげなく回避しているのではないか」

 

 橙子は此処にいない千束がリコリコの客と楽しそうに会話している普段の場面を思い浮かべる。はじめて来店した者でも、常連の客でも、誰とでもすぐに親密になれる快活な千束の性質。七夜黄理との差異はそこにある。

 

「千束は誰とでもすぐ仲良くなれるだろう?それは彼女の高いEQによるものではないかと私は考えている」

 

「EQ?……確か“心の知能指数”と呼ばれるIQに似た考えだったか」

 

「あー、“ Emotional Intelligence”(感情指数)ってヤツ?でも、それと銃弾を避けることの因果関係なんてホントにあるの?」

 

「あるさ、それも密接にね。人は共感性の高い人、自分を深く理解し、思考や情緒をすぐ推察してくれる者を好ましいと思うものだ。相手の表情、声、立ち方、周囲の状況を瞬時に観察し、無意識に対処できるのだとしたら──」

 

 橙子は一度、言葉を区切って人差し指を銃口のようにしてたきなを指さす。

 

「それは銃を向け合う極限状況でも相手の行動を正確に予測し、銃弾を避けるなんて神技を何度でも成功させることが出来るのではないか?」

 

 橙子の話は千束や黄理の目に対する斬新なアプローチではあった。少なくとも動体視力や観察眼の精度という言葉だけの説明よりしっくりとは来た。問題があるとすれば、ただ一点。

 

「おそらく、とか仮定形が多いですね……」

 

「だから最初に私見だと逃げの手を打っておいたんだ。それに、外れても私に損はないしな」

 

 そういうと橙子は肩をすくめて憮然とするたきなの瞳を覗き込んだ。

 

「ただ、これだけは確信をもって言うことが出来る。もしも黄理と千束が一対一、万全の状態で対峙したとすれば、理解度の差で“錦木千束(リコリス)”が“七夜黄理(リリベル)”を“殺しきる”だろう」

 

 “まぁ、戦場でそんな都合のいい状況があるとは思えんが”と呟く橙子に強い非難の眼差しを送って、たきなは反論する。

 

「千束も黄理くんも殺しはしませんよ」

 

 

 たきなの断言に橙子は返答をしなかった。言葉はなく沈黙だけが解答だった。橙子の反応が肯定か、否定なのか。あるいは結論を出さずに逃げたのかを深く考えることはせず、たきなは思考の隅から追いやった。

 

 千束と黄理くんが命を賭して戦う状況。

 

 考える価値すらない、ありえざる未来図。

 

 

 でも、どうしてだろう。想像もできず、考える余地さえない情景が。

 二人の男女の血みどろの結末(最果て)が一瞬、脳裏によぎったのは────

 

 

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