大変、遅れに遅れました。ひとまず、六月はこれで纏めようかと。後ほど追加で諸々、書き足そうかと思います。投稿していない間にも関わらず登録や感想をいただき、大変ありがとうございます。遅筆ではありますが、終わるまで続ける本作をどうか見届けてもらえれば、ありがたいです。
千束が幼き頃から探し続けた命の恩人、救世主。
吉松シンジ氏。
千束が
吉松さんと無言で向き合う千束は、完全に何から切り出したものかと尻込みしている。こうなると、余人がいたのでは話もしにくかろう。
千束を
「……私、先に出てますね」
「うん……ごめん」
千束とミカさんだけにしておけば、円満に事が収まるはずだ。さて、こちらもたきなに続いて、この気まずくて空気の悪い場を出るとしよう。
「じゃあ、俺も」
体を反転させようとしたところ、千束の手を握る力が強くなった。
「なんだよ……」
「黄理はダメ。ていうか、なんで部外者ぶって出てこうとしとるかね?」
「答えは簡単、
こっちも意見を聞かず、千束は俺の心臓……ではなく胸元を指さした。向けられた人差し指の先には、鈍く光るフクロウのチャーム。クソッ、今更だが外しとけば良かった。慣れない装飾品を付けて、ろくでもない厄を
どうしたもんか……。
俺は別に興味ない、と言うことはできたが、不安に揺れる千束の紅玉の瞳を覗き込んでしまったのが大きな失敗だった。ことなかれ、と逃げ出す算段を放棄し、思う所はあれどこの場に付き合う。
一方、たきなは納得した素振りで頷いて、あっという間にいなくなる。羨ましい、と思わなくもない。葛藤空しく取り残された俺は、千束に手を掴まれたまま並び立って吉松氏と顔を突き合わせた。
「えっと、ヨシさんには何から言ったら…って、すみません……吉松さん、の方がいいか」
いつも朗らかに距離を詰める千束も、さすがに言葉に詰まっている。
──らしくない。
「ありがとうございましたっ」
彼女の感謝に男は何ら反応しない。それが、柔らかな拒絶だと理解するのを拒むように、千束は更に言葉を重ねていく。
「貴方を、ずっと探してて……手術の後、お礼を言えてなかったから……本当に」
「それを認めることはできないんだよ」
明確な否定ではなかった。しかし、過去に為された救いを救世主の男は認めない。全てはもう過去の出来事、終わったことなのだと興味なさげに淡々と吉松さんは言葉を連ねる。
「そういう決まりなんだ」
男の無関心に晒された千束の手が、俺の手からほどけた。
──頭蓋の内側から名状しがたい痛みが走る。
「そう、なんだ。──そっか、わたしも頂いた時間でヨシさんみたいに誰かを──」
「知ってる」
ひどく平坦な吉松の声が千束の想いの籠った言葉に割り込んだ。
「しかし、君は“リコリス”だろう。君の才能は──」
『差別だー!!』
吉松氏の熱弁が始まろうというタイミング、空気を読んでか、読まずにか、クルミとミズキの後方支援組が受付けの男性にいちゃもんを付けている。いや、クルミの格好で
さすがのID証明も、明らかな未成年女児と胡散臭い眼鏡女性の怪しさを誤魔化しきれなかったらしい。あ、クルミのパンチがミズキさんのみぞおちに入った。
思わぬ助け船にホッと安堵の息を吐く。ああ“気分”が悪い。頭が痛い、“あんな気色の悪い思念”を直視し続けたんだ。もう理性も、本能も限界だと告げている。金輪際、吉松とかいう男とは関わりたくもない。自然に男から離れようと、クルミたちの回収に向かう。
「まったく何やってんだか」
「あ~も~、二人とも~」
腑抜けた空気を拒むように吉松は告げた。
「アランチルドレンには役割がある……ミカとよく話せ」
そう言って立ち去ろうとする吉松の足が止まる。いいや、千束やミカ、クルミ、ミズキに限らず、Barにいた全ての人間が凍り付く。
言葉は遠く、意思は彼方へ。
月亡き七つ夜に殺人鬼は現れる。
七夜黄理にとって、殺意とは表に出すものではなかった。“殺してやる”、なんて気の利いたセリフが言えるほど口数の多いガラでもない。言葉は既に意味を無くした。必要なのは正しく知覚し、認識することだけ。外していた
赤に蠢く線が一瞬で知覚できる全てに氾濫した。
一秒先、悉くがバラバラに裁断される幻覚に苛まれる。
吐き気を抑え、苛立ちに息を付いた。
冷たく燃える蒼黒の瞳の中に吉松シンジが映り込む。誰も言葉を発せない。いいや、発することを一頭の死神が許さなかった。
ゆらり、とごく自然に黄理は吉松シンジに歩み寄る。生まれた時からの付き合いのような、友人か、家族か、兄弟か、死は本能的な恐怖を引きずってゆっくりと、優しいと思えるほどに力なく迫る。
死に対する本能的な、原初の恐怖に支配される者たちの中、ただ一人だけが恐れからいち早く脱却し、
「やめて、黄理……」
庇うように千束が吉松と俺の間に割って入る。邪魔だ、そこにいては、この男の“線”に触れないだろう。別に喧嘩をしようってわけじゃない、これ以上ないくらい“穏便”に事を始末しようというだけなのに……。
どうする?
“押しのけ、進むか?”
“此処で立ち止まるか?”
目の前に立つ千束を無言で見つめるが、道を譲る気は無さそうだ。
しかたない、これ以上、千束を見ていると彼女の身体にも“線”が感じ取れてしまう。胸元を中心に、蜘蛛の巣上に広がる境界が。乱雑に頭を掻いて、吉松シンジから目を背ける。
昔から、こういう場面で千束は厄介なほど頑固なことを重々知っている。きっと、後々で面倒ごとになるんだろうなと、確信めいた未来図が思い浮かぶ。気分が重くなり肩を落としてると、千束の背に庇われていた吉松シンジは喜色を挙げて微笑んだ。
「──そうか、嗚呼……安心した、千束の傍には君のような子がいるんだな。それなら、私が危惧するまでもなかったのかもしれない」
「……知ったことかよ」
「ちょ、ちょっと黄理っ」
不機嫌そうに吉松シンジとの会話を切り上げる。“嫌われたかな?”と笑う吉松シンジ。そうだ、と端的に返したかったが、千束に睨まれている手前、何も口にはできなかった。
いや、人の好き嫌いが特別、極端なわけではない。明確に人を嫌う、ということは少なく、大抵の人間とは上手くやれる、とは思う。だが、そんな俺でも分かることがある。吉松シンジと俺は間違いなく相容れない。
こちらの心情もおかまいなしに、立ち去ろうとする彼に千束が最後に尋ねた。
「待って、ヨシさんっ。もしかして、黄理の支援をしてるのも……ヨシさんなの?」
男は立ち止まると、顎に手を当て思案するように目を瞑る。それから、冷ややかな笑みをしたまま、俺の胸元にかかったフクロウの首飾りを眺める。
「支援の有無について詳細を明かすことは我々には許されていない、のだが……特別に答えるとしよう。七夜黄理くんの支援者は“私ではない”。ご老公、と呼ばれる私よりも古株のエージェントだよ」
千束はおおげさに驚いた雰囲気だが、俺としてはまぁそうだろうなと得心がいった。吉松シンジの俺に対する関心の薄さが関係性の希薄さをそのまま物語っている。いや、なんか、途中から“妙な好意の色が混ざった”のは不愉快なわけだが。
──ご老公、もしや春先からリリベルが対処した妙な事件などには、そいつが絡んでいるのか?以前、河に叩き落とした爆弾ヘリの一件も、臓器売買のブローカーどもの言っていた内容も、それ以外の面倒ごとも。
そうしているうち、気分よさげに吉松シンジは立ち去っていった。残された俺たちは、互いに顔を見合わせる。処理しきれないほどの新たな事実があり、それをどう呑み込むもんかと考えていると、ミカさんは杖を突いて吉松シンジを追うらしい。
ミカさんは固く、強張った声で俺たちをこの場に留めた。
「しばらく此処にいなさい」
出ていった吉松を追い、彼もこの場を離れていく。
千束は気落ちした様子で去ってしまった吉松シンジへ、消え入りそうな声で届かない呟きを口にする。
「また、お店で……待ってますから…………待ってますぅ……」
「いや、いいよ。来なくて」
鞭を思わせる鋭いスイングで千束の掌が振るわれて、俺の頭はひっぱたかれることになる。やたらと景気のいい音を立てて受けた一撃はとてもではないが弱った人間の出せる威力ではなかった。
頭部に響く衝撃と痛みを無視し、千束を見つめた。怒りながら笑ってる彼女を見て、ああ俺の知る錦木千束は、こういうヤツだったと再認識する。
やっぱり、千束は笑ってる方が“らしい”というものだ。
……いや、できれば怒るのは勘弁してもらいたいけれど。
足取り軽く機嫌もよさそうにBarを出ていった吉松と、弱々しく沈鬱な表情を伴って歩いたミカ。対称的な面持ちの二人は、エレベーターという狭く区切られた密室で、顔を突き合わせている。
薄く笑っている吉松へ、ミカが冷静さを取り繕って先んじる。
「シンジ──“ジンなら逃がしたぞ”」
“なんのことだい?”、と取り繕ってくれることを、ミカは内心では願っていた。ただ、ミカの端的すぎる言葉を裏まで全て理解し、彼は平然と会話を成り立たせる。
いや、成り立っていたのか?
「知ってるよ」
千束への介入をもはや隠そうともしない吉松、いやシンジの酷薄な口ぶりにミカは息を呑んだ。
「しかし、ジンの処遇についてわざわざ語るなんて……らしくないな、昔の君ならそんな甘いことはしなかったろうに。どういう風の吹き回しかな?」
「~っ、千束の望む時間を与えてやろう!…………」
ミカの懸命な、血を吐くような説得にシンジは眉を顰める。
「忘れてしまったのか……ミカ?才能は神の所有物であり、
優しい口調で凄絶で理解を超越した論理を平気に語る。かつて、身も心も共に交わした相手が真に抱える深奥の昏さにミカは思わずたじろいでしまった。彼の僅かな後退をシンジは見逃さず、ミカの頬の横に勢いよく手を付いて覗き込むように顔を近づける。
首を小さく動かすだけで口づけさえ叶う距離。
だが、その距離の詰め方は牙持つケモノが喉笛を噛み砕こうとする所作にも取れてしまう。ミカの葛藤に揺れる眼差しを見つめ、シンジは愛を
「私たちは全てを承知の上で約束した……そうだろう?」
「──やめろっ!」
迫るシンジの甘い言葉を、
指先は
銃口は
「千束を自由にしろっ、私にはこの引き金を引く覚悟がある──」
はねのけられたシンジは、脅しを口にするミカへ苦笑を零す。吉松シンジは知っている、目の前に立つ愛した男が歴戦の戦士であること。必要とあらば、覚悟などという言葉を口にせず、心にさざ波を立てることなく命を奪える人間だということを。
覚悟、なんて回りくどい“言い訳”を口にした時点で、シンジの中では銃の殺傷性は皆無と判断されたのだ。
「もう、春先になるのか…………初めて君の店を訪れた時は年甲斐なく緊張していたんだ。でも、それ以上に胸を高鳴らせていたよ」
鋭い眼光を悲壮感で曇らせたミカに、シンジは柔らかに微笑みかける。
「十年前の“あの日”のように」
シンジの言葉は、ミカが心に秘めたかつての美しい情景を引きずり出した。
思考が、つらく苦しい
穏やかで美しい
“初めまして、吉松シンジです”
──握った彼の手のぬくもり。
“お互い、秘密が多いな。これなら私たちは上手くやれそうだ”
──酌み交わした酒の味。
“成功だよ、ミカ!”
──抱擁されたときの言い知れぬ不安。
“さよならだ…………約束だぞ、才能を世界に届けてくれ。類まれなる、殺しの才能をね”
──別れの日にやってきた心をえぐるほどの寂寞感。
気が付くと銃口の先にかつて愛した人影はなく、何もない空間に銃口だけを構えていた。ドッと疲労が押し寄せ、壁にもたれかかる。
「覚悟なんて……できるわけないだろう……」
足の力が萎え、弱り切った目で手元の銃を見つめる。銃の安全装置は解除されていなかった。ミカは目をつぶり、己へ問いを投げかける。
いったい、何によって自分は狂わされた?
情愛か、家族愛か?
「ままならないなぁ…………」
肩を落としたミカが帰ってくるのを感じ取った黄理は、カウンターでフクロウのチャームを手慰みにいじっている千束に視線を送る。千束は不機嫌そうな目で黄理をにらんだ後、黄理に向けていた視線と打って変わった優しい眼差しでミカを迎える。
千束の横に座ったミカは苦し気な表情で黙り込んでいる。埒が明かない、と黄理が単刀直入に全ての事のあらましを聞こうとするも、千束が黄理の額を弾いたことで止められた。
「なんで黙ってたのー?」
間延びした千束の声だが、ふざけた感情はなく、そこには複雑な心情が混濁して言葉にされているのが伝わった。苦し気な表情は変えることなく、ミカはぽつりと弱音を吐くように呟いた。
「それが、君を助けるときの条件だった……」
長年、手元にあったフクロウのチャームに視線を落とす。千束は、このフクロウが何を願われて、自身の元にあったのかを調べようともしなかった。その罰とでもいうのか、救世主さんだけしか見ようとせず、本質を見なかったことへの。
金色のフクロウが咎めるかのごとく光を強く反射させた。その光が眩しかったためだろう、千束はフクロウのチャームを静かに握り込んで手中に隠してしまった。
「その方が先生らしい、やるな~。ちさとを欺くとは?」
「すまなかった、千束……」
「いいってぇ~、気にすんなよ~」
元気づけるように千束はミカの背を二度三度、叩く。
「すまない──」
ミカに絞り出せたのは、やはり謝罪の言葉だけだった。にこやかな二人の会話が纏まったのも束の間。千束は先ほどの優しい表情と声を一変させ、鋭い眼差しと怒り交じりの笑顔で黄理に向かい合う。
「そんで黄理、さっきの“なに”?」
「さっきのって?」
「ヨシさんとの話のとき、黄理、何しようとしてたん?」
「……手っ取り早く“片付けよう”と思っただけだよ。あの人、勘だけど碌でもないことを引き連れてやってくるぞ?」
黄理の冷えた蒼い瞳は無機質な光を称えて千束の赤いドレス姿を瞳に映す。その艶やかさにも無関心な黄理は、仕留めそこなった獲物のことを考えてため息をつく。ミカも、千束も理解していた。黄理の言う、片付けるという表現の意味するところを。
七つ夜の殺人鬼は混沌とした善から、悪を秘めた混沌に寄りつつある。
黄理のらしくなさに千束は頭を痛めた。
きょとん、とした黄理にチョップをくれて、千束は真っすぐに澄んだ真紅の瞳の中に黄理の眼差しを閉じ込める。
そして、得意げに微笑むと千束は黄理に甘い声で告げた。
「忘れないでよ、私は黄理を“
「……ああ、分かってるよ」
面倒な約束があったものだと、嘆息をするも黄理は両手を挙げて降参の姿勢で頷く。一生、彼女には頭が上がらないのだろうと思いながら。
翌日、リコリコはいつも通り営業を行っていた。しかし、いつもの千束の来る時間になっても姿を見せない彼女に、事情を深く知らないフキだけが苛立たしそうに腕組みして眉を吊り上げていた。
「遅いっ!!」
お盆を持ったフキの怒り心頭な声に、苦笑気味で常連客の阿部刑事も首肯する。
「だねぇ、千束ちゃん遅いみたいだけど、何かあったの?」
阿部刑事の労わりがこもった問いにたきなは返事に窮してしまった。投げられた善意を無碍にすることへの抵抗のためか、その返事も精彩を欠いている。
「きょうはまだ……」
「まー、千束サンのことですし、また寝坊とか、散歩中の犬に出くわしたとかじゃないっスかねぇ?おっと、北村さん、そこ貰うッスよぉ」
「あ~、やられたぁ。サクラちゃんもいよいよこのボドゲに慣れてきたなぁ。そろそろ、私だけじゃ厳しいかも。伊藤さん、こっちのボドゲ参加しません?」
常連の北村の誘いにも振り向かず、漫画家の伊藤は死んだ眼差しを原稿に向けたまま、首を横に振った。
「ダメ…………」
うなる伊藤の横で同じくらいにうなりを挙げて振動するスマホ。着信先は担当編集か?振動するスマホを見ようともせず、伊藤は必死の顔で原稿を見つめ続ける。なお、手は動いていない。フキとクルミは呆れた様子を隠そうともしなかった。
「ダメって締め切りがですか?それともボドゲ参加?……って、どっちもか」
「さっきからめちゃ携帯鳴ってんぞ?いい加減、うるさいから電話出てやれよ」
「鳴ってない、聞こえない、わたし知~らない」
プロの漫画家以前に大人とは思えない発言にクルミは天を仰いだ。
「あ~もう、結局、これかぁ」
テンパっている伊藤を落ち着かせようと、たきながコーヒーを持ってくる。
「伊藤さん、こちらどうぞ」
「あ、ありがとう。…………ねぇ、たきなちゃん、やっぱり悪党キャラって殺すべきかな?」
伊藤の迷いが混ざった言葉に、たきなとフキ、サクラたちがすぐさま応えた。
「べきですね」「べきでしょう」「べきッスよ」
物騒な会話が続くよりも先、奥から目に痛いほど光り輝く黒いドレスを着たミズキが颯爽と店内を闊歩する。フキが頭からこけ、サクラは直前までしていたボドゲをひっくり返す。たきなも目を見開くだけで、声にもならない。
唯一、噴き出したあとのクルミがミズキへ苦言を呈する。
「こんな陽の高いうちから、なんて格好して……というか、今から何処に行く気だ、お前」
「決まってるでしょ、こんなばっちしキめたファッションしてんのよ。日が高かろうと、洒落たBarへ繰り出す一択!!」
キめているのは薬物かもしれない、とたきなは思った。おそらく、フキ、サクラもそうだろう。なにやら、ゴールドカードを見せびらかしているが、クルミから失効の話を聞いて面白いくらい狼狽している。
「んなっ!?どうして、高級Barなのに!?」
「そりゃ、お前が低級だからだ。はよ、店の制服に着替えてこい」
「営業時間にほっつき歩くんじゃねぇよ。酒入れたいなら働きやがれ」
「やだー!ぜったい行くぅ~!」
店を飛び出したミズキさんは、なんか外で犬に絡まれてしまったらしい。喧しい外のごたごたを聞き流し、私は店長の顔を見ずに此処にはいない千束のことを話す。
「千束……来ませんね」
「今日くらいは、休ませてやろう。昨日は、いろいろあり過ぎた、からな」
「……です、ね」
昨晩、千束と別れたとき、黄理くんもまた複雑そうな顔をしていた。昨日の出来事は、千束にとっても、黄理くんにとっても消化しきれない大きなことだったのだ。事情を把握していないフキさんとサクラさんも、深くは聞かずに店のことに集中してくれている。これなら、抜けたミズキさん、元から勘定に入ってないクルミの分も、店を回してくれることだろう。
でも、千束がいないというだけで、
感慨にふけっていた時だった。
温かな陽だまり色の少女が静寂を纏った青年を伴い、喧騒と共にやってくる。
「千束が来ました~~!!あと、おまけで黄理も~~!!」
「おまけって、れっきとした客になんて言い草だ」
腕を捕まえられた黄理は、うんざりした様子で千束に引っ張られて店の常連たちの元へ顔を出す。満開に笑う千束を見て、常連の皆の顔も色めき立つ。
「千束ちゃん、待ってたよ!」
「ちさと~~~、ちょうど良かったぁ。手伝ってぇぇぇ!!」
漫画家の伊藤に呼ばれた千束は感想と展開の助言を求められた。
「悪党キャラ、殺しちゃったの~?ダメだよ、雑に退場させちゃあ。ちゃんと
「え~、そうは言われても、今後のプロットが~……千束なら、どんな展開思いつく?例えば、例えばの話で良いから!!」
「必死だな~」
「……これは相当、追い込まれていると見た。伊藤さん、月間連載でしたよね、締め切りはどうなってるんですか?」
「ウフフ……君のような勘のいい青少年はきらいだよ」
伊藤さんの
「血も涙もない鬼みたいな殺し屋くんが、美人スーパーヒロインと出会って更生する展開とか?」
意味深な千束の目配せに、黄理は苦々しく口を尖らせる。何が美人のスーパーヒロインか、そういうことは自分で言わず“他の者に言わせてこそ”だろうに。面倒そうに頭を掻く黄理の口元は小さく笑っており、たきなも千束たちと同じくはにかんだ。
昨日、色んなことがあったろうに、あっけらかんと笑っていてくれる。
常連客たちの元へ駈け込んでいく千束の姿はあまりにもいつも通りで、さっきまでのたきなの暗い不安感は気づくと影も形も無くなっていた。
そう、昨日の夜がどれだけ暗くたって、今日昇る日の光はきっと明るい。わたしは不思議と爽快な気分のまま、黄理くんと一緒にお座敷席で腰を据えようとしている千束に呼びかけた。
「ちさとー、営業時間ですよ~!早く着替えてください──!」
ありふれた、平凡な日常を守るために私は私にできることを、自身に取れるあらゆる手段を尽くそう、と曖昧な想いが明確な指針を以て私の中に根付いたのは、ひょっとすると今この瞬間だったのかもしれない。
うん、きっと今日は良い日になる──。
なんの確証も、統計もないけど。
私は自分の思い付きに強い確信を感じた。
よろしければ、感想、ここ好き評価等お願いします。
次回、金欠な黄理のリコリコバイト編。
物語もぼちぼち後半戦、加速していきたいですねぇ。