Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 千束の物語の終幕。七夜黄理:中庸・混沌
 たきなと黄理の物語、その果て。

 一万九千弱の長々とした一話、たきなルート完結編。
 リメイクでは消える予定の話となります。


可惜夜(あたらよ)(こいねが)

 

 

 息を荒げ、脚を忙しなく動かして駆ける。

 

 青年は戻らない時間に追い立てられるように走っている。

 

 全ては終わった後。もうどれだけ急ごうと何も変わらず、変えられない。それなのにどうして急く必要がある。もう何もかも無駄だというのに。

 

 

 七夜黄理が事の次第を知ったのは、事態が手遅れになってからのことだった。

 

 

 

 “千束が病院で襲撃にあった”、たきなからの連絡は余りにも唐突で、“赤毛の襲撃者”、“看護婦の変装”、“逃走された”、“心臓”、“検診に行かせなければ”、雑多に並べ立てられた情報からは、たきな自身の悔恨と混乱を推し量ることが出来た。

 

 いや、たきな自身も事態の全容を何も理解しきれないからこそ、まとめきれない情報を伝えたのかもしれない。

 

 

 病院に着くや、指定された病室へと駆ける。病室の中には、たきなを始めとして今、リコリコにいる全員と千束の担当医である山岸先生が揃っていた。そして、ベッドには血の気の引いた千束が眠っている。微かな吐息、身じろぎが無ければ、本当に死んでいると思うほどにベッドに横たわる千束は生気が薄く……。

 

 

 ベッドの傍らに近づいた。

 

 そのまま、意識の焦点を千束の胸元、心臓部へと向ける。

 

 千束の五体に絡みつく赤い線、触れれば崩れてしまいそうなほど、今の千束は脆く、儚いように感じた。

 

 そして、手足から胴体へと伸び、赤い線が蜘蛛の巣状に絡み合う中枢。

 

 千束の機械仕掛けの心臓があるであろう部分。

 

 そこには螺旋を描き、空転する真っ黒な点が顕れている。

 

 

 喉元へせりあがる胃液を吐き気と共に飲み下し、意識の焦点をズらした。

 

 駄目だ、正気で見ていられない。目元を覆う形で頭を押さえていると、たきなが心配そうに背中を撫でつける。その手を取り、安心してもらうために笑顔を浮かべる。今、俺は上手く笑えているのだろうか──。

 

 

 

 

 千束が目を覚ましたのは、しばらくしてからのことだ。

 

「──お、ぉ?」

 

 微睡みから目を覚ました千束は、目を瞬かせて周囲にいる俺たちを見遣る。俺や、たきな、ミカさんにミズキ、クルミにフキとサクラまで。

 

「みんなお揃いだなぁ」

 

 弱々しく起き上がろうとする千束を山岸医師が止め、ゆっくりと身を起こすのを介助する。

 

「睡眠薬を盛られたのよ、それもかなり強力なものをね。しばらくはその影響で怠いと思うから安静に──」

 

「私、何された?」

 

 睡眠薬を盛った以上、襲撃犯は何かしらの目的を果たしたはずだ。山岸医師が敢えて話題にするのさえ避けていた内容を千束は聞きたがる。たきなから仮定の話しか聞かされていないが、身体に絡む“線”が常よりも多い今の千束の状態を感じて分かった。

 

「──あの女」

 

 悔しそうに拳を握る女医は、ぽつぽつと冷静さを取り繕った声で状況の深刻さを病室にいるみんなへと説明した。

 

「急激な高電圧による過充電でハードとのアクセスが不可能になった。今後……充電はできないものと考えて頂戴」

 

 錦木千束は“困ったな”とでも言うように息をつく。軽い千束の様子に反して、ミカ、そしてミズキの深刻そうな面持ちだけが事態がどれほど手遅れなものなのかを示しているようだった。

 

「やられた、単純だけど後遺症さえ残さない効果的な破壊方法ね……」

 

 山岸医師の話には所々、相手側の方がより千束の心臓の構造を熟知しているというニュアンスが込められていた。だが、過充電、壊れた、それらの意味を理解しきれないたきなやサクラは周囲を見回すことしかできない。

 

 フキやミカ、それに黄理が黙りこくっている中で、場違いなほど軽いノリで千束は話しをうながす。

 

「マジか~、あとどのくらい()つ?」

 

「……幸い、と言っていいのでしょうね。充電直後だったから、いつも通り二ヶ月は動けるよ」

 

 二ヶ月、その言葉にたきなの顔が蒼褪める。具体的な時間を告げられ、イヤな予感が脳裏に過ぎったのだろう。井ノ上たきなの声が震える。

 

「……二ヶ月、って?」

 

「動き回ったりしなければ、もう少しは保つかもしれないわ……」

 

「っ何が、何が二ヶ月なんですか……!?」

 

 恐怖に震えるたきなの声に、重々しくミカが答えを返す。

 

「──余命だ。二ヶ月、それが千束に残された時間」

 

 二ヶ月、はっきりと区切られた制限時間(タイムリミット)がより嫌な想像を明確化させる。クルミ、サクラ、フキたちが息苦しそうに目を伏せる中、たきなは震える声をどうにか張って打開の可能性を提示する。

 

「そ、そんなっ、……だったら壊れたところを交換でもすれば!」

 

 たきなの引きつった声に山岸医師が担当医として最も辛いことを語る。

 

 それは自身が無力であること。

患者を、錦木千束を治す術を持たないことの説明であった。

 

「できないのよ。悔しいけれど、私たちの知識と技術じゃどうにもならない。千束の心臓に使われているのは既存の医療工学の知見から外れてるテクノロジー。技術体系がそもそもからして違うの。作った当人でもない限り修理どころか、分解だっておぼつかないわ」

 

 山岸医師はそういうと窓の向こう側の夕焼けに視線を流し、肩を静かに落とした。専門家の冷静な判断を聞いたうえで未だに打開策を考え続けるたきなへ、ミカは確かなことだけをゆっくりと言い聞かせるように言い放った。

 

「千束の人工心臓に代わりはないんだ……」

 

 ミカの宣告に、たきなは髪を振り乱す勢いで部屋を飛び出そうとするが、間一髪で黄理がその手を掴み取った。

 

「~~~っ、離してください!」

 

「行ってどうなる」

 

「いやいや、どこ行く気だったの?って聞く方が先でしょ」

 

 暗澹とした先行きを告げられながら平然としている黄理や千束にカっと来たのか、息を荒げたままにたきなは二人を強く、貫くような眼光で睨みつけた。

 

「あの看護師を始末しますっ!」

 

 たきなが黄理の手を振りほどくと、千束は困った口ぶりで微笑んだ。

 

「べっつにいいからぁ~」

 

「────いいわけないでしょ!!」

 

 千束のあまりにも達観した、あるいは諦めてしまったような声に、たきなは大声で否定を被せる。そう、良いわけない。あってはならない、はずなのだ。だというのに、錦木千束はどうして、報復しない、許せてしまう……。

 

「いいのよ──」

 

「……ぇあ……」

 

 夕焼けに照らされた千束の言葉にたきなは気の抜けた声を漏らす。

 

「元々、そんな長くなかったんだから──」

 

 

 

「あいつを殺したところでなんも変わんないよ」

 

 その瞬間、俺の頭蓋で反響していた痛みが灼熱を帯びた。獰猛なケダモノじみた激情が俺を灼く。千束が襲撃を受けた直後で弱っているのにも関わらず、乱暴に彼女の胸倉を掴み上げた。僅かに血の気を帯び出した胸元が弾み、はだけるのもおかまいなしに掴みあげて顔を無理やりに突き合わせる。

 

「お前が良くても俺は、たきなは、みんなは……!」

 

「……うん、ちゃんとわかってるさ~」

 

「わかってない……」

 

「わかってるってば~」

 

「わかってないだろ……バカ千束」

 

「バカでも分かるものはわかるんです~」

 

 そういうと千束は背中に手を回し、安心させるように背を撫でつける。俺は撫でられるがまま、両の手をだらんと落とす。

 

 ああ、そうだ。いくら、殺さずに荒事を纏めるのが上手くても、たとえ外敵を殺すのが上手くても、…………畢竟(ひっきょう)七夜黄理(サツジンキ)に人を助けるなんて、夢みたいなことがどうしてできると思ってしまったのか。

 

 

「行くぞ、サクラ」

 

「でも、センパイ……いいんスか?」

 

 そこまで言って、サクラは顔色を曇らせる。少なくとも会話の流れからして、“いい”か“悪い”かで決断を迫るのは間違いだったと察しを付けたためだろう。

 

 サクラの問いに答えることなく、フキは能面のような表情のまま微かに呟いた。

 

「…………行くぞ」

 

「フキ~……またね」

 

 病室を後にする間際、千束は黄理を抱きしめたまま、かつての相棒(フキ)へ声をかける。しかし、フキは振り返ることもなく、淡々と極めて短く──。

 

 

「────あばよ」

 

 別れを告げた。

 

 

 

 

 フキたちがいなくなり、しばらくして千束は抱き留めていた黄理から身を離し、乱れた検査着を正してベッドへ横になる。盛られた睡眠薬の影響も抜けきっていないはずだ。ミカたちは黄理やたきなを連れて一度帰ろうとしたところ、病室の戸がノックされる。

 

 皆が山岸医師を見るが、彼女は首を横に振る。

 

そう、この部屋はDAの管理する区画の病室、一般の人間が迷い込むことも無ければ、院内の関係者でさえ立ち入ることを許されない。DAの関係者ないしリコリコのメンバー以外にこの病室を訪ねる者がいるはずは無いのだ。

 

 

 もしやフキかサクラが戻ってきたのか、とも考えるがその可能性は薄い。何者かと考えを巡らせるよりも来訪者が戸を開ける方が早かった。

 

 戸を開けた先、そこにいたのは小さなアタッシュケースを持ち、糊の利いたスーツを纏う老齢の男だった。

 

 たきなは素早くサッチェルバッグから銃を取り出し、黄理も撥と拳銃を油断なく構える。クルミとミズキがバタバタと射線上から離れようとする中、スーツの老爺はこちらに親し気に笑い掛け、恭しく頭を下げた。

 

「無作法、誠に失礼致した。取り込み中と思われますが、どうかお時間を頂戴したい」

 

 だが、黄理たちにその言葉を鵜呑みにする余裕はない。何故なら、老人の胸元には“金色に輝くフクロウ”が縫い止められていたからだ。

 

 

 

 突如現れたアラン機関の人間、千束の身に起こったことを考えれば、この老人の言うことを信じられる保証はどこにもない。それどころか、ただで帰すことすら……。

 

「待てっ、二人とも!」

 

 慌てながらもミカが発した掣肘の一喝にたきな、黄理は鋭い眼光のまま銃を下ろす。しかし、瞳に爛々と輝く敵意の火は消えておらず、ミカも老人を油断なく警戒しながら部屋に入らせた。

 

 

「貴方も、アラン機関のエージェントか?」

 

「ご賢察恐れ入る」

 

 たきな、黄理のみならず、ミズキやクルミまでも敵愾心を露わにした視線で老爺を釘付けにしている。ただ、ミカと千束だけはどうにも困ったように、どうしたものかと老人に対する反応を決めあぐねていた。

 

 吉松シンジ、才能の信奉者たる彼に複雑な心情があるためか、二人だけはアラン機関の人間を完全に拒絶しきれないでいたのである。

 

 銃を握るたきな、黄理と入れ替わりでミズキ、クルミが皮肉気に老人に相対する。

 

「一体、なんの用があってきたのかしら、アンタは?」

 

「施しの女神は匿名希望だったらしいが、いつから宗旨替えしたんだ?」

 

 鋭利な語り口の二人を前に老爺は申し訳なさそうに目蓋を落とす。

 

「この度、我々の同胞が為したこと何とお詫びしたものか。どうか、謝罪させて頂きたい」

 

 老爺が深々と頭を下げようと黄理たちの警戒や敵愾心は薄れることが無い。それを認識したうえで老爺は頭をあげると、瞳に穏やかならぬ熱意を灯す。

 

「──吉松シンジ、あれはもはやアラン機関の真意から外れてしまっている。彼は己の支援者のため、機関にとってのタブーを二つ犯しました。ひとつに“支援者との直接的な接触”、そして、“過去に支援した者への二度目となる支援”」

 

「ちょっと待ちなさい。今んとこ千束は支援どころか、心臓ぶっ壊されてんのよ!?」

 

「…………それすらも支援だっていうんだろ。才能を存分に振るわせるための発破のつもりなのか、ボクがいうのもなんだが本当にメーワクなヤツだよ」

 

 ミズキたちの話の最中、何度かたきなの銃を握る手が跳ね上がりそうになるのを、千束は見逃さなかった。翻って、静かなのは黄理の方。しかし、たきなよりも、此の場にいる誰よりも危険なのは間違いなく彼だ。

 

 静かなのは表面上。いいや、何かしらの激情が完全に振り切り、凪いでいるように見えるだけなのだ。少なくとも常の七夜黄理ではない、今の彼は完全に触れてはならないスイッチが入っているように見えた。

 

 瞳に熱はなく、ただただ底知れない暗黒がその淵を覗かせていた。

 

 何かしら理由があれば、即座に物騒なことになりかねないとハラハラしながら、千束は固唾をのんで老爺の話の続きを聞く姿勢を取る。

 

「吉松シンジの行動を踏まえ、皆様もアラン機関に思う所がおありかと。であれば、私の行いはある種、その埋め合わせに近くなりましょう──」

 

 ガチャリ、と硬質な音を立てる怪しげな男の手荷物。

 

 アラン機関よりやってきた老人は、手にしていたアタッシュケースを軽く掲げる。アラン機関のエージェントの意図、それをミカが真っ先に飲み込んだ。

 

「まさか、千束の人工心臓か……!」

 

「ええ、錦木千束様が使われている心臓の同系同型機が此処に」

 

「マジか!ちょっと山岸先生、壊れたヤツとその人工心臓は取り換えられんの!?」

 

「──同系同型というなら手術は必要だけど、問題なく換えることはできるね──これならっ!」

 

 山岸医師が勇ましく己の拳と手のひらをぶつけ合わせ、猛々しく微笑んだ。活路が見いだせた、その事実に表情を曇らせていたミカもミズキも頷き合う。たきなもまた、黄理を希望に満ちた瞳で見つめ、笑みを浮かべる。

 

 しかし、あくまでそれは人工心臓が手に入れば、という前提での話。

 

 皆が喜びを隠しきれぬ状態にあって、浮足立たずにクルミは一つの懸念を確かめることにした。

 

「待て、お前さっき言っていたよな。“過去に支援した者への二度目となる支援”は機関のタブーに当たるって。それなら、お前がその人工心臓を千束に渡すのは、タブーに入るんじゃないのか?それとも同一人物でなければ、あるいは機関の人間がしでかした不始末は例外と看做されるのか?」

 

「……嗚呼、その件でしたら問題ありません」

 

 老爺は目を見開くと可笑しそうに笑い出す。その笑顔は何処か不穏でありながら、慈悲深さをも内包し何処までも温厚な笑顔をしていた。

 

 老爺は顔に笑みを貼りつけたまま、手に持っているアタッシュケースを“七夜黄理”の方へと伸ばしてきた。千束、ミカ、そして、黄理がそれの指す意味を理解する。

 

「これは錦木千束様への支援ではなく、七夜黄理様への支援ですので」

 

 

 

 

「……は?」

 

 俺はミズキの間の抜けた声をひどく滑稽に思ってしまう。そうだ、アラン機関は付き合いが薄いが、こういうヤツらなのだと吉松という男を通して俺は理解していた。

 

 だから、驚く必要もない/ただ、ひどい苛立ちが脳裏に過ぎった。

 

 

「──ずっと、ガキの頃からアラン機関が関わってこないとは思ってたけど、こうしてちょっかいをかける時機を見計らっていたのか?」

 

「此度の吉松の暴走は、私の関与するところではありません。あれは、あれなりにアラン機関のエージェントとして為すべきを為そうとした結果でしょう」

 

「だが、アンタは吉松の動向を妨害しなかった」

 

「機関の人間同士が支援の手段に手出し、口出しするのは禁じられておりますゆえ。ですが、こうして結果的に七夜黄理様の支援に事が運んだのは不幸中の幸いかと存じます」

 

 誰も、黄理と老爺の語らいに口出しできなかった。青年の瞳から色彩と光が消え、変わりに冷え冷えとした何か名状し難いものが溢れ出る予感に脅かされる。蒼黒の瞳は既に、深海のように深い蒼に変貌を遂げていた。

 

 黄理は疲れた素振りで銃を下ろし、片手に持っていた鉄棍を手中で逆手に持ち直す。もう、こんな面倒な奴らに付き合わされるのは御免被る。

 

 だから、面倒ごとはとっとと済ませよう。

 

 

「それで、その心臓を貰うために俺は“誰を殺せばいい”?」

 

「……黄理っ!?」

 

 千束の大声は悲鳴にも似て、懇願とも類似していた。でも、これはそういう話なのだ。吉松シンジが生きているから千束が狙われ、七夜黄理が千束の側にいるからこうして面倒ごとに巻き込んでしまう。

 

 だったら後腐れなく、千束に関わる全ての因縁を断ち尽くす。

 

 無論、それは七夜黄理自身も含めて──。

 

「話に出てた吉松シンジを始末すればいいのか?」

 

「──やめて、そんなの違う、違うんだよ!黄理っ」

 

 

──是なり、と告げる老獪な声が木霊した。

 

「その通り、これは貴方への支援であって殺人行為の依頼などでは決してありません。ましてや、暴走したエージェントが為した不始末の清算をチルドレンに任せるなどあってはならない。……いいですかな、アラン機関の支援とは祝福されるに能う才能へ必要なものを届けることにある。決して、命令や強制であってはならないのです」

 

 硬く一本の筋と決意の込められた発言、そこに嘘や偽りの気配はなく、老爺が己の根幹とする信念を言葉にしたことが伝わる内容であった。

 

 その言葉を聞き、焦燥していた千束はホッと安堵する。しかし、老爺が続けざまに放ったセリフに千束はおろか病室にいた面々の心胆は凍り付いた。

 

 

「──ですから、この心臓は私一人の命を奪うだけで御進呈(ごしんてい)いたしましょう」

 

 

 

 

「ああ、そう……そういう話か」

 

「ええ、このアタッシュケースの内部は私の心肺状態と同期しております。私が生きた状態で開かれれば、内部の人工心臓は電磁波で破壊され、使用は叶いません。人工心臓を得るには私を殺すだけで事足りる。どうか、貴方の才能を存分に行使してください。これこそが、貴方に贈るアラン機関からの支援で御座います」

 

 狂った満面の笑みを黄理に向け、自分が殺されることが祝福であるかのように語る老爺の姿に、たきなが吐き気を覚える。

 

「……正気じゃない」

 

「ボクも同感だ、おい、コイツの口車に乗るなよ。アタッシュケースを解析して、ボクがなんとかしてみせる」

 

「ざっけんな、命令や強制じゃないって、選択の余地が無いものだって強制してるようなもんでしょーが!死にたいなら勝手にしろ!千束や黄理(コイツ)を巻き込んでんじゃないわよ!!」

 

 たきな、クルミ、ミズキが反感を示す中、ミカだけが葛藤に苦しむ。千束や黄理に手を汚させるわけにはいかない。しかし、アラン機関の人間がこうして顔を出している以上、下手な小細工は通じるはずもない。いくら、クルミが腕利きのハッカーとはいえ、アラン機関の才能に懸ける執着は尋常ではないことをミカは識っている。

 

 此処で人工心臓を奪っても、壊されてしまえば意味を為さない。

 

 何が、千束を救うための最適解なのか……。

 

 

 だが、ミカの葛藤も、たきなたちの反感も置き去りに、ふらりと幽鬼めいた足取りで靜かに、死んだように老爺へと黄理が歩み寄っていた。そして、それに千束だけが気づくことが出来た、何もかも遅かったが。

 

「黄理──?」

 

 床に黄理の構えていた銃が落とされ、誰しもが落下時の音に気を取られる。千束はそれよりも、黄理の両手にすりこぎ状の棒、いいや鋼鉄の撥が握られているのを見るや、血の気が引き悪寒が総身に伝播する。

 

「ダメ!ねぇ、そんなダメだよ!待っ──」

 

 千束の叫びも、温かな日常への未練も置き去りに、七夜黄理は二本の鉄棍を逆手に構え、震えるほどの冷徹を瞳に宿して老爺へと肉迫した。

 

 

 

 簡単な話。そう、これは簡単な優先順位の話だ。見ず知らずで厄介ごとを持ってきた男の死と、ガキの時分から縁があった錦木千束の死。どちらを選ぶかという話で、天秤は当たり前のように後者へ傾いた。

 

 俺みたいなろくでなしにも分かる簡単な計算。

 

 千束の命よりも、目の前の老爺の命が俺には軽い。かつての不殺の約束よりも、千束の命の方が重い。生きていればこそ、約束を破ったと罵られたとしても千束が生きてさえいれば、それだけで俺が夢に見た物語(明日)は続いていく。

 

 俺には、それだけで良かったんだ。

 

 

 

“馬鹿が──”。

 

 脳裏に呆れかえったように嘯く何某か(自分自身)の声が聞こえた。

 

 千束の何処となく温かなプラチナブロンドと異なる色褪せたような真っ白な髪、無駄を削ぎ、更にそこから殺人へ有用なものだけに先鋭化したような痩身、不吉な蒼い眼光を発する暗殺者の(まなこ)

 

 遠き過去であるはずの、七夜の棟梁たる“在りし日の七夜黄理”がリリベルの “七夜黄理”の前に向かい合うように立っている。

 

 “かつての七夜黄理”の言葉は憐れむように、あざける様に、間違いを間違いと気づかぬ愚かさを指して七夜黄理へと吐き捨てた。

 

“結局、てめぇもこの(ザマ)か”。

 

 過去の残影はいつの間にか消え失せていた。きっと、あの過去の姿をした影法師はもう現れることはない。だって、あの過去に、とうとう今の俺が追いついてしまったのだから。

 

 

 

 黄理が逆手に携えた(バチ)は、一切の無駄なく速やかに獲物を穿つ。

 

卓抜した人体解体の特殊技能、それが無機質に振るわれる。点穴(てんけつ)死節(しせつ)、と呼ばれる人体の構造脆弱点。黄理はそれらの急所を熟知するために、刃すら解体に必要としない。すりこぎ、あるいは棍棒のような鋼鉄の撥で人体をバラバラに変えられる。

 

 まず手初め、二本の撥がてこの原理で両腕を刹那に胴体から“外した”。

 

 蛇口の壊れた水道みたく噴出する流血と共にアタッシュケースを持った腕が宙を舞う、このまま床に落として壊れたら一大事だと、黄理は少し“作業”を急ぐことにした。鎖骨を砕きながら撥を眼孔に突き立てる。次に下顎へ撥を突っ込んで力をかけ、“首を外す”。断頭、胴体から老爺の首だけが跳ね飛ぶ、まるではずれを引いたら中身の人形が飛び出す玩具のように。

 

 あとの工程は機械的すぎて、悍ましいほどに奇妙な動作だった。撥を腰骨に(あて)がって、そこから捻じ込む。瞬時にかかった捻じる力の所為で腰の上と下が景気よく泣き別れる。弾けた勢いで臓腑がばちゃばちゃと汚い濁音を立てて床に飛び散った。

 

 命を支える力を喪った下半身が崩れ落ち、上半身がそこに重なる。最後に宙に浮いていたケースが肉塊と飛び散った臓物(ぞうもつ)、数秒前まで老爺だった“モノ”の上に落下した。

 

 大した衝撃もなさそうだし、きっと中身は無事だろう。

 

 嗚呼、しかし──。

 

 

「あぁ、ったく、汚しちまった……」

 

 一滴の返り血も浴びず一連の作業を終えた黄理は、嘆息して手を伸ばす。アタッシュケースにこびり付いている老爺だったモノの残骸、肉塊、顎、背骨、はらわたを払いのける。鼻腔と口腔に入り込んだむせ返るほどの血と臓腑の臭気。

 

 

 慣れたそれを意識の外にやり、黄理は血みどろになった手でアタッシュケースを持ち上げ、笑顔で千束へと差し出した。

 

「ほら、新しい心臓────これで大丈夫だろ?」

 

 

 

 ──微笑みながら血に染まった手を差し出され、千束は泣きじゃくりそうな顔でアタッシュケースを払いのけた。

 

「違う、違うんだよ……こんなことして欲しかったんじゃない!!」

 

 血を吐くような叫びと共に、千束は利き腕を思い切り振りかぶる。しなる腕は黄理の頬を張り抜くかと思われたが、途中、黄理に当たる直前で止められる。もう、何もかもに意味はないんだと理解してしまった。

 

 千束の赤い瞳は、黄理の恐ろしく澄んだ月光のごとき“蒼”の両瞳を目撃した。迷いと葛藤に揺れるがために、どこまでも優しい輝きを秘めた蒼黒の瞳は帰ってこない。もう、取り返しはつかず、後戻りも出来ない。

 

 病室にいた他の誰もが千束と黄理の会話に割り込めなかった。

 

 この瞬間こそ、二人の訣別の時だと直感するがために。

 

 悔恨、絶望、無力感に染まった嗚咽が千束の喉から零れた。

 

 

 

「もういい、みんな出てって……出てってよぉ」

 

 その余りにも弱々しい懇願に、皆は一言も返さず黙って応じる。誰ひとり何も言わなかったがミズキは激怒の形相を浮かべ、クルミとたきなの手を掴んで黄理から離れていく。途中、たきなは黄理の方を振り向いたが、すぐに口を(つぐ)(うつむ)いてしまう。

 

 ミカでさえ何も口にすることなく、その場を力なく去っていった。

 

 

 

 病室で一人残された千束は、力なくベッドに腰かけて先ほど黄理に振り抜けなかった手を眺める。黄理に触れることができなかった、あの時点で千束もまた約束を(たが)えてしまったのである。

 

『もう、黄理を許さない(離さない)からね』

 

 黄理の不殺の誓いは破られ、同様に千束も黄理を手放した。互いの約束を互いに破り、後には何も残らなかった、これはただそういう滑稽な笑い話だ。

 

 

「あ~あ、“約束”……守れなかったな」

 

 千束は悔しそうに呟いて、何もかもを放棄するようにベッドへと沈み込んだ。

 

 

 

 

 病院の廊下、一人取り残された黄理は首を傾げながら、何が悪かったのかを考えていた。けれど、いくら考えても答えは出ない。ふらふらと糸の切れた凧のように、無作為に廊下を歩いていると思わぬ人と遭遇する。

 

「虎杖さん?」

 

「────また随分と派手にやったと見える」

 

 呆れた様子で言われ、黄理は改めて己の様相を見直す。服こそ返り血をあびていないものの血に染まった両手は傍から見れば猟奇的にも程がある。それに血だまりを踏んだ所為か、真っ赤な血痕の靴跡が廊下には刻まれていた。

 

 なんというスプラッター、いやホラーか?

 

「アラン機関の者が現れたようだな…………殺したのか?」

 

「ああ、もう“終わった後”だよ」

 

 “何もかも”と付け加えようかとも思ったが、黄理は冷めた蒼眼で血がこびり付いた手を眺める。この尋常ならざる様子から虎杖は事態の展開を凡そ掬い上げた。七夜黄理の在り方、それにようやく答えが出たのだと虎杖は何処か残念に思いながら、史上最強のリリベルの完成に笑みを浮かべる。

 

 

 そして、虎杖司令は数年前から自身のところで留め置いていた任務を、厳格さとほんの少しの憐憫を入り混ぜて黄理へと命じた。

 

「七夜黄理、DA上層部の依頼だ……錦木千束を──暗殺せよ」

 

「…………了解」

 

 

 もう、どうでもいい。

 

 ──どうでもいいんだ。

 

 

 

 

 

 

 ふと/目がさめた。

 

 

 始めに香る消毒液と様々な医薬品の匂い。

 

 山岸せんせいに無理を言って今晩だけ泊めさせてもらった病室。自分のセーフハウスでも、リコリコでもない場所。清潔すぎるためにあるゆるものを歓迎しない此処は何処にも帰りたくない今の私にはあつらえ向けの逃げ場所だった。

 

 喉が渇いた、近くの自動販売機で何か買おうと考えたが、部屋が暗すぎて財布が何処にあるのかよく分からない。カーテンは空けられている、でも今日は新月。月明かりはなく、星の光も遠き彼方。外から光は差し込まない。

 

 不思議と──。

 

 

 目が冴えてしまったので、飲み物を買いに行くついでに深夜の散歩でもしようとスマホと財布、あと手に馴染んだ銃を暗闇から探しだし、部屋を出ていく。

 

 シンと、音の無い廊下を歩いていく。暖房が止まってしまっているのか、廊下はゾッとするほどに凍てついた空気に満ちていた。道中、未だに明かりのついているナースステーションを通りすぎる。

 

 ナースステーションの中はまっかにそまっていた。

 

 みんな、ふぞろいのぶかっこう。

 

 あたまも、からだも、てあしも。

 

 みんな、ばらばらにちらかっていた。

 

 ガラスの向こう側が分からないほど、赤が飛び散り気分が重くなる。

 

 ──どうでもいいか。

 

 ため息をこぼし、もう少し歩いていく。自販機があるとこまでもう少し。

 

 誰か、倒れてる。

 

 近くまで行くと、その倒れていた人が誰なのか分かった。

 

 びっくりしたように目を見開いて、まっかに染まった白衣を着ている人は山岸先生だった。血だまりの中で膝を付き、山岸先生の目蓋を落としてあげる。

 

 血だらけであることに目を(つむ)れば、眠っているように見えた。

 

 

 

 背筋に這い寄る酷薄な死の予感。

 

 何処からか、ひっそりと迫る死神の足音を耳にする。

 

 わたしの死神がむかえにくる。

 

 だから、その前に──。

 

 わたしは彼女に電話をかける。深夜だから繋がるかは心配だったが運のいいことにすぐ通話は繋がった。

 

『……千束?こんな深夜に、どうしたんですか』

 

 今年の春先に出会った相棒、フキとも、黄理とも違う、リコリコの毎日の中で変わっていく彼女を見ることが何よりも楽しみで。

 

 もう、見届けることはできそうにない。

 

「遅くにごめんね~……ちょぉっと、たきなにお願いがあってさ」

 

 自販機を見つける。手ごろな缶コーヒーを買いながら、たきなにある約束を任せようと思った。

 

『今すぐ行きます、だからそれまで待ってて──!』

 

 

「わたしがいなくなっても黄理の手を離さないであげて」

 

 反論は聞きませーん、それだけ言い遺して私はスマホの電源を落とした。ブラックなコーヒーを一息に飲み干し、スマホも、財布も、余分な重量(ウェイト)になりそうなものを全て放り投げる。

 

 身軽になったわたしは、ゆっくりと焦らすように振り返った。

 

「さて、と……だいぶ待たせちゃったかな?」

 

「──いや、今さっき来たところだ」

 

 振り返ると、全身から返り血を滴らせた赤い鬼が亡霊のように佇んでいる。赤に染まった体躯の中、瞳だけがゾッとするほどに蒼く輝いていた。それにしても、このやり取りは。

 

 まるでデートの待ち合わせみたいでくすぐったい。

 

 でも、先に言っとかなきゃいけないことがある。

 

「にしても、ひっどいことするなぁ~。これ全部、黄理がやったの?」

 

「仕方ないだろ、関係者はみんな消せってんだから」

 

「関係者って、誰の?」

 

「お前だよ、千束」

 

 頭痛がする、そりゃ、色々とDAの指示に従ってこなかったけど、明確に不利益になるようなことは何も……いや、ウォールナット(クルミ)(かくま)ったりとかしてたな。

 

 いや、DAにバレてないからセーフ、セーフ。

 

「やっぱりかぁ~。虎杖さんも容赦なさすぎ……」

 

「虎杖さんは一般病棟の患者を転院させてくれたよ。細かい指示は上層部からのだ、二度とお前みたいなのが出ないよう見せしめのつもりなんじゃないかって」

 

「うぇ、趣味わる~」

 

「そうでもなきゃ、孤児を殺し屋に使おうってならんだろ?」

 

「……たしかにっ!」

 

 ひとしきり笑った後、私は煽るような表情で黄理の顔を(うかが)った。

 

「でもさ、黄理の本命は……“わたし”でしょ?」

 

「ああ、お前だけ、お前だけが本命の獲物だよ」

 

「…………正面から堂々と言われると照れるな」

 

「なんでだよ、相変わらずよく分かんないヤツだな」

 

 両の手に撥を持ち直し、黄理は千束とのやり取りを終わらせる宣告を下す。それは訣別の宣言でもあり、どうしようもなくねじ曲がった暗殺者としての情けでもあったのだろう。

 

「じゃあ、そろそろ……死ね、錦木千束」

 

「お断りだよ、七夜黄理。死んでなんかやるもんか」

 

 二人の命を賭けた最期の逢瀬が始まった。

 

 

 

 

 千束が抜き打ちで放った弾丸を黄理は易々と潜り抜ける。壁面を滑り、天井を足場となし、暗い廊下という空間を縦横無尽に駆使して、真紅に染まった蜘蛛は獲物に襲い掛かる。七夜黄理の挙動は残影すら目視は困難を極める。

 

 七夜の暗殺技、高速移動術である閃走・水月。

 

 これまで多くの標的を仕留めた技が今、錦木千束に向け行使される。しかし、七夜黄理の走法に極限まで迫る唯一のリコリスが錦木千束。彼女もまた黄理を追い、一条の流影となり黄理と対峙した。

 

 両足、両腕を巧みに使い、二人は空間を埋め尽くすような軌道で交錯する。

 

 千束の蹴りが黄理の首に当たりかけるが、黄理は右手を捻って天井で急旋回して蹴撃を寸前で回避。千束が蹴りで減速したところ、跳ね上がった黄理の撥が千束の銃の先端にあるスパイクを欠けさせる。

 

 だが、欠けた鋭利なパーツが落ちるよりも早く千束が銃を発砲。ぎりぎりで避けたが、黄理は意外そうに目を見張る。

 

「へぇ、この距離で撃ってくるのか?」

 

「そりゃ、命を狙ってくる不埒者が相手ですから」

 

 千束の使用する弾丸は45口径のフランジブル弾。弾頭には特殊な加工がされたゴムが扱われ、“名目”としては非殺傷の弾丸と言うことになっている。しかし、45口径の秘める威力は、弾頭をゴム製にしても殺傷力を完全にゼロへできなかった。

 

 ゆえに、千束は敵と距離を詰める戦法を取るにもかかわらず、特定の至近距離、角度からの銃撃は自らに禁じている節がある。不殺の信念を持つがための彼女の枷、それがこの時は外れていることに黄理は薄く笑った。

 

「そうこなくては」

 

 黄理もまた、不殺の誓いを喪失した身。ゆえに七夜の業はこれまでのそれとは比較にもならず、全ての技が完全な形、キレ、用途で行使可能となっていた。

 

 事実、単なる高速移動術である水月さえ、以前のそれとは明確に練度が跳ね上がっている。死角に潜み、気配が消え去るまでの時間は千束が体感したことがないほどに効率化していた。

 

 これが、殺人を許された最強の暗殺者(リリベル)の本領。

 

 一方で殺人を忌避しながら不殺の主義を曲げ、自分の技に殺傷性を付与した千束の動きはあまりにも不自然で不格好なものだった。精神が殺人を否定する、肉体はそれに引きずられて思い通りに動けずにいる。

 

 精神と肉体の不一致は動きから流麗さを奪い、微かなラグを所々に生じさせた。

 

 

 類似しながらも非対称な千束と黄理の動き。死角へと高速移動しながら消え、急停止したかと思えば、次の一歩目から最高速で姿を消す。

 

 七夜の業、閃走・水月は完成された暗殺挙動であると、かつて虎杖司令は表現した。体幹操作、重心の掌握、二足歩行のみならず、時として両腕を前足のように用いて四足で制動、加速を行う奇妙な移動術。

 

 これに熟達した黄理、千束などは直立した状態から高速で後退する事や、天井や壁を自在に駆けることを可能とする。フキも平面限定でこの技巧を用いてこそいるが、立体的な高速挙動でないことから劣化模倣と断じられていた。

 

 暗殺、という人でなしな目的のために行使される技術。四足挙動というものは不格好で、見栄えが悪いと評されてもおかしくない。人間性の放棄、獣畜生のごときと嘲られそうな技術体系。

 

 しかして、七夜の一族は人間性から背を向け、獣性を追求した。自然界において、効率的な形状とはシンプルで美的な収束を見るモノ。けれど、美しい形状のみが最適解とは限らない、効率化された果ての行き着くところが無様であろうと利用価値はあるはずだ。

 

 七夜の一族は混血という魔を標的とする暗殺者、人並みの在り方では束になっても相打ちすらままならない。ならば、“人であることは無意味である”と七夜の一族は定義した。

 

 元より目的は殺人という人でなしの所業、であれば人間性を無視することに如何な不都合があろうことか。徹底した非人間的、獣じみた挙動の構築と、それを人体に行使可能なまでに落とし込む。とはいえ、性能が下がっては意味が無い。非人間的な挙動を行使できるだけの人体の構築、そのために血統までも厳しく掛け合わせた(すえ)の果て。

 

 七夜の業は完成を見る。

 

 七夜の業が本領を発揮するのは、狭い屋内や障害物が多い暗所。その空間においては最強のリコリスであろうと、蒼眼の鬼に後れを取る。

 

 だからこそ、千束はどうにか病院の外に出ようと藻掻いているが、黄理はそれを許さず無慈悲に追い立てる。

 

 牽制で放たれた千束の銃撃、黄理は上体を反らすだけで避け、不安定な体勢から高速で接近する。次瞬、黄理の撥が千束の脇腹をえぐった。鉄棍はあばら骨とそれに付随した肉体を廊下にばら撒く。

 

 ごっそりと人肉ごとあばら骨を持っていかれた千束は、表情を変えることなく銃撃を黄理に当てる。フランジブル弾は頭部に命中し、黄理の側頭部辺りで赤の粉末が舞った後、どろりと鮮血が流れた。

 

 千束の銃弾の当て方は完全に命へ届くようなものと化している。

 

 黄理の撥の使い方も暗殺技巧として最適化は完了済み。

 

 

 互いの殺意は少しづつ拮抗し始めていた。

 

 

 奇跡的なせめぎ合いを見せる殺意の衝突。黄理と千束の瞳が重なり、想いは言葉にならず積もっていく。

 

“お前の願いは、きっと美しい”

 

“君を、憐れまない……”

 

 脇腹から大量に出血する千束は顔から血の気が引き死に瀕しながらも、芸術的なまでの美しさを以て黄理の動きに追従していく。黄理も頭から血を流し、朦朧とする意識をどうにか繋ぎ止め、無意識下で肉体を一層鋭く操作する。

 

“千束の願いに応えられたら、どれほど良いか”

 

“黄理を変えるために、何が足りなかったのかな?”

 

 だが、七夜黄理と錦木千束の運命は永劫交わらない。

 

 錦木千束(リコリス)として──。

 

 七夜黄理(リリベル)として──。

 

 選び取った未来は皮肉なほど正反対なモノだった。

 

 

“残り少ない命。せめて君は、一緒に連れていく。わたしと、黄理自身のために”

 

“お前を殺すより、選ぶ道はない”

 

 

 思考を棄てる、人格を薪にくべる。

 心はとうに伽藍洞、運命はもう手放した後。

 この瞬間において、赤き鬼神は余分なものを何一つ持ち合わせない。

 

 七夜黄理は真に殺人機構として完成する。

 

 

 黄理が次の動きに転じる瞬間、ふらりと立ち眩むようにふらついたところで千束の銃弾が黄理の左手首を砕いた。鉄棍が手放され、左手は動かせもしない。

 

 此処で千束は想定していた黄理の隙に乗じ、弾薬を再装填(リロード)

 

 この再装填が最後、一気に勝負を決めると銃口を上げた動きに合わせ、黄理の右の撥が投擲された。

 

 

 ──“極死・七夜”。

 

 

 

 人を殺さずに生きていく、か。

 

 そんなありふれた生き方ができないことを誰よりも自分自身が知っていた。

 

 暗殺者としての生き方しか知らなかった俺が、それ以外を求めた。求めていたのに、葛藤と迷いを捨て去った末路。

 

 七夜黄理という存在はあの選択の時、すでに死んでいたのか。

 

 

 

 もぎ取った千束の頭部は思ったより軽く、飛び散った血潮は身体にべっとりと圧し掛かり、うんざりするほど重かった。首を無くした千束を見下ろし、俺は窓から空を見上げる。

 

 堰を切って思い出されるリコリコでの温かな日常の情景。

 

 長く続く夢のような日々だった。

 まるで、届かぬ月に焦がれるような夢だった。

 

 

 ──今宵は新月。

 

 空に輝く月は亡く道しるべとなる星も見当たらない。

 

 深い夜は未だ明けず。

 

 

 

 

 

 何もかも手遅れになった時、全てが終わった後、井ノ上たきなは病院に辿り着いた。院内に患者は一人も存在せず、看護師や医師は物言わぬ肉塊に変わり果てていた。不吉な予感に恐怖しながら、銃を構えたたきなは千束の名前を叫びながら走り続ける。

 

 血に塗れた廊下を走り続けた先、たきなは後悔と絶望に叫びながら、七夜黄理との邂逅を果たした。

 

「あ…………あ、゛あ゛あぁぁぁぁ!!!!」

 

 ガタガタと恐怖で体が震える、喪失の絶望に涙が流れる、憎悪に燃えながら七夜黄理を愛しいと思う慕情に魂は凍り付く。

 

 胴体から離れた千束の首を見た瞬間、気が触れた様な叫び声と共に銃を乱発する。照準のされていない銃撃、何発かはあらぬ方に飛び、その中の一発が黄理の右肩を撃ち抜く。掴んでいた手を離され、造り物みたいに綺麗な首がたきなの足元まで転がってくる。もう、言葉の体も為していない嗚咽を零しながら、たきなは首を大事そうに抱き留める。

 

 右肩、それ以外にも足や腕に銃撃を受けている黄理は、満身創痍な肉体をどうにか動かして、たきなの横を通り抜けようとする。

 

 何も語らず、言い訳すらしない黄理にたきなは、今度こそ殺す気で銃口を心臓に向けようとするが。

 

“わたしがいなくなっても黄理の手を離さないであげて”

 

 それを千束の最期の言葉が押しとどめる。

 

 頭を掻きむしり、たきなは砕かれた黄理の左手を強引に掴み取る。

 

「許さないゆるさないっ!!絶対に……許さない(離さない)……!」

 

 

 

「そうしてくれると助かるよ──」

 

 疲れた素振りで言い放った黄理の横顔に、たきなは自分が復讐も、後悔も、初恋も喪ったことを理解した。千束の首をそっと、胴に沿えるように置き去りにし、たきなは愛おしくも憎い七夜黄理の後を追って、姿を消した。

 

 

 リコリスとしての井ノ上たきなの物語は此処で終わったのである──。

 

 

 

 

 千束の死後、たきなの人生は波乱を極めた。

 

 リコリスを抜けた後、黄理に着いてきたたきなはリリベルの後方支援班、オペレーターに任じられ、楠木司令やリコリス側からの追及もなく、あっさりとリリベルの配属を許可された。これが虎杖司令の強権によるものか、七夜黄理の実績に対する寛大さによるものかは分からない。

 

 だが、たきながリリベル内の生活に慣れようとしている最中、七夜黄理はリコリコにいたメンバー、クルミ、ミズキ、ミカの暗殺指令を受ける。クルミ、ミズキを仕留めたものの、黄理はミカを取り逃がし、喫茶リコリコという場所は千束亡き後にあっさりと破綻した。

 

 七夜黄理を預かっていた伽藍の堂は、黄理が殺人に手を染めた後、まるで元から何もなかったかのように蒼崎橙子ごと存在が消えてなくなっていた。

 

 そして、たきながリリベルの配属となって、一ヶ月もしないうちに“延空木”にて第二次電波塔事件が発生。このテロ行為により、正体を露見させてしまったリコリスはその大半がリリベルの手によって処断された。

 

 

 これを残酷だとか非道とは一概に断定できない。もしも、リリベルが先んじて延空木の対処に行っていれば、正体が露見したリリベルの大半はリコリスの手で抹消されていただろう。だが、事実としてリコリスは正体を(おおやけ)に明かされ、その余波でリリベルの活動も大きく制限されることとなる。

 

 延空木でのテロを起こした犯人たちはリリベルが多くの犠牲と共に掃討。主犯格である真島たちは七夜黄理が一人残らず暗殺した。しかし、真島の為したテロをきっかけに犯罪率とテロは増加、機能不全となったリリベルとリコリスが対応できなかったために日本は大きな傷を負うこととなる。

 

 そこからは下り坂を転がる様に世の中が動いていった。銃刀法の一部軽減、完全撤廃まではあっという間で、警官の死亡率の増加に伴い欧州のPMCを参考とした民間警備会社、通称、民警制度の発足。平和な法治国家、日本の安全神話はあっけなく崩れ去った。

 

 この動乱の中でDAは解体され、各地のリコリス、リリベルたちは各々が民警として野に下っていった。しかし、東京支部のリリベルたちだけは、余所(よそ)とは少し外れた流れを取る。

 

 

 七夜黄理、最強のリリベルを冠する彼を頭目として凄腕の暗殺者集団が誕生した。DA時代の様々なツテを持つ有力者であった虎杖の協力もあり、通常の民警組織と違い、正体を明かさぬままに暗殺稼業を行う一族が誕生したのである。

 

 

 七夜、それは個人の名ではなく、集団、一族の象徴の名前となった。

 

 数々の事件に関わり、多くの功績、伝説、偉業を積み上げ──。

 

 延空木の倒壊から七年後、七夜の一族は突如、暗殺稼業から身を退(しりぞ)いた。

 

 七夜の一族、その転換期。一族の者の多くが困惑と共に受け入れた方針転換の切欠は、七夜の頭領、七夜黄理とその伴侶が、双子の子供を授かったことに端を発する。

 

 

 

 長野県、某所。人の寄り付かない山間部を切り開き、多数の罠が張り巡らされた森の奥。そこに七夜の里と呼ばれる暗殺者集団の拠点は在った。

 

 拠点の更に奥まった辺鄙な所にある屋敷。目に映る全ての景色は山と森に囲まれ、この閉じた世界の時間は緩やかに流れている。屋敷の縁側で座り込む女性は沈みゆく夕焼けに向かって手を伸ばす。

 

 蒼染めの着物に“錦木の華柄”をした帯を締めた和装の麗人。彼女こそ御館様の伴侶である旧姓を井ノ上、現在は七夜たきなと呼ばれる凄腕の女性暗殺者だった。二年ほど前に暗殺者としての足を洗った彼女は現在、この山奥で安穏と生きていく日常に拭いきれぬ違和感と抱いてはいけない幸福感を感じてしまっていた。

 

「──おかーさん!」

 

「ただいま~」

 

 二人の我が子たちが泥だらけになって帰ってくる。活発な少女と寡黙な少年、かつて何処かで見たことがあるような取り合わせの双子の姉弟が、帰ってきて早々たきなに抱き着いてくる。着物が汚れるのも気にせず双子の頭を撫でてから、たきなは柔らかに微笑んだ。

 

千里(センリ)志貴(シキ)、ちゃんと泥を落として手を洗ってきなさい。さもないと夕食はありませんよ」

 

「「はーい!」」

 

 素直な我が子たちは、こんな注意であっさりと泥を落としに身を翻していく。二人の後から痩身痩躯の男が音なく縁側に腰を落ち着ける。色褪せた灰色の髪、昔と変わらない蒼の瞳。

 

「おかえりなさい、貴方」

 

「…………ああ、今帰った」

 

 たきなの主人であり、双子の父である男性、七夜黄理はぼんやりとしたまま返事をして寝転んだ。子供が生まれてからというもの、黄理くんは以前よりもぼんやりと何か考え込むことが多くなった気がする。

 

 子供を殺人から遠ざけるように暗殺稼業から身を引き、それでいて千里と志貴の二人に七夜の体術、体系化された暗殺技の基礎を教えている矛盾。昔からよく分からない人だったが、最近は輪を懸けて何を考えているのかが分からなくなった。

 

 彼と結ばれて早数年、私は未だに黄理くんが憎いのか、愛しいのか、許したいのか、許したくないのかが判別付かないままだ。ずるずると答えを出さないまま、共にいるうちに子供が出来てしまい、気が付くと籍を入れてしまっていた。

 

 子供が生まれた時、敢えてかつての相棒の名前と重なるよう娘には“千里”の名を、誓いを、(こころざ)しを破ったことに対する皮肉として、男の子には“志貴”という名を付けてみたが、黄理くんは一言、“良い名付けだ”と言って笑うだけだった。

 

 彼は千里と志貴、二人の我が子を愛してはいるんだろう。でも、それは常人の愛し方から外れていることを忘れてはいけない。だって、彼はあんなにも心を通じ合わせていた千束を殺したんだ。

 

 ふとした瞬間、愛情が別のナニカに“反転”してもおかしくない。

 

 

 

 いつも通り愛情を押し殺し、慕情を秘め隠し、油断なく黄理くんを見つめていると、七夜黄理(御館様)のリリベル時代からの側近である男性、アキタカさんが急に現れた。彼の話を聞き、わたしは来るべきものが遂に来たと息をつく。

 

 かつて、黄理くんが唯一取り逃がした標的、リコリコでは店長を務め、錦木千束の親代わりであろうとした男性、ミカ、とだけ呼ばれていた男性が東京支部のリコリスの残党を連れて、七夜の森を襲撃するという情報が入ったらしい。

 

 その情報を伝えた虎杖司令は既にミカさんに殺されている、千束を殺した黄理くんへの復讐だろうか。嗚呼、どうでもいいことだと、私は頭を振って余計な考えを放棄する。ミカさん、かの戦略家が来たということは七夜の森を陥とす準備や支度を万全に済ませてきたということだろう。

 

 であれば……。

 

 

「──御館様」

 

「なんだ」

 

「千里と志貴、あの二人を安全な場所に移しますか?」

 

 千里と志貴の二人は幼過ぎる。鉄火場に出すのは時期尚早。

 

 今のうちに逃がしてしまった方がいいと声をかける。

 

 しかし──。

 

「あん、どうして?」

 

「……あの二人はまだ子供で戦力にもなりません。下手に動き回られるより安全な場所に移した方が……」

 

「ミカさんがやってきたということは、確実に俺たちを殺す段取りを組んできたということだ。戦力にならん子供を逃がすのに戦力を使っては元も子もないだろう。他の連中も、お前も戦力としての自覚を持て」

 

「ですが、千里と志貴はわたしたちの子供です」

 

「ならば、寝かせておけよ。存外、それが最も生き残る方法かもしれんからな」

 

 笑いながら黄理くんは座敷の奥へと行ってしまった。

 

 

 

 結局、下手に二人を動かすよりも外敵を徹底的に殺す方が早いと判断。リコリスの頃から使っている銃と小刀を手に、わたしは夜の森を駆ける。仕掛けた罠をくぐり、死体を増やしていると、見慣れた古馴染みと遭遇する。

 

 春川フキ、置き去りにした過去の相棒。かつての延空木での数少ない生き残り。随分、久しぶりに遭遇したが、背丈も人相もそう変わっていないことに可笑しさを覚えた。樹上から見下ろす私を見つけ、フキさんは怒気を交えた顔で銃を構える。

 

「テメェ……!」

 

「お久しぶりですね、フキさん」

 

 昔からよく分からない人だったが、千束亡きあとどうして七夜の襲撃に来たのだろう?千束と仲がいいようには見えなかったし、ミカさんとの繋がりも少しの間、バイトをしていたくらいしか私は知らない。

 

 此処にいる理由も気にはなるが、深く聞くほどの縁があるわけでもない。

 

 手早く片を付けるとしよう。

 

「……井ノ上たきな、テメェだけはこの手で殺す!」

 

 フキさんが引っ張り出してきた昔の名前。

 

 笑ってしまいたくなるほど、爽快な気分になる。

 

 それでは、殺し合いの前にささやかな訂正をひとつ。

 

「──井ノ上?いいえ、今は七夜です」

 

 さぁ、殺し合おう──。

 

 サツジンキの夜が幕を開けた。

 

 

 七夜黄理を愛してしまった、黄理くんに愛を抱いてしまった。彼というサツジンキを愛してしまった時点でわたしも同類であるようなものと暴露していたのかもしれない。娘と息子の日常を守るために選ぶ手段が“殺人”という罪過だけ。

 

 

 でも、仕方ない。愛してしまった人との子。罪を、骸を、後悔を積み上げてでも、守り通してみせる。

 

 黄理くん……。

 

 ずっと貴方を。

 

 

 

──出会わなければよかったと思うほど愛してる。

 

 

 

 

 

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