Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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 本編。七夜黄理:中庸・善。
 年内完結は諦めましたが、どうにか完結まではこぎつける所存。



What’s done is done【1】

 

 

 息を荒げ、脚を忙しなく動かして駆ける。

 

 青年は戻らない時間に追い立てられるように走っている。

 

 全ては終わった後。もうどれだけ急ごうと何も変わらず、変えられない。それなのにどうして急く必要がある。もう何もかも無駄だというのに。

 

 

 七夜黄理が事の次第を知ったのは、事態が手遅れになってからのことだった。

 

 

 

 “千束が病院で襲撃にあった”、たきなからの連絡は余りにも唐突で、“赤毛の襲撃者”、“看護婦の変装”、“逃走された”、“心臓”、“検診に行かせなければ”、雑多に並べ立てられた情報からは、たきな自身の悔恨と混乱を推し量ることが出来た。

 

 いや、たきな自身も事態の全容を何も理解しきれないからこそ、まとめきれない情報を伝えたのかもしれない。

 

 

 病院に着くや、指定された病室へと駆ける。病室の中には、たきなを始めとして今、リコリコにいる全員と千束の担当医である山岸先生が揃っていた。そして、ベッドには血の気の引いた千束が眠っている。微かな吐息、身じろぎが無ければ、本当に死んでいると思うほどにベッドに横たわる千束は生気が薄く……。

 

 

 ベッドの傍らに近づく。

 

 こうして千束の眠っている姿を見て、子供の頃、千束との数多くの思い出が俺の中に溢れてくる。

 

 喫茶店を開きたての頃、美味いコーヒーのため千束や橙子さんたちとコーヒーを毎日たくさん飲んだこと。任務の傍ら、恩人を探すというので東京中を駆け巡りもした、リコリコで飼っていた犬、リキの世話を一緒にみたり、古い映画の再上映だかで映画館までわざわざ観に足を運んだ。

 

 

 

『もう、黄理を許さない(離さない)からね』

 

 こっちは律儀に似合わない誓いを守ってるってのに、お前の方が破るんじゃ話が違うだろ。

 

 眠りについている千束の手を縋りつくように握った。何も、俺の手でできることがない。俺は医者でも、えらい学者でも、救世主でもない。それどころか、得手の殺人さえ満足にこなせないサツジンキだ。

 

 こんな俺が傍にいて、千束の何を救えるというのか……。

 

 

 

 

 

 温かな液体に浸る夢をみた。いいや、液体と認識していたものは私自身の過去の思い出だった。子供の頃、リコリスとして戦技訓練をしたときのことや、ファーストの制服を与えられたこと、心臓の負担の所為でうずくまり這いつくばった床の冷たさ。

 

 ダメだ、碌な思い出を思い出さない。

 

 もっと、別のものはと藻掻いて、藻掻いた先、頭を撫でられる感触を思い出す。温かくて、優しさと慈しみに満ちた感触。でも、どうして撫でている人の顔を思い出せないんだろうと、わたしが悩みだす前に強く、痛みすら感じるほど乱暴に手を握られる感触を覚えた。

 

 ああ、もうしょうがないなぁ。

 

 胸に溢れる愛おしさと、夢ではない確かな生の実感(イタミ)を抱いて、わたしは重い瞼を開け、夢から醒めた。

 

 

 

 

 

「──お、ぉ?」

 

 微睡みから目を覚ました千束は、目を瞬かせて周囲にいる俺たちを見遣る。俺や、たきな、ミカさんにミズキ、クルミにフキとサクラまで。

 

「みんなお揃いだなぁ」

 

 弱々しく起き上がろうとする千束を山岸医師が止め、ゆっくりと身を起こすのを黄理と共に介助する。

 

「睡眠薬を盛られたのよ、それもかなり強力なものをね。しばらくはその影響で怠いと思うから安静に──」

 

「私、何された?」

 

 睡眠薬を盛った以上、襲撃犯は何かしらの目的を果たしたはずだ。山岸医師が敢えて話題にするのさえ避けていた内容を千束は聞きたがる。たきなから仮定の話しか聞かされていないが、今の千束の状態を見れば誰でも分かる。

 

「──あの女」

 

 悔しそうに拳を握る女医は、ぽつぽつと冷静さを取り繕った声で状況の深刻さを病室にいるみんなへと説明した。

 

「急激な高電圧による過充電でハードとのアクセスが不可能になった。今後……充電はできないものと考えて頂戴」

 

 錦木千束は“困ったな”とでも言うように息をつく。軽い千束の様子に反して、ミカ、そしてミズキの深刻そうな面持ちだけが事態がどれほど手遅れなものなのかを示しているようだった。

 

「やられた、単純だけど後遺症さえ残さない効果的な破壊方法ね……」

 

 山岸医師の話には所々、相手側の方がより千束の心臓の構造を熟知しているというニュアンスが込められていた。だが、過充電、壊れた、それらの意味を理解しきれないたきなやサクラは周囲を見回すことしかできない。

 

 フキやミカ、それに黄理が黙りこくっている中で、場違いなほど軽いノリで千束は話しをうながす。

 

「マジか~、あとどのくらい()つ?」

 

「……幸い、と言っていいのでしょうね。充電直後だったから、いつも通り二ヶ月は動けるよ」

 

 二ヶ月、その言葉にたきなの顔が蒼褪める。具体的な時間を告げられ、イヤな予感が脳裏に過ぎったのだろう。井ノ上たきなの声が震える。

 

「……二ヶ月、って?」

 

「動き回ったりしなければ、もう少しは保つかもしれないわ……」

 

「っ何が、何が二ヶ月なんですか……!?」

 

 恐怖に震えるたきなの声に、重々しくミカが答えを返す。

 

「──余命だ。二ヶ月、それが千束に残された時間」

 

 二ヶ月、はっきりと区切られた制限時間(タイムリミット)がより嫌な想像を明確化させる。クルミ、サクラ、フキたちが息苦しそうに目を伏せる中、たきなは震える声をどうにか張って打開の可能性を提示する。

 

「そ、そんなっ、……だったら壊れたところを交換でもすれば!」

 

 たきなの引きつった声に山岸医師が担当医として最も辛いことを語る。

 

 それは自身が無力であること。

 患者を、錦木千束を治す術を持たないことの説明であった。

 

「できないのよ。悔しいけれど、私たちの知識と技術じゃどうにもならない。千束の心臓に使われているのは既存の医療工学の知見から外れてるテクノロジー。技術体系がそもそもからして違うの。作った当人でもない限り修理どころか、分解だっておぼつかないわ」

 

 山岸医師はそういうと窓の向こう側の夕焼けに視線を流し、肩を静かに落とした。専門家の冷静な判断を聞いたうえで未だに打開策を考え続けるたきなへ、ミカは確かなことだけをゆっくりと言い聞かせるように言い放った。

 

「千束の人工心臓に代わりはないんだ……」

 

 ミカの宣告に、たきなは髪を振り乱す勢いで部屋を飛び出そうとするが、間一髪で黄理がその手を掴み取った。

 

「~~~っ、離してください!」

 

「まだだ、千束の話を聞いてやれ。たきな」

 

「──ありがと、黄理」

 

 暗澹とした先行きを告げられながら平然としている黄理や千束にカっと来たのか、息を荒げたままにたきなは二人を強く、貫くような眼光で睨みつけた。

 

「……あの看護師を始末しなくていいんですかっ!」

 

 たきなが黄理の手を振りほどくと、千束は困った口ぶりで微笑んだ。

 

「べっつにいいからぁ~」

 

「────いいわけないでしょ!!」

 

 千束のあまりにも達観した、あるいは諦めてしまったような声に、たきなは大声で否定を被せる。そう、良いわけない。あってはならない、はずなのだ。だというのに、錦木千束はどうして、報復しない、許せてしまう……。

 

「いいのよ──」

 

「……ぇあ……」

 

 夕焼けに照らされた千束の言葉にたきなは気の抜けた声を漏らす。

 

「元々、そんな長くなかったんだから──」

 

 

 

「あいつを殺したところでなんも変わんないよ」

 

 その瞬間、俺の頭蓋で反響していた痛みが灼熱を帯びた。獰猛なケダモノじみた激情が俺を灼く。千束が襲撃を受けた直後で弱っているのにも関わらず、乱暴に彼女の胸倉を掴み上げた。僅かに血の気を帯び出した胸元が弾み、はだけるのもおかまいなしに掴みあげて顔を無理やりに突き合わせる。

 

「お前が良くても俺は、たきなは、みんなは……!」

 

「……うん、ちゃんとわかってるさ~」

 

「わかってない……」

 

「わかってるってば~」

 

「わかってないだろ……バカ千束」

 

「バカでも分かるものはわかるんです~」

 

 そういうと千束は背中に手を回し、安心させるように背を撫でつける。俺は撫でられるがまま、両の手をだらんと落とす。

 

 助けられない、七夜黄理にできることはない。

 生かせない、殺すことしか俺は追及してこなかった。

 救えない、その生き方をもっと懸命に探していれば。

 

「分かりたくない……お前がいない日々を生きていく理由なんて、俺には分からないよ……」

 

 

 

 

 

「行くぞ、サクラ」

 

「でも、センパイ……いいんスか?」

 

 そこまで言って、サクラは顔色を曇らせる。少なくとも会話の流れからして、“いい”か“悪い”かで決断を迫るのは間違いだったと察しを付けたためだろう。

 

 サクラの問いに答えることなく、フキは能面のような表情のまま微かに呟いた。

 

「…………行くぞ」

 

「フキ~……またね」

 

 病室を後にする間際、千束は黄理を抱きしめたまま、かつての相棒(フキ)へ声をかける。その、如何にも最期の言葉みたいなセリフに、とうとうフキの沸点が限界を超えた。

 

「まだだ、まだ何も終わっちゃいねぇ!」

 

 突然の大声に千束だけではなく、たきな、ミカ、病室にいた全員が度肝を抜かれる。

 

「お前が何を諦めようが知ったことか!それが私らの諦める理由になるわけねぇだろうが!」

 

 息を荒げ、深呼吸をしてから冷静になったフキは背中越しに千束へ、宣戦布告でもするように言い放つ。

 

 

「待ってろ、てめぇが諦めたもの全て、わたしがひっくり返してやる」

 

「……おぉぉう、フキさんかっけぇ~」

 

「だぁぁ!!次会うとき、そのシケた面してたら、承知しねぇからな!」

 

 サクラを引きずるようにして、フキは慌ただしく去っていった。

 

 

 

 

 

 フキたちがいなくなり、しばらくして千束は抱き留めていた黄理から身を離し、乱れた検査着を正してベッドへ横になる。盛られた睡眠薬の影響も抜けきっていないはずだ。ミカたちは黄理やたきなを連れて一度帰ろうとしたところ、病室の戸がノックされる。

 

 皆が山岸医師を見るが、彼女は首を横に振る。

 

 そう、この部屋はDAの管理する区画の病室、一般の人間が迷い込むことも無ければ、院内の関係者でさえ立ち入ることを許されない。DAの関係者ないしリコリコのメンバー以外にこの病室を訪ねる者がいるはずは無いのだ。

 

 

 もしやフキかサクラが戻ってきたのか、とも考えるがその可能性は薄い。何者かと考えを巡らせるよりも来訪者が戸を開ける方が早かった。

 

 戸を開けた先、そこにいたのは小さなアタッシュケースを持ち、糊の利いたスーツを纏う老齢の男だった。

 

 たきなは素早くサッチェルバッグから銃を取り出し、黄理も撥と拳銃を油断なく構える。クルミとミズキがバタバタと射線上から離れようとする中、スーツの老爺はこちらに親し気に笑い掛け、恭しく頭を下げた。

 

「無作法、誠に失礼致した。取り込み中と思われますが、どうかお時間を頂戴したい」

 

 だが、黄理たちにその言葉を鵜呑みにする余裕はない。何故なら、老人の胸元には“金色に輝くフクロウ”が縫い止められていたからだ。

 

 

 

 突如現れたアラン機関の人間、千束の身に起こったことを考えれば、この老人の言うことを信じられる保証はどこにもない。それどころか、ただで帰すことすら……。

 

「待てっ、二人とも!」

 

 慌てながらもミカが発した掣肘の一喝にたきな、黄理は鋭い眼光のまま銃を下ろす。しかし、瞳に爛々と輝く敵意の火は消えておらず、ミカも老人を油断なく警戒しながら部屋に入らせた。

 

 

「貴方も、アラン機関のエージェントか?」

 

「ご賢察恐れ入る」

 

 たきな、黄理のみならず、ミズキやクルミまでも敵愾心を露わにした視線で老爺を釘付けにしている。ただ、ミカと千束だけはどうにも困ったように、どうしたものかと老人に対する反応を決めあぐねていた。

 

 吉松シンジ、才能の信奉者たる彼に複雑な心情があるためか、二人だけはアラン機関の人間を完全に拒絶しきれないでいたのである。

 

 銃を握るたきな、黄理と入れ替わりでミズキ、クルミが皮肉気に老人に相対する。

 

「一体、なんの用があってきたのかしら、アンタは?」

 

「施しの女神は匿名希望だったらしいが、いつから宗旨替えしたんだ?」

 

 鋭利な語り口の二人を前に老爺は申し訳なさそうに目蓋を落とす。

 

「この度、我々の同胞が為したこと何とお詫びしたものか。どうか、謝罪させて頂きたい」

 

 老爺が深々と頭を下げようと黄理たちの警戒や敵愾心は薄れることが無い。それを認識したうえで老爺は頭をあげると、瞳に穏やかならぬ熱意を灯す。

 

「──吉松シンジ、あれはもはやアラン機関の真意から外れてしまっている。彼は己の支援者のため、機関にとってのタブーを二つ犯しました。ひとつに“支援者との直接的な接触”、そして、“過去に支援した者への二度目となる支援”」

 

「ちょっと待ちなさい。今んとこ千束は支援どころか、心臓ぶっ壊されてんのよ!?」

 

「…………それすらも支援だっていうんだろ。才能を存分に振るわせるための発破のつもりなのか、ボクがいうのもなんだが本当にメーワクなヤツだよ」

 

 ミズキたちの話の最中、何度かたきなの銃を握る手が跳ね上がりそうになるのを、千束は見逃さなかった。翻って、静かなのは黄理の方。しかし、たきなよりも、此の場にいる誰よりも危険なのは間違いなく彼だ。

 

 静かなのは表面上。いいや、何かしらの激情が完全に振り切り、凪いでいるように見えるだけなのだ。少なくとも常の七夜黄理ではない、今の彼は完全に触れてはならないスイッチが入っているように見えた。

 

 何かしら理由があれば、即座に物騒なことになりかねないとハラハラしながら、千束は固唾をのんで老爺の話の続きを聞く姿勢を取る。

 

「吉松シンジの行動を踏まえ、皆様もアラン機関に思う所がおありかと。であれば、私の行いはある種、その埋め合わせに近くなりましょう──」

 

 ガチャリ、と硬質な音を立てる怪しげな男の手荷物。

 

 アラン機関よりやってきた老人は、手にしていたアタッシュケースを軽く掲げる。アラン機関のエージェントの意図、それをミカが真っ先に飲み込んだ。

 

「まさか、千束の人工心臓か……!」

 

「ええ、錦木千束様が使われている心臓の同系同型機が此処に」

 

「マジか!ちょっと山岸先生、壊れたヤツとその人工心臓は取り換えられんの!?」

 

「──同系同型というなら手術は必要だけど、問題なく換えることはできるね──これならっ!」

 

 山岸医師が勇ましく己の拳と手のひらをぶつけ合わせ、猛々しく微笑んだ。活路が見いだせた、その事実に表情を曇らせていたミカもミズキも頷き合う。たきなもまた、黄理を希望に満ちた瞳で見つめ、笑みを浮かべる。

 

 しかし、あくまでそれは人工心臓が手に入れば、という前提での話。

 

 皆が喜びを隠しきれぬ状態にあって、浮足立たずにクルミは一つの懸念を確かめることにした。

 

「待て、お前さっき言っていたよな。“過去に支援した者への二度目となる支援”は機関のタブーに当たるって。それなら、お前がその人工心臓を千束に渡すのは、タブーに入るんじゃないのか?それとも同一人物でなければ、あるいは機関の人間がしでかした不始末は例外と看做されるのか?」

 

「……嗚呼、その件でしたら問題ありません」

 

 老爺は目を見開くと可笑しそうに笑い出す。その笑顔は何処か不穏でありながら、慈悲深さをも内包し何処までも温厚な笑顔をしていた。

 

 老爺は顔に笑みを貼りつけたまま、手に持っているアタッシュケースを“七夜黄理”の方へと伸ばしてきた。千束、ミカ、そして、黄理がそれの指す意味を理解する。

 

「これは錦木千束様への支援ではなく、七夜黄理様への支援ですので」

 

 

 

 

「……は?」

 

 俺はミズキの間の抜けた声をひどく滑稽に思ってしまう。そうだ、アラン機関は付き合いが薄いが、こういうヤツらなのだと吉松という男を通して俺は理解していた。

 

 だから、驚く必要もない/ただ、ひどい怒りが脳裏に過ぎった。

 

 

「──ずっと、ガキの頃からアラン機関が関わってこないとは思ってたけど、こうしてちょっかいをかける時機を見計らっていたのか?」

 

「此度の吉松の暴走は、私の関与するところではありません。あれは、あれなりにアラン機関のエージェントとして為すべきを為そうとした結果でしょう」

 

「だが、アンタは吉松の動向を妨害しなかった」

 

「機関の人間同士が支援の手段に手出し、口出しするのは禁じられておりますゆえ。ですが、こうして結果的に七夜黄理様の支援に事が運んだのは不幸中の幸いかと存じます」

 

 誰も、黄理と老爺の語らいに口出しできなかった。青年の瞳から色彩と光が消え、変わりに冷え冷えとした何か名状し難いものが溢れ出る予感に脅かされる。蒼黒の瞳は既に、深海のように深い蒼に変貌を遂げていた。

 

 黄理は疲れた素振りで銃を下ろし、片手に持っていた鉄棍を手中で逆手に持ち直す。もう、こんな面倒な奴らに付き合わされるのは御免被る。

 

 だから、面倒ごとはとっとと済ませよう。

 

 

「それで、その心臓を貰うために俺は“誰を殺せばいい”?」

 

「……黄理っ!?」

 

 千束の大声は悲鳴にも似て、懇願とも類似していた。でも、これはそういう話なのだ。吉松シンジが生きているから千束が狙われ、七夜黄理が千束の側にいるからこうして面倒ごとに巻き込んでしまう。

 

 だったら後腐れなく、千束に関わる全ての因縁を断ち尽くす。

 

 無論、それは七夜黄理自身も含めて──。

 

「話に出てた吉松シンジを始末すればいいのか?」

 

「──やめて、そんなの違う、違うんだよ!黄理っ」

 

 

 ──是なり、と告げる老獪な声が木霊した。

 

「その通り、これは貴方への支援であって殺人行為の依頼などでは決してありません。ましてや、暴走したエージェントが為した不始末の清算をチルドレンに任せるなどあってはならない。……いいですかな、アラン機関の支援とは祝福されるに能う才能へ必要なものを届けることにある。決して、命令や強制であってはならないのです」

 

 硬く一本の筋と決意の込められた発言、そこに嘘や偽りの気配はなく、老爺が己の根幹とする信念を言葉にしたことが伝わる内容であった。

 

 その言葉を聞き、焦燥していた千束はホッと安堵する。しかし、老爺が続けざまに放ったセリフに千束はおろか病室にいた面々の心胆は凍り付いた。

 

 

「──ですから、この心臓は私一人の命を奪うだけで御進呈(ごしんてい)いたしましょう」

 

 

 

 

「ああ、そう……そういう話か」

 

「ええ、このアタッシュケースの内部は私の心肺状態と同期しております。私が生きた状態で開かれれば、内部の人工心臓は電磁波で破壊され、使用は叶いません。人工心臓を得るには私を殺すだけで事足りる。どうか、貴方の才能を存分に行使してください。これこそが、貴方に贈るアラン機関からの支援で御座います」

 

 ニコニコと狂った満面の笑みを黄理に向け、自分が殺されることがさも祝福であるかのように語る老爺の姿に、たきなが吐き気を覚える。

 

「……正気じゃない」

 

「ボクも同感だ、おい、コイツの口車に乗るなよ。アタッシュケースを解析して、ボクがなんとかしてみせる」

 

「ざっけんな、命令や強制じゃないって、選択の余地が無いものだって強制してるようなもんでしょーが!死にたいなら勝手にしろ!千束や黄理(コイツ)を巻き込んでんじゃないわよ!!」

 

 たきな、クルミ、ミズキが反感を示す中、ミカだけが葛藤に苦しむ。千束や黄理に手を汚させるわけにはいかない。しかし、アラン機関の人間がこうして顔を出している以上、下手な小細工は通じるはずもない。いくら、クルミが腕利きのハッカーとはいえ、アラン機関の才能に懸ける執着は尋常ではないことをミカは識っている。

 

 此処で人工心臓を奪っても、壊されてしまえば意味を為さない。

 

 何が、千束を救うための最適解なのか……。

 

 

 だが、ミカの葛藤も、たきなたちの反感も置き去りに、ふらりと幽鬼めいた足取りで靜かに、死んだように老爺へと黄理が歩み寄っていた。そして、それに千束だけが気づくことが出来た、何もかも遅かったが。

 

「黄理──?」

 

 床に黄理の構えていた銃が落とされ、誰しもが落下時の音に気を取られる。千束はそれよりも、黄理の両手にすりこぎ状の棒、いいや鋼鉄の撥が握られているのを見るや、血の気が引き悪寒が総身に伝播する。

 

「ダメ!ねぇ、そんなダメだよ!待っ──」

 

 千束の叫びも、温かな日常への未練も置き去りに、七夜黄理は二本の鉄棍を逆手に構え、震えるほどの冷徹を瞳に宿して老爺へと肉迫した。

 

 

 

 簡単な話。そう、これは簡単な優先順位の話だ。見ず知らずで厄介ごとを持ってきた男の死と、ガキの時分から縁があった錦木千束の死。どちらを選ぶかという話で、天秤は当たり前のように後者へ傾いた。

 

 俺みたいなろくでなしにも分かる簡単な計算。

 

 千束の命よりも、目の前の老爺の命が俺には軽い。かつての不殺の約束よりも、千束の命の方が重い。生きていればこそ、約束を破ったと罵られたとしても千束が生きてさえいれば、それだけで俺が夢に見た物語(明日)は続いていく。

 

 俺には、それだけで良かったんだ。

 

 

 

“馬鹿が──”。

 

 脳裏に呆れかえったように嘯く何某か(自分自身)の声が聞こえた。

 

 千束の何処となく温かなプラチナブロンドと異なる色褪せたような真っ白な髪、無駄を削ぎ、更にそこから殺人へ有用なものだけに先鋭化したような痩身、不吉な蒼い眼光を発する暗殺者の(まなこ)

 

 遠き過去であるはずの、七夜の棟梁たる“在りし日の七夜黄理”がリリベルの “七夜黄理”の前に向かい合うように立っている。

 

 “かつての七夜黄理”の言葉は憐れむように、あざける様に、間違いを自覚しながら間違いを犯そうとする七夜黄理へと吐き捨てた。

 

“俺とてめぇは違う。他人の空似だと何度言えばわかる。俺の選択は俺のもの、お前がわざわざ俺の選択をなぞる義理はねぇと知れ”。

 

 過去の残影はいつの間にか消え失せていた。白昼夢に化かされたような気がしたが、撥を改めて逆手に構え直し──。

 

 

 

 ふと、千束の笑顔が、一緒に過ごした日々が脳内に溢れ出す。

 

 黄理が逆手に携えた(バチ)は、ひどく緩慢に獲物へ牙を剥く。鈍い破砕音が響き、老爺の片手を砕いて無理に千切り取る。

 

 アタッシュケースを持った腕が下手な手際で砕き外された。

 

 返り血を浴びながら、血に汚れたアタッシュケースを奪い取る。腕を砕かれたうえに、千切り取られた老爺が痛みに喘ぎ、叫んでいる。

 

 アタッシュケースを開くには、あとはこの老爺を殺すだけでいい。

 

 それだけでいいのに、俺の手は戸惑うように固まってしまった。次にすればいいことは分かっている、分かっているのに手が俺の意思に反する。

 

 

 

「あぁ、ったく、汚しちまった……」

 

 返り血を拭いながら黄理はアタッシュケースを確認する。血を浴び、汚れてこそいるが特に問題はない。今、老爺を生かしたままでは開けられないのだったか。

 

 しかし、これで可能性は掴むことが出来た。安堵からくる笑顔を浮かべ、血がべっとりと付いたアタッシュケースを千束へと差し出した。

 

「ほら、新しい心臓────これで大丈夫だろ?」

 

 

 

 ──微笑みながら血に染まった手を差し出され、千束は泣きじゃくりそうな顔でアタッシュケースを払いのけた。

 

「違う、違うんだよ……こんなことして欲しかったんじゃない!」

 

 血を吐くような叫びと共に、千束は利き腕を思い切り振りかぶる。

 

 乾いた鋭くも高い音が鳴り響く。

 

 千束のしなる平手が黄理の頬を張り抜いた。

 

 

 見事なモミジが頬に刻まれ、黄理は呆然と迷子のような蒼黒の眼差しで千束を見返す。手をもがれた箇所から血を流し、膝を付く老人へ千束は清潔なベッドのシーツを包帯代わりに止血を試みる。応急手当を済ませると、あとの治療は山岸医師が引き受けてくれることになった。

 

 床に落ちたアタッシュケースを先生が拾う。

 

「……千束、これを手に入れる経緯に問題はあったにせよ。それでも、これだけがお前を救うための唯一の手立てなんだ。この中の人工心臓があれば──」

 

「要らない……わたしだって生きていたいよ、でもさ。それをもらったら、黄理が人殺しになっちゃう。だったら、わたしは要らない。死んだって……いらない」

 

 千束のその懇願、いや我儘にぼそりとたきなが歯噛みした。

 

「どうして…………あんな狂ったヤツが死ぬだけで千束は助かるんですよ!なのに、どうして!?」

 

「どうしてか~。うん、ごめん。うまく言えないんだけど、それがわたしだからどうしようもないんだよ」

 

 

 

 モミジを頬に張り付けたまま立ち尽くし、蒼黒の瞳を揺らす黄理の手を強引に掴み、千束は彼を引きずるように病室を飛び出す。

 

「帰るよ、リコリコに!」

 

 

 病室を出て、千束とたきな、黄理の三人は一足早く病院から帰ることが出来た。ミカはアラン機関の男から情報を聞き出すため病院に残り、クルミは老爺を生かしたままアタッシュケースを開ける手段を模索している。ミズキは二人の付き添いで千束たちを見送った。

 

 

 リコリコに帰り着くと千束は残留した睡眠薬の影響か、すぐさま泥のように眠りにつき、その千束を傍らで守る様に黄理とたきなが寄り添う。

 

 

 眠りについた千束は何処かに行ってしまわないよう七夜黄理の手を大事に握りしめ、あまりにも多くのことがあった波乱の一日の夜を明かした。

 

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