Lycoris A moon eclipse   作:悪事

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What’s done is done【2】

 

 

 着慣れたリコリコでの作業着である作務衣に袖を通し、仕事を始めようとすると見慣れた上司、蒼崎橙子を見かけて黄理はすぐ顔を背ける。しかし、視線を反らしても橙子さんが手を緩めるはずもなし。

 

 現に橙子さんの第一声は非常に呆れかえった、七夜黄理という愚か者を咎める意図が込められたモノだった。

 

「──バカだね、お前も」

 

「自覚はあるんで、ざくざく刺さないでください」

 

「自覚したうえでやらかしたから、バカだと断言してるんだ」

 

 橙子さんの言葉は、やけに俺の耳に馴染み深く妙に痛かった。

 

 ──そういえば、何処かで同じことを言われたような覚えが。

 

 

 

 俺が思い出そうとしていると、隣からリコリコでの日常の掛け合いが余分な思考を中断させてくれた。

 

「え、あのパフェやめちゃったの?」

 

「そうなんですよ~、たきなに諸々バレちゃいまして」

 

「あ~なるほど。でも残念だなぁ、まだ食べてなかったのに」

 

 たきなの特性ホットパフェの見た目が独特というか、非常に形容しにくいものだったことがバレると、メニューから早々にホットパフェは二重線が引かれてしまった。それなりに好評、というか色物として店の売り上げと客の反応を賑やかしてくれたのだが、あっという間に消えてしまったことに諸行無常を感じてしまう。

 

 お客さんの残念そうな表情に触発されてか、千束が自信満々に胸を叩く。

 

「ふふ、お任せあれ!オーダーいっちょ入りましたぁ!」

 

「お、待ってました!」

 

 怒られても知らないぞ、と目線を送るが、千束は不機嫌そうにそっぽを向く。俺と反対を向いたまま、千束はせかせかと厨房に入っていく。会話を交わすこともなく、その背を見送った俺に橙子さんから一言。

 

「痴話喧嘩か?犬も食わんぞ」

 

「痴話を抜いてください、そんな色気のある話じゃないですよ」

 

「なんだっていいが、謝れるうちに謝っておくことだ」

 

 ごもっとも、と俺は肩を竦めて謝罪をどのように切り出したものかと悩み始める。

 

 先日、機嫌を損ねたせいで千束は俺と微妙な距離を置いていた。まぁ、不思議なことだが、たきなと一緒に俺の部屋で寝泊まりして、共にリコリコのバイトをしているのを見るに、完全に拒絶しているわけではないらしい。

 

 昔から千束を怒らせたときは何時もこうだ。俺が謝ろうとしても、のらりくらりと付かず離れずの距離を保って、いつの間にか機嫌を直している。ただ、今回ばかりは時間がどうにかしてくれると楽観できない。

 

 ──千束との時間は、そう悠長にしていられるほど長くないのだから。

 

 

 

 

 

 休憩を済ませてきたミズキが厨房に戻ると、メニューから抹消されたうん……パフェを盛りつけている千束を見かけて、ため息を漏らして釘を差す。

 

「まーた、アンタは……黄理とは気まずそうにしてるし、この期に及んでたきなまで怒らせる気ぃ?」

 

「別に黄理とはなんともないから……それにパフェの件はバレなきゃセーフよ、セーフ。お客様第一がリコリコのモットーだから」

 

「初耳なんだけど、それ……って、あっ」

 

 噂をした途端にたきなも厨房にやってきた。シフトの時間にはまだ随分と早いのに、既に普段の青の着物を纏って準備万端な装いをしている。たきなに見咎められ、千束は視線をあっちゃこっちゃに泳がせる。

 

「……あっちゃ~、っちゃちゃちゃ、ちゃ」

 

 咎めるような、不服そうなたきなの視線に晒され、咄嗟の言い訳も思いつかない。ミズキは知らんぷりと冷蔵庫を開けて中身の確認をしていた。これは久しぶりに叱られるかー、と千束が覚悟をすると、意外なことに何も言わずたきなはフロアへと行ってしまった。

 

 置いてけぼりとなった千束が呆然としていると、店の電話が不意に鳴る。我に返った千束は、跳び上がる勢いで電話を取った。

 

「はーい、リコリコ看板娘!!」

 

 

 

 

 うなりを上げるエンジン音、タイヤがアスファルトに食いつく音、次々と追い抜かれていく車の群れ。気難しい同乗者を横目に蒼崎橙子はハンドルを軽く握り直してアクセルを踏み込んだ。

 

 現状、リコリスの仮拠点であり、リリベルの東京支部でもある東京都庁。そこを目指し、赤のアストンマーティンが首都高速を走り抜ける。

 

 ふくれっ面の千束が普段見せないほど険しい表情で通り過ぎてゆく東京の景観を眺めて、頬杖を付いていた。ため息をつくほど辛気臭くないが、ずっと仏頂面でいられることにうんざりしたのか、運転席にいた“橙子”が眼鏡を外す。

 

「随分とご機嫌斜めじゃないか。そんなにDAに行くのがイヤなのか?それとも怒りの原因はウチのぼーやかな」

 

「別に、黄理にはそこまで怒ってない……と思う。けど、私のために私を泣かせるやり方を選んだのには思うとこが、ね……。とゆーか、たきなも妙に意識してるしで、もー大変。あっ、楠木さんの呼び出しは純粋にムカッと来てマース!こっちだって忙しいのに“来い”の一点張りなんて信じられるぅ!?」

 

「それだけ大切な要件があったってことなんだろう」

 

「“渡すものがある”って言われてなきゃ絶対に行かなかった。いや、まぁ多分ろくでもないプレゼントだろーけど」

 

 千束は眦を指で吊り上げ、仏頂面の楠木司令の表情を再現してみる。橙子は薄く笑い、アクセルの踏み込みを緩めた。

 

「今のリコリスは組織としては半壊といってもいい状況だ。渡せるモノもたかが知れてる。下手すると、これまでの感謝状と勲章でもセットで付いてくるんじゃないか?」

 

 橙子の薄笑いと共に語られた予想に千束は噴き出した。お腹を抱え、心底愉快そうに、すべてを笑い飛ばすほど晴れ晴れとした笑い声を上げる。

 

「アハハハ!!なにそれ、すっごい要らないんだけど~」

 

 笑い過ぎで零れた涙をぬぐい、落ち着いた千束は橙子と目線を交えないまま自身にとって重大な相談を切り出した。

 

 

「ねぇ、とーこさん。黄理の事なんだけど」

 

「断る」

 

「──はっや!まだ本題にも触れてないのに!!」

 

「言わずともわかるし聞かずとも断るよ、わたしは。生憎とぼーやの面倒を見るのは、アイツが答えを出すまでの間と決めている。人でなしの殺し屋になるか、甘っちょろい半端者になるか、それが決まったら、私はさっさといなくなるさ」

 

「でも、橙子さんがいれば!」

 

「私に期待しているなら、お門違(かどちが)いだ。私は黄理を救う気も、傍に居続ける気もない。私は俯瞰の傍観者だよ」

 

「黄理が……どうなってもいいってこと?」

 

「そう言われると返答に困るな。どうでもいい、と突き放すには縁が深くなりすぎた。かといって、アイツを変えるために私が取れる手段は皆無なわけだし。ふむ、君は虎杖さんから聞いたことはなかったか?」

 

「……?」

 

「電波塔事件後、リリベルから放逐された黄理は、君と同じ外部支部の預かりということで話が纏まりかけていた」

 

「かけてた、って黄理は外部支部の“伽藍の堂”に行ってますけど……?」

 

「違うよ、黄理が最初に飛ばされそうになっていたのは“リリベルの外部支部”ではなく、リコリスの外部支部、つまり、“喫茶リコリコ”の方だ」

 

 千束の表情に困惑が深くなる。それはおかしい、確かに金銭的な問題で黄理がリコリコのバイトをすることはある。しかし、黄理の所属はあくまでリリベル。リコリスの支部である“喫茶リコリコ”の正式な所属にはなれないはずでは。

 

「虎杖さんは黄理を単なる殺し屋にはしたくなかったのさ。とはいえ、あの反則的な殺しの技術を(いたずら)に潰すのも惜しい。虎杖さんの興味は、その二者択一にあった。黄理がどちらを選ぶのか。殺すか、生かすか、あれがどうなるかだけがあの御仁の関心の対象だったんだ」

 

 千束の困惑を一顧だにせず、橙子は昔話を続ける。

 

「と言っても、虎杖さんは六割弱くらい“生かす”方に肩入れしていた気がするがね。だからこそ、最初は黄理をリコリコの配属にしようと根回しをしていた。だが、上層部はお前と黄理を同じ配属とすることを却下した」

 

 ごくりと彼岸花の少女は息を呑む。これはひょっとすると、七夜黄理という存在にまつわる重大な情報の一端なのではないか、と予期するがために。

 

「七夜黄理はリリベルの外部支部に配属されなければならない。ただ、リリベルの外部支部なんて都合よく存在しなかった。そこで昔、虎杖さんに借りがあった私に白羽の矢が立つ。わけあって、私はリコリスでありながらリリベルの司令、虎杖さんに借りを作っていてね。DAに対しても隔意を持つために中立の立場にある私は都合が良かったのさ。虎杖さんたっての頼みということで黄理を預かり、アイツは私の事務所である“伽藍の堂”に配属となった」

 

 だから名目上、伽藍の堂はリリベルの支部という扱いになっている、と橙子は笑って、説明をしてくれた。アクセルの踏み込みが強くなった、車が逸る彼女の意気に押されてか速度を上げる。

 

「黄理の決断を見届けるまでが私の役目だ。もし、病院での一件で黄理がアラン機関のエージェントを殺していたら、私はアイツの前から姿を消していただろう」

 

「でも、黄理はまだ」

 

「そう、まだ殺しちゃいない。だが、ほんの少しボタンの掛け違いがあれば、黄理はアラン機関のエージェントを八つ裂きにしていた。“それは違う”とお前には断言ができるのか、錦木千束?」

 

 橙子の言葉を前に千束は病院での一件を思い出す。一呼吸の間もなく老爺の腕を解体し、返り血を浴びて人工心臓を奪い取る黄理(カレ)のことを。微笑みと共にアタッシュケースを差し出す彼の安堵、そして、黄理の笑顔を張り抜いたとき、手のひらに走ったつんざくような痛み。

 

 じんじんと残留する痛みと黄理の優しげな血に染まった笑顔が記憶に焼きついている。忘れることは、きっとできない。

 

「黄理はどっちを選ぶのかな」

 

 千束は、七夜黄理という天秤に乗せられた二つの選択肢を敢えて言葉にはしなかった。橙子は質疑の内実を理解したうえで私見を告げる。

 

「さてね、だが少なくともアイツは殺人に長けている。天賦、というのはああいうのを指すんだろうな」

 

「──やめて」

 

「異常なまでの才覚、ないし生来の特性は、その持ち主の生き方を否応なしに狭める」

 

「──やめてって」

 

「気に病む必要はない、遅かれ早かれ、というだけの話。君がいなければ、七夜黄理は電波塔事件の際に“殺人鬼(サツジンキ)”として完成していただろう。君はよくやった方だ…………よくぞ、七夜黄理の完成を此処まで遅らせた」

 

 “尊敬に値する”と呟く橙子に千束は反射的に銃を抜いた。だが、千束の手が跳ね上がるのと同時、ハンドルが急回転、車の姿勢が崩れる。千束が姿勢を保とうとするのに一瞬を要する、その一瞬に煙草の箱が眼前に出現した。

 

 視界いっぱいに映る“煙龍”の二字。

 

 鼻先に煙草の箱を当てられ、怯んだところで千束の手中にあったデトニクス・コンバットマスターは橙子の手元に存在した。硬質に輝く銃身、無機質に向けられた銃口。

 

 橙子は奪った銃に目線を落とし、すぐに手の内で反転。持ち手(グリップ)を千束の方に向け、銃を返却しようとする。

 

「バカ者が。銃を向けるなら、せめてセーフティを外してからにしろ」

 

 ぽかり、と軽くグリップで頭を叩かれてから千束は銃を返された。幼少期からの付き合いである拳銃、“デトニクス・コンバットマスター”。この銃に込められた意味が、土台から崩れてきそうな予感が押し寄せる。

 

 アラン機関の本性、吉松シンジの暗躍、七夜黄理への支援。

 

 橙子に言われなくても薄々気が付いてはいた。七夜黄理の本質には、殺人者の影が色濃く張り付いている。それはともすれば、自分にも類似するナニカなのかもしれない。

 

 成長する中で背丈、手足が伸び、出来ることが増える中、どれほど苦心して注意や気を張り、殺人者としての本質を押し殺していたか。

 

 七夜黄理は“生まれついての暗殺者”である。誰よりも殺人技巧に長けた天賦の持ち主。そんな彼を凌駕するには、彼を日常の側に留めるためには……。

 

「ねぇ、橙子さん……わたしが人を殺すことを選んじゃった黄理に勝つためには、どうすればいいのかな?」

 

 都庁前につき、車が停まる。千束の切なる問いを前に橙子は、ハンドルにもたれかかって煙草を咥える。火を付けることもなく、煙草を咥えたまま橙子はため息を吐いた。

 

「はぁ……いいか、よく聞け、千束。お前と黄理では見えているモノが違い過ぎるんだ。唯一の勝機はそこにある──」

 

 

 

 

 

 ──閑話休題。

 

 橙子の長話がひと段落したところで千束は車を下ろされる。都庁に入り、エレベーターの中で指定のパスコードを押し、地下へ。

 

 こうして錦木千束は都庁地下、リリベルの東京支部である逆サ都庁へと久しぶりに足を踏み入れた。エレベーターを降りた先は、都庁一階のエレベーターホールによく似せられた空間が広がっている。

 

 しかし、周囲を往来するリリベルやリコリスたちの姿が、地上の都庁と此処が別の空間であることを証明する。

 

 千束がきょろきょろしていると、二人の人影が近づいてきた。

 

「あ、お待ちしてました……千束、さん」

 

「いらっしゃい、って言うのも変な話だけど。どーも、錦木千束サン?」

 

「ちょ、ヒバナ!?」

 

 不作法な口ぶりの相方の少女に、横のオドオドした少女が慌てだす。

 

「すいません!ヒバナが失礼なことを……」

 

「え?いやいや、失礼とかそんな気にしなくって大丈夫だよ。同じリコリスなわけだし、もっと砕けた感じで話してもらえた方が楽ちんだからさ」

 

「ほらね?」

 

「なんか、釈然と……いえ、そういうことでしたら。……私は蛇ノ目エリカ、こっちが同室の──」

 

「篝ヒバナ、エリカと同じ貴女の案内役よ、どうぞよろしく」

 

「こりゃご丁寧に。楠木さんからあることないこと言われてるから知ってるかもだけど、錦木千束です。って、蛇ノ目、エリカ?確か、たきなの話で出てきたような……」

 

「たきなが私の事、何か言ってたんですか!?」

 

 急にエリカが瞳を輝かせて、千束に急接近する。その食いつきはただ事ではなく、たきなへの思い入れもなんとなく察することができた。顔をぐいぐい近づけようとするエリカの襟をヒバナが掴んで、落ち着かせようとする。

 

 どうやら、たきなの近況を知りたかったようなので、楠木司令のいる会議室までの道すがら、リコリコでの話を千束はエリカに語って聞かせた。逆にエリカは昔のたきなとの同室時代の話をして、今と昔で同じところや違う所を見つけては笑い合う。道中、千束は顔なじみのリリベルに遭遇する、七夜黄理以外での知り合いのリリベル。

 

 それは黄理の側付きとでもいうような立ち位置にいるファースト・リリベル、アキタカとだけ呼ばれる青年だった。

 

「おや、錦木嬢でしたか。……本日は虎杖司令にご用向きが?」

 

「「……嬢?」」

 

「あー、毎度言ってるけど嬢ってのはやめぃ。用があるのは楠木さんの方」

 

 

 “失礼を”、と頭を下げたアキタカは、千束の胸、正確には心臓の辺りを無機質な目で観察する。その視線に気づいた千束は、からかうように言葉を並べ立てた。

 

「なんだい、千束さんに興味津々かな?」

 

「……興味というより、もうすぐ死んでしまう身の上だというに闊達(かったつ)なもの、と感心しておりました」

 

「歯に衣着せようか、アキタカくん」

 

「耳障りの良い言葉がお望みですか?」

 

 能面のような表情をしたアキタカのセリフには一切の感情が込められていない。しかし、千束とのやり取りからエリカとヒバナは今日、錦木千束が楠木司令と面会する理由が尋常な事態によるものではないことを知る。

 

 息を呑むエリカたちを気にも留めず、アキタカはようやく声の中に薄っすらと感情の乗った言葉を絞り出した。

 

「意外です……」

 

「なにが~?」

 

「貴方が死ぬのは総長の手にかかっての事とばかり思っていましたので」

 

「んなわけね↑ーから!」

 

 声が上ずり、思わず千束の対応に棘が出る。噛みつく勢いで否定してみせた千束は口元を引きつらせ、白金の髪を撫でつけた。そもそも自分の死に方が大体、どのような風になるかを予想されること自体、失礼を通り越して宣戦布告ものだと思われる。

 

 

 失礼極まるアキタカを置き去り、エリカとヒバナの案内で千束は楠木司令のいる部屋に通された。部屋に入ってきた千束は軽く手を挙げてフランクに挨拶をする。対して、楠木司令の反応はというと。

 

 

「じき死ぬにしては元気そうだな」

 

「なんだい、なんだい?最近のトレンドは開口一番に喧嘩売ること~?」

 

「そんな暇をしているように見えるのか?」

 

「じゃあ要件さっさと話してよ、楠木さん」

 

「──DAに戻れ」

 

「聞かなきゃよかった」

 

 頭を痛そうに抱えた千束はわざとらしく咳き込んで、いささか演技がましく近くにあったソファに倒れ込む、ふりをする。仮病ということは明々白々だった。

 

「いやもー死ぬんで体調が~」

 

「真島が来たそうだな?」

 

 鋼鉄の女、楠木の瞳が鷹のように野生的で本能的に危険を悟らせる光を称える。さすがにふざけていられなくなった千束はようやく観念して話に乗ることにした。

 

「二回くらい?別に呼んだわけでもないんですけどねぇ」

 

「つまり二度とも取り逃がしたわけだ。その為に此方の東京支部は陥落し、多くのリコリスが命を落とした」

 

「いやいや自分のいないとこで起きたことに責任持てるほど私の手は長くないんです~。大体、無茶言わないでよ。こっちは自室でばったり遭遇したんだよ?最新セキュリティとか武器弾薬が万全だったリコリスの東京支部でだって真島を逃がしてるんだから、仕方ないって~」

 

 暗に東京支部で真島を仕留められなかったのか、と言外に問う千束に楠木司令は剣呑な顔つきで対面の椅子に座る。今にも相手を殺しそうな眼光を放つ楠木司令を前にして、千束は朗らかに平然と話し続ける。

 

「此処にくるの多分これで最後になると思うんで、もっと楽しい話しましょーよ~。で?なに、くれるんですか?」

 

 千束の無駄口にかまうことなく、楠木司令は無言でデスクの上に古びたカメラを置く。本当にただの変哲もないカメラ。少し型式が古いけれども、メンテナンス自体はされていることが一目で判別できた。

 

 不審そうにカメラを観察した千束は、不思議と見覚えのあるカメラの“元の持ち主”が自分であったことに数秒遅れで気づく。

 

「なんで、楠木さんがこれ持ってるの!?」

 

「──情報漏洩阻止のため回収していた」

 

「ずっと探してたのに~~!どろぼ~!!」

 

 千束の悪態も素知らぬ顔で楠木は次の任務を告げる。

 

「近く、大規模な真島討伐作戦を行う。お前も参加しろ」

 

「へへ、冗談きついね」

 

「多くの者が、お前を優秀なリコリスにするために尽力したというのに、ろくに役割を果たさずに死ぬんだな」

 

 

 その言葉を皮切りに私は席を立つ、きっと楠木さんのいう役割の果たし方と、自分が考えている役割の果たし方は根本的にかみ合わないことを察したために。

 

「私の思う役割は楠木さんのとは違うよ」

 

「話は終わってない──座れ」

 

「たぶん、話しても平行線だよ。楠木さんが戻れって言っても私はもう戻る気ないから~……たきなを此処に戻してあげて。そしたら、考えなくもナーイ!」

 

 背を向け、これが最後の会話になると思い、何か格好を付けた台詞でも口にしようとしたが、それをやめて渡されたカメラを掲げてただ微笑んだ。

 

 

「楠木さん、ありがと~」

 

 意外なことに最後の別れと意気込んでおいて、口を突いて出たのは感謝の言葉だった。

 

 

 

 

 都庁地下、リリベルの東京支部(アジト)を出て、千束は駐車場へ向かう。駐車場には赤いアストンマーティンにもたれ、しかめっ面で煙草を吸っている橙子の姿があった。赤い髪をひとくくりに纏め、茶色のコートを羽織る姿は煙草を吸っているだけというのに、圧倒されそうな存在感を放っている。

 

 けど、如何にも不味そうに煙草を咥えているため“吸わなければいいのに”という感想しか出てこない。

 

「ただいまー」

 

「ん?嗚呼、戻ったか……どうした?」

 

 車に乗り込まず、ジッと橙子さんを見つめていると訝しそうに首を傾げられる。

 

「いや、そんな不味そうに吸ってるのに、橙子さん煙草を止めないからさ。ちょっと気になって……」

 

 彼女の手元にある煙草、“煙龍”とパッケージされたそれは少なくとも市販のものではなさそうだった。千束が橙子の手元を覗き込もうとすると、それを妨げるように紫煙の壁がもうもうと立ちはだかる。千束が副流煙を払いのけていると、橙子は明後日の方を見たまま話し始めた。

 

「──コイツは台湾の不味い煙草でね。此処にあるのと事務所に置いてある一箱しか、もう残ってないんだ。作った会社はとっくに無くなっていて、どこぞの物好きな職人が段ボール一箱分だけ作ったという一品だ。そうだな、今のウチの備品の中で二番目くらいに価値のある品物だよ」

 

 不味そうに吸っているにも関わらず、橙子の口ぶりからは何処か自慢する様な趣きさえ見て取れた。しかし、二番目?となると伽藍の堂で一番に大切なものって……。

 

「じゃあ、一番大事な備品って、黄理のこと?」

 

 それを聞いた橙子さんは一瞬、目を見張ってから盛大に笑い出した。しまった、失言だったと思っても後の祭り。

 

 

 千束の無意識的な惚気(のろけ)を聞かされた蒼崎橙子は声高々に笑いながら空を見上げる。咥えた煙草から上がる紫煙は雲一つない寒空へと天高く昇って行った。

 

「──まったく失礼な、いくら私でも人を備品扱いはしないよ。しかし、この煙草を吸ってて甘ったるい気分になるのは初めてだよ…………ご馳走様」

 

「……なんのことでしょう……」

 

 思わぬ失言に顔を赤らめていると私の持っていた品が橙子さんの目に止まる。

 

「ところでなんだ、そのカメラは?」

 

「あ~……昔の私が大事にしてた備品?」

 

 笑って、はぐらかそうとする私へ橙子さんが静かに尋ねる。

 

「では、今のお前にとってはどうなんだ?」

 

「……大事にしたかった、はずなんだけどねぇ」

 

 昔のわたしが、何も知らなかった頃のわたしが大事にしていたもの。それを今でも大事にしたいとは思ってる。それは嘘偽りなんてない本当の気持ちだ。

 

 でも、それでも──。

 

 

 思い浮かぶのは、リコリコで笑っている先生やミズキ、たきな、クルミ、フキやサクラ、橙子さんに……穏やかに夢見るように微笑んだ黄理の横顔、リコリコで出会った常連の人たちや任務を通して関わってきた多くの人々が浮かべる大輪の笑顔。

 

 抱えているカメラをあらためて見下ろす。昔のわたしが大事にしていた一瞬を切り抜いた記録の数々、それがこの中に納められている。

 

 昔のわたしにとってのかけがえのない宝物であったとしても、今の私が大事にするにはあまりに多くの事を知り、優しい人たちと出会い過ぎた。

 

 

 嗚呼、まったく身勝手なことだが──。

 

 子供の頃のわたしが此処にいるとしたら、今の私が大事にしているものを尊んでくれるだろうか。答えなんて出るはずもなく、カメラを抱えた私は何も語れず黙って車へと乗り込んだ。

 

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